サイキョージ氏の「大人の休日倶楽部 2011年7月 東北の旅」
悲しいかな会員パスの案内が来ると
万障繰り合わせて出かける予定をたててしまう。
今回利用したのは東北新幹線新青森開業記念と銘打って
6月末から7月始めにかけて発売された特別バージョン。
4日間有効で料金は去年より千円アップの1万3千円であるが
函館、福井まで行けないので
かなり値上げされたという感じが否めない。
今回は男鹿線、大船渡線、陸羽東線、水戸線
そして両毛線を乗りに行くことを考えた。
震災の影響で東北新幹線が間引き運転の状態で
在来線のダイヤもどのようになるか不安であったが
行ってみるとすべて時刻表通りの運行が維持されていた。
大人の休日倶楽部のきっぷは乗車当日は買えないので
関西在住の者はどうしても東京前泊が必要になる。
いつもながら東京までの旅費をいかに安く押さえるか頭を悩ます。
今回もJR東海の東京ブックマークを利用した。
初日に1泊すれば帰りのキップは5日間のうちに設定できるので
この旅にはもってこいの商品である。
それでも利用便にさまざまな条件がつき、
乗る便によっては3000円くらいの差額が必要になる。
今回は宿泊込みで2万9千円だったので
片道1万円前後で京都~東京が利用できた勘定だ。
それでも高い。
7/1(金)
「ひかり524」(300系)で東京着。
JR東海さんは
新大阪発の「ひかり」の車両運用を冷遇しているようですね。
せめて700系にしてほしいものだワ。
東京駅で大人の休日倶楽部のきっぷを購入し、
えきネットで予約しておいた
朝イチの「はやて」の指定券を受け取る。
東京銀座泊。
7/2(土)
東京6:40発の「はやて115」はオジ鉄・オバ鉄で満席。
通路に立つ人もいる。
この期間の「はやて」とその乗り継ぎ便は
ハンパじゃない混み方をするのは去年で学習済み。
また間引き運転で新青森まで行く便が限られているので
3週間前に予約を入れておいたがこのときでも満席に近かった。
「はやて」は仙台手前からスピードが落ち、
当初のダイヤより1時間近く余分にかかり新青森到着。
駅構内で写真を撮っていると団臨の「はやぶさ」が到着。
定期運用をしていないので車両が余っているのか
新青森でその姿を見られたのは幸運だった。
新青森から「つがる52」で大館着。
去年乗った485系「かもしか」は引退し、
秋田行き特急は「つがる」に統一されE751系で運用されていた。
大館駅前で昼食に「とりめし」を食べる。
繁華街は東大館駅に近いので駅前は人がまばらだ。
駅前通りに小坂鉄道の廃線跡が見られる。
大館からはロングシートの普通電車にゆられ、追分到着。
ここで男鹿線の気動車に乗り換える。
キハ48がうなりをあげて入線してきた。
土曜日の夕方なのに高校生の利用が多い。
男鹿到着後、同じ列車で秋田まで引き返す。本日の予定は盛岡泊。
秋田から盛岡まで秋田新幹線「こまち138」に乗る。
田沢湖~赤渕間は
「よくもまあ、こんなところに新幹線車両を通せたもんだ」
と思うくらい急勾配の難所を走る。
米沢~福島間に勝るとも劣らない峠越えだ。
JRの技術力はすごいもんだと感服する。
19:39盛岡着。
郷土料理のおいしい店を考えておいたのだが
そこまで行く元気もなく駅前のホテルの近場で夕食をすませた。
シメに食べた「ひっつみ」が美味だった。
7/3(日)
本日の予定は大船渡線、磐越東線である。
直接被災地に乗り入れている線に乗ってみる。
盛岡7:55発「はやて206」で一ノ関に向かう。
一ノ関で大船渡線の待ち時間が1時間ほどあったので
以前から気になっていたJazz Spot「Basie」を探しに行った。
汗をかきながら店を見つけた。
次に来たときは必ず行くぞと心に誓って開店前の店を後にした。
一ノ関から快速スーパードラゴンに乗り気仙沼に向かった。
大船渡線は内陸部を走る気仙沼までは
甚大な被害はなかったようであるが
枕木などが新しく交換された箇所も見られることから
相応の被害はあったようだ。
