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2011年5月の記事

2011年5月29日 (日)

京阪電気鉄道 3000系(旧)オリジナル車、リニューアル車をUP

Keihan_3018

京阪電気鉄道3000系(旧)は、
オールクロスシートかつ冷房を装備する2ドア特急形車両で、
1971~73年にかけて製造されました。
京都よりのTc車にはカラーTVを設置、
「テレビカー」と呼ばれ重宝がられたのも今は昔です。
空気圧による自動座席転換装置も注目の装備でした。

600V車で登場した3000系でしたが昇圧準備がなされており、
1983年末には1500V車に改造されています。

オリジナルは 3連または4連で構成され、
かつては早朝深夜に3連の運用もありました。
電気連結器付きの画像がありますが、その時分の名残です。

8000系のデビューにより廃車が始まりましたが、
3505Fのみリニューアル工事が施されダブルデッカー車まで登場。
面目を一新しました。
3505Fについては2008年6月、
8000系30番台(8531F)へ編入→改番されています。

鉄道車両写真集
京阪電気鉄道 3000系(旧)オリジナル車、リニューアル
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2011年5月28日 (土)

京阪電気鉄道 8000系30番台 旧3000系をUP

Kh8531f_0

京阪電気鉄道8000系30番台(8531F)は、
1995年に車体改修工事を行い唯一3000系(旧)として残った
(3505F)を改番した系列です。

改番することになったのは、
2008年10月に中之島線が開業し、
その際に投入された新型車両に3000系を譲ったからです。

外見こそ旧3000系ですが、
主要機器類は8000系と同様に改められていますので、
この編入→改番は納得できるところです。

今回は、改番される直前の3505Fからご覧いただきます。
keihanの新しいロゴが付いています!。
この状態は短かったように思うので、
結構レアな画像じゃないかな (^_^;)。

鉄道車両写真集
京阪電気鉄道 8000系30番台 旧3000系
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2011年5月26日 (木)

阪急電鉄 京都線 6330系をUP

Hankyu_6430

阪急6330系は、
1975~78年製の6300系をベースに、マイナーチェンジ。
1983年に製造、翌年1月から営業運転に入りました。

茨木市・高槻市駅付近連続立体化工事に伴うダイヤ改正で、
特急車輌が不足したことにより追加されたもので
1編成のみの存在です。

マイナーチェンジとはいえ界磁チョッパ制御が採用されるなど、
足回りは7300系と同じ仕様になっています。

9300系の増備によって、
6300系同様、特急運用離脱に追い込まれました。
しかし6300系の一部がリニューアルされ
嵐山線や臨時特急用に存続するのに対し、
6330系は2009年11月廃車→解体されてしまいました。

鉄道車両写真集
阪急京都線6330系のトップページへJUMP

珍車ギャラリーでも取り上げています。
こちらもご覧ください。阪急京都線6330系 へJUMP

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2011年5月23日 (月)

阪急電鉄 京都線 9300系をUP

Hk_9300f_8

2001年3月。
京都線ダイヤが10ヘッドに切り替えられることに伴い、
特急を増発しなければならなかった阪急は、
6300系ではまかないきれない特急車両を
ロングシート車で補ってきました。

しかしアメニティの違いはいかんともしがたく。
2003年より転換クロスシートの車両を増備しました。
これが9300系です。

京都線の特急用車両は、
片側2扉の転換クロスシート車というのが
2800系からの伝統でしたが、
9300系では、特急の停車駅増加に伴う乗降時間短縮のため
片側3扉とされました。

乗車位置が6300系とは違うため、
また2007年には淡路駅にも特急が停車することから
増備がすすめられ、2010年2月には
6300系を特急運用から淘汰するに至っています。

現在8連×11=88両が在籍しています。

鉄道車両写真集
阪急電鉄 京都線 9300系 のトップページへJUMP 

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2011年5月22日 (日)

珍車ギャラリー JR東日本 901系をUP

901_103_0001

試作車には二通りのパターンがあります。
先進的なテクノロジーが実用化できるかどうか。
を判断するためのものと、
実際に営業運転に就かせながら、
より実態に即したものであるかどうか。
を判断するためのデータを得ようとするものとです。

後者は先行量産車などと呼ばれています。
901系はこちらに属するものといっていいでしょう。

JR東日本が車両メーカーに求めた命題は、
重量半分、コスト半分、寿命半分。

今までの鉄道車両の概念をぶち破るコンセプトが、
これからの日本の鉄道車両あり方を根本的に変えてゆくのか?

