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2010年3月の記事

2010年3月31日 (水)

珍車ギャラリー 阪急6330系

2010年2月、阪急電鉄のエースとも言うべき6300系が特急の座から退き、
阪急の一時代が終わったなあという気がします。
6300系のさよなら運転については、ドクターKのレポートを先日UPしました。
こちらも是非ご覧ください。)

Hankyu_6330

それにしても、なぜ6330系まで、6300系と一蓮托生なのか…

なまじ両端にMMユニットをもつ6300系としては異端者だったものですから、
4連化改造されることもありませんでした…。

でも6330Fは、車齢も9年若く、システムとしても新しいもので
6330系と本来、別扱いすべき車両です。

私にすれば、6300系とは、区別して考えてやりたい系列なのです。
当J鉄局でも、珍車ギャラリーで取り上げております。
こちらもご覧ください。

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鉄道車両写真集はこちら 阪急電鉄 6300系 6330系
阪急京都線 8300系 7300系 5300系 3300系
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2010年3月30日 (火)

局長の春休み2010−その7

今日も行き当たりばったりです。
朝、蒲田駅の改札に入るやいなや、
北浦和駅で人身事故のニュース。
北上するのはやめて、まず、南武線の撮影からスタートしました。
川崎駅はあまりに人が多いので、尻手駅へ移動します。
平日なのに、鉄チャンが二人いたのにはびっくりです。
南武線オリジナルの205.209系を撮影しました。
ラッシュ時なのに、ほとんど被ることなく撮影できたのはラッキーでした。

次は、鶯谷です。
川崎駅から東海道本線に乗りますが、なんと凄い混雑でしょう。久々の超満員を味わいました。

Dsc_3410
鶯谷では、カシオペアと北斗星を狙います。
山手線もターゲットです。ホームドアを設置するに伴って、6ドア車両を淘汰することになっているのです。
新たに投入された車両がターゲットですが、なかなか撮影できません。
それにしても山手線の電車に限ってツリカケ電車みたいな音がするのですが、いったいどうしてなのでしょう。
カシオペアの撮影は見事に失敗しました。回送列車まで、それも北斗星と被るなんて…。
実のところ、お目当てはEF510-500で、これは、来なかったので、どうせまた来なければならないのですが、残念です。

次は、松戸に向います。
ターゲットは、E231の常磐線オリジナル車両と新京成の新車プラス3700系です。
ねばったわりには、お目当てのものを撮影できずガッカリです。

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局長の春休み2010−その6

高崎では、まず上信電鉄を撮影します。シーメンスのデキ1を駐車場から撮影します。
これも厳密に言えば不法侵入ですね。
なんかそのようなことをいちいち考えなければならない時代になってしまいました。
情報化社会というのは、便利なようですが、常に最悪の情報も提示されるので、人間はどうしても弱気になります。
知らぬが仏、フーノウズ、洋の東西を問わずおおらかさを是とすることばがありました。
それがいいとは思えませんし、その恐ろしさもわからないではありません。
でも,窮屈な世の中では人はイキイキ生きていけないような気がします。

続けて、高崎機関区に向います。
外から撮影できるものだけ撮影します。
かつて、と言っても20年くらい前の話しですが、DD51-1を撮影できました。
柳の下に2匹目のドジョウはいるでしょうか?
いました。EF64-1001茶色塗装です。
他にも何枚か撮影しました。
とはいえ、結構駅から遠いんですよ。
いい運動になりました。
でも,おかげて上信電鉄の銀河鉄道999ラッピング車両を撮影できました!

Dsc_3133

次は、大宮で降りニューシャトルに乗ります。
鉄道博物館?
いや、ニューシャトルそのものが、ターゲットです。
今なら、開業時の1000系に加えて最新の2000系まで3通りの車両を撮影できるのです。
大宮駅はループ状になっており、そのまま新幹線の下り線に沿って北上します。
加速は結構いいです。ホームドアがなく運転手が乗車している新交通システムです。
いい撮影場所があるかな?と期待したのですが新幹線の壁にさえぎられて、にっちもさっちもいきません。
終点まで乗車しましたが、撮影できる場所はほとんどありませんてした。
結局、車庫のある丸山駅で撮影しました。

Dsc_3193

ニューシャトルに限らず、新交通システムというのは撮影が難しいですね。
今日はこれでおしまい。蒲田にある常宿に向います。

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2010年3月29日 (月)

局長の春休み2010−その5

八王子のビジネスホテルを7時過ぎにチェックアウト。
今日は、これまた久々の八高線に乗車します。
少し早く出発したのは、八高線の209系を撮影するためです。
普段は、30分おきですが朝のこの時間帯なら倍の本数になります。
特に71、72編成は珍車ハンターの私としては、是非ともおさえておきたい電車です。
Dsc_3048

北八王子で撮影します。結構停車時間が長いので、ここで交換する上下列車を撮影するのもやってやれないことはありません。
ただこの時間、やたら混んでいるのです。止めておいたほうがいいと思います。
うまい具合に、お目当ての209系も撮影でき気分をよくして八高線を北上します。箱根が崎の駅などめちゃめちゃ立派で、とても八高線の駅とは思えません
高麗川からは、キハ111、かつてこの区間に乗車した時は、拝島からキハ38でしたから、眺めが違うのも当然ですね。
かつて、そこかしこにいた貨物列車も姿を消し、だだっ広い構内が時の流れを感じさせます。
今日は、本当に寒く、もうすぐ4月とは思えません。明覚の駅では交換列車を撮影できたのですが、背景となる桜は、つぼみが固く絵になりません。残念!

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局長の春休み2010−その4

そのまま、東京方面へ行っても芸がないので、大月で途中下車することにしました。
大月到着は16時20分
天候も悪いことに、小雨模様です。空ももはや薄暗く、気持ちが萎えそうになりますが、
うまい具合に富士登山電車が、撮影できるかも…
と気持ちを奮い立たせて、下車します。
幸い大月に到着すると雨は、ほとんど上がり、
多少薄暗いながらも、なんとか撮影することが出来ました。
前述の富士登山電車はもちろん、旧塗装の1000系。フジサン特急も撮影できました。

Dsc_2991

それに加えて189系の臨時快速まで!
考えてみれば、日曜の夕方です。
行楽客帰京にあたって、
こういう列車がこの時間に集中するのは、当たり前のことですね。
行き当たりばったりのわりには、うまい具合にいきました。
今日の撮影を終えて、立川行きに乗車します。
今日は、堪能するくらい115系に乗車しました。
私としては、もっとも聞き慣れたモーター音に少しゴツゴツした乗り心地。
この当たり前の感触が、遠からず当たり前ではなくなるのです。
ちょっと切ない思いを乗せて、115系は、闇の中をひた走ります。

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2010年3月28日 (日)

