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2013年8月の記事

2013年8月31日 (土)

JR北海道 785系 リニューアル車

JR北海道の特急電車である785系は、
05年4月から07年6月までにリニューアル工事が施工されました。

Jrh_785_ne501_0

前面の愛称表示器がフルカラーLED式に交換され、
スカートの形状も変更されました。
また屋根上のブレーキ用抵抗器が撤去されたので
すぐそれとわかります。

性能面ではインバータ装置をIGBTに更新し、
ブレーキシステムも変更されました。(モータは N-MT785のまま)
車内も座席などが交換され、案内表示装置も一新されています。

なお、リニューアル前の2001年から
4連+2連を全て5連固定に組み替えています。
NE1~5編成::新製の中間電動車(モハ784形500番台)
        を追加したグループと
NE501.502編成:中間車改造された先頭車(クハ784形(3.4)と
      クモハ785形100番台)を組み込んだグループがあります。

合わせて編成全体の方向を逆向きに転換しています。

またこの際に発生した余剰車両は、
2010年に「スーパー白鳥」用に改造されています。
(モハ785-303+ クハ784-303)

鉄道車両写真集
JR北海道
 785系 リニューアル車 
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2013年8月28日 (水)

珍車ギャラリー JR四国 N2000系 2424をUP

JR四国2000系気動車は2つのグループに分けることができます。
後期形はN2000系と呼ばれ、
最高速度130km/h運転を可能にした
というのが最大のポインとなる改良型です。

Jrs_2000n_2424

さて1995年に量産先行車2両(2000形先頭車:2424・2458)が、
登場するのですが、在来形の2000系と併結され、
1998年に量産車が登場し、数が揃うまでは
自慢の足を披露することはなかったようなのです。

一体何のための量産先行車だったのでしょうか?

珍車ギャラリー
JR四国 N2000系 量産先行車 2424
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2013年8月27日 (火)

JR四国 2000系 アンパンマン列車etc をUP

JR四国2000系量産車は、
2000系試作車(TSE)登場の翌年、1990年から量産されました。

Jrs_dc2000_anpanman_2005

キハ181系やキハ185系で運行されていた
岡山発着の「しおかぜ」「南風」を置き換え、
所要時間の短縮に貢献しました。

最高速度は「TSE」と同じ120km/h。
振り子装置が威力を発揮しています。

量産車からは先頭車前面に列車愛称表示器が設けられるなど
デザインに違いがあり、それとすぐわかりますが、
その多くがアンパンマンのラッピングを施され、
精悍なイメージとはほど遠いものとなってるのは、
個人的には少し残念です。

量産車は2013年現在、
2000形9両、2100形22両、2150形7両、2200形17両
の55両が在籍し、
他に 土佐くろしお鉄道所有の4両が、在籍します。
(2030、2130、2230、2231)

いずれもリニューアルされていますが、外見上
大きな変化は見られません。

もっともアンパンマンのラッピングは変更されています。

鉄道車両写真集
JR四国 
2000系
 
アンパンマン列車etc 
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2013年8月26日 (月)

珍車ギャラリー 近畿日本鉄道 西信貴鋼索線 コニ7形

今回、珍車ギャラリーでご紹介するのは、おそらく
最小、最軽量の鉄道車両あろうと思われる近鉄のコニ7形です。

Knr_cable_ko7_5

画像をご覧ください。近鉄 西信貴鋼索線です。
「なーんだ。普通のケーブルカーではないか。」
と思われるかもしれません。
でも、よーくご覧ください。前になんかくっついてます。
気付かれましたか? 
これこそが今回ご紹介する「コニ7形」です。

珍車ギャラリー
近畿日本鉄道 西信貴鋼索線 コニ7形

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2013年8月24日 (土)

JR四国 N2000系 特急「うずしお」用

2000系気動車は2つのグループに分けることができます。
高徳線高速化にあわせて製造された
後期形は,,N2000系と呼ばれます。

2459

最高速度130km/h運転を可能にしたのが最大のポイントで、
1995年に量産先行車2両(2000形先頭車:2424・2458)が、
続いて1997年に2500形(中間車)が量産車として落成しました。

エンジンはコマツ製SA6D125H-1A(350ps)です。
1998年には量産車の先頭車が登場し、
1998年3月の 高徳線高速化工事完成に備えました。
全車(16両)とも富士重工業で製造されています。

なお、2400形の01~23は欠番です。
下二桁は旧型(2101~22)の番号を引き継いでいるのです。
2450形(→2150形)、2500形(→2200形)も同様です。

2000形(半室G車)の後継車はありません。

鉄道車両写真集
JR四国 N2000系 特急「うずしお」用
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2013年8月23日 (金)

JR西日本 キハ120形 をUP

JR西日本 キハ120形は、
新潟鐵工所の「NDCシリーズ」がベースとなる
ローカル線用の気動車です。

Jrw_dc120_316

0番台(1~22) 200番台(201~208) 300番 台(301~359) 
の3タイプが在籍しますが、
最初(1992年)に登場したのはスチール製の200番台で、
セミクロスシート車です。木次線と越美北 線に配置されました。

2次車以降はステンレス車体で、
ロングシート車の0番台とセミクロスシート車の300番台の
2タイプが存在します。

エンジンはコマツ製SA6D125-H1形。
1次車の200番台のみ250PSで、
0番台・300番台は330PSとなっています。

当初はトイレがありま せんでしたが、
2004年から2007年にかけて全車に設置されました。

なお配置表のデータは
JR気動車客車編成表2011を参照しました。

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2013年8月20日 (火)

