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2012年2月の記事

2012年2月29日 (水)

珍車ギャラリー 小田急電鉄 20000形 RSE をUP

小田急電鉄20000形RSE車は、
JR東海371系とも共通運用できるように、
条件をすりあわせたため、
371系が検査の際には
20000系RSEがフォローに回ることができます。
20000系RSE自体は、「あさぎり」のみならず
「はこね」でも運用できますので、
やりくり上手なコラボレーションといえるでしょう。

しかし、このコラボもこの春、終わりを告げます。

JR東海は、このコラボから撤退。
「あさぎり」は御殿場止めとなり、
小田急電鉄では20000形にかわって、
60000系MSEを導入します。

Oda_q_rse20302

さて、私はかつて、このことを含め、
JR東海の371系を珍車ギャラリーでとりあげました。
そこで、私は、JR東海が371系を導入する意図(メリット)として、
①首都圏におけるJR東海の存在感をUPする。
②小田急がロマンスカーで培ってきたホスピタリティーを獲得する。
ということをあげてきました。

では、小田急はこのコラボで得たものは何だったのでしょう?

詳しくはこちらを
珍車ギャラリー 小田急電鉄 20000形 RSE へJUMP

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2012年2月26日 (日)

小田急電鉄 3100系 NSE車 をUP

3100形NSE車は、3000形SE車の後継となるロマンスカーで
1963年にデビューしました。

Oer_nse_3211_sagami_

11両連接の堂々たる固定編成で
ロマンスカーの地位を確固たるものとしました。
(オールMなので形式はいずれもデハ3100形)
オーソドックスな抵抗制御(発電・抑速制動付)で、
1C8Mとなっています。 モータは110kW。
中空軸平行カルダン駆動方式で、歯数比は3.95。
ブレーキは、SE車と同様HSC-D形電磁直通ブレーキです。
台車は、小田急では初の空気ばね付きで
FS346B[電動車先頭台車]。
住金製のミンデンドイツ式台車となりました。
冷暖房装置は、低重心化のため床下にヒートポンプ式を設置、
1977から78年にかけては冷房装置の増設が行なわれています。
なお側面客用扉は各車両とも1箇所となっていますが、
SE車と同様に手動式の内開き戸です。

1983年より床下機器の更新が開始され、
車体も1988年にかけて更新修理されました。
1996年6月に3121×11の編成から廃車が始まり、
1999年7月「ゆめ70」以外のNSE車が全て運用から外れたました。
「ゆめ70」も2000年4月「さよなら運転」を行い廃車となりました。

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2012年2月25日 (土)

小田急電鉄 10000系 HiSE車 をUP

小田急10000形「HiSE」は、1987年、
小田急の開業60周年にあわせ増備されたものです。
ロマンスカーであるNSE車・LSE車と同様、
前面展 望席や連接構造は引き継ぎながら、
展望席以外の乗客も車窓の眺望を楽しめるように
高床構造としたのが、大きな特色です。

Oer_hi_se_10051_

よって ""High decker""Super Express" と呼ばれるのですが、
必ずしもハイデッカーの意ではなく
Hi=上級の意も含まれているそうです。

制御装置は、オーソドックスな抵抗制御(1C4M)。
モータは、出力140kW。
駆動装置は平行カルダン駆動方式で歯数比は4.21。
ブレーキは、 MBS-D形と基本的に足回りはLSEと同じです。
なお冷房装置は、車体構造の高床化に伴い
床下に2台搭載しています。

2000年に交通バリアフリー法が制定され、
高床構造のHiSE車は、このことが問題となり
更新の対象から除外されました。
2005年に10021F・10061Fが廃車となり、
これらは、長野電鉄に譲渡されています。
2011年には、10041Fも運用を離脱し廃車。
残った 10001Fについても
2012年3月の改正をもって運用を終了する予定です。

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長野電鉄 1000系ゆけむり 2100系スノーモンキーへJUMP

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2012年2月24日 (金)

