« 2015年10月 | トップページ | 2015年12月 »

2015年11月の記事

2015年11月29日 (日)

珍車ギャラリー 能勢電鉄 1500系 2連 1510F

能勢電鉄は、阪急電車の子会社もであるせいか,ここ数十年、
在籍する車両のすべてが阪急のお古です。

Noseden_1510f_0

そんなわけで、能勢電鉄の車両への注目度は低く、
関係する鉄道図書、文献も少ないのです。
しかしそのままで走らせているワケではありません。

      今回は、そんな能勢電のおもいを1500系に語らせたいと思います。

珍車ギャラリー
能勢電鉄 1500系 2連 1510F

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2015年11月27日 (金)

サイキョージ氏の-秋の鉄旅-神戸電鉄・北条鉄道編

サイキョージ氏の-秋の鉄旅-神戸電鉄・北条鉄道編
 
私にとって11月の週末はとても忙しい。
土日の骨休みに鉄分補給の旅に出た。
JR線はほぼ乗り潰した感があるのでこれからの乗り潰しは民鉄、3セクにシフトして行こうと思っている。
神戸電鉄粟生線、北条鉄道は存続が取りざたされている路線なので早めに乗っておきたいので早速行動に移した。 
2015/11/6(月) 
高槻市→(阪急)→新開地→(神戸電鉄)→粟生→(北条鉄道)→北条町→(神姫バス)西大貫→(徒歩)→福崎文殊荘→(福崎町コミュニティーバス)JR福崎駅→(JR播但線)→姫路→JR高槻 
 この日は朝から天気がよく遠足日和だ。
高槻市発
8:28発の通勤特急に乗るべく駅へ着くと改札の様子がおかしい。
人があふれている。
JR線が人身事故にともなう架線事故のため不通になっていて、JRの乗客が振替輸送の阪急に殺到していたのだ。
阪急もダイヤが乱れ、ホームに到着した通勤特急に乗り込んだ。
とんでもなく混んでいた。
やっとの思いで十三で降り神戸線の新開地行き特急に乗り換える。
神戸線もダイヤが乱れていて、とにかく到着した特急に乗り込んだ。
京都線とは違って車内は空いている。
神戸線は線形がよく駅間も長いので神戸まで普通に乗っても特急とさほど時間差がない。
乗った特急は7000系。
ロングシートなのは残念であるが
JRの新快速と張り合えるスピードで快適だ。 
 
新開地に9:30頃到着し神戸電鉄に乗り換える。
この駅は地下駅で改札を通り抜けることなく神戸電鉄・阪急・阪神・山陽電鉄と相互に乗り換えることができる。
神戸電鉄は六甲山を登って鈴蘭台から有馬・三田方面と三木・小野方面に2つの路線を持つ電鉄会社である。
JRをはさんで明石・姫路方面を結ぶ山陽電鉄と比べると沿線の人口が少なく経営的に苦しいことが素人目にも分かる。

Resize_2

9:52発の粟生行き普通電車に乗る。
圧巻なのは湊川から鈴蘭台までの山登りである。
山岳鉄道を思わせる
50‰の急勾配が続くが、
これでも大都市の通勤路線であるのがおもしろい。
神戸電鉄は、この勾配を登るために高性能な車両を用意しなければならず他の私鉄よりも車両にコストがかかるのは気の毒である。
同じようなスペシャル車両をもつ箱根登山電車のように沿線に観光地があればいいのだが、有馬温泉以外にこれといった観光地がない神戸電鉄は厳しい状況だ。

鈴蘭台から粟生線は基本、単線になりところどころに複線区間が設けられている。
志染(しじみ)駅まで日中は1時間に2本、志染から粟生までは1時間に1本程度の輸送密度であるので単線で十分であろう。粟生着11:00ここで北条鉄道に乗り替える。
 
