Dr'K 急行 「能登」 ラストラン乗車レポート
3月12日(金) Dr'Kは、私の予想を裏切ることなく、
489系最終定期急行列車「能登」に乗車されました
以下はそのレポートです。
3月12日(金)
石川県白山市での出張研修に出発する前に、
少し早めに某駅のみどりの窓口で、
「能登」か、「北陸」にキャンセルが出てないか。ダメもとで訊いてみた。
「金沢→上野」NG。「金沢→大宮」NG。
で「直江津乗車は?」…OK。奇跡!
なんと当日で直江津から上り「能登」の指定をゲットできてしまった。
ここで第1問。
大宮→上野間を記念乗車で指定席に乗る人が多いことは予想できたので、
大宮下車で、初めきいたのだが、
なぜ私は、金沢からがだめだったら、高岡、富山をすっ飛ばして
すぐ「直江津から」をチャレンジした理由は何か?
(答えは、のちほど。ヒントは、私が関西人であること)。
2時間の研修を終え、
すっかり暗くなった加賀笠間駅から普通列車で金沢に移動。
はからずも国鉄色に乗れてラッキーだったのだが、
先頭車に乗っていたことがアダになる。
金沢着と同時に馬鹿鉄どもからフラッシュ攻撃。
デッキ狙いをモロに目に受けたので、階段から上がってきた駅員に
(肖像権の観点からも良くないので)排除を訴えると、
「あんたも(フラッシュ使った撮影)やるんでしょ。おたがいさまだよ」
と、吐き捨てられる。
「(フラッシュを使った撮影を)やらないよ」
「いや、絶対やってる。やってないと言えるのか」
…その絶対、と言い切れる根拠は何なんだろう?
私が「(馬鹿鉄どもを)排除してくれ。」といったことなのか?
「なんなら、(フラッシュなしで)撮影したのをみせてもいいよ」
(見てもらえれば、フラッシュなしで撮影しているのは一目瞭然だから)
というが…、聴く耳持たずでその駅員2名と睨みあい。
間に入ってくれた別の駅員1名によって助かったが、何という言い草…。
前科のある駅員の運賃・料金過収受とかより、
元旦乗りつぶしの時の御坊駅員の対応よりも、
もっと…今までの経験で、駅員の対応で最も腹立たしいものだった。
私の経験上、高架になった現在の金沢駅のホームにおいては、
1日中蛍光灯のあかりがあるので、
夜暗くなってから(夜中)でも、フラッシュなしでも十分対応が可能なのだ。
フラッシュなしでは絶対に撮影できないポイントは「ない」。、
(厳密には1か所だけあるが、私は陽のあるうちにしか、そこでは撮影しないから
日が落ちてからのそこは私の撮影場所の選択肢からはずれる)。
というよりむしろ、そこは選ばないし、画像処理で何とかなるので、
露出で調整し、特にあれだけ人が密集しているようなところでは、
周囲の人の目を傷めることがあるので、私は絶対にフラッシュは使わない。
譲り合ってマナーよく撮影していたグループもあっただけに、
非常に残念だし、JR職員にはまったく肖像権という観念がないことに非常に驚く。
形だけ民間会社になってもしょうがないということが最もよくわかる一面である。
3月12日 夜の金沢駅
20時の段階で、5番線ではすでに能登の自由席待ちの列ができあがっている。
再三再四「自由席の混雑が予想され入場制限あるかも…」の放送がされている。
それを裏付けるように、
切欠きホームのある4番線側は狭くなっているところに人が多く集まり、
鈴なりの状態である。
先のこともあって、撮影する気にもなれないので、
駅近くのなじみのそば屋で夕食をとって21時すぎにホームに戻る。
1・2番線以外は、さっきとは比べものにならない人の数にふくれあがっている。
6号車の自由席待ちの列の最後尾に加わると、
しばらくして2人組鉄氏がやってきて、
「この列はどの列車を待っている列ですか?」「能登だけど」
