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2012年3月の記事

2012年3月31日 (土)

十和田観光電鉄-1984年8月-をUP

2012年03月31日、十和田観光電鉄が、とうとう廃止されます。
先日(28日)、当線を訪問したことについては、
もうブログでご報告しましたが、今回ご紹介するのは 
1984年8月に初めて訪問したときの画像です。

Towada_3401

十和田観光電鉄では、
1986年10月「とうてつ駅ビル」を建設、 駅機能を移転しましたが、
ここでは、それ以前の旧十和田市駅での画像が中心です。
同駅を発車するED401牽引の貨物列車の画像もあります。
なお貨物の廃止も1986年10月となります。

鉄道車両写真集
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2012年3月30日 (金)

小田急電鉄 50000系VSE をUP

小田急50000形「VSE」"Vault Super Express" は
箱根特急の乗客減に歯止めをかけるべく
箱根特急の専用車として2005年に登場しました。

Oer_50002_11

10両連接の固定編成で、オールM(電動車)となりました。
こ うしたのは、低騒音型の低出力の全密閉式主電動機
MB-5110-A[三菱電機](135kW)を多数使用する方式
をとったためです。
ギア比は=4.16 です。ちなみに30000系EXEは195kw。

制御装置はVVVFインバータ制御(IGBT)
SVF-073A0[東芝]を採用(1C4M)。
駆動方式は、WNドライブで通勤車と同じです。
車体は全てダブルスキン構造のアルミニウム合金製で、
展望室部分のみシングルスキン構造としました。

VSEのV=「Vault」とは
「アーチ形の天井、 ドーム型の丸天井」を意味します。
今までにない高い天井が印象的です。

鉄道車両写真集
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局長、春の鉄旅5-十和田観光電鉄-

十和田観光電鉄は、2度めの訪問です。
接続する三沢駅が青い森鉄道となってからは、
もちろん初めてです。

三沢駅に降り立っても、全く記憶はよみがえってきはしません。
無理もありません。調べてみると前回の訪問は1984年8月。
28年も前のことです。

しかし、十和田観光電鉄の駅舎にたどり着いたとたんに
記憶がフラッシュバックしてきました。

Dsc_7908

ここだけ、昭和が生き残っている!そんな感じです。
ただ、電車はかつてと違ってステンレスカーです。
2002年に導入された元東急の7700形7200形です。
でも、どういうわけか違和感はありません。

見るからに鉄道ファンという方も10人はいます。
しかし大半は、地元の方と学生さんのようです。
十和田市駅のビルの立ち退きが廃線の理由と聞きましたが、
なんとか自治体がフォローすることは、できなかったのでしょうか?

残雪の中を電車は走ります。

思いのほか線路状態が良かったので、
本当にもったいないように思えました。

終点の十和田市駅も 驚くほど変わっていました。
レールの終点が右へカーブして終わっています。
どうやらこの先に旧駅(1986年に移転)があったようです。
なんとなくそんな雰囲気が残っていました。

Dsc_7924

新駅舎へは歩道橋で、隣のビルの2階へとつながっています。
なかなかモダンな造りなのですが、
建物自体は、くたびれているように思えました。
ここでは、写真展とグッズの販売が行われていました。

帰りは七百駅で下車、電気機関車などの撮影をしました。

天気があまりよくなかったせいもありますが,
三沢駅に戻りますと、薄暗く感じられました。
青い森鉄道への連絡もよくなかったので、
旧駅舎のそば屋で、少し早い夕食をとりました。
美味しいそばでしたが。
ダシが,少しぬるかったせいか、
なにかしら、切ない味がしました。

--さようなら、十和田観光電鉄--

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2012年3月28日 (水)

局長、春の鉄旅4-大湊線へ-

最初のプランでは、朝青森で撮影した後、新青森へ出て、
新幹線で七戸十和田経由十和田市駅と考えていました。
新幹線にも乗れるし、急行券も半額になるし…。

しかし、みどりの窓口の駅員さんは、
新幹線の指定席を発券しようとするのです。
どうしてと聞きますと、
夜になるまでに自由席のある列車がないとのこと。

「なんや、それ!」
何か腹が立つので、青い森鉄道で、行くことにしました。
青森駅での撮影を終えて、快速「しもきた」に乗車します。
大湊直行なので、久々に大湊線へ乗り鉄することにしました。

Dsc_7898

ちなみに列車は単行で、キハ100の200番台です。
この車両は、大湊線スペシャルで、これも今回のターゲットです。
大湊線は、東北新幹線の青森開業により
JR東日本から切り離された孤立路線となった大湊線ですが、
キハ100-200番台といい、乗り入れ快速「しもきた」といい、
「なくしたりはしませんよ!」
とアピールしているように見えます。