小田急電鉄 20000系 RSE車をUP

小田急20000形「RSE」 "Resort Super Express" は、
JR東海(御殿場線)との相互直通運転に使用する車両として
1991年に登場しました。

Oda_q_rse20002

JR東海との協定により、371系電車と同じく、
③.④号車に2階建て車両(ダブルデッカー)を配置、
その2階に特別席を配置するなど基本仕様を統一しています。

よって、それまでのロマンスカーとは異なり、
連接構造や前面展望席は採用されていません。

第1編成(20001×7)は1990年12月、
第2編成(20002×7)は1991年1月に竣功しました。

基本的に足回りはLSE→HiSEと同じです。

371系が検査の際にはRSEがフォローに回り、
その際は「あさぎり」全列車がRSEとなります。

RSE車は,.2012年3月の改正で
371系とともに「あさぎり」運用から離脱、
以後は全列車MSE車で運転するため、廃車となる予定です。

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2012年2月21日 (火)

JR西日本 683系 4000番台 サンダーバード用をUP

683系は2001年から681系とともに
特急「サンダーバード」に使用されてきましたが、
485系で運行されてきた残りの特急「雷鳥」を置き換えるため
JR西日本では683系4000番台を登場させました。

Jrw_683_t41_10

2009年から11年にかけて12編成(計108両)製造されています。、
0番台との違いは9両固 定編成(3M6T)へ変更されたことで、
外見的には、
パンタグラフがシングルアームのWPS28Dになったことや、
すべての先頭車が貫通構造となったこと があげられます。
(ただし、大阪方の先頭車であるクロ683形4500番台は準備工事)

Dr.Kと私は親しみを込めて「ヨンダーバード」と呼んでいます。

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 JR西日本 683系 4000番台 サンダーバード
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2012年2月19日 (日)

小田急電鉄 3000系 SSE車 をUP

SSE車は1957年7月、3000形「SE」としてデビュー。
当時は8両連接の固定編成,
全て電動車で、形式はいずれもデハ3000形でした。

Oer_se_3035

車体は軽量化のため張殻構造とし
強度補強のためリブが入っています。
制御装置は、電動カム軸式抵抗制御装置
(1C4M)のMM-50A形(東芝)。
主電動機は、出力100kWの直流電動機TDK-806-1A(東洋)。
駆動装置は中空軸平行カルダン駆動方式で、
歯数比は3.71(登場当初)でした。
ブレーキは、HSC-D。
台車は、近車が得意とするシュリーレン台車
KD17(電動台車) KD18(付随台車)です。

冷房装置については、当初取り付けられていませんでした。
1962年2月から冷房設置工事が行われ、
9,000kcal/hのCBU-381形を1両あたり2台ずつ搭載しました。

1968年、御殿場線電化にともない、
8両連接車×4編成を5両連接車×6編成に組み換え改造、
御殿場線直通列車に使用することにしました。
これがSSE車です。

その際、ギア比を4.21に改めています。
また3号車は両端とも付随台車となったため、
新形式のサハ3000形が登場しています。

1991年3月定期運用が終了、
1992年3月にさよなら運転が行われ、
全車両が廃車となりました。

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2012年2月18日 (土)

Dr.Kの 2011年12月の鉄旅 その5

スーパーおおぞら11号( 札幌 17:57 ~ 新得 19:47 )

親戚一同での移動なので、普段よくやる新夕張での
食事休憩込みの撮影タイムをとっての段落としはせず、
速達便で移動。

さすが年末のこの時期だからよく乗っていること。
所定は283系7両だが、3両増結の10両編成でも満席。

札幌は昨年に続いての雪とのことだが、
よっぽどでないと鉄道は止まらないとのこと。

本州の人間からすれば、すごい雪なのだが、
確かによく降ってるけどこの程度なら汽車は止まらないと
伯父たちは涼しい顔。

新札幌を過ぎると、速達便なのであと残す停車駅は南千歳のみ。
我々一同は新得の伯父宅に着く前から宴会状態。

南千歳を過ぎると単線となり、左にカーブを切って石勝線に入る。
ここからは北海道らしく駅間が長くなり、
次の追分までも17.6kmあり、
この間に2つ行き違いのための信号場(駒里、西早来)がある。