というやり取りの後、彼らが私の後ろに荷物を置いて列につくと、
そのやり取りを聞いていたのか、一気に列が長くなった。
彼らも含め、マナーを守って撮影している鉄ちゃんも多いのだが、
馬鹿鉄も少なからずいる!駅員の怒号が鳴りやむことはない。
しかし、28日の東京駅や「のぞみ29号(500系新幹線)」の車内と
全然違うのは、フラッシュ撮影についてのお願いというか、
そういう案内は残念ながらほとんどなかったことだ。
思い起こせば、阪急では、このお願いが徹底されていた。
なかでもJRグループになかった案内(鉄へのお願い)で、
阪急に感心したのは
「他のお客さんを撮らない(つまり、一般客の顔が入らない映し方をするように依頼。
肖像権に配慮している。)」ことである。
なんでもないようだが、これは非常に大事なことで、
万一裁判沙汰になった場合、
このテの知的財産権は、賠償額もハンパな額ではないからだ。
局長さんはよくご存じだが、
私は、職業柄「知的財産権」というところは専門分野なので、ことさら敏感なのである。
能登が出発する3・4・5番のりばは、4番線が切欠きホームである特性上、
金沢止まり、金沢始発の列車がとくに多く発着するので、
始発となる地域輸送列車(普通や「おやすみエクスプレス」)を待つ列が、
普段でも自然と長くなるし、当日は年度末となる3月の金曜日だから、
そのなかには一杯加減の人も結構いる。
こんな状態なので、金沢止まりで乗客が吐き出されていった電車が入庫する際は、
いずれも最徐行で引き上げていくし、
なかには強烈な汽笛を残して出ていく電車もある。
そんな中、サワ総(←車両基地の金沢総合車両所の略)から、
EF81‐134を先頭に「北陸」編成が6番線に一旦入線することになる。
ボルテージが上がるが、これは機回しのためであり、
慌ただしくもいったん西側に引き上げる。
ほどなく6番線に七尾行が到着。
この電車は金沢始発の富山行と、
後続のしらさぎ61号の金沢到着を待って発車するため、19分停まる。
しらさぎ61号がやや遅れて5番線に到着し、
この客を受けて6番線の七尾行が発車する。
同一ホームにすればいいのだが
4番線は行き止まりホームなので西側からは入れない。
3番線は敦賀行最終、小松行で埋まり、
この列車を振りたい1・2番線も金沢
止まりの電車が入庫待ちしている状態なので、
あいているホームがここしかないのである。
七尾行が最徐行で出発するとすぐに「北陸」の入線放送が入る。
再びボルテージが上がり、駅員の笛と怒号が鳴りやまない。
しらさぎ61号だった683系2000番台が5番線にでんと居座っている。
その向こうに、機回しを終えた「北陸」編成が、
ヘッドマークも誇らしげなEF81-134を先頭に入線。
強烈な汽笛を2発、馬鹿鉄にお見舞いするが、
音鉄たちにはいいプレゼント(爆)。
少し恨めしいが、「北陸」が止まっている20分弱の間に、
5番線は3種類の特急型車両がやってくるので、
それぞれと14系の並びが味わえると思おう、とプラス思考。
683系2000番台が最徐行でサワ総にはけると、入れ替わりに
5番線にはサンダーの付属編成(3両)を使用している
福井行特急「おやすみエクスプレス」がこれまた最徐行でやってくる。
この列車は「能登」の直前に5番線から出発するのだが、
サボを狙う馬鹿鉄がフラッシュをたくので、
サボ前の座席に座っている一杯加減の男性客が非常に迷惑そうに顔をしかめた。
フラッシュをたく彼らには、この男性の表情が目に入らないようである。
・能登( 金沢 22:15 → 上野 ○ョ○ョ6:05 )
「おやすみエクスプレス」が発車すると、
ほどなく「能登」の入線放送が入る。
