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2013年10月の記事

2013年10月31日 (木)

JR九州 787系 特急「有明」

かねてから「有明」にも使用されていた787系でしたが、
1999年3月改正で「有明」用編成(4連 2M2T)が登場しました。

Jrq_787_bm105_01_tsc786_5

クハ787形6両とクロハ787形6両を追加製造し、
「つばめ」編成から捻出した中間車と組み合わせています。

また2000年 には「つばめ」の短編成化により余剰となっていた
サハ787形100番台を先頭車改造したクハ787形100番台
も登場しています。

なおBm編成のBとは 787系、mは南福岡電車区配属である
ことを表します。

鉄道車両写真集
            JR九州 787系 特急「有明」
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JR九州 787系 特急「有明」

かねてから「有明」にも使用されていた787系でしたが、
99年3月の改正では「有明」用編成(4連 2M2T)が登場しました。

Jrq_787_bm105_01_tsc786_5

クハ787形6両とクロハ787形6両を追加製造し、
「つばめ」編成から捻出した中間車と組み合わせています。
また2000年 には「つばめ」の短編成化により
余剰となっていたサハ787形100番台を先頭車改造した
クハ787形100番台も加わりました。

2003年には「つばめ」用6連が「有明」用に転用されています。
これら「有明」編成には、
新たにARIAKEのロゴが配されています。

なおBm編成のBとは787系、
mは南福岡電車区配属であることを表します。

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JR九州 787系 有明
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2013年10月30日 (水)

JR九州 787系 つばめ

1992年7月。鹿児島本線の特急「有明」のうち、
西鹿児島駅発着の列車について、愛称を「つばめ」に変更する
とともに投入されたのが787系です。

Jrq_787_bk10_06_tc786_10

9連×5本、7連×1本の計52両が鹿児島区に配置されました。
(この9連用T編成もUPしました。)
以後、2002年までに140両(日立/近車)が製造されています。

ドーンデザインによる斬新な車体と落ち着いた車内の雰囲気に加え、
「つばめレディ」による接客や、ビュフェでの軽食の提供など、
長距離列車にふさわしい サービスを誇るフラッグシップでした。

一方、車体は普通鋼製で、制御装置もインバータ制御ではなく、
サイリスタ位相制御となっており、メカは保守的で す。

2004年の九州新幹線部分開業に伴い
「リレーつばめ」へ転用され、
2011年3月の 九州新幹線の全線開業以後は、
「(INTERCITY) AROUND THE KYUSHU」として
九州全域に活躍の場を拡げています。

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JR九州 787系 つばめ
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2013年10月28日 (月)

JR四国 7000系をUP

JR四国7000系は1990年の予讃線伊予北条~伊予市間の
電化開業にあわせて開発された単行・ワンマン対応の電車です。

Jrs_7013

両運転台のMc:7000形と片運転台のTc:7100形とがあり、
これらを組み合わせることでフレキシブルな運用が組まれています。

車体は軽量ステンレス、ドアは片側3箇所で、
中央は両開きですが、両端は片開きとなっています。
これはワンマン運転を意識してのことです。
(なおワンマン運転時、無人駅では中央扉は締切扱い)

室内は、中央扉を境に
ボックスシートとロングシートの千鳥配置となっています。
これらは先に登場した1000形気動車の構造と同じです。
ただ1000形の一部にはトイレが追加設置されましたが、
7000系には今もトイレがありません。

足回りはJR四国で初めてとなる
VVVFインバータ制御(1C4M)を採用しました。

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2013年10月27日 (日)

JR東海 キハ75系 急行かすが 快速みえ

キハ75系は1993年に快速「みえ」用として登場しました。

Dc75_206

特急用のキハ85系と同じく最高運転速度は120km/hで、
エンジンもカミンズ製C-DMF14HZB (350ps×2)を装備します。
ブレーキも電気指令式で、機関ブレーキとコンバータブレーキ
も装備しています。
台車はC-DT60(ボルスタレス、ヨーダンパ付き)です。
足回りも見事ですね。

なお連結器は、キハ85系と違って
電気連結器付き密着連結器を採用しました。

0番台+,100番台となる2連の固定ユニットで、
トイレ付きは+100番台になっています。

1999年。急行「かすが」を置き換えるため、
また快速「みえ」の増発用として追加したのが200.300番台です。
前照灯が追加され、流体封入エンジ ンマウント装着による
騒音軽減対策が講じられています。

同年 武豊線普通列車用にワンマン対応車である400.500番台
も登場しています。

なお2006年3月に急行「かすが」は廃止されました。

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JR東海 キハ75系 急行かすが 快速みえ
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2013年10月25日 (金)

