« 2015年7月 | トップページ | 2015年9月 »

2015年8月の記事

2015年8月31日 (月)

Dr.Kの2015年8月の鉄旅 その2 中途半端にビンボー旅

サンライズ瀬戸
(大阪0:34→熱海5:43

1532E 上野東京ライン 普通 宇都宮行
(熱海6:04→浦和8:27

4834Y 湘南新宿ライン 特別快速 高崎行
(浦和17:47→北本18:09

1941E 東京新宿ライン 普通 伊東行
(北本20:08→浦和20:35

 宴席の後、サンライズ瀬戸に乗り込む。
目的地は浦和だが、サンライズは熱海で降りる。

熱海からビンボー旅再開。これ1本でドンピシャの時間に浦和につくのだから驚きである。

E233系のセミクロスシートのボックスに陣取って用務地の浦和を目指す。

 熱海の時点ではガラガラだが、小田原から増えはじめ、平塚につくころにはボックスに4人キッチリ座って立客もいるような状態。横浜、品川、東京、上野の各駅で客が入れ替わるが、いうほど減らない。私は浦和で下車し、2日間の研修に向かう。

研修1日目が終了。浦和駅前の今日の宿にチェックインして大きな荷物を置いて、貴重品と着替えだけもって、メシにするかフロにするか悩みつつ、大宮を目指して湘南新宿ラインの特別快速にとりあえず乗車。結局フロを選択。そのまま乗車し続け、行きつけの温泉付き銭湯湯花楽がある北本を目指す。北本からは運動を兼ねて徒歩で湯花楽へ。さっぱりしたあとは、徒歩で戻るとまた汗だくになってしまうのでタクシーで北本駅に戻る。

北本からは、こんな行き先が登場したかという「伊東行」に乗って浦和に戻る。

 

1577E 上野東京ライン 普通 熱海行
(浦和16:52→熱海19:08

こだま803号 三島行
(熱海19:22→三島19:29

ひかり529号 新大阪行
(三島19:48→米原21:36

845T 普通 姫路行
(米原21:40→野洲22:15

3345M 新快速 姫路行
(野洲22:20→高槻23:01

2日目の研修終了後、宿に預けていた荷物を受け取り、東京上野ライン熱海行に乗りこみ帰路につく。幸運にも上野で座ることができ、ここから熱海までのりとおす。

上野を過ぎると帰宅客で横浜までは増え続ける。昨日の往路と逆の流れで、国府津あたりから空席がちらほらみられるようになった。小田原で大きく減り、ここからは楽勝。

熱海で下車し、新幹線に乗換える。この新幹線のきっぷがあるから往路のサンライズ瀬戸の特急券が半額になる条件をクリアできるのだが、やっぱり乗継請求の取扱いをしてくれない。どうなっているのだかまったく。JR西日本の某駅は。

ひかり529号は三島停車で、これに乗るために熱海から三島行のこだまに1駅だけ乗る。

これで米原までショートカットしないと当日中に帰れないのだ。翌朝は通常出勤で、朝一から会議があるので、ムーンライトながらを使っても、そのまま在来線ではわずかに間に合わず、名古屋~京都間で新幹線を使うことになるので、あえて車中泊をしないこの選択になる。

 三島で20分の待ち時間の間に燃料を調達。浦和で買っておいたささやかな夕食とともに、ひかりで一杯やる。静岡と浜松でのぞみに2本ずつ抜かれ、岐阜羽島でも1本に追い越されるので、米原到着までに実に5本ののぞみに抜かれることになる。また、米原でも1本に抜かれる。

 米原では到着の2分前に新快速が出てしまうので歯ぎしり、というところ。

しゃーなしに221系の普通に乗車。この普通は草津で野洲始発の新快速に追い越されるので、この新快速に野洲で乗り換える。夜間の新快速はすべて12両編成なので余裕綽々。乗換えるほうが高槻には13分早く到着し、乗換のバスが1本変わるので面倒だが乗換えるのだ。

こうして無事23:01に高槻に到着。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年8月30日 (日)

Dr.Kの2015年8月の鉄旅 その1 レトロサザンに乗ってきました

2015年8月の鉄旅 その1 レトロサザンに乗ってきました

2929M~331M 快速 湯浅行( 新大阪6:25 → 和歌山7:49 ) 333M 普通 紀伊田辺行( 和歌山8:05 → 紀伊田辺9:55 )  

この春のダイヤ改正で、きのくに線内の湯浅以南の運転間隔を調整するため、紀伊田辺行と湯浅行の順序を入れ替えたのに伴い、新大阪発の早朝便が紀伊田辺行きから湯浅行になってしまった。  
そのため、和歌山~湯浅間で乗換が必要になってしまう。

旅のスタートは新大阪から。トップバッターは快速湯浅行。223系2500番台のみの4両編成。この列車は阪和線和歌山からの初電であるB快速新大阪行の折返しである。 弱冷房車の1号車に乗ったが死ぬほど寒い。333Mは117系なので湯浅まで乗るつもりだったが たまらず和歌山で下車。和歌山では私と同じようにビンボー旅で333Mを待つ人がけっこういる。  

333Mはオーシャンカラーの117系300番台。

Jrw_117_g4_01

セミクロスなので海が見える進行方向右側の 窓側席は壮絶な争奪戦になる。海が見えない側の窓側席をゆうゆう確保。景色は見慣れているのでどうでもいいのだ。  臨時の早朝くろしおがある時は海南で待避するため、この場合は紀伊田辺まで逃げ切れないが、 ふだんはオーシャン編成のくろしお1号から紀伊田辺まで逃げ切るのだ。予定臨のスジではあらかじめ副本線に入ることが盛られているめ、待避なしでも海南と南部では副本線に入る。  
117系の冷房も強烈にきいており、まさかの上着登場。湯浅では331Mからの乗り継ぎ客と思しき方々が大量に乗車。一気に座席が埋まり一部立つ客が出てくる。  御坊で若干の入れ替わりがあり微減。きのくに線は無人駅も多いため車掌が検札を行う。 隣の男性は和佐で下車されたため、ここからはとなりがいない。  

