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2011年7月の記事

2011年7月31日 (日)

Dr'K 「あそぼーい!」に乗る!

この6月から営業運転を始めた特急が2つ
「あそぼーい!」と「253系1000番台」、

これらだけ乗れていない私。
この夏は、8月末までに3回ある埼玉出張にひっかけて
この2つを制覇することを目標に、装いを改めた
キハ183系1000番台「あそぼーい!」から攻略することにした。

・ひかり541号( 新大阪 6:25 ⇒ 博 多 9:13 )
・つばめ335号( 博 多 9:18 ⇒ 熊 本 10:09 )
新大阪駅のロッテリアのモーニングをテイクアウトし、改札を入る。
九州新幹線開業以来、こだま運用がかなり多くなり、
すっかり影の薄くなった「ひかりレールスター」E編成に乗る。
レールスターは家族連れやグループ客が多いので、
静かに乗れるサイレンスカーが廃止されたのが恨めしい。
サイレンスカーのアイディアはよかったが、
設定の仕方が下手で自由席の隣の4号車に
設定したため、弊害の方が多く、企画倒れになった感が大きい。

本来なら、サイレンスカーは最後尾の8号車に設定すべきで、
ここにあるコンパートメントは、身障者設備がある
7号車の博多寄りに設定しておけばよかったのだ。

車両構造を今のままにするのなら、
喫煙設定は5号車のみにして、
6号車をサイレンスカーに設定していれば、
指定席で1両に最も定員のとれる4号車を
普通指定禁煙車に設定でき、喫煙ニーズに応えることもでき、
本当の意味で必要な最繁忙期に
きちんとサイレンスカーを設定して運行できたのに。

ともあれ、九州新幹線が開業してからの
「ひかりレールスター」は
新大阪発夜間の下りと新大阪着朝の上りを除いて、
さくらに比べてこまめに停車し、
確実に山陽区間のニーズに応えている。

しかし、こだま用の100系の代替として
S編成の増備が進むに伴って、
E編成で運用されているひかりレールスターが
S編成に置き換えられて、
レールスターがこだま運用に回ってきている。

そんななか「ひかりレールスター」の運行開始から
かわらぬ車販つきで運行される数少ない便がこの541号。
後続のさくら543号よりも停車駅は1駅(徳山に停車)多いが、
のぞみ待避がないため9分速い。
(さくら543号は新山口でのぞみを待避する:3月12日さくら・みずほ乗車記参照) 

定刻に博多16番線到着。
向かい側の15番線で待つ800系つばめ335号に乗り換える。
つばめ335号は途中待避こそないものの、
終着の熊本まで各駅停車のため、
在来線時代の有明よりは格段に速いにもかかわらず、
(つばめの所要時間は同区間51分。つばめリレー号や有明だと80分前後)
あんまり新幹線に乗っている感じがしない。
やっぱり無駄に駅が多いなぁ。
(新大牟田駅の存在意義をあまり感じない)

・あそぼーい!101号( 熊本 10:26 ⇒ 宮  地 12:00 )
・あそぼーい!102号( 宮地 12:20 ⇒ 肥後大津 13:09 )

夏休みの毎日運転期間に入っているからか、
非常に家族連れが多い。
平成元年に「オランダ村特急」としてデビューしてから、
「ゆふいんの森Ⅱ世」「シーボルト」
「ゆふDX」を経て、この6月「あそぼーい!」として
再デビューしたキハ183系1000番台だが、
20年以上にわたってこれだけリニューアルして
とことんまで利用されている観光車両も
まぁあんまりないことだし、
敬意を表してこの5代目も乗りに来ました。

「指宿のぼったくり箱」「海銭山銭」も
発車前の始発駅と言うのは賑やかだが、
この「あそぼーい!」は先の2列車より
小さい子を連れた家族連れが多いからか、特に賑やかで、
水前寺を出るまでは
マスコットのくろちゃんグッズも飛ぶように売れていた。

元々特急車両ベースということもあり、乗り心地は上々。
こちらは1,300円の特急料金を払う価値は十分にある。
というよりも、いくら内装、設備でがんばっても、
キハ183系とキハ40系、元高千穂車と、
元の足回りの違いが乗り心地としてはっきり出る
にもかかわらず同じ料金設定というのは、
20年以上観光特急として
JR九州の看板背負ってきたキハ183系に対して
失礼千万だという気がしてならないのは
私だけだろうか…?

3号車はしろいくろちゃんシートといって、
窓側席が子供用で小さく、
通路側に親御さんが座る大きな白いシートが
対になっている独特のデザイン。
ちゃちゃくらぶというキッズスペースがあり、
超満員で非常に賑やかだった。
ちょっと くろちゃん だらけで食傷気味ではあるが
子供たちは大喜び。
(でも、富士急行のフジサン特急よりははるかにマシ)

走行(そうこう?*局長 注)しているうちに
列車は肥後大津に到着。
ここまでは熊本の近郊区間と言う感じで、
新水前寺と東海学園前を除いて交換できるが、
1線スルー化されていない駅もあり、駅を通過する時に減速する。
ここから豊肥線らしくなっていく。
瀬田を通過し、11:15定刻にスイッチバック駅の立野に到着。
ここで、南阿蘇鉄道のトロッコ列車
「ゆうずけ号」11:25発に連絡している。
これに乗り換える人も多かった。

6分停車する間に、ホームでは記念撮影も。
運転士はここで反対の運転台へ。
発車後、列車は進行方向を変え、
そろそろとスイッチバックの勾配を上る。
上りきったところでいったん停車。
運転士が車内を通り抜け、元の進行方向に戻って赤水へ。
ここからは阿蘇山のカルデラ、北側を回って宮地へ向かう。
肥後大津を出ると列車本数が減るので、
交換列車は阿蘇で交換する普通列車のみ。
阿蘇で4分ほど停まると、すぐに終点の宮地。
宮地駅では折返しの102号を待つ客も多かった。

20分の折返しで宮地を出発。
肥後大津まで来たルートを戻る。
5分ほどで阿蘇。阿蘇では乗車客を乗せ慌ただしく発車。
次の赤水では「九州横断特急4号」と交換。
同じ豊肥本線内の特急でも「九州横断特急」は別府仕立て、
「あそぼーい!」は熊本仕立てなので、奇数偶数が逆転するのだ。

立野駅が眼下に見えてきたところで減速し、
通り過ぎたところでいったん停車。
往路とは逆に、ここで運転士が車内から
ごった返す3号車の家族連れをかきわけ反対側の運転台に向かう。

しばらくしてゆっくりと坂を下って、立野駅に到着。
5分の停車時間の間に、往路と同じ光景が展開される。
立野を出発してほどなく瀬田を通過し、肥後大津に到着放送。
肥後大津で降りる。

20年以上たった今も装いを新たに、
より過酷な豊肥線で九州の看板を背負ってがんばる

キハ183系「あそぼーい!」に幸あれ!

