« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »

2011年4月の記事

2011年4月30日 (土)

近畿日本鉄道 内部八王子線 ’92 をUP

内部・八王子線は、北勢線と同様、
特殊狭軌線(軌間762mmと)であるがゆえに、
旧型車が長年にわたって使用されてきました。
しかしこれらの旧型車は直接制御なので、
折り返し時には機回しをする必要があり、
非効率的で問題となっていました。

Knr_utsube_262

そこで、間接制御で総括制御できる新造車が
投入されることになりました。これが260系です。

一足先に(1977年)北勢線に投入された270系を基本とする
15m車ですが、スクエアな車体でロングシートであった
270系とはちがって、固定クロスシート車となっており、
傾斜した全面窓をもつスマートな車体となりました。

モ260形(261 - 265)とク160形(161 - 163)、の合計8両が、
近畿車輛で1982~1983年に製造されました。

260系を新造した近鉄ですが、
在来車を完全に淘汰したわけではありません。
三重交通時代に新造された車両のうち
比較的経年の浅い車両は極力流用され、
1949年製のモニ220形については
電装解除してサ120形に改造しました。
1954年製のサ130形(旧三重交通サ360形)については、
260系タイプの運転台を取り付けク110形に改造しました。
(そのまま更新工事を実施してサ120形に改造されたものもあり)

鉄道車両写真集 
近畿日本鉄道 内部八王子線 ’92のトップページへJUMP

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月29日 (金)

近畿日本鉄道 内部八王子線 1977.82年をUP

Knr_utsube_old_07

内部八王子線は、1978年、北勢線の近代化によって
余剰となったモニ220形225-227を受け入れ、
在来車を淘汰しました。

ここでは、そのとき姿を消した
モニ230形やモニ240形などをご覧いただきます。
ただ、残念ながら彼らのデータがありません。

モニ210形にしても、
田中車両製とする文献と日本車両製とする文献とがあります。

そんな点からしても
遠い過去の話なんだなあ。と思わずにはおれません。

また、過去のモノクロ写真を見ていると、
私も昔は抒情派の鉄チャンだったんだ。

鉄道車両写真集 
近畿日本鉄道 内部八王子線 1977.82年
のトップページへJUMP

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月28日 (木)

日立電鉄の旧型車 1983.87年をUP

Hitachi_11

日立電鉄が、2005年に廃止されて、
早いものでもう6年の歳月が過ぎてしまいました。

かつて、J鉄局のHP”珍車ギャラリー”で、
日立電鉄の最後を飾る電車となる2000形をご紹介したのですが、
彼らが登場する前、すなわち1991年以前はというと、
実にバラエティーに富んだ旧型車両が活躍していました。

今回の画像は、2007年5月にUPしたものですが、
画像も大きくし、データも見やすくしてみました。

編成を組んでいたものについては、
編成ごとにまとめてみました。
実態と合っていない写真もありますが
私鉄電車編成表 83年版をもとにしています。
参考までに

鉄道車両写真集
日立電鉄の旧型車 1983.87年のトップページへJUMP

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月27日 (水)

日立電鉄 2000.3000形をUP

Hitachi_2002

日立電鉄 2000形.3000形は
営団地下鉄銀座線の2000形を改造した車両です。
(1991~97京王重機整備改造)

導入にあたっては、レール幅・集電装置が異なるため、
日比谷線 3000系の
FS-510形台車・パンタグラフ・主電動機などを流用しました。

2両/3両編成用となる片運転台の2000形17両
(Mc-2000形10両・Tc-2200形7両)、と
単行運転用となる両運転台の3000形7両が存在しました。

乗客離れに歯止めをかけようと、
起死回生の思いで導入された日立電鉄2000、3000形でしたが、
2006年に日立電鉄は廃止され、
彼らも同じ運命をたどりました。

撮影は、1992.4.4と1994.8.4です。 

2000形については編成でまとめました。  
参考にしたのは、私鉄電車編成表93.97年版です。

鉄道車両写真集
日立電鉄 2000.3000形のトップページへJUMP

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月26日 (火)

JR九州  キハ58系 65系 一般型をUP

キハ58.65系は、国鉄時代の急行用気動車の代表選手ですが、
JR九州のキハ58.65系は、一般用としても使用されていました。

Jrq_dc58_214

キハ40系、あるいは415系電車などと同じく
JR九州標準色を採用したJR九州のキハ58.65系たちは、
九州各地でその姿を見ることができました。

とりわけキハ58形の後期形にあっては
近郊化改造された車両も多く存在し、
固定クロスシートからセミクロスシートに改造されています。

定期運用を退いた後は、
臨時用に一部が残り運用されていましたが、
これも2007年12月にさよなら運転を行っています。

鉄道車両写真集
JR九州   キハ58系 65系 一般型のトップページへJUMP

長崎地区の「シーサイドライナー」色などは、
急行用に編集したページをご覧ください。
鉄道車両写真集
JR九州 キハ58系 65系 急行用のトップページへJUMP

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月25日 (月)

Dr'Kの「女性専用車両終日化 雑感」

4月18日に女性専用車が全日、終日化されたが、
何でもかんでも女性専用車と誤解をしている
乗客が多いと感じる。

大阪環状線内を走行する一般車両は、
1両あたりの片側の乗降ドアの数(3ないし4箇所)で
ホームの並び位置が設定されているが、
女性専用車両の案内が不十分で、
女性専用車の設定がない列車にもかかわらず
権利意識を持った女性客が不当な注意
(「ここは女性専用だから男性は乗るな」といった)をし、
トラブルになっているケースが見受けられ、
あまり気分のいいものではない。
 
