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2012年4月の記事

2012年4月30日 (月)

珍車ギャラリー 急行「はまなす」第1回 カーペットカー オハ14形500番台をUP

津軽海峡線開通の1988年.
運転が開始された急行「はまなす」は、
      2012年3月のダイヤ改正以後、
      JRにおける、唯一の定期急行列車となりました。

      それだけでも十分珍車といえるのですが、
      言わば、それは結果論に過ぎません。

今回、それでもなお、編成としてまとめて
「珍車ギャラリー」で取り上げるのことにしました。
それというのも
      「はまなす」編成を構成する一両一両が、
      最後の急行であるか否かにかかわらず、
個性派ぞろいだからです。

      「はまなす」の基本編成は14系客車7両で、
      自由席2両、指定席3両、B寝台2両。となっています。

Jr_h_oh14_515
      
      第1回目は、④号車 カーペットカーです。

珍車ギャラリー
JR北海道 「はまなす」① カーペットカー オハ14形500番台
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2012年4月25日 (水)

JR東日本 E751系 特急「つがる」をUP

JR東日本 E751系は、1999年から2000年にかけて
東急、近車で製造されました。

Jre_e751_a102_06

E653系がベースとなる交流用特急電車で
VVVFインバータ制 御(IGBT素子)となっています。

2000年3月より
盛岡-青森間の特急「スーパーはつかり」としてデビューしました。

2002年の東北新幹線八戸開業時には、
八戸以北に運行区間を減らし「つがる」として6連で運行しています。
ここでは、この当時の画像をUPしています。   

2010年12月の東北新幹線新青森開業時にいったん運用離脱、
2012年4月現在、4連に短縮され、
再び「つがる」として青森-秋田間で使用されていま す。

鉄道車両写真集
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2012年4月23日 (月)

小田急電鉄 7000系LSE 7000系リニューアル車 をUP

小田急7000形「LSE」 7000形は、
1980年にデビューしたロマンスカーです。

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1963年に登場したNSE車(3100形)と同様、
前面展望席を設けたスタイルを踏襲しています。 

LSE車は11両連接の固定編成で、
両端とも付随台車となっているサハ7050形以外は、
電動車のデハ7000形ということになりますが、
一括りにできないほどバラエティーに富んでいます。    

制御装置は、電気ブレーキ付き電動カム軸式抵抗制御の
MM-39A形(東芝)(1C4M)、
駆動装置は、TD平行カルダン駆動方式で、歯数比は80:19=4.21。
ブレーキは、電気指令式電磁直通制動のMBS-D形。
台車は、アルストムリンク式空気ばね台車
(FS508B(先頭=電動台車 住金製)など)です。
主電動機の出力は140kW。
TDK-8420-A形[東洋]とMB-3262-A形[三菱]、の2種類。
これらは、ロマンスカーの標準仕様といっても良いでしょう。

冷房装置は、集約分散式冷房装置
CU-195形[(10,500kcal/h×3)三菱]で、
先頭車両端は別途CU-23形(4,500kcal/h×1)[三菱]
を追加しています。

1995から97年にかけて、リニューアル工事を実施、
HiSE車に準じた塗装デザインとなりました。
(ただし現在は旧塗装に復帰しています)

4編成在籍しましたが、2010年に02Fが廃車となっています。

鉄道車両写真集
小田急電鉄 7000系LSE / 7000系リニューアル車
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2012年4月21日 (土)

西武鉄道 5000系 レッドアロー号をUP 

西武鉄道5000系は
1969年の西武秩父線の開業にあわせて登場した
西武初の有料特急用車両です。

Seibu_ra_chichibu

当初は4連で新製されました、後年6連化され、
1978年には6連×6本=36両が勢揃いしました。

なお、78年に登場した5000系は日立製です。
(以後の増備車は西武所沢工場製)
足回りについては、旧101系と同じく、
出力アップした150kwのモーターを搭載し、
(HS-836-Nrb・Prb/TDK-8010-A)
電気ブレーキ付きの電磁直通ブレーキを採用しました。
(HSC-Dブレーキ)

101系は「ASカー(All round Service Car)」とも呼ばれます。
これは急勾配が続く西武秩父線を走行する一方で、
通勤路線である池袋線でも十分通用する万能選手です。
それゆえ秩父線特急5000系レッドアローも
101系と同様の装備を有することとなりました。

