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2009年9月の記事

2009年9月29日 (火)

東京地下鉄(東京メトロ)半蔵門線 8000系 08系の画像をUP

東京メトロ半蔵門線は、2003年3月 水天宮-押上間が開通し、東武伊勢崎線にも乗り入れできるようになりました。便利になったものです。Metro_8000_12f_00

今回は、同年に登場した08系に加え、1981年から営業運転を開始した8000系をご覧いただけます。6000系譲りのデザインですが、6000系も8000系も30年近い昔に登場したデザインとは思えないですね。今見ても十分に格好いい。

さて8000系といえば、半蔵門線の開業以来、ずっと走り続けているように思えるのですが、違うんですね。ちなみに半蔵門線の開業は1978年。渋谷-青山一丁目からスタートしています。でも81年までは東急8500系しか走っていなかったのです。

また8000系は、東西線で走っていたものもいます。扉の上にブルーの東西線ステッカーが張ってありました。これらは、いずれ営団8000系としてあらためて別途ご紹介したいと思っています。

なお今回ご紹介する8000系については、VVVFインバータ制御に改造された編成もあります。床下機器にご注目を。

東京地下鉄(東京メトロ)半蔵門線 8000系 08系のトップページへJUMP

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2009年9月28日 (月)

JR東日本の寝台特急-14系15形、24系25形、E26系 画像をUP

東海道、山陽本線関連の寝台列車は「サンライズ」を除いて、その姿を消してしまいました。Jre_ef81_92_casoipea

機関車が客車を牽引して走る国鉄以来の寝台列車は、たとえば急行「銀河」を例にとっても、牽引機はJR東日本、客車はJR西日本、そして走行する路線は、これらに加えてJR東海と…3社にまたがっています。またダイヤ改正となればJR貨物の協力も必要です。

JR各社が協力、協調せざるを得ない長距離列車は、それだけで重荷となったといえるかもしれません。

JR東日本の寝台特急とタイトルをつけましたが、JR西日本、JR北海道、そしてJR貨物とも折り合いをつけてゆかねばならない列車です。

国鉄の分割民営化が長距離列車の存続に有利に働くことはないとはないとは思いましたが、日本全国津々浦々につながるネットワークこそがJRの財産でもあるはずです。

頑張れJR東日本!

14系15形 寝台特急「北陸」
24系25形-1 寝台特急「あけぼの」
E26系 寝台特急「カシオペア」

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2009年9月27日 (日)

木曽(赤沢、王滝)森林鉄道を訪ねて

この春、N川氏と馬路村の森林鉄道を訪ねて旅したわけですが、今回も千円高速道路の恩恵にあずかろうと木曽森林鉄道を訪ねる旅に行って来ました。
もちろん、こちらも保存鉄道です。とはいえ、赤沢森林鉄道は自然休養村の施設として森林浴を楽しむ人々から好評を博し、旅行社の企画するツアーにも組み込まれているほどです。
今回、この旅をN川氏に提案したのもこの新聞広告がきっかけでした。Dsc_1267

朝5時に、大阪を出発。新名神経由で中央自動車道に入ります。少し遠回りですが名古屋周辺の混雑を回避できると思ったからです。
実際のところ、休憩のためたち寄ったSAは、朝早くから、結構な人出です。
それでも順調に長野県入りしました。

伊那ICで高速道路を降ります。えっ木曽方面なら中津川から19号線だろう?と思いませんか
私もそう思っていました。しかしN川氏は、道を間違えたわけではありません。
実は、伊那ICから再び中央アルプス越えをするのです。現在権兵衛峠には、中央自動車道の恵那山トンネルに匹敵する。権兵衛トンネルが穿たれており、これがまた一般道というのですから驚きです。千円均一でなければ、このようなことを考えもしませんが、それにしてもこのような道を知っているN川氏もただ者ではありませんね。さすが、日本全国トラックで走って回っているだけのことはあります!

