キハ32形は1987年、国鉄分割民営化までに21両が新潟鐵工所(1~11)と富士重工(12~21)で製造され、そのすべてがJR四国に承継されました。
両社は当時、国鉄線から転換された第3セクター向けの鉄道車両を製造しており、見てのとおりこれらの車両に類似した車両となっています。エンジンは1基ですが、16m級と民営化当時の旅客車両としては最も短い車体を採用することで、急勾配路線にも対応します。
キハ54形0番台も、1987年に12両が新潟鐵工所(1~6)と富士重工(7~12)の二社で製造され、そのすべてがJR四国に承継されました。
こちらは21m級のステンレス車体でエンジンを2基搭載します。
ともにエンジンは新型の直噴式DMF13HS(250ps/1900rpm)ですが、変速機は神鋼造機製TC-2A/新潟コンバータ製DF115A、
台車はDT22G/TR51Eと廃車発生品を使用しています。
当初は配置区別に異なった(徳島区:藍色、高知区:臙脂色、松山区:黄かん色)ストライプ塗装でしたが、JR継承後(JR四国カラー:水色)統一されています。