肥後大津で彼(あそぼーい!)を見送った後、
タクシーで熊本空港へ。
ANA便で羽田に飛んで、赤羽駅近くの定宿へ。

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2011年7月30日 (土)

JR東日本 E1系MAX をUP

E1系新幹線MAXは、
1994年7月に登場した日本初のオール2階建て新幹線電車です。
新幹線通勤の混雑緩和と
繁忙期シーズンの着席サービスの向上 と称して、
自由席の2階席は、3人+3人掛けとなりました。
編成あたりの定員は1235名で、
200系の同じく12両編成と比べて4割アップとなっています。Jre_e1_m1_01_153_101


車体は普通鋼製で、編成重量は692.3tです。
おそらく最後の普通鋼製新幹線電車となるでしょうから、
これ以上重量級の新幹線は現れないと思われます。
JR東日本の新幹線電車では初めて
VVVFインバータ(GTO)が採用され、MT比は6M6Tとなりました。
M車の比率が低いため
モータ(MT-204)の出力は410kWに増強されました。

2003年2月から2006年にかけて
内外装のリニューアル工事が施工されます。
すべての編成が上越新幹線のみを走るようになったことから、
新潟の「とき」にちなんで車体塗色は
朱鷺をイメージさせるものに変更。
Maxのロゴにも「とき」のイラストが入りました。
また座席も交換されました。
(グリーン車はE2系1000番台のもの、普通車はE4系のもの)

2011年3月現在。
M1 - M6編成の12両編成6本(72両)が在籍します。

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2011年7月29日 (金)

JR東日本 E4系MAX をUP

1997~2003年に製造されたE4系は、
1994年に登場したオール2階建て新幹線E1系“Max”
のニューバージョンです。
E1系は普通鋼製でしたが、 E4系はアルミ合金製となりました。
  先頭車両の前頭部はE1系よりロングノーズになり、
(E1系:9.4メートル、E4系:11.5メートル)
その先頭形状は何とも個性的です。Jre_e4_p03_3

E4系ではE1系同様、
通常床下に搭載する走行機器を床上車端部に配置するため、
M車を減らしMT比は1:1となりました。
そのため モータ(MT-206)の定格出力は420kWと高出力です。

E1系は12両編成でしたが、
E4系は、2本連結した16両編成での運転を想定し
8両編成となりました。   
ちなみに16両編成時の定員は1634人。
高速車両としては世界最大の定員数となります。
ただ編成中のM車数がE1系の6両に対し
E4系は4両しかありません。
非常時に対応するため、
モーター制御を台車単位に変更し、
M車2.5両(=5台車分)分でも、
25パーミル上り勾配での起動を可能としました。

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2011年7月28日 (木)

山形新幹線 400系 つばさ をUP

JR東日本 400系は、
標準軌に改軌した在来線(奥羽本線)へ直通運転する
山形新幹線「つばさ」用として開発されました。
いわゆるミニ新幹線の元祖です。
1990年11月にデビューしました。

Jre_400_l6


車体長20,000mm、車体幅2,945mmと
在来線の規格に合わせています。このままでは
新幹線用ホームとの間に大きな隙間ができるため、
ドアの部分にステップが装備されました。

最高速度は新幹線内で240km/hですが
在来線内では130km/hとなります。   
東北新幹線内では、
200系など他系列と連結して走るため
電気連結器を備えています。

かつて例を見ない画期的な車両ではありますが、
制御装置はインバータではありません。
また車体もシルバーメタリックではありますが、普通鋼製です。

車両は第三セクターの
「山形ジェイアール直行特急保有株式会社」が所有し
JR東日本が借り受けるかたちで運行を行いました。
(増結車の429形を除く。なお車籍はJR東日本)

1992年7月開業した山形新幹線は、
1999年12月、新庄へ延伸されます。
400系はその時増備されたE3系1000番台と
同一の塗装に順次変更され、
ロゴや内装もリニューアルされました。

しかし400系は2008年12月、
試作編成であったL1編成から定期運用なくなり、
2010年4月に営業運転を終了しました。

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2011年7月27日 (水)

JR西日本N700系7000番台 S編成 新幹線 さくら/みずほ用をUP

Jrw_n700_s06_9


JR西日本 N700系7000番台は
2011年3月の九州新幹線鹿児島ルート全線開業にあわせ
九州/山陽新幹線直通特急「さくら」「みずほ」用に開発された
8両編成の新幹線車両です。

N700系-といえば、
今や東海道山陽新幹線の顔とも言うべき存在で
「のぞみ」を中心に16両編成で運用されています。
これに充当される
JR西日本のN700系3000番台(N編成=16編成)は
もともとJR東海と共同開発されたもので、
JR東海の0番台(Z編成=64編成)と基本的に違いはありません。

しかし今回、JR九州と共同開発した
JR西日本の7000番台(S編成=9編成)は
カーブの多い東海道山陽新幹線を走行しないので
車体傾斜装置を備えていません。
一方、博多 - 新鳥栖間と新八代以南の
急勾配区間(最大35‰)を走行するため、
オールMの編成となっています。
当然、JR九州の8000番台と基本的に違いはありません。
(R編成=10編成)

そんなわけで従来のN700系とは別系列の
N800系と言ってもいいような気がするのですが
顔がN700系ですから…仕方ないか。

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JR西日本N700系7000番台 S編成 新幹線 さくら/みずほ用

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2011年7月26日 (火)

J鉄局長とカメラ-その1 ニコンF

J鉄局長とカメラ-その1 ニコンF

私は学生時代、ニコンFを使っていました、
アイレベルファインダー付きの黒ボディで持ち重りのする鉄の塊みたいなカメラでした。人間工学なんてものはあまり考えていないようにも思えましたが、
使い込めばしっくりとくるカメラだったような気もします。
シャッターの位置が普通のカメラよりずっと手前側にあり、
意識しないと指先にシャッターはありません。
でも実際に構えてみると
顔にぐっとカメラを押しつけてシャッターを切る感じになるので、
これはブレ防止に効果があったのではないかという気もします。
またタテ位置で構えるときも親指でシャッターを切れば、
むしろこのほうがしっくりきます。
まあ使いこなすほどに馴染んでくるカメラだったように思います。

アイレベルファインダー付きということですから、露出計はありません。
ヤマ感(山勘?)です。
まあもっぱら許容範囲(ラチチュード)の広いフィルム(TRY-X)を
使っていたので偉そうなことは言えませんが、
基本的な露出パターンや光源不足に対する警戒心などは
自然と身についたような気がします。

