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2015年3月の記事

2015年3月29日 (日)

局長、春の鉄旅 2015 その2


敦賀行き 座れました。
福井行きも ほぼ満席ですが、
かつてのような混雑ではありませんでした。
天気のせいかもしれません。
天気予報通り雨が降って来ました。
さて、今回のターゲット その1は
福井鉄道のレトラム735です。
10:56福井駅前着
やや遅れて到着したので、小走りで電停へ
かつてはアーケードを通って行ったのですが、再開発のために姿を消してました。
近い将来 駅前すぐに乗り入れてくる予定です。
レトラムを撮影!
フクラムも撮影できました!
足早に福井駅へ
金沢行きは11:12発

iPhoneから送信

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Dr.Kの 2015年3月の鉄旅 その3

20153月の鉄旅 その3

つるぎ~逆向きのサンダーバード~東海道新幹線285km/h

 

315()

つるぎ725号 富山18:05 → 金沢18:28

サンダーバード42号 金沢18:42 → 京都20:54

 つるぎの812号車は11号車のグリーン車を除いて通路扱いで、客扱いするのは8両分。それならば、階段から遠い編成端の13号車と12号車を通路扱いにしたほうが何かと便利がいい。繁忙期など客が多い時は、12号車のグランクラス以外は自由席として開放してもよいと思う。

 つるぎ725号まで段落としした理由は、富山発が東京方面行の11番線で、この列車がつるぎ718号からの逆向きの折返しになるということと、折返し中に12番線にはくたか、この列車の発車直後に11番線にかがやきが発着し、このかがやきが長野には先着するため、客をきちんと案内できるかが見たかったからだ。

 人は多かったが、そこは応援係員も大量に出して対応している。

金沢についたら、今度はサンダーバードに乗るのだが、往路とは編成が逆になっている。

 これにはうっかりしてしまった。隣に並んでいるしらさぎと、今は向きが同じなのだ。

しらさぎにも小変化が…。これまでは6832000番台5連が基本だったのだが、元はくたかを主体とした6816連になった。1両増やした、といえば聞こえは良いが、車両は古くなったのだ。定期運用を失った6835連は12編成もあり、車齢を考えるとまだまだ使え、グリーン車もあることから、これから日根野と福知山に残る381系の置換用に287系に合わせた仕様に改造されて転用されるのだろう。

 芦原温泉以外は標準停車駅に停車する。乗車率は6割程度で、私の隣は、加賀温泉から大阪までの女性客だった。乗りなれている区間なので、北陸トンネル以西は爆睡。

 

のぞみ64号 京都21:37 → 名古屋22:11

のぞみ265号 名古屋22:58 → 京都23:31

普段ならここで帰宅、なのだが、東海道新幹線の285km/hのスジを体験するために、

ここから名古屋までを上り下りのそれぞれ最終で往復する。

東京~新大阪間2時間22分のスジは早朝夜間にしかないので、ここにひっかけたのだ。

速度が15km/hアップしたこともあるが、それよりもいままで車体傾斜していなかったところで、車体傾斜装置がはたらいていることが確認でき、そちらのほうがこの区間を33分台にアップしたことに貢献していることが確認できた。今年のダイヤ改正の目玉3つを2日間で堪能したのだった。

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2015年3月28日 (土)

Dr.Kの 2015年3月の鉄旅 その2 北陸新幹線グランクラス&しらゆきに乗ってきました。

20153月の鉄旅 その2

北陸新幹線グランクラス&しらゆきに乗ってきました。

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午前中は埼玉県内某所で研修。研修終了後ダッシュで大宮に移動。

 

