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2015年1月の記事

2015年1月27日 (火)

Dr.K 2015年の初旅 大雪の中の帰省

ここ数年、小生の初仕事は1月2日。
兵庫県某所にて行われる初売りイベントのプロデュースから始まる。
昨年は、その終了後、サンライズに乗って帰省する途中で有楽町火災に出くわし、品川で足止めを食らって結局帰省できなかった。
今年も大雪で一筋縄にはいかなかった。
今回も往路では空路が取れず、夜行もとれなかったので陸路での帰省とあいなった。

のぞみ252号( 新大阪18:52  → 東京21:23 )
はやぶさ37号( 東京21:36  → 仙台23:07 )

梅田での打ち上げの最初の30分ほどだけ顔を出し新大阪に移動。

こののぞみ252号も時期の問題で普通車が取れずグリーン車。
この列車はのぞみ48号(新大阪発18:37)から11分45秒の束の中に5本かたまりでいる最後の列車なので、京都駅 手前で信号にひっかかる。京都もかなり雪が降っている。
京都を出た列車は京都駅発車直後の放送案内であったとおり、大雪による速度規制で 速度が上がらず、名古屋で12分の遅れが発生することになる。
先の放送でいきなり名古屋(19:41着)からの接続の南紀7号(19:47発)の問合せがあったため、検札に来たパーサーに声をかけ、ブランケットを借りる(これは「寝るぞ」の意思表示)。
少し待たされたあと、パーサーに名古屋発車後に車掌が伺うのでそのときに申し出てください、とのこと。
ちょっと待て、名古屋出るまで寝れねぇ…。普段なら5分あれば十分乗換ができるのだが、10分遅れると3分しかなく、仙台接続は最終やまびこがはやぶさの8分後にあるから、ちょっと怖い。今日ははやぶさ、普通席だからなぁ(これがグリーン以上だと、待ってくれる率が上がるのだが…)。  

米原手前で渋滞している名神高速を横目に見ながら、こちらもつきあうようにノロノロ運転になる。ここで2本前を走るこだまを、直前を走る700系の臨時のぞみとともに追越すため信号に引っかかるのだ。 ここで登場した車販嬢から、疲れからか甘いものが欲しくなったのでコーヒーとアイスを購入。甘いものを食べたらすっきりしたのか、乗っているのが8号車であるのを思い出す。いちばん近い7号車トイレに行く途中に車掌室あるやん。すかさず用を足した帰りに車掌室にいた女性車掌に声をかけた。
私のきっぷを見てすぐに状況を察してくれ、私の席をメモ。新横浜の手前で声をかけてくれるとのこと。やっぱ、こういうのはキャリアとかじゃなくて鉄道マンそれぞれのアンテナの張り方だな。こういう気の利く若い車掌にはがんばってもらいたいと思う。
これで安心して爆睡できる。

私は名古屋では夢の中だったが、南紀7号は新宮行最終とあり、接続を取ったようだ。

熱海を通過したところで、寝ていた私に先の車掌が声をかけてくれる。
接続を取ってくれるとのことで一安心。
しばらくして小田原を10分遅れで通過。
新横浜で大量の下車があり、京都時点で放送があったとおり、大ババだった自由席にも余裕ができる。

品川、東京にもこのままの遅れで到着。

乗換改札では東日本の係員がはやぶさの客に対してマイクで叫ぶ。 …というより、階段から遠い普通車にも家族連れとかがいるんだから、越後湯沢でも思ったけど、つれてってやれよ、列車まで。 はやぶさ37号で指定されている席は7号車のE席。この時間の仙台行だから比較的楽に とることができた。  

仙台のM氏から、無事に東京で乗りかえできたか?というメールをいただく。 乗れた旨を伝えると、仙台駅まで迎えに行くから飲みに行こう、とのこと。この列車は 途中大宮にしか停まらないので所要時間は約1時間半。この間爆睡。  

仙台に着いた私は、その後仙台の定宿にチェックインしてからM氏と新年会。改めて 飲みなおす。

はやぶさ1号( 仙台8:06 → 新青森9:50 )
スーパー白鳥1号( 新青森10:17 → 函館12:22 )  

東京発の1番列車だが、意外にも仙台からは普通車で8号車のE席をおさえることが できてしまう。いかに仙台までの需要が大きいかを物語る。 1号を名乗ってはいるものの、こまちと併結している盛岡まではノンストップだが、 単品になる盛岡以北はいわて沼宮内以外全駅に停車するので速達便より20分ほど遅い。  D席には盛岡までの女性客がすでに座られていたので声をかけてE席にすわる。 リクライニングが戻り切っていなかったのが、仙台までの先客がいたことを物語っている。  

盛岡で切り離したこまち1号の発車を待って、この列車が出発。隣の人が変わる。 毎度この区間と九州新幹線の新八代以南を乗ると思うのだが、なんで新幹線をこのルート(八戸回り)で通したのだろうと思う。  在来線を3セクで切り離すなら、いわて沼宮内から十和田湖の南側を回って、大館と 弘前をとおせば花輪線を切り離せたほうが経営的にもよかった気がしてならない。  

新青森では30分弱の乗換時間があるので、駅ナカのニューデイズでコーヒーを調達。 スーパー白鳥1号はあえて増結の普通車をとったことで、やっと乗ることができました。

珍車785系300番台。785系105番を名乗っていた頃には、札幌地区で何度か乗っているのですが、青函エリアに来てからはなかなか会えなかった彼ら。

北海道新幹線が開通するまでに会えないかとあきらめていたら、ついに会うことができました。

新青森駅の在来線ホームは島式1面しかないのだが、スーパー白鳥が一瞬両面に停まる。函館からのスーパー白鳥16号が到着するからだ。  新青森では、座席は青森から津軽海峡線の向きにあわせて逆向きにセットされているので、よけいにややこしい。  

青森は元々雪の多い土地柄ではあるが、この年末年始、大雪で荒れているので、 例年にない雪の積もり方である。  久し振りに日中に津軽海峡線を通り抜ける。
前回は、夏休みに上りはまなすで早朝通り抜けたからだ。  

新中小国信号場~木古内間は複線だが、それ以外の区間は元々ローカル線で単線なので、 大動脈の割にはインフラが心もとない。行き違いの遅れはあるが、数分なので、問題なく函館でのりかえることができた。本当に乗換がやばいときは、五稜郭に臨時停車させるから問題ない。

スーパー北斗7号( 函館12:29 → 南千歳15:26 )
スーパーとかち5号( 南千歳16:16 → 新得17:50 )  

函館からはスーパー北斗。おなじみの281系。
札幌発朝一番の2号の折返しの7両編成。
岩見沢付近で大雪が降っており、2号が遅れたので慌ただしい折返しになったが、 785系に出会えた私は、えびす顔でスーパー北斗7号のグリーン車に乗る。  