雪が強くなってきたと思えば、
元々あった室蘭線をオーバークロスし追分駅に進入。
ここでは1・2番線の間にあり、
ホームに面していない本線(通過線)を通過。
ここから新夕張までは駅の方が多く、
8.8kmあいている川端~滝ノ上間にある
滝ノ下信号場を除いて信号場はない。

新夕張では1番線を通過。
ここからは楓が信号場に格下げされたため、
次の占冠駅までは34.3kmもある。

占冠~トマム間は21.2km、トマム~新得間は33.8kmと、
駅が間に2つしかない石勝線らしい区間になる。

原野を貫く形で石勝線が通っているため、
集落があるところしか駅がなく、
駅として計画されていたところや駅だった場所も
過疎化により信号場になったため、
この区間だけで12か所の信号場がある。

途中、この区間のオサワ信号場では、
上りスーパーおおぞら12号がこちらの通過を待つ。
その先にある清風山信号場は、
5月にスーパーおおぞら14号が車両火災を起こした場所である。

駅や信号場での減速はあるが非常に速い。
石勝線内での旅客列車の交換はもうないからだ。

新狩勝トンネルに入り、
トンネル内、左側から根室本線が合流すると上落合信号場。
石勝線側が直線になっている。

トンネルを出るとS字カーブの連続で、
最新鋭DCといえども減速を強いられる。

意外にも雪はちらつく程度。
残る交換相手は根室本線と合流して
最初の信号場である新狩勝信号場での快速狩勝のみだ。
ここは快速「狩勝」が待っているが、
新得までにある信号場はカーブが連続する区間にある
1線スルー化されていないため、さらに減速を強いられるが、
まあ些細なことだ。

定刻に新得に到着。
新得駅近くの伯父宅で晩餐と年越しそばを食す。

明日元旦は大阪に戻るのみ。

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2012年2月17日 (金)

Dr'Kの 2011年12月の鉄旅 その4

はやぶさ5号( 大宮 22:01 ~ 仙台 23:12 )

夜勤明けのショコラ氏と都内で時間調整に
昼間っから一杯やっていたのだが、
平日ダイヤしか考えていなかった小生は、
年末年始の特別ダイヤのドツボにはまり、
北斗星に大宮で乗るための
接続列車の時間を失念する痛恨のミス。
あわててJR某駅まで移動し駅のみどりの窓口へ。

出費が痛いが、幸いにもぶっつけではやぶさ5号を確保でき、
仙台まで先回りできることが確定したので、
場所を変えて性懲りもなく飲みなおす。

今度は失念することなく、新宿から湘南新宿ラインに乗り、
無事に大宮に到着。
大宮~仙台間が71分(上りは70分)とはずいぶんと速くなった。

夜になるとさすがに車窓は暗いが、
那須塩原付近から雪景色に変わり、雪の白さが目につく。
夜景を見る限り、以前の姿を取り戻しつつある仙台に到着。
乗換口から1番線に移動。

北斗星( 大宮 19:30(爆)~ 仙台 23:30 ~ 札幌 11:15 )

雪のためか、少し遅れて北斗星が到着。
仙台からの客を乗せ、慌ただしく出発する。
北斗星のパブタイムを楽しみにしていたが、
もう閉店している時間。自業自得(涙)

大宮からの予約が空しい指定された個室に移動。
すぐに検札が来る。
車掌氏は怪訝な顔をしたがすぐ状況を理解したらしく、
お互いバツ悪く苦笑い。

仙台は本州内で最後の営業停車駅で、
次の営業停車駅は北海道に入って函館なのだが、
北斗星に乗車できてホッとしたのか、
ものの見事に爆睡してしまう。

衝撃で目を覚ましたのが、
方向転換と機関車交換がある函館駅。

北斗星が遅れていて接続がとれないため、
南千歳10:47発、スーパーとかち3号を利用する客は、
7:30定時出発の
スーパー北斗1号に乗換えるよう案内があった。

北斗星の南千歳定刻10:41だが、
定時に北斗星が走っていたとしても、
スーパー北斗1号は、函館を21分前に出て
落部で運転停車している北斗星を抜き、
南千歳に9:50に着いてしまうのだ。