JR東日本 相模線の キハ30系

八高線とともに首都圏では数少ない非電化路線だった相模線。
当線は電化される1991年3月まで
キハ30系が配置されていました。

Jre_dc_30_506

ここでは国鉄末期(1986年~)に相模線色に塗装変更された
姿をご覧いただきます。

撮影は90年5月。海老名で撮影したものが中心です。

88年のJR気動車客車情報によると、
キハ30形は17両(うち500番台は2両)
キハ35形は23両(うち500番台が4両、900番台は1両)
が茅ヶ崎運転区に在籍していました。

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JR東日本 相模線のキハ30系
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2013年10月24日 (木)

JR九州 787系リレーつばめ 

JR九州は、2004年の九州新幹線部分開業に伴い
787系「つばめ」編成を「リレーつばめ」に転用することにしました。

Jrq_787_bm04_0

塗色変更などのリニューアルにあわせ、
ビュフェ車サハシ787形は普通車へ改造、
サハ787形100番台の増結などを経て7両編成となりました。

2011年3月の 九州新幹線の全線開業に伴い
「リレーつばめ」は廃止。 一部は「有明」として残りましたが、
787系は「きらめき」「かもめ」「にちりん」などへ転用。

車体の「Relay tsubame」「ARIAKE」の表記は
「(INTERCITY) AROUND THE KYUSHU」に改められました。

鉄道車両写真集
JR九州 787系リレーつばめ
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JR九州 787系 AROUND THE KYUSHU
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2013年10月23日 (水)

JR東日本 キハ40 1000番台 烏山線用 をUP

烏山線は、東北本線宝積寺駅から烏山駅を結ぶ
全線20.4kmのローカル線です。

Jre_dc40_1001

路線長が短く、加えて県都、宇都宮に向けて需要が増加する
路線なので 全線通しの旅客は少なく、
短距離での利用が中心です。

このことから、当線で使用する車両は座席数を確保することより
定員数を増やすことが望ましく
クロスシート車よりロングシート車が向いていることになります。
また、トイレもその必要はないということから、
キハ40形 2000番台(2011~17)を1986年~87年にかけて
改造することにしました。
それがキハ40形1000番台です。

JR東日本時代に2両追加され9両を数えますが、
1006のみ秋田に転属しています。
こちらについては珍車ギャラリーで取り上げております。
珍車ギャラリー JR東日本 キハ40-1006

鉄道車両写真集
            JR東日本 キハ40 1000番台 烏山線用
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2013年10月22日 (火)

JR西日本 14系15形_寝台特急「あかつき」をUP

特急「あかつき」は1965年10月。
新大阪-西鹿児島・長崎駅間の寝台特急列車として
20系寝台車でデビューしました。
68年10月には佐世保発着列車も 設定されています。

Jrw_ef66_51_

14系15形となりJR化以後、JR西日本がこれを継承しました。
90年には座席指定席車両となる「レガートシート」を、
92年にはB寝台個室「ソ ロ」を増結しました。
また98年には「出雲2・3号」で使用されていた
1人用A寝台個室「シングルデラックス(DX)」、
2人用B寝台個室「ツイン」・「シングルツイン」
を増 結するなどテコ入れがなされましたが、

2000年3月に佐世保発着列車が廃止され
「彗星」と併結運行されることになりました。
05年10月には「彗星」も 廃止。
これによりJR九州運行の24系25形「なは」との異種併結
が行われるようになりました。、

それもつかの間…。2008年3月に廃止され、
関西と九州を結ぶブルートレインは終焉を迎えることになります。

鉄道車両写真集
JR西日本 14系15形_寝台特急「あかつき」
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2013年10月21日 (月)

福井鉄道 600形/610形 をUP

福井鉄道600形,610形は もと名古屋市交通局
名城線の1100・1200形です。1997~99年に導入されました。

Fukui_610

600形は両運転台の単行用、
610形は2連固定の片運転台車です。

名城線は第3軌条集電(サードレール方式)ですから、
屋上にパンタグラフを新設しました。
車体中央のドアも撤去、また、前面には排障器も取り付け、
かつて地下鉄だったとはとても思えません。
台車/主電動機は豊橋鉄道1900系で使われていた元国鉄の
DT21形/MT46に交換。
冷房装置も 同じく1900系に使われていた
集約分散式冷房機(CU-127)を2機搭載しました。あわせて
ワンマン化改造、自動放送装置の追加などもなされています。
(名鉄住商車輌工業岐阜工場改造)

610形は主にラッシュ時の普通列車に使用されています。
600形は2006年4月に名鉄から導入された低床車両により、
定期運用がなくなり、2012年12月には601が廃車されました。
しかし、602はイベント電車に使用され在籍します。

鉄道車両写真集
福井鉄道 600形/610形(もと名古屋市営地下鉄 1100形1200形)
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2013年10月20日 (日)