ここからフィードバックされたデータから209系が生み出され、
量産されてゆきます。
209系900番代に改番された901系は試作車としての使命を終え、
2007年.10月~2008年.1月にかけて廃車されてしまいました。
予定通りとはいえ
15.6年という寿命はやはり短すぎるような気がします。
209系量産車についても、
このあとを追うもの…と私は思いこんでしました。

しかし!

詳しくはこちらを
珍車ギャラリーJR東日本 901系へJUMP

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2011年5月21日 (土)

国鉄形車両コレクション クハ481形-2 101-126 をUP

Tc481_111

クハ481形100番台(101 - 126)1971年~ は
0番台のマイナーチェンジバージョンで、
MGの小型・大容量化(150kVA→210kVA)により
ボンネット内から床下へ移設したことが大きな違いです。

CPのみとなったことから、
冷却用の外気取入口にダクト状のカバーを装着し、
タイフォンもボンネットに移設されました。
なお前照灯も白熱灯からシールドビームに改められられています。

仙台、向日町、青森の各運転所に新製配置されましたが、
1985年には全車向日町に集結してきました。

JR化直前の1986年に一部が
金沢運転所(104・107 ~ 110・113・115・124・125)と
上沼垂運転区(102)に転出し
102はそのままJR東日本に継承されました。
残念ながらこれは撮影できてません。

なおタイトルに記した配置区略号は93年当時のものです。

これらは2004年までに全車が廃車となっています。

鉄道車両写真集
国鉄形車両コレクション クハ481形② 101-126
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J鉄局長 ツイッター始めました。

まだツイッターなるものが、なんなのか。よくわかっていないのですが、
「ブログの更新を自動的にお知らせできる。」とかで、試しています。

問題が発生したとかで、うまくいってるかどうかわかりませんが、
やってみますね。

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2011年5月20日 (金)

JR東日本 209系900番台をUP

209系900番台は 1992年3月に登場した
試作車901系(10連×3)で、
1994年1~3月にかけて量産化改造を行ったものです。

0番台と極力合わせるべく改造されたのですが、
制御器など主要機器はそのまま使ったので
編成毎に900・910・920番台というのが正確です。

ただ外観上は、側面上部の帯が黒色から、
量産化と同じくスカイブルーに変更されたので
遠目には判別しにくくなりました。

209_90_0001

2006年に910番台(B編成102→91F)、
2007年3月に920番台(C編成103→92F)、
2007年8月に(A編成101→90F)が運用離脱、
その後廃車回送されました。

2年足らずだった901系と較べたら、
209系900番台は、13年程度活躍していたわけですから
全部撮影したかったのですが、
中途半端になってしまいました。

撮影できなかった920番台C編成は、
901系のほうでご覧ください。

鉄道車両写真集
JR東日本 209系900番台のトップページへJUMP 

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2011年5月19日 (木)

Dr'K 2011年5月の鉄旅 --スーパービュー踊り子--

グランクラスで仙台に到着した私は、
卒業後地元で私と同業に就いている
大学時代の友人M氏と合流した。
M氏は仙台市内の職場で津波の被害に遭って
一命は辛うじて取り留めたものの重傷を負い、
震災以来、先月末まで入院していたのである。

はやて120号( 仙台11:59 ~ 東京14:08 )
こだま663号( 東京14:26 ~ 熱海15:12 )
牛タンを堪能した我々は、M氏とともに「はやて」で移動。
目的地は、温泉地熱海の別荘地にある友人R氏のお宅。
ちなみに、R氏は昨夏の
北陸乗り放題きっぷの旅の道連れT氏の奥様のお兄さんで、
T氏の義弟にあたる人物である。

R氏はM氏の快気祝いに友人を集めて盛り上がろうということで、
T氏夫妻、我々を含め、自宅に招待してくれたのだった。

E2系で指定されたのは6号車だったが、
B席がすべて埋まるところまではいっていない。
例年のGWを考えると、
3割ぐらいは少ないんじゃないだろうか?

