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2014年5月の記事

2014年5月28日 (水)

サイキョージ氏 JR北海道 悠遊旅倶楽部の旅 その3

5/18(日) 厚岸→根室→納沙布岬→根室→釧路→南千歳→新千歳空港→関空
 

厚岸6:47発「快速はなさき」に乗車。
厚岸からは湿原の中を走る。駅間は人家すら見えない。
線形が良いので快速は原野の中を80km/h のスピードで飛ばしていく。
日本とは思えないような車窓がずっと続く。

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茶内で交換がありしばらくして厚床に到着。
昔ここから標津線(1989年廃止)が分岐し別海、中標津方面に鉄路が延びていた。
こんな所に鉄道を引いてもいったい誰が乗るんだろうと思える標津線でも道路が今ほど整備されていない時代はこの鉄路が人、モノを運ぶ生活に欠かせない役割を負っていたのだ。
 
次の停車駅である落石にかけて鉄路は海岸段丘の上を走る。
太平洋が車窓全面に入ってくる。
この日は晴れていたので海の青さが目にまぶしい。

8:20根室到着。
鉄路はここでおしまい。
ここからさらに路線バスに乗って日本最東端の納沙布岬を目指す。

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根室駅前8:30発根室交通バス納沙布岬行きに乗車する。
バスは太平洋岸を走り根室半島の最東端を目指す。

根室の道路標識は英語、ロシア語が併記されている。
ここはロシアとの関係が深い国境の町であることを思い知らされる。

納沙布岬に行くまでに旧○○小学校前というバス停が2つほどあった。
少子化で小学校が次々に廃校になったそうだ。

立派な校舎だけが残されていた。

 駅前から1時間ほどで納沙布岬に到着する。
晴れていても風が強く体感温度は真冬並みだ。

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目の前に北方領土、歯舞諸島の水晶島が見える。
直線距離にして7kmほどである。
300mmの望遠レンズを使い水晶島にあるロシアの監視小屋の写真が撮れた。

雪をかぶった国後島の山々もはっきりと見える。
納沙布岬の「北方館・望郷の家」では北方領土に関する資料が展示してあり、
北方領土の歴史が学習できた。
北方領土は理屈抜きで北海道に「近い」。
日本固有の領土がロシアによって不法占拠されているという思いを強くした。

 岬から根室まで同じコースを引き返し、根室発11:12「快速はなさき」に乗る。

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駅の売店で駅弁を買おうとしたのだが季節販売のようで弁当がない。
しかたなく駅前のスーパーで普通の弁当とビールを買い込んだ。
「花咲ガニ弁当」か「ウニ弁当」なるものが食べたかったぜ。

「快速はなさき」は釧路に13:22定時到着。
旅の最後は釧路発13:33「スーパーおおぞら8号」に乗って一路、新千歳空港をめざす。

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この気動車はFURICO283 のロゴが書いてある。

JR北海道の新型気動車である。
釧路からの根室本線は貨物列車も走るので保線はよい。

石勝線の火災事故のあと最高時速を110km/h に落として北の大地を駆け抜ける。

帯広を過ぎ、新得から山登りを始めて狩勝峠を越えて石勝線へと入る。

あまりに心地よくて眠ってしまい気づけば追分であった。
南千歳17:11着、同じホームで快速エアポートに待ち時間なしで乗換でき新千歳空港17:16着。
おみやげを買い込み18:10発のPeach MN108 で無事関空に20:20到着した。
 

最後に、今回の旅ほど定時運行どおりに進んだ旅はなかった。

単線区間が多く、荒れた天気、シカにも邪魔された。

にもかかわらず予定した時刻表通りの旅をさせてくれたJR北海道さんにエールを送りたいと思う。

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2014年5月27日 (火)

サイキョージ氏 JR北海道悠遊旅倶楽部の旅 その2

5/17(土) 美唄→旭川→網走→釧路→厚岸
美唄発8:01のオホーツク1号に乗って石北本線を乗り潰す。
車両はキハ183系のくたびれた車両だ。

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この列車は旭川までスーパーカムイの代走をしているのでけっこう飛ばす。老体に鞭打ち、エンジン音がうなりをあげている。
新型気動車に交代する時期がとっくにきているのに、この調子で酷使されると車両故障が頻発するのはあたりまえだ。
財政的に新車を導入する余裕がないので、このような車両を使い続けなければならないのがJR北海道の苦しいところだ。
JR東海さんは武豊線電化で余る気動車を北海道に無償提供してもバチはあたらんだろう。