金沢駅のボルテージは最高潮になり、
鉄ちゃんは心臓をバクバクさせながら「能登」を待ち、
駅員、警備員は馬鹿鉄どもの動きをハラハラしながら見ているという、
異様な雰囲気になる。
489系の姿が東側から見えると歓声とともにフラッシュの嵐。
遅れて「さがってください!」と怒号と笛の音が飛ぶ。
489系もたまらずタイフォンを浴びせる。その音に反応してさらに歓声。
私は腕を真上にあげ、後ろの鉄氏に被らないように気をつけながら、
そのままの位置で望遠を使って撮影した。
馬鹿鉄のフラッシュが予想よりも強いので、
さらに露出を1段階下げて撮影した。
(結局昼間よりも1段下げる。このくらい明るいからフラッシュ不要)。
「能登」の扉があき、我先にと列の前のほうの鉄ちゃんはラウンジを目指す。
さすがにラウンジを占有するような輩はいない
(プレス発表直後ぐらいの下りに大宮から時に乗った時にはいたが)。
一番ラウンジよりの窓側の席を確保できる。
ラウンジは混んでいるが、自由席は通路側にポツポツ空きがある感じ。
夜食と飲料を買い込むためにいったん外に出ると、
7番線にはサンダーバード45号が到着。
これもフラッシュ放火を浴びる。
この列車は付属編成(前3両)をここで切り離すので、
分割作業の撮影にカメラマンが殺到するのだ。
発車ベルが鳴り、「能登」が静かに動き出す。
金沢でも1500人の人出があったそうだが、ホームの先端はすごい人。
車内は報道関係者が非常に多く、
彼らがうろうろしているのでなかなか落ち着かない。
彼らも仕事だから大変そうなのはわかるが、
取材、撮影マナーには会社によって大きな差がみられた
ことを付記しておく。
私の隣を含め、通路側ばかり3つ空席があったところへ、
おかあさんと孫娘の手をひくおばあちゃんという家族連れがやってくる。
上野まで乗るようだ。
せっかくだから家族でかたまって座れたほうがいいだろうから、
おばあちゃんに、
「俺、直江津までだから(いっしょに座れるように)席かわろうか?」
と声をかけた。
そうすると、すぐ横のサラリーマン風の男性が同様に、
「私も富山までだから」と立ってくれて、私の座っていたところにお嬢さん、
その横に、おばあちゃん、通路を挟んでお母さんと、
3人が通路を挟んで座れる状況になった。
津幡直前で、席を立つ順番を一緒に考えて、
それぞれが確保した座席をトレードする。
その富山の男性のように、気を使ってくれる鉄ちゃんもいれば、
相変わらずラウンジとかではフラッシュがたかれていたり、
糸魚川を過ぎたところで、
「これから記念乗車証を配ります」
という別の車掌氏による放送直後にやっと汗だくになってひぃひぃ言いながら
検札にやってきた若い車掌氏に、(おそらく会話から、きたぐにに乗って折返すのだろう)
「直江津で降りるんだから、早く記念乗車証持ってきて」
と無体な言葉を浴びせる無神経な馬鹿鉄もいる。
私も検札時に車掌氏に声をかけてお願いすることはしたが、
記念乗車証のことではなく、撮影、取材のマナーについてのことである。
車掌長氏の放送で、
1号車はレディスカーなのでデッキにも男性は入らないように
呼びかける放送ができるのならば、
この放送も合わせてできるはずだからである。
女性を撮るためではなく、車両を撮るためとはいえ、
カメラを持った男がレディスカーに立ち入っている時点で
かなり怪しいということがわからないのだろうか。
さて、ここで第2問。
金沢から乗っていれば、普通は富山までに、どんなに遅くても
おやすみ放送がかかり、泊駅発車までには必ず検札がやってくる。
なのに、なぜこの車掌氏は、6号車の検札にやってくるのに、
ここ(糸魚川)までかかってしまったのでしょう?