はくたか561号 大宮12:10 → 上越妙高13:37

往路で取れなかったグランクラスにここで乗車。指定された席は1人掛け。

距離は若干短くなるが、ここで堪能。

 開業記念乗車もあるが、ほとんどが年配の利用客で非常ににぎやか。

静かに乗りたい人はつらいかも…。特に長野で降りた通路を挟んで横に座っていたおっさんがうるさいのなんの。

W7_2

 洋軽食とワインで昼食をとる。

長野までは高崎のみ停車の準速達便で、長野からは各駅停車。

上越妙高はいいとして、黒部宇奈月温泉は無理やり地名をくっつけて無駄に駅名が長い気がしてならない(地鉄の「新黒部」か「宇奈月温泉口」あたりが無難だった気が…)。

長野から先の新規開業区間は上越妙高までがJR東の路線なのだが、24線あるものの、利用客数的には大きい駅とは言えないので、速達便はここを通過にして、新規開業区間の乗務員は全面的にJR西が受け持っているのは、珍しく英断といっていいだろう。

 飯山は飯山線との交点に持ってきて乗換をできるようにしているのは正解。

特急北越は快速くびきのと統合され、しらゆきと名を変え、上越妙高と長岡で新幹線と接続する形をとっている。3電源車である元フレッシュひたちのE653系の付属4連が転用改造されて投入されている。交流60Hz区間がある3セクのえちごトキめき線日本海ひすいラインに乗り入れることも考慮に入れているのだろう。

 

しらゆき5号 上越妙高13:45 → 柏崎14:26

しらゆき6号 柏崎14:55 → 上越妙高15:37

 在来線側の上越妙高が第3セクターになったため、通しの乗車券から足が出る区間の起点がJRではないという理由で、8分しかない乗り換え時間で慌ただしく往復乗車券を購入。会社が別ということで、間に駅事務室を置いて直接乗換改札から移動できず、改札を出てごった返しているコンコースを突っ切らなければならない。

 普段なら8分あれば余裕綽々の距離だが、妙高はねうまラインの改札内はい非常に狭い。ホームも島式1面でしかも狭いため、これだけ人がいるとスムーズに乗換ができない。

 しらゆき用のE653系はクハE652に身障者対応設備が増設されていた。

慌ただしく上越妙高を発車したものの、動き出した途端非常ブレーキで停まる。

まだ自分の席につけていない客が将棋倒しになりかけた。非常ブレーキをかけた時に自動で放送される「急停車します」が停まってからかかったため失笑が起こる。

 出だしでつまずいたが、JR区間に入ってからはまずまずの走りで、4854連では足りず、半室グリーン6連では持て余していた輸送力と路線特性を考えると、E653系モノクラス4連という車両の選択は正解だと言って差し支えないだろう。

 柏崎での折返し間合いで、湘南色と弥彦線の115系を撮影しとんぼ返り。

帰りは柏崎から乗車した途端に不覚にも直江津までの記憶がない。

 

はくたか565号 上越妙高15:45 → 富山16:25

帰りも上越妙高ですごい人。ホームがあふれかえっていて前に進まない。

妙高高原方面からの普通が遅れていたため、接続をとったからよかったものの

普通にいっていたら8分では乗換ができない。

 新幹線ホームもすごい人で、乗る人も降りる人もそれなりにいる。

6号車の指定された席に移動ついて、落ち着いたと思ったら糸魚川。

各駅停車のため、1015分刻みに停まっていくが、追越されないのでそんなに

遅いとは思わない。

富山には3分ほど遅れて到着。

遅れている…とはいえ、この列車の金沢着時刻としらさぎ14号の金沢発時刻が

同時刻(16:48)って、嫌がらせか?

金沢始発になったのだから、後続のサンダーだけじゃなくてこれにもしっかり接続取ろうよ。

これができないなら、3セクになってもサンダーとしらさぎの富山直通を残していただかないと困る。

夜が長丁場なので、ここでブレイクタイムをとり、徒歩でなじみの寿司屋へ。

富山から先は、その3で。

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2015年3月27日 (金)

土佐電気鉄道 軌道線 100形(ハートラム)

100形は2002年にデビューしました。
「ハートラム」の愛称をもつ土電初の超低床車両です。

Tosa_dn3_101b

アルナ工機製のリトルダンサーA3タイプ。
3車体連接構造となっており、
両端の車両に動力台車が設けられています。

鉄道車両写真集
土佐電気鉄道 軌道線 1000形 100形(ハートラム)

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2015年3月26日 (木)

