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2016年1月の記事

2016年1月30日 (土)

遠州鉄道 30系 モハ30形-クハ80形

遠州鉄道 30系は1958~80年にかけ製造された元祖「赤電」です。

Ensyu_35_

モハ30形については31から付番されましたが、増備の途上30番台には収まらなくなり、39の次には30を付番し、以降29・28…25と逆順で車番が付されています。(つまり25がラストナンバー。78年製) クハ80形についても同様といいたいところですが、モハ29・36~39ならびにクハ79・86~ 89については従来車の機器を流用しており、36~40はMc+Mcで編成を組んでいました。この36F.38Fは1983.85年に廃車されましたので最終的にはすべてモハ30形+クハ80形の2連ユニットとなりましたが、下一桁の番号が合わない編成も出てくることになります。  

30系で注意しなければならないのは、全く関連性のない車番が付されている最終増備編成モハ51-クハ61です。遠州鉄道初のカルダン駆動車として新製されたものでデザインも違います。別形式としてもいいグループです。2015年現在25F.51Fのみが在籍しています。
こちらは珍車ギャラリーでも取り上げています。

珍車ギャラリー30系 モハ51編成

鉄道車両写真集遠州鉄道 30系 モハ30形-クハ80形

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2016年1月26日 (火)

阪神電気鉄道 5700系「ジェットシルバー5700」

阪神5700系は、5500系以来20年ぶりの新車となる普通用車両「ジェットカー」です。

Hs_5701_00

「2代目ジェットシルバー」または「ジェットシルバー 5700」と呼ばれているのは1960年にデビューした5201形 (5201,5202) 以来のステンレス車体を採用しているためです。

回生ブレーキ付きVVVFインバータ制御が採用されているのは勿論ですが、全閉自冷式永久磁石同期電動機 (PMSM:SEA538A:190kw)を採用し、Mcを0.5Mにしました。
3M1T相当にしたということになりますね。
また全ての照明器具LEDと するなど、省エネを徹底し、5001形と比べて消費電力は半分になったとのことです。

長時間停車する駅での車内保温対策として、関西大手私鉄では初めてとなる半自動ドアボタンを各扉に設置したのも注目ポイントです

鉄道車両写真集 阪神電気鉄道 5700系「ジェットシルバー5700

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2016年1月25日 (月)

近江鉄道 800系

近江鉄道 800系は、1990年から96年にかけて廃車された西武401系を譲受し改造した20m車です。

Ohmi_801s

マスクを交換、側面の一部を切り欠き、ブレーキのHRD化・ワンマン化などがなされました。 1993年には竣工した801Fでしたが、八日市線の改良工事が完了する1999年にようやく営業運転を開始したという経緯があります。
なおラストナン バーの811Fがデビューしたのは2005年です。

821.822Fは種車である401系のマスクをそのまま利用したグループで西武の車籍を引き継いで います。

カルダン駆動で冷房装置も付いている西武401系ですが、元を正せばその車体は1964年製の411系で吊り掛け駆動の電車です。

遠からず主役の座を新 100系に譲ることになるのではないかと思われます。

鉄道車両写真集 近江鉄道 800系

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2016年1月24日 (日)

近江鉄道 500系

近江鉄道 500形は1969~83年に近江鉄道彦根工場で製造(名義上は改造)されました。

Ohmi82oct_504

1系の後継車両となる16m級の中型車で、片側3扉、前面貫通型の車体をもつ、吊り掛け駆動の非冷房車です。
モハ500形+クハ1500形で2連を組みます。
旧型車から流用のイコライザ台車をはいていましたが、
1980年代に空気バネ台車(FS40)に取り替えられ、
ブレーキも電気指令式HRDに更新され、
モーターや制御機器等も共通化が図られました。

2004年より順次除籍され、一部の車体は彦根に留置されていましたが2012年には解体された模様です。

鉄道車両写真集 近江鉄道 500系

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2016年1月23日 (土)

