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2011年3月の記事

2011年3月30日 (水)

近鉄 北勢線~’02 をUP

北勢線は、近鉄時代の1977年に
大規模な近代化が行われています。

Knr_hokusei_271n_

その核ともいえるのがモ270形です。
間接自動制御(ABF)を導入することで
機関車のように機回しをすることもなくなりました。

ブレーキはAMA-Rでしたが、1991年より
ワンマン化にあわせてHSC化が進められています。

興味深いのは電装解除されているとはいえ
三重交通から継承された旧型車です。
なかでも200系(ク202-サ101-サ201)となった
三交モ4401形は
世界的に見て珍しいナローゲージの連接車です。

ここでは2003年4月に三岐鉄道に継承される以前の
北勢線をまとめてみました

鉄道車両写真集
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2011年3月29日 (火)

近鉄 養老線~’92 421、431、441系をUP

Knr_yoro_424

近鉄時代、養老線を走っていた421、431系は
元名古屋線の特急車(6421形、6431形)です。
441系ももと名古屋線用6441系。

狭軌化され養老線に入線。
しばらく6000番台のままでしたが、
先頭の6を取っ払って3桁に改番されました。

別タイトル(~’82旧型車)で、
6000番台もUPしていますが、
こちらの方が質量とも充実していると
思われますので
「同じのかあ。」などと思わず、
3桁もご覧いただきたいと思います。

鉄道車両写真集
近畿日本鉄道 養老線~’92 421、431、441系
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2011年3月28日 (月)

JR北海道 14系客車+DD51 急行「まりも」2代目をUP

Jrh_dd51_1063_marimo

急行「まりも」2代目は1981年、
石勝線開業にあわせて札幌 - 釧路間で運転を開始しました。
1983年に14系客車に変更。
1986年にはB寝台が2段化されました。
1988年には座席指定車「ドリームカー」を連結しています。
この当時の客レ5両の写真ですから、
1990年3月11日の撮影と思われます。
1993年3月、急行「まりも」は特急「おおぞら」と統合され
その姿を消しました。

鉄道車両写真集
JR北海道 14系客車+DD51 急行「まりも」2代目
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2011年3月27日 (日)

国鉄形車両コレクション EF58形

Jnr_ef58_1

EF58形はJR化される直前のS59からS61にかけて、
大量に廃車されました。
その時分に撮りためたコレクションを中心に、
JRが継承したものも加えてUPしました。計39枚。

鉄道車両写真集(本館)にあったものが大半をしめますが、
画像をサイズアップ。見やすいように補正して加えました。

タイトルに記した所属機関区は、
国鉄編成表83年版に準拠しています。

鉄道車両写真集 国鉄形車両コレクション EF58形
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2011年3月26日 (土)

江ノ島電鉄 ~’98 をUP

2011/03/26 タイトルを新旧で分割しました。
ここでみていただけるのは、83.3.12 98.8.23 99.12.23
に撮影したアナログ画像をスキャナーしたものです。
データも追加しました。

Enoden_352

江ノ電は大好きで、
結構撮影に出かけている方だと思うのですが、
特に古い画像の多くが行方不明で情けない限りです。

2連+2連で運行されるのが常なので、
同時に両方とも正面が撮影できないのため
編成写真が中途半端なのは、難点ですが
それでも、一通りはそろっていると思いますので、
是非ご覧ください。

83年版の編成表には、形式に「デハ」の記載がありません。
加えようか。どうしようか…?
判断がつかないままにUPしてしまいました。
ご教示いただければ幸いです。

なお2006年以降の新しいデジカメ画像は、
「江ノ島電鉄 2006~」をご覧ください。
2006年から2011年まで、
4回も撮影出かけているのですが
こちらも編成写真としては、まだまだ中途半端です。

鉄道車両写真集 江ノ島電鉄 ~’98 
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2011年3月25日 (金)

南海電気鉄道 貴志川線 2270系をUP

南海 貴志川線はS46以来、
1201形18m車が活躍していましたが、

平成7年。老朽化による代替用として
2270系(2連)を6編成導入しました。 Nk_kishigawa_2703

2270系は、高野線用のズームカー22000形(1969~)を
改造したもので、
MMユニットから1Mに、つまり
奇数車は電装を解除しクハ2701形に、
偶数車はモハ2271形に改められました。

22029・31・25・27・19・23F→2271~76F。

*貴志川線は2006年.4月。
和歌山電鐵に引き継がれましたが、
2270系は、現役で活躍中です。

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2011年3月24日 (木)

Dr'K 京とれいん(阪急6300系 6354F改)乗車記

「京とれいん」に乗ってきました。

通勤時に見たチラシを見てふらっと出かけた。
こういう時のために、遠出をした時には、
3dayチケットを買っておくと役に立つ。
先週、金沢で購入しておいて正解。 しばらく嵐山線内や桂駅の1番線で撮り鉄。
あいにくの雨だが、
普段は編成内に収まっている
7307や8312などの顔をおさめた。 桂発16:23の普通嵐山行は
「京とれいん」の送込み列車。 これに乗って車内をチェック。
車内は鉄チャンだらけ。 嵐山では割り込み乗車を防ぐため、
臨時降車ホームに降ろされる。 自動改札に向かうと、
駅員に臨時改札に案内されるが、
臨時改札には改札機がないので
ピタパ等の自動化券(出場記録)が必要な
客は仕分けが必要。 不定期客が多いのはわかるが、
その辺の案内の仕方が非常に雑。
乗客向けの案内に気を配っているようで
全然配れていないのが実情。 京とれいん(6354F改)
快速特急梅田行(嵐山16:38⇒梅田17:27) 1時間以上並んでいる人もいるが、
嵐山の時点で埋まっている座席は3分の2ほど。 6300系ラストランの時のような
ことにはならなかった。
列車は嵐山を定刻に出発。
嵐山線内は各駅に停車。
嵐山線は単線のため、各駅で行違いを行う。
元々は複線だったが、
戦時供出で嵐山行の線路を残す形で単線化され、
今も単線のままである。
普段は本線から撤退し、
4連にダウンサイズ、
リニューアルされた6300系が走っているが、
4号表(行楽ダイヤ)で運行される日は、
日中は各線からの臨時直通特急で使用された
ロング6連が使用されるのである。
松尾では後続の河原町行となる8312F、
上桂では神戸線用の7014Fとそれぞれ交換する。
普段は見られない車両が多いので、
鉄チャンが多く、フラッシュをたく馬鹿鉄も多い。
桂では定期特急7303Fを追うように1号線に到着。
向かいには嵐山から折返し宝塚行になる
7023Fが送込みの嵐山行きとして入線。
1号線ではこの列車が嵐山行ではないことを
しきりに放送している。やはりカメラが多い。
桂からしばらく河原行き線路を逆走し、
亘り線を通って本線へ。
座席はさらっと埋まっていて、
通路側にポツポツ空席がある感じの乗車率。
ここまでは淡路までノンストップ。
私が高槻市民だからではないが、
定期特急は行楽期、時間帯によっては
異常な(個人的にはラッシュ増結用と、
6連捻出のためにばらした
2連を使って10連にしろよ、と思う)
くらい混む列車もあるので、
秋の行楽ダイヤ時もそうだったが、
定期特急との乗車率の差を感じずにはいられない。
この臨時は快速特急ではなく、
本線の定期特急の救済の意味でも、
特急と停車駅をそろえて
(つまり、長岡天神、高槻市、茨木市にも停める)
運転すべきだと思う。
直通することと、本線の救済ができるが、
現状のダイヤは、
京都本線沿線の客にとっては
ダイヤを乱されるだけだし、
普段通りのダイヤにせよ、
臨時ダイヤのどちらにせよ、
桂で階段の上り下りを強要されるので、
同じホームで乗り換えられるようにするのと、
誤乗を防ぐ意味でも、
この3駅には停めるべきではないか、と強く思う
(とくに「京とれいん」以外のロング6連の2本は)。
現にかつては、
急行「さがのエクスプレス」として
運行していたではないか。 
それなりに快調に走るが、
定期特急の後追いをするので、
フルスピード、という感じではない。
長岡天神はそのまま流して通過するが、
水無瀬の手前からは
先行の定期特急に引っ掛かり徐行。
京大農場を過ぎたところからいきなり加速し、
目の敵のように高槻市を通過。 

