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2016年3月の記事

2016年3月31日 (木)

南海電気鉄道 モハ3001形

モハ3000形は1973年に登場したもと南海11001系(Mc車)。

Keifuku_3006

20m級2扉車で南海本線の特急にも使用されたクロスシート車です。
1973~74年に2連×4本(+1:部品取り)の9両が
譲渡・改造されました。

車体は2通りで01~06が非貫通形のいわゆる湘南形。
07・08は前面 貫通形です。

1M方式の抵抗制御車で、主電動機はTDK822A(75kW)。
台車はFS19 中空軸平行カルダン駆動です。

1990年にワンマン化、
こ の際、扉を運転台のすぐ後に移設しています。

2001年の事故による運転休止の際、休車となります。
そのまま2002年えちぜん鉄道へ引き継がれましたが、
結局使われることなく、2005年までに形式消滅しました。

ちなみに旧南海11001系のうち、
昇圧改造され1000系として残留した車両は
1987年に廃車されています。

鉄道車両写真集 南海電気鉄道 モハ3001形

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2016年3月22日 (火)

Dr'Kの 2016年2月の鉄旅 まとめて惜別乗車の3泊4日

20162月の鉄旅 まとめて惜別乗車の34

「大阪しなの」「カシオペア」「スーパーカムイ~エアポート」「はまなす」

 

(ワイドビュー)しなの9号  京都 9:24 → 名古屋10:58

 名鉄快速特急 豊橋行 名鉄名古屋 11:18 → 東岡崎11:47

2年連続の新幹線の延伸開業に沸く一方で、私にとっては非常になじみ深い列車がまた3つ、その歴史を閉じる。その列車とは愛知出張の友「大阪しなの」と、北海道への帰省時の友、「スーパーカムイ~エアポート」、最後の急行「はまなす」である。

しかも、今年のダイヤ改正は例年より遅く326日に設定されており、青函トンネルの区間も、切換え工事のため年末年始や直前は全面運休するほか、私自身もありがたいことに仕事が非常に忙しく、仕事上は最繁忙期となる年度末にぶち当たり、惜別乗車が非常に困難な年になってしまった。

 仙台の旧友M氏や、大学時代の友人T氏からの紹介で、東北エリアでの新たな仕事の依頼を受けたため、それにひっかけるかたちで1回の行程の中にこの惜別乗車と「カシオペア」をすべて組み込み、1か月以上前ではあるが、ほくほく線を走行する「はくたか」以来、早い段階での惜別乗車とあいなった。

Jrt_383_a103_10

2連の付属編成が2組増結された10両編成の9号車に陣取り京都を出発。

京都駅を出てフツーに外側線を走り、時刻どおりに米原駅8番線に到着。ここで乗務員が入れ替わり、岐阜を経て、1分遅れで名古屋に到着。名古屋ではおりる客を無視してわれ先に乗り込んでくる自由席の客のマナーの悪さも普段どおり。

 でも、この何でもない長年の愛知県方面への出張での日常が、この3月末でなくなってしまうのは何か寂しいものがある。

 出張先は岡崎の商売道具の職人さんのところである。若旦那が2016年からあとを継ぎ、六代目新社長となり、先代社長は大旦那(ご本人いわく隠居)となった。新社長へのあいさつと、5月の仕事で必要とするモノの製作依頼である。

リニューアルされたパノラマスーパーにのって東岡崎駅に移動。駅近くで昼食をとり、13時のアポを目指して徒歩で工房兼店舗に向かう。

 見本を持っていったため、話はスムーズ。30分足らずで商談成立。また徒歩で東岡崎駅に戻る。

 

快速特急 新鵜沼行 東岡崎 1422 → 名鉄名古屋 1451

ひかり 524号 名古屋 1527 → 東京 1710

 