サイキョージ氏 夏の鉄旅-2013年 筑豊編 その2-

 8/9(金) 
日田→田川後藤寺→新飯塚→直方→(平筑鉄道伊田線)→金田

→(平筑鉄道糸田線)→田川後藤寺→西小倉→戸畑→(市営渡船)

→若松→折尾→直方→筑豊直方→(筑豊電鉄)→黒崎→香椎

→雁ノ巣→香椎→博多→厚狭→小野田→雀田→長門本山

→雀田→新山口→新大阪

 ここで筑豊の鉄道についてうんちくを傾けてみよう。
日本の鉄道は民鉄が路線を拡張してきた歴史がある。

しかし戦争に突き進む明治時代の終わりころから
政府は軍事輸送のため鉄道を国有化する必要があった。
1906年に鉄道国有化法案を成立させる。

このときすでに筑豊には大小さまざまな炭鉱が存在し、
石炭を積出し港に運ぶ鉄道が網の目のように張り巡らされていた。

この石炭を運び出す民営路線の多くが国有化され
国鉄線となったのである。

最盛期の1957年(昭和32年)頃には
筑豊地域に300近くの炭鉱がひしめき、
各炭鉱から産出した石炭は直方駅に集められ
1日あたり約50本、計2000両もの石炭列車が若松港へ
と発車していったという。

しかし、この年をピークに炭鉱は次々と閉山していく。
目的を失った国鉄線は次々と廃線の憂き目にあうのである。

皮肉にも鉄道国有化法案が成立した80年後、
国鉄自身も国鉄民営化法案によって民営化されてしまった。

JR移行後に残った路線は
筑豊本線、日田彦山線、後藤寺線の3線のみで
3セク化されて生き残ったのが
平成筑豊鉄道(旧国鉄伊田線、糸田線、田川線)である。

 さて今日は筑豊本線と日田彦山線を乗り潰して
帰りに小野田線と本山支線まで乗り潰すことにした。
同じルートを2回通らないように経路が一筆書きになるように工夫した。

結果、短い距離を何回も乗り換える結構ハードな行程となった。

Dsc_4751

 日田発7:35発田川後藤寺行きの単行の気動車キハ125に乗る。
夜明駅から久大本線と分かれ日田彦山線に入る。

宝珠山駅で福岡県に入り、さらに山深く入り急勾配を登っていく。
釋迦岳トンネルが分水嶺となり
遠賀川水系に沿って線路は下っていく。

田川後藤寺着8:48
ここで後藤寺線に乗り換えて新飯塚着9:11。
後藤寺線船尾駅あたりはセメント工場が立ち並ぶ。
麻生セメントと書いてある。
元首相の麻生太郎の地盤なのであろう。

新飯塚で筑豊本線に乗り換えて直方まで出る。

 直方から平成筑豊鉄道伊田線に乗る。
金田で糸田線に乗り換えて再び田川後藤寺に戻ってきた。
伊田線は複線が保持されていた。

最盛期の1957年、田川伊田駅は年間の石炭発送量が79万トン。
筑豊一を誇った駅であった。
その輸送量を支えたのがこの複線の鉄路だったのだろう。

今は単行のレールバスがつつましく走るのみである。

 田川後藤寺駅でJR日田彦山線に乗り換えて西小倉まで行く。
田川後藤寺発10:17の気動車は満員の乗客を乗せて
小倉へ出発した。

この車両はキハ147である。
日本全国で今だに活躍しているキハ40系の改造車である。
昭和時代に作られた車両は重量感があり武骨そのもの。

そろそろ引退の時期がせまっているのだろうが
がんばってほしいものだ。

 西小倉で鹿児島本線に乗り換え、戸畑で降りる。
駅から少し歩くことになるが、
市営渡船を利用して、若松駅を目指すことにしたのだ。

Dsc_4794

市営渡船は若戸大橋の真下を通り洞海湾を横切る。
所要時間は3分間、100円で乗れる。
地元の人たちにとっては、日常の足代わりだ。
自転車ごと乗る高校生も多い。

若松港から若松駅までは徒歩10分ほどである。
ただ、炎天下、徒歩での移動はつらかった。

 若松駅では、まずビール!
そして立ち食いうどんでエネルギー補給だ。

若松駅13:13発折尾行き気動車に乗る。

折尾駅では門司港方面から来る
筑豊本線直通の電車に乗り換える。
そのためには一度改札を出て
鹿児島本線から筑豊本線への渡り線上にあるホームへ
行かなければならない。

乗り換えで、また一汗。これは不便極まりない。

今、折尾駅が改装工事中であるので
この不便さを解消する努力をしてもらいたいものだ。

篠栗線経由博多行きの電車に乗り、直方着13:58。
おわかりいただけたかな。これで筑豊本線完乗だ。

 次は筑豊電鉄に乗ってJR黒崎駅まで出る。
JR直方駅から筑豊電鉄直方駅まで約1Kmを歩いた。

なんで、こんなに離れているのやら。
体の水分がすべて汗になって出てしまった感じだ。

まったく、このクソ暑いのに何をやっていることやら。
今にして思えば、まあ熱中症にならずにすんでよかった。

筑電直方駅でも水分補給をして黒崎行きの電車に乗り込む。
車内は冷房が効いていて「地獄に仏」の心地であった。

筑豊電鉄は、2両編成で見るからに路面電車の感じである。
だが、複線、標準軌で専用の軌道を走る。

Dsc_4820

電車には車掌が乗務し両替をしてくれる。
でも、なぜ切符を売らないのだろう?
両替だけなら、両替機でもできるではないか。

思えば、今時珍しい乗客との距離が近い電車である。
えちぜん鉄道のようなアテンダント的役割をやれればと思う。

路線は遠賀川をはさんで筑豊本線とほぼ並行して走る。
ダイヤは1時間あたり2本が確保され、運賃は直方~黒崎で420円。
JRと同じ区間で比較すると30円安い。
途中からの乗客も多く
北九州の近郊路線としての役割が十分あるように感じた。