茨木市もほぼ同じで、総持寺を出て減速し、
安威川をわたったとたん
また目の敵のごとく加速し通過。
ここからは上新庄を通過し、
東海道新幹線をくぐるまでは
往年の走りを彷彿させる快走。
新幹線をくぐると自動放送が入り減速。

4カ国語の自動放送があるのだが、
韓国語と中国語のとき、発音が面白いのか、
特に中国語の時に笑いが起きる。
九州新幹線の時はそういうのはなかったのだが、
あまり気分のいいものではなかった。 
淡路でもカメラを構える人は多く、
たまたまこの列車がきたからか乗車する人も多い。

崇禅寺では
1本前の臨時特急の折返し回送とすれ違う。
十三で大きく減るのは定期特急と同じ。 

梅田では2号線に到着。
各駅停車の合間をぬっての到着なので、
慌ただしく出ていく。

この回送は確か桂までのはずだが、
先の2本は特にだが、
本線の帰宅客の便を図る意味で、
回送ではなく臨時特急
(2番線発なので快速急行のほうがいいかも)
桂行として運行してもらいたい。

朝についても同様で、梅田への送込みについても
桂発梅田行の臨時特急(快速急行)で
運行してほしいものだ。

到着後、
十三の6号線から臨時特急宝塚行きに乗車し、
十三の9号線(宝塚線と神戸線の間にある引込線)
と西宮北口構内の短絡線を久々に味わってきた。
やはりカメラを構える人は多いので、
阪急も6300系ラストランの時のように、
6300系をジョイフルトレインとして
復活させるのなら、
撮影マナーの呼びかけは必要だと感じた。

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2011年3月23日 (水)

南海電気鉄道 貴志川線 1201形 21201形をUP

たま駅長で有名な和歌山電鐵は、
大正5年に開業した 山東軽便鉄道に端を発する
ローカル鉄道です。
昭和6年、和歌山鉄道となり、昭和18年全線電化。

Nk_kishigawa_1218

南海電気鉄道貴志川線になったのは
昭和36年のことでした。
ここでは、本線昇圧(昭和48年)前に
昭和46年から導入された1200形
(S8~製造、18m級600V車)と

高野線最初の新型車であった
21201形(S32製造,S51導入)をご覧いただきます。

平成7年2270系にバトンタッチするまで
20年あまり活躍しました。

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2011年3月22日 (火)

名古屋鉄道 瀬戸線 4000系をUP

Meitetsu_4000_02f_5

名鉄 4000系は瀬戸線用の車両としては
初めてのステンレス製車体です 。

「日車式ブロック工法」によるものとあって
名鉄3300系・3150系とサイドがよく似てます。

もちろんVVVFインバーター制御(IGBT)です。

2008年から導入され今後も投入が予定されています。

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2011年3月21日 (月)

近鉄 養老線~’82(旧型車) 5300形 5820形 ほかをUP

ここでは私鉄車両編成表83年版のデータをもとに、
その当時撮影したと思われる写真を中心に集めました。

Knr_yoro_5304

モ5300形は、関急がS12、日車で製造した1形。
すなわち「緑の弾丸」と呼ばれた名車です。

モ5820形は南大阪線の特急用「かもしか号」。

6421形、6431形も元名古屋線の特急車です。

80年代当初の養老線は本当に役者揃いでした。

6000番台の車両はのち、
先頭の6を取っ払って3桁に改番されました。
これはまた別タイトルでUPします。

なお当局でもっとも古い養老線の写真(白黒)も
ラストに加えています。

撮影日がわからないのが残念です。

鉄道車両写真集
近鉄養老線 ~’82(旧型車) 5300形 5820形 6421、31、41系
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2011年3月20日 (日)

京成電鉄 3600形VVVF改造車 3661FをUP

Keisei_3661_07

京成電鉄の3600形VVVF改造車である3661Fは、
同じ車体をもつTc(6両)が、同じ車体を維持したまま
3700形と同じタイプのVVVF制御に電装。
異なる6タイプに改造され、
それがなんと同じ編成にすべて組み込まれているという
摩訶不思議な編成です。。

その姿から察すると、
見た目は、2両編成が3つくっついたように見えます。
しかしそれらは、半固定の連結器でつながれており、
バラバラでは動きません。
先頭車、つまり
①号車、⑥号車以外の運転台は機能していないのです。

なぜこんな電車が誕生したのでしょう?

珍車ギャラリー
京成電鉄 3600形VVVF改造車 3661FへJUMP

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2011年3月19日 (土)

名古屋鉄道 瀬戸線用 6600系 6750系をUP

Mt6705

名鉄の6600系は
瀬戸線の昇圧(600V→1500V)と
栄町駅への乗り入れ開始にあわせ、
1978年3月に(2連×6本=12両)投入されました。

クロスシートでしたが、非冷房車としてデビューしています。
開閉可能のユニット窓がついているのはそういうわけです。

冷房については1985年と1989 年に
7000系の廃車発生品が取り付けられました。
なお、1988年にすべてロングシート化されています。

6750系は、1978年の昇圧以降、瀬戸線で運用されていた
非冷房車である3770系や3780系などのHL車
(=間接制御とはいえ手動で加速する方式である旧型車)
を取り替えるべく、1986年。6650系としてデビューしました。

1990年には仕様を大きく変えた(4連×5本=20両)が落成し、
のち6750系と称されることになりました。

車体は新品ですが足回りはというと
AL車(間接自動制御車)3900系の機器を流用することとなりました。
ですから24両すべてが旧式のツリカケ駆動となっています。

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2011年3月18日 (金)

2011年3月の鉄旅 その5 287系 こうのとり乗車記

287系 特急「こうのとり」 普通指定席 グリーン席 乗り比べ

13日の埼玉への出張は月末に延期となり、
無性に温泉に入りたくなったので、城崎に出かけることにした。

3月13日(日)

● きのさき5号( 京都 13:25 ~ 城崎温泉 15:49 )

京都駅31番乗り場に13時15分に到着。
すでに列車は入線していて折返し運転のため清掃中だった。

編成は287系4連の第1編成。
半室グリーン(以下ロザ)の1号車を含め、
321系、225系と同じオール半M編成。
クモロハ286という形式が起こされた。
構造上も特異な構造だと感じたので、
ゆくゆくは「珍車ギャラリー」で扱っていただきたい車両だ。
実際、往復とも指定された席は1号車だったので、興味深かった。

このクモロハ286は、運転席直後にデッキがあり、
デッキから入るとまずロザ、仕切りをはさんで、
普通席(以下ハザ)、さらに連結面にトイレ、
という構造になっている。
デッキとトイレが逆の車端にあるのは
サンダーバードと同じ方式で、
はまかぜに投入された189系ディーゼルカーもそうだが、
デッキの向きをそろえている。
従来のクロハ183はデッキが普通席側にあった逆の構造なので、
ちょっと驚いた(感じた問題点については復路で詳述)。

往路は京都駅からスタート。
嵯峨野(山陰)線は、園部まで複線化されたが、
京都駅から梅小路機関区までの間は、
上下線の亘りのために、
東北線の青森口(現青い森鉄道区間)のように、
単線のままになっている。

287系は、振子用車両ではないが性能は良く、
381系で走るスジをカバーできる足回りは素晴らしい。
座席の掛け心地は683系同様快適で、
183系とは雲泥の差。
だが、京都市内は円町まではカーブが多く、
非振子車のため183系と似た振動のヨコGを感じる。
さらに、この287系は、
日根野の381系置換えで「くろしお」に投入されるのも
決まっている。
このことから、287系は183系の性能のままではまずいが、
381系と同じスジをより経済的に走れることを狙った
ローカル特急用で--、というのが
みえみえの妥協度満点の車両である。