土佐電気鉄道 軌道線 500形

土電500形は 1954年、創業50周年を記念して製造されました。
(日立製)。土電初の高性能車(和製PCCカー)です。

Tosa_dn1_501

しかしコストが高く量産されることはありませんでした。
一方で、構造が複雑でメンテに手間取ることから、
同じスタイルとなる200形と性能を合わせる改造を行っています。

2002年にはその姿を消して います。

鉄道車両写真集
土佐電気鉄道 軌道線  500形/外国電車etc

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2015年3月25日 (水)

土佐電気鉄道 7形  7号 (維新号)

土佐電気鉄道 7形   7号 (維新号)は、
1984年、開業80周年記念事業として復元された車両です。

Tosa_dn2_7

車体は大阪車輌工業で、
内装工事などは自社の知寄町工場で行いました。
台車・機器などは旧300形321の部品を流用しています。

鉄道車両写真集
土佐電気鉄道 軌道線  500形/外国電車etc

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2015年3月24日 (火)

土佐電気鉄道 1000形

1000形は1981年にデビューした土佐電気鉄道初の冷房車です。

Tosa_dn2_1002

アルナ工機で2両製造されました。
岡山電軌7000系とよく似た軽快電車のスタイルですが、
制御方式は抵抗制御で駆動方式は吊り掛け駆動です。

制御器は西日本鉄道331形から流用したKR-8(直接制御)で、
モータは HS313BR (38kW×2)、
台車も西鉄331形から流用したKL11Bを履いています。

なお車内はセミクロスシートです。

鉄道車両写真集
土佐電気鉄道 軌道線 1000形 100形

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2015年3月23日 (月)

土佐電気鉄道 軌道線 700形/800形

700形は元山陽電気軌道の700形 (701, 702, 704)です。

Tosa_dn2_701

1971年の同線廃止により譲り受けました。
704のみ703と改番しました。
1958年にナニワ工機で製造されたスチール製の直接制御車です。

1997~99年に冷房装置が取り付けられました。

800形は元山陽電気軌道の800形 (801~04)です。

Tosa_dn1_801

700形と同じく1971年の同線廃止により高知入りしました。
1959年にナニワ工機で製造されました。
700形との相違点は製造年度と台車がに変更されたことぐらいです。

なお山陽電軌時代にビューゲル集電であったものを、
Zパンタに載せ替えています。

1998年、700形と同じく冷房改造が行われました。

鉄道車両写真集
土佐電気鉄道 軌道線 700形/800形

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2015年3月22日 (日)

土佐電気鉄道 軌道線 600形

600形は1957年にデビューした土佐電気鉄道の主力車両です。

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601 - 621 の21両は、土佐電気鉄道若松町工場製の半鋼製
622 - 631 の10両は、ナニワ工機製の全鋼製となっています。

製造は7年に渡って行われたため、内容は多彩で、
窓や台車など細かな違いがあります。

うち601, 602, 608, 609, 612 - 631 は安芸線(鉄道線)乗入れ用の連結可能車で密着連結器とジャンパ線が設置され制御方式も間接制御となっています。
(安芸線廃止後も連結運用に活用されていましたが、1987年に連結運転は廃止、現在はジャンパ栓を取り外しています)

1982年から冷房化改造が開始され、1996年に全車完了しました。
初期に改造されたものは富士電機製、
後期に改造されたものは三菱電機製の冷房装置を搭載しています。

鉄道車両写真集
土佐電気鉄道 軌道線 600形

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2015年3月21日 (土)

土佐電気鉄道 軌道線 200形

土電200形(201~221)は1950~57年にかけて製造されました。

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201 ~05(1次車)は日立及び帝国車両、
206~10(2次車)及び211~14(3次車)は日立、
215~(4次車)は自社工場での製造です。

冷房車・非冷房車/
  パンタグラフ車・Zパンタ車/
    間接制御車・直接制御車とバラエティーに富んでいます。

すなわち
201.02は1980年に冷房改造されましたが、203~は未施工。
201 ~ 210、217、218、221はZパンタ、
211~216、219~220はパンタグラフ。
211・212・219 ~ 221は間接非自動制御(HL)
それ以外は直接制御車。
という具合です。