昨年12月上旬に北海道に行った時にも書いたが、
改めて客車列車と最新鋭ディーゼルカーとの
速さの違いを実感するところだ。
札幌までだと1時間以上の所要時間差ができてしまう
(函館~札幌間は281・283系で3時間強、
183系で約3時間半、客レで4時間半)のも頷ける。

かくしてスーパー北斗1号を先に通し、約25分遅れで出発。
元々道内での営業停車駅では、
ほぼ降車の客だけ扱えばいいという列車の特性上、
東室蘭で2分とってある以外は、
1分以内の停車時間しか確保されておらず、
高速貨物も多い大幹線なので、
ところどころ残る単線区間での行き違い運転停車などで、
ダイヤの回復がままならない。

この調子だと、約1時間後に函館を出発している
スーパー北斗3号から札幌まで逃げきれないのでは?
という疑問が。

この疑問は北広島で的中する。

札幌には35分遅れで到着。
スーパーカムイ17号は新千歳空港発で
北斗星の後ろにくっついてきているので接続は問題なし。

地下鉄に乗り換え、
札幌市内の親戚宅で家族と合流し、遅めの昼食。

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2012年2月16日 (木)

珍車ギャラリー JR九州 783系 クロハ782-407 をUP

2006年3月、JR九州は、783系Cm35編成について、
展望形の先頭車であるクロハ782-7を貫通型に改造。
新番台区分となるクロハ782-400を含む編成に改めました。

      予備編成のなかった「みどり」編成を
増強するという位置付けとなる編成ですから、、
      クロハ782-407の先頭部は、
「みどり」編成(Cm10番台)と
同タイプの運転台ユニットを取り付けました。

Jr7837824071

      しかし、それ以外は、
銀色ベースに赤・青・緑・黒のブロックパターンを組み込んだ
リニューアル色のままで異色の存在となっています。

      なぜでしょう。詳しくはこちらを

珍車ギャラリー JR九州 783系 クロハ782-407

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2012年2月10日 (金)

東京メトロ(東京地下鉄) 日比谷線用 03系 をUP

東京メトロ03系は営団地下鉄時代、
日比谷線用に1988年から94年にかけて製造されました。

Metro03_21f_0

うち92年度製の26F以降は
VVVFインバータ制御に変更されています。

ここでは2004年4月に東京地下鉄株式会社(東京メトロ)として
新しいスタートを切った03系21Fと42Fをご覧いただきます。

鉄道車両写真集
東京メトロ(東京地下鉄) 日比谷線用 03系
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2012年2月 9日 (木)

サイキョージ氏の「大人の休日倶楽部2012冬の旅」

またしても会員パスの案内が来ると鉄旅に出てしまう。

正月に東京に行く機会があったので、
その折に会員パス(東日本・北陸)\15,000を買っておいた。
それゆえ今回は東京前泊なしで
西日本エリアの福井から入ることができた。
京都~福井間は特急料金を含めても往復で\9,000程度、
JR東海を使わずに済むためずいぶん旅費が節約できる。

今回の目的は盲腸線4本(城端線、氷見線、弥彦線、水郡線)と
越後線、飯山線を乗り潰すことである。

1/21(土)1日目

京都7:38発「サンダーバード1号」に乗り
高岡で乗換えて城端線に乗る。
えんじ色のキハ40+47の気動車で城端線を往復した。
砺波を過ぎる頃からホームに積もった雪が増えてきた。
寒波襲来でかなりの降雪があったようだ。