富山地方鉄道 軌道線 T100形 サントラム をUP

富山地方鉄道 軌道線 T100形 「SANTRAM(サントラム)」

Toyama_c_t101_a_

2009年にT101が製造されました。
アルナ車両のリトルダンサーUaタイプです。
2008年に豊橋鉄道が導入したT1000形とは
共通仕様の3車体連接車で、
中間車に車輪はなくフローティング車体となっています。

意外なことに2車体連接車の9000形より2mほど
編成長が短く定員も6名減になっています。

今後7000形を置き換えるべく増備される予定です。

鉄道車両写真集
富山地方鉄道 軌道線 T100形 サントラム
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2013年10月19日 (土)

珍車ギャラリー JR東日本 E993系 ACトレイン

E993系は 「ACトレイン」と名付けられました。
ACとは、Advannced Comumuterの意です
先進的な、通勤通学電車と命名されたE993系は
JR東日本が次世代の通勤・近郊型列車をあり方を問うべく、
2002年に開発した試験車両です。

      Jre_ac_train_0006

連接構造や外吊り扉、そしてDDM(直接駆動モータ)など
試験的要素が多く採り入れられました。
      
しかし、2006年9月には解体されてしまうのです。
車両としては4年という短い一生です。

さて、JR東日本は、
E993系に、どのような成果を求めたのでしょうか。

珍車ギャラリー
JR東日本 E993系 ACトレイン
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2013年10月18日 (金)

富山地方鉄道 軌道線 デ9000形 セントラム をUP

富山地方鉄道 軌道線 デ9000形 「CENTRAM(セントラム)」

Toyama_c_9002_4

2009年に3両(9001~03)が製造されました。2車体連接車です。
新潟トランシス製ですが、足回りは外国製で固めています。

ドイツのボンバルディア社の技術を導入したもので、
熊本市9700形や岡山電気軌道9200形(愛称MOMOなどが
兄弟車としてあげられます。
特に 富山ライトレールTLR0600形(ポートラム)とは共通仕様で、
富山駅高架化後の直通運転を意識したものになっています。

鉄道車両写真集
富山地方鉄道 軌道線 デ9000形 セントラム
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2013年10月17日 (木)

富山地方鉄道 軌道線 デ8000形 をUP

富山地方鉄道 軌道線 デ8000形は 1993年に
5両(8001~05)が製造されました。

Toyama_c_8001

全て日車製です。
駆動方式は駆動方式はTD継手による平行カルダン
(1個モータ1軸駆動)VVVFインバータ制御車です。

台車のNS-20形は、円錐積層ゴム式の軸箱支持で、
当時の路面電車用台車としては珍しいものです。

鉄道車両写真集
富山地方鉄道 軌道線 デ8000形
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2013年10月16日 (水)

富山地方鉄道 軌道線 デ7000形 をUP

富山地方鉄道 軌道線 デ7000形

Toyama_c_7008

1957~65年にかけ22両(7001~ 7023、ex04)が製造されました。
全て日車製で、駆動方式は吊掛式、HL方式の抵抗制御車です。
N-102を履いていた初期車(7001~ 7011、ex04)は
~06が1983・84年に、
07~11も1993年に廃車となりました。

このページでは07~23をご覧いただだけます。
冷房化は1984年から89年にかけ施工されています。
2010年には7014が廃車となり、
今後はT100形に置き換えられる予定です。

鉄道車両写真集
富山地方鉄道 軌道線 デ7000形
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2013年10月15日 (火)

JR九州 キハ125形 をUP

JR九州 キハ125形は、新潟鐵工所が地方鉄道向けに提唱した
車両である「NDCシリーズ」の一つです。

Jrq_dc125_5

1993年に25両製造されました。
18m級の普通鋼製車体で、ワンマン運転に対応するため
両端部に片開き扉を配置し、乗務員室ドアは省略されています。

エンジンはDMF13HZ (330ps/2000rpm) を1基搭載します。
ブレーキは、キハ40系など在来車との併結も可能な
自動空気ブレーキが採用されました。

1~9が唐津線と筑肥線用に唐津区に配置。
10~25が豊肥線、久大線、日田彦山線用に大分区に配置
されています。(2011年現在)

93年以後、増備は なくキハ220形が充当されています。

当初、トイレはありませんでしたが、2003年から2005年にかけて
車椅子対応のトイレが設置されました。

なおキハ125形には400番台が在籍しますが、
こちらは高千穂鉄道から移籍した異色の特急車両です。

鉄道車両写真集
JR九州 キハ125形
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2013年10月14日 (月)

Dr'Kの 2013年10月の鉄旅 その4

2013年10月の鉄旅 その4

8時半に起床。
ホテルをチェックアウトし、金沢駅ナカの吉野家で朝食。
9:30発の628M普通小松行に乗って、この出張最後の用務先に向かう。

 松任駅からタクシーで用務先へ。ここでも何度か登場している、私が年2回、夏と冬にお世話になる石川県の研修施設を管理している会社だ。
9月の台風時に登場した愛知県岡崎市の出張先が、私の商売道具のひとつの本体を作ってくれていて、その道具のあるパーツを作ってくれている会社が、実はここなのだ。