1994年、10000系NRAが池袋線にも配属されました。
以後5000系は順次置き換えられ、
翌1995年には
西武鉄道から全編成がその姿を消しています。

鉄道車両写真集
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2012年4月20日 (金)

JR四国 8000系量産車(リニューアル以前)をUP 

JR四国 8000系量産車は
1992年3月の試作車が登場してから1年後の1993年3月。
新居浜 - 伊予北条間の電化開業に合わせてデビューしました。

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岡山行き「しおかぜ」用L編成5連と、
高松行き「いしづち」用S編成3連にを併結する仕様となっています。

1998年には岡山方面に向かう基本編成を
少しでも先に行かせるために8000系は方向転換をしています。

2002年には分割併合する駅を多度津から宇多津へ変更しました。

なお8000系は2005~06年にかけてリニューアルされています。
これらについては別タイトルでUPします。

鉄道車両写真集
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2012年4月18日 (水)

JR北海道 急行「はまなす」をUP

JR北海道 急行「はまなす」は、
津軽海峡線開通の1988年に運転が開始されました。

2012年3月のダイヤ改正以後、
JRにおける、唯一の定期急行列車です。

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基本編成は14系客車で、
自由席2両、指定席3両、B寝台2両の7両編成が基本です。
ただ寝台車2両のうち、1両は24系客車を使用し、
スハフ14形から電源の供給を得ています。

5・6号車の2両は、指定席車で、
キロ182から転用したリクライニングシートを備え
「ドリームカー」として差別化を図っています(ミニラウンジ付き)。
4号車は、指定席料金でありながら
横になって就寝できる「カーペットカー」で、人気があります。
(更衣室付き)。

なお札幌-函館間はDD51形ディーゼル機関車が、
函館-青森間はED79形電気機関車が牽引機となります。

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JR北海道
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2012年4月13日 (金)

懐かしの阪急京都線その2 -1300系/1600系- をUP

阪急電鉄1300系は
京阪神急行電鉄の初期高性能車である1010系の京都線版です。
1957年デビューしました。

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WN駆動の1010系とは違って中空軸平行カル ダン駆動であり
MM'ユニット方式による
1C8M制御(ES-563A・B東洋製)が採用された点と
1次車は2ドアのクロスシート車で登場した点が注目です。
(後年2次車以降と同様3ドアロングシート車に改められています。)

1971年以降、主に千里線で使用され、
1975年には冷房改造されています。
最後は嵐山線で活躍、1987年に廃車されました。

Hk_1600_0003

1600系は旧型車の部品流用車である1200系の京都線版です。
100形(P-6)の主電動機を流用しています。
1200系とは違って台車と制御器は新製されていますが、
もちろんツリカケ駆動です。
1957年から製造されました。

主に千里線で使用されましたが、
最後は嵐山線で活躍、1983年末に廃車されました。

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2012年4月12日 (木)