東京で手土産を物色し、今度はこだま663号に乗込む。
運用の関係なのだろうが、
名古屋行のこだまに
JR西日本の700系B編成が充当されていて、
不思議な感じがした。
新横浜からA氏、T氏が合流。

小田原で2本抜きされ、熱海には定刻に到着。
T氏夫人の運転するクルマで熱海駅からほど近いR氏宅へ。
R氏宅で温泉に浸かり、
翌日の昼食(バーベキュー)まで味わった。

熱海までR氏に送っていただき、4人で品川に移動。

スーパービュー踊り子8号( 熱海15:29 ~ 品川16:40 )
久し振りのSVO。いろいろと揶揄されている車両であるが、
小生は「すっげ~、ヴォッたくり、オドロキ」
と呼んでいる。
リニューアルされ、デビュー当初のことを考えると
だいぶマシにはなったが、
A料金をしっかりとる列車ということで、
まだまだ割高感は非常に高い。

伊豆エリアは、東京からは手近な観光地ではあるが、
道路事情はよろしくない。
結果として鉄道のほうが便利なので、
一定の利用者があるというだけの話。
まさに殿様商売の地区だからこそ、
昔から粗悪な車両でぼったくり放題。
251系レベルの車両で、A料金!
なんていうぼったくりができるのだろう。

指定されたのは10号車だったが、
元々は近郊車並みのボックスだったところを
リクライニングシートにしたので、
窓と座席が全然あっていない、
M氏は「この柱、邪魔。」と一言…。
悪いけど 全くもってスーパービューじゃない。

まあ、我々は、また車内で呑んでいるので
あまり関係ないと言えば関係ないが…。
階下のこども室のドタバタも、結構気になる。
そういう意味でも10号車となったのは残念だ。

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2011年5月17日 (火)

JR東日本  901系 をUP

901_b_0007

901系は、JR東日本が
次世代の通勤電車を製作するにあたって、
様々なテストをすべく作られた試作車系列で
A(川重),B(東急),C(川重)+(大船工)と
仕様が異なる3編成が製造されました。

すべてインバータ制御ですが、
各編成に別のタイプのインバータが搭載されました。
A編成ではパワートランジスタを使用した個別制御。
B編成は高耐圧小容量のGTOによる
2レベルインバータで個別制御、
C編成は低耐圧大容量GTOによる
3レベルインバータで4個一括制御
という具合で様々な方式が試されました。

競わせた結果を量産車に活かそうというわけです。
とはいえ好き勝手に競わせたわけではありません。
明確なコンセプトがありました。
重量半分、コスト半分、寿命半分です。
このコンセプトが正しかったか否かについてはさておき、
H4.3にデビューした901系は、
H6.1から 209系900番台に量産化改造され、 
H19.10~H20.1にかけて廃車されてしまいました。
予定通りとはいえ15.6年という寿命は
やはり短すぎるような気がします。

今回はB編成の一部とC編成の全車をUPします。
A編成は撮影できませんでした。

京浜東北線用の電車は、全部で80編成を超えます。
そうしょっちゅう東京にやってこられない関西人である私が、
来るか来ないかわからない901系を待つ根性が
どれほどのものか。おわかりでしょうか。

B編成が一部しか撮影できなかったのは、
被ってしまったからです。
どれだけ悔しかったか。今も忘れられません。

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2011年5月14日 (土)

近畿日本鉄道■伊賀線’’85~860系をUP

Knr_iga_867_

860系は 1984年。伊賀線車両近代化のため
奈良線用820系の車体に南大阪線用6800系の足回りを
組み合わせて改造されたものです。

4編成が860系として狭軌化されて伊賀線に転入しました。
その後、1993年。田原本線に残っていた820系も改造され、
3編成が転入してきました。

なおその際、奈良線の800系を改造した880系は、
2編成とも廃車されました。

860系とは違って個性的なスタイルでした。

今回はこの880系もご覧いただけますが、
ちょっと苦しい写真なのが残念です。

ここでご覧いただく860系は近鉄時代のものですが
伊賀線が、近鉄から伊賀鉄道に移管されてのちも
860系は健在です。
伊賀鉄道以降の860系も別タイトルでUPする予定です。

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近畿日本鉄道■伊賀線’’85~860系
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2011年5月13日 (金)

近畿日本鉄道■伊賀線’77~5000系をUP

近畿日本鉄道5000系は、1977年、
伊賀線用に、名古屋線のモ6311・モ6331形を狭軌化し、
5000系(モ5000(5001 - 5007)/ク5100 (5101 -5104))
としてまとめられたものです。

5000系の種車となる
モ6311は両運転台車で、
関西急行鉄道が1942年に製造した5両と、
近畿日本鉄道と改称されたのちの
1944年に増備した5両とに分類されます。
ともに帝國車輛製です。

モ6331形は、片運転台車で戦後(1948年)、
近畿日本鉄道がオーダーしたものです。
6339は日本車輌製 6331・6332・6335・6337は近畿車輛製
となっています。

Knr_iga_5004

全長17.8mと小振りで、見た目はクラシックなスタイルですが、
モ6311形・モ6331形とも当初は
名古屋線の急行用でクロスシート車で、エース的存在です。

伊賀線へは全車ともロングシート化の上で転入しています。

モ5000のうち01 - 06は
モ6311形の6311 - 16を改造したもので
両運転台車のままですが、
5007だけはモ6331形6339からの改造で
片運転台車となっています。