 そのパーツは消耗品で、しかも自分に合ったものがないと使い物にならないので、特注で
作ってもらっていて、この道具を使う仕事の時は、必ず予備を持ち歩いている。2日前の仙台のイベントで寿命が来たため、注文しに来たのだ。

 普段は電話とネットで注文しているが、直接頼めば手数料が浮くので、今回はこの鉄旅の行程で立ち寄ったのである。

 注文後、日中は松任駅に停まる上りの特急(TB、しらさぎ)がまったくないので、帰りは
一番近い加賀笠間駅に向かい、11:20発の340M普通福井行で小松に移動。

サンダーバード20号 小松 11:43 → 京都 13:37
小松の緩急接続は、上りについては同一ホームで乗り換えることができる。
JR型配線と呼ばれる2面3線構造の駅が高架になるとき、2面4線に増設されることが多い(例;武蔵小金井、高知など)のだが、となりの粟津は貨物取扱がある関係で構内が広く、古くから上下が同時に待避できる2面4線構造なので、小松は2面3線のまま高架になった。
 温泉から戻ってくる年配の方と、私のようなビジネス移動の方が多い。
この列車は、かつては速達便だったサンダーバード18号と停車駅を振り替えた(18号の
停車駅に加賀温泉、芦原温泉、武生、敦賀を追加し、元々20号がこの4駅にも停車して
いたのを通過扱いにした)和倉温泉からの速達便のため、小松を出ると福井まで停まらず、
その後も京都までに鯖江だけにしか停まらず、所要時間も本来の速達便の所要時間で走る
(下りの和倉速達便は、トワイライトエクスプレスと途中停車駅の多いしらさぎの後追いの
ため、標準便よりも遅い)。
 福井までは乗車率はそう高くない。福井から利用客が増える。とはいっても、本来は1時間に1本でもさばける時間帯なのだが、和倉発と富山発の列車をそれぞれ単独運転するようになり、停車駅をテレコにして速達便2本にしたため、基本的には空いている。
乗車率は50%くらいだ。
鯖江でもわずかの乗車があるが、武生で普通敦賀行を追越すので、18号のほうを鯖江に
停めて武生通過とし、こちらが武生に停まるほうが利便性は高い。
湖西線ではほぼフルスピードで突っ切るため2時間を切ってしまう。
近江今津では2番線で増結作業中の新快速を追越す。まだ残っているとはいえ、湖西線の
113系減ったなぁ。
敦賀行新快速から近江今津で放り出された編成が、再び新快速に併結されてJR京都線に
戻る間合いで、223系や225系が京都まで普通として往復する運用が組まれているため、113系、117系の数はめっきり湖西線からは減ってしまった。何か寂しい。
京都で降りた私は快速に乗り換え、普段よりも1時間ゆっくり出勤した計算で職場に戻った。

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2013年10月13日 (日)

JR東日本 E993系 ACトレイン 試験電車

「ACトレイン(Advannced Comumuter)」と名付けられたE993系は、
JR東日本が次世代の通勤・近郊型電車をあり方を問うべく、
2002年に開発した試験車両です。

Jre_ac_train_0005

連接構造や外吊り扉、そしてDDM(直接駆動モータ)など
多くの試験的要素が採り入れられました。

しかし、2006年9月には解体されてしまうのです。
車両としては4年という短い一生でした。

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JR東日本 E993系 ACトレイン 試験電車
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2013年10月12日 (土)

JR東日本 E3系2000番台 をUP

JR東日本 E3系2000番台L61~72編成

Jre_e3_l64_0

400系の置き換え用として2008年から2010年にかけて
7連×12本=84両が製造されました。

1000番台(L51~53)との大きな違いは最高速度を
275km/hに引き上げたことです。

自由席⑯⑰号車のシートピッチが拡大
(910→ 980mm定員は8名減)されたのもうれしいですね。

外見はヘッドライトの形状が変更されたのでそれとすぐわかります。

鉄道車両写真集
JR東日本 E3系2000番台
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2013年10月 9日 (水)

Dr'Kの 2013年10月の鉄旅 その3

2013年10月の鉄旅 その3 北越6号で火災発生?!