紀伊田辺で下車し、くろしお1号を撮影してから、梅干しの名店なかたに向かう。

2354M 普通 御坊行( 紀伊田辺11:04 → 御坊11:50 ) 360M 普通 和歌山行( 御坊12:05 → 和歌山13:07 ) 4564H 紀州路快速 大阪方面行( 和歌山13:14 → 紀伊中ノ島13:16 )  

紀伊田辺からの折返しで和歌山に向かう。末期色になった113系ワンマン改造車。 南部・印南・和佐は副本線に入る。南部は予定臨のカラ待避、印南と和佐で中線に入るのはレールのサビ取りのためである。  印南までは快調だったが、対向のくろしお5号が和佐~稲原間でイノシシと衝突したため、 防護無線を発報、安全確保ができ次第運転再開とのことで、印南で10分ほど停まる。  後続のくろしお16号に御坊で乗り換えを予定している男性客が、運転士に接続が取れるか確認している。大丈夫なようだ。  和佐でくろしお7号とすれ違い、8分遅れで御坊駅の3番線に到着。ほどなくくろしお16号が 1番線に到着。私は2番線に停まっている225系5000番台の360Mに乗換える。くろしお16号の発車を待って360Mが出発。そこそこの乗車率で、やはり特急が停まる箕島と海南の乗車が多く、 座席数も少ない(2+1列の転換クロスシートでドア間5列のため)ので、加茂郷あたりからは立っている人も多くなってくる。  
紀三井寺では階段を下りてくる女子高生を発車直前に車掌が見つけたため、閉まったドアがいったん開く。この辺はローカルっぽいところ。  
和歌山では5番線に到着し、2番線に停まっている223系0番台4両でかためられた紀州路快速に乗り換える。鳳以南、御坊までは、一部に117系が残るものの、223系と225系の天下になったのだから、かつての阪和線快速のように紀州路快速を御坊まで直通運転してくれないかなぁと思うところ。くろしおも少ないし、車両は新しくなったけどスピードダウンしてるし。  くろしおに乗れというのなら、くろしおを海南以北は30分間隔で運転してくんねぇかな。海南折返しは3両編成でいいからさ。  

無人駅の紀伊中ノ島で降り、前職時代はよくいっていた駅近くの和歌山ラーメンの名店Yに向かう。昼時とあって盛況。旦那が私を覚えていてくれて「Kさん、久し振りやん」と声をかけてくれる。20分強しかないので、「20分しかないから一番早くできるやつ!!」といい、Y名物みそラーメンをいただき、今度は紀和駅に向かう。

紀勢線(和歌山市内)線( 紀和13:43 → 和歌山市13:46 ) サザン36号( 和歌山市14:29 → 新今宮 15:25 )  

ラーメンを食した後に急ぎ足で紀和へ。駅の階段を上がっていると…、電車の音が聞こえる。 ここからダッシュ。末期色の105系に乗って和歌山市へ。和歌山市で一息ついて、あえて1本流してサザン36号に乗る。その理由は旧塗装の7000系+10000系で運行されるからだ。  まぁ、鉄の皆様のよくご存じなことで…。お盆休みとあってカメラの砲列が半端ない。 乗車率は指定席の50%弱で、並びで空いているところがほとんどなく、鉄と思しき乗車も少なくない。

Nk_10004_5

 最初の停車駅は新駅の和歌山大学前。新興住宅街の中とあって、相対式ホームのみだけど、立派な駅だこと。雰囲気としては高野線の林間田園都市に似ている。  和歌山大学前を出ると孝子越え。この区間にもカメラを構える鉄チャンが多いこと。 みさき公園でもけっこうな数が乗る。大盛況やね。泉佐野では空港急行への乗換客の便をはかって両側のドアが開く。泉州の南海沿線は出張で来る頻度が高いのだが、高架工事が各所で行われており、来るたびに景色が違う。  撮影しやすいところでは、ご多分にもれずカメラの砲列。この景色もなかなか壮観である。 堺以北は見慣れた景色になる。高架の住之江車庫だったり、岸玉の汐見橋線の2両だったり。  

新今宮で下車し、環状線とJR京都線で宴席が持たれる大阪に移動。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年8月29日 (土)

IGR いわて銀河鉄道 IGR7000系

IGRいわて銀河鉄道は2002年12月の東北新幹線盛岡 - 八戸間の開業に合わせ、 JR東日本から岩手県内の並行在来線の運営を引き継いだ第三セクターの鉄道会社です。 路線は目時駅 - 岩手駅 (82.0km)。

Iwate_ginga_7001_101

車両はすべてJR東日本の701系と同タイプで IGR7000系と呼ばれる2両編成が7本の計14両が在籍します。 うちJR東日本より701系を譲り受けたものは0番台、IGRいわて銀河鉄道が新製した車両は100番台です。

鉄道車両写真集IGR いわて銀河鉄道 IGR7000系

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年8月23日 (日)

岡山電気軌道2600形

岡山電気軌道2600形は、1959年にもと呉市電600形に呉701の台車をあわせたものです。

Okayama_c_2601

1952年に富士車輛で製造されました。
岡山には呉市電が廃止された翌年の1968年にやってきました。
譲渡に当たっては、岡電オリジナルの石津式パンタグラフに交換
1970年にワンマン対応改造も行われましたが、
冷房改造はされていません。

1983年に登場した7300形に機器と台車を譲って廃車されました。

鉄道車両写真集
岡山電気軌道2600形

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年8月22日 (土)

珍車ギャラリー IRいしかわ鉄道 521系 IR04編成をUP

2015年3月、北陸新幹線が 金沢まで延伸開業しました。
さて開業に当たって、
並行在来線は新会社が運営するのがお約束です。

現状の設備、車両については継承するのが原則ですから
車両について、
      「しなの鉄道」は、115系(1977.78年製)を譲り受けました。
      「えちごトキめき鉄道」は、E127系(1995年製)、
      「あいの風とやま鉄道」は521系(2009~10年製)
と413系(1985.86年製)。
そして「IRいしかわ鉄道」は521系(2009年~2015年製)です。

国鉄が製造した旧式の115系や413系が譲渡されている一方で、
転換のその年。
それも30日ほどしか経っていないピカピカの新車である521系が
中古車として譲渡されているということです。