局長の春休み2010−その3

ハイブリッドこうみは、結構混んでいました。
座れませんでしたがが、もとより運転台後ろに陣取るつもりだったのでノープロブレムです。
ハイブリッドこうみに乗るのは、実は二回目です。
でも、佐久海ノ口から、小諸にかけて乗車したので、いい写真が撮れなかったのです。
今回は、小淵沢でいい写真が撮れました。
前回、エンジンの音とモーターの音とのかねあいが面白かったので、これをビデオに収めたいと思っていました。先日、iPodナノを手に入れたので、早速ビデオ撮りしました。
どれぐらい映っているのか?楽しみです。
元々小諸まで、乗車するつもりだったのですが、野辺山駅で交換。

Dsc_2854

反対サイドの写真を撮影しながら、気が変わってしまいました。
何せ行き当たりばったりです。地方で安宿探しに苦労したことは数知れず!
今日のお宿も確保していません。
しなの鉄道の169系も撮影したいが、とりあえず東京方面へ戻ろう。
と踵をかえすことにしました。

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局長の春休み2010−その2

今日も乗鉄です。
久々の身延線はめちゃめちゃ混んでいました。
そのほとんどが青春切符の乗客でそのほとんどが身延駅で降りるので私は、一時間以上、座れませんでした。
しかし、ここからはすいていて、のんびり車窓を楽しめます。ホッと一息つくと塩之沢駅
まだチラホラ咲きですが、桜が見事です。
カメラを構えている鉄チャンがいました。
身延駅までの身延線沿線は、大井川鉄道の沿線とよく似ていますが、こちらのほうがカーブもトンネルも多い感じがします。
元々は富士身延鉄道だったという名残は運転台横で前を眺めているとそれとなく感じられます。

鰍沢口駅からは、甲府盆地を走ります。
思いのほか、だだっ広い感じです。
Dsc_2764

甲斐上野駅で特急ふじかわと交換
ここの桜も見事です。
甲府駅で小一時間。パンをかじりながら、撮り鉄です。身延線のホームは、デベソ状態でなおかつ、北側を望めるので、J鉄撮りには好都合です。
ラッキーなことにスカ色の115系もゲット。
これに乗って小淵沢に向います。
もうおわかりですね。
次は、小海線。
ハイブリッドこうみに乗車します。

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局長の春休み2010ーその1

直前にならないとなかなか旅立てない私は、
今回も行き当たりばったりの旅をすることになります。
よろしく、お付き合いください。
恐妻家の私は、旅立ちの口実に娘を利用します。
浜松にある実家に連れて行ってやるよ。
というわけです。
普通なら、新幹線というところですが、青春切符を利用します。
娘は4年生ですから、新幹線を知らないわけではないので、
文句の一つも言えるのですが、素直に付き合ってくれるかわいい娘です。
そんな弱みがあるので車内では、言われるがまま遊びに付き合ってやります。
絵でしりとりをします。レシートの裏側の左上隅にリンゴの絵を描いてきました。
私はその隣りにサルの絵を描いて返します。
ゴリラと納得してラッパの絵を描いてきました。
これなら周りの人にもそう迷惑はかかりません。
コツは適当なところで負けてやり、同じ絵を使えるようにしてやることです。
結構盛り上がります。鉄パパさんにオススメします。

私は悪い鉄パパです。
娘の機嫌を取りながらも、カメラを手放すことはありません。
今回は、なんとドクター東海を一宮駅で発見してしまいました。
Dsc_2738

急遽、途中下車。
ドクター東海をゲット。
わけのわからない娘に、
「この電車はねー、お医者さんなの。偉いんだよ。」
と納得させ、次の電車に乗ります。
ご褒美に名古屋駅でごちそうを食べさせ、調子に乗って、
大府駅でも途中下車。武豊線と衣浦臨海を狙いますが、
ここではお目当てのものは撮影できませんでした。Dsc_2732

いやいや、贅沢言ってはいけませんね。
今日はドクター東海で大満足です。

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2010年3月19日 (金)

私有貨車 第3弾 タンク車 -セメント専用車/ラテックス専用車/硫酸専用車 

私有貨車の第3弾は、まずセメント専用車となる タンク車です。
第1弾で同じくセメント専用車のホッパ車をご紹介したわけですが、
数的には、タンク車のほうが上回ります。
中でも大所帯なのは、タキ1900です。
タキ1900形はS39からS56にかけて 
川崎 日立 日車 三菱などで製造されたのですが、
その総数は、計1729両。
これは私有貨車における最大両数となります。
紛らわしいものに、タキ19000というのがあります。
タキ1900同様、40t積みセメント専用車で、
製造された期間も重複します。
慌て者の私は、タキ19000を撮影したとき、
タキ1900のトップナンバーを撮影できたものと思いこみ、
幸福感に満たされたのですが、
ゼロが一つ多いのにがっかりした記憶があります。
とは言いながら、これも1/186の確率なのです。Taki_19000

また、ひとつおもしろい写真で、タキ9450というのがあります。
何かの理由でナンバーの一部が消えてしまっているものと思われるのですが、
それにしても、こいつの正体は何者でありましょう。
ご存じの方、是非コメントをお寄せください。
ちなみに、申すまでもないことですが、
ウソ電のような画像処理で作り出したものでは決してございません。

鉄道車両写真集 私有貨車タンク車

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2010年3月16日 (火)

Dr'K 急行 「能登」 ラストラン乗車レポート

3月12日(金) Dr'Kは、私の予想を裏切ることなく、
489系最終定期急行列車「能登」に乗車されました
以下はそのレポートです。

Noto_hokuriku_jyousya_syou

3月12日(金)
石川県白山市での出張研修に出発する前に、
少し早めに某駅のみどりの窓口で、
「能登」か、「北陸」にキャンセルが出てないか。ダメもとで訊いてみた。
「金沢→上野」NG。「金沢→大宮」NG。
で「直江津乗車は?」…OK。奇跡!
なんと当日で直江津から上り「能登」の指定をゲットできてしまった。

Noto_chiket_1 Noto_chiket_2

ここで第1問。
大宮→上野間を記念乗車で指定席に乗る人が多いことは予想できたので、
大宮下車で、初めきいたのだが、
なぜ私は、金沢からがだめだったら、高岡、富山をすっ飛ばして
すぐ「直江津から」をチャレンジした理由は何か?
(答えは、のちほど。ヒントは、私が関西人であること)。

2時間の研修を終え、
すっかり暗くなった加賀笠間駅から普通列車で金沢に移動。
はからずも国鉄色に乗れてラッキーだったのだが、
先頭車に乗っていたことがアダになる。