三岐鉄道 モハ120形 125

三岐鉄道 モハ120形(125)は
1975年に小田急電鉄デハ2100形2104を譲り受け、
西武鉄道所沢工場で改造を施した車両です。

Sangi2_125

モハ120形125としてクハ210形215・216ともに竣功しました。

モハ120形(120~122)とは形態や性能が異なります。
むしろ西武の部品・台車を再利用したモハ150形に近い存在です。

1990年に廃車されました。

鉄道車両写真集 三岐鉄道 モハ120形

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2016年1月22日 (金)

三岐鉄道 クハ210形

三岐鉄道 クハ210形(215・216)
1975年に小田急電鉄・クハ2150形2153・2154を譲り受けたもの。
1976年モハ120形125とともに竣功しました。

Sangi2_215

クハ2154は東急車輌製造、クハ2153は日本車輌製造です。
クハ215は1990年、クハ216も1991年に廃車となりました。

鉄道車両写真集
三岐鉄道 クハ210形

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2016年1月21日 (木)

三岐鉄道 501系

三岐鉄道501系はもと西武501系。

Sangi2_525

1977年12月に505編成が、1980年8月には525編成が移籍しました。
なお車番は西武在籍当時のままです。
譲渡に際しては西武の4両編成からサハを抜き
3連として導入されました。1995年8月まで在籍しました。

鉄道車両写真集
三岐鉄道501系

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2016年1月20日 (水)

近江鉄道 1系 131系

モハ1形(1~6)クハ1213形(1213、1218~1222)は
1928年に投入されたデハ1を鋼体化改造したものです。

Ohmi82oct_6

とはいうものの、実際には車籍を名義上流用したもので、
実体は1963年と1966年に自社の彦根工場で作られた車体に手持ちの機器を組み合わせていったものといっていいように思 います。

モハ131形も種車が違うということで
性能的には変わるところはありません。
違いといえばM車が米原よりであるということぐらいです。

1970年の諸元表によれば、台車はクハがTR-11、モハはKS-33L、ブレーキはAMJ・ACJ主電動機は70kw×4(型式不明)、制御器は PC101C2。とありますが、

1984年の諸元表では、モハの台車がDT-12に、ブレーキはAMA・ACAに、主電動機もMT- 15(100kw)×4、制御器はCS-5と国鉄型に交換されています。

1990年代になりますと、台車が西武から譲り受けたエアサスのFS-40になり、ブレーキも全電気指令式(HRD)に改造され、ワンマン仕様となりまし た。

鉄道車両写真集 近江鉄道 1系 131系

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2016年1月14日 (木)

珍車ギャラリー 三岐鉄道 ED45形 9号機

ED45形の9号機は もと東武鉄道のED5060形5069です。

Sangi2_ed45_9

1963年に東芝で製造されました。
三岐鉄道には1991年に譲渡されたのですが、長らく運用されず、
2000年に改造、改番されてED459となりました。

その結果、1954年の1号機デビューから46年の歳月を経て
ラストナンバーの9号機が登場するのです。

これだけ息の長い、それも
同一性能の形式を持つ鉄道車両はそうそうありますまい。

詳しくはこちらを

珍車ギャラリー三岐鉄道 ED45形9号機

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2016年1月11日 (月)

三岐鉄道 801系 851系

三岐鉄道 801系は、もと西武701系です。

Sangi_803

701系は、63~67年に4連×48=192両も量産された西武のカルダン車です。

601系からデザインは大きく変化しましたが、主要機器の仕様は601系を踏襲し、ブレーキも発電制動を持たない自動空気ブレーキです。
また制御車の台車については601系と同じく国鉄台車を改造したTR11Aを採用するなど、経済性ならびに従来車との併結を考慮した「高性能車」でした。

1975年には冷房化と併せて、ブレーキのHSC化がなされ面目を一新しました。

三岐鉄道にやってきたのは、801Fが89年(←779F)、803Fが92年(←771F)、805Fが97年(←7789F)です。

3連化しTcの台車はFS342に換装されました。

851系は、851F(95年(←701-89F))のみですが、
台車を101系から捻出したFS372に換装した系列で、基本的には801系と変わりません。

なおクモハはもとモハですべて クハ1701形から運転台を移設したものです。

鉄道車両写真集 三岐鉄道 801系851系

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2016年1月 9日 (土)

