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2011年8月の記事

2011年8月31日 (水)

西武鉄道 多摩川線 旧101系 をUP

西武鉄道 旧101系は、
1969年の西武秩父線開業に合わせて登場しました。
通勤路線のみならず山岳路線までもこなす高性能車両で
「ASカー(All round Service Car)」とも呼ばれていました。
Seibu1220f_
モータは日立製のHS-836-Nrb・Prb又は
東洋製のTDK-8010-Aでともに出力は150kWです。
ブレーキは、HSC-Dを採用、
勾配区間に備え電気ブレーキ付きとなっています。
主制御器は日立製のMMC-HTB-20E。
一般的な抵抗制御ですが、加速がよく
高速時の性能も向上しています。

1976年までに4連×50本=200両と6連×13本=78両の
計278両が新製されました。

なお1987年には冷房化工事をすべて終えています。

西武の顔とも言うべき車両でしたが、
2004年に池袋線系統と新宿線系統での運用を終え
、最後まで使用されていた多摩川線のワンマン運転対応車も
2010年11月をもって運用を終了しました.

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2011年8月30日 (火)

東京急行電鉄 旧5000 5200系をUP

東京急行電鉄における
高性能電車の先駆けとなる5000系(1954-1959年製)は、
ニックネームの”青ガエル”で有名ですが、
この電車でもっとも特徴的なことはと言えば張殻構造の車体です。

To_q_mekama_5001_1_5001

台枠で車体を支えるのではなく
外板も含めた車体 全体で支え合うという構造で、
いわば航空機のボディーと同じ発想です。

このことから一気に軽量化を実現しました。
ただ、後から冷房機を搭載するなんてこと
を考えていなかったので、冷房改造はできず
1986年にはすべて引退し、
地方に転出した仲間も多くいました。

5200系は、1958年製。
5000系のステンレスバージョンで、基本性能は同じです。
ただ5200系は外板にステンレスを用いたものの
骨組みは普通鋼 というセミステンレス車両であったため、
重量は意外にも張殻構造の5000系より重いのです。

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2011年8月29日 (月)

東急 目蒲線 旧3000系 池上線 旧3000系をUP

ここで取り上げる東京急行電鉄3000系は、
1920年代後半から1960年代中盤にかけて製造された
旧型電車たちです。
3000系というのは正式な呼称ではありませんが、
新性能車に対する1グループとして編成を組み、
池上線や目蒲線で活躍していました。 To_q_ikegami_3466

ここでは1980年代初頭の
目蒲線、池上線の3000系車両を中心にご覧ただきます。

撮影日がはっきりしないのが残念です。
私の東京での定宿が蒲田にあるもので、
出張の折など、早起きして気楽に撮影してたものですから、
日付がまるで特定できないのです。

鉄道車両写真集
東急 目蒲線 旧3000系  池上線 旧3000系
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2011年8月28日 (日)

珍車ギャラリー JR東日本 400系新幹線 をUP

400系はJR東日本が開発した初めての新幹線車両です。
標準軌に改軌した在来線(奥羽本線)を直通運転する
山形新幹線「つばさ」用として開発・製造されました。

400_l05_17

いわゆるミニ新幹線の元祖です。

      在来線の規格に合わせ”小振り”になっているため、
ドアの部分にステップが装備されました。
皆さんもご存じのことと思います。
      もちろんそれだけではありません。
      大は小を兼ねると言いますが、小が大を兼ねるという、
      いや、そんな言葉ではかたづけてしまいたくないほどの、
かつてない画期的な車両が400系なのです。

しかし、その後、
オール2階建てE1系MAXなど次々に新形車両が登場し、
      もはや、その姿を見ることさえできない400系は
忘れ去られていってしまっている感さえあります。

思えば、2011年となる今もなお、
国鉄時代の新幹線車両である200系は現役です。

なぜ、400系が先に姿を消すということになるのでしょうか。
      小が大を兼ねるというということは、
はたして、無茶なことだったのでしょうか。

珍車ギャラリー
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2011年8月27日 (土)

JR西日本 381系 特急「こうのとり」をUP

2011年3月のダイヤ改正にあたって、
JR西日本は特急「北近畿」を全廃。
かわりに特急「こうのとり」がデビュー、
新型特急287系を投入しました。

Jrw_381_fh62_01

しかし、予定数に満たない期間にあっては、
日根野区の381系を借り入れること でしのぐことにしました。
ただ6月には、このピンチヒッターはお役ご免となり、
3ヶ月あまりでその姿を消しました。

もとは「はんわライナー」などに使われ ていた
日根野区のC600番台編成です。
モノクラスですしあまりおもしろみのある編成ではありませんが、
国鉄色なのでまあよしとしましょう。

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2011年8月26日 (金)

JR東日本 新幹線 E5系はやぶさをUP

JR東日本 E5系は. 2011年3月、
“はやぶさ”用に導入されました。
特徴ある先頭形状やカラーリングなど外観に
大きな変化がみられますが,
従来のグリーン車より上位となるグランクラス(定員:3×6=18)が
10号車に設定されたことも見逃せません。E5_u02__11

速度の向上も図られています。
半径4,000mのカーブでも320km/hで走行できるように、
車体傾斜システム(空気ばねストローク式)を搭載しています。
その性能を遺憾なく発揮する2013年には
320km/hで営業運転する予定です。

現在E5系は10両編成、MT比は8M2Tです。
起動加速度は1.71 km/h/sですが、
E3系との連結時には1.6 km/h/sにする
切り替え機能を搭載しています。
近い将来「こまち」を引き連れた「はやて」にも
E5系がみられることでしょう。

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2011年8月25日 (木)

JR東日本 253系1000番台 特急「きぬがわ」「日光」用をUP

253系1000番台の種車は253系200番台(NEX)です。
2002年製ですから、NEXとして使われたのは8年ほど、
いくら205系の足回りを流用したと言っても、
これで引退は早すぎます。
Jre_253_1k_om_n2_7

この件については 珍車ギャラリー253系NEX 200番台
ぜひご一読ください。

そこで、JR東日本では制御器をVVVF制御に変更し、
編成も組替え、OM-N1.2編成として、 2011.3より
特急「日光、きぬがわ」として使用を開始することになりました。

外装のみならず、
内装も座席も集団見合い形から
オール転換クロスシートへ変更されるなど、
かなりの変化が見られます。

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            JR東日本 253系1000番台  きぬがわ
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2011年8月24日 (水)

局長の夏休み その5-小野田線はタクシー代行輸送

下関で本降りになった雨ですが、小野田駅では、
もう豪雨といって差し支えない状況となっていました。
時折、稲光が、轟音と共に襲ってきます。
そんな中、16時14分発宇部新川行きは、1両で入線してきました。
かつてのイメージでいくと3両編成。
少なくとも2両編成で来るものと思い込んでいたので
面食らってしまいました。
次の電車までは、1時間半あります。
まさか1両編成とは思いもしませんでした。
小野田線の利用は思いの他大きく減っているようです。

Dsc_5493

もっとも今回のターゲットは、この123系。
本山支線でこれをゲットしようと考えていたくらいです。

とりあえず撮影を済ませて、電車に乗りこみます。

ホームから電車へ乗り移る、わずか50センチほどの隙間で
びしょびしょになるほどの大雨となってしまいました。

定刻の16時14分に電車は出発しました。
しかし、次の目出駅では止まったままです。信号は赤。

前述したように次の電車まではかなりの時間があります。
行き違いの電車を待っているわけではありません。

しばらくして運転手さんが、
「小野田港-宇部新川駅間の雨量計が限界を超えました。
ただいま運転を見合わせております。
この列車につきましても指示を待っております。」
と乗客に状況を説明します。
ややあって、目出駅の雨量計も限界を超えたとのことで、
「この列車は運転を取りやめることになりました。
これからのことにつきましては、対応を検討しております。」
とのことです。

うーん、どうなるのだろう?