大阪環状線・ゆめ咲線で走行している3ドア車と言えば…
① 奈良区の221系6連、8連(4連×2を含む)
② 日根野区の223系、225系5000番台4連×2     など
これらにはいずれも女性専用車両は設定されていない。

大阪環状線・ゆめ咲線で走行している4ドア車と言えば…
③ 森ノ宮区の103系及び201系8連(朱色1号)
④ 森ノ宮区に転属間もない上記8連のうち、
前所属色(青22号、黄緑6号)のまま放置されているもの。
あるいは混結編成。
⑤ USJラッピング車(ゆめ咲線区間運転仕様)の
森ノ宮区103系6連4種。
⑥ 数はめっきり減ったが、奈良区103系4連×2
がある。

だが、そのうち、JR西日本のHPの案内で
女性専用車両の設定があると案内されているのは
③の8両編成のみで、実際に
女性専用車の案内ステッカーが車両に貼られている
(6両編成のものには女性専用車の案内ステッカーがあるが、
環状線には入ってこない)。
なお、このステッカーには環状線内のみで
女性専用車が設定されていることが明記されている。

しかし、ホームの案内表示は、
4ドア車両の並び位置である当該箇所には、
すべての車両に女性専用車があるような記述になっている。

大和路線内では記載のある設定該当列車についての
記述が、環状線内の各駅の表示には一切なく、
ここから男性が乗車することを禁じている
かのようになっているのだ。

とくに環状線各駅から奈良方面へ行く場合で
⑥の電車で運行される大和路線直通電車を少し前から待つとし
よう当該電車が来るまでに通常の環状線電車を数本見送ること
になるが、この位置に並べる状況ではないので、女性専用車を
設定されているのとなんら変わらないではないか。

特に新今宮駅3番線、大阪駅3、4番線のものは
特にひどい。

新今宮駅3番線は、
通常は大和路線の難波行が発着するホームだが、
大和路線や阪和線から直通する環状線外回り電車も発着する。
その中には③④で運行されるものも少なくない。
さらに、③④で運行される難波行もあり、
これには女性専用車の設定がないので非常にややこしい

ここでは、男性が誤乗することが多いが、
土地柄の問題で片付けないでほしい。

女性専用車の設定自体関係ない3ドアの車両についても、
その両端のドアの位置と、
4ドアの車両の両端のドアの位置が近いため、
関空/紀州路快速を待っている際にも
同様のトラブルが起こる
(この場合は途中で分割があるので、
乗る車両がより限定されるためその傾向が大きい。
特に朝ラッシュ時の関空行き関空快速において顕著。
関空快速の連結位置が前であり、4号車は関西空港駅で
エスカレータの前に停車することから)。
とくに、3ドアと4ドアの並び位置すら
明確に分けていない駅(鶴橋など)の場合、顕著だ。
(このトラブルのほか、割り込みだということでもトラブルに
なる)
ついては、煩雑にはなるが、
環状線のすべての駅で、大阪駅の5、6番乗り場のように、
3ドア、4ドアとも、2箇所ずつ、
4種類の並び位置を設定するのがよいと考える。
その理由は、特に内回りの場合、
環状線電車とともに同じホームから発着する他線に
直通する列車(特に関空快速)を待つ客が
少なからずいるからである。

大阪駅3、4番線の女性専用車の乗車口案内は、
3ドア、4ドアの各車両の両端ドアの位置が
同じ位置になっているうえ、
やはり設定されている車両についての記述が一切ない。
そのため、3ドアの列車についても、
当該位置の車両については、
男性は中央のドアからしか乗車できない状態であり、
着席チャンスが平等でなく女性に比べ不利である。

207系に関しては、LED表示、321系にはそれに加えて
フルカラーの液晶ディスプレイもあるので、そこで
女性専用車のステッカーと同じ画像、文字情報を
必要な時だけ表示するようにすれば、ステッカーの貼付は
不要で、設定条件外はこの表示をしないように設定でき、
誤解は減るだろう。

また、大和路線の場合は、
④⑤の電車で運行される環状線直通の区間快速についても、
新今宮駅から女性専用車が設定されることが
わかる案内が必要。
環状線についても、時刻表を見れば一目で
女性専用車の設定の有無がわかるようにすべきだ。

同様に、普段は環状線を走行する
④のオレンジ色8両編成の電車が大和路線や
ゆめ咲線を走行している場合、
女性専用車の設定はないが、
設定区間の記述(大阪環状線内)が非常に小さいため、
大和路線内、ゆめ咲線内でも女性専用車両が
設定されていると勘違いしている客が少なからずいる。
これについてもやはり案内が不十分で、
同様のトラブルになっているケースが非常に多く、
非常に不快である。

明らかに、あれだけうるさく執拗なまで
(協力により「男性である」というだけの理由で
大きな不利益を強いられる男性の立場に
配慮のない不十分な案内を毎日いやというほど
聞かされるだけでも気分が悪い)に女性専用車に
協力せよと声高に案内するJR西日本の案内のしかたに
大きな落ち度があるのではないか?