さすがに489系もくたびれているのは隠せない。
ラウンジを仕切る自動ドアにはセンサーが2か所ある。
が、そのうち手頃な高さのほうのセンサーが反応しないために、
ドアの前で立ち止まる人が多かった。
直江津到着直前に車掌長氏がやってきて、記念乗車証を受け取る。
「能登」の編成図が描かれているのだが、パンタグラフの位置が違っている
(正しくは、2,5,7号車だが、3,5,8号車になっていた)のはご愛嬌。
話が前後するが、泊駅発車後、NHKの取材クルーが、
先の家族連れに取材をしていたときに、
富山で降りた男性と私と席を替わることでかたまって座れたと
嬉しそうに話してくれたことはゆずってよかったなぁ、と思った。
がその流れで、「どの人ですか?」という
ことになって、2列後ろで今日の研修報告書を書いている私のほうにカメラが向けられた。
直江津で席を移動するまでに研修報告書を書きあげたかったのと、
取材マナーを心得ているかを知っておきたかったので、
丁重に写さないでほしい旨をインタビュアーに伝えると、
カメラを振った時にもし私が移っていたら、
編集でカットして番組では使わないと約束をしてくれた。
さすがは天下のNHKと思った。
指定席は空席が目立つが、満席だという。
確かに「にぎやかし(切符を残すため指定だけ全区間取って乗車しない)」や
記念乗車証目当ても少なからずいるだろう、と思いきや、
0時というのに糸魚川ではものすごい人出。
それも、かなりの数が指定席、自由席とも乗ってきたし、
また、続行している「北陸」に乗車しようと待っている様子のも多くいた。
ここで第3問。
なぜ糸魚川に鉄道ファンがこんなにいるのか?
答えは、
糸魚川だからこそ、これだけの鉄道ファンがいるのである。
糸魚川といえば、大糸線とレンガ車庫である。
今回の改正では「能登」、「北陸」がどうしても目立つが、
ひっそりと引退するローカルの国鉄型車両もいるのだ。
大糸線のキハ52型と、嵯峨野線の113・115系電車がこれに該当する。
京都口の113系は、湖西線、草津線には残るので、
まだその雄姿を拝めなくはないが、大糸線のキハ52は、
JR西日本管内に他に残っている場所はないから、
その多くはこれに乗りに来たのだろう。
糸魚川を過ぎるとすぐ、電化方式切替の交直セクションがあるため、
「バチン」という音ともに照明が落ちる。
いったん戻るが、直江津手前で減光されて再び薄暗くなる。
こういう光景も近い将来見られなくなる…
直江津には0:24、定時に到着。
やはり人出は多い。0:57に大阪行「きたぐに」があるため、
「能登」と「北陸」を撮影してから、
または金沢方面から直江津まで両列車に乗車してきても、
折返して富山には2:17、金沢には3:04に戻ることができる。
第1問の答えはズバリこれ。
北陸側で記念乗車した鉄ちゃんの折返しの足の便を考えると、
最も効率がいいのがこの大阪行急行「きたぐに」なのだ。
大阪府下在住の私にとっては、
冬場の移動の友であるこの「きたぐに」を利用することが多いので、
「能登」とどこですれ違うかはもちろん把握している。
それを考えると、夜中にも関わらず
わずか33分の待ち時間で折返せる直江津の時刻設定を
真っ先に考えるからだ。
私もこれで大阪に戻ることを想定に入れていたこの考え方を元に、
直江津で下車して折返す鉄ちゃん(関西人)も必ずいると読んだので、