快速「しもきた」は、往復とも結構混んでいました。
200番台は、100系気動車の中でも、ショートタイプなのです。

そういえば、朝、青森駅での混雑も結構なものでした。
あれほどの人が、たった2両の700系電車から
わいて出てきたことを思うと気の毒でなりません。
この3月の改正で、JR東日本は、奥羽本線や津軽線で
編成両数の見直しをしていますが、
攻めの姿勢は感じられません。
これでは自家用車にますます逃げられてしまい。
悪循環に陥るような気がしてなりません。
青い森鉄道も同様ですが、
こちらはもっと余裕がないということになるのでしょうか…。

懐かしの大湊線は、かつてと同じく、鉛色の海でした。しかし、
ゆっくりと回転する風力発電の風車の林を見るにつけても、
時の流れを感じます。

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局長、春の鉄旅3-ジンギスカン…そして急行「はまなす」

札幌の楽しみは、もう一つ。ジンギスカンを食べることです。
漠然となんですが、すすきのの南南西に
まさに工事現場そのものという建物があり、
そこで食べたジンギスカンがうまかったのです。
そして、締めの猫めしのうまかったのなんの、
さて、そこと思しき所には、きれいな新築の建物が、
しかし、これがジンギスカンのお店なのです。
リニューアルしたのかなあ?
と何も考えずに入ってしまいました。

雰囲気が全く違います。

私の記憶では、職人肌のマスターが、丸いまないたで、
黙々と肉を切り分けているイメージなのですが、ここは違います。
家族的なイメージでありながら、威勢がいいというか…
全く別のお店でした。

結論、肉はうまいです!お薦めします。
西5南5交差点の南西です。しかし、猫めしがありません。

仕方なく、となりのラーメン屋で味噌ラーメンを食べました。
昭和の味でした。ある意味これは期待通りです。

しかし猫めしがやはり食べたかったと思って歩いていると、
あっ〜。あったあ!で、
かつてのお店を見つけてしまいました。西6だったのです。

くやしい。ラーメンやめておけば良かった。

腹いせに??、札幌市電を夜間撮影します。

Dsc_7758

それでも、「はまなす」の出発までには、時間があります。
苗穂の駅前温泉でひとっ風呂浴びることにしました。
蔵の湯というここはいわゆるスーパー銭湯です。
420円という低価格が嬉しいですね。
ここを利用するのは二回目です。
脱衣ロッカーがデカい!
やはり道産子の方々は着ぶくれしているからでしょうか。

札幌駅に戻り、「はまなす」に乗車します。

Dsc_7767

何回かチャレンジしたのですが、カーペット車は、満席でした。
結局指定席にしました。これも優秀です。シートピッチが広い!

ぐっすりと眠れました。

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局長、春の鉄旅2-JR北海道-

まずは、南千歳で撮影。

はっきり言って撮影には、むいていません。

相対型ホームの内側は、基本的に快速エアボート用で、
特急や貨物は外側となり、いい写真は撮れない。
それでもここからスタートするのは、
内側にジョイフルトレインが入線してくるからです。

Dsc_7515

(ノースレインボーエクスプレス)

それはさておき、普通、列車は左側通行ですが、
南千歳では内側の空港線が逆転します。
石勝線及び室蘭線方面からの乗客が同一ホームで
乗り継ぎができるように配慮されているわけです。

次に、苫小牧で撮影します。
711系は昼間札幌には来ないのです。

Dsc_7564

日高線スペシャルであるキハ40の350番台も
撮影しなければいけません。
札幌などと比べて、撮影機会は減りますが、苫小牧駅は
特急や貨物などもいいコンディションで撮影できます。

撮影すべきノルマをこなし札幌に向かいました。
北広島で快速エアボードに乗り継ぐことも出来ましたが、
そのまま各駅停車で座っていくことにしました。
本当に快速エアボードは混んでいます!

夕方は、日が暮れても関係ない札幌駅で撮影します。

f1.8の明るいレンズが威力を発揮してくれます!