粟生駅は加古川を挟んで小野市中心部と反対側にある。小野市民には利用しにくく、乗換のためだけにあるような駅である。
JR加古川線の駅でもあり、ここからかつて国鉄北条線(現在の北条鉄道)が分岐していた。
加古川線は枝線が多く厄神から旧三木線、野村(現西脇市駅)から旧鍛冶屋線が出ていた。
枝線のうち3セクになって残ったのは三木鉄道と北条鉄道だが現在残っているのは北条鉄道のみである。 
 加古川線のホームに125系の単行電車が入ってきた。
かつて小浜線が電化されたときに新調された車両だ。
日中の加古川線でも運用されているようだ。
 北条鉄道11:09発単行の気動車に乗り込む。
北条鉄道は粟生からのんびりと刈り取りの終わった播州平野を走る。
乗客は
20人程度、線路には雑草が目立ち、こまめな保線まで手が回らないようだ。沿線の駅舎は旧国鉄時代のものが今も使われていて味わい深い。 
 

Resize

北条町着11:31、ほぼ40年ぶりにこの地を訪れる。
昔の面影はなく、駅前には加西市の公共施設やスーパーなどが入る複合商業施設が構え、
三洋電機の跡地はイオンモールになっていた。

北条町からは
JR播但線福崎駅までバスで出て姫路を回って帰ることにする。

いつのほどに福崎まで出る神姫バスがなくなっており福崎駅最寄りのバス停までバスに乗り、あとは福崎町のコミュニティーバスを利用することにした。

北条町発
11:53発神姫バス姫路行きに乗り込む。12:04に西大貫のバス停で降り、ここから福崎町の宿泊施設「文殊荘」まで約2Km歩く。
途中のコンビニで弁当とビールを買いその場で昼食休憩にした。
休憩していた時間を除くと
30分ほどで文殊荘に到着。
ここから福崎町のコミュニティーバスが利用できる。
1時間ほど時間があったので文殊荘で入浴してゆったりくつろいだ(入浴料
300円)。

 文殊荘14:02発福崎町のコミュニティーバスに乗り、町なかをぐるっと回って福崎駅に14:28に到着した。
バスはいわゆるジャンボタクシーで神姫バスが委託運行しているようだ。
乗客は私を含め2人で運賃は
100円だった。

Resize_3

いつもながらコミュニティーバスは「鉄」にとってはありがたい存在だ。

福崎町は私の生まれた町(兵庫県神崎郡市川町)の隣町なので何度も行ったことがあるのだが、町なかを走るバスに乗ってみると、あらためて町の賑わいが駅前から中国道福崎インターの近辺に移っていることが実感させられた。

福崎からは
14:55発姫路行きの電車に乗り姫路で野洲行きの新快速に乗り換え17時前に高槻へ到着した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年11月25日 (水)

Dr,Kの2015年11月の鉄旅 その2 500系TYPE EVAに乗ってきました

201511月の鉄旅 その2 500TYPE EVAに乗ってきました。

大学で講師を務める、大学同期のT氏の紹介でT氏の職場である某大学にて私の専門分野での講演を依頼され、所属長のところにも正式に派遣依頼が来たため、その打合せに向かうことにした。アポの時間は1330分。

そのため、午後から出勤するT氏と、こだまの車内でおちあうことにした。

夕方の現場に行く足を考慮し、朝、所用を済ませたその足で、新大阪までクルマで行くことにした。

Dsc_0233

ところが今月から、このこだまは「500TYPE EVA」で運行されることになった。

予想どおり、鉄チャンや家族連れが多い。

こだま741号 新大阪11:32 → 新倉敷12:50

 ちょっと食傷気味ではあるが、話題性としては面白い。

何とかこだまの乗車率をあげようという努力はわかるのだが、特定のこだまに集中する状況はなんとかならないものか。カメラを持った人の撮影マナーに少し閉口する。

0系のラストランの時にも書かせてもらったが、こだまのみの停車駅のユーザーにとっては、普通に利用する、貴重な足なのだ。

T氏は筋金入りの鉄チャンではあるが、西明石~新倉敷間を利用するフレックスユーザーでもある。

彼にとってこだまは、通勤の足なのだ。

0系の最末期は、彼の朝からの勤務日に利用するこだまが0系で固定されてしまったため、これ目的でやってくる鉄のマナーの悪さにうんざりしていたのをよく聞いていた。

 かつては300km/h以上の運転を視野に入れた性能で製造された500系が、スペック的に加速度を2.6に引き上げることはそう難しい話ではないと思うので、加速度を上げて新幹線版ジェットカーにするのはアリだと思う。