Dr.K 2015~2016年 年末年始の鉄旅 仙台市営地下鉄東西線に乗ってきました

2015~2016年 年末年始の鉄旅 
仙台市営地下鉄東西線に乗ってきました

12月28日(月) 
 今日は仕事納めの研修2本。いずれも監督官庁がからんでいるものである。 対象は同業者の方々で、どちらもある伝統技術に関する研修である。午前中の研修は趣味が高じての経験から指名を受けて母校である某大学での研修を受け手以来、講師をつとめ、午後の研修は受講する側。会場はいずれも大阪市内で、地下鉄谷町線一本で動ける位置関係だったので、午後の研修の受講者のうち何人かは、午前中の研修で私の研修を受けた方だった。  帰省するための荷物と、研修で使った商売道具を持っているため結構な大荷物。 午後の研修を終え、新大阪駅に向かう。

のぞみ176号( 新大阪16:30 → 新横浜18:44 )
ひかり538号( 新横浜23:08 → 東京23:26 )

 A氏からの誘いを受け、熱海のR氏とともに新横浜駅前で忘年会のため、のぞみ176号に乗って 新横浜をめざす。この列車は普段、土曜運休の定期便、新大阪始発の「のぞみ242号」として運転されているが、博多や広島から延長運転される日は「のぞみ176号」に変わる。  時期が時期だけに普通車は満席でグリーン車ということになったが、それもよし。

 新横浜でA氏、R氏と合流し楽しい宴席。仙台のM氏がコンサート鑑賞のために近くにいる(しかも、最終の新幹線東京21:44発やまびこ223号に間に合うかがぎりぎりなので、ハナから都内で宿泊する予定だったのこと)から合流する、ということで急遽21時半ごろ合流された。  R氏の終電の時間(新横浜23:06発こだま809号)に合わせ23時前に解散。横須賀線沿線在住のA氏がひとり横浜線に乗車。残りの3人は新幹線。偶然だったのだが、私とM氏は宿が東京駅前の同じ宿だったため、一緒にひかり538号の自由席で移動。宿のラウンジで飲みなおした。

12月29日(火)
 今日は仙台市営地下鉄東西線を乗りつぶすために仙台泊であること以外はノープランなので、 ゆっくり目に起きてはやぶさ15号で仙台へ。今日は1日M氏にお付き合いいただく。

はやぶさ15号( 東京10:40 → 仙台12:16 )
仙台市営地下鉄東西線 八木山動物公園行( 仙台12:28 → 八木山動物公園12:40 ) 仙台市営地下鉄東西線 荒井行( 八木山動物公園12:49 → 荒井13:15 )
仙台市営地下鉄東西線 八木山動物園前行( 荒井13:22 → 仙台13:36 )  

 仙台までは普通席2人掛けでM氏が通路側、私が窓側。 今月開業したばかりの仙台市営地下鉄東西線だが、M氏宅のすぐ近くにこの地下鉄の駅ができ、劇的に通勤が楽になったという。開通までは自転車でアップダウンの激しい約3キロの道のりを行っていた今の職場までこれ1本、乗車時間10分ほどで通えるようになったという。初電は6時前と遅めだが、0時前まで運行されており、21時ごろまでは本数も多い。 小ぶりなリニアモーター式の地下鉄4両編成だが、閑散時も1時間に8本運転され、夜間は運転間隔が伸びるが、都市圏の足としてはまずまずだ。1日乗車券を購入し乗車。 仙台市内は青葉山や広瀬川の河岸段丘などのため、実はアップダウンが激しいので、広瀬川と竜の口渓谷を越える区間には一部地上区間があるのだ。また、東部は津波の被害を受けた地域で、 道路事情が悪く慢性的な渋滞が発生していたのを解消する目的で建設されたらしい。 M氏に教わるまではこの事情を知らなかったので、地上に出た時は大いに驚いた。 すべての駅が島式でホームドアがあるあたりは、新しい地下鉄路線っぽいところだ。 コンパクトな車内を狭く見せないために、カベやイスが薄いので、きれいなのだが少し安っぽく見えてしまう。  一つ残念なことは、南北線と同じ規格にしておけば、あおば通駅から仙石線に乗り入れることも できたのではないだろうか、とも思ったりする。  

