宮原電車区に103系が投入されたのは1981年4月 福知山線(尼崎-宝塚間)電化の時です。
タイプⅣの新車が6連×6=36両でした。車体塗装は黄5号。
1986年に福知山線が全線電化 新三田まで運用範囲が拡大されました。
しかしJR西日本に継承されたのは4連×6=24両。編成は短縮されています。
1989年3月 明石電車区よりタイプⅠ'の4連×3が転入、WAU102で冷房改造されました。
JR東西線が開業した1997年には全編成が7連となり京都まで乗入れ アーバンネットワークの一翼を担うことになります。
1998年から塗装が青22号へ変更され2001年にはカナリアイエローの103系は消滅しました。
なお宮原区の103系は2003年に明石区に207系が大量投入されたことにより姿を消しています。