レールスターを700Aと同じ足回りに改造する発想はないのかなぁと思う。

 こだまのパターンダイヤ内のスジなので、新倉敷までの待避列車は姫路で定期博多のぞみ、相生で700系のぞみ予定臨の2本。意外と少ないのだ。

 予定臨は新大阪以西の運転日は多いのだが、新大阪以西は意外と少ないため、実際に新倉敷下車までに待避したのは姫路でののぞみ19号のみである(次の待避は新倉敷で定期さくら)。

 メチャクチャ混んでいるわけではないが、レールスターやただの500系があてがわれる普通のこだまよりは明らかに多い。

 西明石で無事T氏と合流。しっかし普段はこだまに乗ってなさそうな、この500EVA乗車のみが目的の客が多いこと。岡山でだいぶ客が入れ替わるが、この車両目的がやはり多い。

 新倉敷で下車し、アポイントの時間まで学食で昼食。1時間の打合せの後、次の現場に向かう。

1744M 普通 相生行 新倉敷 14:41 → 岡山 15:09

のぞみ34号 岡山 15:16 → 新大阪 16:01

新倉敷からのこだまがない時間帯なので、岡山までは普通を利用。

この普通に乗ると、次のこだまに乗るより1本早いのぞみを岡山で捕まえることができるからだ。

次の現場は、所在地的には茨木市だが、直線距離での最寄駅はモノレールの豊川か彩都西。ところが、これらからは徒歩で到底行ける距離ではなく、強烈にバスの便が悪く、路線バスはJRまたは阪急茨木、阪急石橋、千里中央、北千里からのほうが、バスに乗る距離こそ伸びるが、バスの便はかなりよくなる。以前、鉄旅途中にこの現場に行ったときは、モノレール豊川からタクシーを利用した。今回は新大阪駅近くのコインパーキングに停めているマイカーが足。なので、とりあえず新大阪に向かう。

 山陽線から山陽新幹線は最短で乗り換えれば56分あれば走らずとも済むので7分あれば楽勝。

こののぞみの新大阪までの停車駅は新神戸のみなので45分で駆け抜ける。

 時刻通りに新大阪に到着。新大阪からは国道423号線、新御堂筋を北上すれば、空いていれば箕面市まで20分弱である。茨木市西部まで40分弱でついてしまうので、17時アポに間に合うのだ。

続きを読む "Dr,Kの2015年11月の鉄旅 その2 500系TYPE EVAに乗ってきました"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年11月19日 (木)

水島臨海鉄道 キハ37形

キハ37形は、国鉄が1983年に製造した気動車です。

Miz_2015_dc37_103_2

標準タイプをベースにして、採用可能なメニューを地方線区の実情に合わせ選べるオプション制を採用しています。
調達コストを抑えるため、台車、変速機などを流用していますが、
直噴式ターボエンジンDMF13S形 (210PS/1,600rpm)を搭載しました。

5両製造されましたが、
水島臨海鉄道に在籍するのはJR東日本に承継された3両で、
トイレなしの1000番台が2両、トイレ付きの0番台が1両です。

鉄道車両写真集 水島臨海鉄道 キハ37形

キハ37形は、珍車ギャラリーでも取り上げています。
こちらもご覧ください。

JR西日本 キハ37_1

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2015年11月17日 (火)

水島臨海鉄道 キハ38形

キハ38形は日本国有鉄道が1982年に登場させた一般用ディーゼルカー。

Miz_2015_dc38_104

キハ35の車体を更新しDMF13HSエンジンを搭載しました。
両開きドアを片側3か所に設け、座席はすべてロングシートとした通勤輸送仕立てであることが特徴で、冷房車です。

1000番台(1001~03)は片運転台・トイレなしタイプ。
定員138(58席)。
0番台(1~4)は片運転台・トイレ付きタイプ。
定員124(54席)。

キハ38形は96年に八高線から久留里線に転用されましたが、
2012年に引退。
うち、1003が水島臨海鉄道に移籍し
2014年からキハ38-104としてデビューしました。