北越6号 長岡 13:56 → 富山 16:02
 長岡から新潟で見送った485系3000番台の北越6号に乗車。
宮内で上越線と別れ、塚山を過ぎてすぐ、トンネルに突っ込んだとたん、列車の速度がみるみる落ちていく。

もわ~ん。車内に煙が…。

用務の電話を切った直後だった私は1号車のデッキにいたのだが、あっという間に煙が充満してしまい、2号車より前は、煙で車内が見えず、息をするのも苦しいような状態になってしまった。
 JR北海道の車両火災のニュースも、利用客の記憶に新しいこともあり、「なに?なに?」「おい、煙出てるぞ」「ゲホゲホ、これやばい」
「うわっ!焦げくさいぞ!!」「火事だ!!」「きゃーっっ!!」
車内が騒然とし、お年を召した方や子供連れのお母さんたち、団体客らの顔が恐怖でみるみる顔が引きつり騒然とする。トンネルを出て煙が充満していることが誰が見てもわかる状況になって、しばらくしても車掌や運転士からの放送もないため、たまらず女性客が非常ボタンを押した。
 「バッシャ―ッ!! プシューッ!! ゴゴゴゴゴ…」
非常ブレーキを作動するとき特有の、圧縮された空気が一気に吹き出る、特にトンネル内では一番聞きたくない音だ。
みんな自分の荷物を抱えていつでも車外へ飛び出せるように身構える。車内がパニックに。
小生は、数人の男性客とともに、煙でえらいことになっている1号車のグリーン席を抜け運転席へ。
「おーい。煙が出て車内に充満してるけど、どーなってんだ、これ? 大丈夫なのか?」
一緒に行った男性客の1人が運転士に尋ねる。
運転士が「前を走るSLの煙だから心配いらない」…とはいうものの、車内は息をするのもきつい状態だぞ…。
 「いや、車内、息(も)できん(できないくらい煙が充満してる)で、これ」
「車掌がもうすぐ放送すると思いますから、落ち着いてください」
 一緒に行った人とともに2号車と3号車の客の状況を伝えたら、パニックは収まったものの、「そんなこと言っても、この状態じゃ、なぁ」…という感じで乗客は顔を見合わせる。
みんなで声を掛け合い、持ち合わせのお茶などでハンカチやウェットティッシュなどを濡らして口に当て、姿勢を低くする。このままいたら、煙にまかれるって。私の左手は煤で真っ黒になっていた。
かくして、焦げ臭いにおいと煙を充満させて、列車は越後広田駅手前で停まった。
私の席は2号車前方なのだが、のどが弱い私は、周りの客数人と一緒にたまらず列車の
うしろへ。4号車のデッキに避難した。
ココには車掌室があるのだが、車掌が現状を確認し、運行には差し支えない…、とか、最悪のタイミングでトンネルに入ったとか、ぶつくさ言ってるけど、どこが運転に差支えないねん。列車そのものは無事でも、その中にいる客倒れても知らんぞ。
さすがに我慢の限界。思わず車掌に怒鳴った。

「3号車はかろうじてここから見えてるけど、2号車から前は息をするのもきついし、1号車のグリーン車が一番(煙が)ひどい。お年寄りや子供もたくさん乗ってるから、電車は動いても、客が倒れるぞ!!」

別の車掌が非常用換気装置をあけに走ってる。いまごろ遅いわ。
列車を走らせることしか考えていない。特定のきっぷにまつわる不当請求といい、
こういうところでもJR東日本が、安全よりもカネが第一、利用客=金づるとしか思っていない何よりの証拠。JR西日本の運行情報履歴には出てるけど、JR東日本には一切出てこない。
こっちが言わなきゃ、車販のおばちゃんからは、しきりに出てくる客の体調を気遣うような言葉すら、車掌から出てこねぇじゃねぇか。
実は、トンネルに入った直後にすれ違った臨時快速「SLなおえつ祭り号」の煤煙が充満したものとあとでわかったのだが、さすがに怖かったわ。カンオケに入ることになったらシャレならんし。

 直江津を過ぎて、JR西日本の女性車掌に交代。さっそくしらさぎ14号、サンダーバード(以下TB)38号の接続問合せあり。糸魚川を過ぎてやってきた車掌に続々と周りの客が声をかける。ところが、このあとの案内がなんとも中途半端。
富山着の時点でTB38号については金沢で接続をとり、しらさぎ14号に接続をとれない案内はあっても、しらさぎ14号への客へのその後の対処については一切案内がない。
この列車に金沢まで乗りっぱなせば、金沢始発で米原までしらさぎ14号のキレイに1時間あとを行く、しらさぎ64号に乗ることはできるのだが、富山で降りてしまうと、富山からはそのさらに1時間あとの名古屋行き最終しらさぎ16号まで直で米原以遠に行く列車はない(注;高山線経由ならば、岐阜・名古屋へは富山発17:10の最終 ひだ20号があり、しらさぎ16号より早く岐阜以遠に着ける)。そういう意味でも、この代替列車の放送による案内は絶対に必要だ。
 話は前後するが、糸魚川駅東側には交直電源切換えのためのデッドセクションがあり、いなほの村上手前同様、非常電源以外の電源がすべて落ちる。
 パッと見キレイになったとはいえ、車両自体は老雄485系なので、かつてきたぐに関連の記事でも何度かここにも書かせてもらったが、国鉄世代の交直両用車はすべて、この地点を通過するとき、しっかり「バチン」という音とともに室内灯が消え、空調がとまる。
そのとき「いやっ!! 今度は停電やわ!! もー、どないなってんの?!」という、関西のおばちゃんらしき声が。一瞬空気が凍りつく。
すかさず車掌の放送があったので事なきを得たが、気の利く車掌ならば糸魚川の一つ前の停車駅(たいてい直江津)発車時の「次は糸魚川~云々」の放送時に「次の糸魚川の手前で、電源切換えのため、一時室内灯が消えますので、(故障ではありません)、あらかじめご了承ください」という趣旨の放送をしてくれる。これがあるだけで全然違う。
 一時パニックになっているだけに、こういう時は「『安全確認』のために遅れている(この『安全確認』がパニックを引き起こしているだけに)」だけでなく、この案内放送が必須だ。
 結局、富山には18分遅れで到着。富山のなじみの寿司屋Kへ。