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2011年4月22日 (金)

珍車ギャラリー JR東海 キヤ97系 レール運搬車をUP

JR東海においては、かつて、EF64、EF58、DD51形など
機関車がコキ(コンテナ貨車)改造のチキを引き連れ、
現場までレールを搬送していました。

ところが2007年。JR東海は今までに例のない
気動車による在来線用のレール運搬車を登場させました。
Jrt_kiya_97_0

-キヤ97系-です。
エンジンはというと、キハ85系などと同系列の舶来品です。

なぜ、気動車なのか。
なぜ、ハイスペックの高性能エンジンを搭載したのか。

続きはこちらを…
珍車ギャラリー JR東海 キヤ97系 レール運搬車をUP

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月20日 (水)

JR東海  事業用気動車 キヤ95系 キヤ97系をUP

Jrt_dr_tokai_0

キヤ95系 「ドクター東海」は, 1996年に
在来線用の軌道・電気総合試験車として誕生しました。
キハ75系のエンジンであるカミンズ社製
C-DMF14HZB (350ps) を両先頭車に各2基搭載し、
ブレーキは電気指令式空気ブレーキを採用しました。

これにより最高速度は120km/hとなり、
営業列車運転中の時間帯でも
他列車の運転に影響を与えることなく
検測列車の運転を可能としました。

まさしくドクターイエローの在来線版といえるものです

気動車ですから
電化区間・非電化区間を問わず検測に活躍しています。

2005年にはDR2編成を加え、2編成体制となり
1ヶ月に2回のペースで
JR東海の在来線全線の検測を実施しています。


Jrt_kiya_97_0

キヤ97系「 レール運搬車」は、
2007年、国内初の気動車による
在来線用のレール運搬車として誕生しました。
25mの定尺レール運搬用である2両編成のR1~4編成4本と、
200mのロングレール運搬用である、
13両編成のR101編成が存在します。

エンジンはカミンズ社製のC-DMF14HZC (360ps) で、
ブレーキは電気指令式空気ブレーキを採用していますが、
自動ブレーキも併設し
機関車による牽引も可能となっています。

鉄道車両写真集
JR東海  事業用気動車 キヤ95系 キヤ97系
のトップページへJUMP

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月19日 (火)

名鉄 揖斐線,谷汲線の鉄道線車両をUP

Mt_ibi_702

名古屋鉄道のモ700形は、
デセホ700形として10両(S2年日車)新製されました。
車体は半鋼製となる昭和初期の典型的な車両です。

名古屋鉄道のモ750形は、
デセホ750形として10両(S3~4年日車)新製されました。
700形の増備車で車体外観は、ほぼ同じ、
主要機器も700形に準じています。
ただ台車がST43からST56に変更され、
車輪径が異なっていました。(後年、統一されました。)

最終的に揖斐線・谷汲線に集結してゆくことになります。
(702 - 704=3両)(751・752・754・755・758・759=6両)

名古屋鉄道のク2320形は、
愛知電気鉄道 電7形として10両(T15年日車)新製されました。
1964年に、制御車化 2325・2327が1973年に、
1978年に2323・2326も揖斐線・谷汲線へ転じています。

Mt_ibi_2327

1997年からモ780形が新製され、
それに代替される形でモ700形.ク2320形は形式消滅しました。

モ750形については
1997年に752・758・759が廃車されましたが
751・754・755については
揖斐線、谷汲線が廃止となる2001年まで使用されました。

1928年から2001年まで、73年という長寿命だったわけですが、
名古屋鉄道の歴史をそのまま背負ったような車両が
21世紀まで活躍していたとは驚きとしか言いようがありません。

鉄道車両写真集
名古屋鉄道 揖斐線谷汲線 700形etcのトップページへJUMP 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月18日 (月)

京王電鉄 6000系をUP

Ko6714

6000系は1972年から91年にかけて製造された通勤形電車で、
合計304両製造されました。

5000系で使用していた分割特急を置き換えるために、
5+3に組成されたグループである0番台。

地上用の8両編成および
増結用2両編成のグループである10番台。

ラッシュ時の混雑対策用として5ドア車となった20番台。
(これが最終グループ)

都営新宿線乗り入れ用に
ATCや無線装置を搭載したグループである 30番台など、

京王線のまさに主力であった系列です。

2011年春、系列消滅しました。

鉄道車両写真集
京王電鉄 6000系のトップページへJUMP

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月17日 (日)

伊豆箱根鉄道 大雄山線 5000系をUP

伊豆箱根鉄道5000系は、
大雄山線の主力であった旧形国電たちを置き換えるために、
1984年から1996年にかけて、東急車輛で製造されました。Izu_hakone5501

現在、大雄山線は5000系(7編成)で運行されています。

駿豆線用の3000系がベースとなっていますが、
3000系との違いは、コンパクトになっていることで、
車体長は18m。
車体幅も2,800mmで裾絞りなしの形状となりました。

第1編成はスチール製ですが、
第2編成からは、軽量ステンレス車体に変更されました。
第6編成からは、スカートが装着され、
パンタグラフも下枠交差形に変更されるなど変化が見られます。
また、内装についても、
扉間の座席が転換クロスシートとなりました。

鉄道車両写真集
伊豆箱根鉄道大雄山線5000系のトップページへJUMP

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月16日 (土)