豊橋に停まる「ひかり」とは豊橋でのタイミングがあわないのと、乗継割引を有効利用するためにいったん名古屋に戻って東京に向かう。今日はこのあと高円寺のとある店に向かう。今後の仕事のため、T氏の紹介で、そこの店長とある方に会うためだ。毎度のことだがT氏の人脈には恐れ入る。

 今度は新塗色になった2200系に乗って名古屋に戻る。最近は豊橋行がパノラマスーパー、逆が2200系に当たる率が高い気がする。

 新大阪折返しの「ひかり」はN700系が運用に入るためやってきたのはN700A。指定された11号車のE席へ。この列車は小田原までノンストップで、小田原からは各駅に停まる。

 疲れがたまっていたのか、目が覚めた時は多摩川を渡っていた。東京駅の14番線に到着し、すっかりE233系に変わってしまった中央快速で高円寺に向かう。

 吉祥寺で仕事をしていたT氏と高円寺で合流し、目的の店へ。無事ご両人と会うことができ、杯を酌み交わす。このお二方も来年度の新たな仕事でのカギを握る人物となるからだ。

 

はやぶさ101号 東京7:56 → 古川9:49

リゾートみのり 古川10:14 → 鳴子温泉11:00

8734D 普通 小牛田行 鳴子温泉12:30 → 古川13:14

やまびこ49号 古川13:52 → 一ノ関14:10

午後~夕刻の用務で一ノ関に行く前に「リゾートみのり」と温泉をひっかけようとするあたりがT氏らしいところ。

仙台で捕まえるのが困難なので、仙台から各停になる「はやぶさ101号」に乗って古川で捕まえる。

「リゾートみのり」は古川に10:03にやってきて13分も停まっているのでゆっくり撮影できるかと思いきや、車内からカメラを持っていかにも大人の休日倶楽部の年配の客が出てくる出てくる。

 40DCが種車のリゾートトレインはいろいろあるが、元がローカル用で乗り心地はいかんともしがたいので、特急料金をとるのはいかがなものかと思うところで、この車両で快速なのは妥当な線である。

 温泉を堪能し、復路はキハ110の毎日運転の臨時列車で古川に戻り、「やまびこ49号」で一ノ関へ。

E2系の10連。こいつもいつまで乗れるのかねぇ…。

 用務を終え、普通なら、一ノ関にも「カシオペア」が停まるから、一杯やって時間調整しつつ、ここから乗るのか…と思いきや、実は、違うのだ。

 

やまびこ54号  一ノ関 18:37 → 福島19:32

カシオペア    福島19:52 → 札幌11:15

P1100543

 なんとT氏は、3回目のディナーでフランス料理を予約していたのだ。福島まで戻れば、20:10開始の3回目に間に合ってしまう。

…てなわけで、「やまびこ54号」で福島まで戻る。なんと芸が細かいこと。

「カシオペア」は普通にツインを利用。T氏ときたら、私のスケジュールにピンポイントでよくこんなのとれたワ…。

自室に帰っても、このプラチナチケットを抑えてくれたT氏への御礼も兼ねてワインを持ってきた私は、それでT氏と乾杯。

翌朝は函館を過ぎたところで起床。この時間帯の函館本線で客レに乗っているのは久しぶりかもしれない(最近はほぼ「はやぶさ1号~スーパー北斗7号」で道内に入っていたため)。今後はもう通ることはないであろう藤城線(「はまなす」で後述する)を味わってから朝食へ。

こうして札幌まで「カシオペア」を堪能。道内の撮影ポイントにはやっぱりカメラが多い。

札幌でいったんT氏とはお別れ。当日の「スーパーカムイ」の運用をみながら新札幌~岩見沢間を1往復し、7891000番台と785系貫通5連は一応クリア。やっぱ785系のゲンコツ編成(モハ785-500を含む編成)は2編成しかないし、785系が優先的にすずらん運用に入るから、「スーパーカムイ~エアポート」運用で狙うのが難しく、滞在時間内でクリアできず。「エアポート」からこいつらがいなくなるのは寂しいですねぇ…。しかも、代わりに増えるのがuシート以外はロングの733系とは…。721系の秀逸さをここでも感じますねぇ