森の名物駅弁「いかめし」もゲットし幸先が良い。北斗に乗る時はこれが楽しみなのだ。  いろいろ安全面で出てきて、すっかり後手に回ってしまった北海道だが、速度向上の 努力は続けてもらいたいところである。せっかく落成したキハ285系も何かの形で活用してもらいたい。  停車駅はほぼ揃えられてしまったので、これといって特に述べることはないが、車両面はぎりぎりの運用をしているので、増結はなく7両のまま走っているので、もちろん満席で自由席も相当な混雑である。約3時間も乗るので、せっかくだし、電源もとれるということでグリーン車の一人掛けにした。やっぱり快適性が違い過ぎるワ。  

雪が降り、ところどころ吹雪く中を列車は進む。

南千歳の乗換では通常小一時間あるので、新千歳空港に立ち寄ってコーヒーブレイクを取るつもりだったが、東室蘭を過ぎて電化区間に入ると様相が変わってくる。  

岩見沢付近の大雪でポイント故障があり、苫小牧から岩見沢までの室蘭本線と、千歳線、函館線といった札幌近郊のダイヤが大幅に乱れていたからだ。

一部列車が運休になっているという情報も入ってくる。  

結局南千歳には約10分遅れで着いた。
ホームはメチャクチャ寒く、新千歳まで往復すると慌ただしくなってしまうため、仕方なしに待合室で寒さをしのぐ。駅近くにはアウトレットがあるくらいで、特に寄るところはない。ここの待合室は、自販機が充実していて、広いのが救い。ただ、この時期でダイヤが乱れているから人も多い。  
スーパーとかち5号もそのあおりで10分弱遅れてやってきた。
これで新得に向かう。 ここは次の特急まで約2時間あいているし、18キッパーが多く時間的に中途半端だし、雪でいつダイヤが乱れるかわからないので、最終以外では段落としをしにくいスジ。ということで、新得まで指定を取って乗りっぱなす。

追分では、先のダイヤ乱れで岩見沢からの普通が大幅に遅れていて、普段なら姿が見えない、苫小牧に向かう雪まみれのキハ40が見えた。30分近く遅れている。  

新夕張では1時間待ちで普通から乗り継げる、スーパーとかち7号~狩勝のスジに次いで18キッパーにとっては乗継しやすいスジなので、新夕張から私が降りる新得までは18キッパーが自由席に少なからず乗り込むのがこの時期。勝手を知らない長距離客は、なんでここから自由席にこれだけ乗り込むのかわからないところだろう。
ところが、大雪の影響で普通列車が相次いで運休しているため、今日は新夕張から乗ってくる人は少ない。  

こうしてなんとか新得には15分ほどの遅れで到着。

伯母の出迎えで久々に帰省。
普段迎えに来てくれる伯父は正月らしく、昼間から飲んですでにできあがっているらしい。私が到着すると、すぐさま鍋大会。  
伯父が私のために用意してくれていた十勝ワインで乾杯し、夕食後はK家恒例の年末年始の麻雀大会に突入する。

スーパーおおぞら8号( 新得15:40 → 南千歳17:11 )
エアポート164号( 南千歳17:13 → 新千歳空港17:17 )
全日空578便( 新千歳空港18:35 → 神戸空港20:35 )  

昼食後のティータイム終了後、伯父、伯母に送ってもらって、一族で新得駅に向かう。
こちらは晴れているが、山を越えた向こう側、新夕張以西、道央エリアは昨日に続き大雪らしく、16時ごろまで普通列車は運休との情報が入る。
特急は平常通り運行している らしい。
スーパーおおぞら8号は速達便なので、南千歳まで途中営業停車する駅は、これまた速達便のスーパーおおぞら7号と交換するトマムのみ。指定を取り2ボックスを一族で占領する。  
新夕張までは駅周辺にしか集落はなく、駅を離れると原野が広がり、例年以上の 深い雪に覆われている。  

札幌在住の次々兄一族以外は南千歳で降りる。
少し遅れたため、我々は乗換時間が わずかなので、お別れのあいさつもそこそこに新千歳空港行のエアポートに乗車。 余市の次兄夫婦は、ここから我々が新千歳空港まで乗ったエアポート164号の折返しと なる17:37発小樽行のエアポート175号に乗換えるためとなりのホームへ。  車両は新型733系3000番台だったため「こんな電車あったん?」と母がびっくり。 たしかに、エアポートでこの車両はこの夏からなので、初体験だろう。北海道にロングシートがあるのを知らなかったようだ。どうしても母の世代だと、721系に乗った時はいい意味で衝撃だったらしく、北海道の電車=711系のイメージが強いのでしょうがない。たった1駅の地下区間だが、やっぱり北海道のある程度の乗車距離のある快速列車でのロングシートは違和感あるなぁ。721系が秀逸すぎて落差でかいワ。 昨夏よりエアポートにも733系が投入され、これの混雑はわかるが快速で小樽からロングシートは勘弁してもらいたいと切に願う。同じ733系を投入するなら3連を投入し、浮いた721系3連をエアポートの増結に回し、快速エアポートを721系9両編成に増強する形でやってほしかった。10両編成対応にしておけば、スーパーカムイも2編成10両まで増結できるしね。この対応をしなければならない駅は知れてるし。大変なのは地下の新千歳空港くらいだろうけど、客の多い時間帯は明らかに輸送力欲しいしね。  夏にも思ったが、733系3000番台はUシートじゃなきゃ乗ってられない。

神戸行ANA最終便で神戸空港へ。

ポートライナーを乗りついで、三ノ宮からは新快速の混雑を嫌って快速で帰った。

 

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2015年1月24日 (土)

西日本鉄道 北九州線 1000形

西鉄1000形は北九州線と福岡市内線の双方に導入された連接車です。

Nnr_1001a

番号も重複するのでマニアにはやっかいな電車です。
ただ北九州線用と福岡市内線用とでは外観に若干の差異があり、福岡市内線用が大きな1枚ガラスの正面窓が中央にあるのに対し、北九州線用は中桟の入った左右分割窓となっているので
すぐわかります。
また北九州線は1000形には2車体連接車と3車体連接車の双方が存在するのに対し、福岡市内線は2車体連接車のみです。
しかし、投入時期の違いなどによって
1001形1101形1301形と分類されます。
なお福岡市内線用の1000形については
1975年の福岡市内線一次廃止時に全車が廃車となりました。
北九州線用の車両については、
2000年の路線廃止に伴って全廃となっています。

ただし、福岡市内線の車両は広島電鉄、熊本市交通局、筑豊電気鉄道へ、北九州線の車両も筑豊電気鉄道へ譲渡され、現在でもその姿を見ることが出来ます。

鉄道車両写真集
西日本鉄道 北九州線  1000形

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2015年1月21日 (水)

西日本鉄道(北九州市内線) 66形_200形_300形 

西鉄66形(66~ 85)は1929年に新潟鉄工、川崎車輌(現・川崎重工業)において新製されました。

Nnr_73

66形という形式は、35から65まで製造された35形の続き番号です。

車体は全鋼製車体で当時の路面電車としては珍しいものでした。
台車は川崎車輌製の76E-2、主電動機の出力は45kW。
これはその後の北九州線の標準スペックとなります。
しかし、車両重量があまりに重く、1950年に車体を軽量化することとなりました。
内装を木製化することで軽量化したグループと
別途半鋼製車体を新製し載せ替えたグループとがあります。