サイキョージ氏の鉄旅-木次線、芸備線に乗ってきました。-

サイキョージ氏の鉄旅 「木次線、芸備線に乗ってきました。」

4/6 1日目

今回利用したきっぷは「こだま・やくも指定席往復きっぷ」。
大阪市内~米子で\12,000だから
ほぼ40%の割引率でお得なきっぷである。

新大阪~岡山間に「こだま」を利用しても
「のぞみ」に比べて20分ほどしか違わず座席も快適なので
各駅での通過待ちの時間も我慢の許容範囲である。

旧ひかりレールスターに乗り、
岡山でやくも9号に乗り換え新見で下車。

「こだま・やくも」のきっぷは下車前途無効になるので
多少もったいない気がするが
帰りは米子から利用するので、これでも十分元がとれる。

新見で昼食後、きっぷを「青春18」に変え
13:00発の備後落合行きの単行気動車キハ120に乗車。

車内は春休み中であるにもかかわらず
部活帰りの高校生が多いのか満席である。
運転手のほかに保安要員も2名乗車している。

「鉄」の指定席に保安要員が立っているため
前方の写真が撮れない。
高校生以外は地元の人が少しと
あとは「鉄」とおぼしき人たちである。

新見(岡山県)~東城(広島県)間(25Km約35分)は
1日6往復の運行であるが通学時間にあわせたダイヤを
組んでいるため高校生たちの通学列車の様相である。

東城まで乗っていた生徒もいたので、県境を越えて
通学に利用している高校生もいることがうかがえる。

東城の一つ手前の駅までは岡山県なので
新見地域と行政上での区分は異なるが
同じ文化圏で人の往来が多いようだ。

東城~備後落合間(25Km約50分)、
車内はカメラとデイパックをもった「鉄」とおぼしき人のみ。

運行本数は備後落合まで1日3往復のみで
通学時間にあわせたダイヤを組んでいないため
「鉄」しか乗らない路線になってしまっているようだ。

列車が駅に止まっても誰も乗らない。誰も降りない。
この区間に住む高校生たちは
どのような通学方法をとっているのだろう。

東城を過ぎると気動車は成羽川(高梁川の源流)沿いの
山峡の崖っぷちをゆっくりと進む。
芸備線で一番の難所である。

15,20,30という速度規制の立て札があちこちにある。
保安要員は図面を確認しながら
線路状況をチェックしているようだった。

先日来の雨で倒木や落石があった様子で
この区間は特に注意を払っているようだ。
JR西日本はここを廃線にする以外
抜本的な対策を講じることはないだろう。

危ない箇所があれば即運休にして代行輸送すると思われる。

道後山駅の改札口に
「国鉄ご利用ありがとうございます」
というかわいい看板が掲げてあった。
駅舎も国鉄時代のままである。

ただ利用者と列車の本数が減っただけで
そのまま時が過ぎ去ったようだ。
哀愁を感じつつ小島原橋梁をすぎると14:23備後落合に到着。

この列車は折り返し新見行きになる。

備後落合は山峡にある秘境ターミナル駅といってもいいだろう。
ここから山陰方面に木次線が分岐する。

駅には木次方面から到着した単行気動車が待っていた。

すぐ後に三次からこの駅で折り返す単行気動車が到着し
駅には3両の車両が止まり
「鉄」しかいなかったホームは、つかの間の賑わいを取り戻す。

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備後落合駅は蒸気機関車の時代、機関区があり
たくさんの鉄道関係者が働いていた要衝の駅だったのである。