 

 

急行 はまなす 札幌22:00 → 青森6:19

はやぶさ8号 新青森6:49 → 仙台8:54

やまびこ210号 仙台9:06 → 福島9:28

いよいよ、「はまなす」の惜別乗車。

ラストランの日は、仕事で乗れないのが確定しているので、ここで乗っておく。

「はまなす」の指定をとるのは私の担当だったのだが、さすがにカーペットは取れず、ドリームカーを並びでとるのが精いっぱいだった。

Dsc_7777

 

このきっぷを購入した時、実はJR西の某駅でひともんちゃくあった。

「はまなす」から「はやぶさ8号」など、乗継割引がからむ日をまたいで運転する特定の列車(はまなすやサンライズなどが該当する)を乗り継ぐときは、乗継列車の発売日時以外の適用条件をすべてクリアしていれば、例外的に1日早く乗継列車のきっぷを購入することができる(この制度自体は約款に明記されていて、該当列車が通達に記載されている)ので、「はやぶさ8号」の指定をとったうえで、東北新幹線の特急券を購入することができる。しかし、この制度の詳細(当該列車)がJR内通達しかないのをいいことに、同時購入を阻止し、乗継割引を逃れることを目的に組織的に虚偽説明を行っているのかと、ほぼ確信に近い疑念を持つくらい、当事者である九州以外JRの窓口ですらまともに対応しない(本州3社および一部旅行会社は然るべき部署の責任者たる人物が「ウチの職員(の知識や技量を)を試すな」という趣旨の暴言を吐き逆ギレをするレベルである)。

 さらに、「はやぶさ8号」の指定しか取れないことを逆手に取り、特急券を仙台で分断してくる。

改札を出なければ、福島までは特急券は通しですけどねぇ…。まさにやりたい放題。

こちらが指摘しないとまんまと乗継割引を適用されずに通常料金で買わされてしまうので要注意である。

私は、東日本大震災の支援活動に積極的に参加している(昨日の一ノ関もその一つ)ので、帰省明けにこれがはまって、「はまなす~はやぶさ」で移動し、「はやぶさ」を盛岡や仙台で降り、乗継も含めたその後の動きをする、ということが多いため、関西人でありながらこのきっぷをここのところ毎月のように購入し、この事情に明るいのである。

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いよいよ「はまなす」に乗車。東室蘭までは帰宅客がそれなりに乗っているし、そのニーズもあるからたとえ特急になったとしても、この時間帯をカバーする列車は必要だから、改正以降は特急「すずらん」としてスジが残されたのだろう。

私は「はまなす」自体はよく乗っているのだが、札幌~南千歳の区間で乗るのは実に久し振りである。

停車駅ごとに衝撃で目が覚めてしまうあたりも「はまなす」らしいところである。

「はまなす」がなくなる、ということは、定期の優等列車が砂原線からもなくなる、ということである。

砂原線というのは函館本線が駒ケ岳を越える七飯~大沼~森間では実質複線区間(単線並列)になっている上り線側の大沼~森間の通称で、上り列車の上り勾配を緩和するため渡島砂原をとおるルートのことで、定期の優等列車では「はまなす」が唯一(臨時は「トワイライトエクスプレス」の大阪行のみが)このルートを通っているのだ。

 夕刻から雪が強くなり、若干遅れ気味だが、函館での停車時間が1時間ほどあるので、たいていはここで吸収するので、青森にド派手に遅れて到着、ということはあまりない。

往路の「カシオペア」でも改正以降では優等列車がなくなる藤城線を通っている。藤城線はこの駒ケ岳越えの区間の七飯~大沼間の下り線で、こちら側に途中駅はないが、下り列車の勾配緩和という目的は砂原線と同じで、下りの優等列車は現在こちら側のルートを通っているのだが、上り線のみに存在する現渡島大野駅が北海道新幹線開業で新函館北斗駅になるため、改正以降の旅客列車は一部を除いて上下とも上り線を通ることになる(藤城線は一部を除いて下り貨物専用のルートになる)。