1964~67年にかけ車体新製車グループのうち9両が、福岡市内線に転属しました。
1975年の福岡市内線一部廃止により、うち8両が北九州線に再び転属しました。
1980年には車体更新がなされましたが、
1992年、北九州線路線大幅縮小の際に廃車。形式消滅しました。

200形と300形も併せてご紹介しています。

鉄道車両写真集
西日本鉄道 北九州線 66形 200形 300形

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2015年1月19日 (月)

西日本鉄道 北九州線 600形冷房改造車

600形は(601~650)は1950~53年にかけて
近畿車輛、川崎車輌、新潟鉄工所の3社で製造されました。

Nnr_646

1970年にワンマン化改造、1981~86年には車体が更新され
1986年から冷房改造が始まりました。
冷房改造車は23両を数えます。

1992年の路面区間全廃時には冷房車9両以外は廃車されました。
うち7両が2000年の北九州線全廃まで使用されています。

ここでは、冷房改造車をUPしました。
冷房改造以前の600形は別タイトルにまとめています。

鉄道車両写真集
西日本鉄道 北九州線 600形冷房改造車

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2015年1月18日 (日)

西日本鉄道 北九州線 600形

600形は1950~53年にかけて
近畿車輛、川崎車輌、新潟鉄工所の3社で計50両が製造されました。
(うち32両が近車製)
Nnr_608

1970年にワンマン化改造、
1981~86年には車体の更新工事が実施されました。
(いわゆる「バス窓」化)
1985年には北九州線は路線縮小され
未更新車から、廃車が始まっています。
一方で翌86年から冷房改造も始まりました。
(改造車は23両)

1992年の路面区間全廃時には冷房車9両以外は廃車されました。
うち7両が2000年の北九州線全廃まで使用されています。
ここではワンマン化以降、冷房改造以前の車両をUPしました。

鉄道車両写真集西日本鉄道 北九州線 600形

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2015年1月17日 (土)

西日本鉄道 北九州線 500形 560形

西鉄という鉄道会社はその成り立ちが様々であることから、
電車の車番も重複することが多く複雑です。

Nnr_506

ここで取り上げた500形は北九州線のものですが、
福 岡市内線にも500形が存在しました。

また同じこのページで取り上げている560形ですが、
これはもともと福岡市内線の車両でした。

Nnr_590


1975年の福岡市内 線一部廃止で561~93を移籍させたものです。
ちなみに560形は561~608まで存在しました。
ですから、もし601から608も移籍してきたな ら、
北九州線の600形と重複することになったでしょう。

鉄道車両写真集
西日本鉄道 北九州線 500形 560形

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2015年1月16日 (金)

札幌市電(札幌市交通局) 雪1形

雪1形は1949年に木造単車40形の足回りを流用した除雪車です。
札幌市交通局の車両工場にて製造されました。

Sapporo_c_yuki2

製造当初は8両在籍しましたが、
木造のまま1971年に廃車された雪8号以外は
1969年に鋼体化改造を受けて現在の姿となっています。

路線縮小と共に廃車さ れ、現存するのは3両です。

鉄道車両写真集
札幌市電(札幌市交通局)雪1形

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2015年1月15日 (木)

札幌市電(札幌市交通局) 710形

710形は、鉄北線が電化された1968年に
路面ディーゼルカーD1020形の車体と550形の電装品を
組み合わせて改造された車両です。

Sapporo_c_713

また、制御器の間接非自動制御化も同時に実施しました。

鉄道車両写真集
札幌市電(札幌市交通局)710形

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2015年1月14日 (水)

札幌市電(札幌市交通局) M100形

分離可能な連結車で「親子電車」と呼ばれる電車です。

Sapporo_c_m101_

親となるのが両運転台形のM100形・M101号で、
子となるのが片運転台形のTc1形・Tc1号。
1編成(2両)が日本車輛で1961年に製造されました。
登坂性能を確保するため、トレーラーであるTc1形にも
モーターが1台装備されていますが、
Tc1形のみで単独運転は出来ません。

Tc1号は1971年に廃車となり、
1975年から札幌市交通資料館に保存されています。

鉄道車両写真集
札幌市電(札幌市交通局) M100形 

珍車ギャラリーでもご紹介しています。
札幌市交通局 M100形

2015/01/06に内容を更新しました。

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2015年1月12日 (月)

長崎電気軌道 600形 1050形 2000形

1050形は、もと仙台市電80形。
(1952年7月新潟鉄工所製、昭和29年に100形と改称)
Nagasaki_c_1051

仙台時代にワンマン化したのですが、その際、
両端ドアから前中ドアに改造しました。
1976年3月末、仙台市電全廃時に長崎入りしました。
1050形の名称は、仙台市電になぞらえてセンダイ(1000番台)。
昭和50年代に運転開始したことから+50としました。

600形はもと熊本市電170形(171)です。

Nagasaki_c_601

小型で折戸式であったため休車状態になっていました。
1969年8月に長崎入りしました。
2014年現在、イベント用に保存されています。

2000形は軽快電車の第1号として1980年に投入されました。

Nagasaki_c_2002

しかし、高コストであったことから2両のみで生産は打ち切られました。
また希少車ゆえにメンテナンスにもコストがかさむことから、
2010年に02が、01も2014年に引退となりました。

鉄道車両写真集
長崎電気軌道 600形 1050形 2000形

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2015年1月11日 (日)

長崎電気軌道 700形(もと都電杉並線2000形)

700形(701~06)はもと都電2000形(2018~2022・2024)です。

Nagasaki_c_705_

1969年8月に譲渡されました。
1067mm軌間の 杉並線用でしたが、同線が1963年に廃止され
そののちは都電標準の1372mm軌間に改められました。
長崎入りにあたってはこれを1435mmに改軌しました。
ですから、1067mm、1372mm、1435mmの3種類の軌道上を
走った珍しい車両と申せましょう。

またワンマン化工 事、車体塗装変更なども実施されました。
2014年現在、イベント用に701が都電色で保存されています。

鉄道車両写真集
長崎電気軌道 700形

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2015年1月10日 (土)

長崎電気軌道 150形 160形 87形

150形は、もと王子電気軌道400形。
(T14年服部製作所製←長崎電気軌道のHP参照)
1942年に東京都電に引き継がれ、更に
1952年に箱根登山鉄道小田原市内線へ譲渡されたものです。
同線が1956年に廃止された翌年に長崎入りしました。

Nagasaki_c_151_

160形は、九州電気軌道(現西日本鉄道の母体)の23号機です。
(M44年川崎造船所製)
西鉄北九州線となり、その後福岡市内線に転属しています。
長崎入りしたのは1959年2月です。
1973年頃まで現役車両として使用されましたが、
現在は イベント用として保存されています。
1985年。
70周年記念事業にあわせ大規模な改修工事を実施しました。
現存するものとしては最古の木造ボギー車となります。

