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2009年10月の記事

2009年10月31日 (土)

JR東海 キハ75形気動車 急行かすが 快速みえ をUP

1999年12月「急行かすが」の使用車両はキハ58・キハ65形気動車からキハ75形気動車に置き換えられました。

思えば、急行列車は国鉄時代の遺産をそのまま引き継いだようなもので、
JR化以後、急行用に新車が投入された例はこの「急行かすが」以外にありません。Jrt_dc75_kasuga_

しかし、キハ75形は、その投入からさかのぼること6年前の1993年に「快速みえ」用として登場しています。
それだけに「急行料金がいらない車両に、なぜ急行料金を払わねばならんのだ。」と思われた方も多いのでは…。
でも、エンジンはカミンズ社製C-DMF14HZB (350ps) を各車両に2基ずつ搭載し,最高運転速度は120km/h。
特急用のキハ85系と同等の性能を有するのです。加えて車内のアメニティも特急並み。
それまで使われていたキハ58・キハ65形気動車とは大違いなんですが、
そういうふうにはなかなか理解されなかったようです。

登場する順番を間違えたというような気がしますが、「急行かすが」は、残念ながら2006年3月に廃止され、
キハ75形のパフォーマンスをもってしても7年しかもちませんでした。

急行列車という存在自体が,もはや中途半端な存在となってしまっていたと考えるべきかもしれません。

今回は、この「急行かすが」をはじめとして、
「快速みえ」と武豊線普通列車に使われたワンマン対応車(400、500番台)をご覧いただけます。

JR東海  キハ75系気動車 急行かすが 快速みえのトップページへJUMP

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2009年10月29日 (木)

JR九州 キハ185系「特急あそ、ゆふ、九州横断特急」の画像をUP

JR九州 キハ185系「特急あそ、ゆふ、九州横断特急」の画像をUPしました。Dc185_1008

もtもとキハ185系は、国鉄末期に四国に投入された特急型気動車でしたが、
登場から数年で2000系気動車に主役の座を奪われた悲運の気動車です。
いまでも特急用として徳島を中心に活躍していますが、普通列車用に改造されたものもあり、四国の地においては、完全に脇役となってしまいました。

さて、JR九州では1992年、JR四国で余剰になったキハ185系を計20両購入し、
久大線の急行「由布」と豊肥線の急行「火の山」の車両を置き換えます。
新たに特急「ゆふ」「あそ」として再デビューさせたのです。
塗装はJR九州のコーポレートカラーである赤を基調としたものに変更されました。

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当初は特急「ゆふ」と「あそ」によって車両を使い分けていましたが、後に共通運用となり、
それぞれに施されていたレタリングも、あわせて変化して行きます。
「あそ」
「ゆふ」

「あそ/ゆふ」

「九州横断特急」

九州の地で元気に頑張るキハ185系たちをご覧ください。

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2009年10月26日 (月)

大阪市営地下鉄 100形及び50系の画像をUP

大阪市営地下鉄の100形は、1000形に続いてS32にデビューした元1100形で、23両製造されました。S50.3 20系チョッパ車が、10系に改番されることに伴って100形Ⅱ代目を名乗ることになりますが、番号ほどに古くさい車両ではありません。Oc_121

大阪市では初めての片運転台車で全て電動車。WN駆動の新性能車でもあり、大阪市営地下鉄の新時代を築いた系列なのです。

御堂筋線で活躍した後は、S47 四つ橋線のATC化に伴って改造。A-A基準の不燃化工事もなされました。オールMの構成で性能的には30系と肩を並べます。

S54年には千日前線に転属されました。ここにUPしたものがそうです。ただ106.107は余剰車両となったため、VVVFインバータ試験車となりました。

50系は、大阪市営地下鉄においては、初めてMMユニットを組む新性能車。S35年からS40年まで94ユニットが製造され、大阪市営地下鉄の顔ともいえる存在でした。

またこれとは別に50系には、中央線部分開業時に登場した両運転台車=6000形.6100形のT化改造車5800形.5900形も含まれます。こちらもご覧ください。

大阪市交通局(大阪市営地下鉄) 50系 100形の各トップページへJUMP

今回の画像は、車庫でのものですが、当時は見学会も公開日もなく、地下鉄の写真を撮るのは困難を極めました。ちなみにこれらは全て、車庫の外側から撮影したものです。決して忍び込んで撮影したわけではありません。