Dsc_7744

旭山動物園号に加え、711系国鉄色も撮影できました

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局長、春の鉄旅 1-鉄旅なのに-

目的地は、東京のはずなのに、私は千歳空港へ飛んでいました。
他でもない鉄旅をするためです。
今回のターゲットは、なにはさておき十和田観光電鉄。
この3月末で廃線になってしまう前に
なんとか訪ねておきたいと思ったからです。

どうせ行くのなら、激安航空券で、北海道。
そして急行「はまなす」で青森入りとプランが決まりました。
激安航空券はネットで手配。コンビニで支払いです。

その時にもらった四角の二次元バーコードが、全てで
搭乗手続きから搭乗口まで
全てこの二次元バーコードでこなします。

便利ですが味気ないですね。

固い搭乗券を手に入れた時のときめきは
もう昔のものなのでしょう。

Lccが本格的になれば、
鉄道もうかうかとしていられませんね。
鉄旅と称しながら、まず、激安航空券に飛びつく
私のような裏切りものがいるわけですから。

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2012年3月26日 (月)

小田急電鉄 60000系MSE をUP

60000形「MSE」は、
ロマンスカーの東京地下鉄(東京メトロ)直通運転用として
2007年にデビューしました。

Oer_60551

連接車ではなく20m級ボギー車として
6連(4M2T)2本と4連(2M2T)1本の
計16両が日車で製造されました。

車体はダブルスキン構造のアルミニウム合金製で、
制御装置はVVVFインバータ制御(IGBT)
SVF-089-A0,SVF089-B0[東芝]を採用。
1C4M方式2群を1ユニットとして2・4・8号車に搭載します。
主電動機は、出力190kWのかご形三相誘導電動機
MB-5123-A2[三菱電機]で、 ギア比は4.16。
LSE→VSEと同じです。
駆動装置は、通勤車と同一のWNドライブが採用されました。
これもVSEと同じです。

なおTIOS (Train Information Odakyu management System)
が導入され、編成中のブレーキ制御を統合することにより
編成全体での滑走発生を抑制する
「編成滑走制御」を導入しました。

台車は日車製の積層ゴム軸箱片支持ボルスタレス式で、
ND-739(M車)、ND-739TまたはND-739TA(T車)。
ヨーダンパは省略されています。
保安装置はOM-ATSのほか、
東京メトロ用のCS-ATCを搭載します。
また、2012年3月より「あさぎり」にも使用されることから
JR東海用のATS-STも搭載しています。

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2012年3月25日 (日)

珍車ギャラリー 新京成電鉄 8000形 をUP

新京成電鉄の車庫は、「くぬぎ山」にあります。

さてその「くぬぎ山」をねじろに1978年から、
そして今もなおでーんと居座っているのが8000形です。

Shin_keisei_8503__1

写真をご覧いただければ、説明は不要かと思われますが、
目のクマのようにも見える個性的なマスクから
8000形は「くぬぎ山のたぬき」と呼ばれています。

さてそのたぬきも1978年製の古だぬきから廃車が発生し、
「とうとう8000形も「くぬぎ山」を追われるのか…。」
とお思いの向きもあろうかと思います。
しかし、8000形自体は、まだしばらくは大丈夫です。
      ハタ目にはわからないのですが、
      たぬきたちはしっかり化けているのです。

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2012年3月24日 (土)

小田急30000形「EXE」 をUP

小田急30000形「EXE」 "Excellent Express"は、
1996から99年までに4連・6連とも7編成が製造されました。

Oer_exe_30253_6

連接構造は採用されず、また、分割・併合を行なうため
通り抜け可能な貫通路を設けることなりました。
(「自動ほろ装置」付き)
よって前面展望席はありません。
ビジネス需要に対応したためですが、
「スーパーはこね」などの箱根特急にも使われました。
華やかなロマンスカーを期待した観光客や小田急ファンを
がっかりさせたことは否めないでしょう。
かくいう私もそうです。

しかし、足回りはしっかりしています。

主電動機は、三相誘導電動機
TDK6335-A(東洋)またはMB-5065-A(三菱)で
ともに出力は195kW。
制御装置は、個別制御方式のVVVFインバータ制御(IGBT)で、
4連が(1C6M=MT比は1.5M:2.5T)のSVF-024A(東芝)、
6連が(1C4M=MT比は2M:4T) のSVF-024B形を2台搭載します。
個別制御方式の採用により
電動機1台をカットしても急勾配を走行可能です。
ブレーキは電気指令式電磁直通制動。
台車はSS146[電動台車(住金)]。
モノリンク式軸箱支持形ボルスタレス台車で
特急向けにヨーダンパを装備しました。

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2012年3月21日 (水)

Dr'Kの 287系「くろしお」乗車レポート

Dr'Kの 287系「くろしお」乗車レポート
2日目の職務命令を消化し、
16日同様、勤務終了と同時に職場を飛び出す。
土曜日でバスダイヤが合わないため、
新大阪までタクシーを飛ばす(北大阪急行、御堂筋線と並行する国道423号、通称新御堂筋は本線に信号がなく道路規格がムチャクチャいいので、職場から新大阪駅まで、空いていれば15分ぐらいで着いてしまう)。