Nagasaki_c_168

87形は、元々は西日本鉄道(西鉄)福岡市内線で使用された
花電車用車両(1911年深川造船所製)。
1975年に市内線が大幅に縮小され運行中止となったものを
譲り受けました(1978年)。
花電車にちなみ、87(ハナ)号となっています。
88は元博多電気軌道67(1911年日車製)に由来する
西鉄の構内入れ替え用牽引車です。
ブリル21E台車のみを1987年に購入し、車体は長崎で組み立てた電車。
ともに2010年8月に廃車となっています。

Nagasaki_c_87

鉄道車両写真集
長崎電気軌道 151形 161形 87形電動貨車

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Dr.Kの2014年12月の鉄旅 その3 締めは「サンライズ出雲91号」に乗ってきました。

 石川県に入る前に、以前に出てきた名鉄東岡崎の商売道具を作ってくれる職人さんのところに行くことになるので、ちょっときっぷがややこしくなる。 

京都市内~金沢~東京~京都市内の一筆書きの乗車券で、名古屋まで行って戻る分を買い足すと、米原~名古屋の往復分になる(京都から金沢方面へのきっぷの場合、運賃計算は必ず最短距離の湖西線経由になり、米原乗換の場合もきっぷは原則こうなる。後戻りしなければ、米原経由の経路上でも途中下車ができるので、米原から足が出る分の乗車券があればいい)のだが、これを職場近くの大阪市内の某駅の係員が認識しておらず、京都から名古屋に行って、名古屋から戻って1周の乗車券がいるとして、頑として譲らない。 

 この駅は、以前当務駅長に、あげ足を取るな(証拠隠滅をしなければあなたの言うあげ足は取らないが、この駅では駅員に車掌の乗越精算の過収受を申し出たところ、その事実を確認しながら黙殺する証拠隠滅行為をされている)とか、暴言を受け、逆ギレされているので、発券そのものを断り、地元の高槻駅でつくってもらうと、ものの5分で出てきたのに…。おかしい。

 ここに行くときの友となると、しなの9号から旅が始まります。

 1226日(金)

 しなの9号( 京都 9:24 ⇒ 名古屋 10:58 )

  愛知出張の友、しなの9号。東岡崎までは9月と同じ行程。

  いつものように、京都駅の0番線では、サンダーバードの指定席の列とごっちゃになるのだが、サンダーバードの客に対して、しなのの客の乗降を妨げないように、という放送案内はしない。

  しなの号は名古屋から混んでくる。年末とはいえ自由席も余裕綽々である。京都時点でのしなの号の客は、岐阜への仕事納めの用務客くらいなので、次の米原までは基本的には空いているのだ。

  米原からはさすがにしらさぎよりも停車駅が少ない分速いが、大垣からはパターンダイヤにはまるため快速や普通にアタマを抑えられてしまう。

  3分遅れで名古屋着。名古屋では自由席の客が我先にと殺到。このしなの以外は名古屋が始発だからか、私を含め数人が降りるのだが、名古屋から乗車する自由席の客は待とうとしない。これについてもJR東海は改善すべきである。

 この列車は大阪発の列車だということをきちんと案内して、降りる客を先に通すように放送できないものかといつも思う。サービス相談室にも申し入れているが改善されないのは、大阪~名古屋間でしなのに乗って、新幹線に乗らない客に対する嫌がらせとしか思えない。

 名鉄快速特急( 名鉄名古屋11:18 ⇒ 東岡崎11:47 )

     特急( 東岡崎 12:36 ⇒ 名鉄名古屋 13:08 )

  ミューチケットで席をおさえて地下の名鉄のりばへ。

  名鉄沿線での仕事のときは、たいてい商売道具を携えている(岡崎市内にその製造元があるので、その時は使わなくてもメンテのために持っていることがある)私は、荷物が大きいため指定を取るのだ。

  東岡崎からはタクシーでその製造元へ。岡崎への投稿でよく出てくる社長さんのところだ。

 年末のあいさつはそこそこに、来年度、導入を予定している新たな商売道具の見積もりを出してもらう。

 うーん。厳しい。

 お嬢さんに東岡崎まで送っていただき特急で名古屋に戻る。乗換時間11分なので急いで新幹線ホームへ。

 ひかり511号( 名古屋13:19 ⇒ 米原13:45 )

 しらさぎ55号( 米原 13:56 ⇒ 加賀温泉 15:21 )

 新幹線特定特急券2枚を利用し、ひかりの5号車D席を確保し移動。岐阜羽島を過ぎると雪が降り出す。

  雪の米原で乗換え。乗換時間でそばをすすろうとしたのだが、他の方が食べたお椀が大量に並んでいるカウンターで、なかではおばちゃんがせっせと伝票書いている。カウンターは片付けないのだろうか?

 さすがに、この状態では食欲減退。コーヒーとお茶だけ自販機で買って乗り込む。暖房が異様に効いていて暑い。25℃に調整してるって、もうちょっと室温考えようよ…。

 加賀温泉で15:24発普通金沢行に乗換え、15:50着の美川で下車し、タクシーで明日の研修会場でもある商談先へ。ここでも新たな商道具の見積もりを出してもらうと、岡崎の社長のとこより厳しい。むぅ。

 帰りはクルマで美川駅まで送っていただき、美川発17:07の普通敦賀行に乗り、10日ほど前のその1でも泊まった加賀温泉のなじみの温泉宿へ。

 1227日(土)

 普通金沢行635M( 加賀温泉8:33 → 松任9:07 )

 普通金沢行641M( 松任12:31 → 金沢 12:42 )

 雪こそ降っているが、10日前ほどひどくはないので、朝風呂に入ってから、朝食をとり、予定通り加賀温泉発8:33普通金沢行に乗る。時間的には次の9:12発金沢行でちょうど(ちなみに、当日朝一のサンダーバード1号に乗ると、これに小松で乗り換えることになり、美川に9:44着で、これにあわせてお迎えのクルマがやってくる)なのだが、敦賀発で混んでいるので、大聖寺始発で空いているこの列車を選択。帰りは移動の都合上松任から乗るため、松任まで行って途中下車。上りが9:41着で、これにあわせてお迎えのクルマが来るので、少し待つことになる。

午前中2時間の恒例の研修を終え、施設のクルマで松任に戻り、12:31発の普通金沢行に乗る。小松発の区間電車なのだが、5212両なので大混雑。

 はくたか17号( 金沢14:16 → 越後湯沢16:56 )

 約1時間半の待ち時間で、金沢のエキナカで昼食をとる。はくたか17号は普通車が取れなかったためグリーン車。JR西日本の681系で揃っている9両編成。

 おそらく、在来線のはくたかに乗るのは、これが最後になるだろう。来春1日研修に来るときは新幹線が金沢まで開通しているからだ。

  倶利伽羅峠を越えて富山県に入ると雪が強くなる。高岡、富山で乗車率がほぼ100%になる。魚津で地味に黒部行の普通を追越す。

 泊を過ぎて新潟県に入ると風、雪が強くなり、糸魚川では大糸線、直江津では信越線の接続列車が大雪で遅れたのを待ったため、直江津時点で7~8分の遅れになる。

 直江津で変わった東日本の車掌が越後湯沢での接続についての案内をする。すでに接続を確保するとのことで一安心。

  犀潟からほくほく線に入り、ぐんぐん加速していくが、途中の虫川大杉駅で運転停車。基本683系+付属681系、9両ともスノラのはくたか16号と交換する。本来はこちらが待つのだが、ともに遅れておりほぼ同時に到着、発車した。まつだいでゆめぞら使用の普通と交換。十日町では飯山線との接続があるため、まだ遅れを回復できずにいた。六日町では本来上越線上ですれ違うはずの、これまた9両とも681系スノラのはくたか18号が、この列車が遅れているため、ほくほく線の開通待ちをしていた。