ク5100はモ6331(6331・32・35・37)を電装解除したもので、
全車片運転台です。

5000系によって、5181形などの
古典的名車が淘汰されたのは残念なことでしたが、
個人的には、5000系の端正なスタイルは
私のお気に入りでした。
あえていわせてもらえれば、スカートはない方が
よかったような気もしますが…。

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近畿日本鉄道■伊賀線’77~5000系
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2011年5月12日 (木)

近畿日本鉄道■伊賀線 ~’77  5181形etcをUP

現在の伊賀線は、経営不振にあえぐ同線を
近鉄から2008年に引き継いだ伊賀鉄道の路線です。

伊賀線は1916年に伊賀軌道により
関西本線の伊賀上野と上野町(現在の伊賀市)間が
開業したのが始まりで、
1922年には伊賀上野 - 名張(後の西名張)間が
全通したのですが、この際に改称された
伊賀鉄道の名を復活させている格好になっています。

1926年には電化されました。

Knr_iga_5185

この年に、旧伊賀鉄道は、電化開業にあわせ
デハ1形(1 - 6)を川崎造船所で製作しました。
14m級の半鋼製で、
トラス棒で台枠を補強するという古風な車体ですが、
なんと当初から直流1500Vであることは特記すべきでしょう。

デハニ1形を経て、
1941年3月の関西急行鉄道成立時に
モニ5181形モニ5181 - 5186と改番されました。
以後、関急は近畿日本鉄道となりましたが、
全車廃車となる1977年までこの形式で通しました。
長く変わることなく伊賀線で主力車両として活躍してきた
ヌシ的存在と申せましょう。

今回は1977年に5000系が投入される直前
このヌシ的存在であるモニ5181形をはじめとして
伊勢電出身のモニ5201形、クニ5361形や、
もと信貴山急行山上線のモ5251形などをご覧いただきます。

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■近畿日本鉄道 伊賀線 ~’77 5181形etcのトップページへJUMP

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2011年5月 9日 (月)

Dr'Kの「はやぶさ【グランクラス】にのってきました。」

今回の旅のスタートは、
昨年夏のスカイアクセス乗車時と同じく、
大阪駅11番線から0:34発、「サンライズ瀬戸」。
サンライズ瀬戸・出雲(以下サンライズ)の東京着は
所定7時8分、9番線着。

新幹線でも間に合わなくはないのだが、
新大阪6時の朝一「のぞみ」は厳しすぎるのと、
東京駅で朝食を確保する時間がほしかったので、
今回はサンライズを選択。

サンライズは2分遅れで入線し、
大阪からの乗客を乗せ慌ただしく発車。
指定された寝台に入って就寝準備。
茨木駅付近で車掌が検札にやってくる。

ちなみに私の平日の起床時間は5時半。
当日は土曜日だが、GWで曜日の感覚がくるっていて、
体がこの時間を覚えているのか、
目を覚ましてしばらくすると三島を通過。
時刻は5時32分。

我ながらお見事な起床。

何とも言えない複雑な気分で目覚める。
小用を足し、その帰りに水を購入し、
それを飲んで丹那トンネルを出たところで二度寝。

横浜着前のおはよう放送で身支度をはじめた。
京浜東北線の大森を通過すると、
車掌による東京駅での乗換案内がはじまる。
「山手線、内回り上野、池袋方面は4番線、
外回り品川、渋谷方面は5番線、
京浜東北線赤羽方面は3番線、
折返し蒲田方面は6番線、
中央線は1、2番線、横須賀線、総武線…」

このあたり、京葉線の案内まではとってもまとも。
しかし…、新幹線の案内になると…
「東北新幹線はやて・こまち15号、新青森、秋田行は
7時32分、22番乗り場から…」って、

おい!!! それ、時刻表の掲載通りやんけ!!!
いつから通常ダイヤ戻ってん!!!