国鉄末期、今は183系に改造されている485系が
大量に余ったため「くろしお」に投入されたものの、
線形の厳しいきのくに線では故障が多くて使い物にならず、
結局、
伯備線電化で米子鉄道管理局に送った381系を呼び戻す、
というマヌケなことになる前に、
サンダーの直流廉価版よりは
283系の量産化バージョンを導入し
北近畿と南紀を一体化して車両運用し、
予備車を共通化(宮原か京総で両者を一元管理して、
九州の885系のような運用のやりかたを)した方がいい。
287系でそろえるのならなおさらだ。

園部を過ぎて単線区間に入ると、
とくにその思いを強くする。
保線状態が園部までよりも明らかに悪くなるので、
加減速はスムーズなのだが、
ポイントを通過する時の揺れ(ヨコG)が
381系よりもはるかに大きい。
N700系などと同様、
空気ばねを利用した簡易傾斜装置でよいから、
車体傾斜装置は必要だと思った。

舞鶴線と合流し、複線に戻る綾部まではこの状況が続く。

上りきのさき16号と交換するため、和知で運転停車。
前後の下山、安栖里もそうだが、
両者を狙う鉄チャンがそれなりにいる。
そこまでの車窓でもポツポツと287系を狙うカメラの姿があった。

綾部では3番線に到着。
ここから福知山までは複線になり、
287系の足回りの性能の良さが味わえた。
福知山には3番線へ定時(14:42)に到着。
向かい側の4番線に到着する「こうのとり11号
(新大阪発福知山止まり)」の客を拾って乗車率がやや上がる。

京都方面のホームに目をやると、
おなじ287系の「はしだて4号」(14:40発)がまだ停まっている。
あれ?
この列車とは福知山駅手前ですれ違い、
381系「こうのとり16号(福知山14:37着、14:42発)」が
「きのさき5号」の福知山着を待って発車するように
ダイヤはなっているはずなのだが…はて?

福知山からは単線になるので、
こうのとり16号を待たなければならないはずだが、
きのさき5号はこの列車を待たずに福知山を発車した。
こうのとり16号にけっこうな遅れが発生しているようだ。

福知山を出ると、
何度見ても不思議な車窓をしばらく眺めることになる。
福知山基地への回送線は立派な複線で、
山陰本線とKTR宮福線は両社間の亘り線をすぎると
両者は単線並列で地上に下っていく。
一見どちらが本線かわからない。

KTR宮福線とは、
KTRの荒河かしの木台駅まで完全に並走する。
KTRにはここまでに厚中問屋駅もあるが、
JR山陰線は上川口まで6.7キロ駅がない。

本来、次の上り列車との交換は
和田山(こうのとり18号)のはずだが、
下夜久野で予定外の運転停車で7分停まる。
単線区間の宿命だが、
本来は福知山で交換するこうのとり16号と
436M普通の2本の列車とここで交換するためだ。

停車してほどなく、
毒々しい末期色の113系ワンマン対応車の436Mが通過。
この列車は上川口で後続のこうのとり16号に抜かれる。
さらに待つこと5分、
381系のこうのとり16号が通過しようやく動き出す。
列車は梁瀬を8分遅れで通過。

ここで車掌の案内放送。
和田山の3番線に8分の遅れを引きずったまま到着。
向かいの4番線ではこうのとり18号が発車を待っていた。
八鹿でも普通列車と交換。
豊岡では2番線に到着するのだが、
381系こうのとり20号が1番線でやはり待っていた。

玄武洞ではキハ40系の普通豊岡行き、
終着駅の城崎温泉では
キハ189系の臨時特急カニカニはまかぜと、
各駅で交換相手を待たせることとなりながら、
約7分遅れで到着。

下車した小生は、折返し間合いを利用し、
駅改札右手すぐにある外湯「さとの湯」で温泉を、
駅向かいの海女茶屋で但馬牛カレーを堪能。

● こうのとり24号( 城崎温泉 17:02 ~ 新大阪 19:53 )
但馬牛はうまかったのだが、完食して時計を見ると16:59。
こうのとり24号の発車時刻まで3分前。
会計を済ませて大急ぎで駅へ。
跨線橋を渡り、3番線に猛ダッシュ。

跨線橋を降りたところが1号車なので、これは正直助かった。
ぎりぎり飛び乗った…と思いきや、
接続をとる浜坂からの180D普通豊岡行が、
往路の余波で10分遅れとのこと。
この接続をとるため9分遅れたので、
あわてる必要などまったくなかった。
落ち着いて改めて車外に出て缶コーヒーを購入。

帰りは奮発してグリーン車を奢る。
横3列。一人掛けのC席。
城崎温泉の時点でロザが半分以上埋まっている。
4両しかないためか、
車掌氏によると普通車もほぼ満席とのこと。

豊岡は8分遅れで到着。
ここでは多数の乗車があり、ロザはほぼ満席となる。
江原、八鹿でもまとまった乗車があり、
乗車率もどんどん上がる。
国府で113系普通、八鹿ではこうのとり15号と交換。
和田山でやや遅れが回復する。

1号車のハザは和田山発車時点で満席になった。

上夜久野で223系5500番台普通と交換のため運転停車するも、
福知山では遅れが6分まで回復する。
福知山ではタンゴディスカバリーを使用した
「はしだて14号」と接続をとる。

両者の間で相互にまとまった数の乗客が入れ替わるため、
1号車のハザの客も約3分の1が入れ替わる。

287系は全車城崎温泉・天橋立側にデッキがあるため、
1号車のハザの客が各停車駅ごとに乗り降りのため
ロザを通りぬけていく。
そのためにデッキのドアが頻繁に開閉する。
グリーン車というのはそれなりの--つまり
通り抜けるのをはばかるような雰囲気があるものなのだが、
そんなもんあったもんじゃない。
せめて乗車口案内だけでも、
スーパーはくとのように
隣の車両(2号車)の乗車口から1号車ハザの客も
乗せるように案内すべきだ。
183系では編成側にデッキがあるので、
ハザを通り抜けることがあっても、
ロザを通り抜けるのは基本車掌か、
車掌に用事のある客だけだ。
そこは残念ながら183系のほうがいい。

くろしおに287系を導入するつもりなら、
ラッシュ時にかかる列車は停車駅が多く、
特に和歌山は乗降客が拮抗していて途中駅ではずば抜けて多い。
上り列車だと新宮発列車の白浜、紀伊田辺乗車が
同じ状態になることが容易に想像できるので、
この問題は287系導入前に手を打っておくべきだ。

三田以降、じりじりと客が減っていく場合についても同じ。
これについてはどうにかしてもらいたいものだ。
福知山を過ぎて福知山線に入ると、
カーブが多い単線区間のため287系と言えどよく揺れる。
ここでも381系をカニ臨で利用した時に
振子のありがたみを感じたところだ。

篠山口では207系快速がこの列車を待っていた。
篠山口以降は複線になり保線状態もよくなるので、
287系が実力を発揮できる区間であるが、
列車密度も上がるわりには待避駅が少ない
(広野、新三田、宝塚、川西池田、塚口の5駅しかなく、
上下同時に待避できるのは新三田と川西池田だけ)ので、
宝塚で発車順序に変更があると
先行列車にひっかかり遅れを取り戻すところまではいかない。

三田からは少しずつ乗車率が下がっていく。
ほぼ満席だったロザも宝塚で5人下車したので、
新大阪までロザに乗車したのは私を含めて3人だった。
新大阪には5分遅れで到着。

287系は、特急車両として設備は及第点だが、
車体傾斜装置をつけなかったことと
半室グリーンの乗客の動線には不満が残る。
製作コストを下げるため必要以上に妥協した車両と言えると思う。

JR他社の直流特急車と比較すると、
東海の373系や東の255系、E257系よりはいいとは思うけど、
100点満点でいうと50点そこそこ。
今年デビュー15周年を迎える283系オーシャンアローのほうが、
総合的にみても上だと思う。
なんか、スーパーひたちとフレッシュひたちのようで、
新車になったはいいけど、
先に出た上位種のほうがグレードいいじゃん。
っていうちょっと残念な状況だと思った。

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2011年3月17日 (木)