深刻な表情の中高年の男性諸氏と、
いっそうキャーキャーとハイテンションの女子高校生。
この対比がなんとも言えない雰囲気を醸し出していました。

ドヤドヤと制服姿の男たちが乗り込んできました。
「今から、タクシーで代行輸送いたします。」
とのこと。
雨は少し小止みになり、
少し待てば運転を再開できるのではないか。
という気もしましたが、素直に乗り変えることにしました。

Dsc_5499

駅前には、すでに5台ほどのタクシーが勢揃いしています。
タクシーが目出駅を出発したのは16時50分。
33分遅れの出発ということになります。
対応は早い方だというべきでしょう。

私の乗ったタクシーには4人乗りこみました。
サラリーマン風の二人組は、小野田港駅まで、
あとひとり若いお兄さんは、雀田へ行くようです。
私も雀田で降りて長門本山まで行くつもりだったのですが、
この様子では宇部新川までたどり着けない恐れがあります。
残念ですが、切符に示してある通り、
「宇部新川まで行きます。」
とお願いしました。

雀田駅には123系が止まっています。
もうお客は私だけなので、
無理をお願いして撮影をさせてもらいました。Dsc_5503

そんなわけで、
すっかり打ち解けてくださった運転手さんですが、
「このような代行輸送は、よくあるのですか?」
と尋ねてみると
「本線はそんなことはないが、小野田線はこんなふうに
雨が降るとすぐ代行輸送になりますね。」
とのことでした。
ふーん。そうなのか。と思って聞いていると、
目の前の高架道路をブルーのバカでかいトレーラーが
ものすごいスピードで通りすぎて行きます。
「あっ!、これが宇部興産の専用道路なのですか?]
と尋ねてみると、そうだということです。
ちなみに運転手さんのお知り合いに、
このトレーラー運転手がいらっしゃるのだそうですが、
この単調な道路を何回も何回も行き来するという毎日に
ノイローゼ気味になっておられるとのことです。

美祢線がまだ貨物輸送をしていれば、
こんなこともないだろうに…、
それにしても宇部興産は、なぜ、こんな自然破壊の
専用道路を作らなければならないのだろう?
と思いました。

でも、考えてみれば、
今日、もし貨物列車であれば運休は間違いありません。
そして、このようなことがよくあるのだということになると
宇部興産は会社としてやっていけないということになるでしょう。
もしJRが、宇部興産をお得意様として確保してゆくためには
ちょっとやそっとの災害には影響されない路線にするため、
美祢線と小野田、宇部線に多大な投資をしなければ
ならないと言うことになるのです。
悔しいけれど、これが現実なのだろうと思ってしまいました。

Dsc_5507

そうこうしているうちにタクシーは、17時23分。
宇部新川に到着しました。遅れは41分。
タクシー料金は3780円を示していました。
もちろんJR持ちですが、本来なら、この区間は230円ほどです。
こんなことからも、
鉄道を維持することは大変なんだなあ。
と実感する旅となってしまいました。

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2011年8月23日 (火)

JR西日本 287系 特急「こうのとり」をUP

287系は特急「こうのとり」用として、
2011年3月まで「北近畿」などの名称で運用されていた
183系電車を置き換えるべく、
4連×7(FA01~07)と3連×6(FC01~06)の46両が登場しました。

車体は683系4000番によく似た形態で
アルミダブルスキン構造を採用していますが、
オフセット衝突対策や衝撃吸収構造を採用、
安全面での配慮がなされました。
よって、先頭部は少し下ぶくれになっています。

Jrw_287_fa01_04
注目すべきは、クモロハ286形 です。
グリーン席(15)と普通席(23)を備える制御電動車の意ですが、
国鉄時代を含めて「クモロハ」となる初めての車両です。
このような形式ができたのは
321系や225系などで採用された0.5Mシステムの採用により、
全車両が電動車となってしまったこともその一因です。

制御装置VVVFインバータ(IGBT)とSIVは各車に搭載されています。
ただしパンタグラフは287形のみですので、単独では動きません。

鉄道車両写真集             
JR西日本 287系  特急「こうのとり」
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2011年8月22日 (月)

東京地下鉄(東京メトロ)東西線 05系をUP

05系は、1988年に東西線用として登場しました。Metro_05_13f_10

2004年の東京メトロの発足までに
10連×39本(=390両)が製造され、
2004年度に東京メトロが引き続き05系:40-43編成を製造、
合計 430両となりました。

ここでは 1999年製の25F(8次車)以前の05系をご覧いただきます。
高周波分巻チョッパすなわち
究極のチョッパ制御といわれる4象限チョッパ制御車=13Fと
.15F(ワイド ドア量産車) そして
24F(VVVFインバータ制御(IGBT)車をご用意しました。

(14F:ワイドドア車/VVVFインバータ試作車は
営団05系ページでご覧ください。

鉄道車両写真集
東京地下鉄(東京メトロ)東西線 05系のトップページへJUMP

参考までに
■帝都高速度交通営団 05系(01-24F)/ワイドドア車(14-18F)

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局長の夏休み その4-くろがね線へ

スペースワールド駅で降ります。
この駅の近くに新日鉄くろがね線の車庫がある。と
とあるブログに紹介されていたからです。
確かにありました。
しかし、塀と植え込みに遮られ撮影はできませんでした。

枝光駅に向かって歩いて10分。
くろがね線の鉄橋と交差するところから
線路沿いに坂を上ります。
高い柵に遮られ、撮影ポイントが全くありません。
それでもなんとか、場所を見つけ、
列車を待つことにしました。

しかし、列車ダイヤはわかりません。
とにかく1時間待つ!と心に決めました。

幸いに雨も降らず、さほど暑くもありません。
山からわんさか降りてくる高校生の視線を気にしながらも、
携帯に、この原稿を打ち込みながら
カモフラージュする私です。

待つこと20分。トンネルから、
ゆるやかに列車は姿を表しました。
撮影ポイントが限定されているのが残念ですが、
とにかく遅いので、何枚も撮影できます。Dsc_5426

結局、この後、40分後にもう1本撮影できました。
坊主も覚悟の上でしたから、嬉しかったです!

次は下関で、みすず潮彩を撮影しました。
かなりしっかり雨が降ってきました。

今は駅撮りですから、大丈夫ですが、
今回最後のポイント。
小野田線では雨が上がって欲しいものです。

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局長の夏休み その3 九州新幹線から筑豊電鉄へ

朝からサウナで、さっぱりして、ホテルを出発。
久留米駅に向かいます。
7時半ですが、高校生がわんさか。
彼らは、もう夏休みはおしまいのようです。

今日は九州新幹線に乗ります。
800系は撮影対象で、乗るのはN700系さくらです。
新下関行きでしたが、結構乗っていました。
新鳥栖を通過。すぐトンネルに入ります。
トンネルを出ると急降下。
今回は、これを実感したかったのです。

博多からは、在来線です。
九州新幹線には乗り継ぎ割引もありませんし…。
撮り鉄しながら、東へ向かうことにしました。

千早で降りて、貝塚線というのも考えましたが、
まずは香椎線の気動車を狙います。
アクアライナー塗装をゲットしました。
Dsc_5342

元祖ほどの値打ちがないのが残念です。

次は黒崎で下車。
筑豊電鉄がターゲットです。10年ぶり以上です。
また黒崎の駅前は大きく変わっていました。
西黒崎まで歩いて、ここで撮影しました。Dsc_5392

現在、筑豊電鉄では2000形と3000形が活躍していますが、
共にツリカケ電車です。
思えば、その保有車両すべてが、ツリカケ駆動という
鉄道会社は、まず他にはないでしょう。

懐かしい音につられて乗りたくなりましたが、
ここは我慢。
次はくろがね線です。

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局長の夏休み その2 松浦鉄道へ

朝からの大雨のせいで、諫早駅はごった返していました。
列車の遅れに加え、運休もあるようです。
幸いに大村線は大丈夫。次は快速シーサイドライナーです。
Dsc_5009_2

今回もキハ66。うれしいことに国鉄色です。
大村湾の景色を満喫します。

早岐駅で、撮り鉄してもいいなと思ったのですが、
特におもしろいモノは何もいません。
昔は、寝台特急「さくら」用の客車やELもいたのですが…。

佐世保では少し早いのですが、腹ごしらえをすることにしました。
長崎チャンポンを食べます。
かつて、
駅前にあった地下街のお店が高架下に移動してきていました。
お値段は700円。
牡蠣が2つも入って並みとは思えない量!お値打ちです。

松浦鉄道の1日切符を購入しました。
普段は2000円ですが、今日は日曜日なので、1700円です。
全線乗車するつもりなので、このほうが割安です。

まずは佐々(さざ)まで行きます。
ここまで、景色は今ひとつですが、
佐世保中央駅と北佐世保駅が注目です。
駅間距離が日本最短!
出発して曲がったかと思えばもう駅でした。

佐々には車庫があるので途中下車しました。
幸いに、周辺の道路と空き地から撮影できました。
できたらやっぱり、お手間はとらせたくありません。
撮影はすぐに終了。
次の列車まで一時間あります。
待ち時間には、お昼ご飯というところですが、
駅付近にはなんにも、コンビニもありません。
佐世保でお昼ご飯を済ませて正解でした。

松浦鉄道になってから佐々までは訪れていますが、
ここから先は、初めてです。
もっとも、国鉄時代の松浦線には乗っているのですが、
夜行列車からそのまま乗り継ぎ、夜が明けたのは
日本最西端のたびら平戸口駅あたりからだったように
記憶しています。
ですから初めて乗る区間といっても差し支えありません。

駅舎が渋いですね。
鉄橋などにも値打ちものが多い松浦鉄道です。
夜行バスに乗ってしまいますと、
特に昼下がりは眠くなります。
さあ、ここからは海沿いの絶景ルートです。頑張らなきゃ!

