有田鉄道は、木材や有田みかんなどの農産品を、積出港である湯浅港まで運搬する目的で、大正2年に設立されました。
大正4年5月に海岸駅 - 下津野駅間、大正5年7月に下津野駅 - 金屋口駅間が開業、全通しました。
大正15年8月に紀勢西線が藤並駅まで開通、有田鉄道は藤並駅を新設して紀勢西線と接続、
国鉄線を通して「みかん列車」が全国へ運行されるようになりました。
(その後、海岸駅 - 湯浅 - 藤並間は「不要不急路線」として昭和19年12月にレールが撤去され1959年4月に廃止されています。)
1950年4月からは紀勢西線湯浅駅まで乗り入れるようになりました。
しかし、みかんなどの輸送は次第にトラック輸送に置き替えられるようになり、
1984年2月に貨物営業は廃止、大きな収入源を失ったことで、
徹底的な合理化をすすめざるを得ない有田鉄道は、紀勢本線への乗り入れも1992年に廃止しました。
1995年3月には学休日の全列車を運休しバスで代替。2001年11月には1日2往復に減便、
とうとう利用者数は1日平均30人に満たないという有様になってしまいました。
2002年12月に予定を繰り上げて廃止となったのも致し方ないところでしょう。