Dr`K 2011年3月の鉄旅 その4 九州新幹線 「さくら、みずほ」 乗車記-3月12日- 

3月12日(土)

● さくら543号( 新大阪 6:50 ~ 熊本 10:27 )

昨日の地震のため、出発セレモニーは中止となったが、
無茶な撮影する馬鹿鉄はやはり多い。
私は6時15分に新大阪駅に入った。
みずほ601号の時はさぞかし多かったのだろう。
昨日の地震によるダイヤ乱れの余波で、
21番線に滞泊している車両がいるため、
ひかり541号(レールスター)と私が乗るさくら543号は
所定21番線から22番線に変更された。

もちろん満席で、自由席も相当な混雑のようだ。
私もこの列車を、3分割してやっとの思いで座席を確保したのだ。

揺れは少なく乗り心地も上々。
ただ、レールスターも含め、
サイレンスカーのサービスが廃止されたのは痛い。

今回の開通区間への直通客がほとんどかと思いきや、
この列車は、博多まで、
かつての「ひかりレールスター」のダイヤを踏襲しているので、
山陽区間での乗客の入れ替わりが意外と多い。
新大阪~熊本以遠の直通は発売直後ほぼ瞬殺だったが、
3分割したら新大阪から熊本までは確保できたのもうなずける。

最初の区間は新山口まで5号車窓側。
車販は大忙しなのか、新山口まで全く来なかった。
私の隣には私と同世代の
ビジネスマン風の男性が広島まで座った。

窓側の席が確保できれば、
必ずPC電源が確保できるのがありがたい。
この最初の区間では車窓は正直見飽きているので、
昨日までの行程の乗車記を局長に送るべく、
せっせと原稿を書く。

車内で馬鹿鉄やツアー客がフラッシュをたきまくることを除けば、
いたって上々。時刻どおりに新山口着。

新山口では名古屋発の1番列車である「のぞみ95号」の待避のため5分停車。
すかさず馬鹿鉄どもが飛び出していく。

ここで席がかわるので、
車販にありつけなかった私は缶コーヒーを買いがてら
8号車の後ろに行ってみたが、すごい人。
遠慮気味に望遠で警備の駅員のわきから撮影を試みたら、
駅員は、気づいて、しゃがんでくれた。多謝。

新山口からは博多までは4号車の通路側。
隣にはすでに私と同世代のビジネスマンが座っておられた。
話を伺うと今から直方へ出張だという。
彼は私が新山口から隣にすわったことに驚いておられた
(これまでのレールスターなら、新山口で隣があくと、
あとは停車駅が小倉しかないので、まず埋まることは考えにくい)。

彼も開業日だということで博多までを必死で座席を抑えに行った
と仰せだったのが印象的だった。

私も0系ラストランの日は、
大学時代の同期T氏が勤務する新倉敷駅から
ほど近い某所に出張が決まった時は、
それこそ2本のこだまを必死で取りに行った
(しかも保険をかけた)のを思い出した。

そうこうしているうちに九州突入。
日豊線をはじめ、九州管内でも一部津波警報の影響で
動いていない区間があるので
駅の放送に注意するよう促す放送があるが、
具体的にどこが止まっているという放送はない。

早めに教えてくれていれば、もう少し対処のしようがあったのに。
小倉に定時に到着した時、
局長氏、サイキョージ氏と同業の先輩T氏から道中気をつけて、
とありがたいメールが来る。

博多では2分停車。
いったんホームに降りて、次は6号車へ。
いよいよ新規開業区間に突入である。

乗務員もここでJR九州に交代。
自動放送では英語に加えて中国語、韓国語の4カ国語になるが、
一方で車掌の肉声は、
停車駅の到着時刻は新鳥栖、熊本、鹿児島中央のみと簡略化。

乗り心地だが、
博多総合車両所(博多南)を過ぎると、
新幹線にしてはアップダウンが大きく、
建設費を抑えるために線形を悪くしたのがよくわかる。
建設費を抑えるなら、こんなところでケチるよりも、
駅が多いのをどうにかしたほうがいいと感じる。
とにかく、駅間距離がやたら短く。無駄に駅があり、
しかも、その駅の設置場所が「何考えてんの?」
と首をかしげざるをえない。

佐賀県に駅がほしいのはわかるし、
佐賀県の人には申し訳ないのだけど、
新鳥栖は要らない気がする。
久留米は既存の駅に併設して設置できるわけだから、
2面4線にして佐賀、長崎方面への新幹線はここからの分岐で
十分でしょう。

その新鳥栖では先発のつばめ339号と緩急接続をし、
久留米などへの乗換の便をはかる。

筑後船小屋に駅を設置するのなら、
新大牟田も大牟田の市街からあれだけ離れてるんじゃ
二重投資になってあまり意味がない。
それならば久留米や筑後船小屋から大牟田まで
新幹線ダイヤと連携した快速で十分だ。

新玉名も温泉に近い現在地ではなく、
玉東町の鹿児島線との交点(肥後伊倉~木葉間)に設置し、
新駅の駅前を整備したほうが、
国道208号がすぐそばを通っていることから
クルマのアクセスにも十分対応できて
使い勝手がいいのではないだろうか。

そうこうしているうちに崇城大学が見えて熊本駅13番線に到着。
確かに速くなったが、
新幹線としては九州が島内にこだわりすぎて
ヘンに八方美人になり、
本州との直通を過小評価しすぎた気がしてならないと感じた。

トータルするとこれだけの時間で熊本に到達できるのなら、
熊本や鹿児島は空港のアクセスがいいとはいえないので、
実際のところ、航空機と十分競争できると感じる。

熊本では撮影とともに、
駅構内のソバ屋で朝昼兼用の食事としてさくらそばにチャレンジ。
---旨い。

しかし、相変わらず在来線側は工事が行われていて、
大阪駅と同様、複雑怪奇。

● みずほ603号( 熊本 10:51 ~ 鹿児島中央 11:36 )

「さくらそば」の余韻もそこそこに、新幹線13番ホームに戻る。
「みずほ603号」での指定席は一番後ろの8号車。

高架からは熊本市街が見える。
川尻を過ぎると在来線をまたぐが、
三角線と分岐する宇土までは完全に並行する。

今日は津波警報の影響で
運転を見合わせている三角線を越えると在来線としばし離れる。

警報が出ているとは思えない八代海から遠ざかるといきなり減速。
新八代を通過する。
対面する在来線特急ホームには、787系が停まっていた。
ゆっくりと通過するため、
カメラを構える鉄チャンが多数いるのがよくわかる。
昨日までの始発駅を通過するのはやはり新鮮だった。

ここからは先行開通区間になり、
トンネルが増えて町が現れると駅、
という状況が繰り返される
当たり前だが、印象は開通直後に乗った時と変わらない。
川内駅のところだけは、
相対式ホームの直後に電留線という特徴的な車窓が見える。

トンネルが続き、それを抜ければ--鹿児島中央駅。
11番線に定時に到着。
13番線には9分前に鹿児島中央に到着した
「さくら543号」がみられた。

在来線は地震の影響で
鹿児島線の川内方面しか動いておらず、
お目当てだった特急「指宿のたまて箱」は運休。
入線すらしていなかった。

鹿児島中央では
馬鹿鉄だけでなく多数の人々が撮影をしていた。

● さくら566号( 鹿児島中央 12:30 ~ 新大阪 16:44 )

往路さくら543号の編成が折返し時間も余裕たっぷりに折り返す。
朝は情報が少なかったため情報を収集し、
地震のため予定を変更して、
この列車で新大阪まで乗りとおして戻ることにした。
幸い新大阪まで通しで指定席を確保することができた。

13番線ホームに上がるとすでに乗車が始まっており、
通路側の隣には新神戸まで乗車した先客氏がいた。

乗車率は50~60%。

鹿児島中央を定刻に出発するとすぐにトンネル。
来たルートをそのまま戻る。
この列車は川内に停車するためすぐにまた減速。
川内ではまとまった数の乗客を乗せ発車。
ここからは熊本までノンストップ。
新八代手前まではトンネルが多く、
特に新水俣を出ると新幹線は肥薩線に近づき
山間区間を回り込むのであまり車窓は楽しめない。