富山発23:32の金沢行最終580Mで金沢に移動し、東日本大震災前夜、485系雷鳥ラストラン、雷鳥8号に乗車した際にも利用した、金沢の定宿に泊まる。

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2013年10月 8日 (火)

Dr'Kの 2013年 10月の鉄旅 その2

2013年 10月の鉄旅 その2 
E653系1000番台「いなほ」に乗ってきました。

E6531

いなほ8号 秋田 9:10 → 新潟12:57
7時に起床、ホテルの朝食サービスを利用し8時過ぎに秋田駅へ。
予想どおり、三脚を持った馬鹿鉄が構内を走り回っている。

 2番線に秋田ディスティネーションキャンペーンに備えた
SL+高崎の旧客と、3番線には8:27発のリゾートしらかみ
(くまげら)がいるので、容易に想像がつくのだ。

 発車10分ほど前に6番線に入線。
今日は本来自由席の5号車も指定席となり、自由席は前2両のみ。
フレッシュひたちの時と同じ7両編成だ。

 常磐線沿線のロゴが入っていた位置には、
沿線地域のゆるキャラが描かれている。
普通車はフレッシュひたち時代と大きな変化はない。
相変わらず窮屈なシートがズラズラ並ぶ。

 秋田から普通車は1両当たり10人ずつ程度の乗車率で、
ほとんどが「大人の休日倶楽部」らしき方々。

 お試しでグリーン車に乗ってみた。
秋田の時点で小生を含め3名が乗車している。

 グリーン車は普通車の倍のピッチをとり、
乗車区間が長いこともあって1区画分はミニロビーにして
1列ごとにパーティションで仕切ってある。
高級感を出そうとしているのだが、大窓の間に合った
カーテンレールが撤去されていないので、
日本海が美しい車窓を楽しむには、
これが思いっきりジャマになるので台無し。
しかも、普通車が1デッキなのに、種車のまま2デッキなので
他の客が入りたい放題なのがいただけない。
なんか中途半端に改造費用ケチったために、
東武直通用の253系と同じく、
内装が中途半端で残念なことになっている。

E652c_

 個人的にはミニロビーは編成側ではなく、
運転席側のデッキスペース分のスペースと併せて広めにとり、
デッキは編成側1か所にして、それなりの雰囲気に
してもらったほうが、1区画ごとにパーティションで仕切るくらいの高級感が生きる。

 さらに、細かいことを言えば、組替をして乗務員室、
車販室があるサハはグリーン車の隣に持ってきたほうがいい。

日本海の車窓を味わいたい人は、
グリーン車は2名側、A席をとるべし。

 485系で乗りなれた羽越線の車窓をたのしみながら、
昨日までの原稿を打つ。

 小砂川~遊佐間は羽越線の撮影名所が続くため、
山側には列車を狙うカメラの放列が続く。

晴れていると上りは逆光になる場所が多いので、
撮影する側からすると今日ぐらいの曇りがベストだ。

遊佐を過ぎてやってきた車販嬢に、
駅弁は何を持っているか尋ねる。
村上の牛しぐれ弁当を車販で当てにして、
積むかどうか訊いてみたが、秋田美人の車販嬢曰く、
「村上では積まないんですよ~。帰りに積むんですよね~。
申し訳ないです~」
とのこと。あえなく撃沈。
鉄旅の時の一つの楽しみがご当地の名物駅弁。
(特に、今回のようにカネと時間度外視なときはなおさら)

 酒田では485系いなほ1号と交換のため約5分停車。
秋田からずっと3名だった1号車グリーン車も、
ココから7名乗車し、乗車率が50%をこえる。

 鶴岡で初めてグリーン車から下車客が出る。
あつみ温泉あたりで局長氏に実況メール。
村上手前のデッドセクションでは、
485系では電源切換の際に「バチン」という音とともに室内灯
などを含めて非常電源以外は落ちるのだが、
E653系では室内灯が消えない。