さて長年愛用してきたニコンFでしたが,悲しいかな質草となり、
哀れ 金策尽き果てて手放すことになってしまいました。
オヤジから「このアホ!」と勘気に触れたのは言うまでもありません。
でも一番悔しかったのは私です。

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2011年7月25日 (月)

JR九州 N700系8000番台 R編成 新幹線 さくら/みずほ用をUP

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JR九州 N700系8000番台は
2011年3月の九州新幹線鹿児島ルート全線開業にあわせ
九州/山陽新幹線直通特急「さくら」「みずほ」用に開発された
8両連結の新幹線車両です。

博多 - 新鳥栖間と新八代以南の
急勾配区間(最大35‰)を走行するため、
オールMの強力な編成です。
その一方でカーブの多い東海道新幹線区間を走行しないため
車体傾斜装置を搭載していないのも
従来のN700系とは異なる点で、
はっきりいって別系列といっても過言ではありません。

JR西日本と共同開発しており、
JR西日本の7000番台は (S編成=9編成)
JR九州の8000番台と基本的に違いはありません。
(R編成=10編成)

鉄道車両写真集
JR九州 N700系8000番台 R編成 新幹線 さくら/みずほ用
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2011年7月24日 (日)

JR東海/西日本新幹線 JR九州新幹線車両データ一覧を更新しました。

新幹線車両データとして2008年にUPしたものです。
今回は これにN700系0番台/3000番台-(JR東海/西日本新幹線) 
N700系7000番台/8000番台-(JR西日本/JR九州新幹線)
の車両データ一覧を追加しました。

新幹線車両のデータ比較がしやすいように作成したものですが
今までも結構アクセスをいただいてました。

九州新幹線の全線開業にあわせ更新するつもりだったのですが
だいぶ遅れてしまいました。
N700系-のデータを…と思ってアクセスくださった皆様。
お待たせいたしました。

なお、今回東海道山陽新幹線については
表を2分割しました。
つまり、従来の表に加えて、2011.3現在のデータとして
300系からN700系-までをまとめなおしたというわけです。
作業をしながら、我ながら驚いたのは
特にJR東海の300系が激減していることです。

参考資料は、JR電車編成表2011夏版です。

鉄道資料室
JR東海/西日本新幹線 JR九州新幹線車両データ一覧
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2011年7月23日 (土)

珍車ギャラリー 秩父鉄道 1000系 1006編成(デハ1006+デハ1106)をUP

Chichibu_09_1010


秩父鉄道1000系は1986年~1989年にかけて、
国鉄101系電車を譲り受 けたものです。
お世辞にも頑丈には思えない101系を冷房化し
そして今もなお現役で使っている
秩父鉄道に敬意を表したいと思います。

今回の主役は、そんな1000系の中から
デハ1006+デハ1106をピックアップしました。
秩父鉄道1000系の凄さと
デハ1006+デハ1106に秘められた過去をお話しします。

珍車ギャラリー
秩父鉄道 1000系 1006編成(デハ1006+デハ1106) 
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2011年7月22日 (金)

西武鉄道 3000系 池袋線用 3001F 3015F(L-train)をUP

Seibu_3015f_1

西武鉄道3000系はかつて3扉車オンリーだった池袋線用に
8連(6M2T)×9=72両が製造されました(1983~1987年)。

車体外観は新101系とよく似た3扉車ですが、
性能的には2000系と同様、
省エネ化のため界磁チョッパ制御を採用し、
回生ブレーキ付きの電気指令式空気ブレーキとなりました。

そのため、同じ3扉車である101・301系と連結ができず、
クハには、電気連結器は装備されていません。

1992年には4編成が新宿線に移動、
新2000系とともに701系・801系・401系を置き換えます。

しかし3000系は2000系との併結もできず、
新宿線でも池袋線でも、8連固定でしか運用できない
使い勝手の悪い車両となってしまいました。

2010年には05F、07Fが中間車2両を廃車し6連化されました。

3扉車の新101系・301系は2011年度までに
新型車両の30000系に代替される予定となっているそうですが、
3000系は短編成化の上、
支線区間を活躍の場にすることになるのではと思われます。

今回は池袋線東久留米駅での3001Fと
椎名町駅での3015F 、L-train(ライオンズカラー)
をご用意しました。

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2011年7月21日 (木)

西武鉄道 9000系 VVVF インバータ制御改造車 をUP

Seibu_9017f_10

かつて西武といえば、101系などの3扉車が主力でしたが、
4扉化を進めるため、 101系・701系の走行機器を利用して
4扉20mの車体を新製したものが9000系です。

1993~99年に10連×8本=80両が所
沢車両工場で新製されました。
ですから制御器は旧式の抵抗制御です。
(抑速ブレーキは省略されました。)

車体は新2000系と似ていますが、サービス設備は6000系同様に
車内案内表示器、車いすスペースなどが設けられました。

外観上も違いがあります探してみてください。
なお、2003年より
VVVFインバータ(回生ブレーキ付)制御化工事がなされ、
2007年度には全編成の改造が完了しました。

今回はこのVVVF インバータ制御改造車をご覧いただきます。

新宿線で使用された時期もありましたが、
現在は全車池袋線用となっています。

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2011年7月20日 (水)

Dr'Kの 2011年7月 南紀の旅

Dr'Kの 2011年7月 南紀の旅

スーパーくろしお21号  西九条17:11 ➝ 紀伊田辺 19:15

まだ本格的に繁忙期に入っていないので
381系パノラマグリーン編成は所定の6両編成。
「くろしお」の381系も「こうのとり」に続き、
287系への置換えが発表されているので、
夏の南紀への旅行で381系に乗れるのもあとわずか。

大阪市内での仕事の終了後、西九条から乗車。

今年の3月改正からダイヤが大きく変わり、
3ドア車が間合いで環状線内の運用につく姿が目に付く。
改正前までは
103系8連だった運用が221系8連に変わっているなど、
環状線内では、目に見えてオレンジ8連運用が減ったと感じる。
何と221系、223系、225系の遭遇率が高いことか。

7月なので、まだ明るい。
天王寺までは70km/h、
鳳までは95km/hと速度が抑えられているので、
西陽も妙ににまぶしく感じられる。

阪和線に入り
青い103系との遭遇率がさらに下がったのを感じた。
特に鳳以南は日中223系または225系で統一されているので、
快速が動き出す時間までは、
営業運転している103系や205系と出会うことは
ほぼなくなってしまった。

