1970年に開催された日本万国博覧会(大阪万博)のアクセス鉄道として北大阪急行電鉄は開業しました。2000系は、開業前の1969年に8両編成×5本 (01~05F) 、予備の4両×1本 (06F) の44両でデビューしています。
閉幕後大阪市交通局に譲渡することを前提として製造された旧7000・旧8000形は大阪市の30系に編入されましたが、2000系はそのまま北急にとどまり翌1971年に8両編成×1本 (07F) が追加新造され52両が在籍しました。
車体はステンレス製で、前述の30系や7000系・8000系に類似してますが、全体的にやや丸みを帯びた車体には、親会社の阪急電鉄に由来するマルーンの帯が入れられました。また、車内の座席や化粧板も阪急っぽくなっており、大阪市の車両とは趣を異にしていました。1986年には御堂筋線9両編成化に伴い、9両編成×5本(01F - 04Fおよび07F)に組み替えられました。(それに伴い05Fの4両と06Fの3両が廃車)
画像はその当時のものです。1993年に全廃されました。