直江津から彼らが座っていた後釜になれるにちがいない、
と思ったのである。
直江津でいったん外に出て能登を撮影し、
今度は指定を確保している2号車に乗り込む。
通路側のC席だったが、D席にはだれもいなかった。
A席にも誰もいなかった。
周囲に誰もいないのを確認して、上越線に備えて静かに椅子を回す。
B席には、新聞記者の方が乗っており、
カメラで撮影してはそれで原稿を作り、
PCでリアルタイムでやり取りされていた。
信越線に入り、快調に飛ばし、真っ暗やみの中で
弥彦線用の電車が眠る柏崎を通過し、宮内で上越線と合流。
ここで、あらかじめセットしておいた携帯のアラーム(もちろんマナーモードで)を
合図に私がD席側でカメラをスタンバイする。
この私の動きを見た記者氏も、何かあるのか、とカメラを準備する。
「能登」は午前1時半前に長岡に到着。
乗務員交代、方向転換のために運転停車する
(個人的にはここは営業停車でもいいと思う)。
電車の振動が止まり、眠い目をこすりながら、
反対側のホームに「あけぼの」の姿をみて、あわててカメラを出す鉄ちゃん。
面白い光景だったが、こうなるのを把握していて、
あけぼの側からもカメラを回しているファンも結構いた。
これには車内から
「うわ、向こう(あけぼの)側から撮ってるよ」という声も…。
JRの大型時刻表でもわからないが、ダイヤグラム
(縦軸に距離、横軸に時刻をとったグラフ状の時刻表)
を起こしてみれば、これはすぐにわかることなのだ。
「あけぼの」をおさめたあと、私が体を翻し、
周囲の寝ている人を起こさないように注意しながら、
今度は反対側の車窓を望遠で狙う。記者氏もこの私の動きに反応する。
そのとき、EF64の汽笛がかすかに聞こえる。
その音であわてて他の鉄ちゃんも何が起こるのかを察したようだ。
「あけぼの」を引っぱってきたEF64が機回しして機関区にひき上げる時、
「能登」の真横を通過するのだ。
これをおさめたあと、思わず記者氏が
「なるほど、こういうことか」とつぶやいたのがかすかに聞こえた。
この記者氏も、フラッシュを使わずに対応していた。
さすがはプロである。
今度はレディスカーの1号車を先頭に、上越線を走り出す。
2時過ぎに上り最終の「北陸」とすれ違う。
その直後、再び私の携帯アラーム第2弾。
設定時刻は2:15。今度は記者氏も夢の中。
そのなか、やはりD席側で、
進行方向とは逆方向に露出をめいっぱい上げてカメラを構える。
第4問。私がカメラで狙っているのは何?
しばらくすると、越後湯沢での乗務員交代の運転停車に備えて、減速する。
時刻どおりなら、ガーラ湯沢を過ぎたあたり、越後湯沢駅構内に入る直前に、
上り「能登」とすれ違うのだ。私の狙いはこれである。
出来は今一つだがとりあえず成功。時刻は2:22。すげぇ。
越後湯沢駅では、2時台だというのに、多くはないが複数のカメラマンがいる。
やはり、わずかの時間に上下の「能登」、「北陸」が狙えるからだろうか。
その光景をみながら、わずかな眠りに就く。
新前橋駅付近でトイレに立った以外は記憶にない。
午前4時5分、定時に高崎駅8番線着。
ここで眠りを妨げられ、起こされてしまう。
その原因は馬鹿鉄どものフラッシュ放火。
とくに1号車デッキは、少し狙いがずれただけで、
客の顔(それも寝顔)が窓ガラス越しに映ることに対して、
何とも思わないのか?