新八代駅が近づくと、下り同様減速し、徐行で新八代を通過。
熊本での乗換案内と運行情報が入る。

往路と違うところは、字幕でのニュース。
明るくなって地震被害がどんどん大きくなっている
という情報が入ってくる。

鹿児島線と合流し熊本に到着。
昼一で行動する人にとってはいい時間帯なので。
熊本からの乗車からの客は非常に多い。

熊本を出ると加速もそこそこにまた減速。
新玉名に停車する。
停車してみて「なんでこんなところに駅が?」
という思いをさらに強くした。
前述のように、
鹿児島線との交点のほうがよかったように思う。

新玉名を発車すると、下り同様、
改めて新幹線にしてはアップダウンが大きく、
建設費を抑えるために線形を悪くしたのがよくわかる。

新大牟田、2面3線の筑後船小屋、
久留米を通過し新鳥栖に到着。
改めて駅間距離の短さと中途半端な規模の駅が多いため、
九州島内の実情ではさくらを散らして
停車させる何か間の抜けたダイヤになっていることを感じた。

新鳥栖から博多はわずか15分弱。
博多、小倉でかなりの客が入れ替わる。
博多からは乗務員がJR西日本になる。
西日本管内に入ると続々と運転見合わせ情報が入ってくる。
この九州との差は何だろう? 
16年前の阪神淡路大震災を経験してるか否かの差なのか?

小倉を過ぎると、福山と姫路に停まる以外は
最速便と同じ停車駅で、下り同様、
ここからはかつてのレールスターのダイヤを踏襲している。

往路同様、そこそこの数の客が各停車駅で入れ替わっていく。
カメラの数も、少なくはないが、
午前中のことを考えると減っている。
普段の山陽新幹線の春休み中の土日の状況に戻る。

最後の途中停車駅の新神戸で大きく減り、
6割ぐらいの乗車率で新大阪20番線に定時到着。
ホームには折返しとなる
「さくら573号」の乗車を待つ行列ができていた。

この列車は15分の折返しで
慌ただしく16:59発 「さくら573号」となる。

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2011年3月16日 (水)

Dr'K 2011年3月の鉄旅 その3 -北近畿/タンゴエクスプローラーラストラン乗車記-

● 北近畿5号(大阪 10:11 ~ 宝塚 10:32 )
 1号車のグリーン車から乗込んで3号車自由席に移動。
列車は結局6分半遅れで大阪を出発。

A編成4両編成、
1号車がグリーン車、2号車が普通指定、3、4号車が自由席
という通常の編成。

尼崎からは行楽客も乗ってくる。
鉄チャンの利用が多いが、
カニの時期のピークの時を考えればまだまだ少なく、
4両編成の自由席が7割がた埋まっている状況。

尼崎のカーブ(尼崎事故現場)を通る時には、
手を合わせる鉄チャンの姿も見受けられた。
沿線にはそれほど鉄チャンは出ていない。

伊丹からは先行列車に引っ掛かり徐行。
それ以外はほぼ普段通りの感じで
宝塚までのA編成「北近畿」を堪能できた。
宝塚からは昼食を調達し阪急に乗り換え出勤。

【午後の職場】
出勤後、普通に仕事をしていると、

職場の建物がゆっくりと揺れる。
「地震?」「あれ?長いぞ」

同僚がインターネットで確認すると、宮城で震度7。
「おい、テレビつけろ」「おい、ひどいぞ」
「Kさん、明日、
出張前に仙台にプライベートで行くって言ってなかった?」
「それどころじゃないぞ」
だんだんひどい状況がわかってくる。

私は16年前の阪神淡路大震災をこの身でもって経験している
(神戸市内で建物の下敷きになった)だけに
正直言葉を失った。

私自身も、13日午前中に埼玉県に出張する予定が控えていた
(それにひっかけて「はやぶさ」グランクラスを利用し、
仙台駅近くの定宿に宿泊するつもりだった)し、
東北地方に向かっている者がいないかなど、
情報収集、対応に追われることになった。

ANAの予約センターに
2時間の間に断続的に電話をかけているが
全くつながらないため、17時過ぎに
職場を出てタクシーを拾い大阪空港に直行。
航空券を払戻しに行く。

大阪にも仙台にも関係ない福岡~羽田便なので
払い戻してもらえるか不安だったが、
待つこと1時間強、
スムーズに手数料なしで払い戻してくれた。

今度はリムジンバスで新大阪駅へ移動。
都内~仙台~京都の連続乗車券と往復「はやぶさ」を払い戻し、
鹿児島中央~博多間の戻り「さくら」を
新大阪までに変更するとともに、
乗車券もとりあえず大阪市内までにした。
払戻対応に窓口はどこも行列になっていたため、
「タンゴエクスプローラー」までの時間が
結構ぎりぎりになってしまった。

● タンゴエクスプローラー3号 (新大阪20:05~宝塚20:35)
 2本つないだ6両編成。
金曜のため、一杯加減の通勤客が普段でも多いが、
それに混じって、私もそうだが
やはり記念乗車の鉄チャンが多い。

尼崎からは、東西線沿線にお勤めの鉄仲間H氏が
偶然乗ってきた。
彼も昼間ニュースにかじりついていて、
私が対応に追われていた間の情報を仕入れることができた。

宝塚ではH氏と別れ、3番線へ急ぐ。

● 北近畿20号(宝塚 20:37~新大阪 21:06)
元485系の183系B編成6両編成。
自由席は3・4号車。
この列車は「北近畿」の上り最終だが、
普段とそう変わらない。
記念乗車の鉄チャンもそれなりにいるが、
自由席はガラガラで、
同じ福知山線のかつての急行「だいせん」や、
485系の雷鳥ラストランとの差を
まざまざと見せ付けられる格好になる。

電化されても付け焼刃的に利用された485系の末路というか、
元は同じ485系なのに、雷鳥とは大きな差であり、
まだ「こうのとり」に変わってもまだこの車両が残ることもあり、
不遇を感じざるをえない。

新大阪についても、サボは即回送にされる。

何かむなしい…。

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2011年3月15日 (火)

Dr'K 2011年3月の鉄旅 その2 -485系 雷鳥ラストラン-

2011年3月11日(金)  

● 雷鳥 8号( 金沢 7:10 → 大阪 10:04 )
 6時に起床。外はあいにくの雪。腹が減っては戦ができぬ。
駅構内の吉野家で朝食をとる。

3番線に上がるとすでに雷鳥8号は入線しており物々しい雰囲気。

雷鳥は昔から北陸への旅行の友だったし、
車販でもお世話になった列車でもある。
419系を写真におさめたあと、サンダーバード6号の出発時、
雷鳥8号と並ぶ瞬間を4番線から望遠で狙うが、
走りこんで前に割り込み、あげく
点字ブロックよりも外側で撮影したクソ馬鹿鉄にカブられる。
ふざけるな。

Photo

前に割り込まれることは想定していて、
昨年の能登ラストランの時、苦い経験があるので、
点字ブロックより内側から、撮影してくれさえすれば
カブらないように構図を決められただけに腹立たしい。

最悪の気分で雷鳥8号に乗込む。
と、そのとき、EF81の汽笛。
なんと、前日の晩、
鷹ノ巣で発生した「あけぼの」の車両故障
(結局あけぼのは打ち切りになったらしい)の影響で、
日本海が約50分遅れで2番線にやってきて一瞬並ぶ。

カメラマンには思わぬプレゼントとなった駅での撮影陣。
2番線の駅員の怒号がでかくなる。
特に先端はえらいことになっていた。

雪の降りしきる中、
「雷鳥8号」は遅れている日本海を待たせて
定時に金沢を出発。
満席だったとのことではあるが、
自由席は終点の大阪まで意外と空いている
(とはいっても、普段よりははるかに多い)。
窓には横断幕やサボのレプリカなど、
思い思いのメッセージを車外の鉄チャンに向け
発信している鉄チャンの姿も見受けられた。