上松に近づいてくると、川向こうに森林鉄道の廃線跡が見えてきました。
かつて中央線のSLを撮影するついでに森林鉄道もここで撮影しました。残念ながら、この写真は行方不明です。

上松から赤沢自然休養村まで、結構時間がかかりました。
どこから、いつこれだけの車が集まってきたのか。駐車場はほとんど満杯です。
トロッコ乗り場には10時半前に着いたのですが、その便には乗れませんでした。そんなわけで、次の便までの30分間に保存されている車両を撮影します。Dsc_1241
ボールドウィン製作のSLもなかなか味を出していますが、酒井製作所製のDLがなんともこの山の雰囲気にマッチしていていい感じです。
そうこうしているうちに列車が帰って来ました。
機関車は、前述の酒井製作所製のDLを模した北陸重機の新車です。
森林浴をする人々にディーゼルの黒煙は似つかわしくはありませんので、排気管のところに除去装置が取り付けられています。メーカーが無償で提供したもののようですが、これはいい宣伝になっているのではないでしょうか。
客車は、6両編成ですが、満員です。
各車両には、乗務員が乗り込んでいます。ブレーキ力の不足を手ブレーキで補うためと思われます。

終点まで10分足らずの旅ですが、眺めも良ければ、空気もうまい。天気に恵まれたこともありますが、最高の森林浴気分です。
終点では機関車の機回しもあり、5分間ほど停車して折り返します。
帰りは、歩いて森林浴をする人々も多いのでしょうか。チラホラ空席が目につきました。
本当にいいところでしたから、もう少し長居をしたい所ですが、次がありますDsc_1313
一つ山越えをして王滝村へ向かいます。
中心部である田島地区を抜けて、先に滝越地区にゆきました。
王滝村でも奥まったところにある滝越地区は分校の廃校以来、子供たちを本校のある田島地区に送り届けてきた通学列車やまばと号を保存してきました。
小さな客車の中を見てきました。この小さな座席に座って子供たちは、森林鉄道に揺られ1時間かけて毎日通っていたのです。このことを思うとこの地区の人々にとって、このやまばと号は、かけがえのない存在なのだと推察できました。

さて、その道を田島地区へと戻ります。Dsc_1319
車でも結構な距離です。旧田島駅に保管されていた王滝森林鉄道の車両は川沿いの高台にあるスポーツ広場の一角に集められ、立派な検修施設の中で、かつての美しい姿を取り戻しつつあります。
そして、園内に伸ばしつつある路線で、少しづつですが、運転もされています。
この日は運転日ではありませんでしたが、作業をされているボランティアの方とお話しすることができました。
このように無償で働いておられる方に対し、もっと財政的な支援ができればいいのに、と思いました。

さて、今日の撮影はこれで終了。温泉に浸かって帰ることにしました。
田島の町中に王滝温泉「王滝の湯」の看板を見つけました。
思ったより距離があり、不安になりましたが、そこでは、「あきらめないで!」の看板があり、とうとう砂利道になった時には、「デコボコ道でゴメンナサイ!」の看板が…。励まされながら、やっとのことで到着しました。Dsc_1342
看板も小さく、民家のようにも見える温泉でしたが、ぱらぱらとお客さんもいて、ちょっとホッとしました。
お風呂は、小さめで露天風呂があるわけでもないのですが、真正面に御嶽山の山容を望むことができました。
まさに隠し湯の風情ですが、さすがに冬はやっていないだろうと、親父さんに聞いてみました。ぱっと見は無愛想そうな親父さんでしたが、ニッコリ笑って、冬でもやっているよ!という答えが帰って来ました。

のんびりとしたいい1日でした。

満足して温泉を出たのが、午後3時半。
しかし、実はこれからが大変でした。

高速道路に入りますと渋滞、また渋滞!
大阪へ帰ってみると日付が変わっていました。

N川氏には、本当にご苦労様でした。

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2009年9月25日 (金)

JR九州 103系1500番台 303系 をUP

JR九州内の電化路線は交流と思いきや。直流1500Vの路線が存在します。筑肥線です。
博多 - 姪浜間は、1983年に福岡市営地下鉄と相互直通運転をするため、大きくその路線を変更し、現在は地下鉄経由で天神を経て地下鉄博多駅から福岡空港駅へとつながっています。Jrq_103_e08_0003
そのため、JR九州の直流1500V路線は唐津 - 姪浜ということになりますが、今やその利便性が買われ、福岡市近郊の通勤路線として発展してきています。
ただ、筑前前原以東の列車はすべて6両編成となっていますが、筑前前原より西、 唐津までの区間は、輸送量も減り、列車は3両編成で運行されるようになりました(1989年)。
そこで登場したのが、クモハ103-1500番台及びクモハ102-1500番台です。①号車にあたる車両は、103系としては珍しいトイレ付き車両です(2003年より取り付け)。
103系は、筑前前原駅で増解結を行う編成にも使用されます。