ホームの「鉄」は3方向のいずれかの列車に乗り
備後落合を出発し駅は静けさをとりもどす。

私は木次線の単行の出雲横田行きに乗り換える。

木次線は4月1日より運行する「奥出雲おろち号」にあわせて
出雲横田~備後落合間の運行を再開したばかりだった。

積雪を理由に3か月間も運休(代行輸送あり)になっていても
誰も困らない路線になってしまっているところがなんとも悲しい。

備後落合~出雲横田間の運行も1日3往復。
備後落合を出ると30‰の急勾配がつづき、
油木と三井野原の間で島根県との県境を越える。

三井野原駅はJR西日本の最高点で標高726m、
スイッチバックを経て標高564mの出雲坂根に下りてくる。
乗っていて圧巻である。

Sakane2

鉄道と併走する国道314号が整備され出雲坂根まで
急勾配を下る気動車から
美しい3段のループ橋(通称おろちループ)が見える。

車を使えばこの鉄道の難所も
あっという間に移動できるようになっている。
地元の人が鉄道を利用することはほとんどない。

それだけに観光鉄道に生き残りをかけて
「おろち」号を発展させてほしいものだ。
「鉄」でなくとも、このスイッチバックは観光資源になると思う。

さて気動車は出雲横田に到着。
ここで20分ほど停車しそのまま宍道行きになる。

出雲横田は駅員もいる駅で
駅舎の入り口に巨大しめ縄がかかっている神社風の
すばらしい駅舎である。

Yokota2

「鉄」の皆さんは心得たもので
駅前にあるコンビニで食料や飲料を調達し
トイレも済ませて車内に戻って来られた。

ここから宍道までは地元の人の利用もあり
普通のローカル線の風情である。
宍道着17:36ここで山陰線に乗り換え玉造温泉に1泊する。

4/6 2日目

玉造温泉から米子に向かい境線の鬼太郎列車に乗りに行く。
出雲市~松江~米子間は距離にして約60Km。

この間は電化もされ鉄道の便が良い地域であるが
伯備線に直行する列車以外は電車が使われずに
気動車での運用が多い。

気動車のほうが安上がりなのかなと思ってしまう。
米子から「鬼太郎列車」に乗って境港に到着。

Kitarou2

キハ40を改造した鬼太郎ラッピングの気動車が
4種類運行されている。

座席も車内もキャラクターに統一された
JR四国の「アンパンマン」列車のようだ。

境港駅に降り立つと
町全体が鬼太郎テーマパークのようになっていて、
楽しくなってくる。

町おこしが成功した事例だと思う。
再び米子に戻り「やくも・こだま」と乗り継いで帰宅した。

最後に、

JR東日本が岩泉線の廃線を決めたように
JR西日本も早晩、芸備線の東城~備後落合間、
木次線の出雲横田~備後落合間を廃止するのではなかろうか。

並行する道路状況も岩泉線よりはるかによく、
廃線にしてもバス輸送で事足りると思われるからだ。

廃線を防ぐためにも境線のように
周辺自治体がJRに対して観光路線に徹して生き残りを計るように
働きかけをしていくべきであろう。

一案として備後落合の転車台を再整備して
新見~備後落合間でおろち号に接続する
SLイベント列車「ヒバゴン号」を運行するのはどうだろう。

昔の賑わいを知る人にとっては涙がでるだろうし
停車駅で地域の特産品を売れば地域の活性化にもなる。

ツアー客を呼び込むために
備後落合駅前を大型バスが入れるようにして
出雲横田~備後落合間もしくは備後落合~新見間だけでも
観光列車に乗ってもらえれば
十分採算が合うのではないだろうか。

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2012年4月11日 (水)

懐かしの阪急京都線その1-2800系- をUP

阪急電鉄2800系は1964年に登場した京都線特急専用車です。
扉間オール転換クロスシートの2ドア車で、
十三-大宮間をノンストップで疾走する姿は、
まさに阪急のフラッグシップ的存在でした。

Hj_2800_0003

計56両が1973年までにナニワ工機(アルナ工機)で製造され、
4連+4連の8連で用いられました。

1976年には、6300系にエースの座を譲り
1979年までに順次3扉ロングシート化され、
急行や各停として用いられることになります。

嵐山線用として残っていた4連2本が1995年に廃車となり、
系列としては、これが最期となります。

兄貴分である2300系が2012年現在未だに元気に活躍している
ことを考えるとあまりにも短い生涯だった気がします。

なお7連化によって余剰となった車両は、
2300系に組み込まれました。
(神戸線の5000系等に組み入れられた事も)
これらは2001年に姿を消しています。

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2012年4月 7日 (土)

珍車ギャラリー 南海 特急「こうや」号用 31000系をUP

南海 特急「こうや」用31000系は 1999年に登場しました。

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30000系「こうや号」の代替用に製造されたものではありません。
      増備するというのであれば、30000系で良いわけです。
      制御方式がVVVFに変更されたための新形式か。
      といえばそうでもない。
      31000系はオーソドックスな抵抗制御です。

31000系の生い立ちに迫ります。

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2012年4月 3日 (火)

Dr.K 2012年3月の鉄旅 E657系に乗るゾ!?

宿を出て横浜線で朝一かいじで八王子から新宿へ。
小田急で戻るつもりが風でダイヤがグダグダ。
あずさで八王子に戻り、風で若干遅れている横浜線で町田へ。

町田の箱根そばでショコラ氏夫妻と合流して早めのランチをとり、
ダイヤが戻りつつあるロマンスカーで新宿へ。
雨風が強いが、この時は11時から
常磐特急が風邪をひいている
(鉄道用語で強風が原因で運転を見合わせているの意)
なんて知る由もない。
新宿西口の当日券専門のみどりの窓口に並ぶ。

まずは、ショコラ氏夫妻が山手線内~大甕の乗車券と
上野~大甕間の自由席特急券を無事購入。
引き続き、私も周遊きっぷのゾーン券を提示し、
大甕まで足が出る取手以遠の乗車券と
自由席特急券を所望した。時刻はまもなく14時。

「取手は停まらないので、
最も外側の駅から特急料金をお支払いいただくことになります」

…またか。やっぱり、
これがやはりJR東日本のサービス品質なのだな。
「この時間ですと15:00発にご乗車ですよね…
これですと、上野~水戸間停車しないので、
(自由席特急料金は)上野からお支払いいただくことになります」
と、しゃあしゃあと虚偽の説明。

