またしても会員パスの案内が来ると鉄旅に出てしまう。
正月に東京に行く機会があったので、
その折に会員パス(東日本・北陸)\15,000を買っておいた。
それゆえ今回は東京前泊なしで
西日本エリアの福井から入ることができた。
京都~福井間は特急料金を含めても往復で\9,000程度、
JR東海を使わずに済むためずいぶん旅費が節約できる。
今回の目的は盲腸線4本(城端線、氷見線、弥彦線、水郡線)と
越後線、飯山線を乗り潰すことである。
1/21(土)1日目
京都7:38発「サンダーバード1号」に乗り
高岡で乗換えて城端線に乗る。
えんじ色のキハ40+47の気動車で城端線を往復した。
砺波を過ぎる頃からホームに積もった雪が増えてきた。
寒波襲来でかなりの降雪があったようだ。
再び高岡に戻り
駅弁を買い込み「はくたか13号」で直江津に向かう。
富山県から新潟県に入るあたりから
鉛色した冬の日本海が間近に見えてきた。
今日の海は凪いでいる。
「はくたか」は北陸線を爽快なスピードでぶっ飛ばす。
直江津から信越線の普通電車で柏崎まで行き
越後線に乗り換え15:28発吉田行きに乗車。
越後線は柏崎からの本数が少なく、しかも距離が長い。
駅数は多いのに普通列車しか走らない。
乗り潰すにはやっかいな路線である。
海沿いを通っているのだが海は見えない。
車窓も単調とくればすぐに眠りに落ちてしまう。
吉田着16:34、
次は本日2本目の盲腸線である弥彦線を攻略する。
先に乗り継ぎの時間が少ない東三条行きに乗り、
再び吉田に戻り、今度は吉田~弥彦を往復する。
弥彦で宿泊したかったのだが
明日の予定を考えると新潟まで行く方が楽なので、
本日3回目の吉田駅に降り立ち18:42発の新潟行きに乗った。
もっと良い方法はないものかと考えたがこれしかないわい。
直江津からあとに乗った電車はすべて115系だった。
新潟着19:36.。少々くたびれた。
夕食はホテル近くの居酒屋で
地酒と地元で上がった魚に舌鼓をうった。
地酒は新潟県栃尾の「越の鶴」がうまかった。
ソイの刺身は初めてだったが美味だった。
1/22(日)2日目
本日の予定は磐越西線と水郡線である。
新潟~会津若松~郡山~水戸のルートで
日本海側から太平洋側まで山越えをする。
新潟発8:36快速「あがの」会津若松行きに乗車。
キハE120+110+110の3両編成。
キハE120はド派手なカラーリング。
車両は新しいが座席は堅く、一人で座席を独占させないように
シートに定員分の窪みが入れてある。
はっきりいって長時間の移動には不向きな車両である。
キハ110系の方が断然座り心地が良い。
快速「あがの」は新津から磐越西線に入り
しだいに高度を上げていく。
五泉を過ぎる頃から雪の量が増えていく。
雪曇りの阿賀野川に沿って列車は進む。
SL「ばんえつ物語」号が走っている路線だけに
周辺にみどころも多く車窓も変化に富んで美しい。
津川あたりからは
雪のなかに列車が入っていくような感じがする。
運転士、車掌のほかに保安要員も乗り込んでいる。
雪で立ち往生したときの
対応がすばやくとれるための要員であろう。
やがて気動車は県境を越え福島県に入る。
雪の量は多いままだ。
山都を過ぎて喜多方に近づいてくると雪の量も減りだし
会津盆地に入ったのだと感じられる。
会津若松着10:42定時到着。
これだけ雪の中を走っていても定時に到着するのだから
日本の鉄道技術には感服する。
福島県で旅行者がお金を使うことによって
すこしでも地元の景気が上向き、
原発災害からの復興が早まることを願い、
旅程はまだ半分だが
会津若松での乗り継ぎ時間を利用しておみやげを買った。
会津若松からは719系の電車、
通称「赤べえ」11:10発に乗って郡山まで出る。
会津若松駅から電車はくねくねと山登りを始める。
猪苗代駅のホームは雪で埋もれていた。
郡山着12:15。
新潟~郡山間190.8kmを完乗。
福島県中通りの郡山駅でも雪がかなり残っていた。
郡山駅で昼食をとる。日曜日なので人が多い。
駅構内1Fにはフードコートがあり、
その中で鉄板ステーキチャーハンを食べた。
ボリュームがあって安くてうまい。
食事後、雪の残る市内を歩いてみた。
「楽都」郡山の旗があちこちに立てられている。
東北のウィーンと銘打ち、
音楽を町作りのひとつに据えているみたいだ。
合唱が盛んでレベルも高いそうだ。
雪で足下も悪いので早々に駅に戻り