伊豆箱根鉄道 大雄山線で活躍した旧型国電たち をUP

大雄山線では、70年代から80年代にかけて、
17m国電がルーツとなる旧型電車が活躍していました。

これらには国鉄から転入した車両と
西武鉄道クハ1300形や相模鉄道2000形を経て
譲り受けた車両があります。

Izu_hakone_161

なかでもモハ160番台を名乗るものは
相模鉄道時代に車体更新を受けており、
17m 国電でありながら張り上げ屋根になっています。

事業用に残されたモハ165(→H8 コデ165)を除き、
1996年には全廃されました。

今回の写真は、2007年5月にUPしたものですが、
見やすくなるように、編成ごとに編集し直し
データも追加しました。
画像をBIGサイズに変更していますので、
模型好きの方にも是非ご覧いただきたいと思います。

鉄道車両写真集
伊豆箱根鉄道 大雄山線で活躍した旧型国電たちのトップページへJUMP

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月15日 (金)

Dr'K 4月の鉄旅 Maxとき→はくたか→きたぐに

・MAXとき329号( 大宮 15:38 ⇒ 越後湯沢 16:23 )
研修は13時に終了。
大学時代の友人M氏と待ち合わせて大宮駅付近で昼食をとる。
M氏と大宮駅で別れ、新幹線乗り場へ。
普段はいろいろな愛称がみられ
バラエティに富む東北新幹線の発車案内表示が
那須塩原行「なすの」一色なのはやはり心が痛む。
早く元の色とりどりの発車案内がみたいものだ。

MAXとき333号は、E4系8両編成。
この車両も、自由席のふざけたレイアウトと
デザインのセンスのなさで、
あまり好きになれない車両の一つ。
今回はそんな車両が多いなぁ。

この列車は北陸連絡を主眼に置いた速達便のため、
大宮を出ると次の停車駅が越後湯沢で、
ここから新潟までは各駅停車。
落ち着いて乗るために1階を選択する。

今回の大宮駅付近某所と石川県某所への出張研修は、
技術習得、技術向上が目的で、普段使わない体を
使った研修のため、受講後疲れる。45分間爆睡。

・はくたか18号( 越後湯沢 16:34 ⇒ 富山 18:40 )
編成は、基本・付属ともJR西のホワイトウイング681系9両編成。
一部の「はくたか」は地震の影響で
所定9両が基本編成のみ6両に減車されているが、
この列車は9両だった。

定刻に越後湯沢を発車し、上越線を北上する。
4月になったというのに車窓には雪が残るところも見られる。
上越国際スキー場付近で「はくたか17号」とすれ違う。

列車は10分強の走行で六日町手前から減速し、
徐行で六日町を通過。
この先でポイントを渡ってほくほく線に入る。

十日町に停車。
臨時「はくたか」が運転される時はここでも交換する。
普通列車との交換はトンネル内の儀明信号場。
虫川大杉駅では運転停車しはくたか19号と交換。
ここから先、ほくほく線内での交換列車はいない。

ほくほく線内はトンネルだらけなので
あまり景色を楽しめないが、雪が残るところも少なくない。

そうこうしているうちにくびきを通過し、
カーブすると大きく減速。高速走行は犀潟までで、
ここから複線の信越線に入る、
まもなくHK100単行とすれちがい、直江津に到着。

ここからはJR西日本の区間。
富山までに糸魚川、黒部と約30分毎に停車するが
乗客は、大きく減らない。

糸魚川では大糸線に移ったキハ120が停車中。
キハ52がいたころが懐かしい。

魚津を出ると約15分で富山。
富山で下車したが、ここはやはり下車客が多い。
なじみの寿司屋へ。

雷鳥ラストランでは、時間と体力の都合上、
富山まで足を伸ばせず4ヶ月ぶりの訪問
(この前の訪問は12月の鉄旅時)となった。

ほとんど地元の魚で賄うが、
ここ富山でも地震の影響がゼロではないとのこと。

この時期の北陸といえば、
当たり前だが、ハチメ(メバル)とサヨリの造り。
ホタルイカも忘れてはいけない。
例によって例のごとく、看板まで話も尽きず。

・きたぐに( 富山 2:22 ⇒ 新大阪 6:47 )

4月になったとはいえまだまだこの時間は寒い。
少し早いが、このままロスなく出勤できるので、
「きたぐに」B寝台下段で大阪に帰る。

震災直後は「きたぐに」も運休になっていたようだが。

やはり583系の下段は広い。
ただ、さすがに485系よりも古い…。
適当な代替車両がないから、
これもまた近々廃止の憂き目にあうのか…。

普通に考えれば、681系か683系だろうが、
寝台がなくなると、
寝台があるから乗っていた層が乗らなくなる
「ちくま」や「だいせん」がまさにその例。
とくに、「ちくま」は当時最新鋭だった
383系を「しなの」の間合いで利用していたのに、
結局廃止、ってことになるんだろうなぁ

(683系の3連寝台バージョンなんて作らないだろうから)。
銀河も復活して、銀河と共通運用すれば、
それなりに使うと思うけど…。

酒の力もあり爆睡するが、
悲しいかな身体が5時半という時刻を覚えている
(転勤後も乗るバスは1本遅くなるだけなので、
起床時間も今までとほぼ同じ)。
列車は定刻の運転で、能登川付近を走行中。

通過する各駅では、朝早い通勤通学客が列を作っている。
この4月からは。通勤手段がJRに変わったが、
朝は新快速がないため、快速での通勤となるが、
平日朝の快速は外側線を走行し普通に邪魔されないため
昼間よりもだいぶ速いが、12両と編成が短いため混んでいる。
しかし、今日に限っては、
新大阪までそのまま「きたぐに」なので、
ゆっくり通勤できる。