「時刻表の案内文とあなたの言ってることと、(内容が)ちがうけど」

「少しお待ちください、確認いたします」と、3分ほど放置される。
戻ってきた女性係員は、やはり取手は停車しないので
取手からの発券はできないという。
時刻表の22ページに、
取手に停まるか停まらないかは関係ないと書いてあるのに

「取手からの特急券はお出しできません。
柏からなら発券が可能です」
とこれまた虚偽の説明。
「取手~大甕間はちょうど100キロだから、
柏からだと特急料金変わるから困るんだけど。
その差額はどうするわけ?」
「取手からの特急券はここでは発券できません」
「(中央線の)高尾からの特急券は出てくるのに、
なぜ取手からは出せないわけ?料金が違うのに
柏からの発券にこだわるのはどういうつもりだ?!」
「いやそんなつもりでは…」
またも10分ばかし放置される。
ようやっと取手からの特急券が出てくる。

今一度、これを御覧の諸兄にお尋ねします。
この間違い方の頻度と見事なまでの同じ間違い方、
どう思われます?

時間は14:25。時間考えろっての。ぎりぎりじゃねぇか。

新宿から中央快速に乗るも、東中野で非常停止ボタンが扱われ、
中央快速が中野駅付近のセクション内で
停車してしまったため、順送りとなり、四ッ谷で足止め。
(いったん駅に電車をとめてしまい、
前を走る電車が1つ前の駅を出発したら出発できるという寸法)

各駅停車がすぐに復旧したので乗り替えたら、
飯田橋で架線に障害物でまた足止め。振替がすぐでたので
地下鉄で上野へ。上野に着いたら14:57。

ところが、特急ホームについてみると、
11時のスーパーひたち19号と11:30のフレッシュひたち21号が
停まったままで、黒山の人だかり。
助役が出て対応している。どーゆーこと?

…てか、11時以降風邪をひいているのなら、
なぜその情報が14時時点で新宿駅のみどりの窓口に
伝わってないわけ? 
発券したらあかんでしょ。新宿駅のおねえさん。

我孫子までの快速は動いているけど、
我孫子より北が動いていない。
しかたなく、上野駅そばの懐かしの串カツ屋
(注:小生とショコラ氏は、ともに大学時代に
通学経路上にあたる上野駅近くのバイト先で知り合った。
そこのバイト仲間でよく呑んでた店)
で一杯やりながら様子を見ようということになる。

2時間後、戻ってみたら
復旧したのは取手までと成田線直通だけ。
取手以遠は断続的に見合わせているため、
特急が出れない状態。

ここで断念。無念の払戻し。

他の路線も風邪が大流行しているので、
特急のダイヤが乱れまくっており、
特急列車を味わっても戻ってこれるかが心もとないので
他線も断念。

ここでショコラ氏とは別れ、東京駅に移動し、
東海道新幹線が風邪をうつされないうちに
無念の帰還とあいなった。

GWにリベンジするぞ。

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2012年4月 2日 (月)

Dr.K 2012年3月の鉄旅-諏訪からJR東日本本社へ 

(ワイドビュー)しなの9号  京都9:25 ➝ 塩尻 12:52

今日は諏訪への出張。というわけで、
名古屋での乗換を嫌って京都から383系しなのに乗車。
年度末で学生は春休みに入っているので、
平日でも8両に増結されている。
京都発の時点では指定席はまばらだが、
自由席はそれなりの乗車率。

ダイヤが若干乱れていて、
野洲の場内信号に引っ掛かったりで、
若干の遅れをもって運行している。
そのため、普段ならこの列車が出た後
すぐに8番線に入線する208F普通(米原発10:30、313系ブツ4)
がすでに入線しており、しなのが7番線に発着した。

結局、名古屋まで遅れを引きずったので、
名古屋では普段2分停車するが、利用客とともに車販氏も
慌ただしく乗車する。

名古屋からは春休みの行楽客、
ビジネス客などがわんさと乗車し、
指定席も一気に乗車率が上がる。
快調に飛ばしていくが、383系用の立ったスジなので、
回復はままならない。

中央線に入ると、山間区間に入った十二兼からは
一部単線区間があるため、ダイヤに気をもむことになる。
多治見、中津川で悠々自適な山男たちを拾い、
さらに乗車率が上がる。