台車も6つの型式が混在していますので、当然、
車体寸法・自重・定員も車両によって違いがあります。

なおHL車は600形同様、安芸線との直通運転に使われていました。
安芸線の廃止後は他車と性能を合わせ、連結器も外されています。

201・202・204・205については車体更新され、
前面中央窓が拡大されるなどスタイルも大きく変化しています。

203は1971年の事故により、
215と220は2005年の事故により廃車。

2014年現在15両が在籍します。

鉄道車両写真集
土佐電気鉄道 軌道線 200形

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2015年3月17日 (火)

Dr.Kの北陸新幹線と上野東京ラインに乗ってきました。その1

Dr.Kの2015年3月の鉄旅 その1 北陸新幹線と上野東京ラインに乗ってきました。

― 同じ列車で北陸新幹線に金沢で乗り継ぐのに、乗継割引が適用される客とされない客の怪

3月13日(金)
朝一で大阪市内のとある営業先へ直行。約30分の商談ののち大阪駅へ向かう。
午後は石川県某所での研修、そこから翌日午前中までにかけて、石川県内での
仕事を2件こなすためだ。ここでのパートナーは、実はここでよく出てくる大学同期のT氏である。そのきっかけは、かつてここでも一度書いたが、T氏夫妻と私は共通の趣味があり、大学時代、同じところでそれを習っていたことがきっかけであり、それが仕事上でも時々生かされているのだ。

サンダーバード13号 大阪10:12 → 小松12:39
333M 普通 金沢行 小松12:43 → 美川12:55
  和倉温泉行のサンダーバードで移動。研修の受付時刻は13時で、研修自体は
13時30分スタート。所定6両だが、今日は3両増結されて9両編成。
窓口では最終の45号は予想どおり、グリーンも指定も富山まで満席の表示。
  これで移動すると、実はギリギリ。最寄り駅の美川に着くのは12:55で、
これにあわせて研修施設のお迎えのクルマがやってくる。指定された席は
3号車の窓側。隣の男性が武生で降りられたので、ここからは一人。
 粟津で普通333Mを追越す。この普通に乗り換え美川で下車。

356M 普通 敦賀行 美川17:07 → 加賀温泉17:32
  3時間の研修を終え、駅に送ってくれるクルマで美川に戻る。
ここから521系に揺られて加賀温泉へ。北陸新幹線を祝うなじみの宿の
イベントでの仕事を女将さんから依頼されたため、なじみの宿へ。
  宿からのお迎えのクルマに乗り込み、会場である宿へ。
T氏は新倉敷の職場から、のぞみ28号→サンダーバード25号で加賀温泉には
私より30分ほど早く到着されている。
 2時間の仕事を終え、女将さんから御礼の気持ちも兼ねて、ということで
極上の日本海の海の幸をふるまっていただき、温泉も堪能させていただいた。
 本来なら宿泊も、というところだったのだが、翌日同じような仕事を金沢で行うため、夜も更けたところではあるが、石川県内は新幹線で異常に過熱気味で何が起こるかわからないので、3月14日の仕事の依頼を受けた、私とT氏がともに会員になっている金沢のホテルに宿泊することにしたため、ここから移動。宿のスタッフの方に加賀温泉駅まで送っていただく。