鉄道車両写真集
水島臨海鉄道 キハ38形

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2015年11月13日 (金)

水島臨海鉄道 キハ300形 もと夕張鉄道キハ250形

水島臨海鉄道 キハ300は、もと夕張鉄道キハ250形です。
 (252→303 253→304 :1953年 新潟鉄工所製)

Miz_r_303

DMH17系列のエンジンを搭載する液体式気動車で
1971年夕張鉄道の旅客営業廃止に伴い
水島臨海鉄道に譲渡されました。

1973年から1978年まで使用され、
その後さらに岡山臨港鉄道に譲渡され、
1979年、キハ7001、7002となりました。
1984年12月岡臨の廃止に伴い廃車されました。

鉄道車両写真集 水島臨海鉄道 キハ300形

岡山臨港鉄道 キハ7003

続きを読む "水島臨海鉄道 キハ300形 もと夕張鉄道キハ250形"

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2015年11月12日 (木)

水島臨海鉄道 2015年

水島臨海鉄道では、2013年、久留里線で運用されていたキハ30・37・38形をJR東日本より購入。2014年5月より運用を開始しました。

Miz_2015_dc37_103

キハ37 101・102は水島色、キハ30 100・キハ37 103・キハ38 104は国鉄色となっています。

ここでは2015年9月に撮影したものをUPしています。

1976年、1981年、1998年に撮影した旧アルバムも是非ご覧ください。

鉄道車両写真集水島臨海鉄道 2015年

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年11月10日 (火)

水島臨海鉄道 1976年_1981年_1998年

水島臨海鉄道は、
1943年 三菱重工の専用鉄道としてスタートしました。
戦後、空襲で工場は全滅しましたが、
無傷で残った鉄道は「水島工業都市開発」という地元出資の会社の手にゆだねられ再スタートを切りました。

その後、地方鉄道として営業を開始しましたが、経営が悪化。
1952年に倉敷市がこれを買収し
「倉敷市営鉄道」として運行を続けました。

1970年、倉敷市は鉄道を切り離し、
国鉄(現JR貨物)、岡山県、倉敷市等の出資により
第3セクター「水島臨海鉄道」として発足させ現在に至っています。

Miz_r_dd501_

倉敷駅と水島地域を約20分間で結ぶ旅客営業を行うほか、
東水島駅を拠点とした鉄道コンテナ輸送を中心に貨物営業を行っています。

ここでは1976年_1981年_1998年に撮影した画像をUPしています。
2015年撮影の分は別タイトルでUPしました。

鉄道車両写真集
水島臨海鉄道 1976年_1981年_1998年

水島臨海鉄道 2015年

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2015年11月 9日 (月)

Dr.K 2015年11月の鉄旅 289系( 元683系2000番台しらさぎ )に乗ってきました

201511月の鉄旅 289系( 元6832000番台しらさぎ )に乗ってきました

 

Dsc_0066

今日の旅のスタートは、新大阪駅。午後から白浜での半日研修。

 

・くろしお5号 ( 新大阪 9:32 → 紀伊田辺 11:51 )

 この列車は、381系が運用離脱した1031日から289系で運転されている。

その289系は白浜以北での限定運用になっているため新宮に入る運用は287系に持ち替えがされている。

 

この日は早朝、関西空港線で車両故障が発生し、日根野~関西空港間の運転を見合わせたため、ダイヤがひどく乱れていた。上りはるかに軒並み大幅な遅れが発生しているため、折返しになる下りはるかに1時間程度の遅れが見込まれることがしきりに放送されているが、くろしおに関してはほぼ情報が皆無。くろしお5号の発車時刻になってもほぼ案内がない。発車時刻を過ぎてようやく案内が。

 

 はるかに続いて白浜からの1番列車、くろしお6号が到着。
この列車が折返しくろしお5号になるのだが、19分遅れで到着した。
こちらも2894両編成のこうのとり6号が反対側12番線に到着。