金沢着と同時に馬鹿鉄どもからフラッシュ攻撃。
デッキ狙いをモロに目に受けたので、階段から上がってきた駅員に
(肖像権の観点からも良くないので)排除を訴えると、
「あんたも(フラッシュ使った撮影)やるんでしょ。おたがいさまだよ」
と、吐き捨てられる。
「(フラッシュを使った撮影を)やらないよ」
「いや、絶対やってる。やってないと言えるのか」
…その絶対、と言い切れる根拠は何なんだろう?
私が「(馬鹿鉄どもを)排除してくれ。」といったことなのか?
「なんなら、(フラッシュなしで)撮影したのをみせてもいいよ」
(見てもらえれば、フラッシュなしで撮影しているのは一目瞭然だから)
というが…、聴く耳持たずでその駅員2名と睨みあい。
間に入ってくれた別の駅員1名によって助かったが、何という言い草…。
前科のある駅員の運賃・料金過収受とかより、
元旦乗りつぶしの時の御坊駅員の対応よりも、
もっと…今までの経験で、駅員の対応で最も腹立たしいものだった。
私の経験上、高架になった現在の金沢駅のホームにおいては、
1日中蛍光灯のあかりがあるので、
夜暗くなってから(夜中)でも、フラッシュなしでも十分対応が可能なのだ。
フラッシュなしでは絶対に撮影できないポイントは「ない」。、
(厳密には1か所だけあるが、私は陽のあるうちにしか、そこでは撮影しないから
日が落ちてからのそこは私の撮影場所の選択肢からはずれる)。
というよりむしろ、そこは選ばないし、画像処理で何とかなるので、
露出で調整し、特にあれだけ人が密集しているようなところでは、
周囲の人の目を傷めることがあるので、私は絶対にフラッシュは使わない。
譲り合ってマナーよく撮影していたグループもあっただけに、
非常に残念だし、JR職員にはまったく肖像権という観念がないことに非常に驚く。
形だけ民間会社になってもしょうがないということが最もよくわかる一面である。

 3月12日 夜の金沢駅
20時の段階で、5番線ではすでに能登の自由席待ちの列ができあがっている。
再三再四「自由席の混雑が予想され入場制限あるかも…」の放送がされている。
それを裏付けるように、
切欠きホームのある4番線側は狭くなっているところに人が多く集まり、
鈴なりの状態である。
 先のこともあって、撮影する気にもなれないので、
駅近くのなじみのそば屋で夕食をとって21時すぎにホームに戻る。
1・2番線以外は、さっきとは比べものにならない人の数にふくれあがっている。
6号車の自由席待ちの列の最後尾に加わると、
しばらくして2人組鉄氏がやってきて、
「この列はどの列車を待っている列ですか?」「能登だけど」
というやり取りの後、彼らが私の後ろに荷物を置いて列につくと、
そのやり取りを聞いていたのか、一気に列が長くなった。
彼らも含め、マナーを守って撮影している鉄ちゃんも多いのだが、
馬鹿鉄も少なからずいる!駅員の怒号が鳴りやむことはない。
しかし、28日の東京駅や「のぞみ29号(500系新幹線)」の車内と
全然違うのは、フラッシュ撮影についてのお願いというか、
そういう案内は残念ながらほとんどなかったことだ。
思い起こせば、阪急では、このお願いが徹底されていた。
なかでもJRグループになかった案内(鉄へのお願い)で、
阪急に感心したのは
「他のお客さんを撮らない(つまり、一般客の顔が入らない映し方をするように依頼。
肖像権に配慮している。)」ことである。
なんでもないようだが、これは非常に大事なことで、
万一裁判沙汰になった場合、
このテの知的財産権は、賠償額もハンパな額ではないからだ。
局長さんはよくご存じだが、
私は、職業柄「知的財産権」というところは専門分野なので、ことさら敏感なのである。

能登が出発する3・4・5番のりばは、4番線が切欠きホームである特性上、
金沢止まり、金沢始発の列車がとくに多く発着するので、
始発となる地域輸送列車(普通や「おやすみエクスプレス」)を待つ列が、
普段でも自然と長くなるし、当日は年度末となる3月の金曜日だから、
そのなかには一杯加減の人も結構いる。
こんな状態なので、金沢止まりで乗客が吐き出されていった電車が入庫する際は、
いずれも最徐行で引き上げていくし、
なかには強烈な汽笛を残して出ていく電車もある。
そんな中、サワ総(←車両基地の金沢総合車両所の略)から、
EF81‐134を先頭に「北陸」編成が6番線に一旦入線することになる。
ボルテージが上がるが、これは機回しのためであり、
慌ただしくもいったん西側に引き上げる。

ほどなく6番線に七尾行が到着。
この電車は金沢始発の富山行と、
後続のしらさぎ61号の金沢到着を待って発車するため、19分停まる。
しらさぎ61号がやや遅れて5番線に到着し、
この客を受けて6番線の七尾行が発車する。
同一ホームにすればいいのだが
4番線は行き止まりホームなので西側からは入れない。
3番線は敦賀行最終、小松行で埋まり、
この列車を振りたい1・2番線も金沢
止まりの電車が入庫待ちしている状態なので、
あいているホームがここしかないのである。

七尾行が最徐行で出発するとすぐに「北陸」の入線放送が入る。
再びボルテージが上がり、駅員の笛と怒号が鳴りやまない。
しらさぎ61号だった683系2000番台が5番線にでんと居座っている。
その向こうに、機回しを終えた「北陸」編成が、
ヘッドマークも誇らしげなEF81-134を先頭に入線。
強烈な汽笛を2発、馬鹿鉄にお見舞いするが、
音鉄たちにはいいプレゼント(爆)。
少し恨めしいが、「北陸」が止まっている20分弱の間に、
5番線は3種類の特急型車両がやってくるので、
それぞれと14系の並びが味わえると思おう、とプラス思考。
683系2000番台が最徐行でサワ総にはけると、入れ替わりに
5番線にはサンダーの付属編成(3両)を使用している
福井行特急「おやすみエクスプレス」がこれまた最徐行でやってくる。
この列車は「能登」の直前に5番線から出発するのだが、
サボを狙う馬鹿鉄がフラッシュをたくので、
サボ前の座席に座っている一杯加減の男性客が非常に迷惑そうに顔をしかめた。
フラッシュをたく彼らには、この男性の表情が目に入らないようである。

Noto_last_run

・能登( 金沢 22:15 → 上野 ○ョ○ョ6:05 )
「おやすみエクスプレス」が発車すると、
ほどなく「能登」の入線放送が入る。
金沢駅のボルテージは最高潮になり、
鉄ちゃんは心臓をバクバクさせながら「能登」を待ち、
駅員、警備員は馬鹿鉄どもの動きをハラハラしながら見ているという、
異様な雰囲気になる。

489系の姿が東側から見えると歓声とともにフラッシュの嵐。
遅れて「さがってください!」と怒号と笛の音が飛ぶ。
489系もたまらずタイフォンを浴びせる。その音に反応してさらに歓声。
 私は腕を真上にあげ、後ろの鉄氏に被らないように気をつけながら、
そのままの位置で望遠を使って撮影した。
馬鹿鉄のフラッシュが予想よりも強いので、
さらに露出を1段階下げて撮影した。
(結局昼間よりも1段下げる。このくらい明るいからフラッシュ不要)。
 