黒崎駅でT氏と別れ、私は博多まで戻り香椎線を潰してから
新幹線を利用して厚狭でT氏と合流する予定を立てた。
しかし時刻表を1時間見誤ってしまっていた。、
つまり香椎線をすべて乗ってからでは
小野田線本山支線に乗れない事が判明したのだ。

せめて香椎から西戸崎だけでも往復してやろうと思ったのだが
香椎から乗った気動車は雁ノ巣止まり。
あきらめて雁ノ巣から博多まで引き返すことにした。

お土産を買い込んでから
博多発16:22のこだま752号に乗った。

普通列車ばかりで移動してきたので新幹線の座席は快適そのもの。
コーヒーでくつろぎながら厚狭着17:13。

 厚狭で山陽本線に乗り換え小野田駅で小野田線に乗り換える。
小野田発17:42のクモハ123の単行電車、
宇部新川行きに乗り、さらに雀田で乗り換える。

旅の最後はJR線で最も乗りにくいとされる本山支線。
1日3本の運行で7時台に2本と18時台に1本しかない。

雀田18:12発長門本山行き1325Mに乗り込むと、
乗客は「鉄」とおぼしき人が我々を含めて4人、
宇部新川方面から来た電車から乗り換えた乗客が3人いた。

Photo_2

3人の乗客は高校生ですべて終点長門本山で下車した。
1日3本の運行でも定期客がいたことには感動すら覚える。
長門本山駅はすぐ前が瀬戸内海である。

昔、海底炭鉱があってここから石炭を運んでいたそうだ。
閉山になって久しいのに
鉄路だけ残されているのは不思議な感じがする。

いずれJR西日本は廃線にするだろうが、
日本中でここしか走っていない珍車が見られるため
「鉄」にとって長門本山駅は「聖地」なのかもしれない。

 帰りは同じ電車で雀田まで引き返し、
雀田から宇部線経由で新山口まで出て
新山口発20:05「のぞみ」96号で帰阪した。

盆休み直前の金曜日なので「のぞみ」の自由席は混んでいた。
なんとか席を確保できたものの
広島からは立ち客が出るほど混み出した。

T氏は青春きっぷをしゃぶりつくすために
岡山で「さくら」に乗り換えて姫路まで行き新快速で帰阪した。
ほんまにようやるわ。

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2013年8月19日 (月)

サイキョージ氏 夏の鉄旅-2013年 筑豊編 その1-

 今回はT氏と九州・筑豊の鉄道に乗ってきた。

8/8(木) 
関空→福岡空港→博多→新飯塚→桂川→原田→久留米→日田

 私はLCCのピーチを利用して福岡入り。
8,000円で行けるのだから使わない手はない。
今回の旅は青春18きっぷを使うので
関空までの交通費を考えなくてすむ。

12:30に博多駅で集合なのだがT氏のスマホは調子が悪く、
連絡が取れずに結局、篠栗線のホームで落ち合うことになった。

13:01発快速黒崎行きは2両編成。
当然座れず、買った駅弁も食べようがない。
「福北ゆたか線」の愛称をつけるんだったら
もう少し繋いでよと言いたい。

篠栗線は篠栗からトンネルをぶち抜き、
筑豊本線の桂川までを短絡し、北九州から筑豊本線を経由して
博多まで直通運転を可能にした。

運行本数も多く福岡の近郊路線である。
利用者が多いのに博多~桂川間が単線というのも面白い。

 篠栗を過ぎてやっと席を確保した。
乗った電車は817系。クロスシート車だったので
弁当を広げて食べることができた。

新飯塚で快速を降り、桂川まで戻る。

桂川から原田までは単線、非電化区間で本数が少ない。
まさにローカル線の風情が漂う。

Dsc_4666

桂川発14:28。単行のキハ31に乗る。
国鉄末期、九州に重点的に投入された車両である。

車両は改造されている。
このクロスシートは0系新幹線の座席を流用しているため
座り心地がよい。当分現役でがんばってほしいものだ。

 原田で鹿児島本線に乗り換える。
久留米に出るのだが久留米での待ち時間が1時間以上あるので
鳥栖で降りていろんな車両を見ようということになった。

鳥栖市は福岡県に出っ張った佐賀県の飛地のような町である。
佐賀県にありながら文化圏は福岡そのものである。

佐賀県は九州新幹線では作ってもあまり意味がない
と思われる新鳥栖駅を作らせた一方で
長崎新幹線のフル規格には反対し
在来線である長崎本線を残そうとしている。

佐賀のしたたかさには頭が下がる。
そもそも長崎本線を複線高速化すれば
新幹線は不要で「かもめ」だけで十分だと思うのだが。

 なんとか鳥栖で時間を潰し久留米から久大本線に乗り換え、
本日の宿のある日田をめざす。
久留米発16:36発日田行きの普通にのる。

キハ125は黄色のド派手な車体である。
2両編成の気動車は満員の乗客を乗せ久留米を出た。
しばらくして車内のケータイが一斉に鳴り出した。

「緊急地震速報」のエリアメールだった。
「奈良県で震度6」という知らせを見てびっくりしたのだが
あとで誤報とわかる。
列車は止まらずに運転されていた。

気動車は筑後川沿いの平野部をゆっくりと走る。
平野が途切れると県境を越え大分県に入る。
大分県に入った最初の駅が名前がイキな「夜明」駅である。

Dsc_4745

ここから日田彦山線が分岐する。
この駅で日田彦山線に入るキハ147と交換し日田着17:57。
本日の予定は終了。
駅前のホテルにチェックインして一風呂浴びて夕食に出た。

