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2008年4月の記事

2008年4月28日 (月)

急行「銀河」狂想曲 総集編

急行「銀河」狂想曲 2.14序曲 大阪駅午前10時Exp_ginga_ticket_2

 時刻表検定名誉博士であるK博士が、満面の笑みをたたえて私の所へやってこられました。
「とれた。とれましたよ。銀河が…!!。キャンセル待ちしておいたヤツです。
よお取ってくれた。JR茨木駅に感謝や!」
「そういえば、2月14日に大阪駅で、10時00分50秒でアウトだったと嘆いていたヤツやね。おめでとう。」

 そこで、そのまま私は、2月14日当日、悲しみに打ちのめされていたK博士には、とても聞けなかったこと、
つまり、2月14日10時ちょうどの様子を聞いてみることにしました。

 なかなか入手できないプラチナチケットを入手するためには、10時ちょうどに前売り窓口に並ぶ必要があるわけですが、実際どうすればいいのか。
 私は、実のところ、その様子を全く知らなかったのです。
というわけで、以下は、K博士の話をもとにまとめたものです。

 前売りといっても、1ヶ月前の10時発売を狙う人がいる一方で、明日の指定券を買い求める人もいるわけです。
 一緒に並ばされてはかなわんなあ。と思っているとさすがはそこの所はちゃんと考えられています。
 10時発売の列は、あらかじめ別に設定されているのです。
 さて、大阪駅には指定券発売窓口が14あります。
当日売りが4。前売りが6。定期券、イコカ対応窓口が4の合計14です。
 そして、9時57分。これらすべての窓口が、一斉に10時発売の窓口に切り替えられます。
 つまり1ヶ月前発売に並んだ先着の14名が、10時までの3分間に希望する指定券情報の入力をすませ、
10時00分00秒ちょうど、14台のマルス端末から希望の指定券にトライすることができるのです。

 K博士は、3月14日東京発の下り急行「銀河」の寝台券を購入するために、此の列に9時30分、並びました。
 しかし彼の前には16人の先客がいて10時のヨーイ,ドンには間に合わなかったのです。
ちなみに博士の前にいたお客は、これもこの日で最後となる長崎発の特急「あかつき」のBソロをゲットしたようですが、
K博士は、50秒のロスが災いして、ゲットできませんでした。
「「銀河」がだめだった。」
の声に、10時発売の列から多くの人々が脱落していったそうです。

 ちなみに10時発売の最前列に並んだお方は、5時すぎから並んでおられたとのこと。
-やはりただごとではありません…。

 それにしても、10時発売以外で待たされている人たちも、たまったものではありませんね。
 10時発売の列が、すべてトライし終えるまでは、待機状態です。
一ヶ月前発売でないならば、10時ちょうどは、何があるかわからないので、とりあえず避けておくことをお勧めします。

 しかし転けても、ただでは起きないところが、博士の凄いところです。
しっかりと、キャンセル待ちをかけていたのです。
それだけではありません。博士は、しっかりプラスアルファーを仕込んでいました。

 東京発の最終「銀河」の寝台券は、新大阪までとなっています。Exp_akatsuki_ticket_2
 「なぜ?最後まで乗らないの?」
と聞くと、これまた最終の「あかつき」に乗車するためだというのです。
「下りの「銀河」は、新大阪を7時18分に発車するが、上りの「あかつき」は7時19分に大阪駅を発車するので、ちょうど上淀川橋梁あたりで行き違い、
新大阪から「あかつき」に乗り継ぐことができる。」
というわけです。最終の「銀河」に加えて、最終の「あかつき」にまで乗車するという離れ業です。
「あかつきなら、レガートシートもあるのでおサイフにも優しい。」
と、さすがは博士、ぬかりがありません。