「能登」の扉があき、我先にと列の前のほうの鉄ちゃんはラウンジを目指す。
さすがにラウンジを占有するような輩はいない
(プレス発表直後ぐらいの下りに大宮から時に乗った時にはいたが)。
 一番ラウンジよりの窓側の席を確保できる。
ラウンジは混んでいるが、自由席は通路側にポツポツ空きがある感じ。
夜食と飲料を買い込むためにいったん外に出ると、
7番線にはサンダーバード45号が到着。
これもフラッシュ放火を浴びる。
この列車は付属編成(前3両)をここで切り離すので、
分割作業の撮影にカメラマンが殺到するのだ。
発車ベルが鳴り、「能登」が静かに動き出す。
金沢でも1500人の人出があったそうだが、ホームの先端はすごい人。
車内は報道関係者が非常に多く、
彼らがうろうろしているのでなかなか落ち着かない。
彼らも仕事だから大変そうなのはわかるが、
取材、撮影マナーには会社によって大きな差がみられた
ことを付記しておく。

私の隣を含め、通路側ばかり3つ空席があったところへ、
おかあさんと孫娘の手をひくおばあちゃんという家族連れがやってくる。
上野まで乗るようだ。
 せっかくだから家族でかたまって座れたほうがいいだろうから、
おばあちゃんに、
「俺、直江津までだから(いっしょに座れるように)席かわろうか?」
と声をかけた。
そうすると、すぐ横のサラリーマン風の男性が同様に、
「私も富山までだから」と立ってくれて、私の座っていたところにお嬢さん、
その横に、おばあちゃん、通路を挟んでお母さんと、
3人が通路を挟んで座れる状況になった。
津幡直前で、席を立つ順番を一緒に考えて、
それぞれが確保した座席をトレードする。

その富山の男性のように、気を使ってくれる鉄ちゃんもいれば、
相変わらずラウンジとかではフラッシュがたかれていたり、
糸魚川を過ぎたところで、
「これから記念乗車証を配ります」
という別の車掌氏による放送直後にやっと汗だくになってひぃひぃ言いながら
検札にやってきた若い車掌氏に、(おそらく会話から、きたぐにに乗って折返すのだろう)
「直江津で降りるんだから、早く記念乗車証持ってきて」
と無体な言葉を浴びせる無神経な馬鹿鉄もいる。
 私も検札時に車掌氏に声をかけてお願いすることはしたが、
記念乗車証のことではなく、撮影、取材のマナーについてのことである。
 車掌長氏の放送で、
1号車はレディスカーなのでデッキにも男性は入らないように
呼びかける放送ができるのならば、
この放送も合わせてできるはずだからである。
女性を撮るためではなく、車両を撮るためとはいえ、
カメラを持った男がレディスカーに立ち入っている時点で
かなり怪しいということがわからないのだろうか。

さて、ここで第2問。
金沢から乗っていれば、普通は富山までに、どんなに遅くても
おやすみ放送がかかり、泊駅発車までには必ず検札がやってくる。

なのに、なぜこの車掌氏は、6号車の検札にやってくるのに、
ここ(糸魚川)までかかってしまったのでしょう?

さすがに489系もくたびれているのは隠せない。
ラウンジを仕切る自動ドアにはセンサーが2か所ある。
が、そのうち手頃な高さのほうのセンサーが反応しないために、
ドアの前で立ち止まる人が多かった。

直江津到着直前に車掌長氏がやってきて、記念乗車証を受け取る。
「能登」の編成図が描かれているのだが、パンタグラフの位置が違っている
(正しくは、2,5,7号車だが、3,5,8号車になっていた)のはご愛嬌。

Noto_jyousya_syou

話が前後するが、泊駅発車後、NHKの取材クルーが、
先の家族連れに取材をしていたときに、
富山で降りた男性と私と席を替わることでかたまって座れたと
嬉しそうに話してくれたことはゆずってよかったなぁ、と思った。
がその流れで、「どの人ですか?」という
ことになって、2列後ろで今日の研修報告書を書いている私のほうにカメラが向けられた。
直江津で席を移動するまでに研修報告書を書きあげたかったのと、
取材マナーを心得ているかを知っておきたかったので、
丁重に写さないでほしい旨をインタビュアーに伝えると、
カメラを振った時にもし私が移っていたら、
編集でカットして番組では使わないと約束をしてくれた。
さすがは天下のNHKと思った。

指定席は空席が目立つが、満席だという。
確かに「にぎやかし(切符を残すため指定だけ全区間取って乗車しない)」や
記念乗車証目当ても少なからずいるだろう、と思いきや、
0時というのに糸魚川ではものすごい人出。
それも、かなりの数が指定席、自由席とも乗ってきたし、
また、続行している「北陸」に乗車しようと待っている様子のも多くいた。

ここで第3問。
なぜ糸魚川に鉄道ファンがこんなにいるのか?
答えは、
糸魚川だからこそ、これだけの鉄道ファンがいるのである。
糸魚川といえば、大糸線とレンガ車庫である。
今回の改正では「能登」、「北陸」がどうしても目立つが、
ひっそりと引退するローカルの国鉄型車両もいるのだ。
大糸線のキハ52型と、嵯峨野線の113・115系電車がこれに該当する。
京都口の113系は、湖西線、草津線には残るので、
まだその雄姿を拝めなくはないが、大糸線のキハ52は、
JR西日本管内に他に残っている場所はないから、
その多くはこれに乗りに来たのだろう。

糸魚川を過ぎるとすぐ、電化方式切替の交直セクションがあるため、
「バチン」という音ともに照明が落ちる。
いったん戻るが、直江津手前で減光されて再び薄暗くなる。
こういう光景も近い将来見られなくなる…

直江津には0:24、定時に到着。
やはり人出は多い。0:57に大阪行「きたぐに」があるため、
「能登」と「北陸」を撮影してから、
または金沢方面から直江津まで両列車に乗車してきても、
折返して富山には2:17、金沢には3:04に戻ることができる。

第1問の答えはズバリこれ。
北陸側で記念乗車した鉄ちゃんの折返しの足の便を考えると、
最も効率がいいのがこの大阪行急行「きたぐに」なのだ。

大阪府下在住の私にとっては、
冬場の移動の友であるこの「きたぐに」を利用することが多いので、
「能登」とどこですれ違うかはもちろん把握している。
それを考えると、夜中にも関わらず
わずか33分の待ち時間で折返せる直江津の時刻設定を
真っ先に考えるからだ。
私もこれで大阪に戻ることを想定に入れていたこの考え方を元に、
直江津で下車して折返す鉄ちゃん(関西人)も必ずいると読んだので、
直江津から彼らが座っていた後釜になれるにちがいない、
と思ったのである。

直江津でいったん外に出て能登を撮影し、
今度は指定を確保している2号車に乗り込む。
通路側のC席だったが、D席にはだれもいなかった。
A席にも誰もいなかった。
周囲に誰もいないのを確認して、上越線に備えて静かに椅子を回す。
B席には、新聞記者の方が乗っており、
カメラで撮影してはそれで原稿を作り、
PCでリアルタイムでやり取りされていた。

