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2014年9月の記事

2014年9月28日 (日)

富士急行 1000系(もと京王5000系)

富士急1000系は 京王5000系が種車となります。
(より正確に言うと3連バージョンの5100系、ただし1208Fのみ5000系の制御車を電装)

Fuji_q_1307

京王重機整備で2連(cMMc)化、寒冷地用対策を施した上、
3100形と5700形の置き換え用として、1993年にデビューしました。

1000+1100と1200+1300の違いは座席形状です。
1000+1100は京王時代のロングシートそのままですが
1200+1300が転換式セミクロスシートに改造されています。

京王と富士急では軌間が異なるため、台車は
営団地下鉄日比谷線3000系のFS510を転用しました。

電動機も3000系のMB3054-Aを使用したわけですが、
出力が75kWと低いため、
2M1Tが基本の5100系をオールMユニットにしました。
なお、制御器やブレーキなどの機器は変わっていません。

冷房装置も、種車が搭載していたものをそのまま使用しているため、分散式と集中式の2種類が存在します。
また、一部、パンタグラフが菱形からシングルアームに換装されたものもあります。

1000系には、1000+1100の2連2本と1200+1300の2連7本、
計9本18両が在籍しましたが、今は数を減らしつつあります。

鉄道車両写真集富士急行 1000系(もと京王5000系)

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2014年9月23日 (火)

広島電鉄 市内線用 1900形(もと京都市電1900形)

広島電鉄 1900形は、元京都市電の1900形です。
京都市電全廃直前の1977年に移籍しました。

Hrd_1911a

集電装置をビューゲルからZパンタに交換しましたが、
台車などの足回りに加え車体塗装も京都時代のままで使われました。

冷房改造車は3タイプあります。
1980年に改造された1901・1913は富士電機の直流駆動方式(25,000kcal/h×1)。
翌1981年改造の1902~04は三菱電機のCU127分散型(10,500kcal/h×2)。
残りの全車については、1982年に三菱電機のCU77A集中型(21,000kcal/h×1)で冷房改造されました。
この三菱MDA方式による冷房改造が以後スタンダードになります。

ちなみに1901・1913はクーラーユニットが屋根上になく、
非冷房車と思われていた向きがあるようです。
現在はCU77形に換装されています。

在籍する15両すべてに加え広告塗装車もUPしています。

鉄道車両写真集
広島電鉄 市内線用 1900形(もと京都市電1900形)

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2014年9月22日 (月)

北大阪急行電鉄 8000系 ポールスター

8000系は、2000系を置き換えるために製造されたVVVFインバータ(GTO)制御のアルミカーです。ポールスターの愛称がつきました。

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1986 年当初8両編成でデビューしましたが、1987年に8100形を組み込み9両編成化、1993年には9両編成×7=63両が揃いました。

1995年から96年にかけて10両編成化、8600形を追加投入しました。(従来の8600形は8500形に改番)

2013年、03Fに更新工事が施され、前照灯が白色LEDになり、床下機器(VVVFインバーター制御のIGBT化等)などを更新しました。

2014年、9000系ポールスターⅡがデビューしましたが、
一方で02Fが、廃車された模様です。

鉄道車両写真集
北大阪急行電鉄 8000系 ポールスター へJUMP

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2014年9月21日 (日)

北大阪急行電鉄 9000系 ポールスターⅡ

9000系は、 2014年4月にデビューしたステンレス車です。

Kitaq_9001_000

箕面市域への路線延長(2020年度開業予定)にむけ増備されました。
出力170kWの永久磁石同期電動機 (PMSM) を採用したVVVFインバータ制御(2レベルのIGBT)車で、前照灯を含む全ての照明機器をLED化するなどの最新技術を採用しています。

一方で 8000形で採用している木目調の化粧板やゴールデンオリーブ色のシートなどの北大阪急行電鉄の伝統も踏襲しています。

鉄道車両写真集
北大阪急行電鉄 9000系 ポールスターⅡ へJUMP

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2014年9月20日 (土)

北大阪急行電鉄 2000系

1970年に開催された日本万国博覧会(大阪万博)のアクセス鉄道として北大阪急行電鉄は開業しました。
2000系は、開業前の1969年に8両編成×5 本 (01~05F) 、予備の4両×1本 (06F) の44両でデビューしています。