紀州路快速が
環状線内一周電車の後追いと、日根野以南各停となり、
大阪~和歌山間の所要時間が90分を切れなくなった
紀州路快速で和歌山に行く気ははっきり言って失せた。

車両が新しくなっても、
あからさまチンケな特急に乗れという
ていのいい効率化ダイヤはひどいの一言。
それに、381系の代替車が287系ってどういうこと?
明らかにスピードアップする気ないやん。

南海のサザンプレミアムに期待。

和歌山には18:05着。ここでで多数の客が入れ替わる。
きのくに色の117系に出会う。
この117系も末期色(和歌山の地域色=水色一色)に
塗られるのかと思うと、非常にむなしい。

117系は窓下の帯があるからこそ117系なのであって、
岡山で黄色一色の117系を見た時は、
「117系になんてことしてくれたんだ…」
と思った次第.。
(パノラマエクスプレスアルプス」
      ➝「フジサン特急」並みの衝撃を感じた)。

どうせ国鉄型の車両を走らせるなら、
種車は113系か103系でいいから、
瀬戸内マリンビューの電車版、眺望車(指定席)つきの
イベント車両を改造で2編成ばかし作って、
御坊~新宮間で運転すれば
それなりに受けると思うのですがね…。

海南を過ぎると簑島の手前まで、
特に、冷水浦と初島付近は海岸線に近いところを走る。

西の海に沈む太陽が車窓に映える。
こういうのを見ると鉄道に乗ってよかったと思う。

簑島を過ぎるといったん海とはお別れ。
藤並駅は地元がお金をかけて駅をきれいにし、
特急が停まるようになったが、この列車は通過。

湯浅を過ぎると、海と山がかわるがわる出てきて、
時々トンネルという景色が続く。
列車の速度が落ちて、左に大きくカーブを取ると、
紀州鉄道が近づいてきて御坊。

日は沈んだのだろうが、まだ明るい。


御坊を過ぎると山間部に入り、
印南を過ぎるまで海とはお別れ。
切目~南部間でも海岸線を走るがもうかなり暗くなっている。
日のあるうちに通ると、ここは非常に景色がいいところ。

南部を過ぎるとトンネルを抜けて、芳養を通過し、
海を見ながらカーブを切ると紀伊田辺。

ここで途中下車。

紀伊田辺駅で、仕事で先に現地入りしていた友人T氏と合流し、
紀伊田辺駅近くのなじみの店Sへ。

ここはその日に上がった海の幸が食える。
看板まで大将お任せの造りと地酒で乾杯。
和歌山の海の幸を満喫。
ちなみに、ここ紀伊田辺には、
梅干しの名店「なかた」があるのだが、
休日は定休日のため、T氏に頼んで
私の分も購入しておいて貰った。

看板寸前、22:20過ぎに店を出て紀伊田辺駅へ向かう。
22:32発白浜行最終、スーパーくろしお27号に乗るためだ。
これに乗って白浜まで移動。白浜からはタクシーで定宿へ。
23時前に到着。温泉を堪能して、今日はおしまい。

オーシャンアロー1号 白浜10:10 ➝ 紀伊勝浦 11:29

和歌山と言えばここ、という海の幸がうまいお店の、
もう一軒はクジラの町太地の隣、那智勝浦にある。

朝風呂を味わった後、昼食時を狙って、
朝一のオーシャンアローで白浜を出発。
両端グリーンの9両編成でやってくるが、
白浜でC編成を切り離して6両で白浜を発車。

この時間帯なら、
車窓を味わうために鈍行で…と行きたいところだが、
白浜8:11発2329Mの次はなんと11:08発2331Mまでなく、
いい時間帯に紀伊勝浦に着けないのであきらめる。

俊足のオーシャンアローとはいえ、紀伊田辺以南は単線で、
複線区間よりも明らかに線路規格が落ちるので、
駅を通過する時はかなり徐行する。

周参見を過ぎると、
紀勢西線区間で海がきれいに車窓を彩る区間が広がる。
この区間は単線区間できついカーブが多いので、
振り子車と言えどもそう早くは走れない。それこそ
105系にマリンライナーのクロ212を改造して普通車化し、
連結して走れば受けそうなんだけどね。

ところが、照りつける太陽がまぶしかった昨日とは
うってかわって、今日は朝からあいにくの雨。

台風が近づいているためか、波も高い。

晴れてれば景色はきれいなとこなんだけどなぁ…
と、また朝から飲んでいるうちに爆睡。

雨の音に驚いて目が覚めてまもなく、
列車は鯨の町太地に停車。
ここは特急停車駅ながら、
行き違いができない単式片面ホームで、しかも無人駅なのだ。
ホームの端は、国道42号線をまたぐ鉄橋上にある。

紀伊湯川を通過して本日の目的地紀伊勝浦に到着。
ここから徒歩で街に繰り出し、なじみの店へ。

クジラをはじめとする海の幸をまた堪能。
少し早い昼飯に満足した我々は、街を散策して
勝浦温泉にある大衆浴場へ。再び温泉を堪能。

雨が強くなってきたので、
たまらずタクシーを拾って紀伊勝浦駅へ。

気さくな運転手で
「雨が強くなってきたねぇ、
    これからご主人たち、大阪に帰るのかい?」
と声をかけてきた。
「そうだよ。」って答えると、
運転手は13:04にオーシャンアローが来ることを知っていて、
これに間に合うように送り届けてくれたのだ。
時刻は13時ジャスト。お見事。

オーシャンアロー20号 紀伊勝浦 13:04 ➝ 新大阪16:50

本来なら、南紀で新宮まで行って
撮り鉄してから折り返す予定だったのだが、
天候があやしくなってきたこともあり、
新宮行きはキャンセル。急いで乗車変更。
この列車は本屋がある1番線にやってくるので、
2人分の切符が出てきて払戻金を受け取った時に
列車が入ってきても何らあわてることはない。

悠々と乗車する列の最後尾に加わり乗車。
たださすがに、燃料補給している暇はなかったので、
車販で酒とつまみを購入して乾杯。

走行しているうちに紀伊富田を通過し、
白浜駅手前でいったん停車。
ここで連結するC編成が先に停まっているため、
誘導信号でそろそろと入線。
両端グリーンの9両編成になる。

それにしてもこの大荒れの天気なのに、
3連休の最終日とあってよく乗っている。
このオーシャンアロー20号は、古座こそ停まるものの、
海南すら通過する最速便なので、
白浜、紀伊田辺で大量の乗客を乗せて
出発してからは快走そのもの。