3月14日(土)
しらさぎ65号 加賀温泉0:12 → 金沢0:39
 加賀温泉駅に到着すると、ダイヤ改正に向け、運賃表のはり替え作業などが
急ピッチで行われている。
 乗車日が3月13日の特急で金沢まで来て、14日の新幹線に乗るのに新旧約款のはざまになるから、前日からの乗継割引が適用されないのは、まぁ、しょうがないとして…。
  3月13日以前に出発し、北陸新幹線の開業日である3月14日、金沢駅をはさんで、JR管内を直通する乗車券を発券できず、日付をまたぐ途中下車の駅できっぷを分断しなければならないのを、後出しジャンケンで出してくる。
  特急券と同時に購入すれば経路は一目瞭然なので、金沢以西は開業前後で何も変わらないのだから、対応すべきだ。マルス端末で対応できないなら、補充券(手書きの紙のきっぷ)ででも対応すべきである。
  非常に金に汚いと思うのは私だけだろうか。JR西日本、東日本はきちんと告知しておくべきである。結局、直通きっぷが買えないので、3,000円強、損をしてしまうことになる。
 これ以外にも、北陸から対関西圏、中京圏は、ビジネスマンにとっては死活問題になりかねない非常に大きなデメリットが生じるにもかかわらず、ほぼ告知がされていないことがある。
 改正前の「サンダーバード2号(4:56発)」「しらさぎ2号(5:08発)」に富山から乗れば、9時前に大阪、名古屋にそれぞれ到達することができたのだが、3セクの初発は5:35、新幹線の初発は6:12で、それぞれ金沢で現状の列車に接続できない。大阪行はサンダーバード6号で、14分しか早くならない結果、約1時間半も大阪到着が遅くなってしまう。名古屋へは30分強遅くなるだけで済むが、米原でさらに新幹線に乗換えなければならなくなる。
 私が午後以降の仕事で北陸エリア、特に富山県にやってくる場合、20時前の最終サンダーに乗れることは少ない。それゆえ後泊して富山、高岡からサンダーバード2号で大阪に戻ることがほとんどなので、本気で死活問題なのだ。

 …と、ぼやきはこのくらいにして、日付が14日にかわるのを改札の手前で待っていたら、当直駅長氏から声がかかる。
「これからどちらへ?」「最終のしらさぎで金沢まで」
「きっぷを拝見します」加賀温泉からの3月14日付のきっぷを提示。
まだ日付は3月13日だが、3月14日付の入場印を押してくれ、寒いからホームの待合室で待っていていいとのこと。2人の先客がいらした。
 ホームに移動すると、続々と方転のための681系、683系の回送列車が
やってくる。
 こんな時間なので、自由席で十分。
さて、ここで今一度。

「乗車日が3月13日の特急で金沢まで来て、14日の新幹線に乗るのに新旧約款のはざまになるから、前日からの乗継割引が適用されない」

  ところが…ですよ。
 
「同じ列車に乗って、同じように金沢で降りて、日が昇ってから改めて金沢で開業当日の北陸新幹線に乗り継ぐのに、その列車に乗った駅によって対応が違うという事象が起こっていた」のを、皆さんはご存じだろうか。

  あまりにも不可解なので、このきっぷの取り扱いについては、JR西日本、JR東日本にそれぞれ確認をした。JR東日本の回答はとにかく自分たちが損をしないようにと、回答が二転三転し、3日後に回答が返ってきたJR西日本と大違い。
 わたしはそのことで、乗継割引の恩恵を受けられた人なのだが、その裏側で、
乗る駅が違うために、同じ列車に乗ったのに、乗継割引が適用されなかった人もいるのである。その列車がこの「しらさぎ65号」だ。
 この列車は米原が始発駅。ここを23時前(22:48)に出発する最終便。
終着の金沢着が翌日0時39分だ。日付をまたいで運転する列車なのである。
  それゆえ、米原時点では3月13日だが、芦原温泉以東の0時を過ぎている駅から乗車するときは、3月14日付のきっぷで乗ることになる。
 私が乗車する駅は0:12発の加賀温泉。3月14日付。なので、乗継割引が利く。
金沢で下車するとき、私のきっぷを見た人が、米原で乗った私は乗継割引にならないと説明を受けたのに、なんであの人の特急券は割引になっているんだと係員に詰め寄るのもうなずける。乗車駅が福井と芦原温泉では、割引が適用されるかされないか、天地の差なのだ。同じ列車で0:39に金沢に着くのに、乗継割引がされたりされなかったり。みなさん、このJRの対応、どうお感じになられるか? これをお読みの諸兄に伺いたいところだ。