Kita_q_2002_2002

閉幕後大阪市交通局に譲渡することを前提として製造された旧7000・旧8000形は大阪市の30系に編入されましたが、
2000系はそのまま北急にとど まり翌1971年に8両編成×1本 (07F) が追加新造され52両が在籍しました。
車体はステンレス製で、前述の30系や7000系・8000系に類似してますが、全体的にやや丸みを帯びた車体には、親会社の阪急電鉄に由来するマルーン の帯が入れられました。また、車内の座席や化粧板も阪急っぽくなっており、大阪市の車両とは趣を異にしていました。

1986年には御堂筋線9両編成化に伴 い、9両編成×5本(01F - 04Fおよび07F)に組み替えられました。(それに伴い05Fの4両と06Fの3両が廃車)

画像はその当時のものです。なお1993年に全廃されました。

鉄道車両写真集北大阪急行電鉄 2000系
へJUMP

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2014年9月18日 (木)

珍車ギャラリー 高松琴平電鉄 800形

800形の種車となるのは名古屋市営地下鉄の東山線,名城線用15m車600形と700形です。(1969~74年日車製)

Kotoden_801

地下鉄車両にに目をつけたのは本当にすごいと思います。
      というのも、東山線,名城線はパンタグラフではなく台車の集電靴で集電する第三軌条方式です。
      集電靴の代わりにパンタグラフを新たに載っけた例は他には見られない珍しいものです。

これだけでも十分、珍車としてご紹介できるのですが、
あえて、この派生形である800形をとりあげました。

奇をてらったわけではありません。
実は21世紀の今、Tcの増結車は滅多にお目にかかれないものとなってしまったのです。

なぜ、このような車両が琴平電鉄に生まれたのでしょう。
詳しくはこちらを

珍車ギャラリー高松琴平電鉄 800形 へJUMP

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2014年9月 8日 (月)

嵐電(京福電気鉄道)モト10001形

モト1001形は、
京都市電600形の機器を流用し、車体を新製した電動貨車です。

Randen08_1001_2

嵐電では唯一の直接制御車となります。
夜間の保線作業でレールや砕石の運搬に使用されます。
叡山電鉄にも同型のデト1000型が在籍していますが、
パンタグラフの位置、排障器やバックミラーの有無、引き通し配管など若干の相違があります。

なおモト10001形は珍車ギャラリーでもご紹介しています。
こちらも是非ご覧ください

鉄道車両写真集
嵐電(京福電気鉄道)モト10001形

珍車ギャラリー
叡山電鉄/京福電気鉄道 デト1000形/モト1000形

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2014年9月 7日 (日)

嵐電(京福電気鉄道)モボ501形

モボ501形は、 嵐電初の冷房車。

Randen2014_501

84年に501・502が、85年に503・504の計4両が製造されました。
吊り掛け駆動で台車はBWE12です。

乗車ドアが中央にあり車内のシート配置も異なる異端車です。
よって主に朝のラッシュ時、観光シーズンの連結用車両として運用されています。

モボ2001型2両新造時に503、504が代替廃車となりました。

鉄道車両写真集
嵐電(京福電気鉄道)モボ501形

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2014年9月 6日 (土)

嵐電(京福電気鉄道) モボ621形

モボ621形は、 パンタグラフと主要機器と台車をモボ121形から流用したグループです。

Randen2012_625

1990~96年に621~625の5両が製造されました。

なお 最初に「新・嵐電スタイル」となったのは、モボ621形です。

台車は種車流用であるイコライザー式のBWE12。

モボ621は611.631と共通のスペックとなっており、
共通運用されています。

なおモボ21形はこの形式をベースにしたレトロ電車で、
定員に違いがありますが、
車番はモボ621形の続番(26.27)となっています。

鉄道車両写真集
嵐電(京福電気鉄道) モボ621形

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2014年9月 4日 (木)

嵐電(京福電気鉄道) モボ611形

モボ611形はパンタグラフと主要機器と台車をモボ111形から流用したグループです。

Randen2014_612

1992~93年に611~616の6両が製造されました。
台車はKS46(613のみ当初からFS93)でしたが、
FS93に換装されつつあります。また
503・504から捻出されたBWE12に換装されたものもあります。
またシングルアームパンタに取り替えられたものもあり、
こっちが追いつかないほどです。

とはいえ、モボ611は621.631と共通のスペックとなっており、
これらと共通運用されています。

鉄道車両写真集
嵐電(京福電気鉄道) モボ611形

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2014年9月 3日 (水)