雪の降りしきるあいにくの天気ではあるが、
犀川、手取川、梯川などの橋梁では
やはりクルマでやってきた撮影陣がいる。

そうこうしているうちに列車は福井に到着。
金沢からずっと、私の隣は空いたまま。
雪が少し小降りになる。
鯖江~武生ぐらいは降っていなかったが、
王子保を通過して山間区間に突入したとたんに
激しく降ってきて、徐々に速度が落ちてきた。

今は使わなくなった中線跡に
大量の雪が積もっている南条駅でいったん停止。
先行する316Mが雪の影響で遅れているとのこと。

近年の効率化で南条駅の待避設備は撤去されたため、
敦賀まで316Mを後追いすることになり、
北陸トンネルでの特認速度は味わえずに終わり
若干消化不良。
少しでも遅れを取り戻そうと
運転士はMT54モータを唸らせるが不発。
すぐに惰行し、敦賀到着の放送が入った途端
「バチン」という音とともに照明が落ち、
敦賀駅手前のデッドセクションに突入、
この区間では加速できないため、遅れが約15分になる。

敦賀から横に鉄氏が乗ってくる。
彼は若干落ち着かない様子。
話を聞くと、時刻どおりなら大阪駅で
同一ホーム7分接続の「北近畿5号」に乗継ぐらしい。

これを聞いて、私も予定を変更。
どうせ職場は阪急宝塚沿線なんだし、
午前中は休暇を取っているから
昼一番に間に合えばいいんだし、と、
「北近畿5号」か、
その1本後の「タンゴエクスプローラー(以下TE)」を
宝塚まで利用して、
宝塚側から阪急を利用して出勤することにした。

撮影名所の鳩原ループや、
新疋田駅ではやはりカメラマンが多い。

湖西線では遅れを回復すべく、MT54が唸りを上げる。
近江今津では12分遅れまで回復。
北小松付近等、湖西線でも
撮影名所と言われるところにはカメラが多い。

私の隣の鉄氏と、
通路をはさんで向かいにいた連れの鉄氏が
さらにソワソワしてきたので、
周囲も京都以降の停車駅での接続が確保されるか、
という事態が現実味を帯びて異様な雰囲気になる。

間の悪いことに、この列車の車掌は京都まではみやこ担当、
京都~大阪間は大阪担当なので、何かの拍子で
引継がうまくいかず乗継の対応ができなければ後が大変だからだ。

大津京を通過し、トンネルを出ると京都府突入
この上には鉄チャンも確認できる。
このタイミングで京都到着の放送。
乗継についても案内され、少し落ち着きを取り戻す。
山科駅は東海道線への合流地点のポイントがあり、
この制限速度のため、山科駅では1番線を徐行で通過する。
このため、それなりの数のカメラがある。

京都では12分の遅れのまま到着。
記念乗車組が乗車するが、
京都から引き継いだ車掌は接続案内に、
車補発行と、てんてこ舞いしている状態。

新大阪発10時9分発のぞみ11号以外は
ほぼ接続が確保され、桂川までにその案内がされる。
北近畿5号には、大阪で接続を取ると案内があり、
こちらへの乗継組も胸をなでおろす。

たくさんの鉄チャンが待つ桂川橋梁をあとにした
列車は桂川駅に進入。
ここでは京都発9時45分発のはるか17号を
構内の短絡線上に待たせて通過。
山崎~島本間の有名なカーブには、
クルマで乗り付けガードレールの上にのって
撮影する馬鹿鉄も多数。
島本~高槻間の田畑にもちらほら。

岸辺駅は現在工事中のため、それほど多くない。
吹田工場では先日引退し、
廃車を待つクハ103-1の姿も見られた。

新大阪でも工事をしているが、所狭しとカメラを構えている。
17番線に到着するため、15・16番線側もすごい人。
北近畿5号との兼ね合いもあるのだろうが、
18番線に変更したほうが、一般の利用客にはよかったと思う。

沿線で一番カメラマンが多く出ていた淀川橋梁を通過し、
大阪駅3番線に12分遅れで到着。
環状線外回りの2番線も
環状線電車にかぶられるの覚悟の上でのすごい人。

3、4番ホームはすごい人。馬鹿鉄が多く、
「北近畿」への乗換組がスムーズに乗り換えられない。

「はまかぜ」、「銀河」の時と同様、乗降がまともにできない。
なんのために、あれだけの人員を
JR西は割いているのだろう、と思う一瞬。

馬鹿鉄が点字ブロックの外にはみ出さないように
怒号をあげているが、
「雷鳥8号」の停まっている3番線側、
「北近畿5号」の停まっている4番線側とも、
階段と点字ブロックの間の狭いところが
馬鹿鉄で埋め尽くされていて、
雷鳥のサボを撮るために
馬鹿鉄がふさいでいる状態なので、
結局、点字ブロックの外側のスペースをとおるか、
前を横切らない限り無理。
「点字ブロックの外側を通るな、」というのなら、
乗継の客が点字ブロックより内側に乗車する客が通れる
スペースを確保しろ、と言いたい。

「雷鳥」が9両編成、「北近畿」が4両編成で
ともに1号車がグリーン車なので、はまかぜの時と同様、
「北近畿」の1号車は桜橋口から上がった
エスカレータの少し東より、
最後尾は御堂筋口エスカレータを上がったところから
西側という位置関係で、
両先頭車は乗務員室がある関係で、
デッキは編成側にしかないから、
ちょうどそこが動線上のボトルネックになってしまうことが
JRの係員にはわからないのか、と首をかしげる次第。

先日の「はまかぜ」ラストランの日の
警備の反省が全く見られない。

乗継の客は3番線側、4番線側の両側から急いでいたが、
(特にグリーン車の人が気の毒な状態)
駅員が発したのは「前から2名乗車」。
4番線側を無理やり通ったの客の数しか把握していない。
4番線が駅員にふさがれたため
3番線側からも乗継の客はいるのに、
それを確認していないのである。
ある意味「はまかぜ」の時よりもひどい。

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2011年3月14日 (月)

名鉄 瀬戸線用6000系をUP

Mt6235_

名古屋鉄道6000系は、
1976年にデビューした本線用の通勤車ですが、
1995年以降。
瀬戸線に残っていたHL車(3780系)を置き換えるため、
ロングシート化された5 - 8次車(1980-83年製)の一部が
瀬戸線に転属しました。
転属に際しては、地下線への対応のため、
A-A基準への適合化や自動放送装置、方向幕の取り付け
など改造工事がなされています。

1995年に2連×8本が転入、2連+2連で運用を開始しました。

1996年と 2000年に中間車を16両転入させ、
そのすべてを4連化。
4連で転入した6035Fを加えて、
現在4連×9本の布陣で活躍中です。

鉄道車両写真集
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2011年3月13日 (日)

Dr`K 2011 年 3 月の鉄旅 その1

Dr`K 2011 年 3 月の鉄旅  
485 系雷鳥ラストラン & 
新幹線「はやぶさ、さくら、みずほ」 乗車記  

今回は正月ドカ雪で北海道に帰省できず、
2008年以外ではここ数年恒例となりつつある
道内特急のはしごができずに若干鉄分不足なので、
元ブルトレの愛称で話題の新幹線「はやぶさ、みずほ、さくら」の
初乗りと485系の雷鳥のラストランを欲張ってみた。

2011年3月10日(木)
普段通り8時15分に出勤し、出張に出るまでの約2時間で
11日10時〆切の会議資料をまとめ、
無事10時すぎに上司に提出。
これで安心して出張に出ることができる。
出張場所は、石川県白山市の某所。
昨年、「能登ラストラン」「北陸乗り放題きっぷを使ってみた」
「12月の鉄旅」でも登場したところである。、
今回は15時開始の2時間のメニュー。
阪急電車に飛び乗り、梅田に出る。

● サンダーバード17号(大阪11:42→小松14:04 )

 阪急梅田に到着。時刻はまもなく11時30分。
新しくなった陸橋を渡り、
装いを新たにしつつあるJR大阪駅御堂筋口へ。
研修会場の最寄駅は加賀笠間だが、駅前が手狭なため、
研修の受講者が多い場合、
車での送迎は両隣の松任か美川になることが多い。
(加賀笠間からは車で5~6分。
松任、美川からだと12~13分になる)、