Ir04_02


このへんの事情はどうなっているのでしょうか。

珍車ギャラリーIRいしかわ鉄道 521系 IR04編成

鉄道車両写真集
IRいしかわ鉄道 521系   あいの風とやま鉄道 521系 413系
えちごトキめき鉄道 ET127系 ET122形

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年8月21日 (金)

岡山電気軌道3800形

岡山電気軌道3800形は、もと名古屋市交通局1550形(1561.62)

Okayama_c_3802

1954年に日本車輛で製造されました。
岡山には1974年3月にやってきました。
どういうわけか、岡電オリジナルの石津式パンタグラフに交換されていません。

名古屋時代の1969年にワンマン改造が行われています。

1985,86年に廃車されました

鉄道車両写真集
岡山電気軌道3800形

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年8月20日 (木)

岡山電気軌道 2500形

岡山電気軌道2500形は、もと呉市電700形(702.03)です。

Okayama_c_2501

1952年に富士車輛で製造されました。
岡山には呉市電が廃止された翌年の1968年にやってきました。
譲渡に当たっては、岡電オリジナルの石津式パンタグラフに交換
ワンマン対応改造も行われましたが、冷房改造はされていません。
1983年に登場した7300形に機器と台車を譲って廃車されました。

鉄道車両写真集
岡山電気軌道 2500形

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年8月19日 (水)

岡山電気軌道 1000形

岡山電気軌道1000形は、もと秋田市電モハ200形(201.02)です。

Okayama_c_1001

1959年に日本車輛で製造されました。
岡山には秋田市電が廃止された1966年にやってきました。
岡電では初のボギー車になります。

譲渡に当たっては、
ポールを岡電オリジナルの石津式パンタグラフに交換
またワンマン対応改造も行われました。

冷房改造はされていません。

1981年に登場した7100形に機器と台車を譲って廃車されました。

鉄道車両写真集
岡山電気軌道 1000形 2500形 2600形 3800形

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年8月18日 (火)

えちごトキめき鉄道 ET122形気動車

えちごトキめき鉄道 北陸新幹線 金沢延伸開業の際、
新潟県内の並行在来線として経営分離されました。
北陸本線のうち、市振-直江津間は日本海ひすいライン
信越本線のうち、妙高高原-直江津間は妙高はねうまライン
と名付けられています。

日本海ひすいラインは全区間が電化されているものの、
糸魚川駅 - 梶屋敷駅間にはデッドセクションがあり
電化方式が異なっています。
そのため交直流電車を導入せざるを得ないのですが、
車両を新造するにしても中古車を導入するにしても
コストが高くつくため、輸送密度が低い線内に見合うものとして
気動車を導入することにしました。

Et122_k6_02

それがET122形気動車です。
ET122形はJR西日本が姫新線で運用しているキハ122形
をベースに耐寒耐雪構造を高めた気動車で、
8両が新潟トランシスで製造されました。

一般用車両が6両(ET122 1-6)、
イベント兼用車両が2両(ET122 7-8)の計8両在籍します。

燃料タンクを2重構造にして燃料漏れを防ぐなど
安全性を高めています。

鉄道車両写真集えちごトキめき鉄道 ET122形

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年8月17日 (月)

えちごトキめき鉄道 ET127系

えちごトキめき鉄道 北陸新幹線 金沢延伸開業の際、
新潟県内の並行在来線として経営分離されました。
北陸本線のうち、市振-直江津間は日本海ひすいライン
信越本線のうち、妙高高原-直江津間は妙高はねうまライン
と名付けられています。

Et127v2_3

えちごトキめき鉄道ET127系は、
もとJR東日本のE127系0番台です。
ET127系は、普通列車として使用していた165系・169系の取り替えを目的に導入されたものですが、2両編成によるワンマン仕様車で、ロングシートを採用したわけで すから、代替車両とは言い難いものがありました。

ET127系は当初、新潟地区に2連×13本が在籍していましたが、
妙高はねうまライン用としてうち10本が譲渡されました。
(残りの3本は弥彦線用 に)
車体に妙高山の山並みをイメージした塗装の車両もありますが、
JR時代のカラーのままで運用されている編成も多くあります。

鉄道車両写真集えちごトキめき鉄道 ET127系 ET122形

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年8月16日 (日)

あいの風とやま鉄道 521系 413系

あいの風とやま鉄道は、北陸新幹線 金沢延伸開業の際、
富山県内の並行在来線として経営分離されました。
北陸本線(JR西日本)のうち、倶利伽羅 - 市振間にあたります。

開業に際し、JR西日本から521系2連×16本、

Ak_09_00

Am01_4

413系3連×5本 および除雪用のDE15形を2両(1004, 1518号機)
譲受しました。 新造車両はありません。

鉄道車両写真集あいの風とやま鉄道 521系 413系

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年8月15日 (土)

IRいしかわ鉄道 521系

IRいしかわ鉄道は、北陸新幹線 金沢延伸開業の際、
石川県内の並行在来線として経営分離された3セク鉄道です。

Ir_03_01_2

北陸本線(JR西日本)のうち、金沢-倶利伽羅間にあたります。
開業に際し、JR西日本から521系2連×5本を譲受しました。

金沢区配置の2次車(2009年10月~)=G編成のうち、
G10=2009年製 G14=2010年製 G30=2011年製が、
IR01~IR03編成に

敦賀区配置の3次車(2013年11月~)=J編成のうち、
J55,56=2015年2月製 が
IR04.05編成として譲渡されました。

鉄道車両写真集IRいしかわ鉄道   521系

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年8月14日 (金)

岡山電気軌道 7900形 8100形 8200形 8300形 8500形

岡電創業70周年である1980年に7000形を登場させた岡電では、
以後、車両の近代化を推し進めることになりました。
7000形は在来車の部品を流用した 更新車ではありますが、近代的な車体に冷房付きと新時代の岡電を印象づけました。以後、毎年のように7000形更新車が増備されるのですが、
71周年に7100形~85周年に8500形と
上二桁がその登場年度と対応する形式が、あてがわれることになります。