くろしお23号  新大阪 18:03 → 紀伊田辺 20:31
 新大阪にタクシーを飛ばした理由はこれ。
くろしお287系デビューである。
287系で運転される下り一番列車は5号なのだが、
仕事が終わってから乗れる一番早い列車がこれでした。

中間車は一部仕様が福知山車と違うので、
200番台に区分されているが、基本構造は同じ。
381系と283系に倣い、1号車だけが離れ小島の指定席で
2・3号車が自由席のため、
1号車普通指定席の利用客が乗車に困る。
1号車は「こうのとり乗車記」で述べた通りの
運転席直後にデッキ、グリーン席、普通席、便洗の順の
レイアウトで、2号車が自由席なので、グリーン席を突っ切るか、
自由席乗車口の長蛇の列に混じらなければならない。
これは早急に改善してもらいたい。

 この改正を機会になぜ自由席を5・6号車にできなかったのだろうか。
おそらく、オーシャンアローのA編成検査時、
B+Cで6両編成を組成する時の縛りでこうなったのだろう。
このときだけ号車番号を逆順に振る
(つまり、白浜・新宮側を6号車にする)
等の工夫をすればよいわけだ。

 381系の代替車が287系ってどういうこと?
明らかにスピードアップする気ないやん。
という予想が見事に当たる。
つまり、287系の重心が下がった分、
振り子車でなくとも381系とほぼ同じ速度でカーブを通過でき、
加速がいいからスジを維持できるというだけのもので、
ヨコGは完全に犠牲になっている。

 きのくに線区間に入ると、とくにその思いを強くする。
加減速はスムーズなのだが、
カーブを通過する時の揺れ(ヨコG)が381系よりもはるかに大きい。
N700系などと同様、空気ばねを利用した簡易傾斜装置でよいから、
車体傾斜装置はやはり必要だと思った。

 利用客の季節変動が北近畿エリアと和歌山エリアは逆なので、
287系は以前述べた通り、付属3連は共通とし、
基本5連に組み替えて京総で一元管理した方が、
何かと効率的だと思う(特にコスト面。
予備車を共通化できることが非常に大きい)。

 グリーン車の1人掛けをまた利用したのだが、
「こうのとり」と同じことがやはり起きた。
287系は全車白浜・新宮側にデッキがあるため、
以下のことが起こる。
1号車普通指定席の客が各停車駅ごとに
乗り降りのためグリーン席を通りぬけていく。
そのためにデッキのドアが頻繁に開閉する。
グリーン車というのはそれなりの
(通り抜けるのをはばかるような)雰囲気があるものなのだが、
そんなもんあったもんじゃない。
せめて乗車口案内だけでも、スーパーはくとのように
隣の車両(2号車)の乗車口から1号車普通指定席の客も乗せるように案内すべきだ。

183系では編成側にデッキがあるので、
普通指定席を通り抜けることがあっても、
グリーン席を通り抜けるのは基本
車掌か、車掌に用事のある客だけだ。
そこは残念ながら183系のほうがいい。

くろしおに287系を導入するつもりなら、
ラッシュ時にかかる列車は停車駅が多く、
特に和歌山は乗降客が拮抗していて途中駅ではずば抜けて多い。
上り列車だと新宮発列車の白浜、紀伊田辺乗車が同じ状態になることが容易に想像できるので、この問題は287系導入前に手を打っておくべきだ」と述べたのだが、
まさに、そのとおりだった。

 海南を過ぎると箕島の手前まで、
特に、冷水浦と初島付近は海岸線に近いところを走る。

 箕島を過ぎるといったん海とはお別れ。
藤並駅は地元がお金をかけて駅をきれいにし、特急が停まるようになった。
この列車も停車する。
 受益者負担の考え方を否定するわけではないが、
JR西日本も地元が金を出さなければまともに改善しない(金を出してもらっておいて、小手先だけでまともに改善してないところもあるが)姿勢はどうかと思う。

 湯浅を過ぎると、
海と山がかわるがわる出てきて、時々トンネルという景色が続く。
列車の速度が落ちて、左に大きくカーブを取ると、
紀州鉄道が近づいてきて御坊。

 御坊を過ぎると山間部に入り、印南を過ぎるまで海とはお別れ。
切目~南部間でも海岸線を走るがもうかなり暗くなっている。
日のあるうちに通ると、ここは非常に景色がいいところ。

 南部を過ぎるとトンネルを抜けて、芳養を通過し、
海を見ながらカーブを切ると紀伊田辺。

ここで下車し、
駅近くのなじみの店Sで看板まで海の幸と地酒を満喫。

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2012年3月18日 (日)