嵐電(京福電気鉄道) モボ101形

京福電気鉄道は、かつて「叡山線」と総称される叡山本線・鞍馬線、および福井県内の越前本線、三国芦原線の鉄道事業を行っていました。 しかし叡山本線・鞍馬線は1986年に叡山電鉄に分離、福井県内の鉄道事業も2003年にえちぜん鉄道に譲渡して撤退しました。 結果、京都市内での軌道事業がメインとなった京福電気鉄道は、かねてから親しまれている嵐電(らんでん)の名称を2007年3月、公式愛称とすることになりました。 ここでは、2007年以降のモボ101形をあつめてみました。 冷房化以前の姿は旧アルバムでご覧ください。

Randen2014_104

鉄道車両写真集
嵐電(京福電気鉄道) モボ101形

旧アルバム
☆京福電気鉄道 ~2005 嵐山本線、北野線

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2014年9月 2日 (火)

嵐電(京福電気鉄道) モボ301形をUP

モボ301形は、
1971年に新造された車両です。

早いもので、2014年現在、
嵐電において最も古い車両となります。

Randen_301noriyosi

1975年のポール集電に廃止に伴い
集電装置をZ型パンタグラフに換装しました。
また1990年に冷房化されています。

古い写真はこちらを↓
☆京福電気鉄道 ~2005 嵐山本線、北野線

2007年に休車となりましたが、
2008年3月の嵐電天神川駅開業に伴い301が復帰しています。

鉄道車両写真集
嵐電(京福電気鉄道) モボ301形

珍車ギャラリーでも取り上げています。
モボ301形 301

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2014年9月 1日 (月)

Dr.K 2014年8月の鉄旅 首都圏編 その3

今日は午後から、とある資格試験を受けるため、今となっては珍しくもなんともない埼京線のE2337000番台の快速川越行に揺られ大宮へ。

 

試験終了10分前に、私の携帯からけたたましい音が…

当然だが、試験は中断し、私は会場からつまみ出された。

 なんと、台風接近に伴う避難勧告が私の地元に出たのだった。500㎞以上離れているので、なったのは私だけ。

 状況が確認できたので、私は監督者に携帯を預け試験は10分の中断ののち再開された。

…大汗かいたワ…。

 

 試験終了後、大宮から横浜に移動。横浜駅近くの店でA氏、R氏と旧友をあたためるためだ。湘南新宿ラインを使えば1本で動けるので、グリーン券を買いたし乗車。これが上野東京ラインでもできると、鴻巣、町田に続いて23区内だと上野界隈が一番よくいくので、これはありがたい。

 足元が悪い中、3人が集結したのだが…。

私は、この首都圏での仕事の合間に、地元関西での講演の仕事が絶妙に入っているため、またも今日、関西に戻るのだが、台風が直撃する模様…。

 てなわけで、姫路までサンライズ瀬戸・出雲に乗るのだが、雲行きが怪しくなってきた。

 ところが、3人が集結したとき、駅の放送でサンライズ瀬戸・出雲の運休が知らされる。

えー、うそやん。

講演の依頼主にすぐさま連絡を取る。相手もそのイベントの開催自体を検討されていたらしく、私が関西に戻れないことで、中止を決断された。

 …というわけで、私自身も関西に戻る理由がなくなった(とんぼ返りでまた首都圏に来て2連泊なので)ので、今日まで泊まっていて、明日からまたお世話になる新宿の宿に事情を話すと、たまたま昨日まで停まっていた部屋で明日からとっているし、今日も行けるということで、結局4連泊。間の横浜市内~姫路~都区内の往復分を払い戻す。

宴会はこのやりとりで30分ほど遅れたものの、楽しい時間だった。結局、22:30散会。湘南新宿ライン最終で新宿に逆戻り。

せっかくできた1日オフだったが、首都圏も強い雨で、ところどころで運転を見合わせているので、あまり乗り鉄できずで、高崎線のお気に入りの銭湯に行ったくらい。

 一夜明け、今日からは午後から学会。山手線で移動後、高田馬場から西武特急NRA小江戸に乗り、本川越へ。

 

特急 小江戸11号 高田馬場 10:33 ⇒ 本川越 11:15

 学会はR氏の出身大学で行われるため、川越に移動。ランチをR氏の下宿先の近くの名店で取るのを目当てに、その最寄駅の西武本川越駅を目指す。NRAに乗るのは実は久し振りだったこともあり、乗ってみた。

 7両編成なのは昔も変わらず。急行はけっこうチマチマ停まるが、これに乗ると、所沢までに東村山しか停まらないので、落ち着いて乗れるのが一番。それに何より、高田馬場からでも確実に座っていける。