新大阪では普段と同じ17番線着。
そのまま地下鉄で出勤。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月14日 (木)

Dr'K 4月の鉄旅 みずほ→指宿のたまて箱→787きりしま

4月の鉄旅

4月1日付で異動があった。
元々は3月13日だった埼玉県某所への出張がさらに遅れ、
新年度にずれ込むことになった。

その前に、とりあえず「指宿のたまて箱」のリベンジを、
(そのいきさつについては、こちらを)と思い、再び鹿児島へ。

ちなみに、4月1日現在、
営業運転しているJR特急用(新幹線・在来線とも)車両で、
今乗れていないのは、
785系300番台と「指宿のたまて箱」だけ。

ちなみにE5系は、出張予定だった3月12日の仕事の下見で
3月6日に仙台を訪れた時に乗っている。
(「はやぶさ1号」東京~仙台間普通車)
なお、この時にグランクラス乗車をチャレンジした。
2回目のチャレンジで12日にゲットしたが
例の地震で乗れずじまい。

サイキョージ氏ご夫妻とまさかまさかの同一行程とは…。
異動がなく、出張が変更後予定通り年度末なら、
鹿児島中央~南宮崎間は「きりしま14号」という
まさかの場所で、
サイキョージ氏ご夫妻とお会いしてたかも…。

・みずほ603号( 新大阪 7:50 ⇒ 鹿児島中央 11:36 )
新大阪駅のロッテリアのモーニングをテイクアウトし、改札を入る。
確保した席は半室構造の6号車の普通席窓側。
287系と同様、グリーン席を通り抜ける動線が気になるので、
JR四国の「しおかぜ」や「南風」のように、
デッキが前後の2か所あるわけだから、
乗車を振り分けて案内すべきだと感じる。

新神戸まではわずか12分だが、
新神戸を出発してしまえば
あとは連続停車する小倉~博多間(16分強)を除くと、
停車駅間が30分以上開くので
「さくら」よりも落ち着いて乗れるのがいいところか。

静かな車内と見飽きた車窓、トンネルの多さからか、
サイキョージ氏ではないが、
岡山から博多までの記憶がない。

博多と熊本ノンストップはやはり爽快。
前回、開業当日(3月12日)は往復とも「さくら」だったので、
新鳥栖(復路は新玉名も)に途中停車した。
 博多~熊本間ノンストップと言えば、
かつて「有明」のノンストップ便があって

それに乗ったことを思い出した。
「みずほ」は勾配をものともせず
(でも、明らかに線形の悪さはわかる)、
33分で突っ走ってしまうのでそれとは比較にならないが、
爽快なものだ。

新八代以降の先行開業区間になると
またトンネルばっかりの車窓になるし、
前回も熊本以南はこのスジで移動しているので、
新八代以南の記憶がない。
鹿児島中央に着く直前まで爆睡。

・指宿のたまて箱3号( 鹿児島中央 11:52 ⇒ 指宿 12:43 )
・指宿のたまて箱4号( 指宿 12:52 ⇒ 鹿児島中央 13:46 )

キハ200・220の「なのはな・なのはなDX」が
速度的にも設備的にもそれなりによい出来だっただけに、
停車駅を削減した割には、
ほとんどスピードアップせず、車両もキハ47系という、
予想通り「はやとの風」の再来という思いを実感。

スナックに行って、お気に入りの女性が30歳になった途端、
目に余る若づくりをして出てきた感じ。

JR西の快速列車である
「瀬戸内マリンビュー」「みすゞ潮騒」といい勝負というレベルだ。

私は、12月に、JR東の「リゾートしらかみ・新青池」
(HB-E300系)に乗ってきている。
2010年12月の鉄旅参照)、
しかも、これが快速ときたもんだ。
悪いが、これが相手だと手も足も出ずの完封負けである。

「海幸山幸」もそうだが、
牟岐線の特急「むろと」がキハ47系で代走したようなもの。
観光の目玉の特急にするには完全に役不足。
改造車で特急にするなら、
JR西のかつてのエーデルぐらいのレベルが最低ライン。

まったく、サイキョージ氏の仰せの通りで、
1100円を払う価値はない。
まさに「ぼったくり箱」と言われぬためにも、
510円の指定快速が妥当だろう。

どうしても4人がけのボックスを、ということなら、
お年を召した方も多いので、「京とれいん」のように、
いっそのことグループ向けにはお座敷風の方がよかったかも。

快速にして、自由席を1両設けて
地域住民の足としても機能するようにした方がいいだろう。

折返し時間もそこそこに、そのまま乗って鹿児島中央へ戻る。
市電に乗って、おそ昼のラーメンを食す。

・きりしま14号( 鹿児島中央 16:23 ⇒ 南宮崎 18:22 )
・にちりん17号( 南宮崎 18:41 ⇒ 宮崎空港 18:46 )

鹿児島で787系を見るのは
九州新幹線の南側ができる前以来なので久し振り。
元有明787系の4連。

JR九州になってからの車両は、ケバさが目立つからか、
JR九州の車両を私はどうも好きになれない。
787系もその一つ。設備的にはよくできているが、
885系以外は必要以上に派手で落ち着かなく感じられるのだ。