 夕食は「天領酒場三丁目」という居酒屋に入った。
昭和のレトロさを醸し出す内装がシャレてる店だ。

日田にはサッポロビールの九州工場があり、
作りたての生ビールが飲める。
キンキンに冷えた生ビールは熱い体に染みこんで行った。

体が落ち着くと地元の焼酎をロックで注文する。
名物の「大つくね」は美味だった。
刺身もいけたが豚のスペアリブもうまい。
シメに食べたゆず辛子風味の焼きラーメンは最高だった。

Photo

夕食後、三隈川に浮かぶ屋形船を見に行った。
屋形船で鵜飼いを見ながら食事ができるのである。

夏はお座敷に仕立てた屋形船が涼を求めて繰り出し、
秋には名月を愛で、冬には障子とコタツを備えた雪見船で
鍋をつつくのも粋な楽しみ方であるらしい。

日田は森と水の町であった。

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Dr'Kの特急ミシュラン File 25 名鉄 2000系 “μSky Express”

特急ミシュラン - Michelin Express – 
File 25 Meitetsu Series 2000 “μSky Express”

Mt2101

名鉄2000系 ミュースカイ 総合評価 ☆☆☆

2005年に開港した中部国際空港(セントレア)アクセス目的に開発された車両。

「名鉄」といえば「パノラマカー」だが、名古屋からのアクセス時間などを考慮すると、運用効率なども考慮したいところ。
3両固定で登場したが、予想以上の利用状況で満席になる列車が続出したことから、開港1か月後の3月にダイヤ改正したり、2本連結の6両に輸送力を増強したり、運用に比較的余裕のあった1600系を活用したりしていたが、それでも輸送力が追い付かないことから、4両編成化され、本数も12本に増えた。

 京成スカイライナーと同じく、特急の上位種別として「ミュースカイ」が存在する。

アメニティ:☆☆☆
シートピッチはほかの特急車と同じ1,000mmのリクライニングシート。
4両すべてが特別車で構成されている点が他の特急車と違うところ。
乗車距離が短いため、リクライニングの最大角度が浅いところが難点だが、名鉄を代表する特急として恥ずかしくない設備だ。

経済性:☆☆☆☆
 4両編成12本中11本運用で専用運用を組むほか、
本線筋と同様に1600系・2200系との一般車つき特急が補完する形で運用されている。
一般車つき特急はパノラマスーパーも含めて稼働率もよい。

利便性:☆☆☆☆
 現在は30分サイクルが確立されているため、
神宮前での接続も含めてわかりやすいダイヤにはなっているが、
新名古屋駅の狭さだけはどうにかならないものか。

ときめき度:☆☆☆
乗車時間が短いため、設備的には問題なくデザインも洗練されてはいるものの、若干味気ない点が惜しい。

鉄道車両写真集
名古屋鉄道 特急 2000系 μミュースカイ 2200系 
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Dr'K の特急ミシュラン INDEX

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2013年8月18日 (日)

Dr.Kの2013年 8月の鉄旅 その4

2013年 8月の鉄旅 その4

近鉄四日市 8:19 → 伊勢市 9:13

アーバンライナーに揺られて伊勢市に移動。
B氏の企画する伊勢市某所でのイベントに、三重県下の研修で
毎年お世話になるN氏の紹介で小生がゲストとして招かれたためだ。

そのための宴席がN氏、B氏の拠点の四日市であるために昨日は四日市で泊まったのだ。

N氏とB氏は機材を運ぶ関係で、トラックで伊勢に向かわれるということで、電車での
移動は私一人。
会場入りは10時なので、もう一本あとの8:39発で十分間に合うのだが、
休日ダイヤは間合い使用でアーバンライナーがあてがわれるので、デラックス目当てに
また乗車。
乙特急のパターンダイヤのスジなので、
白子、津、中川、松阪と、約10分刻みに停車していくが、これもまたオツ。

伊勢市 15:10 → 京都 17:20 伊勢志摩ライナー

 おかげさまで、大盛況のうちにイベント終了。
御礼とあいさつもほどほどに帰路につく。
赤いほうの伊勢志摩ライナー。
しまかぜにチャレンジしたが、あえなく撃沈したため、
伊勢志摩ライナーになった。
指定された席は6号車のこれまたデラックス。

 デラックスにまで家族連れやグループ客が乗っていて、
にぎやか。
灼熱の中イベントに参加するので消耗するから
静かに寝たいと思ってデラックスにしたが甘かった。
あきらめてせっせとこの旅の原稿を打っていたら、
東京の同業者F氏からメールが…。
「京王が落雷で止まってる!!」
…うーん。かたや強烈な日差しが照り付ける場所もあれば、
豪雨、落雷に見舞われる。最近の気候おかしいぞ。
秋田新幹線は大雨の土砂流入でやられるし。

 そういえば、昨年のお盆はうちの地元のJR京都線の路盤が大雨で崩落したなぁ。
そう思いにはせていると名古屋線と大阪線が分岐する中川着。

 中川を過ぎると次は名張、八木と停まるので、
丹波橋までは停車駅間の平均間隔が20~30分になって、
ようやく落ち着いてくる。
八木で先行する名阪特急と接続をとって、
新ノ口短絡線から橿原線に降りる。
八木で相互に乗換が見られたが、
こちらから名阪特急に乗り換えるほうが多いので空いてしまう。
西大寺でも若干の入れ替わりがある。

 この時間の京都線の急行は部活の学生で混むうえ、
西大寺~京都間を特急から逃げきれないので、
ゆったりこの区間に乗りたい人は、特急を利用するのである。

 丹波橋で下車があり、乗車率6割くらいで京都に着く。
素直に京都発17:29の新快速に乗車し帰宅した。

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2013年8月17日 (土)