森ノ宮検車場などでは、コンクリート製の塀が張り巡らされており、撮影するために友人のN川氏と交替で肩車をしました。今となってはN川氏の巨漢を肩車などできるはずもありません。これらの画像は、若かったからこそできた当時の労作です。

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2009年10月23日 (金)

JR西日本 24系25形 トワイライトエクスプレス をUP

トワイライトエクスプレス(TWE)は、H1年に登場したJR西日本を代表する豪華寝台列車です。Jrw_twe3__01_2

運転区間は1500km近くあり、JRの列車の中で最も長い距離を走行しています。
多客期は毎日運転ですが、通常は、下りは月・水・金・土曜、上りは火・木・土・日曜に運転されます。個室主体の編成で、特に2人用A個室スイートは超豪華仕様ということもあって人気は高く、予約はなかなかとれません。

なお、トワイライトエクスプレスは、専用機関車EF81と専用客車である24系25形ともモスグリーンに黄色いラインという専用塗装が施されています。

H13年、リニューアルされ、エンブレムには黄色い縁取り、黄色いラインには白い縁どりがつくなどの変化があります。とくに①号車となる、スロネフ25-501は妻面の窓に水切りがつきました。

でも、他の車両は、車番の字体が変わったことが目につくくらいで、外見からはあまり違いは感じられません。

なお、今回は
①リニューアル前の編成
②リニューアル編成;内陸向きサイド
③リニューアル編成;日本海向きサイド
の順でならべました。②.③については、J鉄撮りしていますので、右上の 次>> をクリックしてください。1号車から10号車(カニ)までご覧いただけます。

なお③の画像については、一部、車番に自信がありません。ごめんなさい。

JR西日本 24系25形 TWE(トワイライトエクスプレス)のトップページへJUMP

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2009年10月22日 (木)

JR東日本の103系(仙石線1-国鉄色)をUP

最後まで残っていた103系RT235編成も、とうとう運用から離脱したようです。

仙石線に103系が導入されるたのは、S54年です。JR東日本に転換した当時、仙石線は103系の天下でした。いまやH14以降に投入された205系3100番台で運行されている仙石線ですが、103系が仙石線で活躍したのは、30年近い年月ということになります。

それだけの歳月ですから、結構いろんなバリエーションがあるのです。Jre_103_r001_4_mc103_1

今回は、JR東日本に転換した当時を中心に国鉄色の103系をご覧頂きます。

ところで、仙石線では、S58.9まで、東塩釜-石巻間の単線区間においては、通票閉さくが用いられていました。首都圏をはじめとする都市圏のエースであった103系とタブレット。何とも不釣り合いですが、運転台からタブレットを受け取る際、窓ガラスを破損する可能性があるため、ここの戸袋窓を塞いでいました。もちろん自動閉さくになってからの転入車両には、そんな必要はありません。そんな違いも注意してご覧いただけると一興かと思います。Jre_103_r050_1_tc103_511

本塩釜の駅は、高架の立派な駅ですので、京浜東北線の103系を彷彿させるものがあります。しかし、仙石線仕様の103系です。しかと違いをチェックしてみてください。

 JR東日本 103系 仙石線-1(国鉄色)のトップページへJUMP

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2009年10月19日 (月)