Okayama_c_7901c

ここでは、もと東武鉄道日光軌道線100形であった3000形改造の7900形8100形 8200形8300形8500形をUPしています。

鉄道車両写真集
岡山電気軌道 7900形 8100形 8200形 8300形 8500形

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年8月13日 (木)

サイキョージ氏 夏の鉄旅2015 千葉、神奈川編

夏の鉄旅2015 千葉・神奈川編
今年の夏はT氏と少しディープな鉄道に乗ってきた。集合場所は当初JR成田空港駅だったのだが落ち合ったのは京成成田駅であった。乗り潰しも終盤になってくると乗りにくい路線が残ってしまうのは当然の理である。私の場合、首都圏とくに千葉県を多く残している。それを潰すべく旅程を組んだ。

2015/7/28 1日目
 京都→東京→上野→我孫子→成田→香取→成田→成田空港→空港第2ビル→東成田
 →芝山千代田→JR松尾→成東→大網→勝浦
  集合時間が13:45なのでそれまでに成田線を潰すために京都発7:35のぞみ210号に乗って東京着9:53。上野東京ラインに乗り換えようとすると東海道線内の人身事故の影響で東京上野ラインが運休だと。しかたなく山手線で上野まで出て遅れていた常磐線快速水戸行きに乗り込んだ。我孫子で成田線に乗り換え10:46発の成田行きにギリギリ間に合った。これで集合時刻までには成田線を潰せそうである。我孫子~成田間は単線でラッシュ時を除けば1時間あたり2本のダイヤである。うち1本は上野から直通の快速である。快速は10両もつないでいるのでホーム長がローカル線のわりには極めて長い。成田着11:28、昼食を取るほど時間がないので弁当とビールを買い込み11:41発、銚子行きの電車の中で食べようとしたが209系の電車はロングシート。いくらなんでも弁当を広げて食べる勇気はない。しかたなく香取駅まで昼食はお預け。香取着12:16、ここは無人駅、落ち着いて弁当を食べた。春に鹿島線を潰したときに香取から銚子へ出たもんだから成田~香取間を乗り残してしまったのである。これで成田線の残りは成田~成田空港間だけになった。

 昼食後、香取からJR成田に引き返す。T氏はPeach315便で12:45成田空港着、JRは1時間ほど電車がないので京成成田で落ち合うことになった。京成成田駅で写真を撮っていたT氏を捕まえてJR成田まで戻りJR成田空港駅行きの快速エアポートに乗り込んだ。
 ここで成田空港線について、うんちくを傾けてみる。成田空港へのアクセス線は1978年の開港当時、京成電鉄のみで営業されていた。開港の年、私は初めての海外旅行で成田空港を利用した。その帰りに空港から京成電鉄で上野まで利用した記憶がある。あとでふれるがこのときの成田空港駅は現在の京成東成田駅である。JR線は歴史が新しく1991年の開業である。JR線の開通に伴い、京成も空港地下の線路を付け替え、今のJRと駅を共有する形で新しく京成成田空港駅を作る。感覚的には関西空港駅のJRと南海と同じである。2010年には京成電鉄成田スカイアクセス線(北総鉄道経由)も開通する。JRエアポート成田を利用すればJR成田駅を出てすぐに京成スカイアクセス線と合流しJRと単線並列で未成線であった旧成田新幹線跡の高架上を走る。
 さて、私が乗ったエアポート成田の横を京成スカイライナーが優雅に追い抜いていく。成田空港14:17着、これで成田線を完乗した。とにかく乗り潰すのにはやっかいな路線であった。折り返し同じ電車に乗り次駅の空港第2ビルで降りる。ここからディープな旅が始まる。

Photo

Photo_3

 次は芝山鉄道に乗るために、まず空港第2ビル駅から東成田駅への地下連絡通路を延々と500mも歩く。まるで巨大な防空壕である。空調が効いていて、とても涼しい。歩いているのは私たち2人だけだ。足音だけが不気味に響く。10分ほど歩いて芝山鉄道東成田駅に到着した。

芝山鉄道は営業キロ2.2Km、日本で一番短い鉄道である。開業までに紆余曲折があった鉄道である。局長のブログに詳しい。

→珍車ギャラリー 芝山鉄道 クハ3618編成

 東成田駅は1991年にJRと京成によって新しく成田空港駅が作られるまでは京成成田空港駅で、名実ともに空港への連絡口であったが、1991年以降は東成田支線の終着駅となり、旅行客が利用しないターミナル駅として地下の闇に埋もれてしまう。その11年後の2002年芝山鉄道が開業し東成田駅から芝山千代田駅まで京成電車が乗り入れることになる。
 200円のキップを買ってホームへ降りる。ホームは1面2線であるが使われなくなった向かい側のホームには「成田空港」の駅標がそのまま闇の中に残っていた。15:18発の芝山千代田行きに乗り込む。電車は京成成田~芝山千代田間を往復する。一部の電車は上野まで直通する。所要時間3分で芝山千代田駅に到着。この駅は成田空港の東端に位置し目の前に駐機場が見えるりっぱな高架駅である。
 芝山千代田駅前はロータリーになっていて芝山町のコミュニティーバスの乗り場がある。ここから15:40発「芝山ふれあいバス」JR松尾駅行きに乗る。このバスは芝山町役場や町の福祉施設などを回ってJR総武線松尾駅まで行ってくれる。芝山町のHPを見ると時刻表とともに芝山鉄道、JR総武線松尾駅の接続列車の時刻まで親切に掲載している。

Photo_4
http://www.town.shibayama.lg.jp/cmsfiles/contents/0000000/148/02.pdf
バスは私たち2人と一般客1人を乗せて駅を出発、途中乗客の入れ替わりが5人ほどあり乗車時間50分でJR松尾駅に到着した。運賃は200円、なにか申し訳ないような気がした。
 次は東金線を潰す。松尾発16:38の千葉行きに乗って次駅の成東で東金線に乗り換える。
総武線と外房線を短絡するのがこの東金線である。
結構潰しにくい路線だ。成東からだと千葉までの距離は総武線経由より東金線・外房線経由のほうが距離が短い。成東16:45発の大網行きに乗る。電車は209系4両編成、高校生がたくさん乗っている。途中の求名駅でも多くの大学生が乗り込み通学列車の様相になってきた。大網着17:05、ここで外房線に乗り換えて今宵の宿がある勝浦まで行く。大網発17:28発の安房鴨川行きに乗り勝浦着18:22。