車内は旭川で一部の乗客が入れ替わるものの、ほぼ満席であった。
上川を過ぎると石北峠越えである。
昨日の冷え込みで峠の手前からは雪が積もっている。
シカとクマしかいない山中をキハ183はひたすら登っていく。
頂上の石北トンネルを抜けるとあとは下り坂になる。
1日1本しか止まらない白滝シリーズの駅を抜けると遠軽に到着。
ここでけっこう降りる人があり、車内には空席が出始める。
遠軽でスイッチバックしたあと今度は常紋越えの峠にさしかかる。
峠の常紋トンネルを抜けるとほどなく北見に到着した。
北見で半分以上の人が降り、車内は空席が目立ち始めた。
美幌、女満別を過ぎて網走到着12:46定時到着、石北本線234km完乗。

網走で地元の回転寿司店に入り昼食をとる。地元の食材ばかり注文した。
やはり旨い、けれども高くついた。昼からは釧網本線を乗り潰す。

釧網本線は特急が走らない。また釧路まで乗り通せる列車の本数が1日5本程度しかないので乗り潰しにはやっかいな路線である。

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網走発14:27の「足湯めぐり号」釧路行きに乗る。
この列車はキハ54の単行である。網走を過ぎるとまもなくオホーツク海を左手に見て進む。
風雨が激しくなり波しぶきが車両に降りかかるほど海の近くを走る。
釧網線は無人駅を民間に貸し出して駅舎を喫茶店やレストランにしている。
北浜、止別、川湯温泉、摩周も駅がしゃれた店になっている。天竜浜名湖鉄道のようだ。
無人駅にしたままだと荒れ放題になるのでこのような駅活用法はいいアイデアだと思われる。

「足湯めぐり号」は緑で11分停車。ここで列車交換だけでなく運転士まで交換した。緑から峠越えになり山登りを始める。
周りは雪景色で人家や道路すら見えない山中を分け入って行く。峠を越えると川湯温泉に到着。川湯温泉で14分停車。
駅に足湯があるのだが足湯にはいるには少し時間が足らないので駅ナカの店でプリンを買って食べた。

次の摩周で36分停車。
この駅でも足湯があるので「足湯めぐり」をした。
足湯はあずまやになっているのだが、この日は横から雨が降り込んで寒い。
それに湯温が低すぎて身体が暖まらない。
足湯の管理者には、「たまに湯の温度をみといてよ」といいたい。

「足湯めぐり号」の乗客で足湯に浸かったのは私ぐらいだった。

標茶を過ぎる頃から線路は広大な釧路湿原の中を横切っていく。
塘路あたりではシカが群れをなして線路を横切る。
運転士さんは警笛を鳴らしながらシカを轢かないようにスピードを落としている。

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このような環境のなかでも18:46釧路定時到着。釧網本線166.2km完乗。
釧路で泊まってもよかったのだが、明日朝イチの根室行き「快速はなさき」が釧路発5:55なので、朝の睡眠時間を少しでも多く確保するために厚岸まで行くことにした。

 釧路発18:55の根室行きの気動車に乗る。
土曜日だが高校生で2両編成の気動車は満員である。

19:43に厚岸到着。ここでほとんどの乗客が下車した。

宿泊したのは駅近の旅館。
到着時刻が20時ごろになったが夕食が準備されていた。

朝も始発の根室行き「快速はなさき」の出発時刻に間に合うように朝6時から朝食を用意していただいた。感謝。

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2014年5月26日 (月)

サイキョージ氏 JR北海道悠遊旅倶楽部の旅 その1

 1980年代になると旧国鉄は民営化を見据え、次々と不採算路線を切り捨てていった。
民営化後、広大な北海道を営業エリアとする鉄道会社はJR北海道となったものの北海道内で廃止された路線の総延長は1500kmにもおよびJR6社の中で最長であった。
残された路線は現在で2500kmあまり、主要な幹線のみとなった。

廃止された路線が多いということは整理された余剰人員も多かったということである。
JR北海道は人員整理という負の遺産を背負いながら民営化され現在に至っているのである。
昨今の運行トラブルの遠因はつまるところ財政難と人材不足によって保安対策に十分な金をかけられなかったことにある。
自己資金でリニア新幹線を作るどこかの鉄道会社と比べると同じJRでも気の毒な感じがする。