湘南モノレールに300系 東京モノレールに700系などを追加 

300系は初めて湘南モノレールを訪れたときに撮影した画像です。300系は2両編成だったんですね。Tokyo_mono_01_703

東京モノレールの700形.800形混成編成も発掘しましたので、UPしました。

ジャンパ栓がりりしいですね。撮影した当時は、もう6両固定編成ですが、もとは2両編成単位で構成されてたということがわかります。

東京モノレール 700形 800形  1000形特別塗装 1000形新塗装 1000形 2000形
湘南モノレール 300形 550形  500形 5000形

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2009年10月16日 (金)

国鉄 419系,715系 JR九州 715系 JR東日本 715系1000番台 をUP

先日、JR西日本の419系をUPしたことに触発されて、古いアルバムを引っ張り出し、715系など583系改造の近郊形電車を一気にスキャナー。画像をデジタル化いたしました。Jnr_715_tc715_7_

国鉄時代の715系でも、特にクハネ改造のクハ715などは、JNRマークもそのまま、上段、中段の寝台用小窓も残されており、近郊形電車とは思えません。

715系1000番台については、国鉄時代の画像はありませんが、それ以外はおおむねJ鉄撮りしております。

JR西日本の419系についても金サワ当時の画像を追加しました。

国鉄 419系  JR西日本 419系
国鉄 715系  JR九州 715系
JR東日本 715系1000番台
583系改造 近郊形電車の車両たちへJUMP

なお、当局のメインコンテンツ 珍車ギャラリーにおいても、JR西日本の419系を取り上げました。こちらもぜひご覧ください。

珍車ギャラリー JR西日本 419系 へJUMP

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2009年10月14日 (水)

鉄道の日切符+北陸鉄道1日切符の旅

今月末、北陸鉄道石川線の末端となる鶴来、加賀一ノ宮間が廃止されます。
あの古風な駅舎をこの目で見届けようと出掛けることにしました。1

少し早起きしたおかげで待ち合わせ時間まで、だいぶ時間があります。
しかし、鉄チャンは時間を無駄にはしません、しっかり撮り鉄です。
うまい具合に683系の4000番台がきました。このままこれに乗れればいうことなしですが、経費節減のため、鉄道の日切符を使います。

気分をよくして、今日の旅が始まります。高槻8時1分発敦賀行きの新快速は8両編成。結構混雑していましたが、幸いに京都でみんな座れました。というわけで、今回の旅の道連れはサイキョージ氏とDrKです。

敦賀で乗り換えです。鍵型のどん詰まりホームである4番ホームに着くと思い込んでいたのですが、5番線に入線しました。
金沢行きは,6両編成でしたから、先頭に乗車したのは裏目に出ました。ワンボックスを確保出来ません。
しかし、6両編成のおかげで、後方5号車まで移動してワンボックスを確保出来ました。

少しお昼には早いのですが、駅弁タイムです。敦賀駅の停車時間はわずか3分!
一人ではこんな芸当はできませんが、席とりと駅弁購入で役割分担をしたので、
敦賀駅名物の駅弁を賞味出来ます。
サイキョージ氏は、焼きサバ寿司を買い込んで下さいました。この量で1本千円!というのは驚きですが うまいものには 金に糸目はつけません。

西金沢に到着です。
結構、鉄道ファンらしき人が下車します。案の定、加賀一ノ宮ゆきの電車は、その半分以上が、鉄道ファンのように思われます。
西金沢は無人駅なので、切符は買えません。電車もワンマンカーなので、どうしたものかというところですが、なんと、アテンダントのお嬢さんが乗り込んでいました。_1_2
さて彼女から1日切符を購入するのですが、彼女はご用聞きのようなもので、注文を受け付けるものの現物の切符は渡してくれません。
少々不安になりましたが、途上唯一の有人駅鶴来駅に連絡を取り、ここで切符を受け取って渡してくれる手はずとなっていたのです。
1日切符は、金箔張りで、デザインもたくさんあり、記念にお持ち帰りが原則なもので、日付印もきれいに押さなければなりません。あらかじめ余分には用意できないものだったのです。おかげさまでいい記念になりました。切符マニアでもある私は、彼女から車内補充券も買い求めました。今回の廃止区間の最低運賃の切符です。
これには、廃止区間の駅名も書かれてあるので今買っておかないともう買い求めることはできません。周りの鉄チャンもこれは、記念になると思われたのでしょう。我も我もと手を挙げて購入されてました。軽く10人は感染させてしまったかな?アテンダントの彼女は大忙しです。でも嫌な顔もせず、ニコニコ笑顔で応対してくれました。本当に笑顔がかわいいアテンダントさんでした。これから月末にかけて、忙しくなるでしょうが、頑張ってください。
彼女が一人いるだけで車内の雰囲気もガラッと変わります。廃線フィーバーの後も活躍して欲しいものだと思いました。 2_3