出発してすぐの鹿児島駅で、
ボッタクリ特急のパイオニア「はやとの風」と出会う。
「きりしま」も一部は隔駅停車(それもほぼ各駅停車)で
ボッタクリ特急の1つ。
鹿児島の次は加治木だが、ここから霧島神宮まで連続停車。
ここからは眠ってしまったらしく、
特急と2本交換しているが記憶にない。
降りる一つ手前の停車駅の清武で目が覚めた。

宮崎まで乗っても乗換はできるが、南宮崎で下車。
19分の待ち時間で交換列車をカメラに収めた。

「にちりん17号」は783系ハイパーサルーン5連。
デビュー当時の赤ラインの783系はよかったが、
リニューアルごとにヘンな色になっているので、
なんかもう…。ま、5分しか乗らないからいいけど。
ちなみに、宮崎~宮崎空港間は、
普通が極端に少ない時間帯があるため、
特急券なしで特急の自由席に乗ることができる。

宮崎からは羽田行き最終全日空便で移動。
赤羽駅近くの定宿に宿泊し、翌朝大宮駅からほど近い、
昨年8月17日「スカイアクセスに乗ってきました」でも
訪れた出張先へ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月12日 (火)

近畿日本鉄道 北勢線 1977年をUP

北勢線のルーツは、
大正3年に西桑名-楚原間を開業させた「北勢鉄道」です。
762mm軌間のSL鉄道でしたが、
昭和4年に全通したその2年後に電化されています。

その後、「三重交通(1943)」になり
「三重電気鉄道」と名を変えた
北勢線を近畿日本鉄道が合併したのは1965年のことです。

以後、大きな変化が起こったのは1977年でした。
5月には 北大社車庫竣工。 西桑名駅は移転しました。

ここでは、西桑名駅が移転して間もない、
1977年夏の北勢線をご覧いただきます。Knr_hokusei_old_225

私が、北勢線を訪れたのは、この時が、初めてです。
この時は、まだ、
北勢線電化当時に製造されたモニ220形の天下で、
終点の駅では、モニ220形が機関車のように
機回し線を通って最後部のサハ(客車)に連結され、
向きを変えて、3,4両のサハをしたがえ、
もと来た道を帰って行くという、言わば、
「時間が止まったのではないか?」
という光景を眼にすることができたのです。

しかし、10月には
新型車両8両(モ270形271 - 276、ク170形171・172)が
北勢線に配置されることになります。
総括制御が可能なモ270形に加え、
モニ220形も、総括制御が可能なモ220形に改造され
もう、こういう光景を見ることはできなくなりました。

貴重なシーンをご覧ください。

鉄道車両写真集
近畿日本鉄道 北勢線 1977年のトップページへJUMP

なおこの時、
旧型車両11両が内部・八王子線に転属しました。
(モニ220形225 - 227、サ130形133、サ150形151 - 157)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月11日 (月)

近鉄 北勢線 1977~92年をUP

Knr_hokusei_274

近鉄 モ270形は、
近鉄に統合されてから12年目になる1977年に
北勢線近代化のヒーローとして登場しました。
三交時代に作られたサ147から数えて15年ぶりの新車です。

間接制御ですから、
同時に制作されたク170形から総括制御することができます。
もう機回しをする必要はなくなりました。
在来車であるモニ220形も総括制御ができるように改造され、
北勢線のスタイルは大きく変わりました。

古き良き時代に終わりを告げたモ270形は、
鉄道マニアからは、歓迎されたとは言い難いのですが、
北勢線の歴史を大きく変えたことには違いありません。

ここでは、1977年にモ270系が投入され、
近代化がなされた時分から
1992年にワンマン化がなされ、
新塗装に至る以前の画像をまとめました。

鉄道車両写真集
近畿日本鉄道 北勢線 1977~92のトップページへJUMP

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月10日 (日)

珍車ギャラリー 京王電鉄 6000系6022FをUP

異端車といえば、多扉車もそうですが、
山手線で活躍していたJR東日本のE231-500なんかは哀れですね。
山手線のホームドア化に伴う処置ですが、
他路線に転出することもなく、解体の憂き目に遭っています。

さて京王電鉄の6000系ですが、
4ドアの標準車に加え5ドア車もいました。Keio_67721

そんな5ドア車である6021Fにしても2006年9月。
相模原線の各停が8連化されたため運用から外れ、
2007年6月廃車となってしまいました。
運用期間は17年と6000系の中では最も短命でした。

ところが、この春引退した6000系で最後まで生き残ったのは
6000系の5ドア車である6022Fだったのです。

このように哀れな同類がいるのにもかかわらず、
6022F は、標準車である4ドア車よりも
なぜ、長生きできたのでしょうか。

珍車ギャラリー
京王電鉄 6000系6022F TAMA ZOO TRAINへJUMP

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月 7日 (木)

サイキョージ氏の「九州新幹線 みずほ」に乗ってきました。

3月27日(日)

九州新幹線は3月12日に全通したのであるが、
震災の次の日ということもあって
出発セレモニーもない、なにか寂しげな開通だった。

全通した九州新幹線に、
それも「みずほ」に乗ってやろうと考えて
予約しようとしたのは、地震の前の3月6日。

予約したのは27日の「みずほ」だから3週間前になる。
一ヶ月前ではないが、27日の指定は満席。
普通指定が2席分並びでとれず、
やむなくグリーンで席を確保した。

地震以後、キャンセル待ちが出たかもしれないが、
サイフは嫁さん持ちなので
今回は、このままグリーンで贅沢ををすることにした。
特急券をみて気付いたのだが
特急券、グリーン券とも博多で分割され,
たとえ鹿児島中央まで同一列車を使っても
JR西日本 区間とJR九州 区間とで
別計算されるので割高感が否めない。
いままでに買った特急券のなかで
一番高価なチケットになってしまった。
新大阪~鹿児島中央間、
特急券+グリーン券しめて¥18,630!
運賃を含めると飛行機より高い。