まして1号車はレディスカー。あらぬことで疑われかねない!。
こんな時間なのにすごい人。
32分の停車時間があるので、
車内からも、馬鹿鉄どもが我れ先にと飛び出していく。
この喧騒ですっかり起こされてしまった私は、車外に出て缶コーヒーを買う。
貨物列車に抜かれるのはいつものことだが、
今日はもう1本余分に抜かれる。
それが秋田の583系というのだから。もう大変。
高崎の駅員も必要以上にマイクを使えない
(能登の客を起こさないように)対応には苦慮されているようだが、
もはや収拾がつかなくなっている。
ラストランは、JRではここのところ毎年なのに、
2/28(6300系特急ラストラン)にむけての阪急のHPと比べても、
あきらかに撮影マナーに関しての呼びかけは不足している。
高崎で下り「能登」に乗ったという鉄ちゃんがA席に乗ってきた。
彼は大宮までだという。
私の隣は埋まらない。おかしいなぁ。
熊谷駅は初電が「能登」の直後を追いかけるにもかかわらず、
人出があった割には、さほど混乱している様子はなかった。
走行そのものはいたって順調で、5時29分に おはよう放送。
大宮までは2号車の乗車率は3分の2程度だったが、
大宮で記念乗車組が大量に乗ってきて、指定、自由とも超満員になる。
ずっと空いていた、私の横、D席にも記念乗車の鉄氏が乗ってきた。
2号車のトイレが埋まっていたので5号車のトイレに行ったのだが、
その帰りに見た光景をお話ししよう。
あえて乗車券だけで乗ってくる鉄ちゃんたちが多い、
これは明らかに車補狙い。
車補とは、車内補充券のことである。
車掌の持っている発券端末から発行される列車番号入りの切符のことで、
記念にこれをとっておくのだ。
対応されているが数が多すぎて追いついていない。
車掌も予備の記念乗車証などで対応し、駅で精算するよう依頼している。
2問目の答えはこれ。
金沢から自由席に乗る鉄ちゃんも、ほとんどが車補狙いで、
あえて入場券や1区間の乗車券のみで乗ってきているのだ。
これとよく似た光景が、
10月の鉄旅時の北陸鉄道のアテンダントのお嬢さん。
こういうときの乗務員は死ぬほど忙しくなるのだ。
(私も車販のアルバイトでラストランを経験しているのでよくわかる)。
尾久の手前で最後の車内放送。
「能登」の歴史と、今後の予定(485系での多客臨)を含め、
長年の愛顧を489系に扮して感謝の意を述べる車掌長。
彼の声が若干震えていたのは印象的だった。
上野にはホーム先端の柵から身を乗り出さんとする馬鹿鉄どもがいるのだろう。
強烈な汽笛とともに最徐行で15番線に進入。
ものすごい人。さらにもう1発強烈な汽笛。
フラッシュの嵐の中、徐々に速度が落ちる。
すると、カメラ片手に、駅員に怒号を浴びせられても
なおホームを「能登」と並走する馬鹿鉄が徐々に追いつき、追い越せ…、
上野に到着。
すこしの間があって右側のドアが開き、一気に人が吐き出される。
再び「走らないでください!!」という怒号が聞こえるが、
そんなのお構いなし。
鉄チャンだけでない、報道組も必死である。
降車客がひと段落すると、車内点検のために駅員と清掃作業員が入るが、
その間隙を縫って乗込み車内を撮ろうとする馬鹿鉄がいたため、
今度は「この列車は回送列車です。お乗りにならないでください。
回送列車です。降りてください。」という叫び声が。
そんな声をよそに、「能登」を撮影して、
「北陸」が到着する14番線の車止め付近に移動。
2列目のくるわだが、意外とおいしいポジションをゲットできてしまう。
3列目のくるわの親子鉄に被らないようお互いに気を遣いつつ、
アングル、露出等を確認。
カメラのバッテリーがなくなってきたので、
「北陸」撮影まで電池が持つように祈りながら…。
バッテリーを温存するため、カメラの電源を切って待っていると、
右足になにかが刺さったような痛みが走る。
その原因は、某テレビ局のカメラマンがのるための小型の脚立。
私の右足の靴の上にスタッフが平気で脚立をセットする。
「痛いなぁ、」