南部を過ぎて印南までの海は波が高かった。
警報が出るのもうなずける。

和歌山で乗客が入れ替わるが、
乗る客がこんなに多いのかと驚いた。
紀州路快速各停化効果といえるだろう。

和歌山発時刻は15:48だが、
一本前の紀州路快速15:38発は和泉砂川で、
もう一本前の紀州路快速は
日根野で併結中に抜かれてしまう。
天王寺で3本前の紀州路快速の2分後にまで
追いついてしまうのだ。

乗車券だけでのるには、
車両が新しくて設備がよい223系または225系だが、
平均10分遅くなって、天王寺まででも
70分強かかってしまう紀州路快速に乗るか、
特急なら40分台で行けてしまうが、
オーシャンアローでなければ930円もの特急料金を払って
陳腐化した381系に乗るか。
ある意味究極の選択になってしまうので、
新車投入は当然だが、
それが車体傾斜装置のない287系では…。
そりゃオーシャンアローに乗るわ…。ってのがよくわかる。

私が阪和線を特急で通り抜ける時に、
定刻で行くことが少ない(例:ある鉄ちゃんのお正月参照)ので、
この荒天の中ほぼ定時で行ったのは奇跡と言えるかも。

天王寺で大和路線ホームに降りる短絡線に入り天王寺へ。
ここで大量の下車がある。
ここからは70km/hに速度が抑えられるので、
かなりゆっくり進んでいく。
昨日も感じたが、
221系、223系、225系の近郊車の遭遇率が上がったなぁ、
と改めて思う。

ちなみに、私は、
環状線内で最も利用客が少ない芦原橋をよく利用するので、
大阪市内で15分に1本しか電車が来ないのは
やはり違和感がある。

大正に快速が停まるのは、
市バスの各路線が大正橋バス停に集結することと、
ドームがあって、イベントの時は
特急停めてもいいんじゃねぇの?ってくらいになることもあるから、
これはなぜもっと早くやらなかったのか、と思う。

とくに、下校の高校生が多い16時台は、
環状線の東側の夕ラッシュに備え
た運用持ち替えのしわ寄せがモロに西側に来ていて、
いびつな運転間隔になるから、
新今宮16時台から大阪方面行
外回りの大和路快速、関空/紀州路快速は、
それぞれ区間快速と直通快速にして、
環状線内の混雑緩和を図ったほうがいいと思う。
どのみち
増える線内運転の列車に邪魔されて速く走れないのだから。

個人的には、桜島行きの後ろに関空/紀州路快速、
一周電車の後ろが大和路快速のほうがいいと思う。
その理由は、221系のほうが、
ドア口が狭く乗降時間を食うため、
221系にはあまり乗せないようにするためである。
それに、9時台前半と環状線16時台大阪行は
区間快速にして混雑緩和を図ったほうがいい。

西九条駅構内で貨物短絡線に入り、福島駅前の踏切を渡り、
JR神戸線をくぐって梅田貨物駅構内を経て、新大阪へ。
淀川の鉄橋上で最徐行となり、11番線の空きをうかがう信号停車。

新大阪駅の11番ホームは、
関空、南紀発着の上下列車が分刻みで出入りし、
さらに南紀特急は最小限の折返し時間で折返すなど、
曲芸的な使い方をしているので、
見ている分にはいつみても飽きないのだが、
よく電車がぶつからないなとか、
案内が大変だなとか、常に思う。

12番線に「こうのとり」の新大阪止が被る時には、
「はくと」が11番線に発着したり、
また朝は、サンダーバードなどの特急に混じって
快速と新快速が12番線を分刻みで発着するので、
「こうのとり」の新大阪どまりを13番線、14番線に逃がすなど
まさに曲芸的なホームの使い方である。

どうせ新幹線ホーム増設工事をするのなら、
併せて在来線側も
17、18番線ヨコの外環状線用に確保していたスペースを
有効利用して、大阪駅のように
1面ずつホームをずらしていって、
現11,12番ホームを関空、南紀方面発着に固定できないのかな、
と思う。

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2011年7月19日 (火)

JR東日本 189系 きぬがわ号 快速河口湖号をUP

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189系は489系と同じく、信越本線碓氷峠越え用の
EF63形電気機関車と協調運転するために登場した電車です。

上野方となるクハ189形500番台はEF63形と連結されるため、
ジャンパ栓をもっている点が特徴です。
時期的には489系のほうが早く、1971年にデビューしていますが、
189系は 1975年に登場したため、ボンネット形は存在しません。
189系は特急「あさま」「あずさ」用として長く使用され、
1982年の上越新幹線開業時には
485系や183系1000番台などからの改造車も加わりました。

1987年。JR東日本にそのすべてが承継されましたが、
JRではグレードアップ改造を行っています。
窓が拡大されているのが特徴です。
塗装も「あさま」「あずさ」用として改められ
バリエーションが増えました。

しかし1997年10月。長野新幹線の開業に伴い、
189系は本来の活躍の場を失いました。

その後、臨時列車等で活躍することになります。
今回はそんな彼らの姿をご覧いただきます。

鉄道車両写真集
JR東日本 189系 きぬがわ号 快速河口湖号
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2011年7月18日 (月)

サイキョージ氏の「大人の休日倶楽部 2011年7月 東北の旅」

悲しいかな会員パスの案内が来ると

万障繰り合わせて出かける予定をたててしまう。

今回利用したのは東北新幹線新青森開業記念と銘打って
6月末から7月始めにかけて発売された特別バージョン。

4日間有効で料金は去年より千円アップの1万3千円であるが
函館、福井まで行けないので
かなり値上げされたという感じが否めない。
今回は男鹿線、大船渡線、陸羽東線、水戸線
そして両毛線を乗りに行くことを考えた。

震災の影響で東北新幹線が間引き運転の状態で
在来線のダイヤもどのようになるか不安であったが
行ってみるとすべて時刻表通りの運行が維持されていた。

大人の休日倶楽部のきっぷは乗車当日は買えないので
関西在住の者はどうしても東京前泊が必要になる。

いつもながら東京までの旅費をいかに安く押さえるか頭を悩ます。

今回もJR東海の東京ブックマークを利用した。
初日に1泊すれば帰りのキップは5日間のうちに設定できるので
この旅にはもってこいの商品である。
それでも利用便にさまざまな条件がつき、
乗る便によっては3000円くらいの差額が必要になる。
今回は宿泊込みで2万9千円だったので
片道1万円前後で京都~東京が利用できた勘定だ。

それでも高い。

7/1(金)
「ひかり524」(300系)で東京着。
JR東海さんは
新大阪発の「ひかり」の車両運用を冷遇しているようですね。

せめて700系にしてほしいものだワ。
東京駅で大人の休日倶楽部のきっぷを購入し、
えきネットで予約しておいた
朝イチの「はやて」の指定券を受け取る。
東京銀座泊。