結局19分遅れで、くろしお5号は新大阪を発車。

淀川を渡るとJR京都線と離れ、梅田貨物線に入っていく。
梅田貨物線は、吹田貨物ターミナルから大阪駅の北側にあった梅田貨物駅(現在は廃止)をとおって、環状線とゆめ咲線と接続する西九条に至る貨物の短絡線で、梅田の北側をかすめていく。
スーパーレールカーゴ(以下SRC)など、JR貨物の駅もあるゆめ咲線の安治川口を発着する貨物列車が主に透貨物線である。元々貨物駅があった梅田信号所を過ぎると、環状線、ゆめ咲線と接続する西九条まで単線になり、しかもなにわ筋などの大通りと踏切で平面交差するため、ダイヤ上のボトルネックになっている。

西九条では駅の配線の構造上、直接環状線の内回りに入れず、ゆめ咲線ホームを通過するため、環状線外回りとゆめ咲線の開通を待たされる。

新今宮でも環状線内回りがあいているのに手前で王寺行を待たせる。
天王寺で21分の遅れになる。

 

往路は奮発してグリーン車の1人掛けをとったが、これがアダになる。

ふたを開けるとおばちゃんのグループがぞろぞろ。
にぎやかになり眠れないし仕事もできない。むぅ・・・。

 

和歌山では、使用ホームの縛りできのくに線普通が先に出てしまっているので、この普通を海南で追い越す。
結局おばちゃんたちは白浜までの観光なので、私のほうが先に紀伊田辺で降りる。

 

紀伊田辺には約20分遅れをそのままひきずって到着。
向かいには所定は113系だが、メンテで今日は2255000番台が代走を務めている御坊行普通が発車待ちをしていた。

 

20分遅れのため、紀伊田辺駅から17分の接続で乗れる予定の路線バスに乗れずだったので、徒歩でなかたに行き梅干他を購入。

次のバス、またはきのくに線で白浜に行っていたのでは遅刻してしまうので、予定のバスが捕まえられるアドベンチャーワールドまでタクシーで移動。
痛い出費だ。
ここで白浜駅から来る路線バスを無事に捕まえ、会場となるとある宿泊施設に移動。

 

17時に研修を終え、そのまま復路は素直に路線バスで白浜駅に向かう。

 

くろしお32号( 白浜18:18 → 新大阪 20:50 )

帰りは289系の普通車。4号車の隅っこに陣取る。

自由席は混んでいるようだが、往路ほどではないようだ。

白浜は日帰り、というのは少ないのか、それとも開通した高速道路の猛威なのか。

後者だとしたら、289系自体は悪い車両ではないが、明らかに役不足。

 駅弁とビールという定番の状況で、紀伊田辺から海南までの記憶がない。

朝は遅れていたが、新大阪にはほぼ定刻で到着した。

289系の旅はこれで終わらないのがミソ。

 

こうのとり25号( 新大阪21:12 → 宝塚21:35 )

こうのとり28号( 宝塚21:37 → 大阪22:00 )

 きっちりここで自由席ながら、こちらの2894連もおさえてます。

元々5連で、こちらのユニットに関係のないサハを抜き、くろしおの2号車に挿入している。289系はパンタ付きのT車がグリーンと身障者用設備がある車両なので、4両だとつなぎ方が決まってしまう難点があり、上下とも乗車した3号車は、自由席設定だが身障者席のみ指定にするなど苦心している。

これがあるので、個人的にはしらさぎで運用している5連のままで転入させ、北近畿ビッグXとくろしおを共通運用したほうが良かったと思う。

宝塚で折返し、大阪で下車。

阪急京都線に乗換え、なじみの店で行われている宴席へ。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年11月 8日 (日)

Dr.K 2015年10月の鉄旅 381系惜別乗車

201510月の鉄旅 381系惜別乗車

911月はカレンダー通りに日曜日に休めることはなかなかないのだが、前職で大変お世話になった和歌山のFさんとともに、前職でFさんと私が研修を担当した和歌山の若手たちが、同期会を和歌山市駅の近くの店のランチで開催するということで、Fさんとともにお誘いいただいたので、行くことにした。