 5/16(金) 伊丹空港→稚内空港→稚内→旭川→美唄
今回は道北・道東を旅した。長大な盲腸線である宗谷本線を潰すには空路で稚内まで入るのが最も効率がよい。
と、いうことで少しぜいたくではあるが伊丹空港から羽田経由で飛行機を乗り継ぎ、稚内空港まで飛んだ。
さすがに2便乗り継ぐと早割りでも30,000円ほどかかる。

ana571便は定刻12:20に稚内空港に着いた。
気温4℃、真冬の寒さである。市内行きの連絡バスへ乗り込むまでに寒さが身にしみた。

この先思いやられるわい。

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風雨の中30分でJR稚内駅に到着。
ここで悠遊旅倶楽部の入会手続きを済ませ会員パスを購入。
この会員パスは購入当日から使えないのが難点であるが3日間有効で10,800円、道内の特急がノリホのキップである。
指定席も4回までとれる。大人の休日倶楽部会員パスの有効期間と日がダブらないように有効期間を決めている。今回は5/8~5/20である。
会員になるといつでも200Km以上であれば運賃・特急料金が3割引きというのも太っ腹だ。
私も本日の宿泊予定地である美唄までの運賃が3割引きになった。
また明日、あさっての特急の指定も押さえることができた。

本来なら稚内から乗るべき特急サロベツが運用できないので、そのスジに13:42発の臨時快速旭川行きが運用されている。

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臨時快速9462Dはキハ40の2両編成。
そのうちの1両はなんとお座敷に改造された車両だ。

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ふとんこそないが掘り炬燵のなかに足が入れられるようになっている。背もたれと座布団が用意され思ったより快適である。
特急代替の償いみたいな感じで配車したのだろう。

臨時快速は定時に発車。
途中、抜海付近で臨める利尻富士は見えずに残念だった。
このあとサロベツ原野の中をひた走る。
幌延を過ぎると鉄路は手塩川沿いに走り、くねくね曲がりながら音威子府到着。
ここで名物の黒そばを食べたいのだが1分しか停車しない。
指をくわえてそば屋の看板を見るしかなかった。
以前、木次線「奥出雲おろち号」に乗った時、
亀嵩駅のそば屋は電話をかけておくとホームまでデリバリーしてくれたのであるがこのようなサービスを音威子府駅でもしてほしいものだ。
次に来られるのはいつのことか。
一期一会の精神を大事にしてほしいものである。

このあと臨時快速は美深、名寄に停車。
名寄駅は昔、名寄本線、深名線が分かれる交通の要衝であった駅だ。
今は宗谷本線の途中駅のひとつにすぎない。
名寄を過ぎると車窓には人家も切れ目なく見えだし、士別に到着。
次の和寒を過ぎるといよいよ塩狩峠越えだ。
塩狩峠の線路沿いには桜がたくさん植えてあり「千本桜」といわれる。
桜の花はまだ残っていた。
峠を越えると旭川まであと少しだ。

臨時快速の停車駅は特急と同じであるが旭川までの所要時間は30分ほど余計にかかって17:52定時到着。

宗谷本線259.4Km完乗。

旭川駅の同じホームには17:55発スーパーカムイ40号が停車しておりうまく乗り継ぐことができた。美唄到着18:45、
今日はここで宿泊する。

美唄には大阪から移り住んだ友人がいる。
15年ぶりに旧交を温め、彼が案内してくれた焼き鳥屋で美唄名物の焼き鳥に舌鼓を打った。
美唄の焼き鳥は塩コショウで食べる。あっさりした味付けだ。
モツ焼きと呼ばれるいろんな部位を刺したものが美味だった。
ささみの刺身も淡白な味でけっこういけた。

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2014年5月20日 (火)

大阪市営地下鉄 御堂筋線用 21系リニューアル車をUP

新20系は1990~98年に製造されました。

新20系から車番が5桁となり、万の位の「2」は20系を、
千の位は投入線区の路線番号を表しています。

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というわけで新旧ともVVVFインバータ(GTO)電車でしたが、
新20系も製造後20年となり、更新の対象となりました。
千日前線の25系に遅れること3年、
御堂筋線にも、IGBTインバータ制御の
リニューアル車が登場しました。

鉄道車両写真集
大阪市営地下鉄 御堂筋線用 21系リニューアル車

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2014年5月19日 (月)

珍車ギャラリー 京福電気鉄道 モハ251形 をUP

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モハ251形の車体は日車の標準車体と呼ばれているもので、
日車が地方私鉄向けに製造した車体です。
年配のローカル私鉄マニアなら、
ぱっと見ただけで、それとわかるのではないでしょうか。