 仙台駅付近でおそひるの後、M氏の買い物につきあう。その後、M氏のなじみの店に繰り出し、連夜の食事のおつきあいをいただく。 北斗星があれば仙台から北斗星という手を文句なしに使っていただろう。仙台どまりはやぶさ37号を盛岡まで延伸してくれれば、いい感じで盛岡あたりに泊まれるのだが。仕方なく仙台泊。今日はおしまい。

12月30日(水)
 東京発6時の臨時はやぶさ61号(仙台7:34→新青森9:17)が運転されている日なので、新青森までならこれで効率よく移動できるのだが、わずかの差でスーパー白鳥95号(新青森9:12発)に逃げられてしまう。そのあとの普通639M列車の新青森発(9:19)を2分ほど遅くしてくれれば青森で追いつくことができるのだが…。  …そんなことを言っていても仕方がないので、今年の年明けと同じ、東京または仙台泊の時の鉄板行程で新得に向かった。

はやぶさ1号( 仙台8:06 → 新青森9:50 )
スーパー白鳥1号( 新青森10:17 → 函館12:22 )
スーパー北斗7号( 函館12:29 → 南千歳15:26 )
エアポート146号( 南千歳15:28 → 新千歳空港15:32 )
エアポート161号( 新千歳空港16:03 → 南千歳16:06 )
スーパーとかち5号( 南千歳16:16 → 新得17:50 )

 帰省ラッシュの下りピークの日の東京発の定期一番列車だが、仙台以北の1人利用ならば普通車でもなんとかなるのだ。到着時は大ババだが、仙台でかなりの下車がある。いかに仙台までの需要が大きいかを物語る。1号を名乗ってはいるものの、こまちと併結している盛岡まではノンストップだが、単品になる盛岡以北はいわて沼宮内以外全駅に停車する。盛岡で切り離したこまち1号の発車を待ってこの列車が出発。途中の八戸で隣が変わる。 新青森では30分弱の乗換時間があるので、駅ナカのニューデイズでコーヒーを調達。 それなりの広さはあるものの、やはりこの時期なので、人が多く手狭だ。 新青森駅の在来線ホームは島式1面しかないのだが、スーパー白鳥が一瞬両面に停まる。函館からのスーパー白鳥16号が到着するからだ。新青森では、座席は青森から津軽海峡線の向きにあわせて逆向きにセットされているので、よけいにややこしい。勝手を知らない帰省客が乗りまちがいそうになるのも頷ける。

 青森は元々雪の多い土地柄ではあるが、12月はけっこうな大雪があったので、雪がしっかり積もっている。復路は元日。新幹線関連工事で津軽海峡線は全面運休になってしまうため飛行機で帰らざるを得ない。これがおそらく最後の在来線での津軽海峡線となろう。なので、日中に津軽海峡線を通り抜けるこの行程を選択した。  今週2度目の北海道。

スーパー北斗は乗車時間が長いので今回もグリーンを選択。森のいかめしを調達し遅めの昼食。安全面での不祥事続きで、尼崎事故でのJR西日本と同様、スピードダウンせざるを得なかった北海道。キハ281系は120km/hどまり。それでも速いのだが、やっぱりなにか物足りない。  ほぼ時間どおりに南千歳についたので、南千歳には何もないので、暇つぶしに新千歳空港まで往復し、茶をしばく。  

27日の火災の影響で帰省できていなかった深川の従兄らと南千歳から乗車したスーパーとかち5号の車内で合流し、新得へ。

1月1日(金)
今日は海峡線が前面運休のため、嫌でも空路で帰らなければならない。

スーパーおおぞら8号( 新得15:40 → 南千歳17:11 )
エアポート173号( 南千歳17:13 → 新千歳空港17:17 )
全日空 578便( 新千歳空港18:20 → 神戸空港20:20 )