でも、こんなにうまくいくんだろうか…。

急行「銀河」狂想曲 3.14Exp_ginga_jyousyasyou_2

 K博士が、東京駅八重洲口に着いたのは、22時40分 急行「銀河」の出発23時00分の20分前です。
 K博士の寝台券は、7号車の5下ですから、列車後方の北階段へと向かいます。
すると9.10番ホームの上がり口が、人だらけではありませんか。 
後、新聞で知ったことですが、その時2000人を超える人間が、このホームにいたそうです。
そこに、東海道線の当駅止め列車(E231系)が入線してきたのです。
ラッシュ時を超える混雑だと、ご想像下さい。
さてK博士、
「これでは、下手すると乗れんぞ。」
と人をかき分け階段を昇ります。
E231系の乗客が、引けてくると同時に9番線側には、少しずつすき間ができてきました。
でも、10番線側は立錐の余地すらないほどです。
 なぜ、列車の後部がこんなに人だらけなのか。おわかりいただけますか?
実は、急行である「銀河」の機関車にはヘッドマークが付かず、
最後部車両のテールサインこそが、「銀河」のアイデンティティーを最も主張するものだからです。
カメラマン達は、これを狙うのです。

 人の少ない入口を探しつつ、大阪寄へに歩いてゆくと、とうとう1号車のところまで辿り着いてしまいました。
そこでは、鉄道警察隊と鉄チャンが、
「これ以上前には、行かないで!」
「どうしてだ。前にも人がいるじゃないか。」
と押し問答しています。
そして、その後ろには、JR東日本の駅員さんが、
「乗車になるお客様がいます。入口を開けてください。」
と叫んでいます。K博士は、切符を見せながら、乗り込もうとします。
するとクソ真面目な駅員さんは、
「1号車はA寝台です。お客様はB寝台。7号車ですから、一番後ろです。」
とご丁寧に案内してくれます。
「これ見てみい!! 乗れんからここまで来たんやないか。」
とK博士。ぶち切れたおかげで、ようやく乗車できました。
22時57分。もはや発車の3分前です。

 外の喧噪とは違い、車内の通路は難無く通ることができ、所定の寝台にたどり着くことができました。
ふーっと一息を付いたその時、こんな声が聞こえてきました。
「こちら9101列車車掌です。どうぞ。」
「はい。こちら、9101列車機関士です。どうぞ。」
「9101列車、発車ーっ」
「(ピーッ…)」
ガッターッン…
最終の急行銀河は、東京駅を2分遅れで出発しました。

 さあ、ここで、問題です。
これは、車掌と機関士が出発のやりとりをしている鉄道無線なのですが、最後部とはいいながら、なぜこんなものが聞こえてくるのでしょう。
そして、本来ならば、銀河の列車番号は101です。
9101列車とは、どういうことなのでしょう。

 一問目の答えは、K博士の向かい側、6番下に座ってた、乗客が案の定、鉄チャンで、無線機(正しくは受信機)でもって鉄道無線を傍聴していたからです。
こんなヤツが乗っているのも、さすがにラストラン。

 二問目の答えは、こうです。
一時間後の3月15日は、もうダイヤ改正がなされた日です。
もう銀河は、走れないのです。
しかし、3月14日に発車した、最終の急行銀河は、24時00分に運転を取りやめるわけにはゆきません。
9000番台という特別な列車番号を割り当てられることで日付を越えるというわけです。

小田原では、もう2分の遅れは回復していました。

 横浜駅あたりで検札が来ました。
K博士が、例の「新大阪までの切符」を車掌さんに差し出します。
「新大阪ですね。」
と車掌さんが応えると、周りの鉄チャンたちが、
「何?…どうして」とのぞき込みます。そんな反応があったせいでしょうか。
車掌さんは、こんなことまで教えてくれました。
「実はねえ、新大阪-大阪間でもここの切符が売れているんですよ。もちろん、ちゃんと寝台料金を払ってですよ。」
朝のそれも、ほんの数分の乗車です。運賃で言えば160円区間に、530円の急行料金+6300円の寝台券を買うお方がこの世の中にはいらっしゃるのです。
「ほおー…。」
鉄チャンたちは、感心しながらも、「さもありなん。」と頷きあいます。
納得してしまうところが、また鉄チャンの凄いところです。

車掌さんは、この時、記念乗車証を下さいました。
必ずこういったものが、配布されるかは判らないのですが、あると信じて狙っているマニアもいます。
乗車証をゲットして、横浜、大船で下車してゆくマニアも多く、小田原までに2割方下車してしまったようです。