Fさんは定年で、私は現職への転職で、この子たちの新人研修を担当したその年度末に退職したため、思い入れのあるメンバーなので、この誘いはうれしいものだった。

 ちょうど今月末で引退する381系にこの機会に乗っておこうと思い、サザンではなくあえて阪和線を選択し、和歌山に向かう。

Jrw_381_b403_06_tc381_111

・くろしお7号 ( 新大阪 10:01 → 和歌山 11:03 )

 この列車は京都発なので、京都から乗るという選択肢もあったのだが、素直に新大阪から乗車。

新大阪駅改札内、新幹線乗換口のところにある当日券売り場で定期を提示し、和歌山まで足が出る区間の乗車券と、自由席特急券を所望。

 私の定期は、JR京都線の某駅から福島経由で玉造までを、大阪で分割しているICOCA(定期として必要な区間は天王寺までなのだが、仕事上芦原橋駅で下車することが多いためにあえて西回りにし、料金が同じなので玉造までのばしている)。

 私が支払うべき金額は、新大阪~和歌山間の自由席特急券が970円、天王寺~和歌山間の乗車券が860円、合計で1,830円のはずが、請求額が2,050円。

 アーバンネットワーク圏内は、特急の自由席を利用する場合は、乗継割引がかからない条件下であれば、定期を乗車券として使うことができるので、定期を持っている区間内は運賃はいらないので、乗り越しになるのは天王寺から先の阪和線内だけだ。

 2,050円になる根拠の説明を係員に求めたところ、乗り越しになるのが玉造~和歌山間になるからだという。ICOCAをカードリーダーで読み込んでいるから、画面には福島経路までバッチリ出ている。

 特急は「はるか」も「くろしお」も、新大阪を出ると、ゆめ咲線の安治川口に向かう貨物列車用の短絡線を通って大阪駅をパスしてショートカットし、福島駅前の踏切から高架に上がって野田の手前から環状線と並走し、西九条から環状線に入って、環状線は西回りで天王寺に向かうので、運賃計算上は大阪から西回りの経路になる。定期はその経路どおりなのに、なぜ、乗りもしない区間で、しかも定期を持っているところまで運賃を払わなければならないのか、という問いには、大阪から天王寺を通り抜けるときは、運賃の計算は距離の短い東回りで計算するからだという。それは、あくまで普通乗車券の時の話のはず。

 さすが係員の不正をただすどころか、グルになってその不正を正当化して不当に金を巻き上げたまま、きちんとした謝罪もなく今なおのうのうと仕事をしている出札係長がいたり、ウチの職員を試すなという趣旨の暴言を吐いてかつての駅長や首席助役が凄んできた駅である。非常によく教育されている。

 

 「勉強不足で申し訳ありません」

 

このセリフは、伝家の宝刀か? それとも、不正が見破られた時の決まり文句か?

そちらに悪意がない(とはとても思えないが)のなら、定期の経路なんていらないのだが。

 

381系の難点は、デッキが1か所で、京都・新大阪向き先頭車以外は、京都・新大阪側にデッキがあるため、2号車自由席の客が、1号車のグリーン車デッキから、少なからず割り込み乗車をすること。

 10月の日曜日なので、それなりに人も多く、私のような鉄チャンの乗りおさめもいる。

景色はどうでもいいし、和歌山までなのですでに乗られていた窓側の方に声をかけて通路側に座る。

 

西九条の中線を通過し、環状線の内回りに入ったところで、さっそく車掌が検札に来る。

ICOCA定期と新大阪で買った2枚のきっぷを渡す。

きっぷをまじまじと見つめたあと、

220円いただきます」

「え、その220円ってなんなん?」

「新大阪駅の駅員が区間を誤って発券してしまっているようで、申し訳ありません」

「は?どこがちがうんよ?」

「きっぷの発駅が本来玉造からのところ、天王寺になっているところです。天王寺~和歌山の運賃が860円、玉造~和歌山間は1,080円なので、その差額の220円です」

「は? なんで乗りもしない、しかも定期を持っている区間の運賃が必要なわけ?」

弁天町を通過して左にカーブを切る。

「いまこの電車、弁天町を通過したな」

「はい」

「…ということは、環状線の西側を通ってるよな?俺の定期は、その環状線の西側通ってるから、天王寺は定期で降りれるけどな()