国鉄色 と JR九州色(新旧)をとり揃えております。

303系は、2000年1月に下山門-筑前前原間が複線化されたことに伴って、輸送力増強のために新造されたVVVF制御の新車です。こちらも筑肥線固有の車両です。Jrq_303_k01_0006
103系と違って6連オンリーですが、①号車にトイレが設定されています(同じく2003年より取り付け)。

トイレ付き編成とトイレなし編成をUPしておりますが、クハの塗装にわずかですが違いがあります。探してみてください。

JR九州 103系1500番台 303系 のトップページへJUMP

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2009年9月24日 (木)

JR四国 185系特急用気動車 をUP

国鉄の分割民営化直前の1986年に、四国地区向けに製造された特急用気動車です。Jrs_dc185_22__2
キハ181系の代替車というよりは、急行用のキハ58系を置き換え,同時に急行列車の特急格上げを狙ったものです。
そのため、短編成での小単位輸送を念頭に置いて設計されています。
JR四国となってからは、特急用気動車として2000系、N2000系という強力な新車が登場します。
そのため余剰となった185系は、一部、JR九州に移籍。また一般車に格下げされるものもあらわれ(3000,3100番台)すっかり影が薄くなってしまいました。
しかし、まだ徳島を中心に特急用気動車としてまだまだ元気な姿が見られます。今回の画像はすべて2007.3に撮影したものです。

JR四国 185系特急用気動車のトップページ へJUMP

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2009年9月23日 (水)

国鉄車両-第17弾 43系客車 (スハ43、スハフ42,オハ47etc)をUP

Jnr_suhahu42_2104 43系客車とは、S20年代後半から、標準形客車として量産された切妻の鋼体客車でTR-47など鋳鉄製のウイングバネ台車を履いている車両群の通称です。

とはいいながら、TR-23やTR-34を履いたオハ47が、ここに含められています。これはスハ43が旧式の優等列車むけ客車と台車交換をしたため発生した形式だからです。

日本国有鉄道 旧型客車-3 43系(スハ43 スハフ42 オハ47etc)のトップページへJUMP

一方で、特急用として製造されたスハ44などは、44系として別にUPしています。

日本国有鉄道 旧型客車-1 32系 41系 44系 60系 etcのトップページへJUMP

また35系との過渡期に製造されたスハ42は、本当なら、スハ42の緩急車版であるスハフ41とともに42系とでもすべきものなのですが、スハフ41が履いていたTR-40(=鋳鉄製のウイングバネ台車)は、TR-34を履いていたマイネ40と台車交換させられ、スハフ41は、全車オハフ33に編入させられてしまったのです。(=オハフ33-607~626 スハフ41は、わずか1年で形式消滅)そんな経緯があったので、スハ42は、35系に含めています。

日本国有鉄道 旧型客車-2 35系(オハ35 オハフ33 スハ42etc)のトップページへJUMP

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2009年9月22日 (火)

JR東日本 207系900番台 をUP

207系900番台は、S61年に営団千代田線直通車としてデビューしました。実用に供されたものとしては国鉄初の、そして国鉄にあって唯一無二のVVVF制御車です。Jre_207_900_md7_01
207系900番台は、国鉄からJR東日本に継承されましたが、量産されることはありませんでした。そのため1編成しかなく、滅多にお目にかかれない珍車です。
H21より、E233系の千代田線直通仕様車(2000番台)が新製され、203系とともに淘汰されることとなりました。まだまだ使えるのではと思うのですが、残念です。

鉄道車両写真集 JR東日本 207系900番台 へJUMP

詳しくは当J鉄局の「珍車ギャラリー」にも取りあげていますので、そちらも是非ご覧ください。ちなみに「珍車ギャラリー」での画像には、VVVF制御器が写っています。
   
珍車ギャラリー JR東日本 207系900番台 へJMUP

なおJR西日本にも207系は、存在しますが、全く違うコンセプトで開発されたVVVF制御車です。こちらも「珍車ギャラリー」で取りあげています。

珍車ギャラリー JR西日本 207系F1編成(先行量産車)  へJUMP

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2009年9月19日 (土)

国鉄車両-第16弾 35系客車(オハ35、オハフ33、スハ42etc)をUP

Jnr_ohahu33_124 35系客車とは、1938年から1950年にかけて登場した鋼製客車の通称で戦中から戦後にかけて、まさに激動の時代に製造された車両群です。