今回の車の送迎は、美川駅14:30とのこと。
ぶっつけだが、
サンダーバード17号の4号車の通路側の指定席を確保する。
これに乗れないと間に合わない。

大阪からは、斜向かいにいかにも卒業旅行、
という感じの女の子4人組が陣取る。
ビジネス客もそこそこだが、このグループ以外にも
卒業旅行という感じの若い女性グループが多く、
温泉目当てのおばちゃんグループなどで、
京都で座席はほぼ埋まる。

私の隣の窓側は空いていたのだが、
京都から若い女性客が乗ってきた。

車窓は雪が降ったりやんだり。
天気予報では雪に注意とあるがまさにそのとおり。
本日の昼飯は「塩荘のさばずし」。
福井駅手前でやってきた車販から購入。
サンダーバードでは北陸ならではの名物駅弁が多いが、
個人的には敦賀の「塩荘のさばずし」、
福井の「番匠の焼きかにめし」がお気に入りである。
なんといっても地元のお米がうまいのだ。

昼間帯は小松から金沢まではノンストップなので、
となりの2番線で待つ普通に乗り換えて美川へ。
美川からは研修施設の送迎バスで研修施設へ。
2時間の研修を終えて送迎バスで松任へ移動し、
521系に揺られて金沢へ。
明日の大一番に備え、体力を温存するため
金沢では駅近くのなじみのソバ屋で夕食をとり、
定宿の裏の居酒屋で一杯ひっかけるにとどめた。

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2011年3月10日 (木)

2011年2月 局長、東京へ鉄旅-その3-

今日は一転して悪天候。
雨です。気温もぐっと下がって、テンションが下がることこの上なし。

しかし、予定通り、まずは京成を狙います。
ターゲットは、3661Fと芝山鉄道です。
ただこれらは、いつ来るやら全くわかりません。
運を天に任せます。

あとターゲットとなるのは、
3300形をはじめとする旧タイプの4両編成です。
これらは、都営地下鉄には乗り入れないので、
撮影ポイントは、お花茶屋駅にしました。
運用が限定されているので、駅の時刻表で、目星を付けました。

結構やってくるまで時間があります。
それまでに3616Fと芝山鉄道がやってくることを祈ります。
なかなか来ません。
それにしても、新3000形の多いこと多いこと。
ほとんど変化がないので,撮っても仕方がないと思いつつも、
「練習、練習。」と撮影します。
新型、スカイライナーも当然ですが、ガンガンやってきます。
もう撮影済みなのですが、これも「練習、練習。」と撮影します。
雨でもありますし、暗いので、シャッタースピードは高く設定できず、
流し撮りの練習です。
高速で通過してゆくスカイライナーを
うまく撮し停めるのは難しいですね。

35mmF1.8のレンズが欲しい!。

Dsc_2019

そうこうしているうちに3661Fが来ました。
「やったー…!。」
上野行きです。ひたすら帰ってくるのを待つことにしました。
さて、なぜ3661Fに執着するのか。おわかりいただけますか?
それは6両編成となる3661Fが、
3600形のTc車として生まれたものの、同じ車体を維持したまま
異なる6形式(6タイプ)に改造され、
それがなんとすべてこの1編成に組み込まれている
という摩訶不思議な編成だからです。

我々の知らないところで運用が限定されているのか、
あまり使用されていないということなのか。
そのへんの事情はよくわかりませんが、
狙って撮影できるものではないので、
なかなか撮影できませんでした。

しかし、今回ようやく出会えました。このチャンスは見逃せません。
前述したように、冷たい雨が降る辛いコンディションでしたが、
上野駅からの折り返しをじーっと待ち続けてゲットしました。

思わずガッツポーズが出ました。

今回、予定通り、3300形をはじめとする4両編成も2本撮影。
そして、あと一本撮って帰ろうという、
その一本に芝山鉄道がやってきて、
もう文句なし。
気分良く次のターゲットである「East-i」を鶯谷で狙います。

鶯谷には、やはり鉄チャンがいました。
みんなよく知っていますねえ。
ここは、京浜東北線南行き線や高崎線など、
カブる可能性もあり、ハラハラものなのですが、
往復分2回チャンスがあるので、ここで狙います。

Dsc_2144

やってきました。
「うわっ。京浜東北線と併走してるじゃないの。」
しかし、いまは快速運転中の時間帯です。
なんとかなるだろうと、ターゲットに集中します。
うまく、一足先に通り過ぎてくれました。
「East-i」もゲット。

このあと、昼からのお仕事も気分良くこなし、
大阪へ帰りました。
写真のデキに、多少の不満はありますが、
気分は大漁旗です。

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2011年3月 9日 (水)

2011年2月 局長、東京へ鉄旅-その2-

この春、京王の6000系が引退します。
京王線については、あまりいい写真がないのに加え、
5D車はまだ撮影していなかったので、
これが今回のターゲットということになりました。
情報誌によりますと、
5ドア車である6772F「TAMA ZOO TRAIN」のみが
動物園線に残っているとのことで、
高幡不動駅に向かいました。

するとホームの端には、
結構な数の鉄チャンが陣取っているではありませんか。
昨年でしたか。
京葉線でTDL臨である583系や489系を撮影したときよりも
人口密度は高いように思われました。
まあ、運転区間が限られているので、
単純に比較はできませんが、
純通勤車ともいうべき車両が、それも最終日でもないのに
これほどの人を集めるとは思ってもみませんでした。

Dsc_1521

それで、すぐに撮影できたのかといえば、さにあらず
動物園線には7000系が走っていました。
しかし、誰もここを立ち去らないのは、
きっと6772Fが来るに違いないと思い、
ちょっと粘ってみることにしました。
鉄チャンのつぶやき通り11時半ごろ、出庫。
何とか撮影できました。

実はこの日、 京王動物園線の多摩動物公園駅にて、
「6000系ありがとうフェスタ」が開催され、
当日は朝 11時40分頃から午後2時頃まで、
6000系「TAMA ZOO TRAIN」の車両を駅ホームに停車させ展示し、
改札外では6000系の思い出を語るトークショーや、
6000系写真パネル展、抽選会などを行ったそうです。

つまり、最終日だったんですね。(^_^;)

そのまま、新宿へ向かい、JRに乗り継いで池袋へ。
259系NEXと「きぬがわ」を撮影します。
次は、西武池袋線です。スマイルトレインで、
練馬以西で相対式ホームのある駅に向かいます。
なぜ練馬以西なのかというと、
有楽町線副都心線に乗り入れる列車も
合わせて狙いたいからです。
結局、東久留米で撮影することにしました。

そのまま、所沢に出て,
未乗車区間である国分寺線にのり
JRで新宿へ戻ることを考えていましたが、
途中で見た3000系ライオンズカラーが、やってこないので
「これは豊島園折り返しとなったに違いない」と、
そのまま西武池袋線でUターンすることにしました。
椎名町で途中下車。
ここで、例のライオンズカラーをゲットしました。Dsc_1786_2

ターゲットのひとつである10000系NRA 
VVVF車はゲットできませんでしたが、
あまり長居はできません。
今日の重要ターゲットである、
「きぬがわ82号(=183系 彩)」をゲットせねばなりません。

池袋の駅で、
夜行バスの疲れからか、ぼーっと待っていると、
見慣れない色の電車がやってきました。
なんと
次期、「きぬがわ」用となる253系(旧NEX)ではありませんか。
「ラッキー…。
      しかし、このホームにいると足回りが写らないぞ。」
と、反射的に階段を駆け下りてしまいました。
そして、隣のホームにあがってカメラを構えると後ろから、
「きぬがわ82号」が入線してきたではありませんか!
「しまった!!!。」
あわててもとのホームに駆け戻ります。

結局、どちらも中途半端…。
ああ。情けない。若かりし頃の脚力があったなら…!。

かなり落ち込んでしまいましたが、
朝うまく撮影できなかった快速、「河口湖号」を
ほぼ夜間撮影ではありますが、新宿駅でゲット。
何とか、気を取り直して今日の日程を終了しました。