思わず、自分の持っている新幹線特急券を確かめた。

Photo

実は、震災後の東北新幹線に乗るのは今日が2度目。
山形新幹線とあわせて福島まで復旧したのを受けて、
4月25日に今日と同様、
サンライズ利用車中泊で会津に出張した際に利用した。

この時も、車掌は通常ダイヤで乗換案内をしていた
のを思い出した。
ちなみに、仙台まで復旧したのはこの日だったが、
暫定ダイヤを直前にいきなり白紙改正され、
情報も情報格差や首都圏から離れた遠隔地
ということを全く考慮にいれず、
タイムリーと言うには程遠い(というより、
問合せ、苦情が殺到するのをかわす意味で
プレス発表をメールサーバのメンテナンスの日程に
意図的にぶつけたとしか思えない)もので、
親友のショコラ氏とインディゴ夫人の結婚式で
東京を訪問した時に、
郡山まで指定を取っておいた「つばさ」をほぼドタキャンされ、
無手数料で払い戻すから改めて切符を買い直せと
いうひどいものであった。

4月4週目の通常期の日、それも月曜日ということを考えれば、
当日の朝、出発直前で指定がとれるわけがないじゃないか。
利用客のことを考えれば
事故変ではなく事故列変で取扱うべきだ.。
(事故変ならば、変更前と変更後の切符、
つまり指定席と自由席の差額510円だけしか戻らないが、
事故列変ならば、運転しなかった「つばさ」の
東京~郡山間の特急券4,080円の半額、2,040円が返ってくる。
その差、実に1,530円。

ちなみに、事故変は時刻表の案内ページに記載があるが、
事故列変は記載がなく、
JRグループの約款に相当する営業規則にしか記載がない。
JR東日本は、営業規則はこちらが申し出なければ
閲覧させてはくれないので、
その存在自体知らない客も少なくない。
まさにこの盲点をついているといえる)。

JR東日本も東日本大震災の被災で
大変な状況なのはわかるが、
こんなときまで客から少しでも金を搾り取ることに執着するのか、
と思った次第だ。
切符を売ったからには、責任を果たせ
(仙台まで開通することでダイヤが変わるなら、
発車時刻が変更になったものとして売った切符を扱い、
それで不都合があるなら払戻しをすればいい)といいたい。

さらに、帰りは停電でダイヤがぐちゃぐちゃで
東海道新幹線の乗継がうまくいかず、
買い直した切符をさらに、
それこそ事故列変の対応を新大阪駅でしてもらうことになった。
16年前の阪神・淡路大震災の時もそうだったが、
徐行区間が多く痛々しいものだったが、
新幹線を利用できる喜びは感じたものだ。
この会津出張も3月の震災翌週に予定されていたもので、
震災で延期になったものだ。

暫定ダイヤでは、7:32発は通常7:44発の
各停「やまびこ」が12分繰り上げられ、
新青森行「はやて、こまち」の速達便は、
間引かれている仙台はやての7時56分という時刻に移り、
列車名も「はやて・こまち119号」に変更されているが…。

GWのしょっぱなに上記の煮え湯を飲まされているだけに、
車内放送に対しては耳がダンボになっているが、
どちらが正解…?

東京には定時に9番線に何事もなかったように到着。
親子連れの乗車が意外と多かった。
下車後すぐ、9番線にいたJR東日本の駅員に問いただすと、
あっさり「東北新幹線は現在、4月29日、
全線復旧時の暫定ダイヤで動いている」とのこと。


サンライズ出雲の車掌長がウソを言っていることが判明。
4月25日も同じ内容の放送だったので、
GW期間中ずっとウソの放送をしていた
と思ってまず間違いない。
地元に戻ってすぐJR西日本に抗議した。

(サンライズ出雲はJR西日本米子支社の車掌が全区間、
サンライズ瀬戸は高松~児島はJR四国、
児島~東京間はJR西日本岡山支社の車掌が
それぞれ乗務している。車掌長は出雲側に乗っている。)

約1時間半の待ち時間の間、
東京駅をくまなく回り、撮り鉄にいそしむ。

はやぶさ501号  東京8:44 → 仙台 10:50

JRグループダイヤ改正、
九州新幹線全線開通当日の3月12日、
九州新幹線の開業記念乗車
に混じって、
はやぶさ5号で念願のグランクラスをとれたのだが、
東日本大震災で仙台を訪問
(この時のコンセプトは、
1日で2つの「せんだい」駅を新幹線で通ること)
できずじまいで、今回の仙台訪問になった。

はやぶさは3月5日から走り始めた最新鋭E5系。
はやぶさのデビュー翌日、3月6日に仙台を訪問した時以来、
今回が2度目の乗車になる。

仙台からのはやぶさ502号の折返しとなるため、
到着後いったんドアが閉まる。編成は第3編成。

GWも終盤で、繁忙期が終わり
通常期に戻って安く移動できるので、
馬鹿鉄のみならず家族連れなども撮影に殺到。
フラッシュの嵐。

E5系はJR西日本の500系ばりに先頭部が長いため、
客室の編成側にしか満足なスペースがとれないのを
逆手にとり、
新青森側の先頭車である10号車にグランクラスを設定した。
グリーン料金よりもさらに5000円高い。
さて、それだけの価値はあるものか…?