Dr.Kの 2013年 8月の鉄旅 その3

(ワイドビュー)しなの16号 長野 14:00 → 名古屋 17:01

長野で昼食後、用務を済ませて長野駅に戻る。
乗車するのは、おなじみ、しなの16号大阪行。
地元に帰るならこれにそのまま京都まで乗りっぱなすが、
明日は三重県で用務があるため名古屋で降りる。
(いつもの感覚で、乗り過ごさないようにせねば)

 グリーン車つきの付属編成が増結された10両編成、
指定された席は8号車の進行方向右側の窓側席。
放送では名古屋までは満席という。

長野の時点では、まだ乗車率は50%程度。
中央東線で早朝に踏切事故があったらしく、
若干ダイヤが乱れているらしい。
そういえば、定刻に発車したが、その7分前に長野についていなければならない大阪からのしなの9号は、まだ長野に到着していなかった。
と思ったら、川中島駅構内ですれ違う。

最初の停車駅の篠ノ井で隣に男性客が座る。
篠ノ井からは単線になる篠ノ井線に入る。
聖高原でしなの11号と交換のため運転停車。
普段でも3~4分停まるが、それ以上停まっている。
しなの11号も遅れていた。

 松本でたくさんの乗車があり、ほぼ満席になる。
遅れは4~5分。ここから塩尻までは複線区間で
規格もいいのでぶっ飛ばすが、
元のダイヤもかなりタイトなので遅れはそのまま。
本来ならこの区間ですれ違うしなの13号がまだ来ていない。
その前を走るスーパーあずさ15号松本行の塩尻発車で
信号に引っ掛かり、普段よりだいぶ手前で減速し始める。

 かくして塩尻に4分遅れで到着。
塩尻駅の向かい側6番ホームにまだしなの13号は停まっていた。
10分以上遅れている。接続をとったのだろう。

塩尻駅は3面のホームが南北に並び、
東側から1~6番線になっている

【下図・JR東日本HP/構内図より】
Photo

基本的なホームの使い方は
1番線=中央東線甲府・新宿方面
(特急あずさ系統・普通)
2番線=中央東線から松本・長野・白馬方面
(特急あずさ系統・普通)
3番線=中央東線上下線
(特急待避・塩尻折返の普通)、辰野方面
4番線=中央西線上下線
(特急待避・塩尻折返の普通)、一部辰野方面
5番線=中央西線名古屋方面
(特急しなの・普通)
6番線=中央西線から松本・長野・白馬方面
(特急しなの・普通)    
となっている。

 あずさ系統は1・2番線、しなの号は5・6番線から発車するので、中央東線と中央西線を乗継ぐ場合は、一部の普通列車同士の乗換を除いて、ホーム間の移動を必ず伴う。

 構内図からもわかるように、エレベータは一応あるが、階段もエレベータもホームの
南端に位置するところにしかなく(しかもせまい)、そこに乗換客が殺到するので、松本
寄りの車両に乗っているとそれだけで乗換が大変になる(しかも、しなのもあずさも
グリーン車がそちら側にある)。
乗換客が次から次へと跨線橋を我先にと駆け下りてくる。
こんな状況の時はいつもそうだが、
駅員は乗換を急ぐよう大声を出しているだけ。
危険なことこの上ない。

輸送障害が起きて接続が怪しい時の塩尻駅の対応は、
駅の構造と客の動線を完全に無視した自分たち本位のもので、
乗客の安全を軽視しているとしかいいようがないものだ。

 帰省ラッシュも始まり、大きな荷物を抱えた家族連れやお年を召した方が多いのだから、
しなのへの乗換の客を1か所に集めて係員が誘導し、確実に安全にしなのに乗せてあげた
ほうが、安全も確保できて、結局早いのにと、毎度毎度思う。

 結局遅れが8分強に拡大。
ここからは、この遅れをそのまま引きずることになる。
中津川までに3~4分回復したが、多治見を過ぎると本数が一気に増え、待避駅も少なくなることから、前の快速に引っかかって大曽根からはノロノロ運転になる。

 名古屋での乗継標準時間は7分なので、
新幹線に乗り換える客が接続を気にし始めるが、
その案内は千種到着でもなかった。
金山を通過するときにようやく車掌がこのことを放送し始めた。
いくらなんでも遅すぎるわ。
事故変とか事故列変で、まともに対応できない
係員が名古屋には山ほどいるのに。
(これで困ったことは数知れず)

 7分遅れて到着した名古屋で降りたのだが、
名古屋でほぼ空になってしまう。
名古屋以西はふんぞり返って乗れるので、
実はしなのの利用で私が一番多いのは京都~名古屋間なのだ。

快速みえ19号 名古屋17:37 → 四日市18:10
 名古屋でトイレを済ませ、明日の朝食を調達してみえに乗る。
短距離とはいえ、指定をとっていて正解だった。
自由席は大ババ。指定席に勝手に座る輩もおり、困ったものだ。
列車は近鉄特急ビスタカーと競争しながら順調に走り出したが、
その足が永和で止まる。交換相手が4分遅れ。
そのまま四日市着。
四日市のなじみの店で、明日の仕事相手のNさん、Bさんと顔合わせで一杯。
四日市の定宿泊。

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2013年8月15日 (木)

近畿日本鉄道 12600系 サニーカー

近鉄12600系は、1982年に登場しました。
12000系を基本とする汎用特急車の最終グループとなります。

Kn12602

12410系との違いは、当初から4連として製作されたことです。
もっとも、12410系は83年に4連化されていますので、
結果、編成全体の定員数はと同じく264名となります。
しかし、トイレの位置を変更することで
モ12600形(Mc)とサ12750形(T)の1両あたりの定員を
68名とそろえたことが特色です。