信越線に入り、快調に飛ばし、真っ暗やみの中で
弥彦線用の電車が眠る柏崎を通過し、宮内で上越線と合流。
ここで、あらかじめセットしておいた携帯のアラーム(もちろんマナーモードで)を
合図に私がD席側でカメラをスタンバイする。
この私の動きを見た記者氏も、何かあるのか、とカメラを準備する。

「能登」は午前1時半前に長岡に到着。
乗務員交代、方向転換のために運転停車する
(個人的にはここは営業停車でもいいと思う)。
電車の振動が止まり、眠い目をこすりながら、
反対側のホームに「あけぼの」の姿をみて、あわててカメラを出す鉄ちゃん。
面白い光景だったが、こうなるのを把握していて、
あけぼの側からもカメラを回しているファンも結構いた。
これには車内から
「うわ、向こう(あけぼの)側から撮ってるよ」という声も…。
JRの大型時刻表でもわからないが、ダイヤグラム
(縦軸に距離、横軸に時刻をとったグラフ状の時刻表)
を起こしてみれば、これはすぐにわかることなのだ。
「あけぼの」をおさめたあと、私が体を翻し、
周囲の寝ている人を起こさないように注意しながら、
今度は反対側の車窓を望遠で狙う。記者氏もこの私の動きに反応する。
そのとき、EF64の汽笛がかすかに聞こえる。
その音であわてて他の鉄ちゃんも何が起こるのかを察したようだ。
「あけぼの」を引っぱってきたEF64が機回しして機関区にひき上げる時、
「能登」の真横を通過するのだ。
これをおさめたあと、思わず記者氏が
「なるほど、こういうことか」とつぶやいたのがかすかに聞こえた。
この記者氏も、フラッシュを使わずに対応していた。
さすがはプロである。

今度はレディスカーの1号車を先頭に、上越線を走り出す。
2時過ぎに上り最終の「北陸」とすれ違う。
その直後、再び私の携帯アラーム第2弾。
設定時刻は2:15。今度は記者氏も夢の中。
そのなか、やはりD席側で、
進行方向とは逆方向に露出をめいっぱい上げてカメラを構える。

 第4問。私がカメラで狙っているのは何?
しばらくすると、越後湯沢での乗務員交代の運転停車に備えて、減速する。
時刻どおりなら、ガーラ湯沢を過ぎたあたり、越後湯沢駅構内に入る直前に、
上り「能登」とすれ違うのだ。私の狙いはこれである。
出来は今一つだがとりあえず成功。時刻は2:22。すげぇ。

越後湯沢駅では、2時台だというのに、多くはないが複数のカメラマンがいる。
やはり、わずかの時間に上下の「能登」、「北陸」が狙えるからだろうか。
 その光景をみながら、わずかな眠りに就く。
新前橋駅付近でトイレに立った以外は記憶にない。

午前4時5分、定時に高崎駅8番線着。
ここで眠りを妨げられ、起こされてしまう。
その原因は馬鹿鉄どものフラッシュ放火。
とくに1号車デッキは、少し狙いがずれただけで、
客の顔(それも寝顔)が窓ガラス越しに映ることに対して、
何とも思わないのか?
まして1号車はレディスカー。あらぬことで疑われかねない!。

こんな時間なのにすごい人。
32分の停車時間があるので、
車内からも、馬鹿鉄どもが我れ先にと飛び出していく。
この喧騒ですっかり起こされてしまった私は、車外に出て缶コーヒーを買う。
貨物列車に抜かれるのはいつものことだが、
今日はもう1本余分に抜かれる。
それが秋田の583系というのだから。もう大変。
高崎の駅員も必要以上にマイクを使えない
(能登の客を起こさないように)対応には苦慮されているようだが、
もはや収拾がつかなくなっている。

ラストランは、JRではここのところ毎年なのに、
2/28(6300系特急ラストラン)にむけての阪急のHPと比べても、
あきらかに撮影マナーに関しての呼びかけは不足している。

高崎で下り「能登」に乗ったという鉄ちゃんがA席に乗ってきた。
彼は大宮までだという。
私の隣は埋まらない。おかしいなぁ。
熊谷駅は初電が「能登」の直後を追いかけるにもかかわらず、
人出があった割には、さほど混乱している様子はなかった。
走行そのものはいたって順調で、5時29分に おはよう放送。
大宮までは2号車の乗車率は3分の2程度だったが、
大宮で記念乗車組が大量に乗ってきて、指定、自由とも超満員になる。
ずっと空いていた、私の横、D席にも記念乗車の鉄氏が乗ってきた。

2号車のトイレが埋まっていたので5号車のトイレに行ったのだが、
その帰りに見た光景をお話ししよう。
あえて乗車券だけで乗ってくる鉄ちゃんたちが多い、
これは明らかに車補狙い。
車補とは、車内補充券のことである。
車掌の持っている発券端末から発行される列車番号入りの切符のことで、
記念にこれをとっておくのだ。

対応されているが数が多すぎて追いついていない。
車掌も予備の記念乗車証などで対応し、駅で精算するよう依頼している。

2問目の答えはこれ。
金沢から自由席に乗る鉄ちゃんも、ほとんどが車補狙いで、
あえて入場券や1区間の乗車券のみで乗ってきているのだ。
これとよく似た光景が、
10月の鉄旅時の北陸鉄道のアテンダントのお嬢さん。
こういうときの乗務員は死ぬほど忙しくなるのだ。
(私も車販のアルバイトでラストランを経験しているのでよくわかる)。

尾久の手前で最後の車内放送。
「能登」の歴史と、今後の予定(485系での多客臨)を含め、
長年の愛顧を489系に扮して感謝の意を述べる車掌長。
彼の声が若干震えていたのは印象的だった。

上野にはホーム先端の柵から身を乗り出さんとする馬鹿鉄どもがいるのだろう。
強烈な汽笛とともに最徐行で15番線に進入。
ものすごい人。さらにもう1発強烈な汽笛。
フラッシュの嵐の中、徐々に速度が落ちる。
すると、カメラ片手に、駅員に怒号を浴びせられても
なおホームを「能登」と並走する馬鹿鉄が徐々に追いつき、追い越せ…、

上野に到着。
すこしの間があって右側のドアが開き、一気に人が吐き出される。
再び「走らないでください!!」という怒号が聞こえるが、
そんなのお構いなし。
鉄チャンだけでない、報道組も必死である。

降車客がひと段落すると、車内点検のために駅員と清掃作業員が入るが、
その間隙を縫って乗込み車内を撮ろうとする馬鹿鉄がいたため、
今度は「この列車は回送列車です。お乗りにならないでください。
回送列車です。降りてください。」という叫び声が。