駅から少し歩いて漁港近くの旅館「松の家」に宿泊した。

Dsc_0109

本館が有形文化財になっている歴史を感じさせる宿である。
勝浦はカツオ水揚げで日本有数の漁港、夕食の刺身が絶品であった。

2015/7/29 2日目
  勝浦→大原→上総中野→五井→木更津→上総亀山→木更津→浜金谷→久里浜港
  →JR久里浜→横浜→鶴見
 勝浦から大原まで戻りいすみ鉄道、小湊鉄道を乗り継いで千葉県を横断する。大原駅で五井までの房総縦断乗車券1700円を購入する。このキップ、片道乗車だけだが途中下車ができ、別々に乗車券を買うより430円安いお得なキップである。大原発9:14の単行の気動車に乗る。夷隅川に沿って田園地帯をのんびり走る。トンネルもなくさほど勾配もない。大多喜駅では旧国鉄色に塗られたキハ28が臨時のイベント列車として出発を待っていた。上総中野着10:06ここで39分の連絡で小湊鉄道に乗り換える。

Photo_5

 小湊鉄道の200型気動車が見えたとき一瞬、昭和30年代にタイムスリップしたような感覚を覚えた。とてもシブイ車両だ。運転士、車掌ともに20代の若い女性であるのにはびっくりした。昭和36年に造られた車両を若い女性が動かしている。T氏曰く、現在主流の小型軽量化された気動車よりずっと運転が難しいそうだ。上総中野駅でいすみ鉄道に乗り換える人が大勢下りてきた。この人たちはおそらく大多喜駅でキハ28のイベント列車(レストランキハ)に乗る人たちだろう。

 10:47発小湊鉄道五井行き単行の気動車に乗り込む。
乗客は私たち2人だけで出発。養老渓谷を過ぎると緩やかな下りになり養老川に沿って進む。途中の上総牛久あたりから乗客が増えだし都市近郊鉄道の様相になってきた。五井着11:59。到着したホームから小湊鉄道の車庫が見える。レトロな車両群がいっぱい並んでいる。

Photo_6

これは壮観である。
T氏は「この風景30年前から全然変わってないワ」とおっしゃっていた。

 五井で昼食後、次は久留里線を潰しに行く。
内房線に乗り木更津で久留里線に乗り換える。

木更津発13:01の久留里行きの車両はキハE130系の新型気動車2両編成である。小湊鉄道に乗った後だから新旧のギャップが大きい。この新型車両が導入されたのが2012年、それまでの久留里線はタブレット交換がおこなわれていたレアな路線だったのだ。JR東日本が新型を導入するくらいだからある程度、採算も見込める路線なのであろう。夏休み中なのに部活や補習がえりの中高生で車内はほぼ満席だった。久留里までは乗客も多かったが終点の上総亀山まで乗った人は数えるほどだった。盲腸線なので同じ列車で引き返す。

Photo_7

木更津着15:52。
 2分の連絡で内房線に乗り換え浜金谷着16:36。駅から少し歩いて浜金谷港から久里浜港まで東京湾フェリーを利用する。
17:25発「しらはま丸」に乗船、所要時間40分、720円の船旅を楽しむ。
ビールとつまみを買って冷房のきいた最前列の席で飲んでいると、少し西日がまぶしいがとてもいい気分になった。

Dsc_0198

乗船してからわかったのだが、ビールもつまみも船内で買う方が安く上がる。つまみは唐揚げや横須賀名物のカレーパンなど種類が多くでおいしそうだ。40分の船旅を考えたメニューが安く手に入る。乗船前にみやげ物屋で買って後悔した。

 久里浜港着18:05、京急久里浜行きのバスが連絡しており15分ほどで京急久里浜駅到着、少し歩いてJR久里浜駅から横須賀線快速に乗って横浜へ。横浜から京浜東北線に乗って今宵の宿になる鶴見駅に19:45に到着。ここでDr.Kと合流して鶴見の居酒屋で旧交を温めた。
薩摩料理の居酒屋で飲んだがこの日は仕入れのネタが少なくて今イチだった。

鶴見泊

 2015/7/30  3日目
  鶴見線海芝浦支線→大川支線→(扇町)→(浜川崎)→南武線浜川崎支線→(尻手)
  南武線→(立川)→青梅線⇔(拝島)⇔五日市線→(八王子)→横浜線→(桜木町)
  根岸線→(大船)→東神奈川→新横浜→京都
 今日は乗り潰しにくさでは首都圏No.1の鶴見線を攻略する。
関西でいうと和田岬線、USJができる以前の桜島線のような工場地帯を走る路線である。土日には電車が少ないので平日の朝しか乗りつぶせないやっかいな路線である。Dr.Kだけ宿泊は別のホテルだったので7:45に鶴見駅改札前で集合し、鶴見線のホームに入る。鶴見線は専用改札があり改札を二度通る必要がある。7:55発の海芝浦行きに乗れば効率よく支線も含めて鶴見線全部を潰すことができる。その前に国道駅を見に行こうということになり1本早い電車に乗り国道駅を見学。カーブの途中にある駅で鉄にとっては撮影ポイントになる駅である。ここから海芝浦駅行きに乗車、浅野駅から分岐して海芝浦着8:06。

Photo_8

東芝の社員専用の駅で社員以外は改札を通ることができない妙な駅である。海が目の前にあり海芝公園が駅に併設されている。電車がある時間帯なら誰でも見学できるようだ。同じ電車で浅野駅まで引き返す。
 次は最も乗りにくい大川支線に乗る。浅野発8:32の大川行きに乗る。この電車は事実上最終電車でありこれに乗り損なうと夕方まで電車がない。大川着8:49、この近辺の工場に勤務する人たちのほとんどが利用しているみたいだ。同じ電車で安善駅まで引き返す。
 次は安善発9:03発扇町駅行きに乗る。この電車では運転士の資格試験をしてるみたいで運転士の卵たちが必死でテストに取り組んでいた。なるほど、ここなら多少ダイヤを乱そうが本線のダイヤまでは波及しないだろう。扇町着9:11、これで鶴見線は完乗だ。
 同じ電車で浜川崎まで引き返す。浜川崎駅は一度改札を出ないと南武線浜川崎支線に乗れない。T氏によるとこの駅は貨物列車を撮るには最適の駅らしく東京貨物ターミナルへ通じる大幹線が駅の横を通っている。9:42発尻手行きの電車を待っている間にも何本もの貨物列車が浜川崎駅を通り過ぎていった。

