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2015年2月の記事

2015年2月23日 (月)

Dr.Kの 阪急京都線 8332F(京都線・新ラッピング車両)に乗ってきました。

準急 河原町行 ( 梅田21:36 → 高槻市22:06 )

 阪急梅田駅付近での宴席の帰りの出来事である。珍しい車両が梅田駅3号線に登場。

京とれいんの検査入場に伴い登場したこのラッピング車。8332Fである。

この編成は基本6両+付属2両に分割できるため、土休日は基本6両、8313Fが京とれいんの代走に充当されているが、平日は、残念特急運用や地下鉄堺筋線や千里線のスジにも入る。

 8両のうち、梅田方から、83328313888384134両に京都の名所にちなんだラッピングが施されている。前から3両目の8883に乗車。物珍しさから写メを取る人もみられる。

 高槻市以遠に急ぐ人は、向かい側の2号線から出る9309Fで運行される通勤特急に乗るほうが早く着く(茨木市でこの準急を追い越す)ので、梅田時点ではサラッと席が埋まる程度。十三、南方、淡路では乗車のほうが多いため、徐々に増えていく。上新庄で意外と減る。その先の相川で、1300系で運行されている普通を追い越し、南茨木へ。モノレールとの乗換があるため、乗客がいれかわり微減。

 次の茨木市では待避線の1号線に入り、梅田で並んだ9309F通勤特急に追い越されるため、ほとんどカラッポになってしまう。通勤特急からこの列車に乗り換える人はわずかだ。

 高槻市手前で信号に引っ掛かりゆっくり走る。それならば、高槻市止、通勤特急、準急の3本の束、特に通勤特急と準急の発着ホームを振り分ければこの信号待ちは解消できるのではないかと思う。

局長のコメント

私も乗車しました。宴会帰りで、かつ同僚と一緒だったモノですから写真は撮りませんでした。うーむ残念。

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2015年2月16日 (月)

サイキョージ氏 冬の鉄旅2015 JR西日本完結編

 乗りつぶしを目標にしているとどうしてもそのときの都合によって乗り残し区間ができてくる。今回の目的はJR西日本区間の乗り残し区間をつぶすためだ。
CMでJR西日本が「おとなびパス」を大々的に宣伝していたのでこの格安キップを使ってみることにする。
使用当日から1週間前までの発売で3日間JR西日本全線(智頭急行線含む)が乗り放題、指定が4回取れ、一人でも使用ができて16,000円也。
JR東日本の「大人の休日倶楽部」会員パスよりも安い。今回の旅も不意の予定が入り、当初の予定より1週間遅れの日程になったが駅で事情を話すと手数料なしで乗車変更をしてくれた。

 2/12(木)
   新大阪→新山口→厚狭→小野田→宇部新川→宇部→厚狭
→新岩国→岩国→広島→三次→潮

まず宇部線の乗り残し区間、宇部~居能間4.3Kmを潰す。新大阪7:15発さくら545号に乗り新山口へ。さくらの指定席は2×2のシートでのぞみよりずっと快適。
宇部から入ると連絡が悪いので新山口でこだま727号に乗り換えて厚狭まで行き在来線で小野田まで出て小野田線経由で宇部新川に入る。カラシ色の123系単行電車で宇部新川着10:45。
昼食をとるにしても中途半端な時間なので近くのカフェで時間をつぶす。宇部新川発11:26の宇部行きに乗り宇部着11:39。これで宇部線完乗だ。
2013年夏、筑豊の旅の途中、T氏と本山支線を乗りに行ったときに時間の都合で乗れなかったのがこの区間であった。

さて次は宇部から在来線で厚狭まで戻り厚狭発12:04こだま740号に乗り新岩国へ。
新岩国着12:48。岩徳線の乗り残し西岩国~岩国間3.7Kmを潰す。2011年秋、徳山から岩徳線経由で錦川鉄道に乗りに行った帰りに新岩国から新幹線を使ったため潰せなかった区間である。
昼食に新岩国駅チカの定食屋で焼きカレーを注文したのは良かったのだが時間がなくて完食できずに清流新岩国駅までダッシュ。結構距離がある。
13:24発の気動車に乗れなければすべての予定が狂う。息も絶え絶えにホームに駆け上がり乗車成功。新幹線の中で駅弁とビールでゆっくりしたほうがよかったワ。
岩国着13:40。これで岩徳線完乗。

このあと岩国からは在来線の普通列車を使って本日の宿泊地、島根県潮へ。まずは山陽本線で広島着14:57、ここで芸備線に乗り換える。乗り換え時間3分。
この年になるとホームの上り下りがきつく感じる。芸備線の乗り残し広島~下深川間14.2Kmを潰す。広島発15:00気動車キハ47に乗り込む。
2002年夏、備後落合から芸備線に乗って広島まで行ってから三段峡まで行く予定が局長の気まぐれにより下深川で下車し、
炎天下に可部線の中島駅まで歩いてショートカットしてしまったため乗り残した区間である。三次行き気動車は15:26下深川駅到着。そのまま三次まで乗り続け、三次着16:51。