そんな声をよそに、「能登」を撮影して、
「北陸」が到着する14番線の車止め付近に移動。
2列目のくるわだが、意外とおいしいポジションをゲットできてしまう。
3列目のくるわの親子鉄に被らないようお互いに気を遣いつつ、
アングル、露出等を確認。
カメラのバッテリーがなくなってきたので、
「北陸」撮影まで電池が持つように祈りながら…。
バッテリーを温存するため、カメラの電源を切って待っていると、
右足になにかが刺さったような痛みが走る。
その原因は、某テレビ局のカメラマンがのるための小型の脚立。
私の右足の靴の上にスタッフが平気で脚立をセットする。
「痛いなぁ、」
と声に出しても聞く耳持たず。
足のおき位置を変えたら、脚立を私の足にぶつけながらにじり寄ってくるし、
さらには別の会社のカメラマンが、
1列目と2列目のわずかな隙間に脚立を置いてその上に乗る。
2列目より後ろは完全にふさがれる格好。
「いくらなんでも、報道機関だからって、何をやってもいいってもんじゃない。
それは、おきて破りだろうがよ」と、
さっきのパパ鉄氏が思わずこぼすと、
周囲からいっせいに大ブーイングの嵐。すごすごと引き下がる。

ちょうどそのとき、「北陸」が見えて、
さらに私の足にめり込まんばかりに3~4回、脚立をぶつけながらにじり寄ってくる。
さらにはカメラマンの機材袋のようなもので顔面をはたかれる。
ぶつける相手が柔道で鍛えた私の体格だからこそびくともしないのであって、
その私が見えていないのだから、
私のすぐ後ろにいた140cmそこそこの親子鉄の少年が見えるわけがない。
ぶつけた相手が彼ならば確実に吹っ飛ばされて怪我をしているだろう。
その局の映像は、埼玉県某所で受けた2日目の研修の昼休みの間に、
みごとにその日のお昼のニュースで使われていたのを見ることができた。
(編集された画像のアングルがほぼ私が撮ったものと同じだったのですぐにわかった)Hokuriku_last_run

馬鹿鉄以上に、一部報道機関のわがもの顔っぷりにも閉口させられた。
そういう報道機関には、取材、撮影を今後一切禁止してもらいたいし、
このような状況が続くのなら、
その列車の切符を持っていない人を、その列車のホームからはシャットアウトするなど、
さらに厳しい規制を考えざるを得ないだろう。

そうなっては、さらに切符がプラチナチケット化するし、
一部の心ない輩のために、すべての人、特に鉄チャンにとって
つらいことになっていくだろうということをあらためて危惧させられたし、
あたりまえだけどそれができていないので、
JR側ももっとマナーについては訴えなければならないのでは?

というわけで、今回のレポートもDr’Kのぼやきが連発しています。
お読みいただければ、おわかりだと思いますが、
名残を惜しみながら、その最後の姿を見届けようという思いは皆同じなのです。
鉄チャンであれ、報道機関の方々であれ、JRの職員さんであれ、
他人に不愉快な思いをさせてやろうと思う人はいないでしょう。
そういう思いでこのレポートをお読みいただければなあ。と思っております。

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2010年3月15日 (月)

私有貨車 第2弾  タンク車 ガソリン専用車 二硫化炭素専用車 をUP

私有貨車第2弾からは、しばらくタンク車が続きます。

Taki_9768

貨車がどのように発展変化を遂げてゆくのかを見ていただこうと、
製造初年の古いものから並べています。
(形式順に並べた場合、目的の車両に行き着くのにはいいのですが…)

特にガソリン専用車は、その車両数、形式数ともに多く存在します。
当J鉄局では、幸いそれらポイントとなる車両の撮影に成功しました。
タンク車発展の流れを概観いただけるのではないかと思っております。

なお左下の 88-239 とか言う数字は、
1988年、JR化1年目における当該車両の在籍数です。

私有貨車 ガソリン専用車 二硫化炭素専用車のトップページへJUMP 

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2010年3月14日 (日)

JR東日本の113系画像をUP

JR東日本の113系画像をUPしました。

JR東日本 113系 房総各線’06 東海道本線'05のトップページへJUMP 

Jre_113_c_204_0

タイトルにも示したとおり、
房総各線のものは2006年8月(銚子駅、木更津駅)で
東海道本線のものは、2005年3月(東京駅)8月(小田原駅)に撮影したものです。

古い写真と東海道本線(熱海以東)に乗り入れてきている
JR東海のT編成は、またの機会にご紹介します。

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2010年3月 8日 (月)

Dr'K 阪急6300系 ラストラン 乗車レポート

前回の「500系新幹線-のぞみ-ラストラン乗車レポート」の続きです。

Dr'K 阪急6300系 ラストラン 乗車レポート

 
烏丸駅から、いったん桂に移動。
-11運用ある日中の特急運用のローテーションを確認する。-

6350Fの周りにどんな編成が入っているのかを見て、前後に狙う編成を絞った。
当日の昼間ダイヤの特急のローテーションは、

7320F(7300系改)→9301F→7323F→6350F→7306F
→9309F→9305F→5304F→9307F→93??F→93??F

(9307Fと7320Fの間の2本は、すれちがいになり編成番号を確認できず。
2本とも9300系後期車のLEDを確認できたので、9303Fか9310F)
で、→7320Fに戻る。

河原町に移動。、
-6350F目当てで9301Fを見送りながら、並ぶ場所を選ぶ。-

当然のことながら、梅田より先頭車の1号車前よりは
すでに長蛇の列なので後ろの2ドア乗車口に並ぶ。
たまたまだが、鉄チャンが少なく、1人を除いて9301Fに乗車してしまったので、
はからずも、幸い列の先頭になった。
 「次の特急は3ドア車です」という案内がされているが、
2ドア乗車口の行列だけがドンドン長くなっていき、
中央の3ドアの乗降口に並ぶ人はゼロ。
続いて7323Fが入ってきたが、先頭の私を含め、列の8割ぐらいの人は微動だにしない。
2割ぐらいの人が、「あれ?乗らないの?」みたいな感じで、
怪訝そうに7323Fに乗車する。
行先案内板に「2ドア」の文字が出る瞬間を狙って、
列に並ぶカメラを持った人間が一斉にシャッターを切る。
 
7323Fが出発して、「17:30発特急梅田行2ドア」の表示が現れると、
さらにシャッター音が。シャッター音がおさまらないうちに、
6350Fの姿がトンネル越しに見え、歓声がわき、一斉にカメラを構える。

下車後いったんドアが閉まり、転換が行われてから再度ドアが開く。
進行方向右側の窓側の席を確保。
しばらくして隣には、梅田まで通しで乗車した女性客が座る。
そのおり、そのすぐそばで、荷物を置いて席取りをする馬鹿鉄が。
乗り込んできた年配の女性グループが座ろうとすると、
「ここ(人が)来ますから」といって陣取る。
トラぶって当たり前。一部マナーの悪い馬鹿鉄のために、
十把一絡げですべての鉄チャンが一般客に白眼視される残念な一面である。
一般の阪急京都線ユーザーにとっては、いつもの「特急」であって、
10分おきに来る特急がたまたま古い車両で来た、ぐらいの感覚しかないし、
阪急で通勤する人にとっては、
高槻市駅を普段利用している先輩のMさんのように、
「新型の9300系よりも、6300系のほうが、座席が多いから助かるし、
奥のほうの座席が確保できれば落ち着いて乗れるから好きだ。」
という方も結構いらっしゃる。