1000mmの側窓を持つことが大きな特徴ですが、2000両近い大所帯で、その形態は実に様々です。
ここでは、標準丸屋根タイプをA。絞り折妻をJ。キノコ形折妻をKとし、それぞれ鋼板屋根はm キャンバス屋根はcと付記してあります。

それらの記号によってソートされていますので、おおむね製造順にその変遷をご覧いただけるはずです。

これらの形態分類及びその記号は鉄道ピクトリアル748、749「特集オハ35系Ⅰ.Ⅱ」によるものです。

ちなみに、初めて本書を手にしたとき、手が震えました。

車両データは、車歴表を含め、これら執念の労作を参考にさせていただきました。

国鉄 35系客車(オハ35、オハフ33、スハ42etc)のトップページへJUMP

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2009年9月16日 (水)

JR九州 寝台客車 14系15形 特急はやぶさ、富士 をUP

今年の春、九州行き最後の寝台特急「富士」「はやぶさ」は廃止されました。Jrq_pc_hayabusa_ed76_66
このタイトルでご覧いただけるのは、14系15形の「富士」「はやぶさ」…つまり最後の姿です。
ともに所属はJR九州 :熊本運転所 (熊クマ)の14系15形です。

「富士」「はやぶさ」とも、国鉄時代には20系ブルートレインの花形寝台特急だったわけですが、もちろん最初からこの二つが併結されていたわけではありません。

以下に簡単にその歴史を述べておきます。

特急「富士」 ;S39.10東京-熊本.大分間の特急「みずほ」の大分編成を独立させてデビュー、S40には西鹿児島まで延長され日本一の長距離列車となりました。20系から24系25形(S51~)時代を経て、H9には大分までに短縮されます。H13「さくら」の廃止にあわせ、「はやぶさ」と併結、14系15形となりました。

特急「はやぶさ」 ;S33.10東京-鹿児島間にデビュー。S35には20系化されます。以下「富士」同様20系から24系25形(S51~)時代を経て、(正確にはS50にいったん24系化されています。)H9には熊本までに短縮、H11には「さくら」と併結となります。つまり、14系15形と24系25形が併結されていた時代もあるのです。14系15形になったのは、H13「さくら」の廃止によって「富士」と併結するようになってからです。

JR九州 寝台客車 14系15形 特急はやぶさ、富士のトップページへJUMP

「富士」「はやぶさ」以外でJR九州に継承された寝台特急は、「さくら」「みずほ」「なは」です。24系25形時代の「富士」「はやぶさ」とともに、これらもまた、ご紹介する予定です。

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2009年9月13日 (日)

珍車ギャラリー;山万のユーカリが丘線 1000系をUP 

山万のユーカリが丘線は、新交通システムに分類されます。Koara_1

しかし他のいわゆる新交通システムとは違う、全く異質のものです。まず、ホームドアがありません。車両のサイズは新交通システムのサイズといっていいのですが、運転手さんがいます。 自動運転ではないのです。そして驚くべき事に、今時、クーラーも付いていないという珍車です。

新交通システムと呼ばれるものの多くが、公営、あるいは第三セクターの事業者で運営されています。でも、山万のユーカリが丘線はそうではありません。

そのへんにこの珍車が誕生した秘密がありそうです。

詳しくは当局の珍車ギャラリー”山万のユーカリが丘線 1000系”
をご覧ください。

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2009年9月11日 (金)

ゆりかもめ 東京臨海新交通臨海線 7000系7200系をUP

「ゆりかもめ」の愛称(1998年、社名に変更)で親しまれている「東京臨海新交通臨海線」は、1995年11月、新橋と東京臨海副都心を結ぶ交通機関として、新橋(仮)- 有明間11.9kmが開業しました。Yurikamome_7005

その翌年の夏だったかと思いますが、国際展示場でハムフェアが開催されその際に利用したのが、私にとっては最初です。

「目的地が見えているのになんと遠回りをするんだ。」と思ったのが第一印象でした。

2001年3月には、新橋駅がJR新橋駅前の現在の位置まで移転。そして2006年3月には有明 - 豊洲間2.7kmが延伸開業して現在に至っています。(14.7km)

この春に2回目の乗車とともに全線走破したたわけですが、前回同様すごい人出で、今回もとうとう座れませんでした。一番前のところに陣取り、前ばかり見ていたのが実際のところですが(^_^;)

ゆりかもめ 東京臨海新交通臨海線 7000系7200系のトップページへJUMP

なお、最新型となる7200系6次車=27.28編成は撮影できませんでした。

これを期待していた方には申し訳ございません。

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2009年9月10日 (木)