さて京福のモハ251形ですが、標準仕様とは寸法が異なります。
車体長が短くなっているのです。
低規格路線であった永平寺線はカーブがきつく、
車体長15.7m、車体重量28tのモハ251形は
永平寺線に おあつらえ向きの小型車でした。

福井-永平寺間を直通運転する特急に使用するため
転換式クロスシートとなっている点も見逃せません

モハ251形は、まさに永平寺線用に作られたようなものです。

でも、
そのことが悲劇を生む原因ともなったような気がするのです。

珍車ギャラリー
京福電気鉄道 モハ251形

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2014年5月12日 (月)

大阪市営地下鉄 10系01F 先行量産車

10系は試作車両として、2001-2301-2401-2501の20系(初代)4両が1973年に製造されました。

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谷町線での急行運転を想定していま したが、
電機子チョッパ制御は抵抗器による放熱がないことから、
トンネル内の温度上昇が深刻な問題となりつつあった
御堂筋線に投入されることになりまし た。

輸送力の大きい御堂筋線用に中間車4両を新造し8連へ再編、
10系へ改番、1976年から運用を開始しました。

当初冷房機は搭載されていませんでしたが、
量産車に合わせ1979年に冷房化されています。

1987年に1900形を新造し9連になりましたが、
1995年からの10連化に際しては、初期の10系3編成分をばらし、
23両分1701形を捻出、4 両は廃車となりました。

なおその中に試作車編成の先頭車2両が含まれますが、
中間車であった2301.2401は1705.1707となり、
2013年ま で健在でした。

鉄道車両写真集
大阪市営地下鉄 10系01F 先行量産車

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2014年5月11日 (日)

大阪市営地下鉄 10A系20F をUP

10A系は、10系後期車となる17~26Fを2006年からリニューアル
する際、制御器をVVVFに換装したグループです。

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18,23,25Fには東芝製のIGBTインバータ、
他は三菱製のものが使われています。

工事はアルナ車両で行われました。

2011年にはリニューアルが完了。
10編成100両が在籍しています。

鉄道車両写真集
大阪市営地下鉄 10A系20F 御堂筋線用

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2014年5月10日 (土)

大阪市営地下鉄 10系リニューアル車(110周年記念「復刻ラッピング列車」)をUP

10系リニューアル車は、
1979年に大阪市営地下鉄初の冷房車としてデビューした量産車
を対象に1987年に1998年から05~16Fがリニューアルされました。

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初期車を中心に廃車も進められていますが、
2006年からは17~26Fの制御器をVVVFに換装した
リニューアル車10A系も登場しています。

これらは別タイトルでUPしています。

14Fは 大阪市交通局110周年記念「復刻ラッピング列車」
となっています。こちらも併せてご覧ください。

鉄道車両写真集
大阪市営地下鉄 10系リニューアル車

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2014年5月 8日 (木)

東京急行電鉄 5050系 4000番台 をUP

東急5000系は8000系・8500系などを置き換えるため
2002年から導入されました。
JR東日本のE231系と車体部材の共通化を行うことによって
コストダウンが図られています。
5000系は東急における標準車両と位置付けられ、
2002年田園都市線に導入された5000系(10連一部8連)、
2003年目黒線用の5080系(6連)、
2004年東横線用となる5050系に(8連)分別されます。

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さて東横線は2013年副都心線への乗り入れるようになり、
5050系の10連が登場することになります。
これと8連と区別をするために新たに4000番台が付与されました。
ですから、落成当初より
東京メトロ副都心線・有楽町線・東武東上線・西武池袋線への
直通運転に対応しています。

鉄道車両写真集
東京急行電鉄 5050系 4000番台

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2014年5月 7日 (水)

近畿日本鉄道 三菱製VVVF車 1430系 をUP

1430系は 1990年7月に登場したVVVFインバータ制御車です。

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1200番台が日立製なのに対し
1400番台は三菱製のインバータ装置を採用していますが、
1430系はこれを標準軌全線共通仕様に変更した車両となります。

ただし現状では奈良線系統には配置されていません。
1230系と同様に
1435系、1436系、1437系、1440系と細かく分類されます。

鉄道車両写真集
近畿日本鉄道 三菱製VVVF車 1430系

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2014年5月 6日 (火)