塩尻には遅れて到着したが、これをのがすと
2時間ほど茅野以遠に行く普通列車がないため、
乗換の小淵沢行普通は待っていてくれた。

ただ、塩尻駅の構造上、ミニエコー(辰野行)が
3番線に居座っている時は、同じホームでの乗換が不可能
(辰野側からは2・3番線にしか入れず、
辰野方面へは3番線からしか出発できない、
名古屋方面から松本方面へ抜ける列車は、
4番線か6番線でしか発着できないので、
3番線があいていないと同一ホームでの乗換が
物理的にできない)
なうえ、名古屋、新宿寄りにしか跨線橋がないため、
2号車に乗っている私や、グリーン車に乗っておられる
ご年配の方にとっては地獄を見ることになる。

それでも無事、駅員の誘導で、
1番線で待つ小淵沢行に乗り換えられほっと一息。
上諏訪まで移動。

仕事の後、
諏訪湖が見える温泉宿で山菜料理と地酒と温泉を満喫。


あずさ20号 上諏訪14:13 ➝ 新宿 16:37

今回も首都圏での移動を考慮すると、
周遊きっぷを使った方が得になるので、これを利用したのだが、
諏訪での仕事後、翌日の東京都教育委員会の担当者との
アポまでの時間(16:50)の使い方は決めていなかったので、
中央東線の特急券ははじめから現地調達のつもりだった。

小海線や、大月まで行って富士急に乗ることも考えたが、
朝寝坊してしまったので、朝風呂に入り、諏訪の街に繰出し
昼食をとり、定刻ならジャストタイミングで
新宿に到着するあずさ20号に乗ると決めた。

というわけで、あずさの自由席ならば、
特急券は高尾まで買えばOKなので、
これを買い求めるべく少し早めに上諏訪駅に行った。

おや? なぜに、今頃
1本前のスーパーあずさ18号が来てるんだ? 
松本発なのに10分以上遅れてるぞ。

ネットで調べるとJR西日本管内で早朝に人身事故があり、
モロに朝のラッシュを直撃したため、
前日、私が乗ってきたしなの9号は、朝ラッシュのピーク直後に
始発駅の大阪を出発するため、それに巻き込まれてしまって
30分ほど遅れたため、塩尻で接続をとったらしい。

上諏訪のみどりの窓口で、周遊きっぷを提示し、
窓口の年配の男性係員に前述の高尾までの特急券を所望した。
「…高尾? 高尾は特急停まらないけど、乗車券?」
「いや、特急券(周遊きっぷの高尾までの往路券と
ゾーン券を係員に提示している状態なので)」
「…高尾は(特急)停まらないんですよ」
「いや、これ(周遊きっぷの往路券+ゾーン券)持ってるから、
高尾まででいいはずでしょ?」
「え?」
「自由席ですよ。指定とらないですよ」
「(上諏訪からだと)八王子と高尾は特急料金同じだから…

なんという大ウソ!

 …またですよ。

ここ1年以内のところだけでも、
2011年3月、4月、5月、8月、2011年12月の鉄旅 JR東日本にもの申す!
(詳細はリンクへ)
の東京、新宿、かいじ101号の車掌、甲府駅のおねえさん、
そして今回…。

「は? ここ(上諏訪)からだと、高尾と八王子の間で
150kmに達するから特急料金が変わるはず。」
「…? ほんとだ、ごめんなさいごめんなさい」
「しらばっくれるな!
客が(お金をごまかしているのを)わからないと思っているのか?
冗談じゃない!」
(見てのとおり、2000円で釣りがくるはずが、
足りなくなるから、非常にわかりやすいのです)

「ごめんね~」

…ナメてますね。
何をヘラヘラしとんねん。

これだから国鉄世代の化石のオヤジは
対応という意味でもなってなくて使えねぇ。

挙句の果てに、同じ金額の大月までの特急券を
指定席画面から出す始末(自由席の発券入力画面から
たどれば、何の問題もなく出せるでしょうが)。
それに駅名付きの訂正印を押して大月の印字を雑然と消し、
手書きで高尾と書き直す。

こんなやりとりがあったので、
上諏訪駅で乗る時点でかなりイライラ。
イライラをおさめるべく、足湯で癒される。
家族連れが2組おられほっこり。

かくして、あずさ20号は、しなの9号の遅れで
乱れた中央西線の接続を塩尻でとったため、
3分遅れでやってきた交換相手のスーパーあずさ15号が
待ちぼうけをくらっている(上諏訪の新宿寄りにある
普門寺信号場から岡谷までの区間は単線区間)。

