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2009年11月の記事

2009年11月27日 (金)

JR貨物 EF66形 直流電気機関車の画像をUP

1966年。1,000tの貨物列車を100km/hで運転することを目標に開発されたEF90形(=EF66形の試作車でのちのEF66形900番台)は、新たに開発された出力650kWのMT56形モーターを6基搭載しました。これらのモーターから叩き出される3,900 kW(1時間定格出力)のパワーは当時狭軌のELとしては世界一だったそうです。Ef66_1

EF66形電気機関車は、このEF90形の成果を元に1968年から量産されたパワフルな貨物用電気機関車です。

しかし、貨物専用機とするには、もったいないようなスピード感あふれるデザインで、1985年には、そんな鉄道ファンの声を反映して?寝台特急(ブルートレイン)の先頭に立つことにもなりました。

そんなわけで、1987年のJR化にさいしては、JR貨物とJR西日本に承継されています。

また1989年には、JR貨物によって一部設計変更の上で新規にEF66形が製作されます。

EF66形100番台です。彼らについては、当局の珍車ギャラリーでも取り上げましたのでこちらも是非ご覧ください。

珍車ギャラリー JR貨物 EF66 101 -14年ぶりに誕生した妹- へJUMP

今回、この鉄道車両写真集では、JR貨物のEF66を中心に、UPしました。原則1台につき1枚としていますが、塗装や外見に大きな変化があれば、例外的に2枚以上UPしています。撮影日時や、いつこのような変化があったのか…など データもUPしたいのですが、とりあえず画像だけをUPしています。

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 EF66形0番台 100番台  900番台の画像へJUMP

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2009年11月26日 (木)

JR東日本 101系直流通勤形電車(南武線、鶴見線)をUP

S33年。中央線の輸送力増強のため導入された101系電車は、山手線や大阪環状線にも投入され、国鉄通勤形電車の顔ともいうべき存在です。しかし、JRとなった時点では、すでに多くが淘汰されている状態ですっかり影が薄くなってしまいました。それでも、JR東日本に224両が承継され、その大半が中原電車区に集中配置されています。Jre_101_03f_01

南武線では、オール6連で用いられた101系ですが、多くの形式が残されたまま編成が組まれており、また、冷房改造車も含めると、結構バリエーションがあり、見てて楽しいものがあります。

一部、番号が判読できないものもありましたが、編成番号を掲げてくれていましたので、編成表と照合し番号の特定作業を進めることができました。

JR東日本 101系 南武線、鶴見線のトップページへJUMP

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2009年11月25日 (水)

JR西日本 キハ126系(キハ126,キハ121)一般型気動車をUP

キハ126系(一般形気動車)は、特急用気動車であるキハ187系にあわせて、山陰本線の高速化に対応した普通(快速)列車用気動車です。Jrw_dc126_05f_2_126_1005

片運タイプのキハ126形については、

オリジナルタイプの0番台(2000年10月デビュー 乗務員扉がない、クーラーが集中形で1台設置)と

改良型の10番台(2003年デビュー 乗務員扉付き、クーラーが集分散形で2台設置)があります。

両運タイプのキハ121形は、改良型に準じたスタイルです。

JR西日本 キハ126系(キハ126,キハ121)のトップページへJUMP

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2009年11月22日 (日)

JR西日本 キハ187系 特急用気動車 をUP

特急らしからぬ平板なマスク、そしてG車をもたないモノクラスの特急系列であることなど、あまり魅力を感じさせないところがあるのは事実ですが、キハ187系はJR西日本が、山陰本線および陰陽連絡線の高速化を期したJR西日本初の特急用気動車です。Jrw_dc187_11f_187_1011

2001年に、特急 スーパーまつかぜ おき用に投入された
キハ187系 0(1000)番台 (車体にボタンのイラスト)

2003年に 特急スーパーいなば用に投入された
キハ187系 500(1500)番台 (車体に梨の花のイラスト)

また同2003年に、スーパーいなば にも使用可の増結車
キハ187系 10番台(1010)番台 (車体に梨の花のイラスト)

があります。前面展望が楽しめる鉄ちゃんシートがあり、個人的にはおすすめです。

JR西日本 キハ187系 スーパーいなば まつかぜのトップページへJUMP

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2009年11月19日 (木)

JR九州 キハ200系 一般形気動車をUP

キハ200形は0番台(トイレ付き)と1000番台でユニットを組むハイパワーの気動車です。

91年に筑豊、篠栗線の快速用としてデビューしました。Jrq_dc200_11f_200_5011

コーポレートカラーの「赤」を身に纏った「赤い快速」キハ200形は、筑前山手以南の山道もグングン登っていったのを覚えています。本当に胸のすくような加速で、今までの気動車とは異次元のスピード感でした。