Dsc_5074

しかし,睡魔が襲ってきました。
ウトウトとしながらもなんとか記憶の糸は繋がったかな?
伊万里に着いたら、なにかどっと疲れてしまいました。

伊万里駅ではJRの写真が撮影できないかな?
と辺りを見回します。
なんにもいません。それもそのはず。
もはや、道を隔てて駅は分断されているのです!

有田から肥前山口へ
ここまでは順調でしたが、
ここで朝からの雨のツケがまわってきました。
50分以上待たされたあげく、
吉野ヶ里公園駅で、後続の普通列車に追い抜かれる始末。
普通列車が普通列車に追い抜かれるのは、
初めての経験です。

久留米に着いてからでは、暗くなってしまうので、
新幹線の撮影を新鳥栖ですることにしました。
幸いに、外側の線には入線せず、うまく撮影できました。Dsc_5149

今日のお宿は久留米です。
先に駅前のラーメン屋でラーメンとビールの夕食を済ませて、
グリーンリッチホテルへ。
日曜日パックで4200円。サウナ付きですし、
なかなか快適でした。

今日は早く寝ることにします。

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局長の夏休み その1 長崎本線は長与経由で

今回のターゲットは、松浦鉄道、九州新幹線800系、筑豊電鉄、
新日鐵くろがね線、それと宇部線小野田線と欲張って見ました。

しかし、お金とヒマがありませんので、今回も夜行バスです。
ネットで検索して大阪から長崎まで、5200円.。安い!
夏休み限定のツアーバスです。
最終日ということもあったのでしょうね。
大阪から出発したのは13人。
あと神戸と姫路でお客さんを拾って全部で17人。
楽に眠ってゆけました。

博多についたのは、5時17分、半分ほどが下車しました。
6時を過ぎても周りは明るくなりません。
時折稲光が光り、凄い雨が降りだしました。イヤな予感。
今まで雨などで列車が動けなくなり
缶詰め状態になった経験は何度もありますが
その大半が九州。
その時を思い出してしまうほどの大雨です。

長崎についたのは、7時50分くらい
バケツをひっくり返したような雨です。
長崎電軌の撮影は取りやめ、駅に駆け込みます。

乗車券を購入しました。
大村線、佐世保線、小野田線経由宇部新川ゆきです。
案の定、手間取って時間をとってしまいました。
そのくせ券面に
小野田線まわりであることが記入されていません。
こんなものでいいのか?
と思いながら、駅の中へ、

雨は、少し小降りになっていました。
それだけ時間がかかったということです。

Dsc_4965

787系の新バージョンが撮影できました。

さあ今回は、長与経由の普通列車で諫早に向かいます。

年配の方なら門司港から長崎行きの夜行普通列車があった
のをご存じでしょう。
「ながさき」と名付けられたこの列車は寝台車まで付いていました。
これが、確かこの旧線経由だったように思います。
何回か乗車したことのある「ながさき」でしたが、
大雨の時があり、長与駅で延々待たされた記憶があります。

Dsc_4977

今回はキハ66です。
非電化区間でもあるこの区間には、
大村線用の気動車が乗り入れます。
長崎本線は全部乗ったよ!という乗り鉄の人も、
実はこの区間を忘れていることが多いのです。
なお大草駅周辺は、抜群の眺めです。

穴場の絶景区間をお忘れなく!

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2011年8月21日 (日)

東京地下鉄(東京メトロ) 05N系をUP

5年間中断ののち、1999年度から投入が再開された
05系(24編成以降)は、全面的に設計変更され、
別形式とも思わせるスタイルで登場しました。Metro_05_25f_10

正式 には従来通り05系のままですが、05N系と呼ばれています。

1988年に登場した 05系は、東京メトロが発足した2004年度に
引き続き40-43編成を製造しています。
ここでは このメトロオリジナルの42編成と
営団からの承継車=1999年製の25編成(8次車)
をご覧いただきます。

なお05N系は、すべてIGBT素子のイン バータ電車です。

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2011年8月20日 (土)

東京地下鉄(東京メトロ) 5000系をUP

東京メトロ5000系は、旧・帝都高速度交通営団が1964年に
東西線用にデビューさせたものです。
日比谷線用の3000系とは違って経済性が重視されました。

Metro_5000_59f_10_5009

車体はステンレス製ですが、骨組みは普通鋼です。
1981年までに10連×27本、7連×20本、5連×2,
(3連×2 綾瀬支線用)計426両が製造されました。

1989年から冷房改造がスタート。
2004年東京メトロとなった段階では160両がすでに廃車され、
承継されたのは冷房改造車のみです。

2007年3月には、東西線での営業運転を終了。
現在は綾瀬支線で3連のアルミ車が残るのみです。

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参考までに…
帝都高速度交通営団 東西線 5000系

    帝都高速度交通営団   東西線 5000系アルミ試作車

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2011年8月19日 (金)

JR東日本 E2系1000番台 東北新幹線「はやて」用 J50-編成をUP

E2系1000番台は、2003年から製造されました。
J編成(J51~J75)が割り当てられ、
通称「はやて」編成とも呼ばれています。

Jre_e2_j56_01

東北新幹線八戸延伸時にデビューしました。
登場時から東北新幹線運用に固定されているため。
「50/60Hz周波数切替装置」を装備していませんが、
E3系などとの「分割併合装置」を装備しています。
(J51編成のみ上下に装備。)

0・100番代(J1~J15)との違いで、主なものは、
大窓化、パンタグラフのシングルアーム化
車体間ダンパー装備(J51編成以外に装備)というところでしょうか。

なおVVVF装置は全編成【IGBT】を装備しています。

新青森延伸開業にあわせ2010年2月から 増備が再開された
4次車(J70~J75)は、 東北新幹線高速化準備車として製造されています。

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JR東日本 E2系1000番台 東北新幹線「はやて」用 J50-編成
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2011年8月18日 (木)

JR東日本 E’2系 東北新幹線「やまびこ」用 J編成をUP

E2系J編成(J1~J15)は、
1997年の秋田新幹線開業にあわせてデビュー。
N編成「あさま」編成と区別して E'系(イーダッシュ系)
または「やまびこ」編成とも呼ばれています。

Jre_e2_j14_10

J編成は、現在、東北新幹線区間運用に固定されていますが、
当初は「あさま」運用も掛け持ちしていたため、
50/60Hz周波数切替装置を装備していました。

J編成の特色はE3系との「分割併合装置」を装備していることです。
(E224形100番台)
8連でデビューしましたが、10連化される以前に
一部N編成と中間車を入れ替えています。

また試作編成であったJ1編成は8連のままN21編成となり、
J1編成は欠番となりました。
このことからもE2系N編成とE2’系J編成とは
性能的に変わるところはありません。

なおVVVF装置は【GTO】【IGBT】の両タイプが存在します。

鉄道車両写真集
JR東日本 E’2系 東北新幹線「やまびこ」用 J編成

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2011年8月17日 (水)

JR東日本 E2系 長野新幹線「あさま」用 N編成をUP

E2系N編成(N1~N13.N21)は、
1997年の長野新幹線開業にあわせて
試作編成であるN1(=S6)編成が1995年にデビューしました。

P1210884

長野新幹線では軽井沢~佐久平間で周波数が変わるため
N編成は50/60Hz周波数切替装置を装備しています。

ただJ編成も当初は「あさま」にも使用したため、
周波数切替装置を装備。
E2系N編成とE2’系J編成とは性能的に変わるところはありません。
その証拠にJ編成が10連化される以前に、
一部N編成と中間車を入れ替えています。
またその際、これまた試作編成であった
J1(=S7)編成が8連のままN21編成となりました。