 西武新宿線は、高田馬場を出るといきなりの急カーブで山手線をくぐり、鷺ノ宮まではめったやたらとカーブが続くため、ノロノロ進む。野方までの区間は地下化工事も行われており、以前と感じが全然違う印象を受けた。

 私鉄にしては珍しく、上下同時に待避できる西武新宿線のみでの24線構造の駅が少ないのも西武新宿線の特徴。東伏見と新所沢ぐらい(小平と東村山は分岐駅のため、西武園行と拝島行がそれぞれ共用している)。

 20分ほどで東村山に到着。所沢は池袋線との接続駅で、新宿線の新宿行と池袋線の池袋行が対面で乗り換えられるようになっている。

 本川越の手前、脇田信号場から単線になってJR川越線と東武東上線をくぐって本川越着。急行に乗ると長いが、特急に乗ると速い。

 昼食をとり、川越市駅まで歩き、東武東上線に乗換え学会の会場へ。

学会の初日終了後、川越まで東上線で戻り、川越からJR埼京線直通の通勤快速に乗換え新宿に戻る。

 宿に戻ってから、一息ついて小田急で町田に移動。

 

特急 ホームウェイ3号 新宿 18:30 ⇒ 町田 19:02

 車両はEXE10両編成だが、帰宅客で満席。私自身も急行の混雑を嫌ってこれに乗るのだ。

 今日は、町田のなじみの店で、大学時代の友人、N氏夫妻と久しぶりに会うのだ。

N氏は世界を股にかけて活躍されているので、なかなかお互いのスケジュールが合わず、ようやく実現したのだ。

 夏休みのお盆の時期だからだろうか。平日だが休日のような客層。

代々木上原を過ぎてそろそろと坂を下って地下に潜り、地上に出てきて複々線区間に入ると登戸まで快調に飛ばす。登戸からはまた複線に戻るため、一般電車に突っかかりゆっくり走る。それでも、私が学生だった頃よりははるかに速い。

 19:30から楽しい時間もあっという間に過ぎ、最終の時間。

 

急行新宿行最終 町田 23:58 ⇒ 新宿 0:31

 N氏夫妻と乗り込み、思い出話にふける。N氏夫妻は次の新百合ヶ丘で乗り換えなので、ここで別れる。

 最終急行は新宿まで普通にかかることがないので、33分で新宿まで駆け抜ける。

流石に最終の上りなので、南武線との乗換駅の登戸を過ぎると、かなり空く。

 小田急新宿駅から定宿までの徒歩がかなり遠く感じた。

 

 

学会2日目。

池袋発8:15の急行に乗って会場へ。なんやらかんやらで16時に終了。

ここから、ほとんどの人は池袋方面に向かうが、私はあえて急行小川町行きに乗って小川町へ。ここからが乗り鉄真骨頂。

 

八高線 普通 高崎行 小川町 17:46 ⇒ 倉賀野 18:37

高崎線 通勤快速 上野行 倉賀野 18:40 ⇒ 上野 20:13

 あえて八高線で高崎線に乗りに行く。これで高崎まで行ってしまうと、高崎線の上りが1本遅くなってしまうので、倉賀野で降りる。雨が降っているので薄暗く、あまり景色を楽しめなかった。

 倉賀野からはE2333000番台の通勤快速に乗換え上野を目指す。10両でやってきたが、籠原で付属編成を増結して15両になる。熊谷を出ると、大宮まで鴻巣しか停まらないのでこれがまた大宮を出ると、さいたま新都心を通過するが、浦和からは各駅停車。

 上野では5番線に到着。4番線に急ぐ。桜木町行に乗換え東京駅へ。

 

湘南ライナー9号 小田原行 東京 20:30 ⇒ 小田原 21:41

 東京駅に急いだ理由はコレ。215系で運行されるこの列車に乗るためだ。

215系をビューやまなし以外で狙って乗れる数少ない列車。

 車齢の割に半ば邪魔者扱いされているかわいそうな車両。昼間、もっとうまく運用できないだろうか…と思うのは私だけか?