河原町(17:30)⇒ 梅 田(18:14)

あれよあれよという間に河原町停車中の時点ですでに座席は埋まり、
普段なら烏丸か桂の発車後ぐらいのけっこうな乗車率で河原町を出る。
烏丸、桂でも普段よりもやや多めの乗車があり、
桂発車時で通路まで立客で埋まる。
長岡天神までの沿線にカメラを構える鉄チャンは非常に多く、
その中には危険な構え方をしている輩も散見された。
長岡天神の乗降は普段とそう変わりはないが、
高槻市、茨木市は乗降が明らかに普段よりも多い。
茨木市発車時は普段の夕方のラッシュよりも多い感じ。
淡路でも狭いホームにカメラマンが数多くいるため、
天下茶屋行との相互乗換で手間取って2分強遅れる。
4号線に発着し、5号線に発着する高槻市発の天下茶屋行との接続なので、
そちらのダイヤには支障しなかった。

十三で半数以上の客が下りてしまうところは普段と変わらないのだが、
淡路以後の駅では「撮影マナー」「ホームから下がれ」以上に
「この電車は乗り降りに時間がかかります。
立ち止まらず、押しあわず、順序良くご乗車ください。」
と整列乗車を促す放送が盛んにされていたのが印象的だった。

十三では馬鹿鉄のためにすぐ発車できず、2分遅れを引きずったまま梅田着Hk_6300_last_run
梅田ではいわずもがな、阪急京都線沿線で一番カメラを構える人が多かった。
とくに、1号線の車止め付近は非常に多く、
「通路をあけてください。
 立ち止まらないよう、安全確保にご協力お願いいたします(ほぼ無理な注文)。」
と怒号が聞こえたので、気の弱い私は、
カメラではなく、携帯の自分を撮る機能を使って撮影を試みながら、
素早く乗車ホームへ移動した。

梅 田(18:20)⇒ 河原町(19:04)

梅田ではただでさえ帰宅客で混雑している状況なので、
とりあえず乗れそうなところを探し、5号車に乗車。
幸い、進行方向右側の通路側の席を確保できる。
梅田発車直前の時点でもうそこそこ通路まで立客がいる状況。
そんななか「通りまーす。さよなら運転云々」と言いながら、
1号車側から人をかきわけカメラ片手に馬鹿鉄が。
こういうのは報道機関に任せるか、阪急に許可取ってやってもらいたいものだ。
それ以外にも、携帯やカメラ片手に車内撮影している人があちこちにいるのをみてびっくりしたカップルが、なぜか私に尋ねてきたので
「この旧型の2ドアの特急はこれが最終だからねぇ。」
というと、
「へぇぇ、たまたますごいのに乗ることになったんやなぁ」
と納得どころか、
「うちらも撮っとく?」とそのカップルまでもが携帯片手に撮影しだす。
でも、最終だ、運転距離No.1とかテンションが高ぶるのは、少数派で、
地元の普通の人にとっては、「いつもの電車」なんだなぁ、
ということを改めて実感させられるとともに、
いかに沿線の住民に「特急=6300系」ということが京都線では根付いているか。
ということを思い知らされる1コマだった。
慌ただしく定刻に発車した6350Fは、十三でさらに多くの乗客を乗せ、駅員の
「車両のなかほど、通路まで順次おつめあわせください」
という放送とともに大混雑になる。
淡路で降りようとするひとつ前の座席の女性も一苦労。
さらに堺筋線からの乗客で茨木市までが大混雑のピーク。

十三、淡路はいずれも日は落ちているものの、カメラマンの数は減っていない。
茨木市ではけっこうな乗客数が降りるが、車内はそれほど減った感じはしない。
高槻市で大きく減り、「普段より混んどるな。」ぐらいの混雑率になるが、
カメラマンの数は減るどころか増えている。

長岡天神では若干の入れ替わりがあり乗車率は微減。
桂で大きく減り、車内が見通せるようになった。
1号車、8号車を除き、これ以降は普段の特急の混雑率程度に落ち着く。
ちなみに、前出のカップルは桂で下車した。
河原町には定刻、3号線着。河原町駅は鈴なりの人。
次に3号線に来る準急は7両編成なので、今日だけは準急を2号線発着にして、
「もう少し余韻を味わわせてくれればいいのになぁ。」
なんて思いながら、わずかの折返し時間で撮影しました。
回送表示に変わって、慌ただしく帰っていく6350F…。
「長い間ご苦労様でした。」と、最敬礼で見送りました。

6350Fにとっては、最後の定期列車が、高い乗車率になり、
最後のはなむけになったのではないでしょうか

補足
向かいの1号線には、その1本前の運用から夜間ダイヤに持ち
替えられて変わっている(これには9306Fが充当されている)
ので、特急運用をバトンタッチする9304Fが停車している。

※ このことから日中のローテーションの9300系LEDの2本が9303F
か9310Fであることがわかる。

ただ、個人的な感想を言うと、
沿線の利用客のために、行楽ダイヤで運行するか、
(6350Fの前後の準急を快速にし、普通を河原町まで延長運転することで、
6350Fに極力乗客が集中しないようにする。)
特別ダイヤを組んで、往年の停車駅の臨時で仕立てるか、
(6350Fと9300系で限定運用する往年の停車駅を再現した臨時特急、快速急行、快速、準急、梅田~河原町・北千里、天下茶屋~北千里・高槻市の普通が20分サイクルに各1本、)
とかしたほうが、鉄チャンと沿線の一般客の共存にはよかったのでは。

以上が、Dr’Kからのレポートです。
「まだまだ修行が足りない私には、最後の補足が、もう一つよく分かりません。」
と申し上げると、Dr'Kから以下のお返事を頂きました。

補足についてですが、もう少し詳しく書きます。

休日ダイヤでは、日中ダイヤから夜間ダイヤに変わるときに、
3本ある6300系用(6350F、9305F、9307F)のスジと、
一般車のスジ1本(5304F)がなくなり、
一般車のスジ1本(7306F)が夜間は準急・各停運用に回るので、
都合5本減り、9300系用(9304F、9306F)のスジが2本増え、
さらに日中は準急を担当していた一般車8連スジから
1本(3330F)特急運用にシフトしてきて3本増えるので、
夜間の特急運用は差引き2本減って、3ドア車ばかり9本になります。

※( )内は当日にその運用に入っていた編成。

6350Fが河原町駅3号線に到着したときに
1号線に停まっていた差し替えの特急運用が9304Fで、
夜間ダイヤに変わったその直後の特急運用に9306Fが充当されていました。
ここに9306Fがいるということは、
昼間は桂で寝ている3本のうち、
(本来は2本なのですが、9302Fが全検に入っている関係で、
本来は9300系のスジに7320Fがいたので3本)
番号が確認できなかった1本が9306Fだということになります。
(桂で昼間寝ていないと、夜間この2運用には入れないので)。