  上越線内でも雪は降っているため、遅れの回復なくそのまま6分遅れで越後湯沢1番線に到着。

 MAXたにがわ422号( 越後湯沢17:08 → 熊谷18:00 )

 高崎線 普通上野行958M( 熊谷18:08 → 北本18:27 )

 湘南新宿ライン 快速国府津行2290Y( 北本19:43 → 新宿20:33 )

 ホームウェイ19号( 新宿22:30 → 町田22:59 )

 問題はここから。越後湯沢駅のホームは予想どおりガッチガチに凍りついている。こんな状態なので足元は滑るわ、スーツケースの車輪が回らないわ、年末でお年寄りや家族連れも多くて、越後湯沢の乗換自体になれていない客が多いし、一気に殺到するから危ないことこの上ない。

 接続を確保してくれるのはいいのだが、なぜこれだけの案内要員が2階の連絡通路にいるのに大声を出すだけで、誰一人誘導してくれないのだろう?

  ホームに上がると、12番線に新潟からのMAXとき336号が停まっている。11番線から発車するMAXたにがわ422号はまだガーラ湯沢で止めているようだが、どちらも同じ8両編成のMAXなので、たにがわとわからない乗客が間違ってときに乗り込んでしまう場面も見られた。

 こういうときは、中央線の小淵沢や塩尻であずさが遅れた時もそうだが、それぞれの乗換客を1か所にかためて前後を係員で挟んで、乗換列車まで集団で連れて行くほうが安全で確実だ。

  MAXとき336号が2分遅れで出発してすぐにMAXたにがわ422号が到着。ふだんは越後湯沢始発で16両編成なのだが、ガーラ湯沢のホームの有効長が12両分しかないため、ガーラ湯沢から営業運転する冬季は高崎で増解結するため、高崎までは916号車の8両編成なのだ。グリーン車以外は全席自由席だが、冬季と繁忙期は513号車が指定席になる。そのため、10号車の1階席を確保し熊谷まで爆睡。

  熊谷ではE233系の18:08発の上野行普通に乗換え北本で下車し、旅の垢を落とすため、天然温泉を持つ銭湯、湯花楽に寄る。

  きれいになった体で北本駅に戻り、19:43発の湘南新宿ライン国府津行のグリーン車に乗り新宿に移動し、旧友Ⅿ氏(四国に行ったM氏とは別人)、熱海在住のR氏と食事兼最終打合せ。

 彼らの明日のイベントの仕事を私がサポートするためだ。これが年内最後の私の仕事。

 彼らと新宿で別れ、ホームウェイ19号本厚木行で町田の定宿に移動。

 1228日(日)

 えのしま11号( 相模大野13:22 → 藤沢13:42 )

 東海道線 普通小田原行829M( 藤沢13:54 → 辻堂13:58 )

 湘南新宿ライン 快速籠原行2710E( 辻堂15:53 → 新宿16:47 )

 ホームウェイ19号( 新宿22:30 → 町田22:59 )

 今日の仕事は午後から夜にかけてなので、朝寝坊。横浜線で東神奈川まで行って、仲木戸で撮影。

 そのまま横浜から東海道線で出張先に行くつもりだったが、宿に忘れ物をしてしまいいったん宿に戻ることに。

 というわけで、小田急町田から再スタート。乗っていくつもりだった快速急行藤沢行が大混雑だったため、各停で一駅隣の相模大野へ。相模大野からえのしま11号に乗る。相模大野まではあさぎり11号と併結しているため、車両はMSE4両編成だ。相模大野までは10両でやってくるが、前6両(16号車)あさぎりと、後ろ4両(710号車)えのしまを切り離す。

 この切り離し作業に撮影が殺到。

  ところが、えのしまに乗る客は少なく、1両当たり10人いるかどうか、という乗車率。ちなみに、私が指定されていた7号車は、私をいれて8人。

ところが、指定された窓側の席に座席にきてみると…

 窓の桟には新宿から相模大野までの、私と同じ席の特急券が放置され、前の座席のラックには無造作にごみ袋がぶち込まれていて、飲み終えたコーラのボトル缶がのぞいている。栓がちゃんとしまっていないようで、コーラがポタポタ…。

  さすがに、この席にすわる気はせず、通路側に座った。

 相模大野発車直後に車掌が「ただいまから車掌が車内に参ります。御用の方は、お声をおかけください。また、指定されていない席にお座りの方は特急券を拝見いたしますのでご了承ください」との放送があった。

 車掌は大和を過ぎてもまだ来ない。長後あたりでやっと来たが、声をかけても素通り。運転席まで行って戻ってきたとき、指定されている席にすわっていない私の前を素通りしかけたので、もう一度声をかけるが無視。

流石においかけて8号車デッキで車掌を捕まえる。どういう仕事をしているのだろう…?

 あと、この乗車率なのだから、空いている席をあてがってくれればいいのに、小田急のシステムはどういうアルゴリズム、ルーティンでこの席をあてがったのだろう…? 謎。

 正直、たった300円とはいえ、特急料金を払っているのがバカバカしかった。
小田急にはこの状況を早急に改善してもらいたい。

 藤沢で東海道線に乗換え、静岡のプロジェクトチームを組んでいる辻堂のY氏の職場を訪れ、打合せ。

 打ち合わせ終了後、辻堂発15:53発の湘南新宿ラインの快速籠原行2710Eで新宿へ。17:00に会場入り。

 おかげさまで、無事にⅯ氏、R氏の仕事をサポート。2日連続、同じホームウェイ19号で町田に戻る。

 もう1泊する理由は、彼らが参加したイベントの打ち上げが、私が学生時代にアルバイトをしていた赤坂の某店で明晩行われるため、両氏たってのご希望で、私もこれに参加するからだ。 

1229日(月)

 

横浜線 快速八王子行( 町田10:52 → 橋本11:02 )

京王相模原線 特急新宿行( 橋本11:20 → 調布11:41 )

京王線 区間急行 新線新宿行( 調布14:11 → 新線新宿14:16 )

→ 都営新宿線 急行本八幡行( 新宿14:18 → 本八幡14:47 )

 定宿のチェックアウトタイムは10時なので、今日の打ち上げ開始の18時までは、完全にもてあますことになるので、こんな時にしか出向けないところに出向く。

  大学時代に大変お世話になったT先輩から「首都圏に来たら顔を出せ」といわれていたので、町田のショコラ氏夫妻がワインを調達している店で手土産を調達し、調布のT先輩宅に向かう。