 江差線と津軽線は貧弱な単線区間なので行き違い列車のからみで若干の遅れが生じることはよくある話。

 青森からは6:28分発の新青森行シャトル便でつなぎ、「はやぶさ8号」に乗る。

「はやぶさ8号」は盛岡まで各駅停車で、ここからも北上、一ノ関、古川と飛び石で停車するので、

通過する駅は新花巻、水沢江刺、くりこま高原の3駅だけなのにはやぶさ料金はキッチリ取られるので、なんか損した気分になる。とはいえ、仙台~東京間の時間帯がいいため、いつ乗っても乗車率がよく、指定をとっていなければ立席になることもあるくらいなのだ。殿様商売だなぁ…。

 仙台で「やまびこ210号」に乗換える。この列車は白石蔵王以外のすべての駅にとまり、しかも後続の「やまびこ」にギリギリ抜かれないので、小山までの各駅へはこの列車に乗換える。福島まではあっという間。ここで、在来線へ。「とれいゆつばさ」は在来線ホームから出るからだ。

 

とれいゆつばさ1号 福島10:02 → 山形11:19

つばさ140号 山形12:08 → 大宮14:22

のぞみ251号 東京18:40 → 京都20:58

ここでまた昨日に続き福島に戻ってくる。今回の行程ではこの福島はキーポイントになっている。

在来線ホームに新幹線車両が停まっているのは新鮮。当然カメラの砲列の的になる。新幹線に座敷と足湯というのがまた新鮮。

しっかし、ミニ新幹線で在来線を走るからこそできる芸当で、このあたりはゼニアール東日本の商魂を見せつけられてる感じやなぁ。

ぐいぐいと峠を登っていくけど、ここを新幹線と直通というのは、最初はピンと来なかった。

しかも、ジョイフルトレインって…

 

新庄まで行ってると肉料理にありつけないので、山形で折り返す。

現在は仕事の関係で山形に居を構える、私とT氏の大学の後輩C氏のご家族、仙台のM氏と合流し、C氏御用達の山形が誇る肉料理のお店へ。これがまた絶品。

 

雪の降りしきる山形をあとにし、C氏と束の間の再会を果たした我々は「つばさ140号」に乗り、大宮に向かう。乗換なしで2時間ちょいだから速いものだ。

「つばさ」は福島駅では上下とも14番線から発着するので、このホームだけが非常に慌ただしいのが特徴で、この連結開放作業も注目の的になる。

「つばさ」と併結される上り「やまびこ」も、「はやぶさ」などが高速で通過する下り線を平面交差で横断してくるから、ダイヤ設定も神業に近いものがあるのだ。ここと新大阪の11番線、近鉄の尺土駅のダイヤ設定は毎度のことながら感心する。

上り「つばさ」は「やまびこ」の入線後にこのホームに停まるので、連結までに3回停止し、連結されてからドアが開く。ちょうどここが中間点。

 福島を出ると下り線をまたいで上り線へ。これが「つばさ」の醍醐味でもある。大宮で下車。ここでT氏と別れ、一駅先のさいたま新都心駅前の今回の行程最後の用務地へ。

 さいたま新都心から上野東京ラインで東京に出て、あとは素直に帰路についた。

 

 

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2016年3月21日 (月)

京福電気鉄道 モハ2001形

モハ2001形は1934~43年に登場したもと南海1201形。

南海の昇圧に際して京福電気鉄道福井支社はこれを一挙に
16両導入(当初 はホデハ2001形)しました。

Keifuku_2009

南海1200形は戦前戦後の南海を代表する汎用車です。
ただその実体はというと旧型車の鋼体化改造名義のもの、
新造扱いのもの、そして戦災復旧車がありと…
製造会社も多岐にわたります。