9300系は11本あり、
種別・方向表示器が9000系と同じLEDになっているのは、
9303F以降の8本(以下後期車)で、
桂で昼間寝ている3本が9304F、9306F、9308Fだったことが判明したので、
残りの5運用にすべて後期車が充当されていないと数が合わないのです

(9300Fには特別装飾が施されているので見落とすわけがないので、
この編成は運用されていない。9302Fが検査入場中なので、
方向幕の初期車3本はこれで数が合う)。

Dr'Kは、この日、阪急京都線の特急運用をすべて頭に入れて、
行動しておられたのですね。うーむ。

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2010年3月 7日 (日)

珍車ギャラリー「都営地下鉄 新宿線用試作車 10-019」をUP

Tokyo_10_019_

珍車ギャラリーでは、今回「都営地下鉄 新宿線用試作車 10-019」をUPしました。

新宿線用試作車とはいいながら、試運転をしたのはもっぱら新宿線ではなく三田線。

それに、クーラーを設置して登場したのに、新宿線でデビューするときにはこれを撤去。そして数年後に再設置するという妙な経歴の持ち主なのです。

詳しくはこちらを…

東京都営地下鉄 10-000系試作車 10-019へJUMP

鉄道車両写真集 都営地下鉄 10-000系 のトップページへJUMP

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2010年3月 3日 (水)

Dr'K 500系新幹線「のぞみ」 ラストラン乗車レポート

2月28日(日) Dr'Kは、東海道新幹線における500系最終列車「のぞみ29号」に乗車されました。以下はそのレポートです。

 500系最終列車「のぞみ29号」東京(12:30) ⇒ 京都(14:50)

11時45分東京駅
新幹線南乗換口から友人I氏とともに16、17番ホームにあがると、
どのホームもすでに鈴なりの人だかり。
はっきりいって、銀河の時(銀河狂騒曲総集編参照)よりもひどい。
3号車よりも前(1号車より)は立錐の余地もなく、
自由席はまともに乗降できるのか? という状態であった。
指定された7号車に向かうと、ちょうど階段の部分になるので、
非常に狭い所に人が密集していて、普通に並んで待っているほうが危ない。
5号車付近に待避することにした。

折返しとなる上り500系の最終列車「のぞみ6号」の入線放送とともに
ボルテージは最高潮。
最終列車に合わせたのだろうか。500_w01_16_2

今日の500系新幹線は、W1編成。(珍車ギャラリー;500系新幹線W1編成参照)
駅員の怒号が飛ぶが、今日も馬鹿鉄どもにはどこ吹く風。困ったものだ。

12時13分
定刻に到着すると、超満員の客が一気に吐き出され、
さらにホームは危ない状態になった。
その流れに乗っかる形で7号車付近に移動する。
ここにも無神経な馬鹿鉄が、
7号車に乗ろうとして待っている乗客にフラッシュ放火。
「何撮ってんだよ!」とトラブっている。
見ているだけでも気分のいいものではないが、
何の関係もない友人のI氏にまで絡み出す始末。
さわらぬ神にたたりなし。
今度は、反対側の8号車側に待避することにした。
どのみち折返し運転で、車内清掃が済まないと乗車できないし…。
(折返し時間が17分しかないので、乗れるのはせいぜい3~4分前)

さあ、扉が開いて乗車したのだが、
7号車の車販基地前は、グッズを物色する客でごった返しており、
人混みをかき分けて、席につくのがやっと。
「ふーっ…」予想はしていたが、鉄だらけ。
音鉄が周囲にいないのは奇跡に近い。

町田に住むI氏は自由席で新横浜まで「のぞみ29号」に乗車するつもりだったが、

とても乗車できる状態ではなかったので、急きょ変更したのは大正解。

12:30定刻に出発。
走行そのものはいたって順調。
だが、ビデオカメラを回しながらうろうろする輩が多く、
昼食の時間帯も重なり車販さんもたいへんだ。
普段でもトイレに席を立つなど、意外と新幹線は通路を移動する客は多いのだ

相も変わらず馬鹿鉄どもはフラッシュをたきまくっている。
車内でも苦情が出ているのか、
再三再四、車掌さんは撮影マナーについて放送されているが、
やはり馬鹿鉄どもにはどこ吹く風。
つい最近、大和路線河内堅上で馬鹿鉄どもが電車を止めてしまい、
警察沙汰になったのも記憶に新しいのに、である。
自分が注意されていると分からないのであろうか?

車窓に映るも、ここぞというポイント(富士川、大井川、天竜川橋梁)には、大勢のカメラマンがいることはいうまでもない。

さて地球の裏側チリでは大地震。
12時現在、在来線の多くが津波警報で運転を見合わせていたので、
新幹線もどうなるかとやきもきしたが、
車内は気のせいかいまだ落ち着かない状態だ。
名古屋到着時には、
津波警報の影響で「快速みえ」が運休になっていると放送があった。

名古屋駅でも、フラッシュの嵐。
またも駅員の怒号が飛びかい、まともに乗降することもままならない。
名古屋でC席が入れ替わり、
新大阪までの間、膝にお嬢さんをすわらせたパパ鉄さんが乗ってこられた。
すこし心が和む。

やはり沿線でカメラを構える人影が多い、
特に多かったのが、名鉄栄生駅と関ヶ原、近江長岡付近だった。
私は京都で下車したのだが、
阪急6300系撮影とあわせて来ている鉄チャンも少なからずいたようだ。
私がなぜそれをわかったのか? というと、
私は、京都から地下鉄に乗換え、四条駅から阪急烏丸駅を目指したのだが、
同じ流れで移動している鉄チャンが多かったからである。

というわけで、Dr’Kのレポートは 引き続き「阪急6300系ラストラン乗車レポート」となって続きます。
乞うご期待。

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2010年3月 1日 (月)

JR九州 811系~.817系の画像をUP-果たして交直流電車は登場するか?

Jrq_811_pm10__01

国鉄から承継した421,423系 415系に続いて、JR九州がデビューさせた近郊形電車が 811系 813系 815系そして.817系です。

交直流電車がなく、交流電車ばかりなのは自社エリアで活躍させることを考えてのことと思いますが、415系もそう長くはもたないとなれば、新しいJR九州の交直流電車の登場もありえるのかな?と思います。

とはいえ、JR西日本方(下関)の車両に、交直流電車がいないことからすれば、JR九州方の電車だけが一方的に活躍場所を拡げるだけなので、JR西日本としてはおもしろくないですね、

今や、JR九州の電車も下関どまりになってしまいました。

でも、せっかく関門トンネルでつながったレールです。もっと交流を活発にするべきではないでしょうか。

JR西日本が521系を下関に投入するなんてこともいいのではないでしょうか。

でも、門司駅を改良して直流電車(JR西日本)が乗り入れることになるかもしれません。

JR九州 811系 813系 815.817系の各トップページへJUMP

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