 京王に乗るのは調布付近が地下化された直後に2回乗ったが、いずれも調布は素通りしているので、地下化された調布駅に降りるのは今回が初めてである。

  E2336000番台になって横浜線もキレイになったのだが、首都圏はどこにいってもE231系、E233なので、なんだかなぁ、と思う。

 房総半島ですら、その前身の209系の京浜東北線のおさがりが、くたびれた状態で走ってるし。

 京王特急は8000系。向かいには22分発の9000系の区間急行が停まっている。一応、新線新宿行になっているが、新線新宿から先、都営新宿線内は急行運転で本八幡行になる。京王もややこしくなったなぁ。副都心線関連よりはいいけど。

  上下2層になっている構造はすぐに理解でき、改札にはすぐたどり着いたのだが、改札を出てからがよくわからん。

 モグラたたきのモグラのようにウロウロして地上に出る。10分ほど歩いてT先輩宅へ。

 就職して今は北海道にいて、帰省しているT先輩の次男坊が出迎えてくれる。

  外でおそめ昼食を食べようということになり、T先輩の長男坊が運転する車で調布駅近くのレストランへ。T先輩のご家族にお礼を言い、調布駅で別れる。

  それでもまだ宴会までは時間が早いので、都営新宿線で本八幡まで乗る。

 岩本町で中線を使った曲芸的な追越を堪能し、本八幡を目前にした瑞江でも追越。普通を2本抜く。

 ここから先の時間調整は、総武緩行で西船橋から今度は東西線快速で都内に戻り、日本橋で下車。

 銀座線に乗換えて赤坂見附駅から打ち上げ会場まで歩く。

 サンライズ出雲91号( 東京22:40 → 大阪6:01 )

 楽しい打ち上げ1次会が終了。R氏と私は帰れなくなるのでここで解散。

 R氏は熱海にお住まいのフレックスユーザーなので、丸の内線に乗っていっしょに東京駅を目指す。

宴会がはじまってすぐに、京浜東北線有楽町で人身事故があり、1時間ほど京浜東北線だけでなく、東海道線、山手線もとまっていたらしく、ダイヤが乱れているという情報が入る。

  三島行最終こだま805号(22:47)で帰るR氏のほうが、東京発の時刻が7分遅い(笑)。

 在来線でも、最終も22:52の熱海行。

  若干の乱れはあるが、ほぼ戻りつつある状態。ダイヤの乱れよりも、銀河の時もそうだったが、傍若無人の鉄の行動のほうがはるかに乱れている。

  東京駅でサンライズを見ること自体は、そう珍しいものではないのだが、7両単独編成、というのはなかなかお目にかかれないから、ご多分に漏れず困った鉄だらけである。

 集音マイクまで持ち込んでいる音鉄も…やな予感。
こういう列車が走ると、困った連中がはびこ
るのは、いやだと毎回思う。

 検札に来た車掌が、おはよう放送は姫路手前なので、大阪では放送がないので気をつけてくださいと一言。私は下り定期便を姫路で降りることが多いし、上りを静岡や熱海で降りたりするので、これには慣れているが、丁寧なものでありがたい案内である。

 横浜を23:05に出ると、おやすみ放送があり、おはよう放送は姫路手前ということ。なんと次の営業停車駅はもう大阪なのだ。

…ところが、日付が変わってすぐ、熱海で56分の運転停車中にトイレに立つと、3号車のミニロビーは大賑わい。鉄たちが酒をあおりながら語らっている。…酒盛りまではうるさすぎなきゃ、ま、いいや…

 個室に帰ると、おやすみ放送後なのに、車内設備、停車駅の案内がはっきり聞こえる。

 さっきの音鉄だろう、爆音で再生しているから、近所の個室にも本物以上に聞こえるのだ。

 しかも、自分の個室のスピーカーがそっち側にあるからややこしい。

 有楽町で人身事故があって東海道線がとまってたってのがあるから、何かあったのかと思うじゃねぇか。

 その後、静岡でもけっこう長い運転停車があったのだが、またアナウンスが聞こえてきたのでびっくりして目が覚めた。

 …聴くだけやったら

 イヤホン使えや!!! (メ`皿´)  

何時だと思ってんだよ。こどもがDSとかPS VITAやってんじゃねぇんだから…。

 目覚ましで起きた時は、守山付近。予定通りの起床である。6番線を通過する京都駅を横目に見ながら身支度を始める。5番線側カメラの砲列…。

  大阪3番線に到着すると、爽やかな朝とは程遠い物々しい雰囲気。馬鹿鉄対策の警備が出てくれている。ありがたい話。環状線外回りの2番線にもカメラの砲列。

 朝食を調達して薬を服用し、帰宅した。

 2014年はサンライズでの有楽町火災、品川打ち切りに始まり、臨時サンライズで終わった。
例年以上にサンライズにお世話になった年であった。

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2015年1月 9日 (金)

DrKの2014年12月の鉄旅 その2 九州編

 2週間後、別件2つに引っかける形で石川に出直すことになったため、1週間でえらい行程になってしまった。どうしても外せないイベントの仕事のために、行程の途中で2回大阪に帰ってこなければならず、非常に厳しい行程になってしまいました。その2ではまず、その前半、九州編です。

午前中研修だったため、旅のスタートは大阪環状線、芦原橋駅。大阪環状線で2駅移動し新今宮へ。

 

ラピートβ37号( 新今宮12:37 → 関西空港13:11 )

ピーチ177便( 関西空港 14:05 → 長崎空港15:25 )

 ラピートのデラックスシートで関西空港へ。200円の上乗せで1人掛けにすわれるのだから当然。

昼食を悠長にとっていると、11便の関空~長崎のピーチ177便に乗れないので、食事はラピートの車内であらかじめ購入していたものを食べる。

 長崎への空路は伊丹からが大半なので、伊丹から飛ぶことを考えると、新幹線を使うほうが、効率がいい(伊丹で飛ぶ頃には新幹線だと広島くらいまで行けてしまう)し、こちらでいきたいのはやまやまなのだが、この関空から飛べるピーチだと新幹線で博多に着くころには長崎空港に降りたっているので、かもめに乗る時間分まるまる早い。滞在時間を延ばすため致し方なくこの選択になる。

 ところどころ高架工事をしているところは平行しているライバル路線の阪和線に似ている。かつては岸和田で急行を追越していたが、急行は逃げ切るダイヤになったため、ここで普通を追越す。

 泉佐野では、一瞬右側のドアも開け、和歌山市方面からの乗換客の便宜を図る。その後りんくうタウンを経て関空に到着。搭乗手続き保安検査を終えピーチ177便に乗る。

 10月にも私は長崎(諫早)に来ているが、なぜなのかというと、大学時代の友人O氏より紹介された、ある業界団体の長崎県理事長をされているY氏から、O氏とともに仕事の依頼を受けたためだ。

10月は打合せ訪問し、金曜の今日がリハーサル、土日が本番で、我々の出番は日曜日なのだ。

 長崎空港からは、JR大村駅行のバスにのるつもりだったが、Y氏の部下の方がクルマで空港まで迎えに来てくださり恐縮至極。16時過ぎに現場に到着。大学時代の友人O氏もここで合流。

 

かもめ48号( 諫早20:42 → 博多22:18 )

