2012年3月16日(金)
新潟発大阪行 急行きたぐに ラストラン
今年度はダイヤ改正日(3月16日・17日)に、わが社では
年1~2回ある全社一斉の禁足業務命令が出てしまったため、
出張を引っかけられなかった。
それでも、「銀河、だいせん、ちくま、能登」と並び、
夜行急行で毎シーズン冬場の移動の友として
お世話になった「きたぐに」に敬意を示し、乗車することにした。
国鉄末期の1985年に車両が現行の583系になってから、
この「きたぐに」に一度も乗車しなかったシーズンはない。
今シーズンも年末に乗車しているほか、
(2011年12月の鉄旅1参照)
ここでの紹介だけでも、小生の旅行記に
「きたぐに」は何度か登場している。
小生の旅行記をここに掲載していただくようになったきっかけも、
2008年元旦の旅のトップバッターの「きたぐに」である。
今日はその職務命令により、
勤務時間が通常より30分早いため、
退勤時間も普段の17時ではなく16時半。
退勤時間と同時にバス停にダッシュし千里中央へ。
北大阪急行→地下鉄御堂筋線で新大阪へ。
のぞみ44号とMaxとき375号の指定券を確保し
東京経由で新潟へ。東京での乗継は7分。
新潟では入線時刻後の22時29分着とかなりタイト。
新潟での滞在時間もわずか30分弱だ。
乗換跨線橋には鈴なりのカメラが…。
急行 きたぐに 新潟22:58 →大阪6:49
列車はすでに入線しているので、
とりあえず空いていた2号車のパン下ボックスの一角を確保。
しばらくして金沢まで乗車して、
下りでこちらに戻ったのであろう鉄氏がこられる。
新潟駅を時刻どおりに出発。
新潟発車時の自由席の乗車率は約6割というところ。
一般の女性客に講釈をしている鉄チャンもいる。
向かいの新潟から乗ってる2人組は
その彼にツッコミを入れるなど、
馬鹿鉄どもに悪態をついている。
彼らも下車まで荷物を座席の上に置き、
席を探している客をブロックし、
C寝台としてのマナー違反の座席利用していた挙句、
直江津を過ぎるまで2人でしゃべるので
うるさくて寝られない。
目糞鼻糞とはこのことである。
そのうちの声のでかいほうの1人に小生は指差され、
この人、いつもいる、的なことを言われてしまった
確かに小生は、
「白鳥、だいせん、あさかぜ、出雲、銀河、なは、あかつき、
はくつる、白山、ちくま、能登、雷鳥」のラストラン、
全部出張にひっかけるなどして乗っているからねぇ。
ちなみに最北は北海。
九州のラストランはひとつも乗っていない。
先程の講釈の内容であるが、
「北越、くにびき、いなほ」の485系の置換えのために
移籍候補になっている車両について、
「スーパーひたち」の681系と言っているが、
681系は西日本の「サンダーバード、ホワイトウィング」で、
「スーパーひたち」の正解は651系。
さらにいうと、この651系という車両は、
JR東日本の特急車としては珍しくできがいいが、
この地区に持ってきても「北越」には使えず、
「いなほ」にしか使えない。
その理由は、
JR西日本管内の糸魚川以西の交流2万V・60Hz区間。
JR東日本の車両で、JR化後以降の車両で、
この区間に対応している在来線特急車は
E653系、E655系「和」しかないのだ。
それゆえ、E653系が最も濃厚な置換車と考えられる。
車掌の放送で、マナーの呼びかけはあったことはよいこと。
しかし、ラストランということもあるが、
鉄チャン専用列車であるかのような
車掌氏の放送には違和感を覚える。
車掌氏自身も思い入れがあるのはわかるが、
鉄チャンだけではなく一般の利用客も
少なからず乗車されているということも
忘れてほしくないと思った次第。
東三条付近で車掌氏が検札にいらしたので、
せっかくだから急行券を車補にした。
(車補急行券が京都までになっているのは、
今回は20日に3月恒例の北陸出張があり、この関係で
富山までの単発のきっぷと
富山発着の京阪神ゾーンの周遊きっぷと併用しているため。)
今回富山から ゆき券を利用し、
20日の往路で周遊きっぷのかえり券を使うことになる。
京都からは周遊ゾーン内に入るため、
自由席は急行券なしで乗れる。
ルールについては「2011年12月の鉄旅その3-1」参照)。
長岡で上越新幹線からの接続の客を拾い、
乗車率が一気に上がる。
ここまでは私と金沢まで乗車した鉄氏の2人だけだった
ボックスも、金沢まで乗車されたご夫婦がおられ、
通路側に座られたので、4人で譲り合って座ることになる。
各停車駅はカメラで埋め尽くされている。
夜間にもかかわらず特に多かったのは、
下り青森行きの「日本海」と並ぶ直江津と金沢、小松である。
長岡のおやすみ放送以降で
入れ替わりが見られた駅は、直江津と富山。