7/2(土)
東京6:40発の「はやて115」はオジ鉄・オバ鉄で満席。
通路に立つ人もいる。
この期間の「はやて」とその乗り継ぎ便は
ハンパじゃない混み方をするのは去年で学習済み。

また間引き運転で新青森まで行く便が限られているので
3週間前に予約を入れておいたがこのときでも満席に近かった。

「はやて」は仙台手前からスピードが落ち、
当初のダイヤより1時間近く余分にかかり新青森到着。

駅構内で写真を撮っていると団臨の「はやぶさ」が到着。
定期運用をしていないので車両が余っているのか

新青森でその姿を見られたのは幸運だった。
新青森から「つがる52」で大館着。
去年乗った485系「かもしか」は引退し、
秋田行き特急は「つがる」に統一されE751系で運用されていた。
大館駅前で昼食に「とりめし」を食べる。
繁華街は東大館駅に近いので駅前は人がまばらだ。
駅前通りに小坂鉄道の廃線跡が見られる。
大館からはロングシートの普通電車にゆられ、追分到着。
ここで男鹿線の気動車に乗り換える。
キハ48がうなりをあげて入線してきた。
土曜日の夕方なのに高校生の利用が多い。

男鹿到着後、同じ列車で秋田まで引き返す。本日の予定は盛岡泊。
秋田から盛岡まで秋田新幹線「こまち138」に乗る。
田沢湖~赤渕間は
「よくもまあ、こんなところに新幹線車両を通せたもんだ」
と思うくらい急勾配の難所を走る。

米沢~福島間に勝るとも劣らない峠越えだ。
JRの技術力はすごいもんだと感服する。
19:39盛岡着。
郷土料理のおいしい店を考えておいたのだが
そこまで行く元気もなく駅前のホテルの近場で夕食をすませた。
シメに食べた「ひっつみ」が美味だった。

7/3(日)
本日の予定は大船渡線、磐越東線である。
直接被災地に乗り入れている線に乗ってみる。
盛岡7:55発「はやて206」で一ノ関に向かう。

一ノ関で大船渡線の待ち時間が1時間ほどあったので
以前から気になっていたJazz Spot「Basie」を探しに行った。
汗をかきながら店を見つけた。
次に来たときは必ず行くぞと心に誓って開店前の店を後にした。
一ノ関から快速スーパードラゴンに乗り気仙沼に向かった。
大船渡線は内陸部を走る気仙沼までは
甚大な被害はなかったようであるが
枕木などが新しく交換された箇所も見られることから
相応の被害はあったようだ。
気仙沼までの残された交通手段を確保するべく
JR東が懸命に復旧させたのであろう。
目で見る限り気仙沼駅前の表通りは高台にあるため
津波の被害は感じられなかったが
今でも三陸海岸沿いを走る鉄道路線は寸断されたままである。
このまま廃線にせず国の補助で早期の復旧を期待したい。
折り返しの列車で一ノ関まで引き返す。

一ノ関から「やまびこ256」に乗って郡山到着。
磐越東線経由でいわきに入る。
ここの気動車はキハ100系で盛岡地区と同じ車両である。
小野新町を過ぎる頃から山を下り始めやがて峡谷沿いを進む。
いわき到着16:41。
ここで常磐線に乗り換えて今夜の宿泊地小名浜に向かう。

いわきより普通電車で泉まで行く。

水戸行き415系のステンレスの車両で8両の長大編成だ。
こんなにつながなくてもと思うのだが

輸送密度は私が考えているより高いのかもしれない。
常磐線は原発事故のため、
いわきより北は3駅目の久ノ浜までしか行けない。

被害状況ですら正確には把握できない状況であるらしい。
この先の復旧は何年後になるのだろう。

泉駅で迎えの車に乗り小名浜のホテルに向かう。
ホテルは工業地帯をぬけたところにあるゴルフ場に隣接している。
小名浜港の周辺は津波被害をうけ大変だったようだが
工業地帯は高台に立地しているので地震の被害はあったものの
津波被害は免れたようで操業が再開されていた。

ゴルフ場も再開はしたが
原発の風評被害で人が来ないとキャディーさんが嘆いておられた。
ホテルの宿泊プランは復興応援パックとよばれるもので
夕食の内容を限定した質素なものだったが
温泉もあり十分満足できる内容であった。
宿泊客は国内外の原発関係者、警察関係者の方が多く、
夕食時の会話を聞いていると
このホテルが
福島第一原発の前線基地になっているような感じがした。
次に来るときはここでゴルフをしたいものだ。

7/4(月)
最終日、泉9:30発の「スーパーひたち22」で水戸まで出て
水戸線、両毛線、高崎線を経由して帰ることにする。
「スーパーひたち22」は651系11両編成。
これだけつないでも乗る人が結構いるんだ。
いわきから東京までは200キロぐらいだから
特急で東京日帰り圏内という感じか。

水戸で普通電車に乗り換え、友部へ出て水戸線に乗車。
線名からわかることだが小山~水戸間は
常磐線より早く開通したので
水戸を通らなくてもこの名前が残ったのだろう。

415系の電車は関東平野の田園地帯を走る。
のんびり車窓を楽しんでいると
笠間、稲田という駅名表示板が目に入り、
あわてて駅の名所案内をみると、
やはりここは浄土真宗開祖の親鸞が流罪を許されたあと
上越から移り住み、布教活動をした拠点
「笠間郷稲田の草庵」があった場所である。

この地で主著「教行信証」を書いたとされる。
親鸞が過ごした700年前とさほどかわらないであろう
と思える原風景の中を電車は走り11:57小山着。

小山で両毛線に乗り換えて桐生に向かう。
なつかしのグリーンとオレンジの115系電車だ。

両毛線はその昔、
鉄道会社が点在する主要な町を結んで鉄道を敷設したのだろう。
そのため折れ線グラフのような路線図をしている。

その折れ線グラフの頂点の町には毛細血管のように
東武鉄道が南から延びている。
東武は地域密着だが
儲からない路線をたくさん保有している会社だなと思う。

桐生で降りて昼食をとり、上毛電鉄西桐生駅まで歩く。
駅舎がシブい洋風建築で有形文化財にもなっている。
しかし暑すぎる。
早々に桐生駅に引き返し高崎まで出て「草津4」に乗る。
大宮~上野間の複雑な線路の絡み合いが見たくて、
あえて在来線に乗ってはみたが
講釈なしでは理解しづらいものがあった。

上野着17:20。「草津」も185系で運用するなら
急行か全席指定の快速が分相応だ。
東京駅で夕食を買い込み18:33発「ひかり525」で帰宅した。

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2011年7月17日 (日)