「え?」

「(JR京都線の某駅を指さして)ここから環状線の福島経由で玉造まで、天王寺を通らずにJRだけの一筆書きでどうやって行くのか教えてもらえます?」

「…」

芦原橋を通過。

「天王寺駅に到着しますので、いったん失礼します」

 

…逃げたな(ドアの取扱いをこの車掌はしないはずなので、検札を続けようと思えば続けられるはず)

 

かつて、前職の最後の1年、兵庫県と大阪府以外のエリアを担当していた頃以来、和歌山方面に出張する際にくろしおの車内でこれを執拗にやられて、和歌山駅で駅員に不正であることを確認してもらい、この説明で押し切った悪質極まりない改札専門の車掌をその駅員に引き渡したことがあるくらいなのだ。

 

いい加減、この不正はやめてもらいたいものだ。

 

天王寺を出てから出直してきた車掌に、

「天王寺までこの電車の運転経路どおりに定期を持っているのに、なぜ経由しない玉造~天王寺間の運賃が必要なのか?」

「必要ありません。私の勉強不足です。申し訳ございません」

また「勉強不足」かよ。

「私の勉強不足だぁ?よくいうよ。新大阪駅の駅員も、最初はあなたと同じ金額を請求してきた。あなたと同じように不正の指摘をしたところ、私の勉強不足という、会社には責任がないような同じ言い訳をしてきた。新大阪の駅員が取り損ねた220円を、あなたは私に因縁をつけてキッチリ取りに来た。あなた方2人だけではない。他のJRの車掌や駅係員も、同じように不正を見破られたとき、マニュアル通りに、会社には責任はなく、自分に責任はあるという、会社ぐるみであることを否定する同じ決まり文句を言うように徹底されている。不特定多数の人間が、これだけ不正の手口と、それを見破られた時の口上がこれだけ揃っているのは気持ちが悪い。あなたと同じ不正を押し切った車掌の対応を和歌山駅で駅員に確認していただいたことも何回もあるし、それでも悪質な車掌は通報したり駅員に引き渡したこともある。あなただけではない。(JR西日本では)会社として今のあなたの対応が定着している。組織ぐるみの有価証券の発行における不正以外の何者でもない」

 

「いえ、決して不正では…」

「不正でなければ、客を陥れて金を取るための言いがかり以外の何でもないでしょう」

「そんなつもりでは…」

「そんなつもりではなくても、そういうことになっているでしょうが。冗談じゃない、まったく」

 

…くろしおの自由席に乗ると、これが嫌なんですよねぇ…。

 

これまで老体に鞭打ってがんばってきた381系に敬意を払って、今日はこれを狙い撃ちで乗っているだけにねぇ…。当のJRの職員たちがこれでは残念でならない。

 

和歌山までで指定をとる気にもなれないし、天王寺口ではめっちゃ混むし、熊取から各停になる紀州路快速なんて乗る気にもならないし。なんだかなぁ…。

 

ほんとは久しぶりに新宮まで乗りたいところですが、冒頭にも書きましたが、仕事上、秋は一番の繁忙期なので、そこまでの時間がない。10月の日曜日にキッチリ休みがとれるってことは、まぁないのです。

 

検札が終わってしばらくすると鳳を通過。

ここで新大阪発車後の貨物短絡線から延々続いた速度制限が解除されるので、一気に加速するが、なんせ40年選手の381系なので、JR世代の特急車に比べれば加速はにぶいが、これこそが381系という感じ。

 

鳳以南は223系・2255000番台の天下。区間快速、関空・紀州路快速を抜いていく。御坊~紀伊田辺間のシャトル運転用の113系がメンテナンスなどで運用をはずれるときは、予備がないため223系か2255000番台4連があてがわれる。その日は紀伊田辺までこいつらの天下、なんてこともあるのだ。

 