なおVVVF装置は【GTO】【IGBT】の両タイプが存在します。

鉄道車両写真集
JR東日本 E2系 長野新幹線「あさま」用N編成

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2011年8月16日 (火)

JR東日本 E3系 秋田新幹線用「こまち」をUP

JR東日本E3系0番台は、1997年、
秋田新幹線「こまち」用として5両編成でデビューしました。

P1210794
在来線である田沢湖線も走行するため、
アルミ合金製の車体は長さ20M・幅2,95Mと
在来線の規格に合わせて、 一回り小形に作られています。
なお新幹線駅では収納式のステップを使用します。

1998年に増結付随車E328形(14号車)が登場して
現行の6両編成となりました。

最高速度は在来線区間が130km/h、
新幹線区間が275km/hになっています。

6両編成26本(156両)が秋田車両センターに配置されています。
ちなみにR1~R16(14号車を除く)は、
2010年3月まで秋田新幹線車両保有(株)の車両でした。

鉄道車両写真集
JR東日本 E3系 秋田新幹線用「こまち」
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2011年8月15日 (月)

JR東日本 E3系1000番台 山形新幹線「つばさ」用をUP

Jre_e3_l51_11

JR東日本E3系1000番台は、
1999年12月、山形新幹線新庄延伸に伴い、
2本(L51.52編成)が新造されました。
400系とは違い、アルミ合金製の車体となりました。
もっとも大きさは 長さ20,000mm・幅2,950mmと
在来線規格に合わせています。

2005年8月に追加されたL53編成では
VVVFインバータ制御装置の素子がIGBTに変更されました。
なお最高速度は在来線区間では130km/hですが、
新幹線区間では400系と同じ240km/hとなっています。

7両編成3本(21両)が山形車両センターに配置されています。

鉄道車両写真集
JR東日本 E3系1000番台 山形新幹線「つばさ」用

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2011年8月14日 (日)

サイキョージ氏「夏の鉄旅2011」

今年の夏はT氏と信州の私鉄と碓氷峠の鉄道遺産を巡る旅をした。Dsc_4803
 
8/3(水)
 
集合場所の上田駅に少し早めに着いた私は
JR上田駅で帰りのキップを購入する。
購入区間は吾妻線の大前から、
上越線、北陸回りで京都までである。
みどりの窓口のおにいさんに
「長岡から「きたぐに」を利用する。」
と言ったのだが
彼は経路図を見ながら私に
「米原経由ですね?」
と的はずれの質問をしてきた。私が
「米原経由でも湖西線回りで計算するハズだよ」
というと時刻表でそれを確認して発券してくれた。
(時間はかかったけど。)
「Dr.Kならどのような対応をしたかな」
と想像するとおもしろかった。
この発券があとで興味深いことをを引き起こすことになる。
 
この日は上田電鉄、長野電鉄屋代線を乗りつぶすことにする。
東京より夜行バスで信州入りしたT氏と上田駅で無事合流する。
使ったキップは「上田電鉄外湯入浴券付ききっぷ」。
上田~別所温泉の往復運賃と
3ヶ所の外湯巡りができるチケットである。
風呂代が多少安くなるぐらいで
あまりお得とはいえないキップである。
上田から丸窓の旧東急電車に乗る。

人口15万人程度の都市で鉄道を維持するのは
たいへんだろうと思うが沿線に大学があり
学生の利用が多いのが幸いだ。
Dsc_4695

乗って残そう別所線。

別所温泉に到着すると和服の女性駅長が出迎えてくれた。
昼食と入浴をすませ寺巡りをする。
信州の鎌倉とよばれるだけあって
古刹、名刹とよばれる寺が多い。
その中で茅葺きの本堂をもつ常楽寺を拝観した。
裏庭にある苔むした古い墓が美しく感じる。
 
別所温泉から上田まで戻りしなの鉄道で屋代まで行く。
使ったキップは「小布施・軽井沢」フリーキップ。
JR長野~篠ノ井間、長野電鉄、しなの鉄道が乗り放題、
2日間有効で3500円というかなりお得なキップである。

屋代まではJR時代の115系の電車に乗る。
この電車も早晩なくなる運命だろうが、
しなの鉄道では新車を導入する余力はないだろう。
次はどうするのか心配だ。
ディーゼル化にだけはしてほしくない。
 
屋代で長野電鉄屋代線に乗り換える。
跨線橋を渡り長電のホームに立った瞬間、
歴史が30年ほど遡った感じがする。
待合室や表示板などがレトロなまま大事に使われている。
これは感動もの。
屋代線は廃線の時期が迫っているのか
カメラを持った鉄が多く乗っている。(私たちもそうだが)

電車は営団地下鉄(現東京メトロ)日比谷線で
使われていた車両でクーラーがない。
窓を全開しても少ししか開かないので暑い。
節電にはもってこいの車両だ。
 
須坂で長野線に乗り換える。
須坂には長電の車庫があるので
いろんな電車を入替作業中に見られた。
レトロな2000系、元JRの253系NEX、元小田急のロマンスカーなど、
ここでは東京地区で引退したいろんな車両が楽しめる。
30分の待ち合わせで湯田中行の特急「スノーモンキー」に乗車。Dsc_4780
この電車は東京~成田空港で使われていた成田エクスプレスだ。
追加料金100円で大名気分になれるすばらしいサービスだ。
追加料金を払っても乗る人が多いのは肯ける。

信州中野から電車は山登りを始め、
最後は40‰の坂を登り切って湯田中駅に到着。
昔は駅構内でスイッチバックをしてたそうだ。
今宵の宿は湯田中駅から歩いて1分の旅館「下田屋」。
温泉も食事もよく家族的なサービスに満足した。
 
8/4(木)
朝風呂に入り、旅館をあとにして
湯田中から信州中野で長野行きに乗り換えて長野駅着。
JR長野駅でしなの鉄道小諸行きに乗車。
小諸で軽井沢行きに乗換、軽井沢到着10:44。
駅を降りると空気が冷たい。駅の標高は939mもある。
涼しいはずだ。
 
ここから碓氷峠の鉄道遺産を見に行く。
横川~軽井沢間が廃線になる以前に
この区間を乗っていなかったのが悔やまれる。
今となっては、この鉄道の難所を車でしか見に行くことができない。
軽井沢駅前でレンタカーを借り、国道18号線を下る。
つづら折れのカーブが果てしなく続く。
県境を越え群馬県に入り目の前に現れたのは通称「めがね橋」。
煉瓦造りのアーチ橋は見る人を圧倒する。
その昔アプト式の機関車が列車を引いて
この橋の急坂を上がっていったのである。
明治時代から新線ができる1963年まで
使われていた鉄道遺産である。

めがね橋一帯は遊歩道として整備され
横川駅まで歩いて行くことができる。
いくつものトンネル、丸山変電所跡など
すばらしい鉄道遺産が残されている。
 
本当のところT氏に車を横川まで先回りしてもらい、
歩いて横川まで行きたかったのだが
時間もないのでトンネルを2つほどくぐったあと
レンタカーに戻り横川駅前の「碓氷峠鉄道文化むら」に行く。
ここには横川~軽井沢間に使用した電気機関車や、
日本各地から集められた電気機関車、ディーゼル機関車、
SLなどが静態保存されている。
高くつくが希望すれば
動態保存している電気機関車の運転もさせてくれる。
鉄にとってはたまらない施設だ。
残り時間を気にしながら「文化むら」を後にする。
帰路は軽井沢まで碓氷バイパスを通る。
広い道ではあるが幾重にも上りカーブが続く。
道路でさえこの坂道なのに
明治の時代に、よくもこの峠を鉄道で越えることを考えたものだ。
先人たちの努力に感銘を覚える。

峠を越えると高原がひらけてくる。
軽井沢の町に入ったのが実感できる。
バイパス沿いの蕎麦屋で昼食をとる。
ゴボウ天ソバを食べた。やはりうまい。
 
昼食後は中軽井沢から浅間山麓の有料道路
(プリンスホテルの管理)を通り草津に向かう。
途中、観光名所「鬼押出し」を見てやろうとしたのだが
西武鉄道が開発した観光地のイメージがやたら目につき
入場料も取るので中に入らず
駐車場からごつごつした溶岩台地を見るにとどめた。