ただ12400系12410系と足回りに大きな変化はありません。
モータは三菱製(MB-3127-A、180kW×4)が採用されました。
車内はサニートーンを取り入れた「サニーカー」の一族です。

1986年には02Fが追加され4連×2=8両が在籍します。
12400系などと同様、
1988年 から120km/h運転対応工事が施工されました。
2002年に車体更新工事が施工されています。

鉄道車両写真集
近畿日本鉄道 12600系 サニーカー

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近畿日本鉄道 12410系 サニーカー

近鉄12410系は、1980年に登場しました。
12000系を基本とする汎用特急車のグループで、
12400系と同じく、足回りに大きな変化はありません。
モータは三菱製(MB-3127-A、180kW×4)が採用されました。

Knr_12412_04

12400系との違いは3連で登場したことです。
ただ1981年に増備された15F は4連で落成していますし
11F~14Fも1983年にサ12560を追加し4連化されています。
(現在は4連×5=20両)
編成全体の定員数も12400系と変わらず264名となりました。

もっとも床下機器の配置などに違いはありますが、
今や実質上違いはないといっていいでしょう。
12400系同様サニートーンを取り入れた「サニーカー」の一族です。

1988年から120km/h運転対応工事が施工され、
2000年から車体更新工事が施工されています。

鉄道車両写真集
近畿日本鉄道 12410系 サニーカー

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2013年8月14日 (水)

近畿日本鉄道 12400系 サニーカー

近鉄12400系は、1977年に登場しました。
12000系を基本とする汎用特急車のグループで、
10100系の廃車代替という位置づけになります。

Kn_12503

当初から4連として製作されたことも特色です。
(4連×3=12両)
編成全体の定員は264名。以降この数が継承されてゆきます。
12200系の④連と12400系④連とは足回りに大きな変化はなく
モータは三菱製(MB-3127-A、180kW×4)が採用されました。

12200系との違いは、すべての出入り口をデッキ付とし、
塗り分けなど変更したことです。
特に車内デザインは大きく変わりました。
明るい陽の光のイメージであるサニートーンを取り入れ
以後このグループは「サニーカー」と呼ばれます。

また12400系は昭和天皇のお召列車として
4度にわたり運転されました。
(1979年12月・1980年5月・1981年5月 1984年10月)
その際、サ12551形を改装して御座所を設置しています。

1988年から120km/h運転対応工事が施工されました。
1997~98年にかけて車体更新工事が施工されています。

鉄道車両写真集
近鉄 12400系 12410系 12600系 サニーカー
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2013年8月13日 (火)

Dr'Kの 2013年 8月の鉄旅 その2

品川でながらから降りた私は、早朝の品川で京急の撮影。
新幹線が動き出したら、北口から新幹線改札内にある待合室のWi-FiコーナーでPCをだして仕事をはじめた。
山手線で1駅、大崎に移動しようと、2番線に移動したその時、
山手線で非常ボタンが扱われて緊急停止。
2番線に入線中の外回り電車が、半分ホームに突っ込んだところで急停止した。

 原因は、外回りの1番線で、荷物を挟んだまま発車してしまったためだった。
10分弱で運転は再開したが、ちょっとびっくり。大崎に着いたら、Beck’sコーヒーで朝食をとりながら、打ち合わせ相手の大学時代からの友人M氏を待つ。
午前中は大崎のM氏のオフィスで打合せ。M氏が社長を務める会社が企画するイベントに私がのるためである。
大崎でE233系7000番台を撮影し、大崎11:55発の湘南新宿ラインの快速宇都宮行のグリーン車に揺られて定例のさいたま市内の研修場所に向かったのだが、これが結構な混雑。
恵比寿で立ち客が出てしまう。車内で食事を済ませる。

 13時半から2時間の研修を終えた私は、コミケのためか近場で宿が取れず、町田の定宿しかとれなかったため、大宮16:27の湘南新宿ライン特快小田原行で一路町田を目指す。

はこね43号 新宿 17:10 → 町田 17:39

 新宿からはVSEに揺られて29分、町田へ。席は7号車の窓側。
通路側には、小田原までのキャリーバッグを持った若い女性が座られた。

 首都圏に来れば結構な頻度で乗っているロマンスカーだが、VSEに乗るのは久しぶり。
先に定宿にチェックインし、19時に町田に戻ってくるショコラ氏夫妻と、藤沢方面からやってくるA氏を待って、ショコラ氏おススメの焼肉で乾杯。

あさま513号 大宮 10:18 → 長野 11:28

小田急と湘南新宿ラインで大宮へ。帰省ラッシュが本格化しえらいことになっている大宮駅。どこ行っても居場所にも困る状態。指定されているのはA席。
 すでに、B、C席には感じのいい老夫婦が座っていらした。上野時点ではガラガラで今日は満席という車掌の放送に不思議がったそうだが、大宮で乗ってきた客の数を見て納得されたようだ。私が落ち着いたところで朝食をとりはじめられた。
軽井沢でお降りになったので、となりは長野まで空いたまま。

長野で昼食。

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2013年8月12日 (月)

DrK 2013年 8月の鉄旅 その1

鶴橋 9:06 → 名古屋 11:06
今日は愛知県に出張。
アーバンライナーのデラックス回数券を消化するため近鉄を利用。
車両はアーバンライナープラス。鶴橋で乗ると、私の席に年配の男性が…。
車掌に声をかけると、その男性が席番を逆からカウントして座っていたことが発覚。
ことなきを得る。8月上旬の平日とあってビジネス利用が多い。
これが数日もすると行楽の客層にガラッと変わるんですよねぇ…。
平和に名古屋に到着。名古屋駅近くで昼食兼打合せ。