J鉄局の鉄道ブログ アクセスランキングを更新

J鉄局の鉄道ブログにおいて、一番アクセスを集めているのは、 トップページです。

これは、所定の入り口ともいうべきもので、アクセス数が多いのは構造上当たり前のことです。またこれは、日々更新され中身が変わってゆくわけですから、あえてランキングに加えても意味がありません。

では過去どのようなページが注目されていたかというと、以下にベストテンで示した鉄道車両写真集のトップページなんです。

鉄道旅行記なんかがベストテン入りしてくれたらうれしい反面、恥ずかしくもあるので、まあいいか…と思ったりもするのですが、文章力をもっと磨かねばと思う次第です。Sanyo_275

さて写真集では、山陽電鉄がダントツで首位をキープしています。いまだに、その理由はわからないのですが、東武5700系がランクアップしたのは、この7月に東武博物館がリニューアルし5701がネコひげに復元されたことが影響しているのでしょう。

意外だったのは伊予鉄です。この夏、伊予鉄では、新形の3000系をデビューさせていますが、きっとその情報を入手しようと検索された方々が、訪問してくださったのだと思います。当局では、まだ3000系を撮影もしていないので、きっとがっかりされたことと思います。ごめんなさい。でも結果としては、わずかの差ですが、伊予鉄の旧型ページが、新形ページの上位に来ています。ついでではあっても、こちらにも興味を示してくださったことをとてもうれしく思っています。

rank pt 期間 2009.5.1-8.31(4ヶ月分)  by;TypePad-cocolog-
1 2.016 P3 山陽電鉄 ~1985: トップページ →1
2 1,646 P1 東武 5700系 快速急行だいや 快速たびじ: トップページ 4↑
3 1,268 L2 伊豆急 100系電車.1000系電車: トップページ 2↓
4 1,156 L1 秩父鉄道2 電車: トップページ 3↓
5 1,121 JR東海 100系新幹線9000番台 X1編成 トップページ 8↑
6 1.103 P3 大阪市交通局(大阪市営地下鉄)10系: トップページ new
7 1.026 L5 伊予鉄道 鉄道線車両① 旧形: トップページ new
8 1.014 L5 伊予鉄道 鉄道線車両② 新形: トップページ new
9 956 L9 富山地方鉄道の電車たち: トップページ new
10 863 国鉄 20系寝台車:トップページ 5↓

ところでP3とかL5とか。奇妙な記号が文頭に入っているのですが、なぜこんなものが入っているのでしょう。

実は、ココログでは、一つアルバムタイトルを作成すると自動的に整理されて一覧が作成されます。

しかし、意識して並べないと、すでに300タイトルを軽く超えてしまっているので、画像の追加など…メンテナンスする時に探し出すのが大変なんです。

そこで、インデックスキーとして例の記号が付与されているのです。これがあれば、目的のタイトルまで、すぐにたどり着けます。

記号の意味?もちろんあります。推理なさってみてください。

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2009年9月 9日 (水)

横浜新都市交通-金沢シーサイドライン1000形をUP

横浜新都市交通は、1989年に金沢シーサイドラインとして開業しました。Y_seaside

今回ご紹介する車両には、20周年記念のステッカーが貼られています。早いもので、もう20年になるのですね。新都市交通というのももはやちょっと…という感じです。
1000形は「新交通システムの標準化と基本仕様」の規格に基づく車両で、
5両編成×17本(=85両)が新潟鐵工所、日本車両、東急車輛製造、三菱重工業で製造されました。現在は廃車になった第7編成以外の80両が更新工事を施され活躍中です。

ここを訪れたのは、2回目です。前回来たときには、鉄腕アトムのステッカーが貼ってあったような気がするのですが、覚えていらっしゃる方はいませんか。

横浜新都市交通-金沢シーサイドライン1000形のトップページへJUMP

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2009年9月 8日 (火)

国鉄車両-第15弾 10系客車(寝台車、座席車、etc)をUP

国鉄時代、夜行急行列車といえば、普通車は結構旧型客車を使っていましたJnr_ohanehu12_2053

均一周遊券で旅する貧乏学生だった私にとって、彼らこそお馴染みサンだったわけですが、いつも羨望の目で眺めていたのが、10系寝台車です。

急行大雪で使われていたオロハネ10の写真が見あたらないのが、残念ですが、とりあえずあるものでUPしました。

あわせて、10系の座席車もここに加えています。

軽量で以後の新形客車の基礎ともなる車両ですが、強度Jnr_nahahu11_1の点で問題があったのでしょうか、他の旧型客車が廃車されるのとほぼ同じタイミングで姿を消した薄命の車両たちです。

福知山に結構配置されていたので、一通り撮影できました。

国鉄 10系客車(寝台車、座席車、etc)トップページへJUMP

オハネ12 -2000 -500  オハネフ12  オハネフ13-2600
オロネ10-2000 -500  スハネ16 -500

ナハ10 ナハフ10 ナハ11 ナハフ11

あと、タイトルを設けるほどの枚数もないものですからSuro81_ohmi、62系グリーン車と

その改造車となる、81系お座敷列車もこそっと忍ばせておきました。

スロフ62  スロ81 スロフ81

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2009年9月 7日 (月)

国鉄車両-第14弾 20系ブルートレインをUP

元祖ブルートレインともいうべき20系は1958年10月特急「あさかぜ」でデビューしました。固定編成で電源も集中方式を採用。
全車空調完備で、台車はエアサス付き。従来の客車から格段の進歩を見せ、国鉄近代化のシンボル的存在でした。Jnr_nahanehu22_1005

その後急行用としても使えるよう改造され、1986年まで定期列車として活躍しました。
ここで、ご紹介できるのは、おもにこの時代のものです。

実のところ、今回の画像は「国鉄20系客車」として、今回の国鉄シリーズをアップする前にこそっと公開していました。
個室付きのナロネ20形や食堂車であるナシ20形など、華となる車両の写真がないので、「20系ブルートレイン」と看板を掲げるのはちょっと気が引けたものですから…あまりPRしなかったのです。

それでも、アクセス解析すると結構見ていただいているのがわかり、びっくりしました。20系ブルートレインはやはり人気があるのですね。

前述の画像がないのは残念ですが、20系ブルートレインのデザインセンスとその風格は各車両から感じられると思います。

一部誤りも訂正し、整理し直しましたので、ご覧いただけたらと思います。

国鉄 20系ブルートレインのトップページへJUMP

ナロネ21 ナハネ20 -1000 -2000  ナハネフ22 -1000  ナハネフ23
ナハ21  カニ21  カヤ21

JRに継承されたのは波動用イベント用の97両でしたが、これらも少しずつ廃車されてゆき、1998年にはその姿を消しています。

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2009年9月 6日 (日)

国鉄車両-第13弾 事業用客車-3(郵便車)をUP

郵便車は、いまはなき郵政省の所有する「私有車」と分類されているのですが、国鉄の事業用車両の続きでご紹介させていただきます。Oyu10_2005

ご覧いただけるのは、主に10系客車の系列につながる車両です。結構バリエーションがあるのでおもしろいのですが、勉強不足でその違いなどについては、今回は見送らせていただいてます。 ごめんなさい。

国鉄車両 -事業用客車-3(郵便車)へJUMP

オユ10-2000 -1000 -2500  オユ11-500 -1000 -2000 -2500  オユ14-1 -200
スユ13 スユ15-2001 -2002~ スユ16-2000  -2200  スユ44

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2009年9月 5日 (土)