そのあと草軽電鉄北軽井沢駅跡を見に行く。Dsc_4870
1960年頃まで草軽電鉄が軽井沢~草津温泉間を結んでいたそうである。
自転車ぐらいのスピードで3時間もかかったらしい。
バスに役割を取って代わられるのは時間の問題だったのだろう。
北軽井沢から少し道に迷いはしたが無事、
吾妻線の万座鹿沢口駅に着く。
私はこの先の吾妻線の終点大前駅で降ろしてもらい、
T氏にレンタカーを長野原草津口駅で返却してもらうことにする。
 
大前の駅前にある1軒宿の嬬恋温泉で
湯につかり17:12発の電車を待つ。
1日に電車が5本しか来ない寂しい終着駅だが
宿泊もできる温泉宿が駅前にあるのだ。
鉄には貴重な宿である。

高崎行きの電車に乗り込むとT氏より連絡(メール)が入り、
レンタカーのガソリンを満タンにして返すと19㍑も入ったらしい。
走行距離が80kmだから燃費4km/lの計算になる。
前の借り手が満タンをごまかしたようだ。
文句を言って1000円返却してもらったとのこと。

またT氏が長野原草津口駅で私と同様の乗車券を
「かえる君」で購入しようとすると

注:「かえる君」とは、自動販売機でありながら、
電話でセンターの係員と会話をしながら
切符を購入できる新手のサービス。
購入済みの乗車券や、学割などの証明書なども
読み取り機でセンターにいる係員が確認できるのが凄い。
当然リアルタイムで列車の運行状況も教えてくれる。-はず。

上越線の越後湯沢~六日町間が不通で
バス代行になっていることが判明。
ダイヤ通りの運行であれば長岡23:00に到着するので
とりあえず購入してもらい
合流後、渋川駅で詳しい情報を集めることにした。

T氏は長野原草津口から乗り込んできた。
彼が「かえる君」と話をした体験談を聞かされた(笑)。

電車は八ッ場ダムの取付道路となる巨大な橋脚の横を走る。
よくテレビでみたやつだ。
もしダムができれば吾妻線も大井川鉄道井川線のように
路線変更をするのであったのだろう。
 
渋川駅到着後、駅員に状況を聞くと
やはり7/30の豪雨で越後湯沢~六日町間が不通で
バスで代行輸送しているとのこと。
駅員曰く
上越線の列車はすべて越後湯沢止まりである。
六日町以遠のダイヤはわからないので
越後湯沢から新幹線に乗り換えてくれといわれる。
特急券は自腹を切れとのこと。そりゃないぜ。
「7/30から不通であることを承知の上でキップを買ったのだから」
というのがその理由であった。
「かえる君」は教えてくれたけど
「私が買った上田駅の窓口のおにいさんは何も教えてくれなかった」
とねじ込むと、
「とりあえず越後湯沢まで行って交渉してくれ。」
と言われた。駅をあとにして夕食をとりに行く。

渋川駅近くの「とり谷」という居酒屋に入る。
大将はカラオケの先生だそうで関西で彼の歌った曲を広めてくれと
カセットテープをタダでくれた。
ご当地ソング「ふりむけば渋川」と「驟雨」の2曲入りだ。
通信カラオケにも入っているから是非広めてくれといわれた。

注:サイキョージ氏は、「ふりむけば渋川」のWAVファイルを
メールに添付してくださったのですが、10.1mbもあるため
1回あたり1mbしか転送できない「ココログ」では
アップロードできません。
AACファイルに変換したのですが、これでも2Mb。
うーむ。いい手があったらご教示ください。


酒が入ると自然と地元の人たちと交流ができるものだ。
 
渋川発19:53の電車に乗り水上着。
ここで本来長岡行きの最終電車に乗り
清水トンネルを抜け越後湯沢に到着。
駅員に六日町以遠の状況を聞くと
代行バスで六日町まで行けば長岡行きの電車が接続し
時間通りに長岡へ到着するとのこと。
とにかく長岡から「きたぐに」で帰れることがわかり一安心する。

代行バスは30人ほどの乗客を乗せ国道17号線を走り、
六日町までのすべての駅に立ち寄り乗客を降ろしていく。
さすがにこの時間に乗ってくる人はいない。
バスは本来の電車ダイヤの5分遅れで六日町駅到着。Dsc_4883

駅には長岡行きの電車が待っていた。
とりあえずいろいろあったが長岡着23:05。
 
ところが次なる困難が長岡で待っていたのである。
 
長岡駅に降りると改札口が騒がしい。
乗ってきた電車は新潟行き最終に接続するのだが、
駅員は、その電車に乗る人たちを集め
「本日ゲリラ豪雨があり東三条~三条間がダムの放水による
増水のため不通になっている」
と説明。
乗客をバス代行、新幹線振替、新幹線振替+タクシーなど
班に分けて誘導していた。

最終の新潟行きの新幹線が出発すると駅は落ち着きを取り戻す。
長岡発の列車は、あと「きたぐに」を残すのみである。

23:30ごろになると「きたぐに」の乗客が駅に集まりだした。
冷房の効いた待合室の中だけでも50人はいる。
旅行客よりもビジネス客の方が多い感じだ。
「きたぐに」の需要が結構あることがわかる。
駅員は「きたぐに」の乗客に状況を説明し始めた。
川の水位が下がると運転を再開するとのこと。
「フー、やれやれ。」

日付もかわり0:40ごろ「きたぐに」は長岡駅到着。
「きたぐに」のB寝台は8号車13,14番の中段
いわゆるパン下を取っておいたので
頭上が高くて快適に過ごせた。
この583系電車も早晩姿を消す運命だろう。

今回の乗車が最後になるかもしれない。
 
京都には50分遅れで7:20ごろ到着。
この鉄旅はトラブル続きではあったがおもしろい経験をした旅でもあった

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2011年8月13日 (土)

Dr'Kの「253系1000番台に乗ってきました。」

予定よりも遅れて、この6月から営業運転を始めた特急が2つ
「あそぼーい!」と「253系1000番台」

「あそぼーい!」は先月攻略してきたので、
今回は253系1000番台を攻略することにした。2531000

最寄駅から新快速に乗って大阪で下車。
日付は0時を回って時刻は0時23分。
今回の旅のスタートは、ここ最近、
首都圏に出張する時の定番になりつつある
大阪駅11番線から0:34発、サンライズ瀬戸。

山陰線での信号機トラブルで、サンライズ出雲が遅れたため、
30分強遅れて大阪に到着。

サンライズ単独の遅延なら1時間ぐらいなら、
首都圏に着く頃にはダイヤが回復してるので全く心配なし
(ただ走行路線の前後の列車で事故発生となるとこうはいかない)。
かくして、サンライズは32分遅れで入線し、
大阪からの乗客を乗せ慌ただしく発車した。

指定された寝台に入って就寝準備。
桂川橋梁付近で車掌が検札にやってくる。
サンライズの特急券・寝台券とともに、
東武日光までの乗車券、特急券も提示し、
乗継ぐことを伝え、車掌も了解してくれたので、
京都駅を横目に見ながら、安心して眠りにつく。

熱海を出たところで、車掌が状況を教えてくれた。
まだ6分遅れ。微妙。
今日は「おはよう放送」後の横浜で下車し、
7:49発宇都宮行湘南新宿ラインで新宿または池袋までつなぎ、
日光1号に乗り継ぐ。

おはよう放送は6:24。
小田原から貨物線を走行してきたこの列車が
茅ヶ崎で旅客線に戻る時に3分遅れ。
ちょっと微妙。
車掌は横浜に定刻の予定というが、
乗継の宇都宮行きを大船で追い越せず、戸塚で追越す。
7番線に到着する横浜では遅れを2分まで回復。
10番線に急ぐ。

無事、湘南新宿ライン宇都宮行きに乗車でき、
予定通り7時23分に新宿4番線着。

・日光1号( 新宿 7:30 ⇒ 東武日光 9:29 )
日光1号は253系1000番台第1編成。すでに6番線に停車している。
253系といっても、
もとは5次車で最終増備のグループの200番台が種車のはずだが、
まぁ…。
転用改造のやる気のなさをいきなり感じることになろうとは…。

25359

その理由は、窓にあり。
485系を3000番台に改造するにあたっては、
その窓までシートピッチに合わせて作りなおしているほどの
気合の入り方だが、この253系はそこまでしていなくて、
窓と窓の間にモロに柱が来る。
席をひくと、日除けを出すにも2か所出さないといけない。
まさにその5号車9番の席でした。
やっぱりスペーシアと比べると、
485系や彩野ほどではないが見劣りがしてしまう。
この転用は、まさに珍車ギャラリーでかつて述べた通りの転用で、
否定はしないが、
これならば先輩格の651系基本編成から
サロを抜いて6連をつくるほうが、
種車のシートピッチを広げる必要がない(窓とずれない)分
まだいい(思いのほか空いていたので移動はしたが)。

これをしないのならば、
マルスに窓割りと合うか合わないかを入力しておいて、
合わない席はいちばん最後まで売らないようにするなど
の工夫がないと。そりゃみんなスペーシアに乗るわな。
やっぱり。

成田空港輸送と日光・鬼怒川観光では用途が違うんだから、
どーせ内装それにあわせるのなら、
半ばジョイフルトレインに改造するぐらいの勢いで
やればいいんじゃねぇの?