 尻手着9:49。尻手駅でDr.Kと分かれる。
今年の旅で3人一緒に乗ったのは鶴見線のみだった(笑)。鉄道好きのタモリが臨時列車を走らせたほど鉄にとっては鶴見線はとても興味深い路線であった。夜に乗っても工場独特の雰囲気が味わえてシブイのではないかと思えた。このあと私は首都圏の未乗の路線を潰してから帰ることにする。

 尻手から南武線に乗り立川まで出る。ほぼ1時間かかって立川着。ここで青梅線に乗り換え奥多摩を目指す。T氏と青梅で別れる。彼は青梅鉄道公園を見学に行った。青梅で4両編成の奥多摩行きに乗り換える。青梅を過ぎるとようやく車窓が開けて家以外のものが見えてきた。線路は多摩川に沿って渓谷美のきれいなところを走って行く。雨がひどくなってきた。

Photo_10

奥多摩着12:00、時間雨量が制限を超えて運転見合わせにならないことを祈りつつ同じ電車で青梅、拝島と戻ってきた。拝島着13:13
 拝島で22分の連絡で五日市線を潰しに行く。
雨は一段と激しくなり雷も鳴る中、武蔵五日市行きは出発する。終点の武蔵五日市につく頃には雨は上がっていた。

この電車も運転士の資格試験をしていた。このあと同じ電車で拝島まで戻り八高線で八王子まで戻り再度T氏と合流する。横浜線快速に乗り桜木町まで行き根岸線に乗り換える。T氏は新杉田で降り、金沢シーサイドラインに乗ってから夜行バスで金沢に出て帰るそうだ。私は根岸線を潰して大船から新横浜に出てのぞみ51号で素直に帰途についた。京都着19:08。
 今回の旅で潰せたのは東金線、久留里線、鶴見線、根岸線、青梅線、五日市線であった。残り路線は首都圏を中心ににとぎれとぎれに残っている。来年度中にはJR全線制覇できそうである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年8月11日 (火)

岡山電気軌道 7300形 7400形 7500形 7600形 7700形

7000形が登場した1980年以降、岡電では車両の近代化を推し進めることになりました。

Okayama_c_7301

7000形は在来車の部品を流用した更新車ではありますが、
近代的な車体に冷房付きと新時代の岡電を印象づけました。
以後、毎年のように増備されるのですが、
71周年に7100形~85周年に8500形と
上二桁がその年度と対応することになります。

ここでは、
もと呉市電700形であった2500形改造の
7300形7600形7700形。

新造扱いではありますが、部品 を流用している
7400形、7500形をUPしています。

車体もキープコンセプトながら少しずつ変化が見られます。

鉄道車両写真集
岡山電気軌道 7300形 7400形 7500形 7600形 7700形

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年8月10日 (月)

岡山電気軌道 7000形 7100形 7200形

1980年、創業70周年を期して岡電では車両の近代化を推し進めることになりました。
7000形は在来車の部品を流用した更新車ではありますが、
近代的 な車体に冷房付きと新時代の岡電を印象づけました。

Okayama_c_7001

以後、毎年のように増備されるのですが、
71周年に7100形~85周年に8500形と
上二桁がその年度と対応することになります。

種車が多彩である分、
1台1台に個性がある系列といっていいような気がします。

ここでは、
もと呉市電800形であった 2000形改造の7000形 
もと秋田市電200形であった1000形改造の7100形、
もと大分交通500形であった3500形改造の7200形
をUP しています。

鉄道車両写真集
岡山電気軌道 7000形 7100形 7200形

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年8月 9日 (日)

岡山電気軌道 3000形

岡山電気軌道3000形は、もと東武日光軌道線100形です。

Okayama_c_3002

1953年に宇都宮車輛で10両製造されました。
直接制御車ですが急勾配区間を運用することから発電ブレーキ付のDBI-LBK4(東洋)が搭載されました。
もちろん直通ブレーキ(SM-3 )も装備しています。
台車はBrill 76Eのコピー版であるKS-40J。
モータはTDK-532-Bです。

岡山には日光軌道線が廃止された1968年から翌年にかけて10両すべてがやってきました。15年しか働いていなかった訳ですから、岡電にとってはいい買い物ですね。

譲渡に当たっては、ビューゲルを岡電オリジナルの石津式パンタグラフに交換、側窓のアルミサッシ化などがなされました。

また1970年までにワンマン対応改造も行われましたが、冷房改造はされていません。

2015年現在、05.07.10の3両が残っています。

鉄道車両写真集
岡山電気軌道 3000形

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年8月 8日 (土)

珍車ギャラリー 京都市電 狭軌1形 27号機

京都市では1895年より京都電気鉄道(京電)が狭軌で路面電車の運転を開始していました。
一方1912年に開業した京都市営の電気軌道事業は標準軌を採用しました。1918年、京都電気鉄道は京都市に買収されたのですが、以降、京都電気鉄道 1~133号車は、京都市電生え抜きの1形1~167号車と番号が重複するため、これを「狭軌1形」とし、京都市電生え抜きの車両「広軌1形」と区別する ことにしたのです。

Kyoto_c_n27_01

また元京都電気鉄道の車両には「Nallow」のNを付し、「N電」と呼ばれるようになりました。これら狭軌車両は,1953年までに大半が廃車されまし たが,広軌1型の全車が廃車されたことを受け 1955年に残存していた28両に対して1~28号の連番とする改番を行いました。その後。1961年7月の北野~京都駅前間の狭軌路線廃止時に全車廃車 となっています。

珍車ギャラリー京都市電 N電1形 27

鉄道車両写真集京都市電(保存車を追加)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年8月 7日 (金)

