8/9(金)
日田→田川後藤寺→新飯塚→直方→(平筑鉄道伊田線)→金田
→(平筑鉄道糸田線)→田川後藤寺→西小倉→戸畑→(市営渡船)
→若松→折尾→直方→筑豊直方→(筑豊電鉄)→黒崎→香椎
→雁ノ巣→香椎→博多→厚狭→小野田→雀田→長門本山
→雀田→新山口→新大阪
ここで筑豊の鉄道についてうんちくを傾けてみよう。
日本の鉄道は民鉄が路線を拡張してきた歴史がある。
しかし戦争に突き進む明治時代の終わりころから
政府は軍事輸送のため鉄道を国有化する必要があった。
1906年に鉄道国有化法案を成立させる。
このときすでに筑豊には大小さまざまな炭鉱が存在し、
石炭を積出し港に運ぶ鉄道が網の目のように張り巡らされていた。
この石炭を運び出す民営路線の多くが国有化され
国鉄線となったのである。
最盛期の1957年(昭和32年)頃には
筑豊地域に300近くの炭鉱がひしめき、
各炭鉱から産出した石炭は直方駅に集められ
1日あたり約50本、計2000両もの石炭列車が若松港へ
と発車していったという。
しかし、この年をピークに炭鉱は次々と閉山していく。
目的を失った国鉄線は次々と廃線の憂き目にあうのである。
皮肉にも鉄道国有化法案が成立した80年後、
国鉄自身も国鉄民営化法案によって民営化されてしまった。
JR移行後に残った路線は
筑豊本線、日田彦山線、後藤寺線の3線のみで
3セク化されて生き残ったのが
平成筑豊鉄道(旧国鉄伊田線、糸田線、田川線)である。
さて今日は筑豊本線と日田彦山線を乗り潰して
帰りに小野田線と本山支線まで乗り潰すことにした。
同じルートを2回通らないように経路が一筆書きになるように工夫した。
結果、短い距離を何回も乗り換える結構ハードな行程となった。
日田発7:35発田川後藤寺行きの単行の気動車キハ125に乗る。
夜明駅から久大本線と分かれ日田彦山線に入る。
宝珠山駅で福岡県に入り、さらに山深く入り急勾配を登っていく。
釋迦岳トンネルが分水嶺となり
遠賀川水系に沿って線路は下っていく。
田川後藤寺着8:48
ここで後藤寺線に乗り換えて新飯塚着9:11。
後藤寺線船尾駅あたりはセメント工場が立ち並ぶ。
麻生セメントと書いてある。
元首相の麻生太郎の地盤なのであろう。
新飯塚で筑豊本線に乗り換えて直方まで出る。
直方から平成筑豊鉄道伊田線に乗る。
金田で糸田線に乗り換えて再び田川後藤寺に戻ってきた。
伊田線は複線が保持されていた。
最盛期の1957年、田川伊田駅は年間の石炭発送量が79万トン。
筑豊一を誇った駅であった。
その輸送量を支えたのがこの複線の鉄路だったのだろう。
今は単行のレールバスがつつましく走るのみである。
田川後藤寺駅でJR日田彦山線に乗り換えて西小倉まで行く。
田川後藤寺発10:17の気動車は満員の乗客を乗せて
小倉へ出発した。
この車両はキハ147である。
日本全国で今だに活躍しているキハ40系の改造車である。
昭和時代に作られた車両は重量感があり武骨そのもの。
そろそろ引退の時期がせまっているのだろうが
がんばってほしいものだ。
西小倉で鹿児島本線に乗り換え、戸畑で降りる。
駅から少し歩くことになるが、
市営渡船を利用して、若松駅を目指すことにしたのだ。
市営渡船は若戸大橋の真下を通り洞海湾を横切る。
所要時間は3分間、100円で乗れる。
地元の人たちにとっては、日常の足代わりだ。
自転車ごと乗る高校生も多い。
若松港から若松駅までは徒歩10分ほどである。
ただ、炎天下、徒歩での移動はつらかった。
若松駅では、まずビール!