 この区間でこのアクションは新鮮。
(トワイライトなどの客車の寝台特急では全く電源が落ちないため) 

村上から乗ってきた夫婦が、乗る前に車両をとるとき
こちらにカメラを向けて撮影する。
これはまだいいとして、今度は車内でストロボをたいて撮影。
しかも女性が男性を写す際、カメラをこちらに向けていたので、
さすがにこれは注意した
(至近距離からのストロボは目つぶし以外のなにものでもない)。

 男性が「あんたをとっているんじゃない。」とからんできたが、
肖像権のことなら、あなたを撮ろうとしているかどうかではなく、
その写真に私が写っているかどうかの問題ですよ。ご主人。

こういうマナーのかけらもない、ジパングやフルムーン、
大人の休日倶楽部の客層はホント迷惑だ。

 新潟を目前にして、豊栄駅でいなほ5号とすれ違う。
新潟駅3番線に定時に到着。
1番線に停車している、この後、新幹線で先回りして
長岡から乗車する北越6号を見送って、新幹線乗換口に向かう。

この先、北越6号でとんでもない事態に巻き込まれようとは、
知る由もない。

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2013年10月 7日 (月)

Dr'Kの 2013年 10月の鉄旅 その1 

2013年 10月の鉄旅 その1 新幹線によるプロローグ×3

のぞみ64号 京都 21:34 → 東京 23:45
今日は仕事を早めに切り上げ、京都駅へ。
目的地は仙台である。しかし、
仙台での前泊は時間的に不可能なので、東京で一泊。
奮発して新装開店した東京ステーションホテルに泊まるため、
久し振りに乗ったこのスジ。
金曜日の東京行最終ということもあり、
一杯加減の出張ビジネスマン風の客が目立つ。

 最速2時間11分で東京へ。
日中、大阪で研修を1本こなしてから職場に戻って
ひと仕事をしてからの出張なので、
米原手前でやってきた車販嬢からチューハイとつまみを購入し
まずは、一杯。
 酒の力を借りて爆睡。
東京駅で降りてそのまま速攻でチェックインし入浴し撃沈。

はやぶさ3号 東京 6:56 → 仙台8:33
翌朝、はやぶさ3号で仙台へ。
普段、夜の仕事をしていると、
今日のように、たまに朝が早いのは非常にツラい

仙台に9時までに到着するには、これに乗らなければならない。
というわけで、
おなじみのサンライズではわずかの差で間に合わない
(サンライズの東京着は7:08)。

 朝早いし、これから仕事なので、アルコール!、
といかないのが残念だが、普通車が満席だったこともあり、
優雅にグランクラスでリンゴジュースと洋軽食で朝食。

 那須塩原でやまびこ203号、福島でやまびこ201号と、
途中2本のやまびこを追越す。

仙台に到着。無事に8:55に会場入り。

2年前の「グランクラスに乗ってきました~スーパー踊り子」
でご一緒したM氏らとともに、
東日本大震災関連のチャリティイベントに招かれ、参加するためだ。

スーパーこまち17号 仙台17:42 → 秋田 19:57
 17時に会場撤収。仙台駅へ。
牛タンカレー弁当を購入しスーパーこまちに乗り込む。
300㎞/h運転のため、盛岡まではこまちよりも2分速い、42分。
たかが2分、されど2分。

 E3系にも、そろそろ乗っておいたほうがいいのだろうか?
仙台で大量下車。われわれ、乗車客のほうが少ないので、
仙台で乗車率が下がるのはいつもの様子。
盛岡で年配の女性の団体がわさわさ乗ってきて
一気ににぎやかになる。ここからは、
全席指定のため、特定特急券で乗る客は空き席に座る。

1番A席(進行方向最後方の窓側)を確保して正解。
これなら方向転換する大曲で他の客に気兼ねなく、
座席を回転できる。
(大曲~秋田間では、通常、座席はそのまま
逆向きにしている)。
田沢湖線に入ると、スーパーこまちとはいえ、
こまちと同じ速度での運転になる。

小岩井でスーパーこまち16号を待たせて先に通過。
田沢湖でE6系のこまち48号と交換。大曲で方転し、
下り列車は在来線との3線軌間に転じ、
スーパーこまち20号をやり過ごす。

秋田に定時着。明日のメインイベントに備えて、早く寝る。

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2013年10月 6日 (日)

大阪市営地下鉄 30系 さよならイベント

かつて大阪の地下鉄は全て30系ではないか。と思えるほど、
市内を席巻していた30系にも最期の時がやってきました。

Oc30_sayonara

さて私は、と申しますと、
所謂、「葬式鉄」というのは、避けてきました。
多くの人々に見送られて鉄路を去ってゆくというのは、
大いに結構なことであり、麗しいことなのですが、
「おい! 後から来たのに横入りするなあ!」
とかいうカメラマンの罵声を聞くだけで、
気の弱い私は、メチャメチャ嫌な気分になってしまうのです。