デッキは運転室直後にしかなく、
編成側車端は「はやぶさ」のロゴマーク。
その後ろはアテンダントの準備室になっている。

指定されていたのはA席で、1人がけ。
B、C席は2人がけになっている。
横3列×6で1両の定員わずか18名。

局長氏も仰せだったが、
国際線のファーストクラスを意識したものだな、
というのがよくわかる。

もちろん満席で、
客層は新青森開業時と同じ感じで、
サイキョージ氏と同じくらいからそれよりも少し上といった、
見るからに大人の休日倶楽部の年齢層の熟年夫婦5組、
家族連れ1組、残りは1人利用といった感じ。

定刻に発車直後、どのくらいの撮影陣がいるのか
とホームに目を向けると、
通路をはさんで座っている夫婦がフラッシュ撮影。
これがモロに目が入る。
アテンダントのお嬢さんがやってきたので、
思わず怒鳴りそうになるのをぐっとこらえて
彼女を呼び止め、デッキで話を聞いてくれ、と伝えたが、
デッキに出てきてくれない。

なぜ「デッキ」なのかを読んでくれないかな…。
(いくら道中の接客サービスでの言葉遣いなどが丁寧でも、
後述するが「気配り」という意味では大いに不満)

仕方なく彼女らの控室のある逆のデッキまで行って話をする。
向かいの熟年夫婦のフラッシュ撮影が眼つぶしになるし、
これを走行が軌道に乗ってウトウトしている時に
やられたんじゃたまったもんじゃない。
能登ラストランや500系ラストランの時と同じ、
「撮影マナー」について呼びかけてほしい旨を伝えた。

上野を通過し地上に出たところで
お嬢さんが自己紹介とともに、撮影マナーについて言ってくれたが、
こちらが言わなければそれを言えないようではダメ。
厳しいようだがこういうところが
やはり国際線のCAとの差だな、と思う。

その後、おしぼりが配られ、
ドリンク、軽食などのオーダーを専属のアテンダント2名が
乗客ひとりひとりきいてくれる。
ここで洋軽食と白ワインを注文。
(サンドイッチ、チキン、コールスロー、ポテト、フルーツがついて、
グランクラスの料金内のサービスとして提供される)Photo_2

ちなみに、軽食は、和と洋の2種類から、
ドリンクはビール(モルツとスーパードライ)、ワイン(赤、白)、
シードル、日本酒、コーヒー、紅茶、緑茶、黒烏龍茶、コーラ、
ミネラルウォーターから選べる。
これらがお茶菓子込みで飲み放題。やるなぁ。
デッキには新聞や雑誌、時刻表などが備わっていて、
自由に読むことができる。

それ以外にも、車販のワゴンは
グランクラスに入ってこないので、そこで販売している品は、
アテンダントに注文すれば届けてくれて、
お代は彼女に渡せばよいシステムになっている。
熟年夫婦のみなさんが注文を聞きに来てくれるので、
続々おかわり、おかわり。
私も、ワインのあとにシードル、
食後に薬を服用するためにミネラルウォーターを追加で注文。
すべて料金内。
デザートにアイスクリームを所望してみたが、
これだけが車販の品なので実費。
なんか、悪い気がしなくもないが、
グリーン料金+5000円だしなぁ。

カシオペアよりも、いい感じであるが、
よく言えばリッチな気分になれるが、悪く言うと成金趣味…?
JR東日本のいや~な一面でもある。
金を自分から出す客は非常に大事にするが、
最低限の金しか出さない客には
サービスする気はこれっぽっちもなし。
先述の通り、いかにして金を搾り取るか、
ということにかなり執着心を持っている、
というのが私のイメージ。

4月25日の対応を一方的に
事故変で片付けるあたりが最たる対応。
車両からして、旧態然とした
485系、185系、E653系、E257系で特急料金を取ったり、
251系やE259系レベルの車両で高いA料金を請求したりと、
金に対する執着心はハンパではない。

251系やE259系が相手なら、
同時期のJR西日本の車両である681系、287系の完勝。

宇都宮までは快調だが、
那須塩原を通過するあたりから徐行区間が出てくる。
区間によっては大宮以南と同じような速度で走る区間もある。
新白河以北は、十分目で追えるスピードで各駅を通過した。