みずほのグリーン車はシートピッチが広く、
座り心地も申し分なく快適であった。
そのためにJR西区間では寝てしまい
その間の記憶が飛んでいる。
ただ1両の半分を仕切って普通車と分割しているので
のぞみのグリーン車よりも閉塞感がある。
また音楽が聞けるサービスがあるのだが
イヤホンは有料(350円)であるのも少しケチくさい。
以前白いソニックのグリーン車に乗ったときは
飲み物のサービスがあったのに
JR九州区間になってもそのようなサービスはない。
飛行機と張り合うんだったら
もっとサービスしろと言いたくなる。
博多~鹿児島中央間はさすがに早い。
1時間半ほどで鹿児島中央に到着。
博多~熊本間は勾配がきついと聞いていたが
まるでそれを感じさせない。
新八代からは,乗車済みだったのだが
あらためて乗ってみるとトンネルだらけで
車窓を楽しむヒマはあまりない。
みずほ603号は鹿児島中央に11:36に着き
指宿枕崎線に乗り換え、
新型特急「指宿のたまてばこ」に乗車。
全席指定で1時間しか乗らないのに
料金1100円とはまさに「ぼったくりばこ」
という表現がマッチするキハ47改造車だ。

座席は木製でおせじにも座り心地は良いとは思われない。
保線も悪くよく揺れる。
便利な快速「なのはなDX」の本数を減らしたのだから
全席指定の快速にして500円で乗れるぐらいにしないと
沿線の住民からも苦情がくるのではないか。

指宿からは未乗車区間の枕崎まで乗りつぶす。
途中、JR最南端「西大山駅」では2分間のサービス停車。
駅から開聞岳の風景を撮る時間があった。

枕崎駅は駅舎がない寂しい終着駅だった。
駅は町の顔なんだから行政側もなんとかしなくちゃ。
枕崎から指宿まで引き返し、指宿泊。

3月28日(月)

鹿児島市交通局の1日フリーキップを買い、
城山、磯庭園、天文館などを見て回る。
ここでも低床の市電がカッコイイ。
軌道敷に芝生が貼ってあるのは驚きだ。

鹿児島中央16:23発の「きりしま14号」で宮崎まで移動。
九州新幹線全通後、
日豊線の485系の特急は一掃されたようで
ガンダム顔の旧有明が4両編成で運用されていた。
車内のロゴは「Ariake」のままだった。

この日は宮崎泊まりである。

翌29日、青島まで普通で往復し
宮崎空港から午後便の ANAで帰阪した。

宮崎は飛行機が断然便利で
博多へ出るにも新幹線を利用しづらく
新幹線効果がいちばん期待できない地域だと思われた。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2011年4月 5日 (火)

局長 尼崎駅で撮り鉄 2011年.3月

この3月、ダイヤが改正されました。そんなわけで、
今回のターゲットは287系特急「こうのとり」です。

「こうのとり」の前身となる183系「北近畿」については、
485系「雷鳥」とセットで撮影することが多く、
撮影ポイントは、もっぱら新大阪駅でした。
でも、485系「雷鳥」は姿を消し、
681.683系についても、一通り撮影したので、
今回は、新大阪駅では撮影できない
宮原区の113系と併せて
尼崎で撮影しようと考えました。

もちろんこれらは、全て大阪駅でも撮影できます。
でも、大阪駅は、やはり人が多すぎます。
撮影ポイント一つ変えるにしても気を遣います。
誰かに目撃されるのも、ちょっと恥ずかしいし…。

そんなわけで、今日は「尼崎駅」です。
尼崎駅なら、ターゲットは②番線か⑦番線です。
被ることも少ないし、撮影には不向きですが、
貨物列車のチェックもできます。
もしレアな機関車でも付いていれば、
追っかけるつもりで出掛けました。

朝の満員電車から、はき出されるように下車しました。
実のところ287系「こうのとり」は、
この時間帯にはやってきません。
それなのに、こんな時間にカメラを構えるのは、
宮原区の113系がくると予想したからです。

昼間の丹波路快速は、223系6000番台だし
それ以外の列車も207系か、321系のオンパレード。
さすれば、この時間をおいて他はないと考えたのです。

しかし113系は、目の前で
福知山方面へ去っていった1本を見ただけで、
とんとやってきません。
「うーむ。
 ダイヤ改正で宮原区の113系も減らされたのかなあ。」
と思っていると④番線に
なんと、205系!がやってきました。Jrw_201103_1
たしか、321系の導入にあわせて、201系とともに
東海道山陽線を追われ、
阪和線にその活躍の場を移していた205系が
舞い戻ってきていたのです。

先日「天王寺駅で撮り鉄 2010年12月××日でも取り上げた、
吹田工場にいた205系に違いありません。

これは一時的なものではないように思われます。
なぜなら207系や321系と同じ鎮魂色
(尼崎-塚口間のあの事故以来、
被害に遭われた方の心情を配慮して塗り替えられた
紺とオレンジの塗装を勝手にこう呼んでいます。)
となっているからです。
(ちなみに、スカートにあった車番はありません。)
この朝、205系を3本確認しました。