再び高岡に戻り
駅弁を買い込み「はくたか13号」で直江津に向かう。
富山県から新潟県に入るあたりから
鉛色した冬の日本海が間近に見えてきた。

今日の海は凪いでいる。

「はくたか」は北陸線を爽快なスピードでぶっ飛ばす。

直江津から信越線の普通電車で柏崎まで行き
越後線に乗り換え15:28発吉田行きに乗車。

越後線は柏崎からの本数が少なく、しかも距離が長い。
駅数は多いのに普通列車しか走らない。
乗り潰すにはやっかいな路線である。

海沿いを通っているのだが海は見えない。
車窓も単調とくればすぐに眠りに落ちてしまう。
吉田着16:34、
次は本日2本目の盲腸線である弥彦線を攻略する。

先に乗り継ぎの時間が少ない東三条行きに乗り、
再び吉田に戻り、今度は吉田~弥彦を往復する。

弥彦で宿泊したかったのだが
明日の予定を考えると新潟まで行く方が楽なので、
本日3回目の吉田駅に降り立ち18:42発の新潟行きに乗った。

もっと良い方法はないものかと考えたがこれしかないわい。

直江津からあとに乗った電車はすべて115系だった。
新潟着19:36.。少々くたびれた。

夕食はホテル近くの居酒屋で
地酒と地元で上がった魚に舌鼓をうった。

地酒は新潟県栃尾の「越の鶴」がうまかった。
ソイの刺身は初めてだったが美味だった。

1/22(日)2日目

本日の予定は磐越西線と水郡線である。
新潟~会津若松~郡山~水戸のルートで
日本海側から太平洋側まで山越えをする。

新潟発8:36快速「あがの」会津若松行きに乗車。
キハE120+110+110の3両編成。
キハE120はド派手なカラーリング。
車両は新しいが座席は堅く、一人で座席を独占させないように
シートに定員分の窪みが入れてある。
はっきりいって長時間の移動には不向きな車両である。
キハ110系の方が断然座り心地が良い。

快速「あがの」は新津から磐越西線に入り
しだいに高度を上げていく。
五泉を過ぎる頃から雪の量が増えていく。

雪曇りの阿賀野川に沿って列車は進む。
SL「ばんえつ物語」号が走っている路線だけに
周辺にみどころも多く車窓も変化に富んで美しい。

津川あたりからは
雪のなかに列車が入っていくような感じがする。
運転士、車掌のほかに保安要員も乗り込んでいる。

雪で立ち往生したときの
対応がすばやくとれるための要員であろう。

やがて気動車は県境を越え福島県に入る。
雪の量は多いままだ。

山都を過ぎて喜多方に近づいてくると雪の量も減りだし
会津盆地に入ったのだと感じられる。
会津若松着10:42定時到着。

これだけ雪の中を走っていても定時に到着するのだから
日本の鉄道技術には感服する。

福島県で旅行者がお金を使うことによって
すこしでも地元の景気が上向き、
原発災害からの復興が早まることを願い、
旅程はまだ半分だが
会津若松での乗り継ぎ時間を利用しておみやげを買った。