はっきり言って各車の経歴は複雑で私の手に負えませんでした。
ですからデータも自信がありません。
(日本の私鉄22 東海.北陸 保育社カラーブックス592)

1982~85年にかけて阪神5231形の車体に載せ替え
モハ2001形は全車2101形に姿を変えました。

鉄道車両写真集 京福電気鉄道 モハ2001形

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2016年3月18日 (金)

京福電気鉄道 2201形

モハ2201形は 元阪神3301形 モハ2201形2201~04。

Keifuku_2202

1986年の入線時に台車を国鉄101系の発生品に交換しました。
両運転台の単行用車両ですが、
床下機器の配置を変更し冷房電源用の発電機スペースを捻出、
京福初の冷房車となりました。

鉄道車両写真集 京福電気鉄道 2201形

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2016年3月17日 (木)

京福電気鉄道 2101形

京福モハ2101形は足回りは元南海1201形を譲受したモハ2001形。
(2001~16。)

Keifuku_2114pg_2

1982~86年にかけて
阪神5231形の車体(ただし中央ドアを埋め2D化)に載せ替えました。

2111~16は京福時代に両運転台化されています。

また、2111・2112・2115以外は冷房化も行われています。

鉄道車両写真集 京福電気鉄道 2101形

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2016年3月16日 (水)

京福電気鉄道 1101形

モハ1101形は運輸省規格形となる元ホデハ(モハ)1001形。
1981年に車体を阪神5101形の車体に載せ替えました。
(ただし中央ドアは埋められ、2D化)

Keifuku_1102_

後に豊橋鉄道から譲受された台車(元国鉄101系のもの)、
電装品を流用して新性能・冷房化改造されました。
1101は2000年の正面衝突事故で廃車・解体。
1102のみがえちぜん鉄道に継承されています。

鉄道車両写真集
京福電気鉄道 1101.2101.2201形

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2016年3月12日 (土)

伊豆箱根鉄道 7000系

伊豆箱根鉄道 7000系は 1991.92年に登場した自社オリジナル車両です。

Izu_hakone_7101_2

3連×2=6両が東急車輌で製造されました。
快速運用を考慮し、初のオールクロスシート仕様となりました。
(転換クロスシート、車端部はボックスシート)

JR東海への直通運転が計画されたことによりドア位置などを311系と合わせています。
中間車については、快速運用の際に指定席車両として使用することを考慮し、213系サハ213形に似た片側2扉構造となっています。

主電動機はHS22535-08RB(120kW×4)、制御装置は三菱製のABFM-168-15MDHC(電動カム軸抵抗制御式多段型制御)となっています。駆動方式は中空軸平行カルダンではなく、TD平行カルダンを採用しました。ブレーキはHRD1-Dです。

鉄道車両写真集 伊豆箱根鉄道 駿豆線 7000系

珍車ギャラリーでもとりあげています。伊豆箱根鉄道 7000系

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2016年3月11日 (金)

伊豆箱根鉄道 3000系

伊豆箱根鉄道 3000系は1979~97年に製造された自社オリジナル車両です。

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3連×6=18両が東急車輌で製造されました。
初めてのカルダン駆動車であり、かつ冷房車でもあります。
ブレーキシステムも初の発電ブレーキ併用電気指令式ブレーキ(HRD1-D)を採用しました。 主電動機はHS-836-Krb(120kW)、制御装置は三菱製のABFM-168-15MDH(電動カム軸抵抗制御式多段型制御)となっています。

普通鋼製の1次形とステンレス製の2次形に分類できます。

鉄道車両写真集 伊豆箱根鉄道 3000系

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2016年3月 9日 (水)