(名鉄)名古屋 14:20 → 中部国際空港 14:48
中部国際空港 15:07 → 神宮前 15:28
神宮前 15:40 → 東岡崎 16:04
次の用務先のアポが16時30分のため、ミュースカイでセントレアを往復して時間調整し東岡崎へ。
ミュースカイに乗ったのは、パノラマスーパーに続いて、近々、また名鉄特急を特急ミシュランにあげようということで、検証のために乗車。
雰囲気は旧N’EXを思わせるが、シートの重厚さが違う。
これで350円。
いかに旧N’EX(253系)が…(以下自粛)

神宮前で乗り換えた相手は1700系。
元々3両固定だったが、Tcを外してかわりに
2300系列の一般車を4両と組んで6連になったものだ。
この前来た時は工事たけなわだった東口がきれいになっている。
新たな商売道具を求めて、10月にも訪れた商談先へ。

 若旦那は急な出張が入って不在。
社長とお嬢さん(若旦那の妹御)にご対応いただく。
商談中に緊急地震速報。お嬢さんの
「そこ置いてあるの(商品)が(地震で)崩れ(て下敷きにな)るとひとたまりもないから!」ってことで店を飛び出す。 が、結局不発。

これが、新幹線を含めて神奈川県から山口県までの鉄道路線の送電をストップさせ、電車を一斉にとめたので、のちの行程に大きな影響をもたらすことになる。
商談後はお嬢さんに東岡崎まで送っていただき、風呂に入ったり、食事をしながらだらだら東進し、豊橋へ。

ムーンライトながら 豊橋 0:18 → 品川 4:57

いい感じででき上がって豊橋駅に戻ってきたら、ムーンライトながら(以下ながら)が、前を走る新快速が、米原でJR西日本管内との接続をとった影響で、約30分の遅れでもっていまだ大府付近を走行中との放送。ホームに降りたら人だかり。
待合室もないので蒸し暑い中待たされることになる。
改札内に再入場すると、男性客が
「暑くてかなわん。浜松方面行ホームのベンチも全部(ながらを)待ってるお客さんで埋まってて空きがない。どこか座って涼めるところはないか?」
と駅員に訪ねていた。
「放送でまたお知らせするので、名古屋方面行きのホームのベンチを利用してくださって結構です。」
とのこと。便乗して隣のホームのベンチへ。
30分遅れで蒲郡を過ぎた、という放送で、その男性がながらがやってくるホームに移動されたが、私はギリギリまで座っていようと思って残っていたら、先ほどとは別の駅員に
「もうこのホームからの電車はありませんよ」
と声をかけられる。
「わかってる。(私は)MLながらを待ってるんだ。反対側(浜松方面行)のホームを見てみな。ベンチの空席がないだろう。電車到着の放送があったら反対側のホームに行くさ。」
と返した。係員は平身低頭。
本音を言えば、浜松方面からの最終が到着してから電留線へ入庫待ちを8番ホームでするので、こういうときはさっさとドアを閉めずに、その間だけでも待合室がわりに車内で待たせてくれれば、エアコン効いてるだけに全然違うんだけどね。
ちょうどその時、
2本前の普通豊橋どまりと新快速が立て続けに到着。
かくしてながらは35分遅れで豊橋を発車した。
 下りサンライズと浜松駅手前ですれ違った。
ようやく落ち着いた頃、浜松に30分遅れで到着。
浜松から若い男性4人組が乗ってきた。
私が座っているところと、その前の空席が、
「われわれの席のはずだが…。」
という。お互いきっぷを見せた。
0時を過ぎてる駅からのぶんだから、
日付は大垣を出る8月8日ではなく、
8月9日になっていなければならない。
相手のきっぷの日付は8月8日、私のきっぷは8月9日だ。
そこに車掌がやってきた。発行した駅を見るとJR東の某駅だった。
車掌が
「お客さんたち申し訳ないけど、これだときのうのきっぷってことになっちゃうんですよ。この0時過ぎた時の発券がわかってない窓口係員多くてホント困るんだよね~。」
とかいいながら、今日は例の地震速報でキャンセルが出ていて空席が少しならあるってことで、車掌が4人にバラバラにはなるが席をあてがってあげていた。
私には、
「休んでらしたのに申し訳なかったですねぇ」
とひとこと。
東海にしては珍しく気遣いのできる車掌だったので、
「よくあることだから別に気にしないよ。それより発券した窓口(の係員)だよなぁ。」
とか言いながら。
私の隣はキャンセルされたらしく、
珍しく品川で降りるまでだれも乗ってこなかった。

 列車は菊川で運転停車し、遅れている特急貨物を先に通す。
静岡では上下の「ながら」が、わずかの時間差で同じホームに発着するため、夜中だというのに人が多い。
静岡を出た直後に列車が急停止。
直後に「MLながら」同士のすれ違い。
 またなんかあったのか?と思ったら、東静岡駅に隣接する貨物駅から出入りする先行の
貨物列車の信号にひっかかっただけだった。
富士と沼津で貨物を特急待避するのだが、到着時に遅れは回復していくものの、待避相手の貨物も遅れているため、結局思ったほど回復できない。
小田原からは貨物とは別線になり、国府津で運転停車して以降は、特急でもここまでは飛ばさんぞ、普段からこれくらいで走れや。
という勢いでぶっ飛ばす。

 大船通過とともにおはよう放送。
列車の遅れは5分まで回復している。そのまま品川着。

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2013年8月11日 (日)