次はいよいよ三江線に再度挑む。三江線はJR西日本管内で木次線(出雲横田~備後落合)、芸備線(新見~備後落合)などとならび鉄にとっては最も乗り潰しにくい路線のひとつである。
気候の影響を受けやすく、土砂崩れや豪雪のために長期の運休が当たり前のようにある路線なのだ。
2006年夏、局長と乗りに行ったときも土砂崩れのために路線がズタズタになり1年近くもタクシー代行輸送で放置された路線であった。
このときのレポートは局長のブログに詳しく紹介されている。

Photo

さて三次発16:56の三江線浜原行き432Dに乗り込む。キハ120の単行である。乗客は高校生が5人、地元の人が10人ぐらいである。
三次から口羽までは三江南線とよばれていた区間で江の川沿いの山肌をぬうようにおっかないところを走る。特に江の川を渡る鉄橋はスリル満点である。
30Km/hの速度制限が多くのろのろ走る。代行タクシーのほうがよっぽど早かった。途中の船佐駅では三江線のダイヤにあわせて安芸高田市のコミュニティバス芸備線甲立駅行きが待っていた。利用する人が1人いた。

広島県の県北地域から島根県にまたがる地域は伝統芸能として神楽が盛んである。
三江線では境線の妖怪駅名のように各駅の駅名表示板の横に駅ごとにちがった神楽の演目駅名が掲げられてある。地元の三江線存続にかけるひたむきさを感じる。
路線の愛称を「江の川神楽ライン」として時刻表に載せてもいいかもしれない。 http://sankousen.com/に詳しい。

口羽の次駅、伊賀和志で高校生はいなくなり、乗客は私を含めて2人となった。口羽から浜原までは国鉄末期に作られた区間なので線路規格は良く、
土砂崩れなどの事故は比較的少ない区間である。天空の駅「宇津井」もこの間にある。気動車も少しスピードアップする。石見松原で一人下りいよいよ車内は私一人になった。
次駅の潮には18:19に到着。私が下りて車内は運転士だけになった。ここから終着浜原までは乗客なしで走らせることになるのだ。
432Dは浜原から折り返し433Dとして三次へ引き返すのだが運転士はさぞかし心細いことだったろう。


潮駅には今宵の宿「大和荘」から迎えの車が来ていた。駅に近く、到着時刻、朝の出発時刻が乗り潰しに最適な宿である。
温泉もあり江の川と三江線の線路を見下ろせる部屋で鉄旅の疲れを癒やす。1階のロビーには薪ストーブが置かれてとても暖かく、夕食では猪の焼き肉が美味だった。
潮ダムで行われている浚渫作業の工事関係者の方が長期宿泊され夕食時はとても賑やかであった。

支配人の話によると昔は三江線沿線に高校が分校も含めて3校あったそうだ。三江線も高校生の利用がそれなりにあったという。
ところが生徒減による高校再編の結果、2007年に川本高校(現校名:島根中央高校)に統合されて1校になり、通学範囲が広がった結果、学校はスクールバスを用意したという。
それによって高校生の三江線利用が少なくなったと嘆いておられた。バス転換への実証実験も行われたようで地元の人も三江線存続に対して危機感をもっておられるようだ。

2/13(金)   潮→江津→出雲市→岡山→新大阪

朝方、寒くて目が覚め暖房を入れる。だいぶ冷え込んでいるようだ。あたりはまだ暗いので分からなかったのだが少し明るくなってからカーテンを開けると周りは雪景色。
7時前に江津駅に三江線の運行状況を問い合わせると平常運転されているということで一安心して朝食をとる。
駅までの送迎を快く引き受けて下さったのでゆっくりとコーヒーを飲んででくつろぎ宿を後にした。感謝。支配人はこれぐらいの雪は降ったうちに入らないとおっしゃっていた。
潮駅の雪景色を写真に収め7:35発の一番列車浜田行きに乗り込む。

Photo_2

昨日三次から乗ったのと同じキハ120-319の車両だ。

車内は高校生が3人と地元の方が2名乗っておられた。
浜原で三次行きと交換、粕淵で高校生が5人と病院通いの方など数名が「さむかった」と言いながら乗り込んできて車内は賑やかになってきた。気動車は時速30Kmでゆっくりと走る。
各駅で少しずつ乗客を拾いつつ石見川本着8:24。ここで乗客が入れ替わった。新たに江津方面へむかう客が乗り込んできた。
途中川戸、川平でも乗客があり20人ほどの人を乗せ江津到着9:32。これで三江線完乗。正確に言えば代行タクシーと列車とで都合2回乗り潰したことになる。

江津で1時間待ちで快速アクアライナーに乗る予定であったのだがあまりに寒くて風もきついので駅を出て時間をつぶすのがおっくうになり江津9:35発の普通出雲市行きに乗車。
時間はかかるが出雲市到着が10分ほど早い。同じキハ120気動車でも三江線での速度があまりに遅かったので山陰線ではとても早く感じる。列車交換がけっこうあるので停車時間が長い。
その間出入り口から冷気が流れ込み車内はとても寒い。電車のようにドア開閉ボタンを付けてほしいワ。11:20出雲市着。