新白河付近で気付けにブラックのアイスコーヒーと
デザート(先述のアイスクリーム)を、
福島駅を通過するぐらいのタイミングで持ってきて欲しいと頼んだ。

なぜ、タイミングまで指定しているのか?
それは、最初の撮影マナーのお願いの対応から、
アンテナが低い、と思ったからである。

車販のバイトを経験していると、
売れるタイミング(つまり、お客様がほしい時)が
だんだんわかってくる。

私が車販で一番よく乗っていた行路の列車は
通常期の平均売り上げが5000円。
自慢じゃないが悪くても倍は売ってきた。
そのツボは売れるタイミング(つまり、お客様がほしい時)
を捉えるアンテナだ。

福島通過というタイミングの根拠はこれ。
私の下車駅は「新青森」「盛岡」ではなく、「仙台」であること。
朝っぱらから酒をあおってるので、
仙台のホームに降り立つ時にスッキリしていたいからである。

白石蔵王では、身支度の時間を考えると慌ただしくなる。
かといって郡山ではまだ早い。間があいてしまう。
私のイメージは、並走する在来線の桑折駅あたりを
念頭に置いているのだが、
これはよほどアンテナの高い人しかわからないので、
その少し手前の福島なのだ。

かくして、まさにその桑折を通過してしばらくすると、
「そろそろお持ちしましょうか?」ときた。

今後、彼女らのアンテナがもっと高感度になることを期待して、
「ちょっと遅いかな…」とあえて苦言を口にした


3月5日のデビューから1週間たたないうちに
運休に追い込まれ、
ようやくGWに運転再開にこぎつけたはやぶさだし、
仕方ないと言えばそれまでだが、
また機会と金があれば乗ってみたいとは思ったので、
これからステップアップしてもらいたいからだ。

かくして約2時間、
ところどころまだ震災の傷跡の残る仙台駅に到着した。

サービスの水準は決して悪くない。
100点満点で75点と言うところだ。
+5000円の価値は十分ある。
それだけに、本当の意味での「気配り」を
念頭に置いて更なるサービスのレベルアップを望みたい。
気配りをするためには、
彼女らも、サービスレベル以上に
鉄分を濃くすることを重視してこそ、
トータルはよくなるのではないだろうか。

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2011年5月 8日 (日)

帝都高速度交通営団 有楽町線 07系をUP

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営団07系は、有楽町線における
輸送力増強用の新型車両として 1993年にデビューしました。
(1次車51・52F:川崎重工業製)

1994年には小竹向原 - 新線池袋間開業
および西武有楽町線新桜台 - 練馬間延伸に伴う
増発用として追加投入されました。
(2次車53 -56F日本車輌製)

東京メトロとなった2004年以後も、
2006年まで7000系と共通で全編成が
有楽町線と有楽町線新線で運用されていましたが、

有楽町線新線を延伸して2008年開業した副都心線において、
7000系は同線各駅のホームドアに対応するものの、
07系は対応できず、東西線へ転籍させることになりました。

2007年には、すべてが東西線に転籍し、運用を開始しています。

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2011年5月 7日 (土)

帝都高速度交通営団 7000系 非冷房車をUP

Eidan_7012_01

営団7000系は、
1974年から1989年までに⑩×34=340両が製造されました。
製造メーカーは日車・東急・川崎・近車と様々です。

千代田線の 6000系とほぼ同じ車体、台車をもつ標準車ですが、
制御器はAVF(電機子)チョッパとなりました。

当初01 - 20Fは5連(7100-7700-7800-7900-7000形)で落成し、
1983年の池袋 - 営団成増延伸開業時に
5両を追加、10連になりました。
追加された中間車(7200~7600)は、冷房工事準備車で
側窓の大きさなども仕様が異なります。これらについては
91年から冷房工事が進められ94年に完了しています。

なお最初から冷房車としてデビューしたのは、
28Fで、1988年以降の編成からとなります。

現在の7000系はというと
副都心線開業のあおりで8連化されたもの、
廃車されたもの、インドネシアに送られたもの、と様々です。
なお制御器もVVVF化されています。

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2011年5月 5日 (木)

珍車ギャラリー 養老鉄道606系(もと近鉄6850形ラビットカー)をUP

近畿日本鉄道 養老線は、経営状況が悪化、
3セクによって運営が継続されることになりました。
これが2007年2月設立された養老鉄道です。
(運営の移管は10月)

ただし、線路や車両などの施設は
近鉄が引き続き保有しています。

同時期に3セク化された伊賀鉄道が、
自前の車両を登場させ。
近鉄籍の従来車にも忍者塗装を施すなど
独自性を押し出しているのに対し
養老鉄道は車両の塗装も近鉄時代のままです。

Yourou_606_1

そんな養老鉄道は2009年9月。
606系にラビットカー塗装を復活させました。
養老線とは遠く離れた南大阪線の
それもかなり昔の一時期の旧塗装を復活させる。
そのことに何の意味があるのか?
加えて本来の性能を発揮しているわけでもないのに、
ラビットカーの名を復活させるのはなぜ?