マスコミの取材攻勢にも、凄いものがあります。横浜を出発して数分後、フジテレビのレポーターのおねえさんがやってきました。
後ろにはビデオカメラを担いだお兄さんとマイク係のお兄さんもいます。
 レポーターのおねえさん「ねえ、どうして。この列車に乗ったんですか。」
  K博士「大学時代の思い出の列車だからです。」
 レポーターのおねえさん「どこまで、乗るんですか。」
 K博士「新大阪です。」
 レポーターのおねえさん「え?…なぜ、大阪まで行かないの。」
 K博士「あかつきに乗るから。」
 レポーターのおねえさん、意味がわからず絶句…
 K博士「だからね。「あかつき.なは」もこの日で終わりでしょう。
大阪まで乗ってると(「銀河」と「あかつき、なは」の両方に)乗れないの!」
まだよく判っていないレポーターのおねえさんを納得させようと銀河と、あかつきの切符を取り出すと、周りの鉄チャンたちが、また集まってきます。
「このひと、「あかつき」の切符持っているよ。」
「よくまあ、こんなこと考えましたねえ。」
「それにしても こんな切符もよくとれたもんですねえ。」
まだよく判っていないレポーターのおねえさんには、博士ではなく、別の鉄チャンが丁寧に説明してくれました。
「ちょ…ちょっと、切符見せてもらっていいですか?カメラさん。アップ!」
おねえさんようやく、ただならぬ事態に気づかれたようです。

このように鉄チャンという人種は、全くの他人でありながら、またある時には同類であるが故にお互い避けあうような一面を持ちながら、
鉄道に関する話題の一点で、爆発的にうち解けてしまう時が、結構あるのです。
(もっとも向かい側寝台下段の鉄道無線マニア氏のように、寝台から出ようとせず、ずーっと自分の世界に閉じこもっていらっしゃる方もいます。)
そんなわけで、隣のボックスも、結構盛り上がっています。
なんでも、そのうち一人は、ラストラン専門マニア。但し特急限定だそうです。
ん?銀河は、急行だぞ。
まあ、つっこみを入れてもしょうがない。と捨て置いたのですが、彼らの盛り上がりは富士駅を過ぎても、続いてました。
さすがに、車掌さんからたしなめられたようです。

ようやく静かになって眠れるかな。と思ったら、停車駅毎にカメラのフラッシュが、眠りを妨げます。
隣の6号車には車掌室付きのオハネフ25が連結されていて、ここから身を乗り出している車掌さんを狙うカメラマンのフラッシュは、カーテンのすき間を越えまともに目に飛び込んできました。


5時40分過ぎ、うっすら明るくなってきた頃、銀河は、米原駅に滑り込みます。
米原駅では、貨物列車に追い抜かれるため、6分間停車します。
本来ならば2番線に入線するところですが、今日は向かいの3番線です。
案の定、この時間に撮影しようと、わざわざ向かいのホームまで、階段を駆け上がってゆく鉄チャンがいます。
おっと、あれは、例のフジテレビのレポーターのおねえさんじゃあないの。
それも寝台車備え付けのあの浴衣姿!
ビデオカメラを担いだカメラマン達を従え、ホームを走り回っています。
すっかり、春めいてきたとはいえ、寒くないのかな。…よおやるわ。
米原駅の出発は1分遅れてしまいました。

明るくなると、停車駅、通過駅にかかわらず、カメラの砲列が、銀河の到着を待ちかまえています。
鉄橋など、ここぞという撮影スポットに於いては言うまでもありません。
草津を過ぎると複々線。併走する221系の窓から、ビデオを構えているマニアもいました。

大津では、朝イチの放送です。
いつもとは違い。
「あと、大阪まで、残すところあとわずか4駅です。途中大阪駅到着まで、撮影マナー、乗車マナーよろしくお願い致します。」
と付け加えて放送されました。
車掌さんにしてみれば、この異様な雰囲気の中、なんとか無事に大阪まで到着して欲しい。というその一心だったのでしょう。

大津や、京都駅のホームでは、降りるのが大変なくらいの混雑。
「列車が、発車できませーん! 下がって下さい。下がって!!」
と駅員さんの叫び声が聞こえてきました。

桂川橋梁をこえ、強烈なEF65の汽笛!!
きっと馬鹿なカメラマンがいるに違いありません。

山崎駅を越えるとサントリー山崎工場の前を通過します。ここは有名な撮影地で、緩いカーブ颯爽と走る姿は、本当に絵になります。
「おお、いる。いる。」
いつもとは桁違いのカメラマンたちは、この一瞬をカメラに収めようと息をのんで、心臓をばくばくさせながら、待っているに違いありません。
ところが、なんという運命のいたずら。
上りの普通列車(223系)が、「銀河」とカメラマン達の間に割り込むように滑り込んできました。
「あー、あ。かわいそう。」
と車内では笑い声が聞こえます。