会津若松からは719系の電車、
通称「赤べえ」11:10発に乗って郡山まで出る。
会津若松駅から電車はくねくねと山登りを始める。

猪苗代駅のホームは雪で埋もれていた。

郡山着12:15。
新潟~郡山間190.8kmを完乗。

福島県中通りの郡山駅でも雪がかなり残っていた。

郡山駅で昼食をとる。日曜日なので人が多い。
駅構内1Fにはフードコートがあり、
その中で鉄板ステーキチャーハンを食べた。

ボリュームがあって安くてうまい。
食事後、雪の残る市内を歩いてみた。
「楽都」郡山の旗があちこちに立てられている。

東北のウィーンと銘打ち、
音楽を町作りのひとつに据えているみたいだ。
合唱が盛んでレベルも高いそうだ。

雪で足下も悪いので早々に駅に戻り
水郡線の発車時刻までコーヒーを飲んでくつろぐ。

さて次は水郡線だ。
支線を含めると全長150kmにもおよぶ長大ローカル線である。

駅に戻り13:49発水戸行の気動車(キハE130)に乗り込む。
磐越西線と同じようなカラーリングの新型気動車である。

郡山の次の駅、東北本線安積永盛駅から分岐する。
里山の中を走る路線といった感じである。

福島県内はまだ雪が残っていたが、
棚倉を過ぎ、茨城県に入る頃には雪も消え、
久慈川沿いをのんびりと走るローカル線の風情となる。

沿線には屋根にブルーシートが覆われている家が見うけられる。
「3.11の震災で瓦が落ちたのだが瓦が品薄で手に入らない。」
と上菅谷で地元の人が言っておられた。
上菅谷で常陸太田行きの気動車に乗り換え、支線を乗り潰す。
水戸からの乗客が多い。

むしろ、水戸から常陸太田の利用客が水郡線のメインのようだ。
上菅谷~常陸太田を往復し、水戸まで出る。

このあと「スーパーひたち54号」に乗り上野到着19:36。

朝から普通ばかりで移動したので
上野までノンストップの「スーパーひたち」のスピードが心地よい。

上野のホテルに荷物をおき、
8年ぶりに会う友人と韓国料理を食べに行った。

1/23(月) 最終日

今日の予定は飯山線と氷見線である。
上野発7:58「あさま507号」で長野まで出る。

今回はじめての新幹線利用である。
長野まで各停だがさすがに早い。

長野着9:45。
飯山線は午後の便が除雪のため運休になるので
長野10:15発の十日町行きが乗り通す最終になる。

さすが日本一の積雪をほこる路線である。
2両編成のキハ110は飯山を過ぎる頃からは
雪の壁の中を走るという表現がぴったりくる。

千曲川(信濃川)沿いを走り、雪晴れの車窓はとても美しい。
戸狩野沢温泉駅で1両を切り離し
十日町までは単行での運用だ。

森宮野原を過ぎると新潟県に入り、雪が激しくなってきた。
これで列車が立ち往生したら帰れない。
なんとかがんばってくれと祈りつつ、十日町には定時12:37着。

昼食に名物の「ヘギそば」を食べる。
ここのソバは海藻が練り込まれ
緑がかった色あいでコシがあってうまい。

十日町発13:57発
ほくほく線経由「はくたか12号」で高岡まで出て、
最後に氷見線を潰して帰ることにする。

「はくたか」は、ほくほく線内を爆走し
あっという間に直江津に到着。
北陸新幹線を越後湯沢経由にしてほくほく線を使えば
建設費がずっと安上がりではなかったのだろうか。
そう思うのは素人考えなのだろうか。
「北陸新幹線開業後、普通電車だけを走らせるのはあまりにもったいない。」
と思うのは私だけではあるまい。

高岡到着15:44、氷見線の発車時刻まで30分ある。
じっとしてるのはもったいない。
氷見線を往復するより途中まで万葉線に乗ってやろうと決断し、
高岡駅前から万葉線に乗ってしまった。

高岡駅前16:00発越の潟行き、
時刻表通りでは新能町に16:15に着く。
ここから氷見線能町駅まで徒歩5分ぐらいだから、
なんとか
高岡発16:14の氷見行きの気動車キハ47に乗れるだろう
と踏んだのであるが、
路面電車ゆえ時刻表通りの運行とはいかない。
かつ途中から単線になるものだから
交換に時間がかかり新能町駅に3分遅れ。