この辺は185系の時と同じ、
やっぱ253系かぁ…OTL…(もちろん悪い意味で)と、
東日本の銭ゲバさを味わった。
金にならないところにはほんとに投資をしない。
見事なまでの徹底ぶり。

というわけで、車窓もへったくれもない。
池袋、大宮でもそれほど乗車はなく、約30%の乗車率で
東武に入るため、栗橋でいったん停車。

最初の停車駅は、両毛線との接続駅の栃木。
新栃木で分岐する宇都宮へは、ここで降りる。

以前スペーシアきぬがわに乗ったとき、
ここで若い女性グループの耳をふさぎたくなるような話に辟易して、
「うるさい!」と大声ではき捨てておりたおっさんがいたなぁ。

新鹿沼を経て、
鬼怒川線が急カーブで分岐する下今市の1番線に到着。
2番線から連絡する鬼怒川公園行が
上り本線上で折返し待機していた。
これに乗ると、AIZUマウントエクスプレスに接続している。

下今市で停車中に、鬼怒川公園行きが入線。
しばらくならんで、下今市を発車。東武日光に9時29分定刻、
6番線に到着。この後、
253系は鬼怒川温泉に回送され、きぬがわ4号になる。
せっかく日光にやってきたので、
世界遺産めぐりと銘打った循環バスで、
約1時間の待ち時間の間に市内を巡る。

・きぬがわ4号( 下今市 11:00 ⇒ 大宮 12:19 )
東武日光駅に戻ってきた私は、10:45発の下今市行きに乗る。
下今市では臨時日光23号に運用されている第2編成と出会う。
臨時日光23号が発車して間もなく、
鬼怒川温泉からやってくるきぬがわ4号が到着。
往路と同じ編成である。

復路は3号車10番と、窓割りとはぴったりの位置。
後ろのお嬢さんに声をかけてリクライニングを倒す。
窓割りによってこうも見える車窓が違うか、と実感する。
やはり窓はシートピッチに合わせて
作りなおしておくべきじゃないのか?

5月には251系に乗る機会があったのだが、
これも9、10号車と1号車の展望席は、元は強烈に狭い
4人がけ座席と、普通車並みのピッチに合わせた窓割りなので、
リニューアル後と全く合っていない。

それなのにA料金。ほかの車両、
特に臨時運用される伊豆急車はB料金で乗れるのにねぇ。

往路よりも乗車率はよく70%といったところ。
前のほうの席の家族連れのおそらく男の子がPSPを爆音で
イヤホンなしでやってるのが若干気になるが、
走行そのものは快調。

車窓を楽しみつつ、
日光市内のパン屋で調達した昼食を車内でとって研修に備えた。
栗橋を出て、JR宇都宮線に入ると程なく大宮。
ここで下車し、大宮駅近くの研修会場へ。

研修を終えた私は、湘南新宿ラインの列車に揺られ、
新宿に移動し、2泊する宿へ。

・しおさい5号( 東京 11:40 ⇒ 銚子 13:31 )
今日は行き当たりばったりで、銚子に海の幸を食しに行く、
と決めた私は、しおさい5号に乗るべく、東京駅に向かった。
 無事東京駅に11時過ぎに到着した。
南のりかえ口そばにある、
改札内の当日券売り場に並ぶこと10分弱、若い係員に招かれ、
窓口で周遊きっぷの東京ゾーン券を提示し、
区間外乗車となる区間(佐倉以遠)の
乗車券と自由席特急券を所望した。

「蘇我からですね」という彼のセリフに絶句。
しおさいがどんな経路をたどって銚子に至るのか
まるで理解していない。
時刻表のしおさいの掲載ページを開いても
なお蘇我からとか千葉からとか言っている。

確かに、券面の路線図には千葉と成田が書いてあるが、
その間の佐倉は書いていない。
しかし、路線図を見れば佐倉がその間にあるのは明らかで、
ここから分岐してしおさいは総武線をたどる。

不当請求だと抗議すると、確認してきますと
彼はバックヤードに消え、10分弱ほったらかしにされる。
切符の起点が佐倉であることをようやく確認して、
発券が終わった時には11:33。けっこう慌ただしかった。

しかし、時刻表の周遊きっぷの項を見れば、
どのような切符が必要なのかト書きがあって、
これを確認すれば済む話だが、
なぜこれを知らないのだろうか?

「間違い」というには、これだけ不特定多数の係員が、
よく同じ解釈、原理で間違えられるなぁ…。
よくこれだけ、口裏を合わせられるもんだ。
しかも、こちらが指摘しないと、
この列車が成東から普通列車になることも落としてるし。
まさに金の亡者。よく教育されてて感心するわ。
大々的にHPにコンプライアンスなんて出してるけど、
クソ喰らえだな。

総武地下2番ホームに急ぐ。
所定通り2号車だけが指定席のE257系500番台5連。
E257系、E653系、E751系などの新車は、
機能性のみを重視したもので、シートピッチも狭く薄っぺらい。

席についてほどなく列車が動き出す。
地上に出てすぐ錦糸町。
これ以降も列車は快調に東進する。
市川駅付近で検札に来る。
周遊きっぷのゾーン券と、
そこから足が出る区間の自由席特急券、乗車券を提示。
車販では113系惜別記念グッズが売られていた。
113系の後釜が
京浜東北線でこき使われた209系ってのもなぁ…。

千葉でかなりの入れ替わりがあった。
佐倉からは分岐する成田線が本線であるかのごとく
複線で、本線の総武線が支線のごとく単線区間に入る。
八街、成東とじりじりと乗客が減っていく。
が、成東以降では普通列車になるので、
部活帰りの高校生が大量乗車。一気ににぎやかになる。
地域も足として機能している。

銚子駅1番線についたところですぐ、
改札のすぐわきにあるみどりの窓口で
帰りの佐倉までの特急券と乗車券を購入し、
ネットで探した食堂に向かう。
安くはないが、高くもなく魚料理は新鮮で美味。

・しおさい 12号( 銚子 14:17 ⇒ 東京 16:03 )
 かいじ  109号( 東京 16:15 ⇒ 新宿 16:28 )

銚子駅に戻るともう乗車がはじまっていた。
2号車以外は自由席なので、3号車に陣取るとすぐ発車.

直前に検札がきたので、
佐倉までの特急券、乗車券と周遊きっぷのゾーン券を提示した。

各駅で順調に乗客を拾っていき、乗車率がぐんぐん上がる。
「あいた座席に荷物を置かない」
「小さい子供は膝の上」
などの放送が入るようになる。

佐倉からは複線区間で揺れることも少なくなったので、
眠ってしまった。

千葉を過ぎたところで、席は全く移動していないのに、
また検札だということでベテランの別の車掌に起こされる。
「銚子できっぷみせてるはずだけど…」とぶつくさ言うと、
「佐倉までということになっているのですが」とのこと。
「はぁ?!」
(銚子発車時に周遊きっぷの東京ゾーン券も併せて提示しているので)
車掌はのりほを見せてくれたのだが、
私の席は確かに佐倉までと書かれている。
…なるほど。
千葉で引き継ぐ前の若い車掌は、
買い足した分の佐倉までの特急券・乗車券しか見ていなかったか、
周遊きっぷのゾーン内は、特急の自由席に乗車可なのだが、
これを失念しているか、
東京ゾーン券では、東は成田まで乗車できるのだが、
ゾーンの図には掲載がない佐倉駅を認識しておらず、
佐倉~東京間が乗車できることを認識していないかのいずれかだ。