Dr'Kの 北大阪急行9000系に乗ってきました。

Dr'Kの 北大阪急行9000系に乗ってきました。

先日出張の際、ラッキーなことに、
営業運転しはじめたばかりの北急9000系に乗ることができました。

4月某日 13時から職場のネットワークシステムの説明会が、
大阪市内にある会社の研修施設で行われました。

その帰り、あびこ駅のホームで電車を待っていると
見慣れない顔が…。

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やってきたのは9000系。 特徴としては、
・車内が明るい。
・6人掛けロングシートに間に手すりを設けて、
  3人ずつ2区画に分けている。
・妻席は今まで通り3人がけ。
・ドアの上に4か国語表記の案内ディスプレイ。
・ちょっと残念なのは、南海に続く「走ルンです」関西版であること。

というわけで、会社の研修施設の最寄り駅のあびこから、
梅田まで乗車しました。

あびこ時点では、人がポツポツ、という感じの車内も
全国でも屈指の混雑の御堂筋線だけに、
夕方の通勤ラッシュの時間とあって 天王寺を過ぎると
急に混雑率が上昇。
天王寺からは2分30秒間隔になるのもうなずける。
なんばまでに徐々に混んできて、
大国町では立っている人が隣と軽く触れるぐらいの混雑。
なんばでは降りる客の倍以上のってくる。
ここから梅田までの4.1kmが最大の混雑。
大阪市交では新20系以降の車両で統一された路線もある中、
今だ10系が幅を利かせている御堂筋線。

北急の8000系もよくできた車両だが、9000系が登場した。
8000系初代ポールスターは、デザインが洗練されていて
秀逸な車両だと思うので もう世代交代かと思うと、
何か惜しいし、その次の「ポールスターⅡ9000系」は
いかにも作り物という感じで、顔がいかつく、
実態は「走ルンです」なので、正直、北急のらしさというか、
アイデンティティがなくて少し寂しい感じがする。

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2014年5月 5日 (月)

近畿日本鉄道 2013系「つどい」をUP

2000系は1978年に登場した名古屋線用の車両です。
2013年5月27日、近鉄は
この2000系を2013系観光列車「つどい」としてリニューア ル。

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2013年10月より運行を開始しました。
この車両が選ばれたのは、
まだワンマン改造されていなかったことと、
トイレ設備を有していたことからです。

それにしても 2013年は伊勢神宮遷宮の年。
同じ数字を持つことに
因縁浅からぬものを感じるのは私だけでしょうか。

鉄道車両写真集
近畿日本鉄道 イベント列車 2013系「つどい」

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2014年5月 4日 (日)

JR西日本 新地域色 103系 123系 をUP

片町線から 転属してきた広島運転所の103系D編成(D1~3)は、
1993年に4連で広島入りしました。

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その後、サハ102を引き抜かれ3連となったD編成ですが、
2002年にワンマン改造され、2007年にはトイレも新設されました。

またJR西日本では、2010年度から、
主に旧国鉄時代に作られた鋼鉄製の約1400両を対象に、
地域ごとに単色の「ご当地カラー」に統一することとなりました。
この広島地区の103系も瀬戸内色から中国地域色(黄色)に変更されました。

ここでは併せて123系もご覧いただけます。

鉄道車両写真集
JR西日本 新地域色 103系 123系

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2014年5月 2日 (金)

珍車ギャラリー 近江鉄道 701系 あかね号をUP

700系は、近江鉄道創立100周年を記念して作られました。
近江鉄道では、唯一無二の転換式クロスシート車となります。

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      座席だけではありません。
      JR北海道のアルファコンチネンタルなど、
イベント列車を彷彿させるそのスマートなスタイリングは
ローカル私鉄のクイーンと申し上げるべき存在です。

「いや、それはちょっと持ち上げすぎでは--」
とお思いの方もいらっしゃるでしょう。

そんなお方にこそ、お読みいただきたい。
今回の珍車ギャラリーです。

珍車ギャラリー
近江鉄道 701系 あかね号 

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2014年5月 1日 (木)

南海電気鉄道 赤いラピート50000系02F ネオジオンバージョンをUP

南海電気鉄道では、空港線開業・ラピート運行開始20周年と、
映画「機動戦士ガンダムUC episode 7 「虹の彼方に」」の
公開にあわせ、これらをタイアップ。

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ラピート50000系50002Fを
「赤い彗星の再来 特急ラピート ネオ・ジオンバージョン」として
ラッピングしました。
これを4月26日~6月30日の期間限定で運行します。

それにしても実に似合っていますね。

撮影したのは4月29日の祝日です。

写真には写っていませんが、たくさんの家族連れが、
一目見ようと訪れていました。
子供たちの歓声もひときわ大きかったです。

是非とも長く走らせてほしいものです。

鉄道車両写真集
南海電気鉄道 赤いラピート50000系02F

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