スーパーおおぞら8号(15:40新得発)も神戸、伊丹の全日空最終便の鉄板行程。 私の初仕事が2日であるため、わが一族のみ元日に失礼する。  新得から乗車したスーパーおおぞらでも、今日は海峡線が全面運休であることが案内されている。 私はかつて患った病の後遺症で、飛行機にこの短期間にこれだけ乗るのはそれだけで負担になるからつらいのだが、致し方がない。  このスーパーおおぞらはトマムにしか停まらない上りの速達便で、大きな混乱もなく新千歳空港につくことができた。

天気が良くないのでもう真っ暗である。  接続がきれいすぎるので、新千歳がいつも慌ただしくなるのだが、もう慣れたものである。 神戸空港からは、ポートライナーで三宮に出て、そこからはJR神戸線~京都線。空いている快速で帰還。

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2016年1月 5日 (火)

Dr.K 2015年12月の鉄旅2 JR北海道 まさかの火災 

2015年12月の鉄旅 その2 まさかの火災で従兄と会えず?

12月26日(土)   
 今日は日中、私の毎年1月2日の初仕事となる兵庫県某所での初売りイベントのリハーサル。 リハーサル終了後、大阪空港で家族と合流し最終の全日空便で新千歳空港へ。
私はまだ28日まで仕事があるが、無理が利かなくなった両親の帰省に付き添い、全日空最終便でいったん北海道入り。

エアポート213号( 新千歳空港21:15 → 南千歳21:18 )
スーパーとかち9号( 南千歳21:32 → 新得23:11 )  

わずかの差で釧路行最終のスーパーおおぞら11号には乗れず、南千歳には何もないので、 1時間弱の待ち時間の間に空港内で食事を済ませ、新千歳空港駅へ。  
札幌からはスーパーカムイ43号となるエアポート213号で南千歳へ。
南千歳でスーパーとかち9号帯広行に乗換える。
帯広までの最終であるとともに、これが特急しか走らない石勝線の新夕張以遠は最終列車なのだ。  
南千歳を出ると大きくカーブを切り、大きな駅前以外はほぼ原野が残る石勝線では、この時間ともなると見えるのは、時折吹雪く深淵の闇だけだ。  
しかも、乗りなれている区間でもあるので、当たり前のように寝る。
根室本線と合流する上落合信号場をすぎ、出口の新狩勝信号場を過ぎると、明らかに景色と空気が変わるので、眠っていても、母と私はここでたいてい目が覚めるのだ。  新得で下車し、伯母の迎えで無事到着。

12月27日(日)
 天気は荒れ気味。 私は、ここでもよくでてくるところに行く予定なので、新千歳から深川に住む従兄夫婦と伯父たちがスーパーおおぞら1号( 札幌7:02→新得8:56 )でやってくるので、それを迎えに行く伯父のクルマに乗って新得9:27発のスーパーとかち4号で私は新千歳に向かう予定になっていた。

ところが、早朝に伊納~近文間の嵐山トンネルで火災が発生。

従兄夫婦が、朝一のスーパーカムイが運転見合せで、深川で足止めされているとの電話で起こされる。雪で道があてになんねーんだから、その時こそ北海道は鉄道なのに…。  深川は留萌本線と函館本線が分岐する駅だが車両基地はない。
留萌本線で使用されるキハ54は石北本線、宗谷本線と共通の旭川基地の車両が使用され、早朝に旭川から回送されるため留萌本線も影響してしまっているらしい。
旭川行を除いて朝はすべての列車が旭川方面からやってくるし、普通列車の初電は7時前で、この区間は普通列車が極端に少ない
(注;サイキョージ氏の夏の鉄旅2014 北海道道央編 その2参照)
そのため、身動きが取れなくなるのだ。  
富良野経由で新得へ抜けるにも、滝川か旭川に出なければならないのだが、これもかなわない状況だ。

スーパーおおぞら4号( 新得10:40 → 南千歳12:02 )
エアポート114号( 南千歳12:13 → 新千歳空港12:17 )
全日空706便( 新千歳空港13:40 → 中部国際空港15:35 )
ミュースカイ( 中部国際空港16:07 → 神宮前 16:28 )
特急 豊橋行( 神宮前16:40 → 東岡崎17:04 )
特急 名鉄岐阜行( 東岡崎22:06 → 名鉄名古屋22:38 )
のぞみ 263号( 名古屋22:50 → 京都23:25 )  