と声に出しても聞く耳持たず。
足のおき位置を変えたら、脚立を私の足にぶつけながらにじり寄ってくるし、
さらには別の会社のカメラマンが、
1列目と2列目のわずかな隙間に脚立を置いてその上に乗る。
2列目より後ろは完全にふさがれる格好。
「いくらなんでも、報道機関だからって、何をやってもいいってもんじゃない。
それは、おきて破りだろうがよ」と、
さっきのパパ鉄氏が思わずこぼすと、
周囲からいっせいに大ブーイングの嵐。すごすごと引き下がる。
ちょうどそのとき、「北陸」が見えて、
さらに私の足にめり込まんばかりに3~4回、脚立をぶつけながらにじり寄ってくる。
さらにはカメラマンの機材袋のようなもので顔面をはたかれる。
ぶつける相手が柔道で鍛えた私の体格だからこそびくともしないのであって、
その私が見えていないのだから、
私のすぐ後ろにいた140cmそこそこの親子鉄の少年が見えるわけがない。
ぶつけた相手が彼ならば確実に吹っ飛ばされて怪我をしているだろう。
その局の映像は、埼玉県某所で受けた2日目の研修の昼休みの間に、
みごとにその日のお昼のニュースで使われていたのを見ることができた。
(編集された画像のアングルがほぼ私が撮ったものと同じだったのですぐにわかった)
馬鹿鉄以上に、一部報道機関のわがもの顔っぷりにも閉口させられた。
そういう報道機関には、取材、撮影を今後一切禁止してもらいたいし、
このような状況が続くのなら、
その列車の切符を持っていない人を、その列車のホームからはシャットアウトするなど、
さらに厳しい規制を考えざるを得ないだろう。
そうなっては、さらに切符がプラチナチケット化するし、
一部の心ない輩のために、すべての人、特に鉄チャンにとって
つらいことになっていくだろうということをあらためて危惧させられたし、
あたりまえだけどそれができていないので、
JR側ももっとマナーについては訴えなければならないのでは?
というわけで、今回のレポートもDr’Kのぼやきが連発しています。
お読みいただければ、おわかりだと思いますが、
名残を惜しみながら、その最後の姿を見届けようという思いは皆同じなのです。
鉄チャンであれ、報道機関の方々であれ、JRの職員さんであれ、
他人に不愉快な思いをさせてやろうと思う人はいないでしょう。
そういう思いでこのレポートをお読みいただければなあ。と思っております。
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コメント
はじめまして!
私も同ラストランを大宮⇒上野で指定席で乗車しましたが同区間の座席が私も2号車1番c席だったので同じ席だとはビックリしました。
これも何かの縁なので遅くなりましたが、コメント残しておきます。
投稿: グモ | 2010年8月17日 (火) 20時42分
クモ様。
はじめまして。Kです。
大宮からは座席を確保していなかったので
自由席に移ったのですが、大宮からの席の主は
御身でしたか。これも何かの縁ですね。
しょっぱな、またはラスト1区間だけの記念乗車に全区間指定をとる馬鹿鉄も多いなか、御身のようなきちんと乗る区間だけの指定をとってくれる方もいらっしゃるおかげで、かくして私も利用できたわけですよ。
クモ様もこのレポートの立役者と申せましょう。多謝。
投稿: Dr.K | 2010年8月19日 (木) 12時01分
失礼いたしました。
グモ様のお名前を間違えてしまいました。
なにとぞご容赦を。
投稿: Dr.K | 2010年8月19日 (木) 12時04分
ちなみに私は前日の23時ごろに取ることが出来ました。
約10分間指定席券売機で空きが出ないか見てみたところ、急に空席情報の欄が△になったのですかさず取りました。
私のブログにチケットの画像を載せときましたので良かったら御覧下さい。
http://ameblo.jp/masakannosuke/entry-10624466411.html
投稿: グモ | 2010年8月19日 (木) 23時00分