この後、上り下り「こうのとり」をあわせて5本撮影しました。
1号は183系B61F 4号は381系
3号は183系B63F 6号は183系B64F
5号は381系

Jrw_201103_2

というわけで、ぜーんぜん287系がやってきませんね。
381系はここでは目新しいのですが、
183系は看板を変えただけなので、
とりあえず、撮っておこうという感じです。

かなり長時間、尼崎駅で粘っていることになりますが、
暖かくなったものですから、全然苦になりません。

来なくてイライラしていた宮原区の113系も
9時前から9時過ぎにかけて、
立て続けに3本やってきました。

Jrw_201103_4

287系については、予定通りですが、
8号(3両編成)10号(4両編成)と
二通りゲットしました。
後半ようやく、エンジンがかかってきたという感じです。

予定したものだけを撮影するのなら、
「もう少し朝寝坊できたな。」
とは思うのですが、
まあ、早起きしたおかげで、205系をゲットできたし、
早起きはやはり3文の得ということで、
尼崎での撮り鉄は終了いたしました。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

鉄道車両写真集 アクセスランキング 2011年1月~3月分を発表

--鉄道車両写真集--2011年1-3月 アクセス数- ベスト10

今回も地下鉄が上位を占めました。
「大阪市営地下鉄50系」が,連続一位をキープしましたが、
「営団丸ノ内線 300形ほか」が
2ヶ月分の集計であるのにもかかわらず、
一気に二位にランクインです。いずれにせよ、
もう姿を消したかつてのメジャーは人気があるようです。

一方、JR西日本の最新型である225系も
0番台、5000番台ともにそろってランクインです。

やはり、現存する中途半端なのはだめですね。

rank pt 期間 2011.1.1-3.31(3ヶ月分)  by;TypePad-cocolog-
1 772 P3 大阪市営地下鉄 50系:
2 545 S1営団地下鉄 丸ノ内線 300形 400形 500形 900形  new
3 493 JR西日本 225系0番台 東海道 山陽本線用  new
4 489 S3 大阪市営地下鉄 30系 3
5 482 P1 東武 5700系 快速急行だいや 快速たびじ 5
6 472 JR西日本 485系 スーパー雷鳥 new
7 458 JR九州 キハ58キハ65系 急行えびの.くまがわ.由布 new
8 439 P1 相模鉄道 3000系(3050系 3051F) 10
9 421 JR西日本 225系5000番台 阪和線用  new
10 418 国鉄形コレクション 481系-1 クハ481形 1~40 new
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月 3日 (日)

JR西日本 413系0番台 100番台をUP

413系は交直流用急行形電車である
471系(→0番台)・473系(→100番台)の
電装品・冷房装置・台車などを流用して
車体を新造した近郊形交直流電車です。

Jrw_413_b07_00

1986年に改造されました

B11編成のTcとなるクハ455-700番台は、
413系と編成を組むために
サハ455形を先頭車改造した車両で、
701と702の2両が1986、87年に改造されました。
ですから、B11編成は急行形と近郊形が
併結されているような格好になっています。

鉄道車両写真集
JR西日本413系0番台 100番台のトップページへJUMP

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月 2日 (土)

JR西日本 415系800番台をUP

415系800番台は
1991年の七尾線電化にあわせてデビューしました。

Jrw_415_c11_00_

七尾線は直流電化だったのですが、
交流電化の北陸本線と直通運転を行うため、
113系に交流機器を搭載して交直流電車に改造しました。
この辺のいきさつについては、
珍車ギャラリーで取り上げておりますので
是非こちらもご覧ください。→珍車ギャラリー クモハ415-801

当時、福知山運転所に配置されていた485系から
交流機器を捻出し、同区の113系800番台など
(一部は他区の113系0番台)に装備させています。
あわせて、延命NB工事を施行し、
車内のリニューアル(バケットシートに)や
冷房改造(AU75、一部WAU102)なども行っています。

車体塗装は、先頭車は青、中間車はピンクと
カラフルな出で立ちで活躍していましたが、
現在は単色化が進められています。

鉄道車両写真集
JR西日本 415系800番台のトップページへJUMP

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月 1日 (金)

珍車ギャラリー 近畿日本鉄道 200系 (もと三重交通モ4400形)をUP

Knr_hokusei_202

今回、この車両をUPする際に悩んだのが、タイトルです。

というのも、200系が、今は近鉄を離れ、
三岐鉄道北勢線の車両となっているからです。

現状からすれば、「三岐鉄道北勢線200系」とすべきですね。

しかし、同じ、三岐鉄道北勢線のクモハ270とちがって、
三岐鉄道の車両として、
大きな変化を遂げているわけではありません。

また200系は、
もとは三重交通のモ4400形としてデビューしたものです。
ナローゲージの車両としては、
革新的なテクノロジーを満載した歴史的な車両でしたから、
この名車をデビューさせた三重交通に敬意を表して
「三重交通 モ4401形」というタイトルにすべき
という思いもありました。

しかし、ナローゲージきっての高性能車は、
電装を解除され不遇を託つことになるのです。
近鉄の200系として生まれ変わった、
そのその経緯こそが今回のお話の主題となることから
「近鉄200系」としてご紹介することにしました。

あと三重交通モ4401形として存在していた
当時の画像がないということも大きいですね。

珍車ギャラリー
近畿日本鉄道 200系 (もと三重交通モ4400形)
へJUMP

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »