« Dr'K 2011年3月の鉄旅 その2 -485系 雷鳥ラストラン- | トップページ | Dr`K 2011年3月の鉄旅 その4 九州新幹線 「さくら、みずほ」 乗車記-3月12日-  »

2011年3月16日 (水)

Dr'K 2011年3月の鉄旅 その3 -北近畿/タンゴエクスプローラーラストラン乗車記-

● 北近畿5号(大阪 10:11 ~ 宝塚 10:32 )
 1号車のグリーン車から乗込んで3号車自由席に移動。
列車は結局6分半遅れで大阪を出発。

A編成4両編成、
1号車がグリーン車、2号車が普通指定、3、4号車が自由席
という通常の編成。

尼崎からは行楽客も乗ってくる。
鉄チャンの利用が多いが、
カニの時期のピークの時を考えればまだまだ少なく、
4両編成の自由席が7割がた埋まっている状況。

尼崎のカーブ(尼崎事故現場)を通る時には、
手を合わせる鉄チャンの姿も見受けられた。
沿線にはそれほど鉄チャンは出ていない。

伊丹からは先行列車に引っ掛かり徐行。
それ以外はほぼ普段通りの感じで
宝塚までのA編成「北近畿」を堪能できた。
宝塚からは昼食を調達し阪急に乗り換え出勤。

【午後の職場】
出勤後、普通に仕事をしていると、

職場の建物がゆっくりと揺れる。
「地震?」「あれ?長いぞ」

同僚がインターネットで確認すると、宮城で震度7。
「おい、テレビつけろ」「おい、ひどいぞ」
「Kさん、明日、
出張前に仙台にプライベートで行くって言ってなかった?」
「それどころじゃないぞ」
だんだんひどい状況がわかってくる。

私は16年前の阪神淡路大震災をこの身でもって経験している
(神戸市内で建物の下敷きになった)だけに
正直言葉を失った。

私自身も、13日午前中に埼玉県に出張する予定が控えていた
(それにひっかけて「はやぶさ」グランクラスを利用し、
仙台駅近くの定宿に宿泊するつもりだった)し、
東北地方に向かっている者がいないかなど、
情報収集、対応に追われることになった。

ANAの予約センターに
2時間の間に断続的に電話をかけているが
全くつながらないため、17時過ぎに
職場を出てタクシーを拾い大阪空港に直行。
航空券を払戻しに行く。

大阪にも仙台にも関係ない福岡~羽田便なので
払い戻してもらえるか不安だったが、
待つこと1時間強、
スムーズに手数料なしで払い戻してくれた。

今度はリムジンバスで新大阪駅へ移動。
都内~仙台~京都の連続乗車券と往復「はやぶさ」を払い戻し、
鹿児島中央~博多間の戻り「さくら」を
新大阪までに変更するとともに、
乗車券もとりあえず大阪市内までにした。
払戻対応に窓口はどこも行列になっていたため、
「タンゴエクスプローラー」までの時間が
結構ぎりぎりになってしまった。

● タンゴエクスプローラー3号 (新大阪20:05~宝塚20:35)
 2本つないだ6両編成。
金曜のため、一杯加減の通勤客が普段でも多いが、
それに混じって、私もそうだが
やはり記念乗車の鉄チャンが多い。

尼崎からは、東西線沿線にお勤めの鉄仲間H氏が
偶然乗ってきた。
彼も昼間ニュースにかじりついていて、
私が対応に追われていた間の情報を仕入れることができた。

宝塚ではH氏と別れ、3番線へ急ぐ。

● 北近畿20号(宝塚 20:37~新大阪 21:06)
元485系の183系B編成6両編成。
自由席は3・4号車。
この列車は「北近畿」の上り最終だが、
普段とそう変わらない。
記念乗車の鉄チャンもそれなりにいるが、
自由席はガラガラで、
同じ福知山線のかつての急行「だいせん」や、
485系の雷鳥ラストランとの差を
まざまざと見せ付けられる格好になる。

電化されても付け焼刃的に利用された485系の末路というか、
元は同じ485系なのに、雷鳥とは大きな差であり、
まだ「こうのとり」に変わってもまだこの車両が残ることもあり、
不遇を感じざるをえない。

新大阪についても、サボは即回送にされる。

何かむなしい…。

|

« Dr'K 2011年3月の鉄旅 その2 -485系 雷鳥ラストラン- | トップページ | Dr`K 2011年3月の鉄旅 その4 九州新幹線 「さくら、みずほ」 乗車記-3月12日-  »

鉄道旅行記」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: Dr'K 2011年3月の鉄旅 その3 -北近畿/タンゴエクスプローラーラストラン乗車記-:

« Dr'K 2011年3月の鉄旅 その2 -485系 雷鳥ラストラン- | トップページ | Dr`K 2011年3月の鉄旅 その4 九州新幹線 「さくら、みずほ」 乗車記-3月12日-  »