阪和線内はノンストップなので日根野も通過。イズトリをすぎるとぐんぐん山を登っていく。トンネルを出て和歌山県に入ると、今度はぐんぐん下っていく。この景色を381系からは見納めとなると、ちょっと寂しい気もする。

 

Fさんから「JR和歌山到着時刻は?」とのメールが来たので返信。

 

和歌山に定刻に到着。紀伊田辺以南からやってくるメンツは、和歌山11:48着のくろしお14号でやってくるので、待ち合わせ時間はこれにあわせているから、オーシャンアロー(以下OA)で運転される、次のくろしお9号( 新大阪11:00 → 和歌山11:59 )でも、ギリギリにはなるが待ち合わせには間に合うのだ。

 

バスで待ち合わせ場所に向かおうと思っていたら、改札の外にはFさんがいるではないですか。
Fさんのクルマで移動。バス代が浮いた。ラッキー。前職の和歌山の現場の近くで、Fさんと茶をしばき時間調整していたら、クルマでやってきた同期会のメンバーも2人いた。

 

ランチから、同期会のメンバーのクルマに分乗しラウンドワンへ。

いやー、女性のパワーを思い知らされた。

 

新宮のNさんは、18:05のくろしお21号(OA)で帰るので、これにあわせて、17:40JR和歌山で解散。

そのおかげで復路も381系に乗れるではないか。とりあえず天王寺までの860円の乗車券と新大阪までの970円の自由席特急券を購入して入場。

 

くろしお28号( 和歌山17:49 → 新大阪18:50 )

1番線で待っていると、自由席の列はどんどん長くなる。特急誘導するなら、287系の付属3連をうまく使って、海南くらいまでは増便してほしいものである。

 帰りも検札で、和歌山から860(天王寺まで)のきっぷとイコカの定期に因縁がつく。やはりJR西日本では環状線経由の定期券でくろしおの自由席に乗る乗客に難癖つける不当行為が常態化しているようである。

 秋分を1か月ほど過ぎているからか、日が落ちるのが早くなったと感じる。鳳を過ぎると速度制限区間に入り、95km/h以下で走るのでゆっくり感じる。

 天王寺からは制限がさらに厳しくなり、70km/h以下で走るようになる。西九条の手前までは先行列車に突っかかってさらに遅くなってしまう。突っかかっていた電車を野田駅付近で抜き去ると、言ってる間に新大阪に到着。

 次週の出張研修では紀伊田辺~白浜に向かうので、289系に乗ります。

こちらもお楽しみに。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年11月 6日 (金)

能勢電鉄 1500系 オリジナル塗装

能勢電鉄 1500系は阪急2100系を種車とするグループ。

Nose_1503_01

1983~85年にかけデビューしました。
阪急2000系を種車とする1700系と違い、
当時、能勢電鉄は600Vだったことから、
降圧化工事と冷房改造が行われました。

かつて能勢電は阪急の旧型車610形など
阪急色のまま使っていましたが、
1500系の導入にあたっては、オリジナル塗装を施しました。

現在はすべて阪急色に戻されていますが、
1500系には3通りのオリジナル塗装が存在しました。

鉄道車両写真集能勢電鉄 1500系 オリジナル塗装

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年11月 1日 (日)

珍車ギャラリー 広島電鉄 3100形 ぐりーんらいなー をUP

「ぐりーんらいなー」は、宮島線の直通車につけられた愛称です。
1980年に登場した日本初の軽快電車3500形をはじめ、
1997年製の3950形に至るまで、
広島電鉄の最新鋭新性能車に付与されるものだ
と私は思っていました。

Hiroshima_miyajima_3102b

対して、3100形は、カルダン駆動の新性能車ではありません。
1985~86年にかけツリカケ駆動の旧型車である2500形を
3車体連接化したものです。

1980年~改造で、宮島線の主力であった3車体連接車3000系は、
ぐりーんらいなーとはならなかったのに、
なぜ3100形はぐりーんらいなーとなったのでしょうか?

続きはこちらを

珍車ギャラリー広島電鉄 3100形 ぐりーんらいなー

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2015年10月 | トップページ | 2015年12月 »