こんな話をすると
「えー。鉄チャンってひどいなあ。冷たいなあ。」
と思われるかもしれません。まあ「人の不幸は蜜の味」という言葉もあるくらいですが、
大きな声で、笑う鉄チャンこそ、こんな悔しい経験を何回も繰り返してきているに違いありません。
カメラマン達の悔しさが判る分、笑わざるをえなくなる…そんな心理をおわかりいただけますか?。

高槻駅あたりでは、こんな放送が、聞こえてきました。
「この度、半世紀に亘り、東京-大阪間を走って参りました急行「銀河」号ではございますが、本日3月15日大阪着を最後に、引退いたします。
「銀河」になりかわりまして、御礼申し上げます。」

車内は大きな拍手にわきました。

いいムードのまま、それでいてもう終わりかという、切なさが募るそんな時も時。
列車に急ブレーキがかかりました。例の鉄道無線マニア氏が、その様子を傍聴していたため判ったのですが、

実は。摂津富田駅の西にある、赤大路踏切で、馬鹿なカメラマンが、遮断機の内側でカメラを構えていたというのです。

「あかつき」に乗り遅れでもしたらどうしてくれるんだ!

それでも新大阪到着は、4分ですみました。「あかつき」も同様、遅れるだろうから
はらはらすることはなかったんですが、本当に馬鹿なカメラマンには、困ったものです。

あかつきは、3分遅れで新大阪に到着しました。

最前部のレガートシート車に乗り込みます。
博士が自分の席につこうとすると、そこには、おじさんが座っていました。
切符を見せると、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、立ち退いてくれたのですが、
まさか、新大阪-京都間の指定席をもつ乗客が乗り込んでくるとは思わなかったのでしょう。
やはり、「銀河」と同じように、鉄チャンが集まってきて
「よく、こんなのとれましたね。」
「ちゃんと買っている人がいるんだ。」
と声がかかります。
実は、新大阪から「あかつき」に乗ったのは、博士だけではありません。
しかし、ほとんどの人は切符を持っていなかったようで、満員の座席に座りきれない鉄チャンたちが、ロビーにまであふれて立ちん坊状態です。
ところが、このレガートシート車の前半分にあたる部分はレディースシートで、男子禁制です。
空席が目立つのも男には悔しい話です。
やはり、鉄チャンの女性はあまりいらっしゃらないようです。
でも、一人はいました。
この日開業した新駅である島本駅の付近で、「あかつき、なは」の引退放送があったのですが、
レディースシートのスピーカー部分にマイクを向ける録り鉄(もちろん女性)が、おられました。
この車には、後2カ所、スピーカーがあるのですが、ここにもひとりずつ録り鉄が、マイクにとりついておられました。
真剣な顔で録音しているので、ここでは拍手できる雰囲気にはなりませんでした。

京都駅には3分遅れで到着しました。乗っていた鉄チャンたちは、こぞって撮影に出かけていってしまったようです。

 さて、K博士は、これからどうされたとお思いですか。
車庫へ回送される「あかつき、なは(EF66が前後に付く豪華編成)」を撮影し、
なんと、その日のうちに、その日開業の新線「おおさか東線」に乗車されたのです。それだけではありません。
実はこの日、阪和線と環状線をつなぐ連絡線が複線化されたため新線部分である美章園方面行きの連絡線にも、わざわざ乗車されました。
 これには、気がつかなかった人も多いのではないでしょうか。
でも、なかには、天王寺駅15番線で下り列車を狙ってた鉄チャンたちが、やはりいたりするのです。

 開業といえば、この日開業の駅が、「島本」以外にもあります。
すなわち、この日開業の新駅、「はりま勝原」「須磨海浜公園」に下車されました。

 まだあります。
さらには茨木駅で「なは」の返却回送(「あかつき」はJR西日本持ちですが、「なは」はJR九州の列車なので、九州まで帰らなければならないのです。)まで撮影しておられるのでした。
 茨木通過は14時30分頃ですから、これに間に合わせるために博士は、特急を使いまくっておられます。
「オーシャンアロー(京都→天王寺)」に「スーパーはくと(大阪→姫路)」を利用されました。