糸魚川駅到着前には名物の交直セクションがあり
「バチン」という音とともに室内灯の明かりが落ちる。
敦賀駅到着前の「バチン」時は、
しょっちゅう乗っている区間だったので、夢の中でした。
そこから先は、
上下の「きたぐに」は金沢駅の西側ですれ違うので、
金沢でぐっと減り、小松、福井で
下りに乗ってきた鉄氏が乗って増えてくるという感じ。
金沢でボックスは私1人になったが、
小松からそれらしき鉄氏が乗ってきた。
話を伺うとやはり下りで小松まで来たらしい。
彼はなにやら描きはじめた。絵を描いているようだ。
ここから京都までの各停車駅で、
自由席はじわりじわりと乗車率が上がっていく。
今回はフラッシュ撮影を遠慮するよう
徹底した案内があるため、
ほとんど車内をフラッシュ撮影する輩はいないため、
それなりに休めたが、寝台の浴衣を着てカメラを回しながら、
1号車まで車内をウロウロ、ってのは
深夜はやめてもらいたいものだ。
米原、彦根からは新快速がない時間帯に
「きたぐに」が走行するため、
「スーパーはくと1号」までの優等列車の自由席は、
意外と中長距離の通勤客が多いのだ。
彼らの足の確保の意味でも、
「きたぐに」のスジにほぼ重ねる形で
新快速があったほうがいいだろう。
途中、大津でおはよう放送があり、放送再開。
これも銀河の時同様、大阪まで無事について欲しい一心。
先述のマナーの悪かった2人組をはじめ、
京都で半分弱下車したため、減るかと思いきや、
記念乗車組が大挙して京都から乗ってくるので
それほど減らない。
京総を眺めながら
車掌長氏が「きたぐに」の歴史とこれまでのお礼を述べられた。
大阪到着直前でも再度お礼があったがこの時は拍手が起きた。
吹田工にはメーカーから納入されたばかりの
「くろしお」用287系3連がいる。
小松から同席した鉄氏は新大阪到着時、
書いていた絵とともにきたぐにをねぎらう言葉を窓から出していた。
それがこの写真。
583系という座席と寝台という設備を両立させ、
我が国の3種類の架線下すべてで走行できる性能を持つ
車両での運行だっただからこそ、
「能登」以上に生き延びることができたといえるだろう。
「きたぐに」が583系になった時、
「銀河」も共通運用になっていれば、
「銀河」も生きながらえただろう。
残念ながら、客車から気動車、電車に車両を置きかえたとき、
寝台を廃止し座席のみとなった急行は、
たとえ当時最新鋭の車両になって座席設備がよくなっても、
夜行ではやはり寝台の有無は大きく、
最も長続きした能登でさえ2年前に廃止されている。
そのいい例が、大阪~長野間を結んでいた「ちくま」である。
大阪発着の特急「しなの」の間合いで、
車両増備なしで最新鋭の383系を効率的に運用したものの、
自由席と指定席の配分がしなのと同じでは使いにくい。
この時、ムーンライト系の全指快速にしておくか、
大阪発の時間が夜行急行にしては早いので、
能登ほど自由席が酔客だらけになることはないから、
遠距離通勤客が利用しやすいようにしておけば、
もう少し「ちくま」は何とかなったであろう。
客車時代に「ちくま」と共通運用していた
「だいせん」の座席車にエーデルを起用するのは正解なのだが、
JR北海道のように寝台の14系客車を1両組み込んでおけば、
もう少し長生きできたんじゃないかなぁと思う。
これで定期急行は「はまなす」のみになったので、
この機会にJRグループには急行列車そのもののありかたを
もう一度考えてもらいたい。
小生の個人的意見は、現状のライナーと統合し、
近郊型車両の水準の設備の自由席と、
リクライニングのきく指定席を設け、
南海のサザン方式、あるいは
北海道の快速エアポートのuシートを指定席とし、
自由席に関しては料金なし、
指定席、グリーン、寝台は区間制の設備料金のみで
乗ることができるようにし、
中距離輸送と足の長い快速列車が担っている輸送を
急行に担当させるのがよいと考える。
これならば、自由席は乗車券のみで
急行列車に乗れるようになるので、かなり乗りやすくなるほか、
普通列車ではないので、
普通列車限定の企画券(青春18きっぷなど)ユーザーとの棲分けができる。
関西、中京地区の特別快速、新快速も
通過運転区間はこの「急行」扱いにすれば、
地域の利用客がこれらの利用客のために、
非常に肩の狭い思いをしなくてもすむようになる。
JR東海は373系と313系の併結でこれがすぐ実現できるので、
試験的にやってもらえないものかと思う。
大阪駅で撮影をし、
サンダーバード1号に一駅だけ乗って新大阪に戻り、
2日目の禁足職務命令のため、普通に出勤する。
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