出雲市ではサンライズ出雲と遭遇した。雪で延着していたみたいだ。昼食をとるために駅を出て名物の出雲そばを食べに行く。雪まじりの強風が吹き荒れていたので駅前のそば屋に入った。
駅でおみやげを買い込み12:35発やくも18号に乗車、伯備線に入ると雪景色になる。けっこう積雪がある。新見を過ぎる頃から雪はなくなり岡山駅定時到着。
岡山でのぞみ36号に乗り換えて帰阪した。これでJR西日本の残り残しは和田岬線のみになった。この線は乗り潰しの最後までとっておきたいと思う。

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2015年2月15日 (日)

伊予鉄道 市内線 モハ2000形

モハ2000形は もと京都市電最後の新造車となる2000形です。
(2002-2006:1964~65年:ナニワ工機製)

Iyo_city_2006

京都市電全廃の前年1977年に2001を除く5両が移籍しました。
車番は京都時代のままです。
伊予鉄道では台車の改軌や前照灯の1灯化などの改造工事を行い、
1979~80年にデビューしています。
現在は現存するモハ50形と仕様を合わせています。

鉄道車両写真集
伊予鉄道 市内線 モハ2000形

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2015年2月14日 (土)

伊予鉄道 市内線 モハ50形 その3 81/1001-3 モニ30形

伊予鉄道のモハ50形には他社局から移籍してきたグループがあります。

Iyo_city_1001

1001-1003は、呉市交通局の1000形として登場しました。
(1959年:ナニワ工機 製)
1967年軌道線全廃の前年に移籍、伊予鉄では呉時代の車番のままとなりましたが、3本のリブが特徴 のバスボディの手法による軽量車体です。

モハ50形62-64と同形車であることからモハ50形を名乗ります。
ただし、スペック上では、こちらのほうが1t軽く。伊予鉄道市内電車中で最軽量車体となります。2000~2004年に廃車。

Iyo_city_81_

81は、南海和歌山市内線321形として登場しました。
(1963年:日立製)
1971年軌道線全廃により移籍、伊予鉄では81の車番となりました。
1987年に廃車。

事業用車両であるモニ30形もUPしいました。

鉄道車両写真集
伊予鉄道 市内線 モハ50形 ③ 81/1001-3 モニ30形

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2015年2月11日 (水)

伊予鉄道 市内線 モハ50形 その2 62-78

伊予鉄道モハ50形 後期形
 (62-69はナニワ工機製 70-78は帝国車輌製)

Iyo_city_68

ナニワ工機製は、3本のリブが特徴のバスボディの手法による軽量車体で、初期形の15.1tに対し12.0tとなっています。
出力も38kwから50kw×2にUPし、制御器も間接非自動となりました。

1962年製以降は前扉が1枚扉に戻っています。

帝国車輌製となる70番台はで、リブがなくなり自重が13.0tとなりました。
62-64とモハ50形1001-1003(もと呉市電1000形)とは同形車ですが、スペック上では、1000番台のほうが1t軽くなっています。

2003年より廃車(62-65)が始まり、休車中のものもあります。

62-64(1960年製)65-69(1962年製)70-73(1963年製)74-78(63-65年製)

鉄道車両写真集
伊予鉄道 市内線 モハ50形 ② 62-78

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2015年2月 9日 (月)

伊予鉄道 市内線 モハ50形 その1 51-61

伊予鉄道モハ50形 初期形 (ナニワ工機製)

Iyo_city_61

市内線用では初のボギー車。
出力は38kw×2 直接制御でしたが、
現在は後期形と仕様を合わせています。

また1954年製の車両からは後部扉が車端部から中央寄りに変更されましたが、以前の車両も同様に改造されています。

59-61では台車を変更、運転台中央窓も幅広になりました。

なお冷房改造は1981年から着手、3年で完了しています。

56は2005年廃車。

51-53(1951年製)54-55(1953年製)56-58(1954年製)59-61(1957年製)

鉄道車両写真集
伊予鉄道 市内線 モハ50形 ① 51-61

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2015年2月 8日 (日)

珍車ギャラリー 西日本鉄道 北九州線1000形 1064をUP

西日本鉄道 福岡市内線用の1000形には、北九州線と同じ1001~15という車番が割り当てられています。
      もっとも、線路がつながっているわけではないので、このことで現場が混乱することはないでしょう。
      とはいえ、なぜ同じ番号、形式を割り当てたのでしょう。
      多少仕様に違いがあるとはいえ、同じタイプの電車に、全く同じ番号をつけている鉄道会社は西日本鉄道くらいのものです。

Nnr_1001a

      
福岡市内線の1000形は、後、投入時期によって、さらに1100形、1300形と分類されることになります。(1001形、1101形、1301形とも呼ばれます。)
それなら最初から1100形でスタートさせればいいじゃないかとも思ってしまいます。

      ではなぜ1000形にこだわったのか?

続きはこちらを

珍車ギャラリー西日本鉄道 北九州線1000形 1064

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