珍車ギャラリー
 養老鉄道606系(もと近鉄6850形ラビットカー)にJUNP

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2011年5月 4日 (水)

養老鉄道 600系 606系 620系 625系をUP

Yourou_625_0

養老線は、近鉄によって運営されていましたが、
経営状況が悪化、
3セクによって運営が継続されることになりました。
これが2007年2月設立された養老鉄道です。
(運営の移管は10月)

ただし、線路や車両などの施設は
近鉄が引き続き保有しています。
よって車両のカラーなどは近鉄時代のままです。

そんなわけで、
なかなか本腰を入れて撮影しようという気にならなかった
というのが本当のところです。

610系は全く撮影できていないし、
600系のサハ550形も、ありません。
不十分ではありますが、お許しください。

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養老鉄道 600系 606系 620系 625系
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なお不足分は近鉄時代のものでご覧いただけます。
近畿日本鉄道/ ■養老線 600系 610系 620系
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2011年5月 3日 (火)

東武 電気機関車 車掌車 にデータを追加。

Tob_ed5073

東武には、本線用の電気機関車として
EE製のED4000形、
東芝製のED4010形 ED5000形、ED5060形、ED5080形
日立製のED5010、ED5050形がいました。

主に伊勢崎線・佐野線・小泉線・桐生線等で使用されていましたが、
1980年代以降急速に数を減らし、
2003年9月30日に貨物運用が廃止。
東武線からその姿を消しました。

ED5000系列は、クラシックな箱形電機に見えますが、
ED5080形に至っては1970年生まれです。
それより、5年前の1965年には、
国鉄でEF65(自動進段電動カム軸制御・バーニア制御)
がデビューしています。
思っていたよりは古くないんですね。

ED5001は1979年に三岐鉄道に移り、右側運転台化、
重連総括制御化改造を受けており、
現在では車番も同社在来機の続番であるED458として活躍中です。

ED4000形については、近江鉄道へ譲渡されましたが、
2009年、東武へ里帰り、登場当時のED10形として博物館入りしています。

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2011年5月 2日 (月)

JR北海道 721系近郊形交流電車をUP

JR北海道721系は1988年に
札幌近郊の通勤通学輸送改善を目的に開発された
サイリスタ連続位相制御の交流電車です。
車体は軽量ステンレス製で、3ドア車となりました。
新生JR北海道の旗手となる車両と言っていいでしょう。

Jrh_721_f0013_1

1992年には新千歳空港アクセス用の6連がデビュー。
快速エアポート用として増備されました。
以後VVVFインバータ制御となった1000番台。
IGBT-VVVFインバーターに変更された4000番台.5000番台まで
15年の長きにわたって製造されています。

0番台についても2002年以降
130km/h対応改造を受けたものが現れ、3000番台を名乗ります。

今回の画像は26枚です。
全然足りません。F1009編成などゲットしたいなあ。
パンタがシングルアームになった711系も
撮影しなきゃいけないし…。

しかし、おいそれと北海道へは行けません。

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2011年5月 1日 (日)

近畿日本鉄道 内部八王子線 ’08  パステルカラーをUP

内部八王子線は、1989年ワンマン化。 2008年には、
各車ごとに異なるパステルカラーを採用するようになりました。

個人的にはあまり似合っているようには思えません。

現存する内部八王子線の車両で注目してほしいのは
Knr_utube2_114_

ク110形(ク114・115)です。
260系に準じた構造の運転台ユニットを取り付けたTc車ですが。
もとは三重交通サ360形(1954年製)で
近鉄サ130形(1965年改番)を経て
ク110形に改造(1982.3年)されているものです。
(サ131・133→ク114・115)
台車は新製のKD-219Eに交換され、
内装も260系に準じたものになりました。
旧型車の名残は側面窓がバス窓のまま残されているぐらいです。
とはいえ、本来のTc車のク161形より、
私には、デザイン的に優れているように思えます。
少なくとも、古くさくは感じられません。

ちなみに111~113が存在しないのは
下一桁をク160形の続番としたためです。
かつては下一桁をあわせて編成を組んでいたわけで、
ク111~113が存在しないのもそうした理由からなのですが、

今回、撮影した2008年4月では、
この原則は守られていません。

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近畿日本鉄道 内部八王子線 ’08  パステルカラー 

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