  金沢に着いたとき、加賀温泉で泊まらず、この移動が正解だったことを思い知らされる。富山からの最終478Mが475系の最終列車になり、満員の鉄を積んで0時28分に一足先に金沢に到着し、おびただしい人の中、475系の引退セレモニーが3番線で行われていたのだ。
  時刻は午前1時前だというのに、すでに新幹線の改札口で入場を待つ人が列を作っているではないか。明らかに過熱してる。その行列を横目に、駅前の明日の仕事の現場かつ本日の宿にチェックイン。
  朝から仕事で30分。それが終了するや否や、素早く撤収作業をし、移動。

かがやき522号 金沢11:12 → 大宮13:18
上野新宿ライン普通 平塚行 大宮13:33 → 東京14:06
 慌ただしく発車5分前にホームに到着。凄まじい人。馬鹿鉄、報道陣。
とにかく撮影している人が多い。グランクラスはチャレンジしたが取れなかったため、普通車の2人掛け。私がE席、T氏がD席。
 立山連峰は雪雲がかかっていた。3人掛けからは日本海も見える。
金沢では乗車率は7割程度だったが、富山で満席になる。
 T氏の明日の予定は、名古屋市内から大阪ミナミらしいので、長野で昼食をとって、13時発のしなの14号で千種に向かわれるとのことで、長野でお別れ。
 もう次は大宮。あと1時間弱だ。T氏が去った後釜には、若い女性が座られた。大宮ではその女性に声をかけて降りる。
 グリーン券を手に上野東京ラインに乗車。乗入先の行先がパターン化されておらず、しかも乗入先で種別が変わる列車もあるし、宇都宮線から来る列車は3・4番線から出るし、高崎線から来る列車は6番線から出るだけでも厄介なのに、東海道線大船以遠の行先の経路が2系統あって、なおかつ電車の帯が同じ湘南色。カオスすぎる。

ときわ65号 東京14:23 → 水戸15:45
ひたち20号 水戸16:25 → 品川17:52
せっかくなので、新装開店の常磐特急で上野東京ライン→常磐線を堪能。
スワローあかぎに続いて、常磐特急も自由席を廃止した。
E657系にも発売状況お知らせ灯がついていた。

品川~東京間の元東海道線ホームと上野の発着ホームもなかなかカオス。
常磐線電車は色の塗り分けが違うので、列車の識別はしやすいのだが、
宇都宮線・高崎線は行先と上野から先の種別を見ていないとえらいことに…。
ただ、常磐線の中電は帯が青だからいいのだが、取手までの近距離快速は帯が濃淡緑なので一瞬悩む(グリーン車がないのが見分けるポイントかも)。
上野の常磐線は今までの櫛形ホームもさることながら、6・8番線からの発着
列車が増えたので、今まで以上に発車案内板を見ないとわかりにくくなっている。上野東京ラインを通る以外は目新しいこともないので、常磐線に入ると爆睡。今日はこれでおしまい。

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2015年3月15日 (日)

熊本市電(熊本市交通局)  8200形 インバータ電車 

8200形は、1982年にデビューしました。

Kumamoto_2013_8201

熊本市電では22年ぶりの新車となります。
日本で初めてVVVFインバータ制御を採用しました。

インバータ装置と交流モータ(MB-5008-A)は三菱電機製で、
1台車1モータ方式を採用しました。
ですから駆動台車(NS-18)と付随台車(NS-19)が存在します。

8201・8202の2両が日本車輌製造にて製作されました。
8201は「しらかわ」、
8202は「火の国」の愛称名が付けられています。

鉄道車両写真集
熊本市電(熊本市交通局)  8200形 インバータ電車 

珍車ギャラリーでも取り上げています。   
熊本市電(熊本市交通局)8201

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2015年3月13日 (金)

熊本市電(熊本市交通局)  8800形 9200形

8800形は1988年にデビューしました。

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1982年に製造された8200形に次ぐ
VVVFインバーター制御車となります。
ただし、こちらはGTO- VVVFインバーター制御方式で、
車内はオールロングシートになりました。
客用扉が車両の前後に配置されているという点が大きな特徴です。

姉妹都市に因ん だ「サンアントニオ」「桂林」という愛称が付けられています。

1993年に導入されたレトロ調車両は9300形ではなく8800形に分類されます。
足回りが共通であることからですが、
車番は8803ではなく101となっています。
また扉位置は後ろから中央に戻されています。
これを8800形とするのはちょっと無理があるような?