ここからキハ47と能町駅まで競走することに。
能町駅構内の踏切でキハ47が近づくのが見えた。

なんとか競走に勝ち
息もたえだえに氷見行きの気動車に乗車できた。
越中国分を過ぎると雨晴まで気動車は海岸線を走る。

雨で見えなかったが晴れれば
富山湾越しに立山連峰が見渡せたはずである。

海が荒れていたので車両に波しぶきがかかっている。
それほど氷見線は海岸と線路の距離が近いところを走る。

車内はちょうど高校生の下校時刻に重なり氷見まで混んでいた。
氷見から帰りの高岡行きも越中中川から高校生が大挙乗車して
首都圏の通勤電車並みの混みようになった。

高岡から17:24発「サンダーバード40号」に乗車。
金沢で夕食を買い込み京都着20:09。

冬の鉄旅は初めての経験だった。
今回乗った路線では雪と格闘し必死になって
ダイヤを守りながら運行を支えている人たちの姿が見られた。
頭の下がる思いがする。

この1週間後にまた寒波が襲来したが、
このときはさすがに運休などが生じたようである

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2012年2月 8日 (水)

JR九州 783系 ハイパー有明 ハイパーかもめ をUP

JR九州 783系ハイパーサルーン(1988-91)は
JRグループ初の新系列特急電車です。
1988年.3月の改正時、特急「有明」として、デビューしました。

Jrq783_c05_01_tsc7835

ステンレス車体ですが前頭部はスチール製です。
車体中央部に扉を設けたかつてないスタイルとなりました。

電動車は、1両単位で必要な装備をすべて搭載する
1M方式を採用しました。
制御装置はサイリスタ連続位相制御で、
交流回生ブレーキが可能です。
台車は、205系電車で採用されている
空気ばね式軽量ボルスタレス台車DT50形(TR235形)に、
ヨーダンパ追加など若干の設計変更を加えた
DT50Q形(TR235Q形)を採用しました。

「ハイパーかもめ」用はブルーの帯が入り異彩を放っていました。

鉄道車両写真集
JR九州 
783系 ハイパー有明 ハイパーかもめ

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リニューアル車(1次1994~96年 2次2000~)は、
別タイトルでUPしています。

JR九州 783系リニューアル車
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2012年2月 4日 (土)

JR西日本 683系 2000番台 しらさぎ用 をUP

JR西日本では,2001年から
683系を681系とともに特急「サンダーバード」に使用してきましたが、
2003年には,
485系で運行されてきた特急「しらさぎ」「加越」を置き換えるため
683系2000番台を登場させました。

Jrw_683_shirasagi_s03_00

0番台との違いは基本5連・付属3連の8輌編成となったことです。
それ以外には車体ラインにオレンジの線が加えられ、
ロゴなどにも違いが見られます。

3000番台も混ざっていますが、
JR西日本では2000番台として扱われているようです。

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2012年2月 3日 (金)

JR西日本 683系 基本番台 特急サンダーバード用をUP

JR西日本の683系は、
2001年に登場した681系交直流特急電車の後継車で、
デザインも踏襲しています。
しかし、見た目以上に大きく進化しています。

Jrw_683_t21_01_tsc683_1

車体はスチール製からアルミニウム合金製になりました。
屋根は全面平滑化、
高さも60mm下げられ低重心化が図られています。
主回路システムは、IGBT素子を採用したVVVFインバータを採用。
モータは245kwに出力UP(681系は220KW)しました。
台車は、空気バネを拡大したWDT301・WTR301を採用し
乗り心地を改善しています。

681系と同じく編成は6連と3連で構成されますが、
よりフレキシブルな運用をするため、
クロ683-1~以外の先頭車は貫通構造となりました。
なお681系との併結運転も可能で6+3+3で
12連での運用も行われています。

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2012年2月 1日 (水)

J鉄局のHP 壁紙画像を更新。今回は京阪 男山ケーブルです。

京都 伏見で忘年会があったその日に、
男山八幡宮に立ち寄りました。
実に30年ぶりです。
彼女と初詣したとき以来で、
その時は気づきもしませんでしたが、
鉄橋あり、トンネルありという変化に富んだ鋼索線です。

Wallpaper

一番、陽が短い時期なので、口径の明るいレンズで撮影しました。

車内の様子に加え、
トンネル内にある運転室のイメージも捉えられたのは
望外の収穫でした。

1600ピクセルの画像を用意しました。
HPのトップページからどうぞ。

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