Dr'Kの 「急行 きたぐに ラストラン」 レポート

2012年3月16日(金) 
新潟発大阪行 急行きたぐに ラストラン

Kitagunit

 今年度はダイヤ改正日(3月16日・17日)に、わが社では
年1~2回ある全社一斉の禁足業務命令が出てしまったため、
出張を引っかけられなかった。

それでも、「銀河、だいせん、ちくま、能登」と並び、
夜行急行で毎シーズン冬場の移動の友として
お世話になった「きたぐに」に敬意を示し、乗車することにした。

 国鉄末期の1985年に車両が現行の583系になってから、
この「きたぐに」に一度も乗車しなかったシーズンはない。
今シーズンも年末に乗車しているほか、
(2011年12月の鉄旅1参照)
ここでの紹介だけでも、小生の旅行記に

「きたぐに」は何度か登場している。

小生の旅行記をここに掲載していただくようになったきっかけも、
2008年元旦の旅のトップバッターの「きたぐに」である。

 今日はその職務命令により、
勤務時間が通常より30分早いため、
退勤時間も普段の17時ではなく16時半。
退勤時間と同時にバス停にダッシュし千里中央へ。
北大阪急行→地下鉄御堂筋線で新大阪へ。

 のぞみ44号とMaxとき375号の指定券を確保し
東京経由で新潟へ。東京での乗継は7分。
新潟では入線時刻後の22時29分着とかなりタイト。
新潟での滞在時間もわずか30分弱だ。

 乗換跨線橋には鈴なりのカメラが…。

急行 きたぐに 新潟22:58 →大阪6:49

 列車はすでに入線しているので、
とりあえず空いていた2号車のパン下ボックスの一角を確保。
しばらくして金沢まで乗車して、
下りでこちらに戻ったのであろう鉄氏がこられる。

 新潟駅を時刻どおりに出発。
新潟発車時の自由席の乗車率は約6割というところ。
 一般の女性客に講釈をしている鉄チャンもいる。
向かいの新潟から乗ってる2人組は
その彼にツッコミを入れるなど、
馬鹿鉄どもに悪態をついている。
彼らも下車まで荷物を座席の上に置き、
席を探している客をブロックし、
C寝台としてのマナー違反の座席利用していた挙句、
直江津を過ぎるまで2人でしゃべるので
うるさくて寝られない。
目糞鼻糞とはこのことである。
そのうちの声のでかいほうの1人に小生は指差され、
この人、いつもいる、的なことを言われてしまった

確かに小生は、
「白鳥、だいせん、あさかぜ、出雲、銀河、なは、あかつき、
はくつる、白山、ちくま、能登、雷鳥」のラストラン、
全部出張にひっかけるなどして乗っているからねぇ。

ちなみに最北は北海。
九州のラストランはひとつも乗っていない。

 先程の講釈の内容であるが、
「北越、くにびき、いなほ」の485系の置換えのために
移籍候補になっている車両について、
「スーパーひたち」の681系と言っているが、
681系は西日本の「サンダーバード、ホワイトウィング」で、
「スーパーひたち」の正解は651系。
さらにいうと、この651系という車両は、
JR東日本の特急車としては珍しくできがいいが、
この地区に持ってきても「北越」には使えず、
「いなほ」にしか使えない。
その理由は、
JR西日本管内の糸魚川以西の交流2万V・60Hz区間。
JR東日本の車両で、JR化後以降の車両で、
この区間に対応している在来線特急車は
E653系、E655系「和」しかないのだ。

 それゆえ、E653系が最も濃厚な置換車と考えられる。

 車掌の放送で、マナーの呼びかけはあったことはよいこと。
しかし、ラストランということもあるが、
鉄チャン専用列車であるかのような
車掌氏の放送には違和感を覚える。
車掌氏自身も思い入れがあるのはわかるが、
鉄チャンだけではなく一般の利用客も
少なからず乗車されているということも
忘れてほしくないと思った次第。

東三条付近で車掌氏が検札にいらしたので、
せっかくだから急行券を車補にした。
(車補急行券が京都までになっているのは、
今回は20日に3月恒例の北陸出張があり、この関係で 
富山までの単発のきっぷと
富山発着の京阪神ゾーンの周遊きっぷと併用しているため。)

今回富山から ゆき券を利用し、
20日の往路で周遊きっぷのかえり券を使うことになる。
京都からは周遊ゾーン内に入るため、
自由席は急行券なしで乗れる。
ルールについては「2011年12月の鉄旅その3-1」参照)。