サイキョージ氏とDr.K 土日切符の旅 09夏

JR東日本の土日切符は、前日までに購入なければなりません。
去年の夏は、飯田線経由で辰野へ入り、ここで切符を購入しました。
今回は、直江津です。青春切符で新潟入りしました。
とは言っても、実は、特急サンダーバードと併用です。
683系4000番台がデビューしたので、乗らないわけには行かない。と言い訳されていますが、このところすっかり特急の味を覚えてしまったサイキョージ氏にとっては1日じゅう普通に乗り続けるという発想がなくなりつつあるようです。
JRの思うツボなのかもしれないのですが、特急と併用することで鉄道の旅の可能性が飛躍的に広がるのは間違いありません。
今回は新潟 発「いなほ号」からスタートです。坂町まで乗ります。もうお分かりでしょうか?
今回の旅の目的その1は、米坂線です。
「快速べにばな」に乗り換えるのですが、結構待ち時間があります。実は、「快速べにばな」は新潟始発で「いなほ号」よりも後に出ますから別に、いなほ号に乗らなければならない理由はないのです。ただ土日切符は、特急乗りほうだいなので、乗らなきゃ損!というわけです。
でも、これは失敗でした。かろうじて座れたものの、眺めの良い北側サイドは、ダメでした。
買った切符は、とことんしゃぶり尽くそうとするお二人の思いは、今回は裏目に出たようです。
米坂線は、山岳路線の趣があります。
私が、初めて訪れた時には、9600形蒸気機関車が走っていました。9600形は、ずんぐりむっくりしたスタイルで、スピードよりもパワー重視の貨物用機関車です、ローカル線ではあってもパワフルな蒸気機関車が似合うそんな米坂線です。
この日の宿泊先は、東根温泉です。
しかし、米沢でお二人が、乗り換えた列車は、なんと上りの山形新幹線「つばさ」です。
そして,福島から下りの「やまびこ」で仙台へ向かいます。
いったい何を考えておられるのでしょうか?
答えは、【牛たんを食べる.】です。
お昼の時間に仙台に着くようにプランを練られておられるわけです。
しかし、これも裏目に出ました
改札を出るとすごい人出です。
今や、仙台駅の名所となった「牛たん横丁」は、どのお店も長蛇の列です。
「なぜこんなに…」と思って、外へ出ると七夕の飾りが、そこかしこになびいています。
「そうかあ。」
と思って納得したところでどうしようもありません。サイキョージ氏の機嫌の悪いことといったらありませんでした。
お昼は、適当に済ませ、お土産用の牛たんを仙山線の車内で賞味します。
少しコショウが効きすぎでしたが、ビールによく合うお味でした。
そんなわけで、2番手の乗り鉄ポイントは仙山線です。
Dr.Kとサイキョージ氏は、山形新幹線は仙山線経由にすべきだった。いや、それは無理だ。などと論争を展開しておられました。
すっかり機嫌は直ったようですね。
本日の乗り鉄ターゲットその3は、左沢線です。いわばここも盲腸線なのですが、比較的人口の多い所を走っているので、本数も多いのです。専用車ともいうべきキハ100形が走っており、鉄チャンにとっては、それだけでも魅力的な路線です。
景色は単調でしたが、終点の左沢付近はなかなか印象的な景色でした。
再び本線と北山形で合流し今日の宿泊先である東根温泉へ向いたい所ですが、「つばさ」は、北山形には、停車してくれません。そのまま山形へ向います。
本来なら、この山形で結構待ち時間があったのですが、ありがたいことに下りの「つばさ」が遅れていたので、うまい具合に乗車することができました。しかし、例の北山形で、延々と運転停車。
それでも、村山駅には、予定より早く着くことができました。東根温泉は、東根駅から歩いて行けるのですが、残念ながら、「つばさ」が停車してくれません。
村山駅からはタクシーです。
宿泊したのは、松の湯という、少しくたびれた感じの小さな旅館です。
夏休みのそれも週末なのに、サイキョージ氏ご一行だけが、この日の宿泊客でした。
おかげで、お部屋はゆったり、お風呂ものーんびり入ることができました。
夕食は部屋食です。
料理もお値段の割には良かったし、女将さんのお人柄にサイキョージ氏は,大満足のご様子です。

2日目

「熱い、熱い。」といいながらも朝風呂につかり、朝ご飯もそこそこに、旅館-松ノ湯を後にしました。今日もタクシーで村山駅に向かいます。

昨日のうちに予約しておいたのですが、やってきたタクシーには「楯岡交通」の名が、

サイキョージ氏が、「楯岡交通?」とつぶやくと、運転手さんが、それに答えようとするのを遮って、突然Dr.Kが、うんちくを傾けだしました。

「村山駅はね、昔、楯岡駅といったんです。」

「山形まで開通していた山形新幹線「つばさ」を新庄延伸するにあたって、在来線時代のつばさが停車していた、隣り合う(※1)2駅(村山市にある楯岡駅と、東根市にある東根駅)のどちらに「つばさ」を停めるかで壮絶な綱引きがあったんですよ。

街の規模は東根のほうが大きいんですが、どういうわけか楯岡を村山に改称した上で、こちらに停車させることとなったんです。

その理由は、通過駅のバランスの問題(※2)。加えて村山(楯岡)のほうが駅の規模大きかったからです。それは、待避駅のバランスを考え、楯岡駅は2面3線で折返し運転も可能にしたからなんですが、元々相対式だった東根駅に対し、駅は立派でしたね。それから、楯岡には古くから「みどりの窓口」があったのに対し、東根に設置されたのはJR後のことです。(※3)