当線は、2001年、電化され、福北ゆたか線となり、当線のキハ200形は、JR九州の非電化路線に散ってゆきました。以後、指宿枕崎線、大村線、豊肥線、久大線などで元気に活躍しています。

97年には、単行のキハ220形も登場し、特にキハ220-1102号は、「なのはなDX」の指定席車として、2004年改造されています。回転式クロスシート車となっただけでなく、中央の乗降扉を廃止し、一枚窓の展望スペースとするなど、特急「はやとの風」並みのアメニティです。

結構バラエティ豊かになってきた、キハ200系です。その全てを紹介することはできませんが、93年竜ヶ水駅で豪雨のため犠牲になったキハ200-1007号や、大村線の踏切事故で廃車になった1011号の代替新車であるキハ200-5011号など珍車もとり揃えました。

JR九州  キハ200系気動車 のトップページへJUMP

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2009年11月15日 (日)

JR東日本 115系91編成(房総各線用)をUP

2枚の鉄道写真があります。Jre_115_91f_0006 Jre_115_91f_sankou_0001

パッと見には、同じ写真のように見えますが、実は違います。

かたや113系、もう一方は115系です。

その違いをあなたは見つけ出すことができますか?

違いを見いだせなかった方はもちろん、違いがわかった方にもご覧いただきたい。そんな今回の珍車ギャラリーです。

珍車ギャラリー JR東日本 房総各線用 115系 91編成へJUMP

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2009年11月13日 (金)

JR北海道 キハ261系 特急用気動車 特急スーパー宗谷 をUP

261系気動車は、第三セクターの北海道高速鉄道開発(株)が宗谷線高速化事業を車両側から推し進めるべく開発した振り子装置付きの気動車です。Jrh_dc261_04_se101_dc261_101

1998年に量産先行車が作られました。その後、一年間の走行試験を経て、2000.3量産車とともに、特急スーパー宗谷とともに運行を開始しています。

2006年には石勝線用に1000番台もデビューしましたが、ここでは基本番台をご覧頂きます。

JR北海道 キハ261系 特急用気動車のトップページへJUMP

2両ユニットですが編成単位で構成され、編成番号が正面窓に記されています。電車っぽくってかっこいいですね。

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2009年11月10日 (火)

JR西日本 103系USJ編成をUP

USJへのアクセス路線となる「ゆめ咲線」には、USJのイメージをラッピングした103系USJ編成(29F~32F)が重点的に使用されています。Jrw_103_usj_64m_0008

これらは6両編成が基本ですが、4+4の8両編成でも運用されていました。現在見ることができない「ユニバーサルグローブ」号+「アメリカの街並風景」号でご覧いただけます。

JR西日本 103系USJ編成 のトップページへJUMP

大モリ 29編成 パワーオブハリウッド号

      30編成 アメリカの街並風景号 → スパイダーマン号

     31編成 ユニバーサルグローブ号 →セサミストリート号

     32編成 ウッディウッドペッカー号

2009/11/12 32編成を6枚追加

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2009年11月 9日 (月)

JR貨物 DE10形/DE11形 をUP

鉄道車両画像、1万枚UPを目前にしながら、JR貨物のタイトルがひとつもないという奇妙なことになってきました。JR貨物の機関車たちに興味がないのか。といわれれば、決してそんなことはありません。事実、DD51などは、もうすでに100枚を超える枚数でUPしています。De10_1577

ほかでもありません、このDD51の画像を国鉄のタイトルでUPしてしまったことが、実は大きな足かせになってしまったのです。ご覧いただければわかることですが、国鉄DD51形のタイトルを掲げながら、その多くはJRに承継された車両です。特に800番台や1000番台は、それらの多くがJRに承継されたわけですから、これら二つについては、JRのタイトルで、以前の車両は国鉄のタイトルでまとめるということも考えました。しかし、それらDD51の800番台.1000番台は、全部、JR貨物に承継されたのならともかく、JR四国を除く、JR各社にばらまかれてしまったのです。

もっともJRの旅客用車両にも、同様のことがいえます。しかし、電車も気動車も各JR旅客会社の個性が強く表れたのに対し、機関車たちの多くは、国鉄色そのままで、会社だけが違うというものが大半を占めました。(特に八高線で貨物を牽引していたDD51が、JR東日本所属のDD51というのは、理解に苦しむものでした。)車両マニアとしては、会社ごとの違いが乏しいのであれば、番号順(製作順)にその変遷を見てゆきたいという思いがあります。国鉄DD51形としてまとめたのはそういうわけです。

でも、ここに北斗星塗装のDD51(JR北海道)を混ぜるのは相当、苦しいものがあったのです。とはいえJR北海道だけ例外にするわけにもゆかず、こうなってしまいました。