9200形は、1992年にデビューしました。

Kumamoto_c_9201

8200形・8800形に続くVVVFインバーター制御車となります。
8800形が前後扉であったのに対 し、
こちらは従来通りの前・中の配置になっています。
制御方式はGTO-VVVFインバーター制御で、
回生制動併用の電気指令式ブレーキを搭載しました。
この点は 8800形と同一です。
1994年までに5両が製造されました。
なお9201号は姉妹都市にちなみ「ハイデルベルク号」となっています。

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熊本市電(熊本市交通局)  8800形 9200形

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2015年3月11日 (水)

熊本市電(熊本市交通局)  8500形 更新車

8500形は1985年にデビューしました。

Kumamoto_c_8501

1985~86年に計4両がアルナ工機で製造されました。
8200形VVVFインバーター制御車に準じた車体ですが、
こちらは1200形の台車・走行機器類を流用しています。
よって直接制御の釣り掛け電車です。

識別ポイントは台車の形状と
前扉が折り戸から引き戸に変更された点です。

車内は8200形と同様、1人掛け転換クロスシートと
ロングシートを組み合わせたセミクロスシートとなっています。

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熊本市電(熊本市交通局)  8500形 更新車

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熊本市電(熊本市交通局) 5000形

5000形は、1977年から80年にかけて導入されました。
もと西日本鉄道福岡市内線の連接車1000形です。

Kumamoto_c_5011a

5000番台なのは、S50年代に熊本入りしたことによります。
車両番号が連続しないのは、福岡時代の車番に+4000したため
1010AB → 5010AB/1011AB → 5011AB
   /1014AB → 5014AB/1015AB → 5015AB
となりました。

オリジナルは1957年に川崎車両で製造されました。
古い車ですが平行カルダン駆動車です。
1979年には全編成とも冷房改造しました。
1999年には5010が、2009年に5011、5015が廃車され、
現在(2014年調べ)は5014のみ在籍しています。

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熊本市電(熊本市交通局)  5000形 連接車

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2015年3月 9日 (月)

珍車ギャラリー 伊予鉄道モハ50形

今回の珍車は、伊予鉄道のモハ50形です。

Iyo_city_61

その数を減らしつつあるとはいえ、
モハ50形は、松山市内線用の主力車輌です。
これを珍車にするとは、いよいよネタがつきてきたなと思われるかもしれませんね。
しかしよくよく考えてみても、やはりモハ50形は珍車です。
まず、21世紀の今、
二桁の車番を持つ営業用車輌は、もはや希少な存在です。

それだけではありません。
モハ50形の製造初年は1951年です。もはや還暦を過ぎています。
ところがモハ50形は、未だ主力として使用されているのです。
      
これはすごいことです。

さて、そんなすごいモハ50形はどんな電車なのでしょう?
見てゆくとそのバリエーションの豊かさに驚かされます。
この点をとってみても珍車といえるほどです。

続きはこちらを
珍車ギャラリー伊予鉄道 松山市内線 モハ50形

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2015年3月 8日 (日)

熊本市電(熊本市交通局) 1050形

1950年に製造された半鋼製車で当初は150形と称していました。

Kumamoto_c_1054

1951年に製造された160形と、外観・寸法・性能は同一で、
いずれも広瀬車輌製です。

当初は3扉車でした。
全長は他の旧型車(1080・1090・1200・1350型)より800㎜長く、
12,800㎜となっています。

150形は1968年にワンマン化され、
1050形1051~1054に改番されました。

その際、後部扉が埋められました。
窓のHゴム支持でそれとわかります。

モータは東洋電機製の38kW×2、
台車は住金製のKS-40Jとなっています。

1051~1053は昭和54と昭和58年に花電車用電動貨車50形へ
改造され
1054.は冷房化されることもなく
1988年までに廃車となりました。

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熊本市電(熊本市交通局) 1050形

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2015年3月 7日 (土)