あきらめきれないのは東根市です。東根の隣にある無人駅の蟹沢駅を移転し、パークアンドライドを実践できるよう、広大な駐車場を新設しました。東根市の新しい玄関口として新東根駅の整備計画を出したってわけです。これが功を奏して、山形新幹線停車の要望は受け入れられました。これが新規開業した「さくらんぼ東根駅」ですね。旧駅の蟹沢は廃止されました。
こういういきさつがあったんですよ。

※1 駅の規模のイメージとしては、福井県の武生と鯖江をイメージするとわかりやすい。
楯岡に相当するのが武生、東根に相当するのが鯖江とイメージしてください。在来線時代は両駅に散らして、「つばさ」が停車していた。比率はおおむね楯岡が3に対して東根が2の割合。

※2 国鉄時代の「つばさ」は、必ず天童と新圧に停車しています。(大石田は一部しか停まりませんでした。)ですから東根を基本停車駅にすると、通過駅のバランスが悪くなるんです。天童~新圧間には、両端の駅を除いて間に10駅あり、東根に停まると天童側の通過駅が3駅、新圧側の通過駅が6駅となるのに対し、楯岡(現村岡)に停まると天童側の通過駅が4駅、新圧側の通過駅が5駅となります。

※3 現在は「みどりの窓口」は、さくらんぼ東根駅に移転しているので、東根駅にみどりの窓口はありません。

こんなことを大阪弁でまくしたてるDr.Kにたいし、TAXIの運転手さんが、気味悪がったのも無理はありません。

「いやあ、彼はね、昔、学生時代に「つばさ」の車内で車販のアルバイトをしてましてね。何回となく、ここを行ったり来たりしてたからなんです。」といいわけしておきましたが…。

新庄までは、わずかな距離ですが、「つばさ」に乗ります。これに乗らないと、陸羽西線の列車にうまく連絡しないのです。なにせ本数が少ないものですから、これに乗らざるを得ません。しかし、土日切符はうれしいですね。普通列車感覚で特急に乗れちゃいます。

最上川の渓谷美に加え、今は風力発電の風車が目を引く、陸羽西線の車窓風景です。

しかし、サイキョージ氏が、一番感動していたのは、終着駅の余目。

「おーっ、これは映画「おくりびと」で、広末涼子が、旦那に愛想尽かして旅立った駅ではないか!」

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2009年9月 2日 (水)

国鉄車両-第12弾 事業用客車-2(救援車)をUP

国鉄末期の救援車(客車)は、奇跡ともいうべき多様性に富んでいました。Jnr_sue30_26

ダブルルーフのクラシックなスタイルをとどめたスエ31に、鋼体化改造客車である60系改造のオエ61。

そして、なんといっても70系客車(戦災復旧車=戦災を受けた客車・電車の台車・台枠・鋼体を再利用して車体のみを新製したもの。)を種車としたオエ70、スエ71、スエ78などがその最右翼でしょう。

各車両についてのデータは、後日の楽しみとして、電車の面影をもつ車両もいます。

しかとご覧あれ。

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スエ30  スエ31  オエ61  オエ61-300  オエ61-600  オエ70  スエ71  スエ78

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2009年9月 1日 (火)

国鉄車両-第11弾 事業用客車-1(試験車,工事用車、保健車,教習車,職用車)をUP

珍車にこだわる当局の、とっておき車両画像が、事業用車両です。前回は事業用電車を取り上げましたが、今回は事業用客車です。客車とはいってもお客様を乗せるものではありません。Jnr_oya31_12

事業用客車とは、鉄道事業体がその運営上必要な業務を行う車両です。
ブルートレインの冷房電源を供給するエンジンを搭載した電源車もその一例となりますが、ここでは
車両や軌道の試験車。職員を最寄りの駅まで送迎する職用車。工事作業員の仮宿舎となる工事車。
職員の巡回診療にあたる保健車。職員に機械などの構造操作などを教える教習車。などをご紹介します。
これ以外に、事故などの際、人員.資材などを運ぶ救援車なども存在しますが、これは別タイトルでご紹介します。

 事業用電車と同じく、一般車を改造したものが多いのですが、種車がバラエティに富んでいて見ていて飽きることがありません。 

ただ昭和51年には国鉄に352両も存在したこれらの車両も、現在、ほとんど存在しておらず、ブルートレインとともにJR各社に引き継がれた電源車でさえ、風前の灯火という状況です。客車と呼ばれるもの自体が、今や希少な存在となってしまいました。

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