JR北海道だけでDD51をまとめるということも、ある程度数さえあれば興味深いことです。今までは同じ画像を違うタイトルで2回使うことは、できるだけ避けようとしてきましたが、1万枚UPを達成したあかつきには、同じ画像であっても別タイトルでまとめるということも考えてゆこうと思います。

一方で、旅客会社に承継されたDE10形などのように、少数派の車両は、同形式を多く所有する会社に、ここではJR貨物のタイトルにまとめてご紹介しようと思います。

JR貨物 DE11形 DE10形のトップページへJUMP

所属の機関区等は、編成表05年版のデータを記しています。
よって、撮影時の実態とは異なる場合もあります。
末尾にJRの各旅客鉄道に継承されたものもUPしています。
参考までに

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2009年11月 7日 (土)

JR東日本 103系 仙石線色(新/旧)をUP

国鉄時代から、103系は投入されていましたが、

89年以降、在来形の103系置換え用として仙石線に入線した更新車は、新製時からの冷房車など状態の良い若い車両が多数転入してきました。Jre_103_rm138_1_tc103_621

従来のクモハ103を組み込んだ4両編成(R編成)に準じた4両編成(RM編成)に加え、冷房化率100%を早期に達成するため、両端クハ103の編成(RT編成)や、AU712形クーラーの装備車も登場しています。

いずれも通常の更新車と異なり、前面窓を2枚窓化し、側窓も上段下降・下段固定のユニット窓に交換するなど、大きな特徴を持っています。

塗装も、大きく変わりました。Jre_103_rm128_
登場時は、アイボリー・青(太線)・スカイブルーという3色塗装になり、国鉄のイメージを払拭しています。
また、98年より「SENSEKI LINE」のロゴがはいった、白にコバルトブルーを配した新塗装に変更されています。

デジタル補正をかけ過ぎた画像もあり、見苦しいものもありますが、ひととおりのバラエティは、とり揃えたつもりです。じっくりとご覧ください。

JR東日本 103系 仙石線-2 (仙石線色 新/旧)のトップページへJUMP

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2009年11月 6日 (金)

JR西日本 キハ120形(ローカル線用気動車)をUP

キハ120形は、JR西日本のローカル線用気動車で、H4にデビューしました。

全長16.3mという軽量小型の気動車で、第3セクターの気動車を思わせる車両です。Jrw_dc120_1

タイプは3つ 

キハ120形0番台 ステンレス製 ロングシート車
キハ120形300番台 スチール製 セミクロスシート車
キハ120形300番台 ステンレス製 セミクロスシート車

ですが、それぞれ使用される地区にあわせて塗装も独自性を発揮しています。

当初、ついていなかったトイレも取り付けられつつあり、新たなバリエーションも登場しています。

(ただし、新たな番台区分はつけられていません。)

それぞれの画像に、所属鉄道部のキハ120形配置表と運転線区(2000.4現在)を記しておきました。

どうぞご参考になさってください。

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2009年11月 5日 (木)

近鉄 10100系新ビスタカー 20100系ビスタカー(あおぞら号)の画像をUP

新ビスタカーなどと書くと、30000系ビスタカーの後継車両が出たのか?などと思われそうですが、実はS54年に廃止されている先代のビスタカー10100系のことを、新ビスタカーというのです。そう呼ばれるのはほかでもありません。初代10000系ビスタカー(S33-S46)がいるためですが、ビスタカーの歴史ももう半世紀ということになります。

バリアフリーの時代となり、新形のビスタカーの登場は望み薄ですが、それでもやっぱり近鉄の看板特急はビスタカーだという思いが私には強くあります。Knr_exp_0016

なかでも、デザイン的にも一番のお気に入りが、10100系新ビスタカーです。

今回ご紹介するのは、最後の晴れ姿となる「お別れ3重連運転」の画像です。これ以外の画像が、どこへ行ったのか。ほとんどどこを探しても見あたりません。このタイトルは、これらを探し出してからUPしようと思っていたのですが、とりあえずUPすることにしました。

あわせて、修学旅行用でもある20100系ビスタカー(あおぞら号)もUPいたします。こちらは、当局の珍車ギャラリーでもご紹介しておりますので、こちらも是非ご覧ください。

珍車ギャラリー 近畿日本鉄道 20100系ビスタカー あおぞら号

鉄道車両写真集 10100系ビスタカー へJUMP

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2009年11月 4日 (水)

JR四国 6000系 121系電車の画像をUP

6000系電車は、もともとは瀬戸大橋線で使用することが前提の車両でしたが、今はもっぱら四国島内で運行されています。Jrs_6000_02f_04_6102

211系とよく似た車両ではありますが、外見上の違いは、編成両端部のドアが片開きになっていることがあげられます。また運転室後部のスペースが広くとられているのは車掌がホームに降りることを容易にするためです。
これらは、無人駅での運賃収受を容易にするための工夫です。
また、1M3Tを可能にしたということもできるだけ高価な電動車を増やさず、ラッシュ時には付随車を増結することで乗り切ろうという経済性を重視したものです。
こうした点を活かすとなれば、瀬戸大橋線よりも四国島内での利用に適していると申せましょう。