 長岡で上越新幹線からの接続の客を拾い、
乗車率が一気に上がる。
ここまでは私と金沢まで乗車した鉄氏の2人だけだった
ボックスも、金沢まで乗車されたご夫婦がおられ、
通路側に座られたので、4人で譲り合って座ることになる。
各停車駅はカメラで埋め尽くされている。
夜間にもかかわらず特に多かったのは、
下り青森行きの「日本海」と並ぶ直江津と金沢、小松である。

 長岡のおやすみ放送以降で
入れ替わりが見られた駅は、直江津と富山。
糸魚川駅到着前には名物の交直セクションがあり
「バチン」という音とともに室内灯の明かりが落ちる。
敦賀駅到着前の「バチン」時は、
しょっちゅう乗っている区間だったので、夢の中でした。
 そこから先は、
上下の「きたぐに」は金沢駅の西側ですれ違うので、
金沢でぐっと減り、小松、福井で
下りに乗ってきた鉄氏が乗って増えてくるという感じ。

 金沢でボックスは私1人になったが、
小松からそれらしき鉄氏が乗ってきた。
話を伺うとやはり下りで小松まで来たらしい。
彼はなにやら描きはじめた。絵を描いているようだ。

 ここから京都までの各停車駅で、
自由席はじわりじわりと乗車率が上がっていく。

 今回はフラッシュ撮影を遠慮するよう
徹底した案内があるため、
ほとんど車内をフラッシュ撮影する輩はいないため、
それなりに休めたが、寝台の浴衣を着てカメラを回しながら、
1号車まで車内をウロウロ、ってのは
深夜はやめてもらいたいものだ。

 米原、彦根からは新快速がない時間帯に
「きたぐに」が走行するため、
「スーパーはくと1号」までの優等列車の自由席は、
意外と中長距離の通勤客が多いのだ。
彼らの足の確保の意味でも、
「きたぐに」のスジにほぼ重ねる形で
新快速があったほうがいいだろう。

 途中、大津でおはよう放送があり、放送再開。
これも銀河の時同様、大阪まで無事について欲しい一心。
先述のマナーの悪かった2人組をはじめ、
京都で半分弱下車したため、減るかと思いきや、
記念乗車組が大挙して京都から乗ってくるので
それほど減らない。

 京総を眺めながら
車掌長氏が「きたぐに」の歴史とこれまでのお礼を述べられた。
大阪到着直前でも再度お礼があったがこの時は拍手が起きた。

 吹田工にはメーカーから納入されたばかりの
「くろしお」用287系3連がいる。
小松から同席した鉄氏は新大阪到着時、
書いていた絵とともにきたぐにをねぎらう言葉を窓から出していた。

Message

それがこの写真。

 583系という座席と寝台という設備を両立させ、
我が国の3種類の架線下すべてで走行できる性能を持つ
車両での運行だっただからこそ、
「能登」以上に生き延びることができたといえるだろう。

 「きたぐに」が583系になった時、
「銀河」も共通運用になっていれば、
「銀河」も生きながらえただろう。

 残念ながら、客車から気動車、電車に車両を置きかえたとき、
寝台を廃止し座席のみとなった急行は、
たとえ当時最新鋭の車両になって座席設備がよくなっても、
夜行ではやはり寝台の有無は大きく、
最も長続きした能登でさえ2年前に廃止されている。
そのいい例が、大阪~長野間を結んでいた「ちくま」である。

 大阪発着の特急「しなの」の間合いで、
車両増備なしで最新鋭の383系を効率的に運用したものの、
自由席と指定席の配分がしなのと同じでは使いにくい。

 この時、ムーンライト系の全指快速にしておくか、
大阪発の時間が夜行急行にしては早いので、
能登ほど自由席が酔客だらけになることはないから、
遠距離通勤客が利用しやすいようにしておけば、
もう少し「ちくま」は何とかなったであろう。

 客車時代に「ちくま」と共通運用していた
「だいせん」の座席車にエーデルを起用するのは正解なのだが、
JR北海道のように寝台の14系客車を1両組み込んでおけば、
もう少し長生きできたんじゃないかなぁと思う。

 これで定期急行は「はまなす」のみになったので、
この機会にJRグループには急行列車そのもののありかたを
もう一度考えてもらいたい。

 小生の個人的意見は、現状のライナーと統合し、
近郊型車両の水準の設備の自由席と、
リクライニングのきく指定席を設け、
南海のサザン方式、あるいは
北海道の快速エアポートのuシートを指定席とし、
 自由席に関しては料金なし、
 指定席、グリーン、寝台は区間制の設備料金のみで
乗ることができるようにし、
中距離輸送と足の長い快速列車が担っている輸送を
急行に担当させるのがよいと考える。