珍車ギャラリー 新京成電鉄 8800系をUP

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新京成電鉄 8800系 8800形8連×3本=24両は、
8800形6連×4本=24両に組み替えられました。
既存の8連8808.8848.8872編成から、
M1とT2を抜き取り、6連を3本造りました(A編成)。

次に抜き取られたM1とT2を
寄せ集めて造ったのがB編成です。
B編成には先頭車(クハ)がありません。
中間付随車(サハ)に運転台を取り付けました。
8804-1(Tc1;旧8868)と8804-6(Tc2;旧8804)です。

今回の珍車は、
この先頭車改造されたTc車をもつB編成、
すなわち8804編成です。

「先頭車改造なんて珍しくもない。」
とお思いの方も多いと思います。
中間車をこのように先頭車改造する例は、
国鉄末期に多く見られます。
しかし、いわゆる民鉄においては、
(引退した車両を地方鉄道に譲渡する場合を除いて)
先頭車改造することは、珍しいことなのです。

珍車ギャラリー新京成電 鉄 8800形 8804編成をUP

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2011年7月16日 (土)

西武鉄道 6050系(=6000系アルミカー)をUP

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西武鉄道6050系は、
正式には6000系と言うべきでしょう。
西武池袋線と営団有楽町線との相互乗り入れ用車両
として1992年に製造された
6000系ステンレス車の増備車という位置付けです。

1996年以降の増備車51~55F(6000系5次車)については
車体がアルミ製(日立製作所製)となり、
車号も6050番台となったことから
6050 系と呼ばれるようになりました。

さらに1998年2月に登場した56~58F(6次車~)は、
台車をモノリンク式改め、戸袋窓を廃止することなど
マイナーチェンジがなされています。.

制御装置は6000系同様VVVFインバータ制御(GTO)となっています。
6050系アルミ車は総勢8編成=80両。
そのすべてが池袋線に配属されています。

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2011年7月15日 (金)

西武鉄道 6000系ステンレス車をUP

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西武鉄道6000系は、
西武池袋線と営団有楽町線との相互乗り入れ用車両として
1992年に製造されました。

従来の黄色い西武電車のイメージから大きく変わり、
ステンレス製(東急車輛製造)の車体でデビューしました。
制御装置はVVVFインバータ制御(GTO)となっています。

西武では初の10両固定編成で、
車両番号は営団地下鉄にならい、
100の桁で□号車を表すものになりました。
(飯能寄りから6100・6200…6000 形)

6000系ステンレス車は総勢17編成=170両在籍し、
うち14編成が池袋線に配属。
同線における主力車両となっています。

なお、1996年以降の増備車は
車体がアルミ製(日立製作所製)となり、
車号も6050番台と改められました。

2008年6月からは東京地下鉄副都心線への直通運転が始まりました。
さらに2012年には、
東急東横線・横浜高速鉄道みなとみらい線へ乗り入れる予定です。

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2011年7月14日 (木)

西武鉄道 20000系

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西武鉄道 20000系は、2000年2月にデビューしました。
従来の黄色い西武電車とは、もちろんのこと
新車である6000系アルミ車とも大きくイメージが異なります。
それもそのはず20000系は日立製作所が提唱する
A-trainを採用したダブルスキン構造のアルミ車両なのです。

A-trainでは大幅な軽量化がなされ、
電力回生ブレーキの採用と相まって
優れた省エネ性能を誇ります。
また、このアルミ車体は、リサイクルにも配慮されており。
「環境と人にやさしい」をテーマに車両を開発したい
西武鉄道のメガネにかなったというわけです。

かつては「質より量」と揶揄されたこともある西武でしたが、
20000系は、従来の車両に比べて
車内・外の騒音や振動が低減され、
ゆったりとしたバケット形座席に、
きめ細かい温度調節が可能な空調などを備えた
極めて快適な通勤形車両です。

また、西武鉄道の車両としては初めて、
ワンハンドル・マスコンや、
LEDによる車外の種別・行先表示を採用しました。

編成は10連(5M5T)と8連(4M4T)の2種類。
10連は車両番号(下二桁)が00番台、
8連では50番台と区別されています。

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2011年7月13日 (水)

東京メトロ(東京地下鉄)東西線用 07系をUP

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東京メトロ(東京地下鉄)07系は
1994年にデビューした有楽町線用のVVVFインバータ制御車です。
日本車輌で⑩×6編成製造されました。

営団地下鉄から東京メトロとなり、
有楽町線が副都心線に乗り入れるに及んで、
07系はホームドアに対応できないことになり、
東西線に転用することとなりました。

東西線では編成番号71~76を割り当てられ現在活躍中です。

なお転用改造時に3号車T'→Tと8号車T→T’を入れ替えています。

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2011年7月12日 (火)

東京メトロ(東京地下鉄)有楽町線用 07系をUP

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東京メトロ07系(営団07系)は、
有楽町線における輸送力増強用の新型車両として
1993年にデビューしました。
(1次車101・102F:川崎重工業製)

1994年には小竹向原 - 新線池袋間開業
および西武有楽町線新桜台 - 練馬間延伸
に伴う増発用として追加投入されました。
(2次車103 -106F日本車輌製)

東京メトロとなった2004年以後も、
2006年まで7000系と共通で全編成が
有楽町線と有楽町線新線で運用されていましたが、
有楽町線新線を延伸して2008年開業した副都心線においては、
7000系は同線各駅のホームドアに対応するものの、
07系は対応できず、東西線へ転籍させることになりました。

2007年には、すべてが東西線に転籍し、
今や有楽町線でその姿を見ることはありません。

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東京メトロ(東京地下鉄)有楽町線用 07系
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2011年7月10日 (日)

西日本鉄道 宮地岳線 313系をUP

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西日本鉄道313系は、1952年に大牟田線用にデビューした
非貫通(2連×4)のツリカケ駆動の電車です。

1977年に台車をDT12、TR23に、
モータはMT15C (104kW)に取り替え宮地岳線に転属しました。

1984年から順次車体更新が、
1986年からは冷房化改造もなされています。
1992年には、カルダン駆動に改造されています(314Fをのぞく)。
このとき台車は西武701系のFS-342を譲り受けて流用しました。
ただ制御器が1C8M方式だったため、
ク363形を電装しモ363形としています。
(実際は 1C8Mでモータを6コ使用)

詳しくは当局のHP「珍車ギャラリー」でも取り上げていますので
是非ご覧ください。

珍車ギャラリー西日本鉄道 313系へJUMP

2007年まで4編成とも宮地岳線で使用されてきましたが、
4月に西鉄新宮 - 津屋崎間が廃止となったことで、
多くが廃車され、2011年現在残るのは315Fのみです。

鉄道車両写真集
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参考
西日本鉄道 宮地岳線 車両諸元表

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2011年7月 9日 (土)

西日本鉄道 宮地岳線 300系をUP

Nnr_miyajidake_308

西日本鉄道の300系は、
(モ300形301~312+モ320形324~327+ク350形351~362)
その28両中16両が宮地岳線に転属してきました。
1939年製の急行用の301形2編成はその対象にならず、
運輸省規格A'形に準拠した
1948年製の303形(17m車)と
308形(18m車)のうち 308~310F(2連×3)が1978年に
306F/307F(3連固定×2)が1986年に改造転入。

1988年の段階では
303形からの改造車も加え16両が勢揃いしています。
なお1993年の段階ではそのすべてが冷房化されています。
うち307Fはカルダン駆動方式(FS-342)に改造されました。(97年?)