伊豆箱根鉄道 1100系

伊豆箱根鉄道1100系はもと西武701系。

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1989.90年に4連×3本を譲り受けを3連に組み替えました。
(旧モハ701形(奇)の足回りをクハ1701形(奇)へ移設し、Mc化する形で実施。)

台車はFS342T。主電動機はHS-836-Frb、駆動方式は中空軸平行カルダンです。主制御器は電動カム軸式MMC-HT-20A。ブレーキはHSCです。

この画像は、モハ1011ですが、モハ1100形です。
1100番台のモハは存在しません。わけがわかりませんね。

2009年以降、廃車が進められ、2012年6月引退しました

鉄道車両写真集 伊豆箱根鉄道 1100系

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2016年3月 7日 (月)

伊豆箱根鉄道 1000系

伊豆箱根鉄道 1000系には 二通りあります。
1963~71年にかけて登場したオリジナル車:01.03.05.07Fと

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1975~79年に譲受けた、もと西武501系の:09.12.13Fです。

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オリジナル車は伊豆箱根鉄道初の20m級両開き3D車。
ツリカケ駆動ではありますが、
軽量車体構造、、電磁直通ブレーキ(HSC)、MMユニット化(03F~)などを採用しました。
冷房化はなされず1991年から2005年にかけて廃車されました。

鉄道車両写真集 伊豆箱根鉄道 1000系.

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2016年3月 5日 (土)

珍車ギャラリー 伊豆箱根鉄道 7000系

伊豆箱根鉄道7000系は、1991.92年に登場したオリジナルのステンレス車両です。

Izu_hakone_7101

3連×2=6両が東急車輌で製造されました。
伊豆箱根鉄道初のオールクロスシート車。
制御装置は三菱製の多段型制御。
駆動方式はTD平行カルダン。ブレーキはHRD1-Dです。
なんと7000系は最高速度120km/h対応の高性能車なのです。
はっきりいってローカル鉄道の車両仕様を遙かに超えています。

実は7000系はJR東海への直通運転を目論んで製作されました。

しかし、2016年現在に至るまで、
7000系のJR東海乗り入れは一度も果たされてはいません。
なぜでしょう?

珍車ギャラリー伊豆箱根鉄道 7000系

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2016年3月 4日 (金)

富山地方鉄道 14790系

14790系(もとモハ14771+クハ171初代)は1955年に日車で製造されたオリジナル車両。

Chitetsu_14791

地鉄のみならず、地方私鉄として初のカルダン駆動車で、
狭軌用カルダン車の先駆として車両史に残るものです。

クハ171初代とユニットを組みます。
モハ14760が14両製造されたことにより
14790形と改称・改番されました。

鉄道車両写真集
富山地方鉄道 14790系

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2016年3月 2日 (水)

富山地方鉄道 モハ14750形

富山地方鉄道 14750形  Mc 単行 51~53.55

Chitetsu_14755

1948年に日車で4両製造されました。
運輸省規格形の車体となる18m級両運転台付き2扉の吊掛け駆動車です。出力が大きく単行運転可能で、カルダン駆動車との併結も可能な14750形は永く活用され続けました。

1994年までに全車廃車。

鉄道車両写真集 富山地方鉄道 モハ14750形

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2016年3月 1日 (火)

富山地方鉄道 14780系

14780形は地鉄初のカルダン車14770形(後の14790形)の増備車。

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1956~58年に2連×3が日車(東京)製造されました。

18m2扉車で地鉄では初の2連固定。
85年頃から更新され窓はユニットサッシ化、前照灯もシールドビーム2灯式に変更されました。
モハ14782・14783 は台車をND706に、クハは国鉄455系のTR69Bに変更されました。

1988年には82.83Fが冷房化されました。
1997年に非冷房の81Fが 廃車。1999年に形式消滅しました。

鉄道車両写真集 富山地方鉄道 147800形

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