そして立ち食いうどんでエネルギー補給だ。
若松駅13:13発折尾行き気動車に乗る。
折尾駅では門司港方面から来る
筑豊本線直通の電車に乗り換える。
そのためには一度改札を出て
鹿児島本線から筑豊本線への渡り線上にあるホームへ
行かなければならない。
乗り換えで、また一汗。これは不便極まりない。
今、折尾駅が改装工事中であるので
この不便さを解消する努力をしてもらいたいものだ。
篠栗線経由博多行きの電車に乗り、直方着13:58。
おわかりいただけたかな。これで筑豊本線完乗だ。
次は筑豊電鉄に乗ってJR黒崎駅まで出る。
JR直方駅から筑豊電鉄直方駅まで約1Kmを歩いた。
なんで、こんなに離れているのやら。
体の水分がすべて汗になって出てしまった感じだ。
まったく、このクソ暑いのに何をやっていることやら。
今にして思えば、まあ熱中症にならずにすんでよかった。
筑電直方駅でも水分補給をして黒崎行きの電車に乗り込む。
車内は冷房が効いていて「地獄に仏」の心地であった。
筑豊電鉄は、2両編成で見るからに路面電車の感じである。
だが、複線、標準軌で専用の軌道を走る。
電車には車掌が乗務し両替をしてくれる。
でも、なぜ切符を売らないのだろう?
両替だけなら、両替機でもできるではないか。
思えば、今時珍しい乗客との距離が近い電車である。
えちぜん鉄道のようなアテンダント的役割をやれればと思う。
路線は遠賀川をはさんで筑豊本線とほぼ並行して走る。
ダイヤは1時間あたり2本が確保され、運賃は直方~黒崎で420円。
JRと同じ区間で比較すると30円安い。
途中からの乗客も多く
北九州の近郊路線としての役割が十分あるように感じた。
黒崎駅でT氏と別れ、私は博多まで戻り香椎線を潰してから
新幹線を利用して厚狭でT氏と合流する予定を立てた。
しかし時刻表を1時間見誤ってしまっていた。、
つまり香椎線をすべて乗ってからでは
小野田線本山支線に乗れない事が判明したのだ。
せめて香椎から西戸崎だけでも往復してやろうと思ったのだが
香椎から乗った気動車は雁ノ巣止まり。
あきらめて雁ノ巣から博多まで引き返すことにした。
お土産を買い込んでから
博多発16:22のこだま752号に乗った。
普通列車ばかりで移動してきたので新幹線の座席は快適そのもの。
コーヒーでくつろぎながら厚狭着17:13。
厚狭で山陽本線に乗り換え小野田駅で小野田線に乗り換える。
小野田発17:42のクモハ123の単行電車、
宇部新川行きに乗り、さらに雀田で乗り換える。
旅の最後はJR線で最も乗りにくいとされる本山支線。
1日3本の運行で7時台に2本と18時台に1本しかない。
雀田18:12発長門本山行き1325Mに乗り込むと、
乗客は「鉄」とおぼしき人が我々を含めて4人、
宇部新川方面から来た電車から乗り換えた乗客が3人いた。
3人の乗客は高校生ですべて終点長門本山で下車した。
1日3本の運行でも定期客がいたことには感動すら覚える。
長門本山駅はすぐ前が瀬戸内海である。
昔、海底炭鉱があってここから石炭を運んでいたそうだ。
閉山になって久しいのに
鉄路だけ残されているのは不思議な感じがする。
いずれJR西日本は廃線にするだろうが、
日本中でここしか走っていない珍車が見られるため
「鉄」にとって長門本山駅は「聖地」なのかもしれない。
帰りは同じ電車で雀田まで引き返し、
雀田から宇部線経由で新山口まで出て
新山口発20:05「のぞみ」96号で帰阪した。
盆休み直前の金曜日なので「のぞみ」の自由席は混んでいた。
なんとか席を確保できたものの
広島からは立ち客が出るほど混み出した。
T氏は青春きっぷをしゃぶりつくすために
岡山で「さくら」に乗り換えて姫路まで行き新快速で帰阪した。
ほんまにようやるわ。
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