Dr'Kの2015年7月の鉄旅 その2 仙石東北ラインに乗車

鶴見線のりつぶし( 鶴見7:50 → 尻手9:49 )

この間は「サイキョージ氏のレポート」をご参照ください。

 

南武線 普通 川崎行( 尻手9:52 → 川崎9:55 )

東海道線 普通 上野東京ライン直通 小金井行( 川崎1000 → 東京1018 )

 尻手でサイキョージ氏らと別れ、川崎に向かう。

川崎から東海道線に乗換え、東京に向かう。しっかし、東京行ばっかりだった行先がまぁいろいろ出てくることで…。

 

はやぶさ15号 盛岡行( 東京1040 → 仙台1216 )

 東京からははやぶさでワープ。夏休みに入ったがまだ臨時こまちは併結されておらず、盛岡行のはやぶさ単品。けっこうな本数のはやぶさがあるのだが、仙台までは普通車が満席でグランクラスを利用。1時間半ほどで仙台につくのだから速い。

 仙台についたら、仙台の友人M氏とランチ。牛タンカレーを食す。

 

仙石東北ライン快速 石巻行( 仙台1316 → 石巻1419 )

仙石東北ライン快速 仙台行( 石巻1458 → 仙台1602 )

 530日に開業した仙石東北ライン乗りつぶしに地元宮城県民のM氏につきあっていただき、石巻を往復。サイキョージ氏が、仙石東北ラインでは常磐線でダブついている交直両用車(415系、E501系)がなぜ使えないのだろう、デッドセクションを設けるには距離が足りないのかな? と、首をかしげておられたのだが、実際のところ、短絡線をのばしてしまうと住宅地に入ってしまうので、線路わきの山を切り開く必要がありそうで、そのようである。ちなみに短絡線上は架線がない。

 しかも、デッドセクション上では電車だと停車できないのだが、信号待ちにぶち当たるので、実際短絡線上でマンガッタンライナーをやり過ごすために停まったのである。

 そんなわけで2両一組のHD-E210系というハイブリッド車が使われている。エナジーフローが画面で紹介されているのでなかなか興味深い。この列車は2組つないだ4両編成で乗車率もいい。

 野蒜駅付近は山手に移設されているほか、線路をひきなおしたところは1線スルー化されている。

野蒜、矢本など、一部の駅では構内の構造上、右側通行で交換する。海岸線沿いは景色のいいところが多いが、あれだけの津波に襲われたこともあり、高い防波堤が新設されているが、これはいたしかたがない。

 ここは415系やE501系が効率よく有効活用できるところなので、デッドセクションを設けられるところに短絡線をつくれなかったのかなぁ、惜しいなぁ、と思った。

 

はやぶさ26号 東京行 ( 仙台1730 → 東京1904 )

1913H 通勤快速 河口湖行( 東京1910 → 新宿1924 )

Ⅿ氏は今晩、大学時代の旧友たちと都内で食事をされるとのことで、新宿まで同行することに。

話をしていると1時間半はあっという間。東京駅からは中央線に乗換え新宿に向かう。新宿駅南口でM氏と別れ、定宿へ。

 

 

中央特快 東京行( 新宿1019 → 神田1030 )

今日の仕事は朝一で都庁なので、宿が新宿なのである。

都庁での仕事を終えた私は、新宿駅から青春18きっぷで入場し、上野公園近くの次の用務地に向かって移動。神田についたら、秋葉原で車両点検をしているため、さきほどまで山手線が運転を見合わせていた、とのことで、京浜東北線に乗って上野へ。上野からはすでに炎天下で人手も多い。

灼熱地獄の上野公園を突っ切って用務地に向かう。用務を済ませた私は、そのまま品川に移動し品川駅ナカで食事をとる。

 

ひかり513号( 品川1240 → 豊橋1356 )

2531F 東海道線 快速 大垣行( 豊橋1403 → 岡崎1425 )

1179H 愛環線 普通 北野桝塚行 ( 岡崎1438 → 中岡崎1443 )

 次の目的地は岡崎の私の商売道具の職人である社長の店に向かう。社長には14:30過ぎに伺うと伝えてある。

諸般の事情で注文できていなかった新しい道具の導入の打合せである。

 年23回の石川県の研修施設を管理している会社のものと比較検討の結果、社長につくっていただくことにした。

 品川からもう今となっては珍しくもなんともないN700Aのひかり513号に乗り込み、豊橋に向かう。E席は取れずでA席になる。B,C席には家族連れ。思いのほか大人しいものである。

 今秋はありがたいことに仕事の依頼が多いため、その打合せや本番の移動などに忙しい。

久しぶりにメールボックスを開けたら新規の仕事依頼が2件。

 その対応をしているうちに豊橋に到着。

 普段なら、ここから名鉄特急で東岡崎に向かうのだが、今日は青春18きっぷを使っているので、岡崎まではJR倒壊、岡崎からは愛環を使い、中岡崎で下車。

 名鉄の岡崎公園前、東岡崎、愛環の中岡崎からであれば、社長の店まではどこから歩いても1520分なので、今回は中岡崎から15分歩き、予定通りに到着。

 店についたら、社長、お嬢さんとともに、使用する材質の選定のため、クルマで10分弱の倉庫に移動し、納期は12月上旬になるとのこと。商談成立。

 倉庫からなら愛環の北岡崎まで徒歩10分弱なので、店には戻らず、ここでお2人とあいさつし別れ、北岡崎駅に向かう。

 

愛環線 普通 岡崎行( 北岡崎17:15 → 岡崎17:23 )

東海道線 特別快速 大垣行( 岡崎17:26 → 名古屋18:07 )

快速 みえ21号 伊勢市行( 名古屋18:35 → 四日市19:07 )

 ロングシートの2000系に揺られて岡崎へ。接続がドンピシャなのはいいのだが慌ただしい。

そこそこの乗車率で座ることはできたが、次の安城ではもう座れない。その次の刈谷からは接続する普通があるためでもあろうが一気に夕方ラッシュ時の時間帯どおりの電車になってしまう。刈谷を出ると次はもう金山なので、言っている間に名古屋についてしまう。