121系電車は、国鉄時代末期のS62.3に登場しました。新車とはいえ、多く中古部品を流用しています。少数派であり個性もあまり強くありませんので、あまり目立たないのですが、今回は「瀬戸内びんび列車」となる11FもUPしておきました。Jrs_121_11_01_mc121_11_

本来なら、別タイトルでUPすべきものですが、あわせて8枚しかありません。一つにまとめさせていただきました。

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2009年11月 3日 (火)

JR九州 58654(8620形蒸気機関車)をUP

58654(8620形蒸気機関車;あそBOY)は,1988年に復活し、主に豊肥線で活躍してきました。
なかでも、58654が立野のスイッチバックを登る姿は圧巻でした。
2001年の春。私は幼い息子とともに、オハフ50(あそBOY)の展望デッキで、
じっと目前の58654を見つめ続けていたのですが、まさにボディを軋ませながら、
「バッバッバッバッ。バッバッバッバッ。…」とあえぐように急坂に挑んでいました。

その姿は、今も忘れることができません。---でも、やはり無理をさせていたんですね。大正11年生まれの58654にはキツイ仕事でした。台枠が損傷し、2005年には運行休止になってしまったのです。

台枠がダメになるということは、車両として「死」を宣告されたに等しいことです。しかし、58654は4年の歳月を経て復活しました。奇跡的に台枠の図面が残されていたのです。これをもとに台枠から作り直されることになったのです。

しかし、図面があったから復活できたのだと簡単に言ってすませるほど事態は甘くはありませんでした。その一端をお話しします。

珍車ギャラリー58654 (8620形蒸気機関車)へJUMP

鉄道車両写真集JR九州 SLあそBOYの車両たちへJUMP(50系客車(あそBOY)へは右上の 次>> 2回をクリックしてください。)

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2009年11月 2日 (月)

JR東日本 E127系電車の画像をUP

E127系電車は,老朽化した国鉄形電車を取り替えるべく、新潟地区に V編成(=E127系0番台;2両編成×13本)が1995年に投入されたのが,最初です。Jre_e127_v11f

急行運用を外れ普通列車用となった165.169系の後釜となるのですが、なんとオールロングシート。

新車を投入してくれるのは、うれしいのですが、701系といい、ローカル列車を利用する18切符の旅人には不評の電車です。また通勤時には座れない人が目立つようになり、これがまた利用客離れにつながらないかと心配になります。Jre_127_tc126_110

3年後の1998年。大糸線用として松本地区に投入されたのが、E127系100番台 (2両編成×12本)です。 こちらはセミクロスシートになりました。北アルプスや青木湖など美しい風景が見られる西側にクロスシートを配置してくれたので、これはうれしかったですね。
1999年より、ワンマン運転を開始しています。

JR東日本 E127系 一般形直流電車のトップページへJUMP

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2009年11月 1日 (日)

東京メトロ(東京地下鉄)有楽町線 07系 7000系 の画像をUP

07系は、有楽町線の新系列車両として計画され、1993年のダイヤ改正から有楽町線の増発用として
10両編成2本が川崎重工業で製造されました。
翌1994年、小竹向原 - 新線池袋間の開業および西武有楽町線新桜台~練馬間延伸にあわせて
10両編成4本が日本車輌製造で追加され、合計6本が2006年まで有楽町線と有楽町線新線で運用されていました。
34本あった7000系と較べても少数派で、私との相性も悪かったのか。なかなか出会えず撮影には苦労しました。
そんなわけで当局には、この03F+1の写真しかありません。Metro_07_03f_10
でも、これだけでも撮影できて良かった。
それというのも副都心線開業によって、07系の運命は大きく変わるのです。

副都心線ではホームドアが設置設置されることになったのですが、
7000系は同線各駅のホームドアに対応するものの、
07系は7000系とドア位置が異なるためホームドアに対応できないことになり、
同線での運用ができなくなったのです。
その結果、07系は、東西線に転用することになります。

7000系は1974年登場しました。1989年までに10両編成34本、計340両が製造され有楽町線の主的存在です。
営団における標準車両として位置付けられる千代田線の6000系と大変よく似ているのですが、
車体のみならず、台車・機器などにも共通点が多いのは、綾瀬工場での保守作業の共通化のためです。
07系とは違って、副都心線に乗り入れ、10000系に準じたラインカラーに変更されつつあります。
この写真と、営団時代の写真は、またのお楽しみと言うことで…お許しください。

東京地下鉄(東京メトロ)有楽町線 7000系 07系のトップページへJUMP

参考ページ 東京メトロ東西線07系 

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