加賀一ノ宮の駅舎は、さすがにくたびれていましたが、古風で重厚なたたずまいがいい味を出しています。できれば壊さずに、保存して欲しいと思っているのは私だけではないと思います。
もう少しゆっくりしたいところですが、切符はとことん使うという信念をお待ちのドクターKとともに、次は浅野川線へと向かいます

野町駅から北鉄金沢まで、バスで移動します。途中金沢の市街地を通過しながら、サイキョージ氏はこの区間、地下鉄にしてつないだらいいのにとおっしゃいました。私もかねてからその通りだと思っていました。しかし地下化された北陸鉄道金沢駅を見てがっかり、この構造では,無理です。

浅野川線では,もと京王の3000系だった8000系に乗車しました。片開きのドアでしたから古いタイプですが、サイキョージ氏には,あまり関心はなかったようです。
粟ケ崎の鉄橋くらいしか、景色にも変化がなく、アテンダントさんもいないので、なんともオマケという感じですが、私には,古い電車に乗車した昔のことが思い出されて結構楽しめました。

今日の仕上げは,福井での反省会(プチ宴会)です。
サイキョージ氏があらかじめネットで調べてくれたお店は,定休日で、がっかりでしたが、少し路地に入ったところにある- おふくろの味 こころ- というお店に入りました
もとスナックだったのでしょう。カウンターがメインのお店で、それこそおふくろさんが、一人で切り盛りされていました。料理を作るのもお一人なので、お忙しいのですが、我々の話しにも付き合ってくださいます。気さくなおふくろさんです。

ここでは、おふくろさん特製の玉子焼きがオススメです。でも極めつけは,冷酒です。
越前和紙の紙漉にちなんで、「寿喜娘」と名付けられた地酒なんですが、蔵出しの生酒を専用のタンクで、冷やしたものを飲めます。
タンクの大きさは,全然違いますが伏見の人気店「とりせい」の冷酒と同じく、飲み口は,爽やかでありながら、しっかりとした味わいのある日本酒を楽しむことが出来ました。

今回も、サイキョージ氏の嗅覚には,脱帽です。

先日、珍車ギャラリーでUPした419系に乗りたかったのですが、それはダメでした。

でもこれまた残っていることが、不思議なくらいの古豪。もと急行用交直流電車475系に457系と乗車できました。

今日も大満足の一日でした。

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2009年10月11日 (日)

JR四国 キハ181系 しおかぜ いしづち の画像をUP

四国初の特急列車となったキハ181系は、1972年の新幹線岡山開業にあわせて、「しおかぜ」3往復「南風]1往復用に新製投入されました。Jrs_dc181_37_

しかし、500馬力の高出力エンジンも四国の路線実態には合わず、JR化以後わずか6年目にして定期運用から退くことになります。引き取り手もなく、製造後20年ほどで姿を消した薄幸の車両たちです。

今回トップを飾るのは、キハ181-1。坂出駅で撮影したものです。JR四国への転換後すぐのもので、まだ瀬戸大橋は開通していません。右手後ろに瀬戸大橋の完成予想図が見られます。