 名古屋についたら、間に18:22発の普通はあるのだが、四日市の目前、富田で快速みえに抜かれるので、快速みえを待つ列に加わる。快速みえ21号は名古屋の時点でほぼ満員で出発。

行き違いのタイムロスもなく、途中桑名しか停まらないので速い。

 かくして、四日市の友人、N氏の仕事場にお邪魔し、今日は四日市で泊まる。

 

 

関西線 普通 亀山行( 四日市8:33 → 亀山9:00 )

    普通 加茂行( 亀山9:08 → 柘植 9:33 )

草津線 普通 草津行( 柘植10:00 → 草津10:45 )

琵琶湖線 新快速 姫路行( 草津10:52 → 京都11:13 )

嵯峨野線 快速 園部行( 京都12:07 → 園部12:43 )

     普通 福知山行( 園部12:46 → 和知13:31 )

 四日市駅までN氏が見送りに来てくれ、次の目的地、和知に向かう。

この秋の仕事でお世話になる和知の職人W氏の仕事場にお邪魔し、あいさつをするためだ。

 どの経路で行っても大差ないので、草津線ルートを選択。ここではまだ113系や117系に乗ることができるからだ。

 草津から京都は12両編成の新快速でつなぎ、京都駅ナカで早めの昼食。

嵯峨野線は第2の地元路線でもあるので、よく知っているのだが、行楽期の混み方は半端ないので、さっさと食事をしてさっさと快速の列に並ぶ。

 221系の快速に乗るが、夏休みの土曜日とあり、予想どおり、嵯峨嵐山では一段減るものの、京都~亀岡間は大ババ。

 亀岡を出て各停区間に入ると、すき始める。園部で223系ワンマンに乗り換える。途中の胡麻で上下の特急をやり過ごすため長時間停車し、和知に到達。

 

山陰線 快速 福知山行( 和知15:32 → 福知山16:08 )

JR宝塚線 丹波路快速 大阪行( 福知山17:05 → 尼崎19:11 )

 W氏と別れ、徒歩で和知駅に向かい、2232連ワンマンの快速福知山行に乗車。

次の停車駅は綾部で、3分ほど普通より速い。しかし、綾部で舞鶴線との接続をとるため8分停車する。綾部からは福知山まで各駅停車。福知山では1時間弱あるため燃料を補給する。

 橙ヒゲつき223系どうしの乗換。

 

※注 本来130/hでの運転能力がある223系、225系をあえて221系に性能をあわせデチューンされた車両には、識別のため橙色の2本のヒゲがついている。阪和線の205系もJR京都線から転籍してきた0番台は、元々阪和線にいた1000番台とは最高速度が違うため同様の識別用のヒゲがある。

 

 車掌常務の223系に福知山で時間帯をあわせられる丹波路快速がこれを含め4本しかないので、大阪まで乗りとおしてもよいのだが、大阪での乗換を嫌って尼崎で乗り換えた。

 篠山口までは単線区間。篠山口を目前にした丹波大山でこうのとり22号に道を譲る。今日は休日ダイヤなので、増結はなく篠山口ではただ停まっているだけ。4両のまま篠山口を出る。

 ここからは複線区間になり、もう抜かれる列車もなく、追越すのも川西池田での普通のみ。

宝塚からは幾分増えるが、座席も2人掛けに1人、4人掛けに2人くらいの感じで、そう混んでいない。

 大阪での乗換を嫌って尼崎でJR京都線快速に乗換え帰宅。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年8月 5日 (水)

京都市電 広軌1形 29号機

京都市では1895年より京都電気鉄道が路面電車の運転を開始していました。
これは狭軌の路線でしたが、1912年に開業した京都市営の電気軌道事業は標準軌を採用しました。1918年、京都市は京都電気鉄道を買収、以降、元京都 電気鉄道の車両を狭軌1形、京都市電生え抜きの車両を広軌1形としました。

Kyoto_c_29

広軌1形は1912年の開業時に40両、そして1921年までに171両増備さ れたグループです。スタイルは当初オープンデッキ型で、中央にダブルポールを設置していました。1938年に長崎電気軌道へ5両、大連市電へ10両が譲渡 され、1940年には廃車が始まりました。1952年に全廃。

梅小路公園には広軌1形 29号機が保存されています。

鉄道車両写真集京都市電(保存車を追加)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年8月 4日 (火)

京都市電 2000形

京都市電初のワンマンカーとなる2000形は、1964年に2両,65年に4両が竣工しました。

Kyoto_c_2001

ワンマン運転のみならず連結運転も出来るように設計された もので,朝ラッシュ時に連結運転が実施されました。
また昼間にはワンマンカーとして運行され大活躍したのですが、
2000形は、複雑な機能を盛り込んだが 故、整備に手数がかかり,
1977年の河原町・七条線廃止時に全車廃車されました。

しかし2002~2006号車は、伊予鉄道2000形として2014年現在も運行中です。

梅小路公園には2001号機が保存されています。

鉄道車両写真集京都市電(保存車を追加)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年8月 3日 (月)

京都市電 1600形

1600形は、1966年に600型をワンマン改造したもの,1968年までにの63両が竣工しました。 600形は、昭和12年~製の低床ボギー車です。

Kyoto_c_1605

前照灯を上部に取り付けた流線型の車体は後の1000形800形700形の原型となりました。
なおワンマン改造の際、+1000番台とし1600形となりました。
1972年の1635号を最初に順次廃車され,
1976年3月の今出川・丸太町・白川線廃止と同時に51両全車が廃車されました。

鉄道車両写真集京都市電(保存車を追加)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年8月 2日 (日)

京都市電 700形

700形は、1958~62年製の中型ボギー車。車両の軽量化をすすめたことから,車体の高さが他の車両より約260mm低くなっています。また出入口扉が両開き4枚折戸になっていることが特徴です。総数48両在籍しました。
700形はワンマン改造されることなかったので、1700形は存在しません。

Kyoto_c_703

1971年から順次廃車,1974年には全車廃車されました。

梅小路公園には703号機が保存されています。

鉄道車両写真集
京都市電(保存車を追加)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年7月 | トップページ | 2015年9月 »