連日、ご苦労様でした。

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2008年4月27日 (日)

高松琴平電鉄 車両写真集にデータをUP

近代化が一段落つき、旧型車は、イベント用に一部を残すのみとなった琴電ですが、
かつて撮りためた旧型車の写真を見ていると、
「本当に様々な電車たちがいたのだなあ。」
と感慨深いものがあります。Kotoden1_sido_nagao_22
今回、そんな彼らの、車両データを改めて整理、車両写真集にUPしたのですが、
「さすがは、活きている電車博物館と言われただけのことはある。」
と思わずうなってしまいました。

ぜひ、ご覧ください。

→高松琴平電鉄 長尾、志度線 旧型車 へJUMP

→高松琴平電鉄 琴平線 へJUMP 

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2008年4月23日 (水)

叡電デト1001と嵐電モト1001をご紹介します。

鉄道会社も別なら、かたや鉄道線車輌。もう一つは軌道線車輌と。

全く別であるはずの叡電1001と嵐電1001Edn1001

車輛番号も同じなら、姿、形もそっくり!

そんな珍車たちをご紹介します。

珍車ギャラリー〃叡電1001/嵐電1001〃へJUMP

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2008年4月13日 (日)

三岐鉄道 北勢線の車両たちをUP

北勢線に限らず、地方鉄道は、じり貧状態で、とうとう親方の近鉄も、北勢線に見切りをつけることになりました。

第3セクターに転換することさえ時間切れで無理だと解ったときに、
なんとそこに、救世主が現れました。三岐鉄道です。S_hokusei_200_2
   北勢線の南にほぼ並行する形で路線をもつ、三岐鉄道は、旅客輸送だけに携わる北勢線とは違って、 藤原岳周辺の石灰岩から作られたセメント輸送が、大きな収入源となっています。加えて2000年から2003年まで中部国際空港の埋め立てのため土砂輸送が、三岐鉄道の財政を好転させていた点も見逃せません。

しかし一私企業である以上、慈善事業で赤字ローカル線を引き受けることはありません。もちろん自治体からの支援はあります。
しかし、それ以上に潜在的な輸送需要を引き出せるとの信念が、三岐鉄道にあったと思われます。
  もともと、三岐線は北勢線に比べ沿線人口も少なく、ターミナルである富田も桑名に比べマイナーです。
貨物あっての三岐線といえる状態が、長く続いていたのですが、近鉄富田駅への乗り入れや車両の冷房化、そしてパークアンドライド等、積極策に転じた結果、いつしか、輸送人員は北勢線を上回っていたのです。
そんな、実績と自信が、北勢線を引き継ぐ気持ちを生み出したに違いありません。
      大事なのは、フリークエンシーサービスと速達性です。
運賃と定時性で、優位に立つ鉄道は、やり方次第で、バスに負けることはないのです。
そして自家用車に対しては、勝てないまでも共存できる交通機関となるのです。
利用客の少ない駅は、廃止し、自家用車との乗り継ぎを考慮した新駅に統合する。
こんなやり方が、今、よい結果を出しつつあります。
しかし、従来のようにのんびり走っていたのでは、乗客は逃げてしまいます。
現在の最高速度は45km/hですが、これを75km/hにする高速化計画があります。

この高速化計画のもと、生まれ変わる北勢線の車両たちをご紹介します。

三岐鉄道の車両たち へJUNP

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2008年4月12日 (土)

国鉄 DD51形ディーゼル機関車の画像をUP

昭和37年に試作車の1号機が作られて以来、昭和52年にかけて638両が製造されたDD51形。
Dd51_1
幹線用として、特急列車をはじめ貨物列車まで幅広く用いられてきました。
まさに国鉄形ディーゼル機関車の代表といって差し支えないと思います。

DD51形形式写真集へJUMP

JR各社に継承されたtype2.type3も、寄る年波には勝てず、廃車が進んでいます。
一方、エンジンを換装し、リニューアルするDD51形もいて、これからもその勇姿を見せてくれることでしょう。
ここに、ご紹介するDD51形の画像は、古いものも新しいものもあり、整理されているとは言い難いのですが、とりあえず原則一台につき、1枚でUPしました。(計138枚=137両)

どのJR会社に継承されたなどの、データも追加する予定です。

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2008年4月 8日 (火)

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