しかし今回は出かけてしまいました。
御堂筋線や、中央線ならいざ知らず、
谷町線の車両を地上で撮影できることはなかなかないのです。
まして、今回は「さよならイベント」です。
これを逃すと後がないのです。
ちゃんと撮影出来るかなあ?
と不安な気分で撮影ポイントを探しました。

大阪港行きは「九条」で撮影することにしました。
ほぼ、同時刻に定期列車が滑り込んできたので、
逆にその間をすり抜けてくる回送列車(30系)は、
被らないという「読み」からです。

狙いは後追いです。
こちらをあえて狙うカメラマンは少数派なのです。
到着したのは30分前でしたが、
幸い末端のポイントを確保できました。、

おかげさまで、いつも通りの「J鉄撮り」ができました。

大阪港を折り返す最後の列車は、
「弁天町」で撮影することにしました。
カメラマンを警戒して先行列車が徐行しだしたからです。

弁天町は九条の5割増しくらい人がいました。
案の定というか、例の罵声が…。
今回は、あえて多くの人々に見送られて…。
というのをコンセプトに撮影しようと思いましたが、やはり
足は後追いを狙うポイントに向かっていました。

ここも満員でしたが、予想通り被ることなく
それなりの写真をものにできました。

ところで、谷町線車両なのになぜ中央線を往復する
このような回送列車が走らせることができたのでしょう。

それは、谷町線の短絡線が谷町4丁目で、
中央線西行きに接続しているからです。

鉄道車両写真集
大阪市営地下鉄 

谷町線30系
  新30系  30系冷房車

四つ橋線 30系 30系(元北急
            御堂筋線 30系    中央線 30系  30系(元北急)

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2013年10月 5日 (土)

J鉄局のHP 壁紙画像を更新 今回は「SL人吉」です。

かつて あそBOY で活躍したSL 58654が復活しました。
今回は豊肥線ではなく、鹿児島本線から肥薩線(川線)で、
その勇姿を見ることができます。

Wallpaper22

ともに、起点は熊本駅です。
あそBOYは、熊本駅で撮影しましたが、
今回は高架工事中ということもあり、さまにならないので、
川尻駅で、撮影することにしました。

ここも特になんということはない駅なのですが、
機関助手の方が、場内信号を指差確認する瞬間を
捉えることができました。
なおHPの画像をクリックして頂きますと大きい画像が出ます。
横幅は1600pix です。

SL人吉として一新した50系客車とあわせて、
鉄道車両写真集でもご紹介する予定ですが
58654は珍車ギャラリーでも取り上げております。
こちらもご覧ください。、

珍車ギャラリー
JR九州 58654(8620形蒸気機関車)

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2013年10月 3日 (木)

甘木鉄道 1988年 2008年

甘木鉄道は1985年に旧国鉄甘木線を転換して開業しました。
鹿児島本線基山駅と甘木駅を結ぶ
13.7kmの第三セクターの鉄道会社です。

Amagi88_5_5_ar101

国鉄甘木線が廃止対象路線となった当時、
並行する西鉄甘木線に加え、バス路線が既設されていたことから、
福岡県は鉄道の存続に難色を示しました。
しかし地元は鉄道路線としての存続を決意し、
第三セクター方式で存続することになったという経緯があります。

ところが、同線は比較的福岡都市圏に近く、
西鉄甘木線より、博多へ行くにはいい線形となっていました。
つまり潜在的な需要があったというわけです。

西鉄小郡駅との接続が改善され、積極的に増便されることで、
収支は大幅に改善。全国的に見ても
第三セクター鉄道の中では経営状態は良好となっています。

ここでは、1988年5月に撮影したものと

鉄道車両写真集
甘木鉄道 1988年 AR100形

2008年に撮影したものをご覧いただけます。
残念ながらAR200形は撮影できませんでした。

鉄道車両写真集
甘木鉄道 2008年 AR300形 AR400形

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2013年10月 2日 (水)

総武流山電鉄

総武流山電鉄は、現在は「流鉄」(2008年改称)となっています。
流山と馬橋間、5.7kmを2連または3連の電車が走行する
単線の電化鉄道です。

Nagareyama_tc52_

1916年に流山軽便鉄道が開業しました。
軽便の名の通り軌間は762mmでした。のち流山鉄道に改称、
1924年には軌間も1067mmに改められました。
1949年に電化(1500v)され
流山電気鉄道→流山電鉄→総武流山電鉄
と名前を変えています。

こでは総武流山電鉄時代の画像を集めています。
車両は1994年以降、西武からの譲渡車で統一されています。

鉄道車両写真集
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