11両編成の3~5号車の3両が自由席なので、4号車に陣取る。
次の茅野を過ぎたところで若い車掌が検札に来た。
周遊きっぷの往路券とゾーン券、
さきほどの高尾までの自由席特急券を提示。

「この列車は高尾には停まりませんが、
どちらまでご乗車ですか?」
「新宿まで」
車掌がまじまじと切符を見始めた。めっちゃ挙動不審。

この車掌もですよ。
 …というわけで、上諏訪の一件でかなりイラっときているのと、
わが身を守るため、録音を開始。

「320円いただきます」
「…はい?」
「…」
「その320円って金額、どっから出てきてん?」
(上諏訪のおっさんとのイライラもあり
ガラの悪い地元の言葉に戻っています。悪しからず)
「…上諏訪から…新宿までご乗車されるのですよね?」
「そうや」
「上諏訪から高尾までの特急料金が1780円です」
「それはわかってるよ
(だから、その区間の自由席特急券はちゃんと乗る前に
上諏訪駅で買ってから乗っている)」
「上諏訪から新宿までの特急料金が2100円で、その差額です。」
「なんで(周遊きっぷのゆき券とゾーン券を持っているのに)
高尾から新宿までの(自由席)特急料金が発生すんねや」
「…」
「だから、周遊きっぷのゾーン券を持ってんのに、なんで
その区間内の(自由席)特急料金がいんねや(いるんだ)!!」
…以下、上諏訪の駅員とのやり取り、
昨年12月30日の件にて怒り爆発。

これを御覧の諸兄は、この間違い方の頻度と
見事なまでの揃い方(口裏の合わせ方)、どう思われます?
異常じゃないですか?
普通の民間企業なら絶対に考えられない。

そんなこんなで、富士見を経て小淵沢。
小海線からの山レジャーの客を大量に拾う。
さらにこの列車は韮崎にも停まるので落ち着かない。
怒りをおさめるのに、甘いものが欲しくなって、
車販嬢からアイスを購入。

自由席は甲府で超満員になり、
空いていた私の横に新宿まで男性が座られた。
身延線はまだふじかわが来てないので若干さびしい。

ここからは八王子までノンストップ。
やっとあずさらしくなったところで八王子まで爆睡。
八王子、立川では若干の入れ替わりはあるものの、
ほとんど減らない。これには少々驚く。

かくして遅れは立川からの区間で取り戻し、新宿には定刻着。
教育委員会のある都庁第二庁舎に急ぐ。

都庁での書類の確認、受け渡しを済ませ、
午前中にアポをとっておき、
サービス品質改革部次長氏からのありえない手紙を持参し、
JR東日本本社を17時半に訪問。

サービス品質改革部の2名の方に、
まずご意見承りセンターのオペレータの対応と
次長氏の2度の手紙の内容が非常に高飛車であること、
現場の実態はその内容と著しく乖離しており、
利用客に実害が出ていることを伝え、
手紙で書かれていることが明らかに事実と異なる
ということを伝える意味で、これは予定外だったが、
今日の上諏訪駅でのやり取りを録音したもの
を聞いていただいた。
車掌の検札の場面は
こちらの音源の電池切れで聞いていただけなかったが、
上諏訪駅でのやり取りを聴いたお2人は顔が凍りついていた。
しかし、果たしてそれが会社組織として本物かどうかは疑わしい。

それは今後の対応をみて、というところであろう。
実は、例の差額を返していただくつもりではあったが、
上諏訪駅での対応と
あずさ20号の車掌の対応でその気は失せた。

JR東日本が自ら、
この件で自社の係員が本来あるべき対応をしていなかったことを
公に認め、他に同様の被害を受けた客がその被害に気付き、
被害を取り戻す機会を与えるか、こちらにきちんと謝罪の場を設け、
きちんとお互いの顔を見てしかるべき謝罪をうけ、
その場で直接手渡しによる返金されるまでは、
解決の道はない。

その後、12月30日も訪れ、北斗星で自爆した都内のショコラ氏の
行きつけの飲み屋にアポなし直撃。

しばらくするとショコラ氏夫婦がやってくる。

ひょんなことから、
E657系乗車にお2人が同行されることになった。
目的地はショコラ氏の思い出の地大甕。

乞うご期待。

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