JR東日本 キヤE193系 East i-D をUP

キヤE193系は、キヤ191系の後継車として、2002年に製造されました。

Jre_east_i_d3

←①                       ③→
キヤE193-1 (Mzc)- キヤE192-1 (Mz)-キクヤE193-1 (Tzc)
の3両固定編成です。 それぞれ
①信号・通信関係の検測。
②電力関係の検測。
③軌道関係の検測。
を担当します。

直接噴射式横型エンジンDMF14HZB
(カミンズ製450PS/2,100rpm)
を、Mzc・Mzにそれぞれ2台搭載する気動車ではありますが、
キヤE192には、架線測定用のパンタPS96Aを2基備えます。

秋田車両センターに配置されていますが、
JR東日本管内のみならず、JR北海道のほか、
山形鉄道などの他社線にも貸し出され、検測をします。

鉄道車両写真集
JR東日本 キヤE193系 East i-D へJUMP

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2013年8月 7日 (水)

近畿日本鉄道 旧400系 409F

近鉄 400系 409Fは、奈良電気鉄道(近鉄京都線の前身)が
開業に際して製造した電動貨車デワボ500形(1928年製)が
そのルーツとなります。

1957年。その下回りを流用し、
全金属製(日車製)の車体を載せこのスタイルとなりました。

Knr_409

奈良電時代はデハボ1300形と称しMc+Mcの2両編成でしたが、
近鉄合併後の1964年。
出力を増強したうえ1両をTc化し、Mc+Tc編成になりました。
(モ455+ク355)

1969年に実施された京都・橿原線の1500V昇圧時、
他の小形車とともに400系に編入され、
モ409+ク309となっています。しかし
他の400系とは、全然違う湘南形の出で立ちです。

晩年は主に生駒・田原本線で使用され
他の400系よりは長生きしたのですが、
老朽化のため1987年に廃車となりました。

鉄道車両写真集
            近畿日本鉄道 旧400系 600系 田原本線用

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2013年8月 6日 (火)

とうとう、1000タイトル 鉄道車両写真集

ココログ様のおかげで、
当局の鉄道車両写真集も1000タイトルとなりました。

ブログの本文については、一度UPすれば、手直しすることはあっても、数年後に手を入れることはありません。
しかし、鉄道車両写真集は新たな画像やデータ、編成表を追加するなどということはしょっちゅうです。
さてその時、ココログの管理画面で作業を進めるのですが、1000タイトルもあれば、目的のタイトルを探すのだけでも大変なのです。
そこで、私はタイトルにひと工夫することにしました。
頭にプリフィックスを追加することにしたのです。
例えば、地方私鉄なら、Lを付けます。LOCALのLです。
次にエリアを表す数字を追加します。
1は関東エリア、7なら東北エリアという具合です。
これは、アマチュア無線局の割り当てに準拠していますから、
私は、まず迷うことにありません。

というわけで、函館市電ならT8です。
tramの8エリアということになります。

まあ、こういう余分なものを追加すると
検索エンジンは順位を下げるのでしょうが、仕方ないですね。

ところで、現在、当局では、
海外の鉄道車両をひとつだけですが、取り上げています。

Korail_9900_0011

韓国の9900系電車
です。
プリフィックスは、X HLです。
HLは、韓国のアマチュア無線局に割り当てられている
伝統的なプリフィックスです。
Xを頭に付けたのは
海外のアマチュア無線局との交信をDXと呼ぶことからです。

今のところ、海外の鉄道車両をUPする予定はありませんが、
インドネシアとか、ブエノスアイレスとか行ってみたいなあ…。

iPhoneから送信

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近畿日本鉄道 旧400系 600系 田原本線用 をUP

近鉄 400系(600系)旧型車

1969年の奈良、京都各線の1500V昇圧工事に際し、
15m級のツリカケ駆動の旧型車の一部について、
従来の車体を流用、昇圧工事を実施することになりました。

Knr_307

本線用はモ600形-モ650形-ク500形+ク550形の4形式による600系、
支線用車はモ400形-ク300形の2形式による400系
と区別されます。

種車は、大軌時代から使用されていたものに加え、
近鉄で増備されたもの、あるいは奈良電からの編入車両もあり、
バラエティに富んでいます。

晩年は田原本線で活躍していましたが、
409Fを除き1977年にはすべて廃車となりました。

鉄道車両写真集
    近畿日本鉄道 旧400系 600系 田原本線用

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2013年8月 2日 (金)

JR東日本 E491系 East i-E 在来線検測用 交直流電車をUP

かつて、国鉄(在来線)では、
軌道検測車”マヤ34” 電力検測車”443系・793系・キヤ191系”
などが検測をおこなってきました。

JR東日本でもこれらを継承し業務をこなしてきましたが、
いずれの車両の老朽化が進み、
新たに検測車を導入することになりました。

それがE491系"East i-E"とキヤE193系"East i-D"です。
電化区間においては"East i-E。
非電化区間においては""East i-D"が担当します。

Jre_east_i_e_1

"East i-E"においては、
”軌道測定”と”電気測定”が一度にできるようになりました。
なお車体はE257系に近いのですが、こちらは交直流電車です。

先に登場した東北・上越・長野新幹線用の検測車E926系
”East-i”のコンセプトを受け継ぎ、測定機器なども
E926系で導入された最新のシステムを搭載しました。
またカラーリングもE926系と同じです。

ちなみに
”East”は JR東日本の「東(East)」
”i”は ”intelligent”「知能が高い」”integrated”「統合された」
”inspection”「検査」と三つの意味を併せ持ちます。
最後の”-E”は 電車(electric car)の意味ですね。

鉄道車両写真集
            JR東日本 E491系 East i-E 
在来線検測用 交直流電車

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