JR四国 キハ181系 しおかぜ いしづち のトップページへJUMP

それにしても、「南風」の写真が見あたらないのです。うーむどこへ行ったんだ。

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2009年10月10日 (土)

JR東日本の103系(京葉線、常磐線)画像をUP

京葉線における103系は京浜東北線・根岸線から移転してきたスカイブルー(青22号)の103系がメインです。Jre_103_ky307_10_tc103_447
1986年3月に京葉線(西船橋駅 - 千葉港駅間)が旅客営業を開始した当時から活躍してきました。
1990年(平成2年)には、東京-新木場間が開業したことにより京葉線が全通。
同時に205系も導入されたましたが、それ以後もしぶとく活躍を続けていました。
しかし、2005年11月に最後まで残っていた1編成が引退し、ついに京葉線からも姿を消すことになってしまいました。
ご紹介するのは、307編成です。当路線で唯一スカートをはいていました。これがなかなか格好いい!(2005年3月撮影)

JR東日本 103系京葉線 10連=307編成 の画像へJUMP

103系は、常磐線では1967年12月から導入されました。Jre_103_j22_15_mc103_147_
15両運転が開始されたのは、JR化以後の1987年12月からですが、本当に迫力満点でした。
今回、ご紹介するのは、2006年3月18日のダイヤ改正で
常磐線から103系が姿を消すことになる直前まで活躍を続けた22編成と7編成です。(2005年8月撮影)
J鉄撮りいたしました。右上の 次>> をクリックしながら15両編成の凄さを感じていただけたらと思います。

JR東日本 103系常磐線 15連=22+7編成 の画像へJUMP

常磐線ならではの元地下鉄千代田線乗入用1000番台も近いうちにUPしたいと思います。

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2009年10月 9日 (金)

JR東海 特急用気動車 キハ80系 特急 ひだ 南紀 をUP

キハ80系は1960年に登場し1967年まで総数384輌が製造されました。Jrt_dc82_74

ボンネット型の先頭車、キハ81も存在しましたが、四国を除く、日本全国津々浦々で活躍し、特急用気動車の顔となったのはキハ82形ではないでしょうか。
大型曲面ガラスの採用や車体の塗り分けなど、特急型気動車のスタイルを確立しました。

JR東海にも継承され、特急「ひだ」「南紀」に運用されていました。ナゴヤ球場前行きの臨時列車にも使用され、乗った記憶もあるのですが、この写真が見あたらないのが残念!

JR東海のキハ80系は、キハ85系の登場により順次姿を消し、1992年3月のダイヤ改正をもって定期列車から引退しています。最後は94年の11月に運転された御殿場線60周年号ということになるのでしょうか。

JR東海  82系特急用気動車 ひだ 南紀 のトップページへJUMP

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2009年10月 8日 (木)

大阪モノレール クロスシート車消滅。かつての姿は当局で!

大阪モノレールでは2007年よりリニューアルを兼ねたロングシート化改造が進められていましたが、2009.7.20に1023Fが改造工事に入ったことで、クロスシート車は姿を消してしまいました。Osaka_monorail_1030_32f_00

当J鉄局では、一部クロスシート車編成であった1022F の画像と全車(4両)ともクロスシート車編成であった1032F とをご覧いただけます。なお1032Fは、今はなきエキスポランドのおろちくんのモノレール号です。

車内の画像はありませんが、中間車の画像などは外からでもクロスシートであったことをうかがい知ることができます。

1000系 1000系20番台  1000系30番台  2000系

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2009年10月 5日 (月)

東京メトロ(東京地下鉄)東西線の画像をUP

東京メトロの東西線というのは、地下鉄でありながら地上区間も結構あり、またJR東日本や東葉高速鉄道と相互乗り入れがあるということで、バラエティ豊かな車両写真が撮影できます。私にとってはうれしい路線です。Metro_05_24f_1

当然ここでは、東京メトロの車両写真だけをご紹介しているのですが、あれもこれもと思っているうちに71枚もUPしてしまいました。それでもワイドドアー試作車ともいうべき05系14Fがありません。これもゲットし次第UPしたいものです。