いずれにせよ、悪意がないのなら、プロとして失格では…?
何のための検札か…と思いつつ、改めて3枚の切符を提示する。
「どちらまでご乗車ですか?」
「東京です」
「これ以外の特急券はお持ちではないのですか?」
「これ(周遊きっぷの東京ゾーン券)を持ってるのになんで特急券までいるわけ?」
千葉から引き継いだ車掌は、平謝りだった。
まったく、どうなってんだか。
往路の職員といい、間違ってる対応が
JR東日本のデファクトスタンダード(事実上の正しい対応)に
なっている。
ということは、言い換えれば会社としてこの対応をよしとして、
客から過収受をさせていることになる。
私がJRグループ、
とくに東日本と東海を金の亡者といってはばからない理由はここにある。

せっかくいい気持ちで昼寝してたのに…、
こんなことをやってるうちに錦糸町着。

錦糸町を出て、地下にもぐるとほどなく
東京着の乗り換え案内があり、それが切れると東京駅。

総武地下3番乗り場に定刻着。

節電で1本エスカレータが止まっているが、
高高架の中央線2番ホームへ。ほどなくE257系0番台が入線、
これが折り返し「かいじ109号」になる。
中央快速の混雑を嫌ってかいじで新宿へ。

新宿までは快速の後追いなので、ノンストップだが1分速いだけ。
検札もちゃんとやってくる。
確かに東京から新宿で降りるような人間は小生ぐらいのものだが、
降りる客がいるんだから出口をふさぐなっての。

その後、ショコラ氏とインディゴ婦人と新宿駅付近で
久しぶりに再会し酒を酌み交わして、今日はおしまい。

Maxとき315号( 大宮 9:54 ⇒ 長岡 11:06 )
湘南新宿ラインのグリーン車を利用して大宮に移動したら、
なんと7月30日の大雨の影響で
上越線の越後湯沢~六日町間で運転を見合わせていて、
はくたかは長岡発着で運行するとのこと。

Max315号は越後湯沢までノンストップ、
以遠各駅という北陸連絡と各駅停車をかねている。
乗継のはくたか6号和倉温泉行は長岡発11:16で運転するとのこと。

上越新幹線のこの区間も特に目新しい景色もないし、
1階を指定して睡眠を決め込んだ。
駅でも車内でも再三にわたり
はくたかへの乗継は長岡でと案内されている。

越後湯沢に列車は定刻に到着したが、
普段なら乗換客がたくさんいるのに、降りる人もまばら。
かく言う私も、越後湯沢までの特急券で、
長岡まで乗ることになるのだが。
なんか、乗継ぎ客で混雑しないのって、越後湯沢じゃない感じ…。

浦佐を経て、列車は長岡へ。
普段の乗降に加えてはくたかの乗換客がいるのでもう大変。
エスカレータと階段も大混雑。
10分の連絡で5番線から発車と駅員が叫んでいる。

はくたか6号( 所定 = 越後湯沢10:48 ⇒ 金沢13:23
        変更 = 長岡11:16 ⇒ 金沢 14:00)
停車しているのは、スノラのみの9連。
付属編成が683系、基本編成681系第1編成。得した気分になる。
ただ、直江津以遠は30分近い遅延が見込まれるので、
その対応に気をもむことになる。

私も石川県内で14時開始の研修に間に合わないので、
送迎の車を加賀笠間駅に出してくれる研修施設の方に
遅刻の連絡を入れることになる。

直江津には24分の遅延で到着し、慌ただしく発車。
この列車は糸魚川には停車しない。
次の停車駅は魚津なのだが、泊を過ぎると、
先行する定時運行の北越4号に引っかかり
徐行することになるわ、トヤ総では
サンダーバード11号の入替の平面交差支障につきあわされるわで、
遅れは富山駅で35分に拡大。
遅れを最小限にとどめるために、
この編成は金沢で運転を打ち切り、
七尾線区間のみの特発「はくたか6号」を出すので、
七尾線内まで行く客は、津幡に臨時停車するので、
ここで乗り換えるように案内があった。

かくして高岡で慌ただしく乗降を済ませたこの列車は、
倶利伽羅峠を必死で駆け上がる。
津幡の1番線に臨時停車。特発は4番線に停まっている。
お年を召した方も多いので、向かい側の2番線に
停めてやればいいのに。

定期列車こそないが、津幡駅の2番線は、
金沢方面からきて七尾線へは出入りできる構造になっているのに、
なぜ2番線に停めるといった配慮がないのだろう?

津幡で七尾線区間まで利用する客が乗り換えたら、
また慌ただしく発車。
金沢駅には37分遅れで5番線に到着(所定は3番線で折返す)。

2番線ではサンダーバード26号が到着を待っていた。
私は3番線に停まっていた福井行(521系4連)に
のりかえる旨を研修施設に伝え、
車の手配を依頼して加賀笠間に急ぐ。
約30分研修に遅刻。

研修を終えた私は、
なかなか交流できない他の(特に地元の)参加者と
美川駅付近に食事に繰り出した。
美川発20:32の普通に乗って小松で
最終サンダーバード46号に乗りかえて京都まで乗り、
新快速に乗り換え23時半すぎに帰宅した。

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2011年8月12日 (金)

珍車ギャラリー JR北海道 キハ40形400番台をUP

Jrh_09_dc40_401

キハ40形400番台はキハ40形300番台とともに、
1996年に札沼線用として増備されたものです。
      ところで、
なぜ300番台に加えて400番台が必要とされるのでしょうか?
      冷房の有無という違いもありますが、
ポイントはやはりエンジンの出力です。
      400番台における450psというのは、
キハ40形では、最大の出力となります。
      これは、オリジナルのエンジンの二倍以上、
      これほどのパワーが必要となる山岳区間が
使用線区である札沼線にあるのかといえば
      さにあらず。ではいったいなぜ?

珍車ギャラリー
JR北海道 キハ40形400番台
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2011年8月10日 (水)

JR西日本新幹線 100系V編成「 グランドひかり」をUP

JR西日本100系3000番台は、
0系しか承継しなかったJR西日本が
独自で製作(1989~91年)した100系車両で、
グランドひかりまたは100N系とも呼ばれました。
2階建て付随車を4両連ねたその堂々たる姿は
「グランドひかり」の名にふさわしいものでした。 Jrw100_v7_16

最高速度は東海道区間220km/h、山陽区間230km/hで
定員は1285名となります。
しかし300系「のぞみ」の増便によって、
300系より50km/hも遅い100系は、早くも時代遅れとなり、
2000年3月には食堂車の営業を休止。
2002年5月に定期運用から離脱することになります。
そして2002年11月のさよなら運転をもって
「グランドひかり」は消滅しました。

グランドひかりのシンボルとも言うべき2階建て付随車は
すべて姿を消しましたが、
残った電動車は、すべてK・P編成に流用されています。

鉄道車両写真集
JR西日本新幹線 100系V編成「 グランドひかり」

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2011年8月 9日 (火)

JR西日本新幹線 100系 K編成をUP

JR西日本100系3000番台は、0系しか承継しなかったJR西日本が
「グランドひかり」用に独自で製作(1989~91年)した100系車両で、
100N系とも呼ばれます。

2002年11月のさよなら運転をもって「グランドひかり」は消滅し、
グランドひかりのシンボルとも言うべき2階建て付随車は
すべて、その姿を消しました。しかし 残った電動車は、
K編成=6連×10・P編成=4連×12に再編されました。

Jrw_100_k57_6

今回ご紹介するのは、
2×2シートとなり、塗装も改められたこのK編成です。
なかでも注目すべきは6号車122形5000番台です。
V編成時にはなかったパンタグラフが取り付けられています。

先頭車不足を補うために
122形121形には先頭車改造した5050番台も存在します。
こちらはK57編成でご覧ください。

鉄道車両写真集
JR西日本新幹線 100系 K編成
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2011年8月 8日 (月)

京阪電気鉄道 京阪特急 8000系 8000系リニューアル車をUP

Kh8007

京阪電気鉄道8000系は、
1989年にデビューした特急専用車両です。
1993年までの間に7連×10=70両が新造(川崎製)され、
旧3000系を置き換えました。

97~98年にはダブルデッカー(8800形)を増結、、
現在は8連×10=80両となっています。
車体はアルミ製(8800形を除く)ですが、
界磁位相制 御でVVVF インバータ制御ではありません。

2008年から2011年にかけて車内がリニューアルされました。
各々別タイトルでUPしています。

京阪特急のシンボルであったテレビの撤去も進んでいます。

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京阪電気鉄道 京阪特急 8000系 8000系リニューアル車
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2011年8月 7日 (日)