 これならば、自由席は乗車券のみで
急行列車に乗れるようになるので、かなり乗りやすくなるほか、
普通列車ではないので、
普通列車限定の企画券(青春18きっぷなど)ユーザーとの棲分けができる。

 関西、中京地区の特別快速、新快速も
通過運転区間はこの「急行」扱いにすれば、
地域の利用客がこれらの利用客のために、
非常に肩の狭い思いをしなくてもすむようになる。

 JR東海は373系と313系の併結でこれがすぐ実現できるので、
試験的にやってもらえないものかと思う。

大阪駅で撮影をし、
サンダーバード1号に一駅だけ乗って新大阪に戻り、
2日目の禁足職務命令のため、普通に出勤する。

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2012年3月17日 (土)

南海電気鉄道 高野線「こうや」 30000系 をUP

南海高野線 特急「こうや」用30000系は 1984年に登場しました。
製造後20年以上を経過した20000系「こうや号」
デラックスズームカーの代替用に製造されたものです。

Nankai_30001_5

橋本以南への乗り入れに対応するため17m車となっています。
4連×2本が在籍することにより、
「こうや」の通年運行が可能となりました。

制御方式は抵抗制御ですが、
電気指令式ブレーキを採用しました。
1999年に、31000系のデビューに合わせて
併結対応改造がなされ、8連での運行が可能となり
「こうや」のみならず「りんかん」として運行することもあります。

今回は全車両UPしています。
30003Fは、併結対応以前の貴重な画像をご用意しました。

鉄道車両写真集
南海電気鉄道 高野線「こうや」 30000系
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2012年3月16日 (金)

南海高野線 特急「こうや」用31000系 をUP

特急「こうや」用31000系は 1999年に登場しました。
好調な特急「りんかん」の増備車として、
また製造後15年を迎えた30000系「こうや」の更新時期に合わせ
「こうや」の運休 を解消するため製造されたものです。

Nk31000_koya2_

貫通型で11000系「りんかん」と外観は似ていますが
「こうや」として使用するため17m車となっています。
(橋本以南への乗り入れに対応するため)

廃車となった21000系の制御器を改造、流用しているため、
制御方式は抵抗制御となっていますが、
この結果、31000系に合わせて30000系・ 11000系にも
併結対応改造がなされ、
「りんかん」「こうや」を8連化が可能となりました。
4連×1本のみの在籍です。
(モハ31001-モハ31100-モハ31101-モハ31002)

鉄道車両写真集
南海電気鉄道 31000系 高野線特急「こうや」号
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2012年3月13日 (火)

ENO-MONO 江ノ島電鉄と湘南モノレールに関する覚え書きサイト 様とリンク

IKKEN様から、当局へリンクを貼っていただいた旨、
ご通知をいただきました。
詳細な車両データには脱帽。
とくに湘南モノレールについての記述は貴重かつ秀逸なものです。

こちらからもリンクを貼らせていただきました。
なお当局の画像もご利用いただいております。

ENO-MONO
      江ノ島電鉄と湘南モノレールに関する覚え書きサイト

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2012年3月11日 (日)

珍車ギャラリー 小田急電鉄 10000形 HiSE車 をUP

小田急10000形「HiSE」は、
      展望席以外の乗客も車窓の眺望を楽しめるように
      高床構造としたのが、大きな特色です。
      よって ""High decker""Super Express" と呼ばれるのですが、
      必ずしもハイデッカーの意ではなく
      Hi=上級の意も含まれているそうです。

      

Dsc_4458

彼らがデビューした1987年当時は、
ちょうど国鉄からJRへの移行期であり、
JR各社では目立った新車の登場は見られませんが、
      改造車ではあっても、
ハイデッカーや2階建て車両が登場しています。
「シーマ現象」というほどではありませんが、
      鉄道車両にも高級なものが、求められる時代
があったように思われます。
そんなバブリーな時代に生まれた10000形HiSE車が
いよいよ最期の時を迎えました。

珍車ギャラリー
小田急電鉄 10000形 HiSE車 へJUMP

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2012年3月 8日 (木)

JR西日本 681系 1000番台 量産改造車 をUP

新世代の北陸線特急として、1992年7月。
JR西日本が導入したのが681系試作車編成です。

Jrw_681_t07_01_tsc681_1001

北陸線での使用に特化した耐寒耐雪仕様の高速車両で、
ス チール製のシンプルなデザインは、控えめな印象ですが、
1M2Tの経済的な構成でありながら、
160km/h運転が可能な在来線最強の潜在力を 秘めています。

95年に量産車がデビュー。
七尾線への乗り入れを考慮し、
6+3で分割できるように改良されました。
しかし試作車編成(U01編成)は量産化改造され、
新たに1000番 台が与えられたものの、9連固定のままでした。
6+3(T07編成+T18編成)で分割できるタイプに
改造されたのは2001年9月で、
683系のデビューに合わせ681系を共通運用できるように
改良したときです。

長く金沢総合車両所に在籍していましたが、
2011年、京都総合運転所に移籍。
T07編成はW01編成に、T18編成はV01編成と改められました。

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JR西日本 681系 1000番台 量産改造車
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2012年3月 7日 (水)

JR西日本 681系 量産車 特急「はくたか」用をUP

JR西日本 681系 量産車 特急「はくたか」用

1997年、北越急行・ほくほく線の開業にあわせ、
従来の上越新幹線アクセス特急「かがやき」号に替わって
登場したのが特急「はくたか」です。

Jrw_681_w04_01_tsc681_5

95年デビューの681系がその任につくことになりました。
「ホワイトウイング」の愛称が与えられました。

2012年3月現在、
基本編成(6連)W01~05編成、
付属編成(3連)W11~15編成が在籍します。

「はくたか」は、ほくほく線を160km/hで走り
681系の実力が遺憾なく発揮されています。

「はくたか」用の681系には、北越急行の車両として、
1996年に製造された2000番台「スノーラビット」も在籍します。

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JR西日本 681系 量産車 特急「はくたか」用
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2012年3月 6日 (火)

JR西日本 681系 量産車 サンダーバード用

北陸線で大活躍した国鉄時代の遺産485系に変わって、
1992年。JR西日本が導入したのが681系です。

Jrw_681_t15_09_tc681_205

北陸線での使用に特化した耐寒耐雪仕様の高速車両で、
スチール製のシンプルなデザインは、控えめな印象ですが、
1M2Tの経済的な構成でありながら、
160km/h運転を可能にする
在来線最強の潜在力を秘めています。

量産車が登場したのは、95年2月~。
七尾線への乗り入れを考慮し、
6+3で分割できるように改良されました。
その結果、貫通構造をもつ
クモハ681-500 とクハ680-500が登場しています。

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JR西日本 681系 量産車 サンダーバード用
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2012年3月 3日 (土)

久々の撮り鉄 -京都駅へ-

HPのトップページでは、当ブログの「鉄道旅行記」を抜粋して
リンクを張っております。
ここでは、私の鉄友であるサイキョージ氏とDr.K氏に、
寄稿していただいておりまして、
私の記事より、ずっと人気を博しております。

私の旅行記はというと、「夏休み…」のままで
更新全然していませんもんね。そらあきませんわ。

実際、全然撮り鉄してません。この正月休みも
じっと家にこもって原稿書いていたわけではありませんが。
結構時間をとられてしまいました。
なにかと余裕がなかったです。ハイ。

で、今年初の撮り鉄です。
こんな日に限って「雨。」
しかし、せっかく取った休暇です。
京都駅でがんばりました。

かつては、「なは あかつき」などという
寝台特急も姿を見せてくれて楽しかったのですが、
今でも、十分楽しいです。

Dsc_7384

今回のメインターゲットは、
この3月17日のダイヤ改正で姿を消す、
寝台特急「日本海」、それと「スーパーくろしお」です。

Dsc_7178

これから、これらを狙って撮影される方もいるでしょう。
そんな方々に、ついでといっては何ですが、

この春は、京都駅での撮影をおすすめします。

まず、113系です。
JR東日本では絶滅状態になってしまっているわけですが
ここでは、懐かしの湘南色に加え、JR西日本色、
加えて、あの単色塗装と 3通り楽しめます。

Dsc_7234

そして117系にも、単色塗装が登場。
オリジナルの新快速色とあまりにも
イメージが違うので、面くらっちゃうこと請け合いです。

103系も奈良線で元気です。
それに今ならまだ、
「はしだて」「まいづる」の一部に183系も使っています。

国鉄形が楽しい京都駅へ、どうぞお越しください。

結局、メインターゲットであった「日本海」は
1時間以上遅れたあげく、225系と被ってしまい
さっぱり「ワヤ(大阪弁)」でしたが、
脇役に助けられ、気分よく撮影を終えました。

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2012年3月 1日 (木)

J鉄局長の本-『車両編成で広がる鉄の世界』-本日発売。

秀和システムから、
『車両編成で広がる鉄の世界』が本日発売されました。

詳細は、以下のリンクをクリックしてください。

J鉄局長の本『車両編成で広がる鉄の世界
の紹介ページへ
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