なお5000系アルミ車は、当J鉄局の珍車ギャラリーでも取り上げております。是非こちらもご覧ください。

5000系アルミ車についてはJ鉄撮りもしておりますので、これらは5000系非冷房車とあわせ、いずれ営団地下鉄東西線として画像をUPしたいと思っています。

東西線 5000系 05系 07系 の各ページへJUMP

珍車ギャラリー5000系 アルミカー のページへJUMP

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2009年10月 4日 (日)

日本国有鉄道 オハ35系 スハ40 をUP

電車の場合、中間車が運転台を取り付けたりとか、外観も大きく変化するような改造をした時に、あるいは、グリーン車に格上げされるなど用途が変更された場合にも、形式の変更が行われます。Jnr_suha40_2102

さて、今回ご紹介するスハ40ですが、特に外観も用途も変わったわけでもないのに、

スハ42→オハ36→スハ40と形式の変更がなされました。

その謎を追いながら、国鉄の旧型客車についてお話しさせていただきます。

よろしかったらおつきあいください。

珍車ギャラリー 日本国有鉄道 オハ35系 スハ40へJUMP

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2009年10月 3日 (土)

JR四国 ジョイフルトレインにトロッコ列車を 2000系にアンパンマン列車を追加

JR四国 ジョイフルトレインにトロッコ列車を追加しました。正直なところを申し上げますと、すでにUPしていたものとばかり思っておりました。Jrs_torokko_shimanto_03

また、同時に2000系アンパンマン列車の古い画像、すなわち当J鉄局がデジカメを導入以前に撮影したものも追加しました。

清流しまんと号トロッコ
瀬戸大橋トロッコ
アンパンマントロッコ
ゆうゆうアンパンマン号(185系)
アンパンマン号(2000系)      の各画像へJUMP

アンパンマン号といえば、キロハ186を改造した。ゆうゆうアンパンマン号も存在します。これも特急 剣山の編成ごとUPしました。 なおキロハ186-2 「ゆうゆうアンパンマン号」は珍車ギャラリーでも取り上げております。こちらもぜひご覧ください。

珍車ギャラリーゆうゆうアンパンマン号 キロハ186_2へJUMP

珍車ギャラリー清流しまんと号トロッコ トラ152462へJUMP

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2009年10月 2日 (金)

JR西日本 419系(583系改造近郊形電車)をUP

国鉄末期の1985年3月、
北陸地方の都市近郊電車を増発するために登場した419系は、583系寝台特急電車(3電源の交直流電車)を種車として改造されました。419_d15_3_tc419_5

高価な交直流電車を新たに新造するだけの余裕のなかった国鉄は、輸送体系の見直しで余剰車両となってしまった寝台特急電車=581.583系を近郊電車として再生することにしたのです。
さて、これを近郊形電車として使用するにあたっては、車体もまた再利用することにしたのですが、この結果、寝台特急電車のイメージをとどめた外観となっています。

JR西日本 419系(583系改造近郊形電車)のトップページへJUMP

同様の改造をしたものに715系、715系1000番台がありました。715系はJR九州、715系1000番台はJR東日本に承継されましたが、ともに1998年に廃車されています。(419系は、715系(4連)とちがって3連としたので、モハ改造のクモハがいるのが特徴です。)

715系の廃車以来、419系も遠からず姿を消すだろうと、私はそう思い続けて来ました。もともと昼夜兼行で走り続けてきた電車です。痛みも進んでいるに違いありません。また、もと特急電車とはいえ、近郊形電車としては多くの問題点を抱えた電車です。それなのに今なお黙々と働き続ける419系。

JR西日本においても、2006年の521系導入により、一部廃車が発生しています。

583系として1968年に登場して以来、もう40年以上になります。

そのときが来たら、拍手で見送ってやりたい気持ちです。

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