結局、従兄夫婦は新得まで来れず。札幌で様子を見ていた一族は1本遅らせ、スーパーとかち1号で伯父たちだけがやってきた。新得駅であいさつをかわすと札幌駅も早朝から大混乱だったらしい。
 私もこれにあわせて、1本遅らせて南千歳までノンストップの最速便、スーパーおおぞら4号のグリーン車に乗り込んだ。時折吹雪く中、昨日来た道を戻っていくわけだが、早朝の火災による運転見合わせが車内放送でも案内されている。若干の遅れで南千歳についた。ここから1駅、エアポートで新千歳へ。 スーパーカムイ、スーパー宗谷、サロベツ、オホーツクは運転見合せになっており、新千歳空港でも発車を待つエアポートが、本来旭川行なのに札幌行になっているのがしきりに案内されている。  新千歳空港の窓口では時折怒号さえ聞こえてくる。
いろいろゴタゴタがあったから、またか…ってのもあるんだろうな…。  
前日 夜に続き、空港内で食事をし全日空706便で中部空港へ。  

本当は29日に社長とはアポを取りたかったのだが、年内営業が28日までということだったので、 ムリしてここでアポを取った。1月2日のイベントで使用する商売道具の点検をしてもらいたかったからだ。  
若旦那とお嬢さん、Kさんはイベントに出払っていたので、いらしたのは社長と今年4月に入社したばかりの新人Hくん。  
今日若旦那らが出ているイベントの打ち上げを兼ねて、うちの会社の忘年会をするからと誘われ、 以前はそのまま北海道に飛ばなければならなかったので断ったのだが、地元に戻っても私一人だし、今日中に帰れればOKなので、今回は最終の時間ぎりぎりまでお邪魔することにした。  
22時前に散会となり、ちょうど岡崎発22:06特急名鉄岐阜行の時間。新大阪行きの新幹線に乗るためには、これに乗れなければアウト。JR岡崎まではあるける距離ではないし、リミットは22:12発の新快速なので大差ない。
素直に名鉄特急で帰ることにした。  

宝塚線で人身事故があったらしく多少の乱れはあるが、京都でダッシュし予定より1本早い姫路行最終新快速に乗って帰宅した。

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2016年1月 4日 (月)

三岐鉄道 101系

三岐鉄道 101系はもと西武鉄道 401系です。

Sangi2_102

401系は411系を中空軸平行カルダン駆動の高性能化改造したもので、改造に際して旧クハ1451形も電装され全電動車編成となっています。

主電動機は日立製HS-836-Krb(120kW)主制御器も日立製のMMC-HT-20A6を採用。台車も西武ではおなじみの空気バネ台車-FS372-でした。 冷房改造も行われ三菱製CU-72系集中式冷房装置を搭載しています。

三岐鉄道へは1990~93年にかけて、401・405・409編成が譲渡されました。
譲渡に際して、塗装変更、前照灯の形状変更、ワンマン運転対応改造のほか、台車をFS-342に換装しています。

鉄道車両写真集 三岐鉄道101系

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2016年1月 3日 (日)

三岐鉄道 ED45形 電気機関車

ED45形は三岐鉄道の主力となる電気機関車です。

Sangi2_ed45_8

重連総括制御装置が取り付けられていて、
三岐線 東藤原 - 富田間のセメント輸送列車をメインに
重連で牽引しています。
交換可能駅が島式であることから右運転台となっているのがユニークです。

自社発注の1~3、 6.7号機が1954年から73年と
製造時期には20近い差があります。
しかし最も古いもと東武の8号機は1950年製ですから、
これを入れると20年を 軽く超えてしまいます。
スゴイですね。

富山地方鉄道からやってきたものもあり来歴は様々ですが、
性能的には統一されています。

鉄道車両年鑑によると2015年現在、
9両全機健在ということです。

鉄道車両写真集
三岐鉄道  ED45形 電気機関車

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