サイキョージ氏から鉄旅レポートが送られてきました。
奥様と鉄旅されたようで、うらやましいことです。
夏休みはいつも局長やDr.Kと鉄旅に出てたのであるが
今年は7月に「大人の休日倶楽部」の会員パスを利用して
東北へ行ったところなので
早めの休暇をとり嫁さんとねぶた祭に行くことにした。
8月の第1週目は東北の夏祭りがあいついで行われる。
5月の連休あけにネットでホテルの空きを検索してみたが
青森、弘前、秋田のホテルはすべてダメ。
こうなればツアーを探すしかない。
こちらの予定にあうツアーで
価格の手ごろなものを探したが
売り切ればかりで
ようやく見つけたのがG社のツアーであった。
「弘前ねぷた、五所川原立ねぷた3日間」
という商品である。
送られてきたクーポンはすべてJRのマルスの発券
(JRのロゴの入った薄い青地の裏が磁気カード)
なのでびっくり。
この商品はJR東日本(びゅう)の商品で
G社は販売窓口だったのだ。
東北の祭でも
JR東日本はしっかり商売をしているみたいだ。
<1日目 8/4>
私の出張先の上田から長野新幹線「あさま」に乗り
大宮駅で嫁さんの乗る東北新幹線「はやて」に合流する。
大宮での乗り換え時間は2時間弱、
大宮駅の駅ナカを探索する。
ここはデパ地下並みの品揃えだ。
入場券を買っても入りたい人がいるのはうなずける。
駅ナカで昼食、ビール、おつまみ、デザートまで買って
「はやて17号」に無事合流。
八戸から「つがる17号」に乗り換え弘前着。
東北新幹線が
新青森まで延伸されると便利になるだろうな。
弘前市内はねぷたが始まる頃から雨が降り出し
せっかくの電飾もビニールに覆われて
少し残念だったが初めて目にするねぷたは壮観である。
あれっ、
太鼓のリズムとお囃子の旋律は聞き覚えがあるゾ。
そうだ、伊藤康英の作品
「吹奏楽のための抒情的祭」のモチーフは
この弘前ねぷただったのだ。
少しマニアックな話だが、思い出して一人感動する。
このあと津軽三味線のライブを聴きながら
少し遅めの夕食をとった。
この夕食券もマルスの発券であった。
弘前泊。
<2日目 8/5>
津軽フリーパスを使って津軽鉄道に乗る。
津軽フリーパスは2日間有効。
弘前周辺の鉄道,バスが乗り放題で1500円
とお得なキップである。
乗り放題といっても五能線、津軽鉄道は本数が少なく
1本乗り遅れると
1日が台無しになるので緊張を強いられる。
弘前発9:24
五能線深浦行きのディーゼルに乗り込むとき、
向かいのホームに寝台特急「あけぼの」を発見。
東北新幹線新青森延伸によって
「あけぼの」も早晩姿を消す運命かもしれない
その姿をカメラに収めた。
さて五所川原駅に荷物を預け、津軽鉄道に乗車。
車内にはアテンダントの女性も乗り込み、
車窓や沿線の説明を津軽弁でしてくれる。
金木で下車し「斜陽館」を見学したあと
終点津軽中里をめざす。
その車中でアテンダントに
津軽中里付近で食事ができる店を教えてもらう。
彼女は即座に車内からケータイで
その店に営業確認の電話をかけてくれた。感謝。
帰りは五所川原で
五能線「リゾートしらかみ」に乗り換え、
本日の宿泊地鰺ヶ沢にむかう。
五所川原駅のホームでは
私が乗る秋田行き「青池」編成と
弘前行き「ぶな」編成が交換。
同時に2編成がみられた。
鰺ヶ沢のホテル到着後早めの夕食をすませ
今度はツアーバスで再び五所川原のねぷた見物に行く。
ここのねぷたは「立ねぷた」といい
大きさと迫力においては
青森、弘前のそれを凌ぐものである。
平成の時代に入ってから
明治時代の設計図をもとに再建されたものであるが
高さ20Mを超すねぷたが
太鼓とお囃子をともない町を練り歩くのはド迫力である。
7階建てのビルの高さに相当するねぷたが
移動できるように行政も動き、
立ちねぷたが移動する道路は、
ねぷたがひっかからないように
電線を地中埋設したそうである。
毎年1基ずつ新しく作られ
「立ちねぷたの館」に保存される。
過去3年間のねぷたは必ず見られるようである。
<3日目 8/6>
東京経由で帰るだけの3日目。
弘前発10:56の「つがる16号」に乗車。
青森駅へ着くころから私の乗った5号車は空調が故障し
野辺地に着く頃には車内は蒸し風呂のようになった。
私たちは6号車に避難したが、
うちわで扇いで我慢する乗客もおられた。
車掌にこの旨を伝えたのであるが
「他の車両の空席にお座り下さい。」
のような放送すらなく、
その対応は無視にちかくひどいものであった。
八戸到着前に「特急券の払い戻しについては相談中」
との放送はあったが八戸到着後ウヤムヤにされたようだ。
485系の古車両で運用するなら
空調もしっかりとリニューアルするべきだぞ。
この車両は空調が故障したまま、
折り返し「つがる13号」か「つがる17号」になるのかな
と思うと腹が立ってきた。
八戸からは東北新幹線、東海道新幹線を乗り継ぎ
京都着19:15。
帰宅後スグにJR東日本に抗議のメールを送った。
これからの対応が見ものである。
サイキョージ氏もDrKも、
485系のことをあまり良く言わないのです。
そりゃあ、新型がいいのはその通りです。
でも485系は国鉄時代から、
ひたむきにずーっと走り続けてきたのです。
不具合が出てこないということはあり得ません。
でも、そのことでお客様に迷惑をかけてはならない。
と現場の方々は最大限の努力をされているはずです。
問題はそうした事例が発生したときに、
どう対応したか。
どう対応すべきだったか。
というノウハウを蓄積し、
次にそのデータをどう活かすかなのです。
今、日本は国をあげて鉄道技術を世界に売り込もう
と躍起になっています。
一方、コスト面で優位に立つ中国に
アドバンテージをとられているかのように見えます。
E2系の中国版CRH-2を見るにつけても
鳶に油揚げをさらわれているように思われてなりません。
でも、日本には実績があります。
どれだけ多くの人々の移動を鉄道が担ってきたか。
日本の鉄道は
島国でガラパゴス的発展をしてきたに過ぎない
という人がいます。
諸外国では、日本国内とは異なる要求があるでしょう。
まったく別のニーズが存在することもあります。
しかし、大事なのは、そんな現場の声に耳を傾け、
いかに、その期待に応え、
プラスアルファーを提案していけるかなのです。
そこで実績がものをいうはずです。
485系は一つの試金石であると思います。
3電源であり、日本中の電化線で走れます。
難所といわれた勾配区間も、
電車が分刻みで走っている通勤路線も
こなしてきました。
また北海道という極寒地でも活躍したという車体。
そんな電車が第一線で特急の看板を背負って
50年間も走ったという実績を残せたとしたら、
日本の鉄道技術は新幹線だけではない、
これほどにすそ野の広いものなのだということを
世界に示せるでしょう。
そして,短期的にはコスト高に見えても
日本の鉄道車両はそれに見合う以上の価値を持つと
声を大にしていえるのではないでしょうか。
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