熊本市電(熊本市交通局) 1350形

熊本市電 1350形は1960年に東洋工機で製造された全金属製車で、当初は350形と称していました。

Kumamoto_c_1354

200形(=1200形)とほぼ同形態です。

台車は1351~1353が近車製KD-201、
     1354~1356が住金製FS-74となっています。

200形に続いて1967年にワンマン化され、
1350形1351 - 1356に改番されました。

1979年に冷房化されました。

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2015年3月 6日 (金)

伊予鉄道(松山市内線) モハ2100形

伊予鉄道 モハ2100形は2002年3月、松山市内線でデビューしました。

Iyo_city_2101

アルナ工機(現:アルナ車両)の提唱するリトルダンサーのタイプSになります。
超低床型路面電車(LRT)で単車車両は珍しい存在です。

タイプSのSは「Short」のS。
全長はLRTとしては12,000mmとコンパクトです。

しかし自重は20tもあります。
また低床で乗り降りはしやすいのですが、
主力車両であるモハ50形の定員80人に比べ
2100形は47人と少ないのがデメリットといえましょう。

なお 伊予鉄道では初めてのVVVFインバータ制御車両となります。

2002~05年までは2両ずつ、2006・07年に1両ずつ導入され、
現在 10両が在籍します。

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伊予鉄道 市内線 モハ2100形

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2015年3月 5日 (木)

熊本市電(熊本市交通局) 1200形

熊本市電1200形は1958~59年に東洋工機で製造された全金属製車で当初は200形と称していました。

Kumamoto_c_1203

1966年にワンマン化改造され、
1200形1200~1209に改番されました。(1200は1210に変更)

モータは東洋電機製の38kW×2、
台車は1201~1204・1210が近畿車輛製KD-201形、
      1205~1209は住友金属製FS-74形です。

特筆すべきは1200形(1202・1208)が日本で初めての冷房付き路面電車であるということです。1978年8月に冷房運転を開始しました。

富士電機と共同開発したFDA2225-1型冷房装置は、600Vの架線電圧で直結駆動する方式で 後に改良型(FDA2225-2型)を順次取付け1980年には改造工事を完了しました。

初期型を取付た1202と1208は、1985~6年 8500形に部品を提供し廃車となりました。

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2015年3月 4日 (水)

熊本市電(熊本市交通局) 1080形

熊本市電 1080形

Kumamoto_c_1081_

1954~55年に製造された半鋼製車で当初は180形と称していました。
1954年に製造された181~183が新木南車両製、
1955年に製造された184~187が東洋工機製です。

1968年にワンマン化改造され、
1080形1081~1087に改番されました。

モータは東洋電機製の38kW×2、
台車は住金製のH-2274となっています。

1086・1087は1977年に廃車され、
残り5両が1980年に冷房化されました。

しかし1084は1992年に、
1082・1083は2001年に廃車となっています。

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2015年3月 3日 (火)

熊本市電(熊本市交通局) 1060形

Kumamoto_c_1063

熊本市電 1060形

1951年に製造された半鋼製車で当初は160形と称していました。

1950年に製造された150形と、外観・寸法・性能は同一で、
いずれも広瀬車輌製です。

当初は3扉車でした。
他の旧型車(1080・1090・1200・1350型)より800㎜長く、
全長が12,800㎜となっています。

160形は1969年にワンマン化され、
1060形1061~1063に改番されました。

後部扉が埋められましたが、窓のHゴム支持でそれとわかります。

モータは東洋電機製の38kW×2、
台車は住金製のKS-40Jとなっています。

1061.1062は冷房化されることもなく
1988年までに廃車となりました。
1063だけが冷房化されました。

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熊本市電 1060形

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2015年3月 2日 (月)

熊本市電(熊本市交通局) 1090形 

熊本市電の1090形は1957年に東洋工機で製造された半鋼製車です。

Kumamoto_c_1091_

当初は190形と称していました。
1955年に製造された188形188.189と同じく、
1968年にワンマン化改造され、
1090形1091~1097に改番されました。
(188形は番号順に1096・1097に変更)

モータは東洋電機製の38kW×2、
台車は住金製のFS-74となっています。

1980年頃に冷房化されました。

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