気仙沼までの残された交通手段を確保するべく
JR東が懸命に復旧させたのであろう。
目で見る限り気仙沼駅前の表通りは高台にあるため
津波の被害は感じられなかったが
今でも三陸海岸沿いを走る鉄道路線は寸断されたままである。
このまま廃線にせず国の補助で早期の復旧を期待したい。
折り返しの列車で一ノ関まで引き返す。
一ノ関から「やまびこ256」に乗って郡山到着。
磐越東線経由でいわきに入る。
ここの気動車はキハ100系で盛岡地区と同じ車両である。
小野新町を過ぎる頃から山を下り始めやがて峡谷沿いを進む。
いわき到着16:41。
ここで常磐線に乗り換えて今夜の宿泊地小名浜に向かう。
いわきより普通電車で泉まで行く。
水戸行き415系のステンレスの車両で8両の長大編成だ。
こんなにつながなくてもと思うのだが
輸送密度は私が考えているより高いのかもしれない。
常磐線は原発事故のため、
いわきより北は3駅目の久ノ浜までしか行けない。
被害状況ですら正確には把握できない状況であるらしい。
この先の復旧は何年後になるのだろう。
泉駅で迎えの車に乗り小名浜のホテルに向かう。
ホテルは工業地帯をぬけたところにあるゴルフ場に隣接している。
小名浜港の周辺は津波被害をうけ大変だったようだが
工業地帯は高台に立地しているので地震の被害はあったものの
津波被害は免れたようで操業が再開されていた。
ゴルフ場も再開はしたが
原発の風評被害で人が来ないとキャディーさんが嘆いておられた。
ホテルの宿泊プランは復興応援パックとよばれるもので
夕食の内容を限定した質素なものだったが
温泉もあり十分満足できる内容であった。
宿泊客は国内外の原発関係者、警察関係者の方が多く、
夕食時の会話を聞いていると
このホテルが
福島第一原発の前線基地になっているような感じがした。
次に来るときはここでゴルフをしたいものだ。
7/4(月)
最終日、泉9:30発の「スーパーひたち22」で水戸まで出て
水戸線、両毛線、高崎線を経由して帰ることにする。
「スーパーひたち22」は651系11両編成。
これだけつないでも乗る人が結構いるんだ。
いわきから東京までは200キロぐらいだから
特急で東京日帰り圏内という感じか。
水戸で普通電車に乗り換え、友部へ出て水戸線に乗車。
線名からわかることだが小山~水戸間は
常磐線より早く開通したので
水戸を通らなくてもこの名前が残ったのだろう。
415系の電車は関東平野の田園地帯を走る。
のんびり車窓を楽しんでいると
笠間、稲田という駅名表示板が目に入り、
あわてて駅の名所案内をみると、
やはりここは浄土真宗開祖の親鸞が流罪を許されたあと
上越から移り住み、布教活動をした拠点
「笠間郷稲田の草庵」があった場所である。
この地で主著「教行信証」を書いたとされる。
親鸞が過ごした700年前とさほどかわらないであろう
と思える原風景の中を電車は走り11:57小山着。
小山で両毛線に乗り換えて桐生に向かう。
なつかしのグリーンとオレンジの115系電車だ。
両毛線はその昔、
鉄道会社が点在する主要な町を結んで鉄道を敷設したのだろう。
そのため折れ線グラフのような路線図をしている。
その折れ線グラフの頂点の町には毛細血管のように
東武鉄道が南から延びている。
東武は地域密着だが
儲からない路線をたくさん保有している会社だなと思う。
桐生で降りて昼食をとり、上毛電鉄西桐生駅まで歩く。
駅舎がシブい洋風建築で有形文化財にもなっている。
しかし暑すぎる。
早々に桐生駅に引き返し高崎まで出て「草津4」に乗る。
大宮~上野間の複雑な線路の絡み合いが見たくて、
あえて在来線に乗ってはみたが
講釈なしでは理解しづらいものがあった。
上野着17:20。「草津」も185系で運用するなら
急行か全席指定の快速が分相応だ。
東京駅で夕食を買い込み18:33発「ひかり525」で帰宅した。
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