JR東海新幹線 N700系量産車をUP

JR東海N700系は、700系と同じく
JR西日本とJR東海が共同で開発した系列です。

Jrt_n700_z11_16

山陽新幹線区間での300km/h運転ををすすめたいJR西日本 と
300系の座席定員を維持しながらよりグレードアップし、
なお東海道新幹線区間でも高速化を図りたいJR東海。
互いが高いレベルでその要求を実現した系列と申せましょう。

最高時速は300Km/hです。
東海道新幹線内の最高速度は270km/hのままですが、
60か所ある半径2,500mの曲線区間(255km/h制限) でも、
270km/hを出せるよう車体傾斜システムを搭載しました。
これにより東海道新幹線の約3分の2以上の区間で
270km/hで走行できるようにな りました。
また起動加速度は通勤電車並みの2.6km/h/sとなり、
東海道新幹線区間での所要時間を5分短縮しました。

車内のグレードも格段にUPしたことも見逃せません。
キャッチコピーは「最新技術というおもてなし」です。
看板に偽りなし!と思います。

2007年7月から営業運転を開始しました。
JR東海が保有するするのはZ編成です。
(16連×65本=1040両 Z0を含む)

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2011年8月 6日 (土)

JR東海新幹線 700系量産車をUP

JR東海700系は、新幹線電車としては初めて
JR西日本とJR東海が共同で開発した系列です。
山陽新幹線区間での高速化をすすめたいJR西日本と
300 系の座席定員を維持しながら
よりグレードアップしたいJR東海が
互いに歩み寄ってつくりあげた系列と言うべきかもしれません。

Jrt_700_c05_0


そんな700系の特徴は、
カモノハシのような特異な先頭形状(エアロストリーム形)です。
これによって最高時速を285Km/hとしました。
またセミアクティブサスペンションや車体間ダンパなどを装備し、
乗り心地の向上をはかっています。
制御装置はVVVFインバータ制御ですが
IGBT素子に 変更されました。
さらに、運転台のモニター装置から、
主要機器を直接監視することが可能になり、
定期検査の動作試験も運転台で行うことが可能になりました。

700系は1999年3月から営業運転を開始しました。
JR東海が保有するのはC編成(16連×60本=960両)です。
なおJR西日本が保有するのはB編成(16連×15本=240両)と
ひかりレールスター用E編成(8連×16本=128両)です。

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2011年8月 5日 (金)

JR東海新幹線 300系(量産車 J編成 J2~61)をUP

JR東海300系は、ライバルとなる航空機に対抗すべく
東京駅 - 新大阪駅間を2時間30分運転で結ぶことを目標に、
運転速度は270km/hに設定されました。

Jrt_300_j25_16

高速走行を実現するため、車体はアルミ製とし
徹底した軽量化を行いました。
また300系は、新幹線で初めて
VVVFインバータ制御を採用した車両でもあります。

(量産車J2~61編成)は
1992年から1998年にかけて製造されました。

JR東海の屋台骨を支え続けた300系。
まだ私には「のぞみ」と言えば300系がまずイメージされます。

しかし2007年度から次々と廃車がすすみ
JR東海のJ編成は 2011年度をもって引退するそうです。

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2011年8月 4日 (木)

J鉄局長とカメラ-その4 ミノルタα7700i

その4 ミノルタα7700i

幸い、長年つきあってきたカメラ屋さんだったので、
気分良く交換に応じてくれました。
新しいカメラは、ミノルタα7700iです。
機能的にはF501と同じようなものなので、
不安はあったのですが、
フォーカシングも、オートワインダーの使用感も
F501とは比較にならないぐらいの安定感で
すっかり気に入ってしまいました。

もっともミノルタのα7700iに
ニコンのレンズは使用できません。
新たにレンズを購入することになります。

付属の標準系ズームレンズは、
普段使う分には申し分ないレンズでした。
ズームレンズは、こちらが動かなくていいぶんラクですし、
狭い車庫でもワイドにすれば撮影できます。
また塀の外から遠くにいる珍車を撮影するときにも、
劇的な効果はありませんが、助かります。
もともとズームレンズは重くて高価と
相場は決まっていたのですが、
ミノルタの標準系ズームレンズは、軽量で高性能。
納得以上のお値段と性能でした。

しかし、レンズのF値(明るさ)までは満足できませんでした。
私は暗いところでも、結構撮影するのです。
まして電車は基本的に動くものです。
ブレを未然に防ぐためにも、
少しでも高いシャッタースピードで撮影したいのです。
フラッシュ撮影など、
禁じ手は使えませんし、使いたくもありません
そのためには、少しでも明るいレンズが望まれるのです。 

ニコンを使用していたとき、F1.4の実力を実感していました。
しかし、口径も大きくなる明るいレンズは、
お値段がぐっとUPしてしまいます。
それでも50mmF1.4を購入しました。

思わぬ大出費となりました。
カメラ屋の兄ちゃんはえびす顔でした。

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2011年8月 3日 (水)

J鉄局長とカメラ-その3 ニコンF501

その3 ニコンF501

私の写真の撮りかたはというと、8両編成の電車がいれば、
これを8両かたっぱしから撮影するというものです。
(今はこれを「J鉄撮り」と勝手に名付けています)
列車が長時間停車しているのであれば、
こちらが動いて1両ずつ撮影してゆきますが、
走行している列車に対して連写するのというのが普通です。
フィルムの消費量もハンパではなく、
特にフィルムの巻き上げ系に対しては
相当負担をかける使い方だと思います。

もともと使い方が荒かったせいもあるでしょうが、
フィルムを巻き戻すクランクが外れてしまう
というトラブルが発生しました。
ウラ蓋も何となく不安定になってきたこともあって、
買い換えることにしました。
当時、就職もし、独身貴族であったことから、
金銭的に余裕が出てきたことも大きな理由です。
虎の子のレンズ、50mmF1.4を活かすべく、
後継機にはやはりニコンを選びました。
F501という名の新型機は当時はやりのオートフォーカス機です。
しかし、これは失敗でした。
まず50mmF1.4のレンズはオートフォーカスに対応していません。
しかたなく、標準系ズームレンズも購入したのですが、
なんと思うように連写することができないのです。
これは困りました。
結局、これはダメとわかった即日。
カメラ屋に駆け込みました。

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2011年8月 2日 (火)

J鉄局長とカメラ-その2 ニコンEM

その2  ニコンEM

後継機として購入したのはニコンEMです。
そらあ、F4が欲しかったですよ。
でも愛機 Fを手放してしまうような私に
そんな高級機を持つ資格はありませんし、
当時学生の私に、
そんな高額なものを買えるはずもありません。

それに考えてみれば私はプロではないのです。
もっぱら鉄道写真しか撮らない私にとって
(それももう当時、ほぼ形式写真専門の)
EMでも必要な機能はとりあえずあります。
マニュアル機であるFMに移行するのが
自然な気もしましたが、
マニュアル機ならではの
微妙な設定もしない私にとっては、
少しでも安く済ませられれば良かったというのが
本音というところでした。

プラスティックボディーのEM は軽すぎて、
Fとは全くの別物でしたが、
シャッターボタンの位置も違和感がなく、
ホールディング感は思ったより良かったと感じました。
自分に言い聞かせていただけかもわかりませんが
結構満足して使い始めました。

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2011年8月 1日 (月)

JR西日本新幹線 300系 F編成をUP

Jrw_300_f6_0


JR西日本300系(F編成、全9編成)は1992年~1994年製、
1993年の「のぞみ毎時1本・博多直通運転開始」に伴って、
JR西日本でも300系新幹線を製造することになりました。
 
JR東海のJ編成に対して
F編成と呼ばれるJR西日本籍の300系は
3000番台の形式区分が付与されました。
外観、基本性能ともJR東海と同一のものですが、
車内インテリアは異なっており、
乗り慣れている方なら「おっ?」と気づくはずです。

2007年度から次々と廃車されてきた
JR東海のJ編成は 2011年度をもって引退だそうです。
対してJR西日本のF編成は引退報道などもなく、
つい最近まで、全車健在でした。
おかげで、なかなか撮影できなかったF編成も
やっとこさ撮影できたのですが・・・
なんとF5編成が
7月11日から12日にかけて廃車回送されたそうです。

JR西日本の場合、先に100系がいるのだから…
と思っていましたが、
500系でさえ、短編成化されその数を減らしているのですから、
当たり前と言えばそうですね。
なお、この置き換えには、
JR東海所属の700系(C編成)初期車が充当されるそうです。

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