 リハーサルに熱が入り、終了したのは20:00過ぎ。明日は大阪市内で別件のイベントの仕事があるため大阪に戻らなければならないが、もう帰れない。しかし、会場入りは930分なので福岡泊でも間に合うのだ。

 というわけで、この仕事のおかげで久々に再会した福岡市内在住のO氏ともども、Y氏に諫早駅まで送っていただき、かもめ48号博多まで移動。車両は7878両編成。

車内ではO氏と杯をかわしながら語らったのだが、話をしていると博多まではあっという間だった。

お互い明日は別件の仕事を抱えているのだが、私が福岡で1泊するというと、食事をしようということになった。地下鉄に乗換えて中洲川端へ。久々の再会を祝して、O氏お気に入りの中洲の某店で乾杯。

 

のぞみ2号( 博多6:05 → 新大阪8:34 )

 九州に2泊するのだが、福岡泊は昨晩のみ。今晩は別のところに泊まる。

眠い目をこすり、宿をチェックアウトして博多駅に向かい、朝一番ののぞみ2号に乗る。

これに乗って、今日の9:30入りの現場の最寄り駅の到着時刻は9:10

 隣の13番線から、6時発のひかり440号岡山行が先に出る。この列車はのぞみ2号に新山口で抜かれるのだが、元々は新山口発朝一のこだまだったスジで、博多から新山口まで回送するのがもったいないから当初の始発駅の新山口まで、途中小倉だけを停車させるひかりとして博多から営業運転するようになったものなのだ。のぞみ2号は徳山に停まるので、ここで乗り換えることができ、新岩国と東広島~新倉敷までの各駅に行く場合は乗換えることができる。

 N700A16両編成に乗車。指定された席は7号車のE席。

昨晩は日付が変わるまでO氏と飲んでいたので、この2時間半は貴重な睡眠時間。

 無事に新大阪で降り、地下鉄に乗換えて今日の会場に無事9:20に到着。

イベント会場の控室用に長崎のカステラを差し入れると、今日の進行役の後輩Tくんに、「ありがとうございます。これ、製造日昨日じゃないですか。出張だっておっしゃってましたけど Kさん、いつの間に長崎に行ってこられたんですか?!

「だからその出張が長崎なんだって。昨日、朝9時から12時まで研修を一緒に受けた後、そのまま長崎へ飛んでひと仕事して、今朝戻ってきたその足でこの会場に入ったんだよ」と答える。

ま、忙しいときゃこんなもんさ。

 

のぞみ41号( 新大阪17:09 → 小倉19:22 )

 わが支店長の御礼のあいさつをもって無事イベント終了。素早く撤収作業をして16時に解散。

ここから地下鉄で新大阪に向かい、今度は九州に戻る。明日の仕事は長崎なのだが、日豊線に乗っておきたいので、足を伸ばして宿は別府の温泉宿。

 ちゃんと電車が動いてくれれば、明日のイベントの仕事のための受付時間の11時には十分間に合うし。

こういうのでもないとやってられないのだ。

 山陽新幹線はそれなりの頻度で乗るし、岡山以西はトンネルだらけで、もう日も落ちているし景色を見るところでもないので、のぞみ2号に続き、この2時間ちょっとも寝る時間。

 

ソニック49号( 小倉19:41 → 別府20:51 )

 小倉で白ソニック(885系)のソニック49号に乗換える。自由席は短距離客が多い。

885系はここのところ長崎線でばかり乗っているので、白ソニックに乗るのは西日本パスでサイキョージ氏と由布院に行って以来(「サイキョージ氏とDr.K 西日本パスで旅する!!1日目」参照)。

 日豊線自体は短距離で年1回は乗っているのですが、別府まではなかなか行かないし、ソニックもたまたま青ソニック(883系)ばかりだったので、これを狙った。

 途中、大分県内に入ると一部単線区間があるものの、1時間10分で別府まで来てしまうところが速い。

この所要時間だからこそ、美味い海の幸がいただける「温泉」にひかれてやってきてしまうのですよ。

 関サバをはじめ、大分の海の幸と温泉を満喫。明日に備えて早めに寝る。

 

ソニック8号( 別府6:49 → 博多 8:53 )

かもめ9号( 博多8:56 → 諫早10:31 )

今日は依頼を受けた仕事の本番。朝風呂を堪能した後、チェックアウトし、歩いて別府駅に向かう。

ソニック8号とかもめ9号でその会場、諫早に向かう。途中、かもめ9号の博多からO氏が合流することになっている。イベント自体は、日曜日分も10時開始で行われているのだが、土曜の午後から2日がかりなので、受付時間自体は日曜朝11時。我々の出番は15時ごろ。

 ソニック8号は青ソニックの初期車。元々は5連で、885系ベースの1000番台ユニットを挿入されて7連になっているタイプ。1000番台には0番台にはあるビードがないのと、MTのユニット位置が

逆なのですぐに挿入車がわかる。元から7連タイプには1000番台はない。これで青ソニックを7連に統一し、共通運用されている。

 単線区間の行き違いと、北九州エリアで強風がふいたため、日豊線内で7分ほど遅れる。

そのため、小倉では方向転換が済んだら慌ただしく発車した。

 列車が遅れているため博多での接続を気にかける人もいたが、同じホームの体面に停まり、平日なら普段のダイヤでも1分接続なので、そんなに気にすることもないのだ。ソニックは博多と大分を速達で結ぶことに主眼が置かれているので、鹿児島線内では停車駅が少なく、黒崎と折尾にしか停まらない。

 前を走る快速に引っかかったりと、結局3分遅れで博多着。それでも、かもめ9号は待っていてくれたので、ゆっくり乗換えることができた。無事、O氏と合流。

 途中、佐世保線と分岐する肥前山口までは長崎線の複線なのだが、肥前山口を過ぎると単線になる。

諫早までの単線区間では原則、肥前鹿島、多良、湯江で交換するダイヤが組まれている。

 諫早湾の観光案内の放送が聞こえると諫早。ここで下車して、タクシーで10分弱の会場へ。

 

かもめ44号( 諫早19:14 → 博多20:55 )

みずほ610号( 博多21:08 → 姫路23:08 )

イベントの閉会式は19時に終了。でも、ここで今日の私の仕事が終わり、ではないのだ。

私とO氏は、ゲストとして招かれたのだが、Y氏へのあいさつもそこそこにタクシーへ。

かもめ44号の諫早駅の発時刻は1914分だからだ。

とくに、私はこれに乗れないと博多で新大阪行最終みずほ610号に乗れないと、次の現場に間に合わないのだ。こんな時間から次の現場?と思われるかもしれない。

 お互い忙しくて、日曜の深夜しか相手と来年1月までにスケジュールが合わなかったのだからしょうがない。その相手とは、11月に四国に一緒に旅をした、大学時代の友人、大学講師をしている

T氏である。

 T氏は生粋の神戸人で、阪神淡路大震災以降、とある復興支援チャリティイベントを毎年1月に主催しており、私もそのイベントに毎年参加しているのだ。その打合せをT氏宅でするためである。

 O氏はまだ福岡に戻るには最終の50号(諫早発21:47)まで余裕があるが、そこまで遅いと厳しいから、一緒に便乗する、とのこと。タクシーはみごと19:11に諫早駅に到着。

 2日前とは別の7878両編成に乗車。日曜日のこの時間なので人は少ない。とりあえず、共同の仕事が無事に終わり、O氏と車内でささやかな打ち上げ。

 博多駅では最終みずほに乗る私を、「Tさんによろしく」とO氏が見送ってくれた。

みずほ610号は博多こそ定時に出たが、新大阪行最終という宿命上、小倉で接続するソニック58号に遅れが出たため、7分遅れて小倉を出た。

 本州に突入したら、こんどは大雪。広島まで徐行を強いられたため、遅れを回復できないまま岡山に向かう。

 今度は、岡山(22:48着)での接続が厳しくなってくる。山陽線上り普通和気行732M22:55発)、吉備線総社行783D22:56発)。あわせて姫路(23:08着)接続の新快速京都行最終3352M23:19発)の問合せもあった。神戸線西明石行最終(23:21発)もあるが、新快速が発車してからなので、この列車の問合せはなし。私は西明石まで到達できればよいので、最悪最終西明石行でもよいが、新快速に乗れるに越したことはないので、問合せに応じた。

 結局、姫路で降りるまでみずほ610号は7分の遅れは引きずったままだった。

姫路から乗継の最終の新快速も、赤穂線からの普通が遅れていたのを待ったため、6分遅れで姫路を出た。

こうして、5分遅れで西明石に到着。T氏のクルマで彼の家に到着したとき日付がすでに変わっていた。

 

こだま722号( 西明石 7:17 → 新大阪 7:40 )

T氏宅で打合せを兼ね、彼の家に泊めていただいた私は、T氏がクルマで出勤するのに便乗し

西明石駅へ。T氏はパークアンドライドをするため、西明石駅近くに駐車場を借りておられるのだ

(本人いわく、西明石駅へはバスが不便。たしかに、西神中央駅や明石駅に行くバスのほうが、本数が多い)。

 T氏はこれから7:24発こだま731号で倉敷の職場に出勤される。私は逆方向のこだま722号で新大阪へ。これで月曜日、何事もなかったように定時出勤できるからすごい(新快速だと西明石が30分早くなる。その分早くT氏宅を出発しなければならない)。

 

こうのとり15号( 大阪15:11 → 宝塚15:32 )

T氏宅から定時出勤した私は、午前中に現在職場で担当しているHPの更新を行い、明日のイベントの仕事の確認を同僚4人と行い、早めに職場に出て宝塚の現場に向かう。

 西明石から新大阪まで新幹線を朝使っているので、この区間で特急に半額で乗れてしまうのだ。

宝塚からは阪急に乗り、川西能勢口駅で下車し次の現場によってからようやく帰宅。

 

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2015年1月 7日 (水)

札幌市電(札幌市交通局) 250形

札幌市電250形(251~255)

Sapporo_c_253

1961年に登場しました。
210形などと同じ「札幌スタイル」の道産子電車です。
車体はD1020形と同一となりました。
よって、210~240形よりも全長が長く、印象が異なります。
旧500形の主要機器を流用して製造されました。
集電装置は当初からZ形パンタを搭載しています。

鉄道車両写真集札幌市電(札幌市交通局) 250形

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2015年1月 6日 (火)

札幌市電(札幌市交通局) 240形 

札幌市電240形(241~248)

Sapporo_c_241

1960年に登場しました。
210形などと同じ「札幌スタイル」の道産子電車です。
210形と同形,同スペックですが、旧150形の主要機器を流用して製造されています。
制御器は間接(非自動)式となりました。
245が事故により1970年9月に廃車。

現在は7両使用されています。

鉄道車両写真集札幌市電(札幌市交通局) 240形 

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2015年1月 5日 (月)

札幌市電(札幌市交通局) 220形 

札幌市電220形(221~228)

Sapporo_c_222

1959年に登場しました。
330形210形などと同じ「札幌スタイル」の道産子電車です。
210形と同形,同スペックですが、製造年度の違いから別形式となりました。
旧120形・130形の主要機器を流用して製造されています。

223~228が1974年5月に廃車されましたが、
221.222は現在も使用されています。

鉄道車両写真集札幌市電(札幌市交通局) 220形 

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2015年1月 4日 (日)

札幌市電(札幌市交通局) 210形 

札幌市電210形(211~216)

Sapporo_c_216

1958年12月に登場しました。
同年4月にデビューした330形をモデルにした「札幌スタイル」と呼ばれる丸いデザインの道産子電車です(札幌綜合鉄工共同組合製)。
旧110形・120形の主要機器を流用して製造されました。
よってモータの出力は控えめです。

215・216が1989年3月に廃車。
残り4両もA1200形と入れ替えで引退の予定です。

鉄道車両写真集札幌市電(札幌市交通局) 210形 

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2015年1月 3日 (土)

札幌市電(札幌市交通局) 330形

札幌市電330形(331~335)

Sapporo_c_332

1958年4月に登場しました(日立製作所製)。
丸みの強い軽量車体に正面1枚窓のデザインは210形以降の道産子車両に引き継がれ、後に札幌スタイルと呼ばれることになります。

1971年に、全車ワンマン化され同時に制御器を東京都電8000形の廃車発生品に交換し、直接制御から間接非自動制御に変更されています。

旧型車のモータ(37.3kw×2)を引き継いだ210形以降の電車と違い、オリジナルのモータ出力は40kw×2と強力です。

1998年から2001年にかけ廃車されましたが、
3300形に主要機器を譲り、足回りは健在です。

鉄道車両写真集札幌市電(札幌市交通局) 330形

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2015年1月 2日 (金)

札幌市電(札幌市交通局) 3300形

札幌市電3300形(3301~05 アルナ工機)

Spk_2014_3301

1998~2001年に330形(1958年製)の電装品を用いて車体を新製した更新車です。
シングルアームパンタ、車内案内装置、LED式の停車灯などを新たに採用しました。
非冷房車ですが、8500形と同じラインフローファンを設けています。
当初よりSTカラーで登場しています。

鉄道車両写真集
札幌市電(札幌市交通局) 3300形

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2015年1月 1日 (木)

珍車ギャラリー:名古屋市営地下鉄 7000系 上飯田線用をUP

7000系は 2003年3月に開業した上飯田線用の車両です。

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さてその上飯田線ですが、わずか0.8kmしかありません。
そう日本で距離が最も短い地下鉄路線でもあります。
都心にターミナルを持たなかった名鉄小牧線と結び、
これを地下鉄ネットワークに組み込むのが大きな目的でした。

ですから7000系は乗り入れ先である名鉄小牧線用300系と仕様を合わせることになります。 地下鉄車両としては珍しい転換クロスシートを採用することになったのもそうですし、足回りも共通です。

しかし、7000系は名鉄300系とは違ったコンセプトをもった--
名古屋市交通局の車両であると思います。

詳しくはこちらを
珍車ギャラリー
名古屋市営地下鉄 7000系 上飯田線用

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