 グリーン券を事前に購入しているため、5号車の進行方向右側の窓側の席を確保。

ほどなく、となりに辻堂までの女性が座られた。

 やっぱり、乗るんだなぁ…。品川でさらりと席がちゃんと埋まるじゃないの。

品川を出ると次は大船。横浜を減速することなしに通過していくのが何とも爽快。

大船から先は快速として運転されるので、普通車は整理券なしで乗れるようになる。

快速とはいっても、辻堂に停まるため平塚までは各駅停車で、ここから先の通過駅は鴨宮の3駅だけ。平塚を出ると、空席が目立つようになった。

 小田原に無事到着。酒とつまみを購入し新幹線改札口へ。

 

こだま703号 浜松行 小田原21:52 ⇒ 熱海 22:01

在来線の沼津行でも十分間に合うのだが、あえてこの区間でたった10分弱だが

N700系に乗る。

これが大切な儀式で、これによって、この後のサンライズ瀬戸・出雲の特急料金が半額になるのだ。

 偶然、3日前に横浜で飲んだR氏と車内でばったり会う(R氏はフレックスユーザーだから当たり前か…)。時間調整にR氏がつきあってくれることに。というわけで、熱海駅近くで遅めの夕食&飲み直し。

 

サンライズ瀬戸・出雲 熱海 23:23 ⇒ 姫路 5:25

 ここの記事では上りばかり紹介しているが、銀河が廃止されてからというもの、

私はけっこうな頻度でこの下りのサンライズも乗っている。

 大阪は4時半ちょい前に運転停車のみ(30分ほど待てば電車が動き出すので、営業停車にしてほしいところ)なので、姫路まで行って折返してくるのだ。

 ちなみに、この姫路からの折返しに新幹線特急券を同時購入すれば、サンライズは乗継割引で半額になるのだが、この取扱いをしてくれる係員はほとんどいないのが頭痛の種。

これも悪質な不当請求なので、JR本州3社に改善を申し入れているが、口先だけ。

 今回は、熱海までに新幹線を使っているので、姫路からの折返しの特急券は買っていない。

 そもそも、大阪に停車してくれれば、姫路から新幹線で折り返す、という買い方はしないで済むので、そういう意味でも大阪に停めてもらえるとありがたいのだ(銀河や出雲があったころは、こんな買い方をしていない)。

熱海で乗車し、すぐさま指定のソロへ。沼津、富士…と、こまめに約15分毎に停まっていくので、検札が来たのは富士を出てから。富士川を渡るとすぐに日付が変わる。

 日付をこえてからは静岡と浜松に停まる。学会に参加した広域プロジェクトチームの拠点が静岡なので、私は静岡、浜松からこの列車に乗ることも多い。浜松を出ると、あとは米原と大阪に運転停車するのみなので、ひたすら走る。

 目が覚めると、だいたい大阪近辺であることが多い。今日もそうだ。

見える車窓は山崎の工場。見慣れた景色を姫路まで。唯一、優越感に浸れるのは、早朝とはいえ、新快速の停車駅を通過していくことだ。無事、姫路に到着。

 今日は平日ダイヤなので、2本目の新快速米原行で折り返す。1本目の新快速は大阪行で芦屋で2本前の快速に乗り換えられるのだが、この快速と高槻着では5分しか変わらない。乗換えるほうが面倒くさいからだ。

 

3404M 新快速 米原行 姫路 5:57 ⇒ 高槻 7:17

 車両は2238両。共通運用されているため、223系が来るか225系が来るかは時の運。京阪神地区でラッシュのピークをはずれる新快速は8両編成が多い。

ラッシュのピークは新快速、快速とも130/h運転するので、223系または225系が充当され、一部快速が10両編成なのを除いて、すべて12両編成で統一されているのだ。

そこで、ピークをはずれる新快速・快速は最少の車両数でやりくりする上、新快速の末端区間は4両編成で運用されるため、新快速は8両編成でしのぎ、この時間の快速に221系を集中的に運用しているのだ。この列車がその典型。

 私は、先頭車の進行方向右側の窓側、ドア間5列あるちょうど真ん中の座席を確保。

それでも、早朝のラッシュということもあり、姫路でさらっと席が埋まってしまう。

 明石を出るころには、お盆で普段よりは少ないとはいえ、8両だとやや輸送力が不足気味。

三ノ宮で若干入れ替わりはあるが、通路まで人がびっしり。芦屋でさらに増え、尼崎で東西線に乗換える客の入れ替わりが多少あるが、大きく減るのはやはり大阪。

 大阪ではかなりの客が入れ替わり、またさらっと席が埋まり立客がちらほら。新大阪で新幹線に乗り換える客が降り、ちょっと乗る。

 私は高槻で降りたのだが、この時間帯は高槻は下車より乗車が多いので、降りるのはややつらい(しかし、ムーンライトながらの流れで来る下りの新快速よりははるかに楽)。

 長い長い旅路も、いったん終了。

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