いずれも、経歴は非常に複雑で、
冷房化のみならず、大がかりな車体更新がなされており、
非貫通車があれば貫通車もあり、
とても同系列とは思えないほどです。
全部で24枚ではありますが 、
そのバラエティに富んだ姿を堪能いただけると思います。

参考西日本鉄道 宮地岳線 車両諸元表

300系は、600形の転入により数を減らし、
貝塚線となる2007年には
カルダン駆動方式に改造されていた307Fを残しすべて廃車。
この307Fも同年末に廃車となりました。

鉄道車両写真集
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2011年7月 8日 (金)

西日本鉄道 宮地岳線 120系をUP

Nnr_miyajidake_121

西日本鉄道 120系は、もと大牟田線用の20形(1958年~製)で、
1978年、宮地岳線(現貝塚線)に転属してきた車両です。
その際、台車を狭軌用台車に交換、120系に改番されました。

1986年、カルダン駆動化(121・126Fを除く)され、
台車を東急5000系の廃車発生品であるTS-301に交換しました。

しかし冷房化はなされず、
1991年には全車廃車されてしまいます。

鉄道車両写真集
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2011年7月 6日 (水)

名古屋鉄道 瀬戸線 3730系 3770系 3780系をUP

Mt_seto_3753

名古屋鉄道の3730系3770系3780系は、
いずれも旧型車の 走行機器を流用して製造したもので、
間接非自動制御、すなわち手動加速のHL制御であることから
HL車と呼ばれます。
もちろん吊り掛け駆動です。
また流用されたモータの出力は75kWと低く、
加えてMT比も1:1ですから
軽量車体をしても性能面ではかなり見劣りするものとなっています。
とくに冷房付きの3780系は重量が重い分、
列車ダイヤの足を引っ張ったようです。

瀬戸線には1978年の昇圧時に
3770系2両と3780系20両全車が移籍しました。その後、
3770系(12両)全車と3730系8両が瀬戸線に転属しています。

3770系・3730系は1990年にまでに全車引退、姿を消しましたが、
3780系はHL車唯一の冷房車でもあったことから、
1996年5月まで活躍しました。

これらを撮影した時、2+2の4連で運行していたわけですが、
連結面側の車両については、写真が見あたりません。
ですから、編成毎にご覧いただけません。
なぜ、撮影しなかったのか。後悔先に立たずです…。

鉄道車両写真集
名古屋鉄道 瀬戸線 3730系 3770系 3780系
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2011年7月 5日 (火)

新京成電鉄 8800系改 をUP

8800系改は1986年に登場した8800系のうち
2006年に8808・8848・8872編成について
6連化改造を行ったものです。(M2とT2を抜く)
現在6連×4本が在籍します。
車両番号も8801-1、8801-2…のようにハイフン付きとなりました。

8804編成は、抜かれた中間車6両をよせ集めて作った編成です。
中間車にはシングルアーム式パンタグラフが設置されました。

今回はこの8804編成と8801編成をご覧いただけます。
違いをチェックしてみてください。

これらは京成電鉄への乗り入れ(2006年12月)対応車となり、
あわせて側面の帯も変更されています。

なお種車の8800形(1986~91年)は、
VVVFインバータ制御(GTO素子)を早期に採用したことで
注目された系列です。

これらについては別タイトルでUPしています。

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2011年7月 4日 (月)

新京成電鉄 8800系 をUP

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8800形は1986年に登場しました。
VVVFインバータ制御(三菱電機製MAP-148-15V06形)で
GTO素子を採用しています。
当時、関東では、まだまだインバータ制御は珍しく、
注目された系列でもあります。

第1編成は8801 - 8808。第2編成が8809 - 8816と、
連続して付番するのは京成電鉄の3500形などと同じです。
松戸寄り先頭車の車両番号から8808編成などと呼ばれます。

1991年には8連×14本が勢揃いしました。

2006年以降、京成電鉄乗り入れように6連も登場します。
これらの改造車は、改番され
8801~8804編成と呼ばれますがもちろん重複はありません。
これらについては、別タイトルで取り上げます。

1990年代後半以降、インバータ装置の部品交換に際し、
プログラム変更を行い純電気ブレーキが可能になりました。

現在、8連×9本=72両・6連×4本=24両が在籍します。

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2011年7月 3日 (日)

新京成電鉄 8900系をUP

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新京成8900形は1993年に登場した新京成初のステンレス車です。

8800形に引き続き三菱電機製のVVVFインバーター制御
(MAP-148-15V37のGTO素子)が採用されました。

外見的な特徴的としては、
シングルアーム式のパンタグラフ(工進精工所製:KP91) や
ワイドドア、ボルスタレス台車の採用などがあげられますが、
純電気式ブレーキを実用化したことも見逃せません。

車両史的に見ても、革新的な電車です。8連×3本が在籍します。

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2011年7月 2日 (土)

新京成電鉄 N800形 をUP

Shin_keisei_n821_6

2005年に登場した新京成電鉄N800形は、
京成 新3000形(3-4次車)をベースにしており
先頭形状や車体断面などの外観に加え基本的な性能も同じです。

日車のHPによると新京成独自の技術を盛り込むと同時に、
地域に密着した姿勢も表現したそうですが、
新京成電鉄はいままで京成電鉄とはひと味もふた味も違う
オリジナリティあふれる車両を登場させてきただけに残念です。

形式も京成流になり、
N800系ではなく6連揃ってN800形と称しています。
同様モハとかサハという種別もつかなくなりました。

N821Fは2次車です。
低騒音・低振動のスクロール式電動空気圧縮機を採用し
運転士異常時列車停止装置と運転状況記録装置を
新設した点が変更点です。2011年1月に導入されました。

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