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2011年3月 8日 (火)

2011年2月 局長、東京へ鉄旅-その1-

鉄旅というわりには、私の場合、東京へ行く時は、
自宅に近いJR茨木駅に立ち寄ってゆく
近鉄の高速夜行バスを使うことが多くなりました。

さて、今回は出発日の夜に梅田で宴会があり、
いつもと違って梅田発の夜行バスをチェックすることにしました。
インターネットは凄いですね。
格安というところをクリックすると、

なんと3480円というのが出てきました。

近鉄の高速バスも安いのは4800円です。
これも大概安いと思うのですが、なお3割ほど安い。
もっとも、よく見てゆくと、いつも3480円とは限りません。
日によっては高い設定もあるのです。
しかしこの日は3480円!。
これだなと思って、さっそく予約番号を入手しました。

チケットは、コンビニの端末で購入します。
近鉄の高速バスでは購入期限が出発ぎりぎりまでOKですが、
格安便は早めに入金しなくてはなりません。
また、この購入方法が
近鉄の高速バスのやり方と全然違うのです。
チケットを購入します。と述べましたが、
格安便の場合、チケットはありません。
入金したという領収書があるのみです。
とりあえずこれを明示すればよいと書いてあるので、
コンビニの店員さんに確認こそしませんでしたが、
バス乗り場で受付を済ますまでは不安でした。

バスは東名高速道路ではなく、中央自動車道を経由する便で、
八王子、立川によって新宿へ行く設定になっています。
この日は、京王と西武を狙おうと思っていたので、
八王子か立川で下車するつもりでした。
でも、悩んでいるうちに面倒くさくなり、
料金は変わらないので終点の新宿で申し込んだのです。
起きた時点で夜が明けていれば、そこで…。
とまあ考えたわけです。

でも、格安便でこれはやってはいけません。
受付時点で、変更を申告すると、
「今回は八王子も立川にも立ち寄りません。」
とあっさりいわれてしまいました。
というわけで、ダイレクトに新宿到着です。

新宿到着のアナウンスで目を覚ましました。

ところが、周りは真っ暗。
えー?。時計を見ると5時半前。
「全然予定の時間と違うじゃないの!」

これも格安便ならではの事情のようで、
出発はさておき、到着時間はアバウトと心得るべきです。

さて、これからどうしようか。と思いましたが、

Dsc_1243

この時間なら、鶯谷へ行けば、うまく夜が明け、
臨時の「能登」と「あけぼの」が撮影できると思いつき、
予定を変更することにしました。

朝飯前の一仕事を終え、
朝食も済ませて、中央線に向かいます。

Dsc_1391

9時前後にジョイフルトレインである「華」「宴」が
相次いで立川に到着するのです。
下りの「宴」は駅舎の影でしか撮影できず、
苦しい写真になりましたが、
それでも撮影できてラッキーです。
なお。快速「河口湖号」に183系が使用されており。
これもとりあえずゲットして、
遅ればせながら、京王線の撮影に向かいます。

ここ立川からなら
モノレールで高幡不動へというのが、普通ですが、
乗ったことのない競馬場線に乗るべく、
南武線で、府中本町に向かいます。
遠回りにはなりますが、
運賃は武蔵野線回りでいけるはずです。

府中本町から、京王府中競馬場前まで歩いて行きます。
別に立ち寄るつもりではありませんでしたが。
東京競馬場への連絡通路を通っていったので、
競馬場まで見学することになりました。
いまはもうやっていませんが、
私は、一時競馬にもハマったことがあり、
「ここでダービーが行われるのかあ…。」
と、しばし感慨にふけってしまいました。

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2011年3月 7日 (月)

JR九州 キハ20系(キハ20形 キハ52形) キハ35系(キハ30形)をUP

キハ20系はいわずとしれた国鉄の一般型気動車ですが、
今回UP致しましたキハ20形500番台は室内灯が蛍光灯になり、
暖房装置も温水式となった最終グループです。
台車もDT22C・TR51Bに変更されています。Jrq_dc52_142

キハ52形は勾配区間用となるキハ20形の2エンジン形です。
キハ20形に準じた片開き2ドア、2段窓の車体ですが、
両運転台であることに加えて
エンジン、変速機、ラジエータをそれぞれ2基搭載する必要から、
キハ20形より、全長が1.3m長い21.3mとなっています。

キハ52形100番台は
1962年から1966年にかけて製造された後期形で、
水平シリンダー形エンジン(DMH17H)を搭載しています。

キハ35系は、通勤用に特化した3ドア両開きのロングシート車。
今回UPいたしましたキハ30形は、
トイレなしの両運転台付き車両となります。
1963年 - 1966年に製造されました。
うち0番台は温暖地向けの一般形で100両が製造されました。

JR九州に承継された車番を配置区別に掲載しました。

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2011年3月 6日 (日)

JR九州 キハ45系(キハ45形、キハ53形)をUP

国鉄の普通列車用気動車の代表選手は、
キハ20系ということになりますでしょうか?
しかし、2ドア片開きで、かつ幅が850mmと狭いため、
ラッシュ時には不向きの車両でした。
そこで登場したのが、キハ35系です。
しかし、3ドア両開きで、ロングシートとなれば、これはやりすぎ。

そこで、通勤時間帯以外での乗客の要求を満たすべく、
近郊形気動車として登場したのがキハ45系です。Jrq_dc45_23 

1966年から1969年までに5形式が製造されました。
地方線区の電化が進んだこともあり、
系列全体で179両の製造にとどまりました。

うち176両がJR各社に継承されましたが、
エンジンが旧式のDMH-17系であったことと、
ワンマン改造するのに不向きな車体だったことで
その多くが早くに淘汰されてしまいました。

今回は、JR九州に承継されたキハ45系のうち
暖地向け、片運転台 トイレ付きである
基本形式のキハ45形0番台をはじめ、

暖地向け簡易郵便荷物車となる珍車=キハ45形600番台。

45系の両運転台付き2エンジン車となるキハ53形0番台
および、10両以上の長大編成に対応するキハ53形100番台
をUPいたしました。

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2011年3月 5日 (土)

京阪電気鉄道 1000系(改修工事以前)をUP

1000系(3代目)は1977年にデビューしました。
とはいえ、その車体は1968-70年にかけて製造された
700系のものを流用しています。
Keihan__1001

700系がえらく短命だったのは、
流用された旧型車の機器が、冷房化に、また来るべき
1983年の1500V昇圧に対応できないということからでした。

1990-95年には、改修工事が施工されました。
先頭車をMc→Tcに変更するなど編成も大きく入れ替えられ、
先頭車の印象も大きく変わりました。
現在は先頭車は1500形となっていてます。
でも1500系というのは正しい言い方ではありません。

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2011年3月 4日 (金)

京阪電気鉄道 100系事業用電車 をUP

京阪電気鉄道 100系事業用電車は、
1983年12月の昇圧にあわせ
101と111(救援車)については旧1800系の車体を、
151(重量物運搬車)については旧1300系の車体を流用して
寝屋川工場で製作されました。

Keihan_10_0014

あと、寝屋川工場には
京津線の70形を改造した構内入替車も存在しました。
(車籍なし、機械扱い)
残念ながら、こちらについては、写真が見あたりません。

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2011年3月 1日 (火)

JR東海 キハ58. 65形 快速「みえ」をUP

快速「みえ」は、近鉄に対抗するために,
JR東海が1990年から運行を開始しました。

Jrt_dc_mie_65_509

当初、投入されたのは
急行のりくらで使用していたキハ58形/65形です。
在来型のものも使用されていますが、
快速「みえ」用として、新たに改造されたものもあります。

キハ58-5001,02、5101 キハ65形5001-03です。

これらは0系の回転シートを設置、台車、減速機の改良で
110km/h運転を可能にしました。
JR東海の意気込みが感じられます。

急行かすがより早く、93年8月からキハ75形が導入され、
翌94年12月、キハ58系は全面的に置き換えられました。

2011年の春には全列車4両編成となる快速「みえ」ですが、
かつての姿を偲んでやっていただきたいと思います。

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