水郡線の発車時刻までコーヒーを飲んでくつろぐ。
さて次は水郡線だ。
支線を含めると全長150kmにもおよぶ長大ローカル線である。
駅に戻り13:49発水戸行の気動車(キハE130)に乗り込む。
磐越西線と同じようなカラーリングの新型気動車である。
郡山の次の駅、東北本線安積永盛駅から分岐する。
里山の中を走る路線といった感じである。
福島県内はまだ雪が残っていたが、
棚倉を過ぎ、茨城県に入る頃には雪も消え、
久慈川沿いをのんびりと走るローカル線の風情となる。
沿線には屋根にブルーシートが覆われている家が見うけられる。
「3.11の震災で瓦が落ちたのだが瓦が品薄で手に入らない。」
と上菅谷で地元の人が言っておられた。
上菅谷で常陸太田行きの気動車に乗り換え、支線を乗り潰す。
水戸からの乗客が多い。
むしろ、水戸から常陸太田の利用客が水郡線のメインのようだ。
上菅谷~常陸太田を往復し、水戸まで出る。
このあと「スーパーひたち54号」に乗り上野到着19:36。
朝から普通ばかりで移動したので
上野までノンストップの「スーパーひたち」のスピードが心地よい。
上野のホテルに荷物をおき、
8年ぶりに会う友人と韓国料理を食べに行った。
1/23(月) 最終日
今日の予定は飯山線と氷見線である。
上野発7:58「あさま507号」で長野まで出る。
今回はじめての新幹線利用である。
長野まで各停だがさすがに早い。
長野着9:45。
飯山線は午後の便が除雪のため運休になるので
長野10:15発の十日町行きが乗り通す最終になる。
さすが日本一の積雪をほこる路線である。
2両編成のキハ110は飯山を過ぎる頃からは
雪の壁の中を走るという表現がぴったりくる。
千曲川(信濃川)沿いを走り、雪晴れの車窓はとても美しい。
戸狩野沢温泉駅で1両を切り離し
十日町までは単行での運用だ。
森宮野原を過ぎると新潟県に入り、雪が激しくなってきた。
これで列車が立ち往生したら帰れない。
なんとかがんばってくれと祈りつつ、十日町には定時12:37着。
昼食に名物の「ヘギそば」を食べる。
ここのソバは海藻が練り込まれ
緑がかった色あいでコシがあってうまい。
十日町発13:57発
ほくほく線経由「はくたか12号」で高岡まで出て、
最後に氷見線を潰して帰ることにする。
「はくたか」は、ほくほく線内を爆走し
あっという間に直江津に到着。
北陸新幹線を越後湯沢経由にしてほくほく線を使えば
建設費がずっと安上がりではなかったのだろうか。
そう思うのは素人考えなのだろうか。
「北陸新幹線開業後、普通電車だけを走らせるのはあまりにもったいない。」
と思うのは私だけではあるまい。
高岡到着15:44、氷見線の発車時刻まで30分ある。
じっとしてるのはもったいない。
氷見線を往復するより途中まで万葉線に乗ってやろうと決断し、
高岡駅前から万葉線に乗ってしまった。
高岡駅前16:00発越の潟行き、
時刻表通りでは新能町に16:15に着く。
ここから氷見線能町駅まで徒歩5分ぐらいだから、
なんとか
高岡発16:14の氷見行きの気動車キハ47に乗れるだろう
と踏んだのであるが、
路面電車ゆえ時刻表通りの運行とはいかない。
かつ途中から単線になるものだから
交換に時間がかかり新能町駅に3分遅れ。
ここからキハ47と能町駅まで競走することに。
能町駅構内の踏切でキハ47が近づくのが見えた。
なんとか競走に勝ち
息もたえだえに氷見行きの気動車に乗車できた。
越中国分を過ぎると雨晴まで気動車は海岸線を走る。
雨で見えなかったが晴れれば
富山湾越しに立山連峰が見渡せたはずである。
海が荒れていたので車両に波しぶきがかかっている。
それほど氷見線は海岸と線路の距離が近いところを走る。
車内はちょうど高校生の下校時刻に重なり氷見まで混んでいた。
氷見から帰りの高岡行きも越中中川から高校生が大挙乗車して
首都圏の通勤電車並みの混みようになった。
高岡から17:24発「サンダーバード40号」に乗車。
金沢で夕食を買い込み京都着20:09。
冬の鉄旅は初めての経験だった。
今回乗った路線では雪と格闘し必死になって
ダイヤを守りながら運行を支えている人たちの姿が見られた。
頭の下がる思いがする。
この1週間後にまた寒波が襲来したが、
このときはさすがに運休などが生じたようである
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